弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2021年8月25日

伊能忠敬の日本地図

日本史(江戸)


(霧山昴)
著者 渡辺 一郎 、 出版 河出文庫

私の住む町にも伊能忠敬が来て測量したようです。町の中心部に、それを記念する碑が建っています。江戸時代に日本全国を歩いて測量してまわって詳細な日本地図をつくったことで有名な伊能忠敬の日本地図にまつわる話が山盛りの文庫本です。
伊能忠敬の関係資料は今から10年前(2010年)に国宝に指定されたそうです。当然のことだと門外漢の私も思います。ともかく貴重な測量図です。ところが、そんな貴重な伊能図がフランスとかアメリカに流出していたようです。それを現地で探し出していく著者の執念にも驚嘆しました。
伊能忠敬の家は息子も孫も若くして亡くなり、いったん絶えたが、幕末に伊能家は再興することができ、伊能図や文書類を維持・管理できたということのようです。大変な苦労が必要だったことでしょうね。ともかくスペースをとったと思いますので...。その資料の保存には伊能家の女性たちが活躍したことも紹介されています。やはり、女性の力は偉大です。
伊能忠敬の書庫から解放されて庶民のものになるのは、伊能図が幕府に提出(1821年)されて50年たった明治になってからのこと。江戸時代には、厳重な実測量を必要としていなかった。
伊能忠敬は商才を発揮して酒造業、米穀売買、金融業を営み、資産3万両(1両を15万円として、45億円)という資産家だった。事業に成功した忠敬は49歳のとき隠居した。息子は28歳。江戸に出て、天文・暦学を志し、19歳も年下の幕府天文方髙橋至時(よしとき)に入門した。忠敬は、地球の大きさが話題になっていることを知ると、自ら、測量してやろうと思った(らしい)。天文・暦学は面白いけれど、かなり難しい。しかし、測量なら自分でもやれる。忠敬はそう考えたのだ。
伊能忠敬は、終始一貫して現場指揮をつとめた。全測量期間を通して従事したのは伊能忠敬だけ。忠敬は歩測で測ったのは、第一次測量のときだけ。第二次測量からは、間縄(けんなわ)を張って測っている。天体観測は伊能隊の表看板で、1晩に、多いときは20個以上の星を測った。忠敬が測った恒星は、こぐま座、カシオペア座、しし座など、誰でも見られる普通の星。忠敬は自宅で測定した恒星の高度表をもっていたので、それと比較して緯度を求めた。伊能隊には経線儀がなかった。結果として、伊能図は北海道と九州がかなり東偏している。
間宮林蔵は忠敬の弟子である。忠敬は日本中を歩いてまわったが、忠敬は持病もちで、それほど体が丈夫なほうではない。なので、測量隊が進行するときには、主催者であるから村々では医師を待機させていた。
貴重な伊能図の発見と紹介が要領よくなされています。ありがとうございました。いちど、ぜひ現物をみてみたいと思いました。
(2021年5月刊。税込1089円)

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