弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2022年1月12日

月と日の后

日本史(平安)


(霧山昴)
著者 冲方 丁 、 出版 PHP

『蜻蛉日記』についての解説本を読んだ直後に読みましたので、平安時代の朝廷内のおどろおどろしい権力抗争の実情がよくよく伝わってきました。もちろん、この本は小説であって歴史書ではありません。それでも史実をきっちり踏まえて(と思います)、ストーリーが展開していくので、興味と関心は否応でも高まります。最後まで、なるほど藤原道長の娘(彰子)はそういう立場だったのか、その言動は理解できると思いながら一気に読了しました。
『蜻蛉日記』の著者は藤原兼家の妻(名前は分かりません)ですが、兼家は道長の父にあたります。その本には兼家と息子・道綱は登場しますが、道長はまだ出てきません。
藤原道長と言えば、次の和歌があまりにも有名です。
この世をば わが世とぞ思ふ 望月(もちづき)の欠けたることも なしと思へば
権力を一手に握った道長の自信満々の心境を表明したものと一般に受けとめられている和歌です。
ところが、道長の長女・彰子(しょうし。あきこ、とは読みません)によると、父の道長は、剛胆とはほど遠い、自分がたまさか勝ちえたものをいつか失うのではないかという不安を常にかかえている小心者なのだ。よく言えば分かりやすく、裏表のない人間。喜怒哀楽を臆面もなく周囲にあらわにする。豪放磊落(ごうほうらいらく)な人間と思われているが、それは調子の良いときのこと。実際には、ちょっとした病気にかかっただけで神経質になり、しばしば亡霊を見て、ふるえあがる。しかも、道長は病気がちで、病気を理由として出家を願い出ては、ときの一条天皇(上皇)からとめられていた...。
長女の彰子は一条天皇の中宮であり、次の後一条天皇の産みの母親、つまり太公太后(たいこうたいごう)である。
彰子の同母妹である次女の姸子(けんし)は、三条天皇の中宮。
さらに、同母妹である三女の威子(いし)は、甥である後一条天皇の中宮となり、皇后となった。このようにして、天皇の三代にわたって同じ家の娘が天皇の后(きさき)となったわけである。「一家三后」という空前絶後の偉業を道長はなしとげたのだった。
平安時代の女性の出家には2段階あった。髪を肩のあたりで切り落とし、童女のようなおかっぱ頭にするのが最初の段階だ。そして死期が近づいたりして、より深く法の道を進んで、安寧を得ようとするとき、完全に剃髪してしまう。いずれにしろ、出家して尼になるということは、男でも女でもなくなるということだ。
彰子の部下の女官として紫式部が召しかかえられました。彼女が『源氏物語』を制作する途上のことです。ところが、紫式部は偉大な読みものを書きましたとひけらかすこともありません。
道長は、長年、末弟として、兄たちから見くびられてきたせいか、威圧を巧妙に、また狡猾にやってのけた。その技のすごさで、朝廷で右に出る者はいない。
ほかにも和泉式部や赤染衛門(あかぞめえもん)という文才で名高い女性がいた。そして、清少納言も...。やがて彰子は紫式部から漢文の古典を学んでいくのです。
この当時は、懐妊と出産は、常に死と隣りあわせだった。実際、貴族の妻(娘)が出産のとき亡くなった実例はたくさんある。
そして、男性のほうも、病気のために若死する人が少なくなかった。まあ、それでも、なかには80歳くらいまで長生きして活躍する貴族もいるにはいたのです...。
病気といえば、道長のライバルの伊周も道長も飲水病(糖尿病)に苦しんでいたようです。
朝廷の内裏(だいり)は、朝廷一家の住居があったのですが、何回となく火災にあっています。それも失火だけでなく、放火もあっていて、むしろ、こちらのほうが多かったといいます。恐ろしい現実です。
さらには、政争で敗れて武士を雇えなくなった公卿の邸(やしき)を賊が襲撃することがしばしば起きていた。ひえーっ、恐ろしいことですね...。
彰子は12歳の若さで入内し、(朝廷に入り)、自ら教養を求めて仁政を知り、一条天皇への愛と、人一倍強い母性に目覚め、そして実際、2児の母ともなった。
道長が権勢を思いのままにするうえで、この先、もっとも障害となる可能性があるのは、実の娘である彰子その人である。天皇の産みの母親。すなわち、国母の発言を恐れるのは、宮中においては、むしろ正しい感性の持ち主だった。
朝廷は、血筋と現実的な実力の、折衷の場である。もし血筋のみを優先すれば、現実的な実力が抗い、相克(そうこく)の難事、怨みに満ちた応酬が始まる。
女房たちは、決して同情では動かない。あくまで打算で動く。計算して、誰につくかを決める。
天皇が、自分は天皇なのだから、なんであれ願えば通るはずではないか。なぜ反発するのだという態度をとったら、所卿から反発されるのは必至だ。
后(きさき)になるというのは、晴れ晴れしいようでいて、実態はその真逆といえるほどの受難の道である。甚大な期待ばかりを背負わされ、天皇の愛を受けられると信じ、そしてことごとく絶望する。多大な後援をし続けられるほどの実力者でない限り、娘を后にしようなどと思うべきではないのだ。さもなくば、娘を不幸のどん底に落とすだけだ。彰子は39歳で出家した。
いやあ、朝廷内の抗争、政争がどういうものなのか、初めて具体的に想像することができました。実力ある作家の想像力のすごさに完全脱帽です。
(2021年9月刊。税込2090円)

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