弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2021年9月 1日
中村哲医師の生き方
人間
(霧山昴)
著者 宮田 律 、 出版 平凡社
アフガニスタンからアメリカ軍が撤退するなかで、タリバンが再びアフガニスタンを支配しました。やはり、暴力(武器)によって国を治めることはできないのです。アメリカ軍は、ベトナム戦争で敗退してサイゴン(現ホーチミン市)からなんとか脱出できましたが、今、同じような状況がアフガニスタンで起きています。日本の自衛隊の輸送機も3機が救出のため出動しましたが、いったい誰を「救出」するのか、明らかにされていません。またもやアメリカ軍の下請をさせられているようです。国会を開いて、きちんと議論すべき重大問題です。
野党の国会開催要求を自民・公明両党は無視・拒絶しているため国会での審査・究明もできません。これって明らかな憲法違反なのですが、違反を繰り返して、国民を黙らせ、あきらめさせています。それはともかくとして、タリバン政権が自衛隊機を素直に受け入れるはずがありませんので、戦闘状態になることは必至です。自衛隊員が死んだら、それって「戦死」になるのですか...。でも、おかしいでしょ。なんで、そんな危険なことをする(させる)のですか...。
中村哲さんを殺した犯人は今なおつかまっていません。中村哲さんは、生前、タリバンを単純に暴徒視してはいけないと語っていました。その当時のタリバンと今のタリバンとを同じようにみてはいけないと私も思います。でも、結局は、暴力と武器に頼って、国を長く治めることはできないというのが、歴史の教えるところです。本当にそうだと思います。
この本は、小学校高学年以上の子どもを対象にしていますので、中村哲さんに関して目新しいことが出てくるものではありません。それでも、平和な世界をつくるためには何が必要なのかを基本に立ちかえって明らかにしていますので、いい大人である私も素直な気持ちで勉強になりました。
まずは、表紙の中村哲さんの笑顔がすばらしい。アフガニスタンの男たちに囲まれ、屈託のない、幸せと喜びにみちた笑顔なんです。本当に、もっともっと長生きしてほしい人物でした。
信じられないことに、アフガニスタンを走る自動車のほとんどは日本車とのこと。ただし、ごく一部の富裕層はベンツなどドイツの高級車に乗っているそうです。
中村哲さんはキリスト教徒ですが、戦争やテロなどの暴力は、イスラムの教えに背(そむ)くと理解していました。
キリスト教もイスラム教もその建前では博愛・平和主義のようですが、現実は背反しています。無神論者の多い日本人のほうがよほど平和主義者だと思います。
忘己利他(もうこりた)という言葉があるそうです。瀬戸内寂聴さんがよく言うコトバです。自分の損得や幸せになりたい気持ちは置いておいて、他の人が幸せになって得(トク)をするように務めなさい、という意味のコトバだそうです。私も、なかなかその心境にはなれませんが、目標にはしています。
中村哲さんのすばらしいところは、アフガニスタンの砂漠を用水路を新設して肥沃(ひよく)な田園地帯に生まれ変えたところです。その水路建設工事のため、中村哲さんは本職の医師というより土木作業機械を操作する技師として、作業の先頭に立ったのでした。
「武器ではなく、命の水をおくりたい」というのが、この本のタイトルです。今、日本がやるべきことは、まさに、このタイトルどおりではないでしょうか...。
(2021年4月刊。税込1540円)
日曜日、暑さのやわらいだ夕方、庭に出て、少し雑草を抜いたり、手入れをしました。庭のあちこちでクリーム色のリコリスが咲きはじめましたので、それをよけて雑草をひっぱって抜き、コンポストに放りこみます。ミニトマトと子どもピーマンは先週抜いたので、今はオクラくらいです。あとはサツマイモの葉が茂っています。
なぜかツクツク法師をふくめて、セミが鳴きません。夏は終わったのですね。
コロナ禍がおさまりません。「先に光が見えてきた」なんてスガ首相は、いったいどこを見ているのでしょうか。久留米市は累計で3000人をこえ、大牟も1000人になりました。いったい病院に入れず、家庭内で待機というのはどうしたらよいというのでしょうか。家庭内感染が避けられません。
自民・公明政権の無為・無策ぶりはひどすぎます。
2021年9月 2日
ネオウィルス学
人間
(霧山昴)
著者 河岡 義裕ほか 、 出版 集英社新書
新型コロナウィルスが猛威をふるっています。おかげで、もう1年4ヶ月も東京に行っていません。飲み会もありません。親しい人との語らいの場が失われてしまいまいした。学生たちが可哀想です。ネット上ではなく、生ま身の人間同士の接触のなかでこそ、人間は成長することができます。ワクチンも十分に確保できていないのにオリンピック開催だなんて、スガ首相は気が狂っています。宴(うたげ)のあとが心配でたまりません。
性病の一つであるヘルペスウィルスは、一生潜伏し続け、宿主を殺すことなく適度に再発して感染を広げていくという大変賢いウィルス。
ウィルスは植物にも感染する。チューリップの花に斑(ふ)が入ったとき、その斑は、ウィルスが起こした病変。ウィルスに感染して病気になった植物には、芸術的な美しさが出現する。ウィルスが感染した植物にはミツバチが多く集まる。また、アブラムシを引きつける。
日本では、毎年3万人が肝がんで亡くなっている。そのうち7割は、C型肝炎ウィルスの感染から肝がんに移行した患者。C型肝炎ウィルスは主として血液を介して感染する。C型肝炎の患者は日本に150万人、全世界に7000万人もいる。
植物、動物に限らず、宿主に病気を発生させるウィルスは、全体の1割にも満たない。
人間が増幅して増えていく生き物だとしたら、ウィルスは、そのメカニズムの隙や漏れを利用して勝手に移動し、増えていく。ウィルスは、人間の生命の一部であり、移動する遺伝体だ。
ウィルスは細菌より小さいという「常識」は、ミミウィルスの発見で覆された。ウィルスについて、今では、細菌よりも小さく、なおかつ単純で原始的な素材とは言えなくなった。巨大ウィルスの発見から、ウィルスは細胞性の生物が何かの原因で単純化した結果だと考えることも可能になった。
ウィルスを研究するために、渡り鳥のフンを集めたり、アフリカ・シエラレオネにコウモリの捕獲に出かけたり、学者も大変です。でも、恐らく、好きでみんなやっているのでしょう。そんな奇篤な人々のおかげで私たちの毎日の平和・平穏な生活が成り立っているわけです。大いに感謝したいと思います。
それにしてもオリンピックのあとの日本で全面外出禁止なんてことにならないことを、今、ひたすら願っています。
(2021年3月刊。税込1034円)
2021年9月 3日
先住民VS帝国、興亡のアメリカ史
アメリカ
(霧山昴)
著者 アラン・テイラー 、 出版 ミネルヴァ書房
アメリカ例外主義なる歴史のとらえ方があるそうです。知りませんでした。
イングランド人平民の植民者がヨーロッパの融通のきかない諸慣習、社会の階層秩序、資源の封殺からのがれて、試練と機会にみちた豊かな大陸に向かうという国の起源についての神話だ。彼らは試練を受けて立ち、一心に働いて森林を農場へと開拓し、成功をおさめた。その過程で彼らは起業家的で平等主義的な、自分で同意しないかぎり支配されることに甘んじない個人主義者になった、という神話。
このアメリカ例外主義の物語は都合よく出来ていて、植民地化の重いコストを見えなくしている。何千もの植民者には激しい労働があるばかりだったし、病気やインディアンの敵対行為によって早々と死を迎えるだけだった。そして、成功をおさめた者は、その運の良さを、インディアンから土地を奪い、年季奉公人とアフリカ人奴隷の労働を搾取することで手に入れた。
北アメリカの先住民諸族は、1492年までに、少なくとも375もの異なった言語で話していた。それぞれの部族には、言語、儀礼、神話物語、親族関係のシステムが別々になっていた。
このころ(15世紀末)、南北アメリカには5000万人から1億の人々がいて、そのうち500万から1000万の人々がメキシコよりも北に暮らしていた。つまり、北アメリカにヨーロッパ人が入植する前、ここは無人の地だったというのは明らかな間違いで、北アメリカには多くの人々が住んでいた。
1680年にプエブロ蜂起がおこった。蜂起には、プエブロ諸族1万7000人のほとんどを結束させ、ヒスパニックの奴隷狩りに恨みをもつアパッチの人々も加わった。
このプエブロ蜂起では、ヒスパニックの、ニューメキシコを建設するという80年に及ぶ、植民地建設の事業をプエブロの叛徒は数週間で壊滅させた。プエブロ蜂起は先住民がヨーロッパの、北アメリカへの拡張に加えた最大の打撃だった。
火器の導入によって、インディアンの戦争は革命的に変わった。先住民たちは、木製の武具と密集陣形を無用として放棄し、襲撃しては退く攻撃に切りかえた。また彼らは、自分たちにも銃を強硬に求めた。
インディアンたちは、17世紀末まで、馬をまったく持っていなかった。
インディアン諸族は、そのほとんどが18世紀に西方からやってきた新参者だった。
馬はバッファロー狩りのほか、人間の殺害も助長した。
職業軍をもたないインディアンは、イングランド軍がアイルランドでしたような、長期間、長距離におよぶ征服戦を手がけることはできなかった。
チェサピークのプランターにとっては、アフリカ人奴隷のほうがよりよい投資対象となった。奴隷の数は、1650年にわずか300人だったのが、1700年には1万3000人に急増し、アフリカ人の人口は、チェサピークの人口の13%を占めていた。ところが、ニューイングランド人のほとんどは、奉公人にも奴隷にも手が届かず、その代わりを自分の息子と娘という家族労働に頼った。
カロライナのインディアンは、伝染病の蔓延、ラムの飲酒、奴隷狩りという暴力の組みあわせによって次第に人数を減らしていった。病気はともかくとして、アルコールと飲酒は意図的にもちこまれた。
インディアンたちがヨーロッパからの入植者たちに圧迫され続けたのは、もち込まれた病気のせいであり、強大な銃のせいであり、内部が不団結だったからということがよく分かる本でした。さらに、インディアンに銃を売るかどうか、これについてイングランドとフランス・スペインではまったく対応が異なっていたとのこと。これには驚きました...。やはり銃をもったインディアンの部族は強かったのでした。アメリカの先住民の昔のよき日をしのぶ本でもあります。
(2020年12月刊。税込3080円)
2021年9月 4日
虫たちの日本中世史
生物
(霧山昴)
著者 植木 朝子 、 出版 ミネルヴァ書房
日本人ほど虫(昆虫)を好きな民族はいないそうです。もちろん、真偽のほどは知りません。でも、孫たちはダンゴ虫が大好きですし、庭のバッタをつかまえて喜んでいます。カマキリが卵を産みつけたあとをみんなでじっと待ちかまえていましたが、ついに孵化せず、残念でした。ジャポニカ学習帳の表紙はずっと昆虫でしたよね...。
『鳥獣戯画』は遊ぶ動物たちを活写していますが、平安時代の『梁塵秘抄(ひょうじんひしょう)』には、たくさんの虫が登場します。ホタル、キリギリス(機織虫)、チョウ、カマキリ(蟷螂)、カタツムリ(蝸牛)、ショウリョウバッタ(稲子麿)、コオロギ(蟋蟀)、シラミ(虱)、トンボ(蜻蛉)です。
消えない火を灯しているホタル、衣を一生懸命に織っているキリギリス、おもしろく舞うチョウやカマキリ、カタツムリ、拍子をとるように飛んでいるショウリョウバッタ、鉦鼓を打つような声で鳴いているコオロギ、人の頭で遊んでいるシラミ、子どもたちと戯れるトンボ...。
