弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2021年6月 1日
俺の上には空がある広い空が
司法
(霧山昴)
著者 桜井 昌司 、 出版 マガジンハウス
1967年8月、茨城県の利根町で62歳の男性が殺され預金が奪われた。強盗殺人事件。布川(ふかわ)事件と呼ばれるのは、その男性の自宅のあった地名から。
犯人として、10月に利根町出身の2人の不良青年(20歳と21歳)が逮捕された。窃盗容疑での別件逮捕。警察は2人の若者を「お前は人殺しだ。認めなければ助からない」と責め立てて、ついに2人とも自らの犯行だと認めて「自白」する。
2人と事件をむすびつける物証は何もなく、目撃者も当初はこの2人とは違うといっていたし、現場の毛髪も2人のものではなかった。しかし、検察庁は自白調書をもとに起訴した。裁判所は「やっていない者が自白できるはずがない」として有罪(無期懲役)。高裁も最高裁も一新有罪を是認し、2人は、ついに刑務所へ。29年間、2人は刑務所の中。そして、仮出所後に申立した第二次再審請求が認められて、完全無罪。事件発生から43年がたっていた。
事件が起きた1967年(昭和42年)というと、私が上京して大学1年生(18歳)の秋のことです。貧乏な寮生でしたが、10月ころは試験あとの秋休みで寮生仲間の故郷の長野へ遊びに行っていました。同時に、セツルメント活動にも本格的に身をいれていたころのことになります。
著者は自由を縛られた刑務所の中で、20代を失い、30代を失った。
人間の心をも断ち切る刑務所の中で、母も失い、父も失い、何もできないままに、ひたすら耐え続ける歳月。
裁判のたびに誤判が重ねられて、それでも本人はやめるわけにはいかない。
20歳の秋に始まり、64歳の初夏に終わった冤罪との闘い。43年7ヶ月に及んだ歳月は、まったく無駄な時間ではなかった。自分にとって必要な時間だった。
20歳のころ、著者は意思が弱くて、怠け者で、小悪党のような生活をしていた。
なぜ、無実の人が嘘の自白をしてしまったのか...。当事者になると、それは意外に簡単だった。「やった」と認めた以上は「知らない」とは言えないため、事実の記憶を、日付や時間を事件にあわせて置き換え、嘘を重ねていく。
最初は、「おまえが犯人だ」と責められる目の前の苦痛から逃れたかった。そのうえ、杉山が犯人だと思わされたので、自分の無実は証明されると楽観視があった。警察に戻されると、今後は「死刑」と脅された。そして、後任の検事から「救ってやりようがない」と言われた。ここまでくると、嘘でも「やった」と言ってしまった自分のほうが悪いという気持ちになった。せめて死刑にだけはなりたくなかった。まさか嘘の自白で無期懲役の有罪が確定するとは思わなかった。こんなメカニズムがあるのですね...。
警察は犯人と疑いはじめたら最後、話を聞く耳をもたない。人間は、自分の話を聞いてもらえると思うから話ができる。何を話しても否定され、責められたら、人間は弱いもので心が折れてしまう。警察・検察・裁判所の過ちによって冤罪にされたが、そもそも冤罪を招いたのは自分自身だ。疑われるような生活をしていた自分が悪い。逮捕のきっかけをつくったのは自分なので、誰も責めないし、誰も恨んでいない。
刑務所は不自由が原則だった。自由が許されたのは、考えることだけだった。著者は詩を書き、作詞作曲に励んだ。そのことを自分の生きた証(あか)しにしようと思った。
刑務所は寒さも熱さも敵だ。でも、本当に大変なのは、人間関係だ。もめごとは尽きなかった。刑務所ではケンカ両成敗だ。片方だけを処罰すると遺恨を生んで、さらに深刻なもめごとに発展する恐れがあるから...。下手に仲裁して、ケンカ沙汰になったら、仲裁者も無事ではすまない。そこに意地の悪い刑務官が加わると、ますます面倒なことになった。
靴を縫う仕事を内職でした。1足250円で、月に1万2000円にもなった。10年続けて100万円をこえるお金をもつことができた。
社会に戻ってしたいことの一つが、闇の中を歩くこと。これには驚きました。というのは、拘置所にも刑務所にも闇がない。夜になっても、常に監視する常夜灯がついているからなのです。そして、2011年に四国巡礼を始めた。
著者の歌を聞いたことはありませんが、その話は間近で聞いたことがありました。長い辛い獄中生活の割には、明るくて前向きの生き方をしているんだなと感じました。
この本を読んで、一層その感を深くしました。ご一読をおすすめします。
(2021年4月刊。税込1540円)
2021年6月 2日
福岡県弁護士会報(第30号)
司法
(霧山昴)
著者 会報編集室、 出版 福岡県弁護士会
弁護士にとってきわめて大切な弁護士自治については、他の論稿とは異って対話形式で展開しています。とても重要なテーマが、大変わかりやすいものになっています。
まずは、弁護士自治は戦後に苦闘の末に認められたということが紹介されています。
イソ弁:え?弁護士自治って司法制度ができたときから認められていたものじゃないんですか。
ボス弁:とんでもない。わが国で弁護士自治が認められたのは、司法の歴史の中でも最 近の話だよ。
