弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2021年12月31日

王朝日記の魅力

日本史(平安)


(霧山昴)
著者 島内 景二 、 出版 花鳥社

NHKラジオで古典講読をしている著者が放送台本を書き言葉に置き換えていますので、とても読みやすく、しかも内容が濃いのです。さすが学者は違います。読み方の深さに圧倒されました。
『蜻蛉(かげろう)日記』の作者は道綱の母、そして藤原兼家の妻。上巻・中巻・下巻には、19歳から39歳まで、あわせて20年間の「女の一生」が書かれている。
著者による現代語訳を少し紹介します。
夫から捨てられて、みじめな死に方をするのではなく、夫を捨て、夫によってみじめなものにさせられた自分の人生をも潔(いさぎよ)く捨ててしまう。そういう潔い死を、私は求め続けた。私にはプライドがある。運命に追い詰められて死ぬのはみじめである。死にたくないなどと逃げ回って、けれども、ほかにどうしようもなくなって、仕方なく死んでゆくような、情けない死に方は絶対にしたくなかった。けれども、ただ一つだけ、私が捨てられないものが存在する。私の生んだ、たった一人の男の子、道綱である。
道綱の母は、藤原兼家という夫の束縛を断ち、大空のはるか向こうまで、自由を求めて飛んでいきたかったことだろう。夫の兼家には、「近江」という愛人がいて、別に村上天皇の皇女とも男女の関係にあった。道綱の母は、『蜻蛉日記』を読んでいる読者に向かって、直接、私の心を推し量(はか)ってくださいな、と呼びかけている。
いやあ、すごいですね。これではまるで現代に生きる日本女性の叫び声ではありませんか...。
平安時代には、女性が出家して尼になるときも、髪の毛を全部剃(そ)って丸刈りになることはない。髪の毛を肩のあたりまでで切り揃(そろ)える。残った髪の毛は、額のあたりで振分髪(ふりわけかみ)にして、左右に分ける。この髪型を「尼削(あまそぎ)」という。
オカッパ頭になるのですね。そして、いよいよ死の間際になったら髪の毛を剃ってしまったのです。
道綱の母は、読者の目からすると感情移入するのがかなり難しい性格の持ち主だ。
この本は、『蜻蛉日記』と『源氏物語』の共通点を指摘しています。それは、紫式部の『源氏物語』が『蜻蛉日記』から多くのものを学んでいるということです。
道綱の母は、兼家との夫婦関係が完全に消滅すると、わが子・道綱の政治家としての未来も閉ざされてしまうことを心配した。なので、我慢するしかない。
『蜻蛉日記』は、作者の主観が生み出した世界を、言葉にうつしとったものだと考えられる。言葉が世界をつくり出す。正確には、心を写しとろうとした言葉が、王朝日記文学をつくり出したのだ。
『蜻蛉日記』のなか、『源氏物語』、そして『更級(さらしな)日記』のなかにも不思議な夢のお告げがよく登場する。王朝の女性たちは、夢の実現を強く願い続けた。女性たちの夢や希望がぎゅっと圧縮されたもの、いわば「夢の遺伝子」が『蜻蛉日記』であり、『源氏物語』であり、『更級日記』だった。
『蜻蛉日記』の作者(道綱の母)は、60歳まで生きて、995年に亡くなった。
その夫である藤原兼家は一条天皇が即位したとき、摂政になった。その4年後、兼家は亡くなった。さらに、その5年後に作者(道綱の母)が亡くなった。この年、兼家の息子である道隆と道兼は相次いで死去した。翌年、兼家の息子の道長が権力を掌握した。
まもなく紫式部による『源氏物語』が書かれはじめ、『和泉式部日記』そして、『更級日記』の著者が生まれた。女性の手による散文の名作・傑作が続々と誕生した。その最初が『蜻蛉日記』なのだ。
この『蜻蛉日記』は『源氏物語』に大きな影響を与えただけでなく、近代小説にも影響を及ぼしている。田山花袋、堀辰雄、室生犀星の3人があげられる。
こういう講釈を聞くと、『蜻蛉日記』で言われていることは、そのまま今の日本にあてはまると思えてきます。決して古いとか時代遅れになったとは思えません。喜ぶべきか悲しむべきか分かりませんが、すごいことですよね。手にとって読んでみる価値が大いにある本です。
(2021年9月刊。税込2640円)

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