弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2021年7月 3日

戦場の漂流者1200分の1の二等兵

日本史(戦前)


(霧山昴)
著者 半田 正夫 、稲垣 尚友 、 出版 弦書房

語り手は1922(大正11)円12月に大牟田市で生まれ、小学校から与論島で育った。そして、神戸で働くうちに兵隊にとられて、船舶工兵として、海軍ではなく帝国陸軍に入営。
フィリピンに運ばれる途中、乗っていた8万5千トンの輸送船がアメリカ軍の潜水艦の魚雷攻撃を受けて撃沈される。3千5百人の同乗兵が海のもくずとなって戦死。海を票流中に偶然に駆逐艦に助けられ、別の船に移って島へ行く途中、再び魚雷に沈められた。それでも、著者はしぶとく生き残った。同期の船舶工兵1200人のうち唯一生き残ったことから、上官から「1200分の1」と呼ばれるようになった。それで、金鵄(きんし)勲章をもらうことになった。
いま横浜港につながれている氷川丸は病院船としても活躍しましたが、実は、兵器輸送船として活用されていたというのを初めて知りました。制空権も制海権もアメリカ軍に奪われてしまった日本軍はインチキをしていたのです。病院船は赤十字をマークを大きくつけているので、敵から攻撃されることがない。そこで、日本軍は、弾薬、鉄砲、機関銃を氷川丸に積み込んで運んでいた。そして、多くの人が白衣を着ていた。
語り部(半田氏)は、戦場のむごい実際を包み隠さず語っています。戦場で死ぬかどうかというのは、まさに偶然。運が悪ければ、むなしく死んでいくことになりますし、大半の人が、そうやって戦病死していったわけです。そこには英雄的行為はありません。そんな力を発揮する前に亡くなっていったのです。本当に本人も残念無念だったことと思います。
フィリピンの山中にいて、しばらくアメリカ軍による攻撃に対抗していった。フィリピンのアメリカ軍収容所に入れられたあと、日本に帰ってきた。こんな日本人もいたのですね...。みんながみんな、語り部のような強運の持ち主だということはありえません。
(2021年2月刊。税込1980円)

  • URL

カテゴリー

Backnumber

最近のエントリー