弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2022年3月19日

さずきもんたちの唄

人間


(霧山昴)
著者 萱森 直子 、 出版 左右社

瞽女(ごぜ)の小林ハルさんの最後の弟子であった著者による瞽女の話です。とても面白くて、ぐいぐい惹き込まれて車中で一気に読みあげてしまいました。
瞽女は難しい漢字ですが、打楽器の「鼓」と「目」から成るもので、身分や生まれを指すのではなく、職業の名前。起源は室町時代と言われている。
三味線をもってうたうことで暮らしを立てていた、目の見えない女性たちの職業。新潟・越後では昭和の中頃まではその姿を見ることができた。
越後の瞽女たちは一本の三味線とその声でみずからの人生を切り開き、人々の暮らしに深く入り込んでパワーあふれる娯楽を提供する、誇り高き芸人集団だった。
瞽女は、ひとりで旅をすることはない。少なくとも親方と弟子と手引きの三人づれ。五人の組になると、縁起がいいと村人から喜ばれた。うたうときも、みんなで座を盛りあげる。
瞽女唄では、物語をうたうことを「文句をよむ」と表現する。
物語を伝えればいいのだから、機械のように毎回、一字一句、ハンで押したように同じようにうたう必要はない。繰り返し繰り返し稽古して身にしみこんだ文句と旋律で、その場で臨機応変に物語を再現していく。
瞽女唄は脚色も演出もしない。これは棒読みするというのではない。伝えるべきは物語の中身。聴く人が、それぞれに自分の頭の中で物語を思い描いていく。うたい手の作為的な飾りをつけ加えるのは、かえって、その邪魔をしてしまう。
「葛(くず)の葉の身になってうたえ」
「童子丸の身になってうたえ」
しかし、それなのに、「声色(こわいろ)を使ってはならない。声の調子を変えてはならない」と厳しい師匠。
単調、無作為と共存する感動。ここには、他の芸能とは重ならない独特の声と音の響きがある。
「あきない単調さを初めて知った」
「何の変化ももりあげもないのに、どうしてこれほどまでに心に訴えてくるのだろうか」
「単調さを貫くことが、うたい手の存在感を消すのではなく、かえって重くしている」
これらは聴衆の感想。いやあ、瞽女唄をぜひ聴いてみたくなりました。
物語を伝えるためには、自分のリズム感や自分の感覚で語ることが必要。
瞽女唄をうたうとき、見台や譜面台は決して使わない。目に頼らないでうたう。耳で伝える。これは、瞽女唄であるための、芸としての根幹に関わるもの。
瞽女は津軽三味線のルーツでもある。
瞽女だった小林ハルさんにとって大事だったのは、「お客人が喜んでくれなさるかどうか」の一点のみだった。
瞽女唄は、瞽女さんたちが、その耳で伝えてきた唄。なので、すべての文句について、できる限り、余計な解釈を加えず、耳で受けとったまま声を出すように著者はつとめている。
たとえば、牛頭(ごず)をハルさんは、「ごとう」とうたう。これはおかしいと批評されると、「おれはこう習うたから、こううたうんだ」と怒りをこめて言った。
うたう前に解説文などは下手に配らない。話と唄だけ。お客は著者の表情をじっと見つめ、あるいは目を閉じて、その瞬間の響きそのものに耳を傾ける。うたい手とお客とが一体となって物語に入り込んでしまうような濃密な時間を過ごすことになる。
知識や教養は役に立つものだけど、ときとして素直な感動を妨げることがある。
「さずきもん」とは、個人の能力や人との縁など、人生において「さずかったもの」のこと。
小林ハルさんが瞽女になると決めたのは5歳のとき、稽古を始めたのは7歳、瞽女としての初旅に出たのは8歳のときだった。最初の師匠には10年間ついた。それはとても辛かったようです。
「おれは人から悪いことをされたことは絶対に忘れない。死ぬまで忘れられない。死んだって忘れねぇ。だから、おれは人に悪いことはしないんだ」
なーるほど、そうなんですね...。
小林ハルさんは、2005年4月25日に死亡。105歳だった。
ハルさんをモデルにした映画があるそうです。著者が瞽女唄指導として関わっているとのこと。ぜひみてみたいものです。
著者は乳ガン、そしてパーキンソン病にもかかって大変のようですが、ぜひこれからも元気に瞽女唄をうたい続けてください。ご一読を強くおすすめします。
(2021年10月刊。税込1980円)

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