12世紀初めの『堤中納物語』に登場する「虫めづる姫君」は、あまりにも有名です。
姫君は、毛虫についても嫌がることなく、毛の様子は面白いけれど、思い出す故事がないので物足りないと言って、カマキリやカタツムリを集め、歌い、はやさせる。
カタツムリを前に、デンデンムシムシ、出ないとカマをうちこわすぞと、はやしたてる。
これは、京の都にも奈良の寺院にも、子どもの遊びにも、芸能の舞台にも響いていた。
この「虫めづる姫君」のモデルは、太政大臣の藤原宗輔(むねすけ)の娘ではないかとされている。この宗輔は、蜂を数限りなく飼って思うままに操り、「蜂飼(はちかい)の大臣(おとど)」と呼ばれていた。
同時代の堀河天皇は、殿上人(てんじょうびと)に嵯峨野(さがの)で虫を捕らえてくることを命じた。捕らえた鈴虫を庭に放った。この虫撰びに蜂飼の大臣・宗輔も参加していた。
百足(むかで)は、平和を乱す恐ろしい存在であると同時に、勇者を守り、人々に福を与える毘沙門天の使いとして尊ばれてもいた。武田信玄の使番12人の武将たちは、百足文様の指物(さしもの)をしていた。対する上杉謙信のほうも、毘沙門天信仰が篤(あつ)く、家の旗印として毘沙門の「毘」の字を記していた。
「蚊のまつ毛が落ちる音」という表現があるそうです。清少納言の『枕の草子』に出てきます。ごくごく微細な音のたとえとして使われています。蚊にまつ毛なんてあるはずもありませんが、たとえとしてはイメージが伝わってくるコトバですよね。
ギーッチョン、ギーッチョンというキリギリスの鳴き声は、なるほど機織(はたお)りの音に聞こえますよね。ところで、中世にはきりぎりすと書いて実はコウロギを指すというのです。驚きました。江戸時代になってから、こおろぎがコオロギになったのです。
中国には、2匹のコオロギをたたかわせる遊びがある。コオロギのオスがメスや縄張りをめぐって激しくたたかう性質を利用した遊び。日本でも、伊勢・志摩などでやられていた(いる)そうです。
日本の古典文学の中で、チョウに代って霊魂を示すのはホタルだ。ホタルは、恋の物思いによって、身体から抜け出た魂ととらえられていた。明智光秀は死後に「光秀ホタル」になったという伝承もあるそうです。
塩辛トンボは、私の子どものころはフツーに近くを飛んでいましたが、今ではあまり飛んでいるのを見かけません。実際に塩辛トンボをなめたら、本当にしょっぱかったと学生が教えてくれたというエピソードが紹介されています。本当に塩辛いだなんて、信じられません...。
飛んでいるトンボを子どもがつかまえるのに、両端に小石を結んだヒモを空中に放り投げるというのがあるようです。私は、やったことがありません。
鼻毛でトンボを釣るというコトバがあるそうです。知りませんでした。トンボを釣れるほど長い鼻毛というのは、このうえない愚か者だということなんだそうです。
阿呆(あほう)の鼻毛に対して、美人の眉(まゆ)というのだそうですが、こちらは聞いたことがある気もします...。
トンボの姿が戦国時代の武将たちの兜(かぶと)のデザインにもなっています。これまた驚きました。世の中、知らないことは多いものですね。トンボは、勝虫(かつむし)だからなんだそうです。さすが学者です。よくよく調べてあるのに驚嘆させられました。
(2021年3月刊。税込3300円)
2021年9月 5日
「名奉行」の力量
日本史(江戸)
(霧山昴)
著者 藤田 覚 、 出版 講談社学術文庫
江戸時代にも「傾向と対策」のような受験参考書があったそうです。これには驚きました。もちろん私も大学受験のときには「傾向と対策」を愛用していました(今はないようですね)。そして、年2回のフランス語検定試験を受験するときにも、「傾向と対策」を活用しています。
江戸時代に「学問吟味(ぎんみ)」という試験があり、これの「傾向と対策」として、『対策則』という遠山景晋(かげみち)の書いた本がある。この遠山景晋は、入墨(いれずみ)をした名奉行と噂の高い遠山金四郎景元(かげもと)の父親。景晋は、受験するときには、他説(朱子以外の説)を交えないこと、日本語訳の適切さの2点が大切だと強調した。うむむ、なるほど、ですね...。
町奉行は、旗本が就任できる幕府の役職のなかで、もっとも上級の重職だった。
町奉行には任期がなく、長くつとめた人もいれば、数年で交替する人もいた。その下に仕える与力・同心は、世襲のように勤務していた。与力・同心は、町奉行のなかで隠然たる力をもっていて、町奉行は人形で、与力・同心が人形遣い(つかい)という関係にあった。
名奉行と言われた人は、部下の与力・同心を甘く使ったので、この御奉行ならと思って仕えてよく働いた結果、奉行が名奉行とほめられただけのこと。反対に、虫の好がない奉行が着任すると、与力・同心は敬遠して面従腹背で協力しないので、奉行は2年から3年で転任せざるをえなくなり、町奉行所から追い出されたも同然になった。
江戸の町民にとって、奉行は交替するもの、与力・同心は代々世襲でつとめるものなので、町人の利害にとっては町奉行所より、与力・同心のほうが重要だった。
ふむふむ、なーるほど、そういうことなんですね...。
天保の改革(1841年~)を始めた老中の水野忠邦は、ほとんどの役所から無視されてしまった。そして、ついに2年後に失脚した。ところが、9ヶ月後に老中に返り咲いて、世の中を驚かした。にもかかわらず、1ヶ月もせずして水野忠邦は頭痛や下痢・風邪などを理由として欠勤するようになり、ついに翌年2月に辞職した。
いやあ、そ、そうだったんですね...。
江戸時代には、贈り物を買い取る商売があった。
江戸時代の金利の相場は、もともと15%であり、それを12%に引き下げようとしたのが、幕府の金利政策だった。
江戸時代の実相を知るには、手頃な文庫本です。ぜひ、一読してみてください。
(2021年1月刊。税込1056円)
2021年9月 6日
脳を司る「脳」
人間
(霧山昴)
著者 毛内 拡 、 出版 講談社ブルーバックス新書
脳は2重3重に外部から守られている。健康な状態では、外部環境とは、ほぼ隔絶している。脳につながる血管には、脳に余計なものが入らないように監視し、侵入を拒む仕組みである。なので、ほとんどの薬は脳には届かない。ところが、アルコールやカフェイン、ニコチン、覚醒剤など、脳に溶けやすい性質をもつ小さな物質は血液脳関門をすり抜けてしまう。
電気的な信号によって情報伝達をおこなっているというのが脳の最大の特徴であり、最大の魅力。神経細胞を伝わる電気的な信号は、コンセントから電線を流れてくる電気とはまったく性質が異なっている。その大きな違いは、発生から終点まで少しも減衰することなく伝わるということ。うむむ、これはすごいことですね...。
電気信号を科学物質に変換するのは、一見すると効率が悪いように見える。しかし、この仕組みによって、情報の「質」を変えることができるというメリットもある。電気信号から科学信号に情報の「質」を変化させるシナプス伝達を担う神経性伝達物質は100種類以上もある。そして、脳には、広範囲調節系の、ゆっくりかつぼんやりとしたアナログ的な伝達をしているものがある。こうしたニューロンの電気的な活動以外のはたらきが人間の「気分」を決めている。
脳脊髄液(髄液)は成人では130mlある。1日で450~500ml産生されるので、1日に3~4回は入れ替わっている。この脳脊髄液が常に流れて入れ替わることが、脳の環境を一定に保つことに重要。脳の中では、寝ているあいだに、脳脊髄液がアミロイドβなどの認知症に関連する老廃物を洗い流している...。
生物とは、どんな金属よりも、電気を蓄える性質をもっている。
頭が良い人ほど、脳内にムダな接続が少なく、回路が効率的になっている。
知能とは、答えがあることに、素早く、正確に答える能力。
知性とは、答えがないことに、答えを見出せそうにする営み。
脳の話は、いつ読んでも面白く、興味深いものがあります。
(2021年3月刊。税込1100円)
2021年9月 7日
レッド・ネック
社会
(霧山昴)
著者 相場 英雄 、 出版 角川春樹事務所
「パンケーキを毒見する」という映画をみました。菅首相が主人公のような映画です。大変面白く最後まで緊張しながらみましたが、残念なことに観客はまばらでした。次の青春モノの映画には若い女性が列をつくっていましたが...。
菅首相の国会答弁は、歴代首相のなかでも言葉の貧困という点で図抜けています。同世代として恥ずかしい限りです。国民に語りかけようとする気持ちをまったく持っていないのです。そんな人が国会議員になり、首相になれる日本という国の底の浅さにおののいてしまいます。菅首相がついに辞任することになりましたが、その記者会見のときも一切の質問を受けつけず、逃げていってしまいました。哀れとしか言いようがありません。
映画のなかで、菅首相が質問に対してまともに答えようとしないのは、政治不信をかきたてるためではないかという解説がありました。政治に不信感をもつ人は投票所に足を運ばない。それが自分の政権を支えている。下手に政治に関心をもってもらいたくないというのです。
さて、そこでこの本です。この本は、選挙戦で、いかにあるべきかという本質論が主要テーマになっています。自民党・菅政権にとって投票率が低ければ低いほど政権の安定度が増すという関係にあることを十二分に自覚して行動しているというわけです。
これから、この本のコトバを私なりに翻訳して紹介します。
自民・公明党に票を投じる有権者は、どんな言葉をかけられようとも支持を変えることはない。立憲民主党や共産党に投票する人も絶対に投票先を変えない。そんな連中を動かそうと思って選挙運動をするのは、時間と労力のムダだ。
なので、選挙プランナーは、無党派層、いつも選挙に棄権している人々にターゲットをしぼり、徹底的に選挙に行くように仕向ければいい。
なーるほど、ですね。ということが理解できても、では、どうやってその層にアプローチするのか、できるのか、が問題となります。
この本では、有名歌手のファンクラブのSNS交信を乗っ取ってしまうという方法が紹介されています。なるほど、若者が好んでいるSNSに喰い込み、候補者を売り込んで、投票所に足を運ばせることができたら、成果は大いに期待できることでしょうね。
アメリカのトランプ大統領の選挙戦も同じような手法が使われたようです。
本当に怖い世の中になりました。スマホでいろいろ検索していると、その人の行動履歴だけでなく、好み、趣味、思想傾向まですっかりさらされてしまうのです。考えるだけで身震いする状況に私たち日本人だけでなく、世界中の人々が置かれているのです。
ちなみに、レッドネックとは、アメリカの中西部や南部にいる低賃金にあえぐ白人労働者のこと。日本が明治維新を迎える前に起きたアメリカの南北戦争のころ、南部は北部のアメリカ人をヤンキーと呼び、北部は南部の人々を炎天下の作業で首筋を赤く日焼けさせていることからレッドネックという侮蔑的な言い方が定着した。
それがなぜ、日本の選挙に関わるかというと、トランプ大統領の選挙運動のなかで、活用(悪用)された手法が日本にも持ち込まれているということです。
ガラケー一本で、スマホを持たない(持ちたくない)私には無縁ですが、スマホで、フェイスブックを利用すると、個人情報が「ダダ漏れ」することになるというのが、この本の前提になっています。本当に恐ろしい世の中です。
この個人情報をフェイスブックがデータブローカーに売却し、ブローカーは細かく分類してネット広告専門店に転売する。なので、個々のエンド・ユーザーにはその人向けの広告がアップされる。
いやはや、なんという怖い世の中でしょうか...。
(2021年5月刊。税込1870円)
2021年9月 8日
裁かれなかった原発裁判
