弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2021年11月21日

アクセサリーの考古学

日本史(古代)


(霧山昴)
著者 高田 貫太 、 出版 吉川弘文館

新羅(しらぎ)は、ほかと比べて貴金属のアクセサリーがひろく流行した社会だ。膨大な数の金製の耳飾りが出土している。百済(くだら)の耳飾りは、新羅に比べると、資料数が少ない。
新羅の冠には、帯冠、冠帽、冠飾りが確認でき、その材質は、金、銀、金銅。百済では、帯冠の資料は、ごくわずか。
新羅と百済の王や王族などの墳墓には、飾り履(くつ)が副葬されることがある。冠といっしょに出土することが多く、着装などは有力な人びとに限定されていた。
新羅では、王陵や有力者の墳墓から指輪が出土することが多い。しかし、指輪は百済や大加耶では、あまり知られていない。古代の「質」(むかわり)は、単に「人質」ということだけではなく、交渉相手の社会に派遣され、そこで自らが属する社会の交渉目的を代弁するようなこと。
古代朝鮮において、もっとも基本となるアクセサリ―は、耳飾り。倭も同じ。
洛東江の下流域の東側に位置する釜山は、その対岸の金官加耶の中心、金海とはちがって、新羅によって早い段階に統合された。
5世紀ころには、釜山地域は、新羅王権とのつながりを深めた。
5世紀の後半になると、長鎖の耳飾りが、倭各地の有力者のあいだでトレンドとなった。
5世紀の後半、倭の外交の一翼を担うなか、百済や加耶系のアクセサリーを取りそろえた地域有力者がいる。それが熊本県の江田船山古墳に伝わったと考えられる。6世紀前半、江田船山古墳から出土した百済の飾り履がある。江田船山古墳の耳飾りは、新羅系とみるのが自然。
磐井(いわい)の乱が起きたのは、1527年のこと。これは、新羅の加耶進攻を契機とし、そこに北部九州と新羅のつながり、倭王権による外交権の一元化の動きがからみあって、勃発(ぼっぱつ)した。これに勝利することで、倭王権は北部九州の主体的な対朝鮮半島交渉を大きく制限することに成功した。
出土したアクセサリーの日韓出土の相違点をことこまかく調べあげ、博物館のデータと根気よく比較していくという地道な作業が学者には求められています。大変な苦労ですね。ただ、そのとき、あれ、これはどこかで見たことがあるぞ、という記憶力も必要のようです。
アクセサリーを通じて、古代日本と朝鮮の王朝との結びつき、対立抗争を想定していくという面白い本でした。写真でアクセサリーを眺めるだけでも昔をしのんで楽しくなります。
(2021年5月刊。税込1980円)

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