弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2021年10月 2日

東大寺の考古学

日本史(奈良)


(霧山昴)
著者 鶴見 泰寿 、 出版 吉川弘文館

奈良といえば大仏。東大寺大仏は正式には廬舎那仏(るしゃなぶつ)といい、東大寺金堂(こんどう)の本尊。聖武天皇が建立を発願し、天平勝宝4(752)年、4月9日に開眼供養がおこなわれた。
海外の大仏は石窟仏で、日本の大仏が鋳造なのは、とても珍しい。
大仏の鋳造方法。まず、土を突き固めて御座となる土壇を築き、その上に木材を組み立てて、骨体とする。この骨体を粘土で覆って原型となる塑像をつくる。鋳型づくり→鋳造という作業を下から上へ、8回くり返しながら頭部まで鋳継いで仏体を鋳造していく。大仏の銅の厚みは意外と薄く、わずか4センチか5センチほど。
大仏鋳造作業では、鋳造→盛り土→上段の鋳造という作業が繰り返されるので、8段目の頭部鋳造時には、大仏は完全に土の山に覆われている。
大仏の材料は、銅と錫(すず)、鉛の合金。銅の産地は山口県美祢(みね)市にある中登(なかのぼり)銅山。
この本の著者が紹介していませんので、読んでいないようですが、帚木蓬生の『国銅』(上・下)(新潮社、2003年)において、この銅山からとった銅で大仏をつくる職人の苦労が小説として語られています。
鋳造作業が終了すると、今度は逆に、頭部から下へ順に盛り土を崩し、鋳型をはずしていく。溶銅が流れ込まなかったところなどは鋳掛けという作業で修正していき、欠損部分を補ったら、荒れた表面をヤスリやタガネで切削して整え、表面を砥石で研いて平滑にする。
金メッキはアマルガム法でおこなう。金を水銀に溶かし、金属の表面に塗布したあと、炭火で熱して水銀を蒸発させて、金だけを表面に定着させる。金1万436両、水銀5万8610両つかったとのこと。
このころ、金は、陸奥国で黄金がとれたという朗報が届いて、金不足が解消された。
開眼供養のころ、実は、まだ全体の一部しか出来あがってはいなかった。
早くコロナ禍がおさまって、東大寺の大仏さまを、また拝みたいものです。
(2021年3月刊。税込1870円)

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