司法
(霧山昴)
著者 松谷 彰夫 、 出版 かもがわ出版
3.11の大津波で重大爆発事故を起こしたのは福島第一原発(フクイチ)ですが、この本が扱っているのは、「フクイチ」ではなく福島第二原発について1975年1月7日に提訴された設置許可取消を求める訴訟(原告403人)のほうです。
「3.11」の前、東京電力も国も、原子力発電所は絶対に安全で、事故など起きることがない、スリーマイル島(アメリカ)もチェルノブイリ(ソ連)も原発の「型」が違うので心配無用と断言し、裁判所もそれに盲従したのでした。そして、福島地裁(後藤一男裁判長)の一審判決は、スリーマイル島の原発事故は主として運転管理の人為的ミスによるもので、原子炉の基本設計に問題はないとした。続く仙台高裁の控訴審(石川良雄裁判長)も、チェルノブイリ原発で事故が起きたとしても、日本では事故は起こりえないとした。しかもそのうえ、なんと、「反対ばかりしていないで、落ちついて考える必要がある。原発は地球環境を汚染しないものだから」という自分勝手な個人的意見まで判決に書き込んだというのです。これには、まったく呆れはててしないました。この石川良雄裁判官が、その後に起きた「3.11」を、今どう考えているのか、聞いてみたいものです。
ことほどさように、裁判官の判断はあてにならないことがあります(幸いにしても、いつもではありません)。
原告側の弁護団長をつとめた安田純治弁護士の言葉は裁判の本質を次のように面白く、分かりやすく解説しています。
裁判官は、よろめきドラマの主人公のようなもの。よろめくことが仕事。原告側の主張に傾いてきたなと思えるときもあれば、反対にだいぶ被告側に寄っているなと思えるときもある。
原告・被告双方の主張を聞いて、あっちにフラフラ、こっちにフラフラと、絶えずよろめいている。もっとも、そうでないと困る。初めから結論をもって、法廷にのぞんでいて、どちらの主張しても真剣に耳を傾けないのでは裁判にならない。
まことに至言です。本当に、そのとおりです。ですが、まったくブレない裁判官が少なくないのも現実です。自分勝手な思いこみを絶対視してしまう人がいます。とくに、裁判当事者の一方が、行政や大企業だと、反対側の主張にはまったく耳を貸そうともしない裁判官がいます。それにも二種類あって、法廷での訴訟指揮では耳を貸したフリをしてバッサリ切り捨てる人と、聞く耳を持たない、聞こうとするポーズも示さない人すらいます。
10年近く続いた裁判を支えた原告団の多くは福島の教師たち(その多くは高校の教員)に対して、安田弁護士は鵜川隆明弁護士を通じて、「裁判は子孫への伝言なんだ」と諭(さと)した。そうなんですよね。勇気のない、国と大企業に盲従するばかりの裁判官たちを相手にしてでも、言うべきことは言う。これが必要なことは、「3.11」が証明しています。
この本ができたのも「3.11」のおかげですが、原告としてたたかった人たちは、「3.11」で自分たちの正しさが証明されたことを残念に思っているのです。本当にそうなんですよね。
原告団と一緒になって理論面で裁判を支えてきた安斎育郎・立命館大学名誉教授は「3.11」の直後に、「申し訳ない。なんとか、このような事故だけは起きないように力を尽くしてきたが、力及ばず申し訳なかった」と原告団に謝罪した。いやあ、学者の良心を聞いて、心が震えました。いろいろ勉強になりました。すばらしい本でした。やっぱり声を上げるべきときには、声を上げ、みんなで立ち上がるべきなんですよね。それが人生ではないでしょうか...。一読を強くおすすめします。
(2021年2月刊。税込1980円)
2021年9月 9日
コロナ黙示録
社会
(霧山昴)
著者 海堂 尊 、 出版 宝島社
菅首相が「コロナ対策に専念する」という口実で自民党総裁選に出ないことを表明しました(9月3日)。なぜコロナ対策に専念するのに首相を続けられないのか、という当然の質問を受けつけず、すぐに立ち去っていったのは無責任ですし、政治家として哀れというしかありません。国民の前で自分の信念を語れないような人物は政治家になる資格なんてない、このことを決定的に明らかにした瞬間だったと思います。それなのに、「菅さんはよくやった」だなんて言ってかばおうとする人がいるのが信じられません。どれだけ騙されても、騙した人にしがみつくのでしょうか...。ダメな人にはダメだと、きっぱり言ってやる必要があるのです。ぜひ、みなさん、10月か11月にある選挙の投票日には足を運びましょうね。棄権するってことは、あんな「無責任男」を許してしまうことなんですよ。いくらなんでも、それはないでしょ...。
この本は、日本の政府がコロナ対策でいかに「後手後手」(ごてごて)にまわってきたのかを記録したような本です。医師を主人公としているだけあって、医学面での情景描写は迫真のもので、思わず息を呑んでしまいます。
菅首相のチョー側近である和泉補佐官の不倫はあまりにも有名ですが、「まったく問題ではありません」ということで、スルーされて、和泉補佐官は最後まで菅首相を支えました。それが、いえ、それも大きな間違いのひとつでした。
横浜のクルーズ船で本当ならトライアルとエラーをすべきだった。それができなかったのは、色ぼけと欲ぼけの失楽園官僚カップル(和泉補佐官と相手の女性官僚)による判断ミスだ。そんな人材を重用したアベ首相と官邸にいる厚労省官僚による人災だ。
私もコロナ禍を大きく深刻化させたのはスガ首相の無能・無策による人災だと考えています。だって、PCR検査をせず、ワクチン確保も遅れ、入院拒否の自宅療養と称して自宅待機を命じ、自粛を強要しながら補償もしないなんて、ひどすぎます。
アベ首相が「アベノマスク」に投じた500億円が医療現場にまわされたら、どれほど、現場は助かったことでしょうか。
国民に自粛を要請しながら、休業補償はしない。観光業界に1兆7千億円もの「GoToトラベル」をすすめながら、雇用調整助成金は、その半分の8千億円でしかない。そして、支出は遅れに遅れている。
こんな無能・無策なスガ首相なのに、国民は凡愚なスガ首相の罷免を求めることもなく、ただただスガ首相が退陣するのを、ひたすら辛抱強く待っているだけ。なんて面妖
(めんよう)な日本人だろうか...。
この本は読んで腹の立つ本です。そんなにバカにするなよと、ついつい叫びたくなります。それでも、投票所に足を運ばなかったとしたら、「スガさんって、一生懸命にがんばったのに可哀想よね...」という間違った思いこみから抜け出せないのです。でもでも、本当は違うんですよ...。自分たちの生命と健康を守るためには声を上げ、投票所に足を運ぶ必要がある。このことを確信させてくれます。一読に値する本です。
(2020年10月刊。税込1760円)
2021年9月10日
「陵墓」と世界遺産
日本史(古代)
(霧山昴)
著者 陵墓公開記念シンポジウム委員会 、 出版 新泉社
上石津ミサンザイ古墳(履中陵古墳)や大山古墳(仁徳陵古墳)の海側からみた鳥瞰図(ちょうかんず)があります。地形を巧みに利用して段丘の縁辺部にできるだけ寄せ、海のほうからよく見えるようにつくっていることが分かる。なるほど古代の昔は、海が真近だったのですね。
前方後円墳、大型古墳群の移動、陵墓のあり方から考えると、『日本書紀』などの記載をもとに、日本の天皇制が古代から確固たる男系継承がおこなわれてきたというのは、学術的にはとても無理な話であって、そんなことがまかりとおっていることに、考古学者はもっと怒るべきだ。ここ10年、いや20年来の考古学の学界は、なにか非常に危険だ。ひどすぎる。
これは、陵墓をもっと大々的に公開し、学術的な研究をすすめるべきだということだと思います。まったく賛成です。それこそ30年計画をたてて、順次、陵墓を学術的に発掘し、その成果を公開していくべきではないでしょうか。そうすれば日本の考古学はさらに活性化するし、天皇制についての国民の議論も発展すると思います。
継体大王が登場するのは6世紀(527年)ですが、その前の5世紀にも、天皇(大王)の系列が違っていたようです。
允恭(いんぎょう)天皇は、即位すると履中(りちゅう)系と関係の深かった葛城(かつらぎ)玉田宿禰(たまだすくね)を倒した。また、允恭の子の雄略天皇は、葛城円大臣(かぶらのおおおみ)を焼き殺し、履中の子である市辺押磐(おしほ)皇子を惨殺して即位する。
つまり、履中、反正という履中系に対して、允恭以降の系統とは対立関係にあったと考えられる。
『宋書』倭国伝に現れる倭の五王は、2系統に分かれるという見方がある。つまり、倭の五王のうち、「言賛・珍」は兄弟、「済・興・武」は済が父親で、興と武はその子だが、珍と済の続柄が記載されていない。なので、この両者は異系ではないか、ということ。すなわち、この二つは王族としては異系で、履中そして反正と続いた王統に対し、異系の允恭が即位することで主導権が交替した、ということ。
このように古代日本の天皇(大王)の交替劇をとらえると、日本は古来より男系による万世一系なんていうのは、まったく事実に反する夢物語だということです。一刻も早く、陵墓の学術的発掘調査に踏みきってほしいと私は思います。
(2021年5月刊。税込2750円)
2021年9月11日
野球にときめいて
人間
(霧山昴)
著者 王 貞治 、 出版 中公文庫
1940年生まれの王選手は、私にとっても長嶋茂雄選手と並んで野球界のヒーローです。といっても、野球の試合をみたことも、みることもほとんどありません。スポーツ観戦は私にとって問題外、時間のムダでしかありません。といっても、子どもたちに一度は機会を与えるもの親の義務の一つだと思って平和台球場に子ども連れてナイター見物したことはありますし、弁護士会の懇親行事として福岡ドーム球場での野球観戦もしたことがあります。テレビではまったくみません。
なので、王選手の一本打法というのも動かぬ写真でみたことがあるだけ、ホームラン競争だってみたことがありません。人はそれぞれ好きなことをやっていたらいいというのが私のモットーです。
こんなに大活躍した王選手ですが、生まれたときは仮死状態で、虚弱児なので、大きくならないだろうと言われていたというのです。実際、2歳をすぎるまで歩けなかった。いやあ、人間って、変われば変わるものですね...。
2卵性双生児、つまり双子で生まれ、一緒に生まれた女の子が1歳3ヶ月で急死し、その後は、母親のお乳を独占できたからか、みるみる元気になったというのです。ふえっ、そ、そんなこともあるのですね...。
王選手は左利き。打つのは右だけど、投げるのは左。
父親は中国・淅江省から日本に渡ってきて、中華そば屋を始めた。そして、2人の息子には、医師と技師になってもらおうと考えた。実際、長男は医師になった。王選手も早稲田実業高校に入って技師の道が...。
王選手は、幼いころから物怖(お)じしない性格だった。小学校に入ると、実家が中華料理店のせいか栄養がよくて身体が大きくなり、ガキ大将になった。中学校では陸上競技部に入る。身長1メートル77センチで、体重は70キロ。そして、中学校の野球部ではなく、地元の草野球チームに入った。ところが、父親はそれが気に入らなかった。
王少年は、技師への道を進むつもりで都立隅田川高校を受験したところ、見事、不合格。そこでやむなく早稲田実業高校に入って、野球をするようになった。
王選手は1年生のとき、早稲田実業のエースになった。さすが、たいしたものです。ところが、制球難。投げるときに上体が揺れるので、コントロールが悪くなる。
巨人軍に入って、まっ先に言われたのは、走ること。スポーツの基礎は走ることにある。うむむ、そうなんですか...。そして、投手をクビになり、打者に専念するように指示された。
