弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2022年1月 3日

刀伊の入寇

日本史(平安)


(霧山昴)
著者 関 幸彦 、 出版 中公新書

モンゴル軍の襲来(元寇)は鎌倉時代、北条執権のころのことですが、平安時代、藤原道長が栄華の絶頂にあった1019年、対馬をはじめとして九州北部(福岡から佐賀)が、突如として外敵に襲われた。中国東北部の女真族が日本に侵攻した。
この女真族(刀伊と呼ばれた)の入寇の状況を詳しく紹介した新書です。
それこそ、『源氏物語』の紫式部や『枕草子』の清(せい)少納言のころの出来事です。来襲した敵が残した物に書かれていた文字が女真文字であると判明したのは、なんと明治になってからのことだというのに驚きました。
「刀伊」とは、いったい何かというと、女真族について「東夷」というのを「刀伊」としたということです。
芥川龍之介の小説『芋粥(いもがゆ)』は、『今昔物語』を元ネタにしているが、この『今昔物語』に登場する人物のモデルである藤原利仁は、鎮守府将軍そして征新羅将軍になった武人だ。ところが、『今昔物語』によると、利仁将軍は新羅征伐に向かった途中、新羅側の仏法の威下のもとで敗死する。
伊攻した女真族は、九州北部から大勢の日本人の捕虜として連れ去った。死者364人、捕虜となったのが1289人、牛馬の被害が380頭。捕虜となった者が死傷者の3倍をこえているのは、大陸での奴婢(ぬひ)市場へ供給していたから...。
初めは敗退していた日本軍は朝廷からの督励とは別に、なんとか最新式の兵器によって反撃に転じることができるようになった。
九州に上陸した女伊族は、その後、朝鮮半島の元山沖で高麗(こうらい)水軍によって壊滅打撃を受けた。
朝鮮半島の内情の複雑さに乗じて朝廷内にはいろいろ議論があったようです。ノド元過ぎれば熱さを忘れるということです。
鎌倉時代の元寇の100年も前に、同じような異民族が来週した事実は知っていましたが、想像以上に深刻な打撃を受けていたことを初めて知りました。
(2021年8月刊。税込880円)

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