弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2021年7月17日

よみかき心得帖

人間


(霧山昴)
著者 平井 久義 、 出版 (有)知可舎

モノカキを自称する私ですが、日本語の文章は主語のないのを特徴とすると教えられたのは、今から30年ほど前のことでした。弁護士になって十数年たっていましたし、準備書面をはじめとして文章を書くことは多かったわけですが、文章というのは主語があって述語があって論理的に書くものだと思い込んでいました。なので文章を書くときには真っ先に主語を明らかにするのは当然のことでした。ところが、古来より、日本の文章は主語がなく、その主語を忖度(そんたく)しながら読み解いていくことに面白みと深みがあるというのです。
なので、私は、裁判官に向けた準備書面では必ず主語を明記しますが、その他のレポートや紀行文などでは極力、主語を省略するようになりました(省略しています)。では、本書です。
行きつけの飲食店の看板に「定休日は月曜日です」と書いてあると、むむむ、なんか変だと思う。ところが、店内に入ってお品書きの脇に「定休日は月曜日です」と書いてあったら、違和感がない。この違いは何か、どこから来るものなのか...。この店に入ったこともない、通りがかりの人にとって、「は」というのは抵抗がある。そうでなくて、すでに店内に足を踏み込んだ客にとっては、また来ようかなという気があれば、休みはいつなのか知りたくなる。そんなときは「定休日は...」と書かれていると、気持ちにぴったりくる。ふむふむ、なるほど、ですね。
文章はつないで読むものである。文章は、すべてを言い尽くすことはできない。書き手が省(はぶ)いているところがある。このときは、書き手の意識にそいながら読み手は想像力を働かせて補(おぎな)いながら読まなければいけない。これを「潜在判断を補う」という。
題述関係とは何か...。
「オレは女だ」
「ワタシは男よ」
この二つの文章は、一見すると奇妙だが、「キミの子どもは男か女か」と問われたときの答えだったら、文法的にも正しく、まちがってはいない。つまり、「オレは」、「ワタシは」は、主語ではなく、題目。さきほどの短文は、「オレ」と「ワタシ」に限って、主語のようであって、いわゆる述語ではないので、題目と答えの関係で題述関係と名づけている。
「雪が溶けたら、何になる?」
このなぞなぞの答えは、「春になる」。これも「雪が溶けたら」までは題目。
2017年10月、同じ中学校(岡大付属中)の卒業生(1977年卒29期)が、国語科の恩師・平井久義先生による特別授業を受けました。参加者13人で、3時間の授業。この授業での教師と生徒(卒表性)の問答のさわりが再現されています。このとき平井先生は81歳で、生徒たちは55歳前後。生徒の一人に則武透弁護士(現在の岡山弁護士会長で、中学校時代には生徒会長をつとめた)がいます。
平井先生は、重層構造図なるものを編み出し、授業で展開した。
重層構造図とは何か...。時間的、線条的に進行する一次元的表現を空間的、絵画的に展開する二次元的表現に移しかえた構造体であり、その構成要素は、段落ごとにまとめらえた「問いと答え」からなる要旨である。
「問いは何ですか」、「答えは何ですか」、「答えの中のどの言葉から次の問いが生まれますか」と言葉で表す。言葉で表さなくては文脈はとらえられない。
重層構造図のメリットは、正しく読んでいるかどうかが検証できる点にある。
生徒の一人は、こう喝破した。「重層構造図とは、文章の設計図なんだ」。平井先生は、文章は、有機的重層的構造をなすものであって、重層構造図化することができるという。
中学教師が生徒たちに情熱をもって国語教育をすると、それは大人になった生徒たちの心と頭、そして文章を紡ぎ出す手を豊かなものにしてくれるということを実証した本だと思いました。
文章を分かりやすく書くための二つの心得。その一は、言葉の順序を意識する。その二は、長い文は分割する。
このような素晴らしい本にめぐりあうことができたことをモノカキの一人として大変うれしく思いました。則武先生、ありがとうございました。
(2019年7月刊。非売品)

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