王選手は、相手投手の失投を見逃さずに打つタイプの打者。
王選手の一本足打法は荒川コーチの指導による、1962年7月1日にスタート。下腹、へその下の一点に気を集中させる。気が胸にあると上体は揺れ動いてしまう。へその下に気があれば、上体から力が抜け、自然体になる。外部からの力に、とっさに反応できる。身体と心が、ひとつになれば、どんな球にも順応できる。
さすがの言葉ですね。
本塁打を打ったら、その瞬間にスタンドに届くことが分かる。同時に打球の飛んだ角度などで、相手チームのバッテリーにも分かる。その瞬間、広い球場のなかで、王選手と相手投手・捕手の3人だけが本塁打と分かる。「やった!」と「しまった!」だ。
一芸をきわめた人の言葉は、さすがに重みというか深みがあります。
(2020年12月刊。税込924円)
2021年9月12日
写真集・棚田の愉しみ
社会
(霧山昴)
著者 玉井 質 、 出版 うめだ印刷
大阪の干早赤阪村の棚田を撮った素晴らしい写真集です。
干早赤阪村は大阪府で唯一の村。大阪からは、地下鉄の天王寺に行き、近鉄で富田林に行き、そこからバスに乗って干早中学校前で降りる。バスは1時間に2本しかない。
この干早赤阪村の「下赤坂の棚田」は、日本の棚田百選にも入っている。
干早赤阪という地名は楠木正成がたてこもった干早赤阪城として有名です。なので、私も機会があったら一度は行ってみたいところでもあります。
「下赤坂の棚田」の写真は、どれも見事です。まさしく生命観が躍動し、生き物すべてが光り輝いています。
棚田は12世帯が共同して、1000坪を運営しているそうですが、ここにも高齢化の波が押し寄せています。なにしろ始めて、もう17年目になるそうですから...。
それでも、保育園の園児たちが親と一緒になって田植えしている様子を撮った写真もありますので、期待はもてそうです。
九条の会がここにもあり、棚田でそろって平和憲法を守れのポスターをかかげた写真は壮観です。子どもたちに平和を確実に伝えていきましょう。
なにしろ傾斜のある棚田ですから、農作業用の機械を運びあげるのは困難です。田植えも稲刈りも人海戦術。いやあ、これは大変ですよね...。
それでも収穫したお米で餅つきをして、みんなで食べたら、さぞかし美味しいでしょう。収穫祭で乾杯しているときの笑顔がたまりません。苦労がきちんと報われたときの喜びの笑顔です。
80頁ほどの写真集ですが、こんな棚田をぜひぜひ保存してほしいものだとつくづく思ったことでした。
(2021年7月刊。税込2000円)
2021年9月13日
イヌは愛である
犬
(霧山昴)
著者 クライブ・ウィン 、 出版 早川書房
私はイヌ派です。ネコには、どうも親しみがもてません。幼いころからわが家は犬を飼っていました。キャンキャン吠えるので、すぐ人気を失ってしまったスピッツが小学生のころから座敷にも上がるのを許されて飼っていました。おかげで、畳は、いつもザラザラです。今なら、とても耐えられませんが、子どもって平気なんですよね...。
イヌは単に社交的なのではない。正真正銘の親愛の情を示す。それは、人間だったら、普通は愛と呼ぶはずのもの。イヌは、深いつながりを築きたい、温かで親密な関係をもちたいという欲求、愛し、愛されたいという欲求をもっている。イヌの本質は愛である。その愛が、人間にとってイヌを特別な存在に、人間のまたとない相棒にしている。人間に対するイヌの愛の主導権は、人間にはない。主導権はイヌが握っている。
4000年以上も前の古代エジプトの墓碑に、イヌの名前が刻まれている。アブウティユウという王の護衛犬は、死んだとき棺に入れられ、上質の亜麻布、香、香りのついた軟膏が下賜された。
イヌは1万4000年以上前に生まれた。最後の氷河期のあいだに登場した。
イヌは、特定の人間をすぐに好きになる。これって、イヌ好きの人間をイヌはすばやく見抜くということではないでしょうか。イヌ好きの私は、あまりイヌを怖がらないので、イヌも私にすぐに近づいてくるような気がします。
イヌが人間より速く絆を築く反面、イヌはその絆を解くのも速いのではないか...。
これって新しい飼主にイヌがすぐなじむことを指しているのでしょうね。
個体としても種としても、イヌは人間に身を捧げてきた。イヌは狩りの能力などのすべてと引き換えに、人間のパートナーになるチャンスを選んだ。
深くて揺るぎない愛情と引き換えに、人間も自分たちを愛してくれる。イヌはそう信じている。ところが、人間のほうは、残念ながらイヌと盟約をまっとうしているとは言えない。
オープンで愛情深い性質をもつイヌは、身体的な接触と同じくらい、関心を向けてもらうことを求めている。
多くのイヌは、ひどい孤独に耐えられず、いろんな行動をとる。吠える、家具をかむ、室内の、してはいけないところで排泄する。
こうしたストレスの兆候は、分離不安障害と呼ばれる、だから、スウェーデンでは、少なくとも4時間から5時間おきにイヌに社会的交流をさせることを法律で義務づけている。
うひゃあ、これには驚きました。
現在いる犬種は、みな、ここ150年のうちに出来たものでしかない。純粋な血統をもつイヌをつくっていった結果、一部のイヌは、半数以上がガンで死んでいる。
イヌが人間の行動の意味を理解できるのは、人間といっしょに暮しているうちに学習するから。またイヌを飼ってみたくなりましたが...。
(2021年5月刊。税込2310円)
2021年9月14日
戦争の新しい10のルール
アメリカ
(霧山昴)
著者 ショーン・マクフェイト 、 出版 中央公論新社
史上最強の軍隊を有するアメリカが20年間もアフガニスタンで戦ったあげく、みじめに敗退し、今ではアメリカの敵だったタリバンの天下です。
これは、軍事力だけでは国を治めることはできないことを如実に証明しています。アフガニスタンの砂漠を肥沃な緑土・田園地帯に変えた中村哲医師のような地道な取り組みこそ世の中をいい方向に変えていくのだと、つくづく思わされたことでした。
なぜアメリカは戦争に勝てないのか?
アメリカはベトナム戦争でも敗退した。アメリカは負け続けたのだ。アメリカ人の血を犠牲にし、数兆ドルの税金を浪費した。そして、アメリカという国家の名誉にダメージを与えた。なぜなのか...。
いま私たちが直面しているのは「国家の関与しない戦争」なのだ。人工知能(AI)に頼っても、基礎的な認知作業もできていないのが実情だから、戦争で勝てるはずもない。
今や国民国家どうしの武力紛争の時代は終わりつつある。今日において、通常戦ほど、非通常的なものはない。なのに、通常戦への執着は我々を今も苦しめている。
もはや我々は通常戦型の兵器の購入はやめるべきだ。むしろ特殊作戦部隊に力を入れる必要がある。
アメリカ軍の最新鋭の戦闘機であるF35は、もはや時代遅れだ。これは歴史上もっとも高価な兵器だ。F35の開発にアメリカは1兆5千億ドルをつぎこんだ。これはロシアのGDPをこえる金額だ。1機1億2千万ドルし、空中で1時間飛行すると4万2千ドルかかる。
そのうえ、このF35は空中戦のできない戦闘機だ。F35のコンピューターにはバグが発生しやすい。コンピューターのエラーは、F35では戦えないということ。
もはやジェット戦闘機は時代遅れなのだ。
途中で疑問をはさむと、著者は中東情勢で論じていますが、「米中戦争」についての論述が少ないのが物足りません。いえ、アメリカと中国が国どうしで戦争するようなことはあってはならないし、想定することは難しいと思うのです。でも、日本の自衛隊もマスコミも「米中戦争」が起きたら日本はどうする...、なんてことを無責任にあおりたてています。恐ろしい世論操作です。
著者はアメリカ軍の将校のあと、民間軍事会社にも関わっています。その体験もふまえて、外人部隊の活用をすすめています。
傭兵は、イラクとアフガニスタンで、アメリカによる契約が呼び水となって復活した。
最近のイラクやアフガニスタンでの戦争に従事している要員も半数以上は、民間軍事会社の契約業者だ。国にとって、契約業者をつかうと軍よりも安あがりになる。高額な医療費や軍人恩給を支給する必要がなく、「使い捨てできる者」だからだ。
今や民間軍事会社はビッグビジネスだ。これからは軍隊ではなく、傭兵の時代だ。
戦争の民営化は、戦いを根本的に変えてしまう。
プライベート・ウォーは、戦争開始への障壁は低い。むしろ戦争を育(はぐく)む。
プライベート・ウォーは、通常戦と対照的なものなので、通常戦に備えている現代の軍隊は、これに対応できない。
そして、「影の戦争(シャドー・ウォー)」は不可視状態になっている。ここでは情報は兵器だ。
「ゲリラは負けなければ勝利であり、正規軍は勝てなければ敗北である」(キッシンジャー)
軍事的に勝利し、戦争には負ける。これは、手術は成功したが、患者は死んだということ。これでは話にならない。
この本を読むと、今の日本の軍事大国化が、バカバカしい間違いの方向にすすんでいることが、よくよく理解できます。強く一読をおすすめします。
(2021年6月刊。税込2970円)
2021年9月15日
日本近代の出発
日本史(明治)
(霧山昴)
著者 佐々木 克 、 出版 集英社
明治天皇は明治17(1884)年ころには、明確に自分の意見を述べ、政府要人に対する好みもはっきりしていて、個性派の天皇になりつつあった。たとえば、キリスト教信者と疑った森有礼(ありのり)を伊藤博文が文部省御用掛(大臣)に任命しても、明治天皇は「病気」と称して1ヶ月も面会しなかった。また、黒田清隆は薩摩閥のナンバー1だったが、酒が入ると人物が一変し、トラブルが多かった。井上馨(かおる)に対してピストルを出して追い返そうとした。
明治憲法の草案として、夏島草案というのがあるのを始めて知りました。夏島というのは、金沢の夏島ですが、今の横須賀市夏島町です。このころ、天皇と議会が同等の権力をもつということは認められない、議会は天皇の相談(諮問)機関であるべきだという考え方に対して、伊藤博文は、立憲政治を主張した。それは、天皇の国家を統治する大権は、憲法の規定する範囲内にのみある、つまり、立憲政治の根本は君主権の制限にある、そして、行政の中心には、天皇ではなく総理大臣にあることを強く主張した。
国会開設運動が最高潮に達したのは1880(明治13)年。このころ建白・請願に署名した人は32万人に近い。この当時、20歳から50歳までの人口は770万人なので、その4%にあたる。これはすごい比率だ。つまり、運動に共鳴した多数の民衆がいた。自由民権運動は、一種の文化革命だった。
1874(明治7)年から1884(明治17)年までの11年間に、全国1275もの結社があった。埼玉に29社、神奈川県に100社が活動していた。
このころ、新聞の購読料は高かった。東京日日新聞は1ヶ月85銭。日本酒が11銭、巡査の初任給は6円のとき。ところが、新聞は一般の庶民も読むことができた。新聞縦覧所が各所にあって、立ち読みすることができた。ちなみに、当時の人々は、声に出して読んでいたようです。黙読する週刊はありませんでした。つまり、新聞は広く一般に読まれていたのです。
そして、演説会は、民衆のものでした。義太夫より演説のほうが面白いと言って、人々は聞きに集まった。1881年9月10日、大阪・道頓堀の戎座(えびすざ)で板垣退助らが弁士となって開かれた政談演説会は、1枚5銭の傍聴券5000枚が前日までに売り切れた。
演説会の話がつまらなければ居眠りしたり、ヤジったり、面白ければ熱狂して沸く、弁士も聴衆の反応にこたえて、話をより過激な論調にしたり、臨席している警察官をからかったりする。まさに弁士と聴衆とが一体となって盛り上げる。自由民権の生き生きとしたパフォーマンスがあった。
