弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2021年7月 8日

一度きりの大泉の話

人間


(霧山昴)
著者 萩尾 望都 、 出版 河出書房新社

1970年から2年間ほど、東京都練馬区大泉の2階家で竹宮恵子と共同生活していたころのことを振り返った本です。
大泉の共同生活を解散したあと、著者は竹宮恵子とはまったく没交渉となり、その作品も全然よんでいないとのこと。なぜか...。
「あなたは、私の作品を盗作したのではないのか?」
「あなたは男子寄宿舎ものを描いているが、少年愛を知らないあなたの作品は偽物(ニセモノ)だ。偽物を見せられると、気分が悪くてザワザワするの」
「書棚の本を読んでほしくない」
「スケッチブックを見てほしくない」
そして、3日後...。
「このあいだの話はすべて忘れてほしい。全部、何も、なかったことにしてほしい」
なるほど、こう言われてしまったら、もう竹宮恵子の作品は読まないという著者の決断は理解できますよね。
この話は、前提として、竹宮恵子は少年愛、つまり少年同士の同性愛に関心があり、それを題材にしたマンガを描いていたことにありますが、これに対して、著者は、少年愛は理解できず、テーマとしていないのです。
著者は、両親とのあいだで激しい葛藤をかかえていました。
「あんたは買い物もできないの」
「あんたはダメ」
これは母親のコトバ。父親は「女には学問はいらない。生意気になるから」と言った。
大牟田で三井の社員だったようです。両親は、マンガを描く仕事をくだらない、恥ずかしいものと思っていた。著者が親と一緒に生活していたときは、親の機嫌をうかがいながら、ビクビクしてマンガを描いていた。何かで親の機嫌を損ねると、親は怒りに血相を変えてすぐにマンガ禁止を言い出した。
著者は大牟田出身。三川鉱大災害が起きた1963(昭和38)年11月9日は、船津中学(「舟」ではありません。14頁)校の2年生で文化祭の準備をしていた。私は、隣の延命中学校3年生でした。土曜日の午後でしたが、何かテストを受けていた記憶があります。ドーンという大音響がしたので3階から外を見ると校舎の遠くに黒煙が見えました。
実は、私の母と著者の母親は福岡女専の同窓生で、著者の母親は我が家によく顔を出していました。私が小学生のころだと思います。なんので、よく顔を覚えていました。大人になった著者の顔写真を見て、「あれっ、お母さん、そっくりだ...」と、つい叫んでしまったほどでした。
竹宮恵子は1950年生まれ、著者は1949年生まれ。同じ学年です。でも、竹宮恵子は先にマンガ家として活躍していました。
著者は竹宮恵子の才能を認めていて、高く評価しています。
青空のような明るさ、いつも前向き、心が伸びやか。
竹宮恵子は著者に嫉妬したのではないか...。そこには排他的独占愛があったのでは...。
著者は無自覚に、無神経に竹宮恵子を苦しめていた...。なので、思い出したくない、忘れて封印しておきたい。
いやあ、才能ある人々の人間関係というのも大変なんですよね...。思わず引き込まれた本でした。
(2021年5月刊。税込1980円)

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