弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2022年1月 8日

恵比寿屋喜兵衛手控え

江戸


(霧山昴)
著者 佐藤 雅美 、 出版 講談社文庫

1994年の第110回直木賞受賞作です。27年も前の本を今ごろ読んだ理由(わけ)は、先ごろ江戸時代の公事師(くじし)は江戸の訴訟で重要な役割を果たしていたことを各種文献によって私が論証したのを読んだ弁護士仲間から、この本を紹介されたからです。うかつでした。公事師の活動状況が、こんなに見事に小説になっているなんて、まったく知りませんでした。
公事師は刑事裁判にも関わりますが、基本は民事裁判です。といっても、この小説もそうですが、江戸時代の裁判は民事と刑事が混然一体となっているところがありました。もちろん奉行所はどちらも扱えます。
裁判は、手付金返還請求の被告とされた人の弟が公事宿(くじやど)に駆け込んでくるところから始まります。なので、純然たる民事訴訟のはずで、奉行所は証文を当事者双方に出させて、口頭で双方を審問します。公事宿の主人(公事師)はその場に立会していますが、代理人ではありませんので、代弁はしません。
被告として受けて立ち、裁判を争いたいという「六助」に宿の主人は、裁判にはお金がかかることをじっくり説明した。ところが、「六助」は、それでもいいと言いはった。
「御白州(おしらす。裁判所)では、間違っても小賢(こざか)しく振る舞ってはいけない。公事訴訟にはまったくもって詳しくない。見てのとおりの田舎者。と、むしろ愚直をよそおうのがいい。賢くはないが、頑固一徹者、という印象を与えられたら、なおいい」
これって、今の裁判にも十分通用する注意です。
公事買(くじかい)といって、買ってまで公事訴訟をおこす、公事になれた家主が江戸には少なくなかった。
そうなんですね、昔から日本人は裁判が好きだったんです...。
金公事(かねくじ。金銭貸借を扱う裁判)は、役人が当事者を脅かしたりすかしたりしているうちに、なんとなく内済(ないさい。和解・示談)の方向へ話がすすんでいく。そして、金銭支払いのときは、無利息・長期月賦の「切金(きりがね)」を利用することで決着が図られることが少なくなかった。これを歓迎する人も、もちろんいるが、庶民には不評だった。
この本では、旅人宿と百姓宿とがニラミあっていて、お互いに先方の縄張りに浸食しようとして、しのぎを削っている様子も描かれています。
あと、この本が読ませるのは、公事宿の主人が、自らの妻が病床にいるあいだに、妾を囲って子を産ませ、そのことを気に病んでいる、といった心理描写も出てくるところにあります。
まことに幅の広い、そして奥の深い人間観察をふくむ、公事師が大活躍する人情話でもある文庫本です。あなたもぜひ、ご一読ください。
(2019年9月刊。税込713円)

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