有名な五日市憲法草案は、このような状況の中でつくられたものなんですね。学習や討論の積み重ねが結実したものだったのです。明治とは、どんな時代だったのか、改めて考えさせられました。
(2021年1月刊。税込1600円)
2021年9月16日
スターリン
ヨーロッパ
(霧山昴)
著者 オレーク・V・フレヴニューク 、 出版 白水社
スターリン主義者をスターリニスト、トロツキーの信奉者をトロツキストと呼びます。私が大学生のころ、学生運動用語として多くの学生が使っていましたし、知っていました。でも、その内実は、私をふくめてほとんどの学生が知らなかったと思います。スターリニストを単なる官僚主義だとすると、現在の日本の官僚は、上に忖度(そんたく)するばかりですので、ぴったり合致します。今の日本の高級官僚は、上から嘘をつけ、証拠を隠せ、改ざんしろと指示されたら、ほとんどは唯々諾々と従い、例外的に自死した赤木さんのような人がいるだけです。でも、スターリン治政下のソ連では、もう一歩すすんで、あいつを消せと指示されます。肉体的抹殺です。今の日本はそこまではありませんが、果たして、そんな指示に今の日本の官僚たちはギリギリ踏みとどまって抵抗できるのでしょうか...。
1937年から38年にかけた1年間だけでも、ソ連では70万人以上が処刑された。スターリンによる大テロルです。誰も止めるとこができなかった大テロルは、やがてスターリン自身にはねかえってきました。1953年2月末から3月初め、スターリンが別荘で通常どおり起きてこなかったとき、誰もが近づけなかった。この530頁もある本は、その状況が繰り返し再現されます。
なぜか...。スターリンが目を覚ましたとき、なんで、お前がこんなところにいるのかと激しく叱責されたら、即、生命にかかわることになるからです。みんなスターリンの不意のカミナリにびくびくしながら生活していたのでした。
恐怖は、スターリンにとって、もっとも重要な力だった。スターリンはソ連国家保安制度を強固な監督下に置くことによって、いつでも誰でも逮捕でき、即時銃殺に処すことができた。その実例はいくらでもあった。スターリンの政治はテロルに依拠していた。
スターリンは、根本的に、重要な細部を部下に委ねず、自分自身で管理するのを好む小領主だった。
スターリンが死ぬ直前にすすめた医師団陰謀キャンペーンは、大衆のムードを巧みに操作し、戦争勃発のどんな気配すらもないのに戦争準備の心理を助長し、それによって人々の日々の困難から気をそらさせた。そして、スターリンの周囲の人間に不安な気分のまま生活し続けることを強いるという効果をあげた。
スターリンは、他のどの独裁者と同じく、最悪のことを常に想定していた。スターリンは、国内外の情勢が悪化したとき、裏切られることを予測していた。絶対的に献身的で、より若い熱烈な支援者と古参幹部とを取り替えることは、自身の立場をうち固めるうえで、決定的に重要なことだ。
征服者の心の平安は、被征服者の死を覆す。
これはチンギス・ハンの言葉だとされているが、スターリンも参考にしていた。
スターリンが死の発作をおこした「近くの別荘」には、総数408人もの人間がつとめていて、護衛官だけでも335人がいた。この護衛総局で仕事をすると、実入りが大きかった。
スターリンの大テロルが全土で進行した結果、1940年までにロシアの各州やソ連邦を構成する共和国の指導者(書記)の57%から35歳以下だった。大臣や将官、企業長、文化人の団体の指導者も30代から40代までだった。これらの成り上がり者にスターリンは途方もなく大きな権力を付与し、彼らは、特権化された世界を享受していた。
そうなんですね。若い人は、上の重しがとれて、自らが昇進して、特権に恵まれることを喜んでいたというわけです。これがスターリンのテロルを止めなかった有力な原因の一つのようです。
ソ連の党政治局は、スターリンの意思に全面的に従属した。今やスターリンは正真正銘の独裁者だった。
1037年から40年にかけて、ソ連の将校団が2.5倍に拡大した。その結果、多くの指揮官が必要な知識と経験を欠いていた。
スターリンは、ナチス・ヒトラーの軍事進攻を開戦当初まったく信用していなかったのでした。この本によると、スターリンは、ヒトラーの意に反して国防軍がやったことだろうから、そんな挑発に乗るな、発砲するなと命じたのでした。すっかりヒトラーに騙されていたわけです。ヒトラー・ナチス軍の本格的大侵攻であり、たちまち前線が大崩壊したことを知るとスターリンは茫然自失で、別荘にこもってクレムリンに出てこなくなりました。
残る幹部たちが恐る恐る別荘に行ってスターリンに会いに行ったとき、スターリンのほうは全員がそろって引退勧告に来たかと心配して待ちかまえていたというのです。独裁者は、そうではないことを知ると、たちまち元通りに独裁者となって悪の罪業の数々を繰り広げていくのでした。
あとになってソ連がドイツを負かしてしまう段階では、わざと諸戦で負けて、かつてナポレオン軍を負かしたような高等戦術をとったなどと強弁しはじめましたが、実際にはスターリンの大いなる間違いによってソ連軍は大崩壊してしまったのです。
レーニンは死ぬ直前に、スターリンは粗野な男なので書記長にはふさわしくないから解任すべきだという遺書を書いていました。そこでスターリンは、レーニンの死後、政敵をうまく片付けたあと、書記長の辞職願いを提出した。いやあ実に見事な計算ですね。スターリンの計算どおり、もちろん辞職願いは受理されるはずがありませんでした。
ナチス・ヒトラーに匹敵するほどの大虐殺を敢行したスターリンの罪業について、最新の資料をつかって深く究明した本です。
スターリニストって、単なる官僚主義者なんかではないことがよくよく分かります。でも、そんなレッテル貼りに、いったいどれだけの意味があるのか、それも、そもそも疑問ですよね...。
(2021年5月刊。税込5060円)
2021年9月17日
武士論
日本史(中世)
(霧山昴)
著者 五味 文彦 、 出版 講談社選書メチェ
武士たちの500年の通史です。サブ・タイトルは古代中世史から見直す、となっています。本格的な武士論だと思いました。
古代において、武士とは朝廷に武芸を奉仕する下級武官で、文人と対をなす諸道の一つ、とされた。中世でも、朝廷に武をもって使える者とされているが、乱れた世を平らげる存在ともされている。
10世紀、平将門の乱のころ、合戦の場では、合戦を始める旨の文書をかわし、矢を射る。基本は弓矢の合戦だった。弓箭(きゅうせん)の道に秀(すぐ)れていることが「一人当千」の武士だった。
11世紀(1019年)、女真族の刀伊が壱岐を襲撃したあと、志摩郡船津に上陸し、さらには肥前国松浦郡を襲った。これを大宰権帥(だざいのごんのそち)藤原隆家が武士を派遣して撃退した。元寇の前にも外国軍が侵入しようとしたことがあったんですね...。
平安時代の末、白河院は、源氏・平氏の武士たちとのあいだに主従関係を形成し、御所や京都を守護させた。そのなかで抬頭してきたのが平氏だった。平清盛は12歳の若さで、佐兵衛佐(さひょうえのすけ)に任じられた。そして、その父・平忠盛は山陽・南海道の海賊追討を院宣で命じられ、西国に勢力を拡大し、西国に確固たる基盤を築いた。そして、忠盛は昇殿を認められ、内の殿上人になった。格は高く、平氏は武家として待遇された。
保元の乱(1156年)で、後白河天皇の側が勝利したので、信西は天皇を全面に立てて政治をすすめた。このとき死刑を復活させた。武士の習いである私的制裁を公的に取り入れたということ。
平治の乱(1159年)のころ、平清盛は、太宰大弐になって日宗貿易に深く関わっていた。そして、平氏側が圧勝して、知行国もふえて、経済的にも抜きんでた存在となった。
ところが、平清盛には、新たな政治方針がなく、大量の知行国を手にして福原に戻った。ただ、院を鳥羽殿に幽閉した影響は大きかった。それまでの武士は院の命令で動いていたし、実力で治天の君を代えることはなかった。これを契機として、武士が積極的に政治に介入する道が開かれ、武力を行使して反乱をおこすことが可能になった。
源頼朝の伊豆挙兵(1180年)のとき、朝廷や平氏が特別な政策を打ち出していないなか、頼朝は徳政政策をかかげて、諸勢力を糾合していった。
少し時代を飛ばして鎌倉末期・室町時代の初期のころ。バサラ大名が出現した。その典型が佐々木道誉(どうよ)。茶や能、連歌、花、香など、この時代のあらゆる領域の芸能に深く関わった。
この本でたくさんのことを学びましたが、最後に二つ。その一つは、鎌倉時代の武士が諸外国の軍人と大きく異なるのは、文化的教養が備わるようになったこと。和歌(あとでは連歌)や「けまり」を身につけていた。もう一つは、訴訟がとても多かったこと。著者は「訴訟が雲霞(うんが)のごとく鎌倉にもたらされた」としています。鎌倉幕府も室町幕府も、訴訟の取り扱いには頭を悩ませ、慎重にすすめていたようです。ここにも、日本人が昔から訴訟が好きだったこと、「日本人は昔から裁判嫌い」だというのが真っ赤なウソだったことがよく分かります。
「葉隠れ」が武士道だなんて、とんでもないことを詳細に裏づけている本でもあると思いました。
(2021年6月刊。税込2090円)
2021年9月18日
スニーカーの文化史
アメリカ
(霧山昴)
著者 ニコラス・スミス 、 出版 フィルムアート社
スニーカーといえばナイキでしょうか...。私は持っていません。買うのに行列をつくったり、ネット上でいろいろ転売されたりして話題をよんでいることを見聞するくらいです。
マイケル・ジョーダンをナイキが起用したのは大きな賭けでしたが、それが見事にあたった、というか、あたりすぎだったようです。
この本は、スニーカーを生み出す苦労話から始まります。つまり、天然ゴムだと熱いと溶けてしまうし、寒いとコチコチに固まってしまって、使いものになりません。そこで大変な苦労をした人がいたというわけです。チャールズ・グッドイヤーです。
ゴムは耐水性はあるが、致命的な欠点をかかえている。高温下だと溶けるし、低温下だと脆(もろ)くなってしまう。
グッドイヤーは、5回も6回も債務超過となり、債務者刑務所に入れられた。1830年代のアメリカは破産すると刑務所に入れられたのでした。
1844年、ついにグッドイヤーは特許を認められた。ゴムに硫黄、鉛白を混合させて加熱するのだ。ただし、グッドイヤー一族がその後も繁栄したのではなく、別の企業が「グッドイヤー」というブランド名を使った。
スニーカーは、英語の忍び歩く(スニーク)に由来する。
短距離ランナーのはく靴が注目されたのは、1936年のドイツでのオリンピックのとき。ヒトラー支配下のオリンピックで、黒人のランナーが4個もの金メダルを獲得したことが大きい。
兄弟がケンカ別れして、アディダスとプーマというシューズのブランドが誕生した。
アメリカでバスケットボールが盛んになったのは、主としてスペース上の理由だ。地域の公園の一角にバスケットボール用のコートができて、プレーに必要な人数や用具も少なくてすむ。
1970年代に、ジョギング、テニス、バスケットボールが爆発的に人気を集め、さらに1980年4月、ニューヨークで地下鉄やバスがストライキでストップしたとき、大勢の市民がスニーカーをはいて、通勤した。
ナイキがジョーダンに的をしぼってアタックしたとき、ジョーダンはアディダスを好んでいたし、とくに乗り気ではなかった。しかし、ジョーダンの両親がナイキとの契約に必死だった。
エア・ジョーダンは1985年4月に発売された。1ヶ月もせずに50万足、売り上げは1億ドルをこえた。大ヒットだった。ジョーダンとナイキは、私だって知ってるくらいですからね...。すごいですよね。ところが、このエア・ジョーダンをめぐって殺人事件が起きてしまったり、とんだ社会現まで引き起こしたのです。
