弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2021年7月20日

ある北朝鮮テロリストの生と死

朝鮮


(霧山昴)
著者 羅 鍾一 、 出版 集英社新書

1983年10月9日、ビルマ(ミャンマー)の首都ラングーンにある国立墓地アウンサン廟を韓国の全斗煥大統領が訪問することになっていた。全斗煥大統領がビルマ側の都合から泊まっていた迎賓館を出発するのが4分ほど遅れた。先発の黒塗りのベンツが駐ビルマ韓国大使を乗せてアウンサン廟に到着し、行事の開始を告げるラッパの音が響いたとき、現場一帯に閃光が走り、すさまじい爆発音とともに猛烈な爆風に包まれた。
このラングーン事件によって、韓国政府の副総理、外相、商工相、動力資源相という4人の主要閣僚、大統領秘書室長、また報道関係者17人が亡くなった。ビルマ側も同じく4人の主要閣僚が亡くなった。負傷者は両国あわせて46人。
犯人は北朝鮮の特殊任務を遂行する偵察局に所属する精鋭部隊であるカン・チャンス部隊。3人組のテロリストは、ジン・モ(キム・ジンス)少佐をトップとし、シン・キチョル(キム・チオ)大尉とカン・ミンチョル(カン・ヨンチョル)大尉の3人。
ジン・モは事件後に逃亡するなかで腕を切断し、失明したがビルマで死刑に処せられた。
シン・キチョルは逃亡中に射殺された。残るカン・ミンチョルはビルマの刑務所で獄死した。
使われた爆弾は、対人地雷(クレイモア)2個と焼夷弾の3個。うち対人地雷の1個は不発で残り、ビルマ捜査当局に回収された。焼夷弾は、現場における証拠隠滅のためのもの。
この本を読んで、ひどいと思ったのは、北朝鮮は3人の特殊工作員を工作船でビルマに派遣しながら、この3人を安全に脱出させ保護することをまったく考えていなかったということです。
3人組は、自分たちが北朝鮮から乗ってきた工作船に戻るつもりで、そのために快走艇が川まで迎えに来るはずだった。ところが、工作船はビルマ政府から上陸・接岸を認められず、インドに向かっていたのです。なので、迎えの快走艇なるものも来るはずがありません。それで、3人は、バラバラと見知らぬ土地でビルマ語も話せずに、川の茂みに隠れて快走艇を求めているうちに捜索隊に見つかり銃撃戦を演じ、負傷して捕まったのでした。
北朝鮮の工作というのは、失敗したら自己責任、死ぬしかないのですね。まさしく、かつての日本帝国の軍隊と同じ体質としか言いようがありません。人命尊重なんて、カケラもないのです。ひどすぎますよね...。
そして、カン・ミンチョルは、ビルマの刑務所で25年間、じっとすごして、ついに2008年5月に病死してしまったのです。
この本の著者は学者出身で、国家情報員の要職にもあった人です。本件も朝鮮半島の分断状況がもたした悲劇の一つです。思い出すべき事件、忘れてはいけない事件だと思いました。
(2021年5月刊。税込968円)

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