弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2021年11月 2日
長東日誌
韓国
(霧山昴)
著者 李 哲 、 出版 東方出版
私と同世代で、まったく同じ時期に東京で大学生活を過した著者が韓国の大学で勉強中に「北」のスパイとして捕まり死刑判決を受け、13年間の獄中生活を送った記録です。
この13年間というのは1975年から1988年までのことです。著者の27歳から40歳までですから、私は故郷にUターンして弁護士をしていました。
そして、著者は2015年に無罪判決を受け、さらには2019年6月、来日した文在寅大統領から大阪で国家を代表しての謝罪を受けています。それを受けてこの本にしたとのこと。いやあ、本にしていただいて良かったです。韓国の民主化運動の重たさが実感としてよくよく伝わってきました。
なにしろ、日本でアルバイトの仕事をしていた時期、そのアリバイもはっきりしているのに、北朝鮮に渡って指令を受けて韓国でスパイ活動していたという「自白」をさせられたのです。その「自白」にもとづいて死刑判決を受け、獄中で、処刑の日がいつに来るかビクビクして過ごしていたというのです。
韓国の死刑囚は、24時間、ずっと手錠をかけられているというのを初めて知りました。行動の自由を奪って、自殺を防止するという狙いもあるようです。
著者は1948年10月生まれで、人吉高校から中央大学理工学部に入学。そこで、コリア文研に入った。そのころ、北朝鮮は輝いているように見えた。
映画「キューポラのある街」(吉永小百合が上演)でも、北朝鮮が魅力的な国だという前提で、北朝鮮へ帰国しようという人々の話が出ていました。今のように、貧しい、ひどい独裁専制国家というイメージはなかったのです。
著者は韓国に渡り、高麗大学に留学しました。そして、婚約者となる女性に出会うのです。ところが、結婚式の直前の1975年12月11日、著者はKCIAに捕まります。拷問の始まりです。結局、耐えられず、求められるまま、すべてを「認める」のでした。
それからはドロ沼。北に行ってスパイ教育を受けたとか、調書の上では誰がみても完全な「北のスパイ」になったのです。KCIA(中央情報部)の地下室は、人間を人間ではなくならせる悪魔の空間であり、ある日突然連行された無防備な人は拷問の専門家である彼らには、いとも簡単に料理できる獲物だった。
検事は求刑のとき、こう言った。
「李哲のような人間は社会にとって極めて危険。なので、社会から永遠に抹殺しなければならない。よって死刑を求刑する」
同じく捕まっていた婚約者には懲役10年が求刑された。そして、一審判決は著者に死刑、婚約者に6年の実刑判決。次の二審判決も、著者に日本にいたことのアリバイが証明されても、変わらず死刑判決でした。婚約者のほうは3年6ヶ月の実刑に減軽。1977年に上告棄却で著者の死刑が確定した。その年の12月、著者は洗礼を受けてカトリックの信者になった。
刑務所の中の生活の大変さが、かなり伝わってきます。
著者も次第に元気を取り戻していき、職員の暴力に耐えるようになっていきました。
「あんなに殴られて、痛くないのですか?」
「変なこと言いますね。生身の人間ですから、痛くないわけがありません」
身体の節々が疼(うず)いて動くのも不自由だったが、心の中で大声で叫んだ。
「勝ったぞ!」。初めての勝利の味をかみしめていた。傷だらけの勝利だ。勝利したという思いで、心は爽やかだった。勝利するためには、傷を負うことも実感した。
いやあ、実に痛そうな勝利です。下手に生きようとするから負けるのであって、死のうと思ったら勝てるのだ。貴重な悟りを得た、と言います。大変ですよね...。
大邸七・三一事件は1985年7月31日に起きた。地下室で著者ら18人がひどい暴行を受けた。これに対して、断食闘争を始めた。
刑務所内でたたかう有力な手段・方法に断食するというのがあるのですね。イギリスでもアイルランド独立闘争の闘士が刑務所内で断食闘争を始め、ついに餓死してしまうというのがありましたよね。ただ、これも、外部と連絡をとって、社会に知らせるというフォローがないと容易に勝てるものではないとのこと。
ところが、ここで、著者の婚約者が大きく動くのです。すでに刑務所を出ていたので、著者への面会に来ていて、また、外部の教会も動かしたのでした。韓国では、日本と違って教会の力は大きいようです。婚約者は、まさしく猪突猛進して、世の中を突き動かしました。ついに保安課長が土下座し、次に副所長が泣きを入れ、勝利したのでした。断食闘争が勝利をおさめるという画期的な成果をおさめたのです。
1988年10月に著者は出所に、婚約者と13年遅れの結婚式をあげます。場所は明洞聖堂、結婚ミサは金森煥枢機郷。そして、結婚式のあとは、3000人の参加者による明洞一帯の結婚式デモ行進。横断幕を先頭に、鼓手たちが太鼓を叩きながら進む。新郎新婦と母親と牧師夫妻を乗せた花飾り車が続き、そのうしろから多くの祝賀客が続いて行進する。明洞聖堂の街中を一周して明洞聖堂に戻って解散。
いやはや、こんなすばらしい結婚セレモニーなんて聞いたことがありません。
そして、1989年5月に著者は日本に戻ったのでした。
日本と韓国の深い関わり、そして韓国民主文化闘争の苦労をまざまざと知らせる貴重な良書です。心ある日本人に広く読んでほしいと強く思いました。この本を読んだ翌日、毎日新聞に大きな記事になっていました。
(2021年6月刊。税込3850円)