さらに、ナイキの靴が、インドネシアなどの労働搾取工場でつくられていることが暴露されて、大問題になりました。
スニーカー愛好家のことをスニーカーヘッズと呼ぶそうです。インターネットで高値で売買されているのです。
アメリカの副大統領になった黒人女性カマラ・ハリスが公式の場で、黒のチャックテイラー(スニーカー)をはいているのが注目を集めました。今やスニーカーは活動的な女性のシンボルでもあるのですね。
ゴム底の靴は、まだ百数十年の歴史しかないのに、今の社会では必須不可欠のものになっていますよね。自分の足元を見るのにぴったりの本でした。
(2021年4月刊。税込2200円)
2021年9月19日
日本語とにらめっこ
人間
(霧山昴)
著者 モハメド・オマル・アブディン 、 出版 白水社
アフリカのスーダンからやってきた全盲の青年が、どうやって日本語を身につけたのかが改めてインタビュー形式で語られた本です。著者の本は、前に『わが盲想』(ポプラ社)を読んで大変面白く、このコーナーでも紹介しました。
日本で暮らしているということは、お笑いの文化の中で生きているようなもの。異文化に触れたとき、自分と違う文化に出会ったときは、全部それが何かおかしく感じてしまう。日本人にとっては何でもないことが、笑いの対象になってしまう。まず自分の中で笑い、それを言葉にして表現する。最初に書くときは、読者を想定しないで書く。
日本の論文は読みにくい。それは、結論が最後に来るから。結論を初めにもって来ると、すごく分かりやすくなる。この先、いったいどこに連れていかれるか分からないというのは困る。
スーダンには、コーランを教える伝統的な寺子屋みたいなところがある。ハルワという。ここではコーランを暗誦するだけでなく、読み書きも仕込まれる。6歳までにアラビア語がうまくなるのは、ハルワでコーランを覚えるのと同時に、アラビア語を正しく書くことも訓練していたから。コーランだけでなく、古い詩などでも暗誦したりしていたので、アラビア語がとてもうまくなる。
著者は夏目漱石の『坊ちゃん』、『三四郎』などの読み聞かせをしてもらって、漱石の偉大さを体得したようです。
漱石には文体の力がある。漱石は、歴史的背景を知らなくても楽しめるところがすばらしい。
スーダンでの著者は、19歳まで、教科書以外の本は5冊も読んでいない。盲目の子にとって図書館が近寄りがたい存在だった。
著者は書きはじめるまでに相当の時間がかかる。ただ、書きだしたら、一気に書きあげる。メモはとらないで、頭の中で考える。
変な野望があると、いいものは書けない。うまい日本語をつかって書こうと思ってもダメ。自分の中から湧いて出てくるものを書くとよい。そのとき、難しい言葉は使わない。分かりやすい言葉で分かりやすく書く。
著者の書いた文章は、日本語の表現が魅力的。書き言葉の中に話し言葉を入れこむ特徴、功名な緩急、歯切れの良さ。つっこみに関西弁や得意のおやじギャグが入ったり...。
東京外国語大学に入り、大学院に進学しているうちに『わが盲想』を書き(2013年)、国際学の客員教授としても活躍しました。
アフリカ・スーダンからやってきた全盲の青年が日本社会に溶け込むとき、どんなに苦労するかが詳しく語られていて、大変勉強になりました。今後のさらなる健勝とご活躍を心より祈念します。
(2021年4月刊。税込2200円)
2021年9月20日
スペース・コロニー、宇宙で暮らす方法
宇宙
(霧山昴)
著者 向井 千秋 、 出版 講談社ブルーバックス新書
臆病者を自認する私にとって、宇宙で暮らすなんて、考えられもしません。実のところ飛行機だって乗るのが本当は怖いのですから...。
人間が初めて宇宙空間に飛び出したのは1961年4月12日。ソ連のガガーリン少佐だ。人口衛星スプートニク1号が打ち上げられたのは、それより3年半前の1957年10月4日だった。いやあ、これって超々スピードですね。なんだかんだ言っても、宇宙ではアメリカよりもソ連、今のロシアのほうがすすんでいますよね、なぜなんでしょうか...。
まあ、それでもアメリカのスペースシャトルは、地上と宇宙とを39回も往来したとのこと。これはすばらしい。ただ、このスペースシャトルは2011年7月に運用を終了しています。
いま、国際宇宙ステーション(ISS)は、1998年の組み立て開始から、すでに23年間も地球の上空を周回しているとのこと。これまた、すごいです。
宇宙空間に人間が生存するためのもっとも重要な基盤技術は、メンテナンスフリーで長時間使える電力供給システムをつくること。そこでは、宇宙線にさらされる宇宙空間でも耐久性をもつ放射線耐久性に優れた材料による高効率かつ高出力の太陽電池などが考えられている。
人間が宇宙に行くと、骨にふくまれるカルシウム量が減少する。宇宙放射線による人体への影響は無視できない。
宇宙に滞在する宇宙飛行士は、顔と頭に膨満感を感じる。無重力では、血液が下半身に集まらなくなり、反対に上半身の血流が増加する。放っておくと心臓のサイズが小さくなり、機能も低下する。なので、宇宙飛行士について、適切な栄養管理(食事指導)と最適化された運動方法を組みあわせる。
宇宙ステーション内では、意外にも細菌や真菌などの微生物が地上より活発に増殖する。
宇宙飛行士が宇宙空間で船外活動をするとき、宇宙服は通常0.4気圧に減圧する。
ISSの中で、食糧も水も、そしてエネルギーまでもが再生できるというのは驚くばかりです。でも、私は、こんな密閉空間に閉じ込められるなんて、想像すらできません、嫌です。逃げ出したいです。ですから、宇宙空間に出るのが好きで、かつタフな人にまかせて、話を聞くことにします。
(2021年5月刊。税込1100円)
2021年9月21日
バレット博士の脳科学教室
脳
(霧山昴)
著者 リサ・フェルドマン・バレット 、 出版 紀伊國屋書店
脳のもっとも重要な仕事は、エネルギーの需要が生じる前に予測しておくことで、身体をコントロールすることにある。つまり、脳のもっとも重要な仕事は、考えることではなく、恐ろしく複雑化した、もとは小さな生物の身体を運用することにある。
脳が3つの層からなるという考えは、1990年代に、専門家によって完全に否定された。
理性的思考という特別な能力をもつことで、人間は動物的な本性を克服し、今や地球を支配するに至った。こんな三位一体脳説は完全に間違っている。そうではなく、脳は、たったひとつの巨大で柔軟な構造へと結合された1280億のニューロンからなるネットワークなのだ。
1280億のニューロンは、発火することで、日夜、継続的に連絡をとりあっている
ニューロンが発火すると、電気シグナルが幹を伝って根の部分に達する。シグナルを受けとった根の部分は、シナプスと呼ばれるニューロンとニューロンの隙間に科学物質を分泌する。分泌された化学物質は隙間を渡り、相手ニューロンの灌木の枝のような先端に取りつく。すると、受け手のニューロンが発火し、それによってニューロンからニューロンへと情報が伝達される。
脳のネットワークは、常にオンの状態にある。すべてのニューロンが、その支配を通じて常に会話している。脳のネットワークは、固定されておらず、常に変化している。めまぐるしく変化している部位もある。脳の配線は、ニューロン間の局所的な結合を補完する化学物質に浸されている。
人間の新生児は、いわば建設中の脳をもって生まれてくる。25年くらいかけて主な配線を完了するまで、人間の脳が成人段階の完全な構造や機能をもつことはない。
いかなる人間の性質についても、遺伝子か環境かのどちらか一方に原因を求めることはできない。どちらも非常に深くからみあっているため、生まれや育ちのような言葉で区別しても無益だ。
育児の要諦(ようてい)のひとつは、介入すべきとき、すべきでないときの見きわめにある。乳児の脳は、食料と水さえ与えておけば正常に発達するというものではない。アイコンタクトや言葉そして肌の触れあいを通じて、社会的ニーズを満たしてやる必要がある。
長期にわたる慢性ストレスは脳に損傷を与えうる。侮辱や脅しを受けている人は病気にかかりやすくなる。言葉は脳に物質的な損傷を与えうる。ストレスは実際に人を太らせる。
神経系の最良の味方は、他者であり、最悪の敵も他者だ。
人間の大脳皮質の配線は圧縮を、圧縮は感覚結合を、感覚結合は抽象を可能にする。抽象は、高度に複雑化した人間の脳が、物理的な形態にもとづくのではなく、機能にもとづいた柔軟な予測を発することを可能にする。これが創造性だ。
人は、コミュニケーション、協力、模倣を通じて予測を共有することが可能なのだ。
脳のはたらきについて、さらに一歩、認識を深めることができました。
(2021年6月刊。税込1980円)
2021年9月22日
江戸移住のすすめ
日本史(江戸)
(霧山昴)
著者 冨岡 一成 、 出版 旬報社
江戸の町人の日常生活が多面的に紹介されている本です。江戸時代を美化しすぎてはいけないと考えていますが、かといって変化に乏しい暗黒の日々を庶民が過ごしていたというのではないように思います。江戸の人々も今も私たち(現代日本人)と同じく、たくましく、したたかに、また、しなやかに日々を謳歌していたと思います(思いたいです)。そこには山本周五郎の描く、しっとりとした日々もあったのではないでしょうか...。
幕末期の江戸の人口は120万人。町人人口は58万人。町人は270万坪の区域に住んでいたので超過密状態。人口密度にして1平方キロに4万人。今の2倍ほど。江戸の庶民の多くは、裏長屋と呼ばれる四畳半ひと間、6畳ひと間のスペースに一家で暮らしていた。
裏店に住む住民は、すべて無税、水道代もタダ。安い賃料を支払うだけでよかった。
家賃は、四畳半ひと間で月300文。収入の高い大工の1日の収入は500~600文。
水は、井戸水は塩気が多いので、水売りから買って飲んでいた。
部屋には押入れがなく、タンスがあるくらい。いえ長火鉢(ひばち)はあった。布団は屏風で隠すだけ。流しがあり、七輪はあったが、便所は外の共同便所。
ご飯は朝に1日分のお米を炊いて、夕食は冷や飯を茶漬けでさらっとすませる。江戸の長屋に掛け蒲団はない。長屋には、いろんな物売りがやって来た。江戸の人々が物を捨てることは、まずない。茶碗がこわれたら、焼き継ぎ屋に直してもらう。道に屑(くず)が落ちていても、それは紙屑拾いが仕事として集めるものなので、町人がみだりに屑を拾ってはいけない。
江戸の人々は、「です」とか「である」とは言わない。「であります」とも言わない。「である」とか「であります」は明治のはじめに士族がつくったコトバ。「です」とは「でげす」と同じで、芸者のコトバ。江戸の人は「でございます」、女性は「でござんす」と言った。
江戸の人たちは、「キミ」も「ぼく」も言わない。これは明治のコトバ。相手には、「おめえ、てめえ、貴公(武士)」、自分のことは「おれ、おいら、あっし、わっち、拙(せつ)」と言った。目上の相手には「おまえ」、目下には「てめえ」、自分は「わたくし」と言った。
江戸には、1日に千両のお金が流れる場所が3ヶ所あった。ひとつは鼻の上、目で楽しむ芝居町。江戸3座で昼間に千両のお金が動いた。鼻の下、口で味わう魚河岸(うおがし)で、朝のうちに千両の商いがあった。おへその下は吉原。ひと晩に千両が使われた。この三大繁華街を「日千両」とも呼んだ。
江戸時代のエコな生活に戻ることはできませんが、江戸の人々は生活を楽しむ工夫をしながら、きっと毎日を生きていたと私は考えています。
(2021年2月刊。税込1650円)
2021年9月23日
歩みを止めるな!
人間
(霧山昴)
著者 吉田 正仁 、 出版 産業編集センター
1981年に鳥取県で生まれた日本人の若者が、28歳のとき、世界をリヤカーとともに徒歩で地球一周の旅に出た記録です。
リヤカー徒歩の旅で巡った国は60ヶ国。よくぞ無事に日本へ帰り着くことができたものです。もちろん強盗にあったこともあります(南アフリカで一度だけ)が、生命だけはとられず、旅を続けました。そして、病気とケガ。お腹をこわしたことは何回もあったようですが、それでも重症・入院とまではならず、なんとか旅を続けています。
旅先のあちこちで、人の親切を受けています。それを知ると、人間って、悪い人ばっかりじゃないんだねと、性善説を信じたくなります
リヤカーをひいて歩くと、1時間に進めるのは、わずか5キロ。
2009年の正月に中国の上海を出発したときは、歩きはじめて9日目で腱鞘炎。カザフスタンの無人地帯で遭難。ウクライナで荷物を盗まれ、極寒のブルガリアでは、凍傷で入院。コソボではスパイ容疑で警察に拘留。いやはや、なんという多難な旅でしょうか...。
自らの意思で歩き続けた著者は、やめたいとは一度も思わなかったとのこと。意思が強いのですね...。
重量200キロのリヤカーは、折り畳み式で、耐荷重が170キロ。組み立てるには工具不要で5分もかからない。静岡県牧之原市にあるナガノ製。
著者の話せるコトバは英語。でも南米では英語が通じない。さあ、どうする...。便りはボディ・ランゲージのみ。なんという度胸でしょうか。
世界中に、日本人宿があるそうです。宿の経営者も宿泊客もすべて日本人という宿です。信じられません...。本棚には、数百冊の日本の本が並んでいるのです。チリにあるのは、「汐見荘」。
ペルーにある、サイクリングで旅する人向けの宿の国籍ランキングの一位は、フランス。そしてドイツ、アメリカと続く。日本人は15番目。日本人も意外に健闘しているんですね...。
著者はスマホなしの旅行が基本です。スマホに頼ると、不安や緊張がなくなり、感受性を失ってしまう。旅の途上でテントを設営するとき、人目につかないところが鉄則。やはり、怖いのは人間なのですよね...。そんな場所が見つからないときには、人家の庭など、逆に確実に人目につく場所にテントを張らせてもらう。中途半端な場所が一番よくない。ただし、怖いのは人だけではない。ゾウやクマも怖い。
徒歩の旅で必要なものは、テント、寝袋、調理用ストーブ、食器類、雨具に衣類。カメラも。リヤカーなら、タイヤと工具。靴は、著者は21足を履きつぶした。
27歳から歩きはじめて10年間、37歳になっていた。7万7500キロを歩き通した。いやあ、言葉になりません。すごすぎますね...。この10年間、どこかに定住しようとは思わなかったのでしょうか。すごい女性にめぐりあって、子どもともうけて家庭をもつ...、なんてことを考えなかったとしたら、これまた私には理解できません。
お金はどうしたの、インターネット(パソコン)は...、いくつも疑問が湧いてきました。それはともかく、お疲れさまでした。
(2021年5月刊。税込1320円)
2021年9月25日
アンブレイカブル
日本史(戦前)
(霧山昴)
著者 柳 広司 、 出版 角川書店
もちろん小説だということは読みはじめる前に分かっていました。でも、てっきり現代社会のどこかを舞台としていると思っていたのです。ところが、実は舞台は戦前の北海道、しかも、蟹(かに)工船で働いていたことのある経験者が、なんと、あの小林多喜二に対して作業の実際を語るところから話は始まるのです。ええっ、この小説は小林多喜二がまだ銀行員だったとき、作家としての取材をどうやってしていたのか、から始まるのか...、驚きました。
語る体験者は2人。いずれもスネに傷をもつ身なので、目の前の大金が欲しいのです。そのため、小林多喜二に蟹工船での作業実態を語るのですが、それには実はウラがあって...。うむむ、この本は国家権力による思想統制の怖さに自然に読者の目が向くように仕組まれています。そして、それが自然な流れなのです。さすが、です。
次は戦前の反戦詩人としてそれなりに有名な鶴彬(つる・あきら)と憲兵大尉、そして特高との関わりあいの話です。展開が予想以上に速いので、ついていくのも大変です。
ときはゾルゲ事件が摘発された翌年です。
それにしても、戦前の特高警察って、怖いですよね。なにしろ何ら罪のない人々を捕まえては、ときによっては拷問を加えてでも罪を「自白」させ、刑務所に閉じ込め、また人間としての精神・身体のいずれもボロボロにしてしまうのですから...。
問題は、それが遠い過去のことであって、現代とは何の相互関連性はないとは言い切れないことです。これって、本当にゾクゾクするほどの怖さがあります。要するに、自分のやった本来なら正当な行為が、刑事処罰の対象であり、決して文句は言えない。いやはや、怖い、怖すぎます。
(2021年1月刊。税込1980円)
2021年9月26日
アメリカのシャーロック・ホームズ
アメリカ
(霧山昴)
著者 ケイト・ウィンクラー・ドーソン 、 出版 東京創元社
20世紀初めのアメリカで科学的捜査班(CSI)の基礎を開いたエドワード・オスカー・ハインリッヒの一生を描いた本です。
それまでの警察の捜査が犯人を拷問するみたいにして自白を強要していたのを、科学的裏付を主とした捜査にすることに大きく貢献した人物です。カリフォルニア大学バークレー校で30年近くも犯罪学を教えていました。
オスカーが始めた比較顕微鏡で弾丸を撮影する手法は革新的で、法弾道学を前進させた。今日も、この手法は生かされている。
遺体が死後どれだけたっているかについて、法昆虫学もオスカーが始めた。今なお強力な武器として用いられている。
ただ、筆跡鑑定や血痕パターンなどの「がらくた科学」もふくまれている。
オスカー自身は、シャーロック・ホームズと自分は違うと言った。
「ホームズは勘に頼って行動した。わたしの犯罪研究所では、勘はまったく無用だ」
筆跡分析と筆跡学は、ひとまとめにされることが多い。しかし、実は、まったく別々のものだ。筆跡分析は、実は、あてにならない。筆跡は、環境、筆記具、年齢や気分によって大きく変化することがある。筆跡は気まぐれで、法科学の技術としては信用できない。文書に名前をサインするのは、指紋を残すのと同じことではない。筆跡分析は、捜査の助けになることもあるが、それで終わりにすることはできない。
私も、これはまったく同感です。筆跡鑑定にはDNA鑑定ほどの科学的たしかさを期待することはできません。
目撃者の誤認は、不当と有罪判決を招く主たる要因である。人間の記憶はそれほどあてになるものではないのです。
ウソ発見機は、ドーハート基準をみたせば、法廷で認められるが、その基準のハードルはきわめて高い。
心拍数や発汗をコントロールする要因には、精神病や薬物などの不確定要素が多すぎる。
今でもウソ発見機にかける(かけられた)という被疑者に接することがあります。でも、法廷に証拠として出てきたのは、30年以上も前だったと思います。
「マッシャーとは、女性に声をかけ、口笛で誘うプレーボーイのこと」
オスカーは、血液の存在を暴くために紫外線を初めてつかった。
オスカーは、二つのたたかいに挑んだ。まず、技術開発。そして、その新しい科学的な進歩を講習や執行者に理解させ、信じさせること。陪審員に対して、もし言葉で説明できないときには、できるかぎり実演してみせること。陪審員は、わけのわからない科学にもとづいた証拠では、納得したがらない。オスカーは、このことを理解した。
陪審員はマスコミや外部の人間との接触を禁じられているものの、それを破る人もいた。
オスカーは仕事に打ち込み、アメリカで有名人になったけれど、経済的にはそれほど余裕はなかった...。
アメリカの科学的捜査を裏から強力に支えた一人の男性の奮闘記と、その真実を掘り起こした本です。当時の犯罪事件との関わりが丹念に紹介されていて、興味深い本でした。
(2021年5月刊。税込2860円)
2021年9月24日
校則なくした中学校、たったひとつの校長ルール
社会
(霧山昴)
著者 西郷 孝彦、出版 小学館
著者は東京の区立中学校で10年間、校長をつとめていました。この中学校には、なんと、制服がなく、定期テストがなく、生徒をがんじがらめにしばる校則がないというのです。驚きました。公立中学校でも、校長次第では、こんな大胆なことができるのですね。読んで勇気が湧いてくる本でもありました。あきらめずに、少しずつでも良い方向に変えていくことができるんですよね。
世田谷区立桜丘中学校には校則がない。定期テストはなく、宿題もない。チャイムは鳴らない。服装も自由、髪形も自由。おまけに授業中の昼寝も、廊下での勉強も自由。
校長室前の廊下にはハンモックがあり、そこで生徒は自由に昼寝できる...。なんという学校でしょう。こんなんで、学校の秩序が保たれるのでしょうか...。
定期テストの代わりにあるのは、10点満点の小テスト、積み重ねテスト。
3年生は静かな授業風景。でも1年生は騒々しい。これがフツー。
教員は、決して頭ごなしに叱りつけることはない。
そして、校長は、毎日1回、全校のクラスを回る。
登校時間は自由。だから遅刻で注意されることはない。ええっ、そ、そんな学校があるの...。
授業中の校長室は、クラスに入れない子たちのたまり場。
いやはや、なんという学校、そして校長先生でしょうか...。
学校は教員が学ぶ場でもある。うむむ、そ、そうなんでしょうね。
がんじがらめで子どもをしばる校則によって、子どもは無気力になってしまう。いやあ、本当にそうですよね。刑務所なら、そのほうが管理しやすくて助かるのでしょうが、学校は刑務所ではなく、これからの日本を支える子どもたちを育てるところですから、のびのび発達していくのを手助けしなくてはいけません。
この中学校には3ヶ条の「心得」があります。その一は、礼儀を大切にする。その二は、出会いを大切にする。その三は、自分を大切にする。いやあ、いいですね。私は、とくに最後の自分を大切にするがいいと思いました。
でも、そのためには、他人(ひと)との出会いによって、自分とは何者なのかを知ることが欠かせないのですよね。そして、そのためには、友人として接してもらえる工夫(礼儀)も大切なんです。
なんで勉強しなくてはいけないのか...。将来、文科系に進むのに、なぜ微分・積分と勉強しなくてはいけないのか、私も少しばかり悩んだことがありました。
教員にとって、生徒から出てくる、この質問は、つまち授業が面白くないということを意味する。授業が面白かったら、要するに、理解できていたら面白いので、「なぜ」という質問は生まれない。これは本当だと思います。
世の中は不思議に満ちています。その不思議さを解明していくためには、その解法を知る必要があるのです。私が、たくさんの本を読みたいと思っているのは、少しでも、この人間社会の仕組みを知りたいからです。
この中学校では、廊下で麻雀大会もしたそうです。いやあ、この発想にはぶっ飛んでしまいますね。私も一度だけ大学の寮の廊下での麻雀には誘われて加わったことがあります。でも、一度でコリゴリしました。私にはまったく向いていないことが分かりましたので、それ以来、やっていません。同じように囲碁・将棋もやりません。見るスポーツだって、すべて関心の外です。ひたすらこの社会がどうなっているのかを知りたい。これに専念しています。
この中学校では、月1回、夜の勉強教室もやっています。夕方6時になると、みんなでお食事会です。参加費100円、先着50人まで。「子ども食堂」を公立中学校でやっているのです。すばらしいです。
発想を変えたら、こんなこともできるのですね...。もっと、自由に、のびのびやりたいことをやりましょうね。元気が出てきました。
(2020年6月刊。税込1540円)
2021年9月27日
命つながるお野菜の一生
生物
(霧山昴)
著者 鈴木 純 、 出版 雷鳥社
いやあ、面白いというか、興味深い野菜の話のオンパレードです。見事な迫力ある写真に圧倒されっぱなしでした。いえ、野生の動物のような荒々しさではありません。私たちが毎日食べている野菜かどうやって大きくなって、美味しくいただけるのか、その様子を美しい写真とともに解説してくれる本なのです。うれし涙がついついホロホロとこぼれ落ちそうになりました。
だって、いま、私は庭に植えたサツマイモが今度こそ、きちんと収穫できるのか、ずっとずっと気にかけているんですから...。じゃがいものほうは、孫たちと一緒に掘りあげ、見事に成功しました。というか、じゃがいもの掘り上げで失敗したことはありません。ところがサツマイモのほうは、地表面に葉と茎が縦横に生い茂っているので大丈夫だろうと掘り上げてみると、なんとなんと、小さな塊がいくつかあるだけ...、という悲しい経験をしたことがあるからです。
じゃがいもは芋自体から葉っぱが出てくる。植物は茎(くき)から芽が出るけれど、根っこからは芽が出ない。ということは、じゃがいもの芋は根ではなく、茎だということ、そして、じゃがいもの花は、なすやピーマン、ミニトマトの花にそっくり。つまり、じゃがいもはナス科ということ。
では、さつまいもは...。さつまいもは根っこに栄養を貯めて太らせるタイプ。じゃがいもが地下茎に栄養を貯めるタイプなのとは違う。じゃがいもはナス科で、茎を食べる芋。さつまいもはヒルガオ科で、根っこを食べる芋。サツマイモは、中南米を起源とし、そこから世界中の熱帯地域や亜熱帯地域に広がっていった。
じゃがいもは茎を食べ、さつまいもは根っこを食べる、だなんて、こんなに似ていても全然違うものなんですね。
落花生(ピーナッツ)は、私の大好物のひとつなのですが、地上に実がなっていると思っている人が多いようです。それを庭に植えてみて、その成長を観察しました。日付入りの写真で紹介されますから、よくよく分かります。黄色い花が咲いて、落ちた花(落花生)が地上にもぐっていくかと思うと...、そうではなくて、地面に突き刺さるもの(子房)があるのです。この子房が土の中で成長していって落花生になるのでした。
いやあ、見事な一連の写真にほれぼれします。
とうもろこしとヤングコーンの関係も写真を見て、よく分かりました。未熟なとうもろこしがヤングコーン。間引きしたものがヤングコーンとして市場に出まわる。うむむ、なーるほど。
野菜は、種(タネ)のまきどきが重要。早くまいてしまうと、種は待てど暮らせど、芽生えてこない。遅くまいてもダメで、もし目が出てきても、その先の成長はあまり良くない。このように種をまく人の責任は重大で、難しい。
きゅうりは、花が咲いてから1週間で食べごろの大きさになる。
ゴーヤーなど、つる性の植物は途中でつるのまく向きを変える。それによって、引っぱられる力に強くなり、かつ、戻る力も増すことになる...。
うひゃあ、ホ、ホントでしょうか。誰が、いったい、そんなことを考えたのでしょうか。まさか、天地の創造の神様がそんなことまで考えたなんて、信じられません。ゴーヤーは、人間が食べるのはまだ未熟な緑色のとき。本来は食害から、その実を守るための苦さなのに、人間には、この苦さが喜ばれて食べられるなんて...。
東京は国分寺に、種どりをする「ほんだ自然農園」がある。畑を耕すことなく、その大地の自然の循環をいかす農法を実践している。いやあ、ホント、すごいですね。こんな人たちの努力で、日本の農業が成りたっていることを知って、少しだけうれしくなりました。みんなで応援しましょうね。
日曜園芸家のはしくれとして、こんないい本に出会えて感激です。日曜日ごとの野菜づくりと土いじりは、私の健康法の一つです。
(2021年6月刊。税込2640円)
祝日(23日)にサツマイモを孫たちと一緒に掘り上げました。
初めに姿をあらわしたのは、いかにも細い枝のようなイモでしたから、ありゃりゃ、これは去年に引き続いて失敗してしまったか...と思いました。でも、掘りすすめていくうちに、それなりに太いイモも何個か姿をあらわしてくれて、イモ掘りの格好もつき、孫たちと喜びました。イモのテンプラにして食べましょうか...。
2021年9月28日
誰もが知りたいQアノンの正体
アメリカ
(霧山昴)
著者 内藤 陽介 、 出版 ビジネス社
毎週かよっているフランス語会話教室の今回の宿題はフェイクニュースについての仏作文です。テーマは自由なので、コロナ関係で、コロナ禍は陰謀によるもので、本当はたいしたことないんだというのも考えられます。トランプ(アメリカ)やボルソナロ(ブラジル)が今も言っているのは、ご承知のとおりです。私も、かつてアメリカの月面着陸・歩行が実は、月ではなくアメリカの砂漠地帯で撮った映像なんだという本を読んで真に受けて、このコーナーで紹介したことがあります。読んだ人から、すぐに誤りを指摘されました。フェイクニュースが間違っていると気がつくのは、案外むずかしいのです。
ネットでの検索は、一見すると客観的な結果が求められる気がするが、検索ワードに偏(かたよ)りがあれば、当然、その結果にも偏りが生じてしまう。似たような思考回路の持ち主がSNSに集まり、似たような情報を共有しつつ拡散していくことで、自分たちとは異なる意見や都合の悪い事例を排除した「タコつぼ」が肥大化していく現象は、あらゆるジャンルで、しばしば見られる現象が。ところが、「タコつぼ」の中にいる人たちは、なかなか外の世界の客観的な事実や批判的な意見に気がつかない。あるいは、気がついていても、それを否定するところに「真実」があると思い込んでしまう。
Qアノンは、信者を誰からも切り離す必要がない。スマホやパソコンの端末があれば、在宅のまま部屋に引きこもりの状態で囲い込むことができる。実際には誘導されているのだが、本人たちはそうは思わない。自らの意思で動いて、「真実」に到達したと錯覚してしまっている。
Qアノンは、アメリカの政府の高官からのリーク情報であることを匂わせるネーミング。
Qアノンの主張は、世界は悪魔崇拝者による国際的な秘密結社によって支配されている。この国際的な秘密結社は、ディープ・ステイト(闇の政府)やカハール(陰謀集団)の強い影響下にある。彼らはアメリカ政府をふくめ、すべての有力政治家、メディア、ハリウッドをコントロールしているが、その存在は隠蔽されている。その中核は、世界の金融資本と原子力産業を支配しているロスチャイルド家。ほかに、サワード家、ソロス家と結びついて、クリントン一味とアメリカのディープ・ステイトを動かし、アメリカを支配している。心ある愛国者Qアノンは、アメリカと世界の現状に危機感と正義感をもち、機密情報にアクセスすることのできる立場を活用して、世界の秘密を暴露し、人々の覚醒を促している。
Qアノンは、アメリカ以外では、ドイツで2万人もの支持者がいるとのこと。
日本でいうと、例の「在特会」といったヘイトスピーチの連中なのでしょうか...。オウム真理教も似たようなものなのでしょう。Qアノンを信じてアメリカの連邦議会を占拠した人たちもいたわけですから、今後も油断はできませんね。
(2021年6月刊。税込1650円)
2021年9月29日
琉球警察
社会
(霧山昴)
著者 伊東 潤 、 出版 角川春樹事務所
沖縄の政治家として有名な瀬長亀次郎が主人公のような警察小説です。本のオビに、こう書かれています。
すべてを奪われた戦後の沖縄。それでも、米軍の横暴の前に立ちはだかった一人の男がいた。その名は瀬長亀次郎――。
最近、カメジローの映画が出来ていますが、残念ながら、まだみていません。もちろん、シネコンではみれません。スガ首相を描いた『パンケーキ』の映画と同じく、日本人みな必見の映画だと思うのですが...。
カメジローが那覇市長に当選したあと、アメリカ民政府は徹底して嫌がらせをした。たとえば、銀行預金を口座凍結したため、那覇市は通常の予算が組めなくなった。そして、水道水の供給まで止めた。怒った市民は、すすんで那覇市に税金を治めにやってきて、納税率は97%にまで上がり、公共工事も再開できた。
しかし、警察が次々と罪なき市民を逮捕し、市民が人民党と手を切ると約束すると、不起訴になった。いやはや、アメリカ軍政下とはいえ、あまりに露骨な弾圧ですね。
那覇市議会はアメリカべったりの保守派が多数を占めていて、カメジロー不信任案を24対6で可決した。カメジローは、それに対して議会を解散した。選挙後の市議会では反カメジロー派は過半数は占めたものの、3分の2以上ではなくなった。そこで、アメリカ民政府は過半数でも不信任を可決できるようにして、ついにカメジローは那覇市長の座を追われた。いつの世にも、正義と道理ではなく、アメリカの言いなりになる「保守派」がいるものなんですよね。残念ですが、今の自民党と同じです。3.11があっても原発は推進する、日本学術会議の任命拒否は撤回しない、モリ・カケ事件は再調査しない、質問にまともに答えることはしない。こんな自民党に日本の将来をまかせるわけにはいきません。なのに、なんとなく「野党は頼りない」と思い込まされて、ズルズルと自民党に投票してしまうか、投票所に足を運ばずに棄権してしまう日本人が、なんと多いことでしょう...。本当に残念です。
この本には、カメジローの有名な演説が紹介されています。
それを知るだけでも、この本を読む価値があります。
カメジローは、奇妙としか言えない容貌の持ち主だ。背丈は沖縄人の平均よりやや低いが、顔は骨張っている上に長い。額は広く、髪の毛は後退しはじめている。とくに異様に高い頬骨と長い顎(あご)は、個性的な顔の多い沖縄人のなかでも珍しい。
「この瀬長ひとりが叫べば、50メートル先までは聞こえます。しかし、ここに集まった全員が声をそろえて叫べば、沖縄全島にまで響きわたります。沖縄県民80万が叫んだら、どうでしょう。太平洋の荒波を越えて、ワシントンにまで届きます」
玉城ジェニー知事の前の翁長雄志知事も、カメジローの演説を聞いて心を震わせたことがあったようです。
この本のメイン・ストーリーは、カメジローの率いる人民党にスパイ(作業員)を送り込み、情報を入手し、また人民党を操作しようとする公安警察官の葛藤です。
佐々木譲の『警官の血』には赤軍派の大菩薩峠における大量逮捕にあたって、赤軍派内部に送り込んだスパイとどうやって連絡をとるかという工夫と苦労が詳しく紹介されていました。
アメリカのブラックパンサー党の内部にもFBIのスパイがごろごろいたという本も読んだことがあります。
戦後の奄美、復帰後の沖縄。そして、僕たちの知らない警察がここにあった。これも本のオビにある文章ですが、まったくそのとおりです。
430頁ある小説を早朝から一心不乱に読み、すっかり沖縄モードの気分に浸った一日を過ごしました。ぜひ、あなたもご一読ください。
(2021年7月刊。税込2090円)
2021年9月30日
武器としての労働法
社会
(霧山昴)
著者 佐々木 亮 、 出版 KADOKAWA
会社に人生を振り回されないため、労働問題の有力弁護士が教える「泣き寝入りしない」ための対処法。キャッチコピーは、法律を味方にすれば、自由もお金も手に入る。
私が弁護士になった1977年代半ばは労働組合に存在感がありました。総評(ソーヒョー)と言えば、「泣く子も黙る」という形容詞がついていたほどです。もっとも実際に泣いている子が黙ったとはとても思えませんが...。
そのころ東京に住んでいましたが、国電(JRではありません)がストで停まったり、ノロノロ運転するのをよく体験しました。フランスに旅行したとき(もう10年も行っていません)、地下鉄もフランス国鉄も、よくストライキで運休しているのにぶつかり、困りましたが、ああ、フランスでは労働組合が生きているんだねと実感させられました。
日本にもレンゴー(連合)という奇妙な団体があります。どうやら政府と一体化したいらしく、共産党を敵視する変な組織です。とても労働者の権利を擁護してたたかっているとは思えません。その端的な例が、非正規労働者の組織化に取り組んでいないことです。
この本は、労働法で定められた労働者の権利を守ってたたかう弁護士による実践的なアドバイスを紹介しています。いつまでも労働弁護士でありたいと願っている私も、初心に帰って、また間違ったアドバイスをしないように読んでみました。
正社員とか正規社員というのは法律用語にはない。
正社員であることの3要件は、第1に雇用契約に期間の定めがないこと、第2にフルタイムで働いていること、第3に直接雇用であること。
有期雇用の社員を契約社員と呼ぶことが多い。しかし、契約に期間の定めがない「契約社員」は無期雇用なので、更新というものがない。「フルタイムパート社員」というのはありえない。「アルバイト」は法律用語ではない。
「派遣社員」は、現に働いている会社の社員ではない。労働に対する賃金は実際に就業している派遣先会社からではなく、派遣元会社から支払われる。
私が弁護士になってからずっとずっと、労働者派遣事業は違法だと主張していました。ところが、今では、それが合法化され、まったくあたりまえの状況になっています。これは、労働者を使い捨てするものです。こんな企業風土で、日本が世界的な競争に勝てるととても思えません。
フリーランスで働く人は、雇用契約を結んでの働き方と比べて弱い立場にある。
外資系企業であっても、日本で働く限りは、日本の労働法が適用される。
「転籍出向しろ」という命令は「退職しろ」というのと同じなので、退職を業務命令できないように、転籍趣向しろという業務命令はできない。なので、拒否できる。拒否によって不利益を蒙ることはないはず。
派遣先企業は、簡単に派遣切りはできない。
派遣先企業は、派遣会社に休業手当相当額以上を賠償する必要がある。派遣先企業は、派遣社員に新しい就業先を見つける必要がある。
派遣社員として採用されたとき、業務委託契約を結ばされたら、それは偽装請負にあたって、違法になる。
派遣は雇用契約なので、残業手当の未払いは違法となる。
派遣社員に対して、派遣先企業への就職を禁じるのは違法。
派遣先企業に、採用・不採用を決める権限はない。なので、派遣社員の事前面接は禁止されている。履歴書の提出を求めることもできない。
整理解雇の4条件とは...。一に人員削減の必要性。二に、解雇を回避する努力。その三は、人選の合理性。そして第4は、労働者へきちんと説明できたのか...。
東京の若手の労働弁護士によるスッキリ分かりやすい解説文です。ぜひ、あなたも、ご一読ください。
(2021年3月刊。税込1650円)