戦後も、すんなり認められたわけではなく、依然として裁判所の監督下に置こうという動きがあったのでした。
ボス弁:先達の奮闘にもかかわらず、残念ながら結局は、弁護士自治は戦後の1949 (昭和24)年の現行弁護士法の成立によってようやく獲得されたといえる。しかし、その成立過程も極めて厳しいものだったんだ。
姉弁:当初は弁護士に関する事項も最高裁判所が規則を定めることになっていたのよ。
イソ弁:ええっ、そうだったんですか。
ボス弁:裁判所法要綱案でも、弁護士や弁護士会の監督は裁判所が行うという案が作成されていた。
弁護士の人数が増えていること、会費が高いなかで、会員の意識が多様化していることも紹介されています。
姉弁:ちなみに、1998(平成10)年の福岡県弁護士会の会員は527名だったけれど、2020(令和2)年の会員数は1377名よ。実に2.6倍になっているわ。
日弁連の会費年額18万円を含めた年間総額でいうと、高いところでは100万円を超える会もある一方、安いところではその半額以下にとどまる会もあるのよね。
イギリスで、弁護士会が自治権を失ってしまったという衝撃的な事実が紹介されています。日本も他山の石とすべきものと思われます。
ボス弁:イギリスでは、弁護士会は、人事権、規則制定権、予算編成権の独立をいずれも奪われ、自治権を失ったと評価されているよ。
イソ弁:イギリスで弁護士自治が奪われた背景にはどのような事情があったのですか。
ボス弁:イギリスの弁護士自治の崩壊は、「英国病」といわれた長い閉塞状態を打破するためにサッチャー政権、ブレア政権の強い意志で進められたといわれている。
イソ弁:日本の場合は、ときの政権が弁護士会に対して直接圧力をかけてくるという可能性は低いですよね。
姉弁:油断は禁物よ。弁護士自治を確立する歴史にあったように、権力側が活動を妨げようとすれば、それは可能だ...。
司法修習生の給費支給がいったん停止されましたが、弁護士会の粘り強い活動によって、ほぼ復活させることができたことも紹介されています。
ボス弁:実に7年の歳月をかけて弁護士会、日弁連を挙げて取り組み、遂に市民、社会からも共感を得ることができた。
姉弁:その結実が2017(平成29)年の修習給付金制度ですね。
以上のように、弁護士自治は昔からあって当然というのではなく、まさしく「油断は禁物」という状況にあることが語られています。ぜひ本文を手にとってお読みください。
2021年6月 3日
この生あるは
中国
(霧山昴)
著者 中島 幼八 、 出版 幼学堂
中国残留孤児だった著者が3歳のとき中国と実母と生き別れ、16歳のときに日本に帰国するまでの苦難の日々をことこまやかに描きだしています。
それは決して苦しく辛い日にばかりだったというのではありません。人格的にすぐれ、生活力もある養母から愛情たっぷりに育てられ(いろんな事情から養父は次々に変わりますが...)、近所の子どもたちとも仲良く遊び、また教師にも恵まれ、ある意味では幸せな幼・少年期を過ごしたと言える描写です。読んでいて、気持ちがふっと明るくなります。
この本には底意地の悪い人間はまったく登場してきません。「日本鬼子」と言って幼・少年期の著者をひどくいじめるような子どももいなかったようです。
著者の育ったところが、そこそこの都会ではなく、へき地ともいえる環境(地域社会)なので、お互いの素性を知り尽くしていたからかもしれません。
子どものころの自然環境の描写もこまやかで、見事です。車に乗って出かけるというと、それは自動車ではなく、牛車です。
靴は布を何枚も重ねた布靴で、養母の手づくり。友人のなかには、布靴がすり切れたらもったいないので、裸足で学校に来る子もいます。
3歳の日本人の男の子を引きとった養母は「私が育てます」と宣言し、消化不良でお腹だけが大きくふくらんでいたので、夜と朝、お腹を優しく揉んでやった。食べ物も消化のいいものにして、主食の粟(あわ)をお粥(かゆ)にして、それを口移して食べさせた。
実母は日本に帰る前に著者を引き取ろうと養母の家にやってきた。村の役人は、3歳の著者に実母か養母か選択させることにした。3歳の子は、まっしぐらに養母のもとに駆け込んだ。そのころの子どもって、やっぱりそうなんですよね。毎日、面倒みてもらっていたら、そちらになつくのが自然です...。
なので、著者は3歳のときに実母と生き別れ、16歳で来日するまで実母とは会えませんでした。それでも、その後の中国での日々は養母に愛情たっぷりに育てられたことがよくよく分かる話が続きます。
小学生のとき「小日本」と蔑称でいじめられた。そのことを教師に告げると、言った生徒は教師から補導された。しかも、行政当局から小学校に連絡がきて、日本の留置民に対して侮辱的な言葉をつかう生徒がいる。その傾向を是正するよう教育を強化せよというものだった。それは全校で徹底された。当時の中国は理想に燃えていたのですね。
あとの文化大革命のときには、日本人はスパイとか外国に内通しているとか、無謀な罪名をつけられましたが、幸いにして著者はその前に日本に帰国しています。
著者は小学校ではクラスメイトにも教師にも恵まれて楽しく過ごしたようです。章のタイトルも「愉快な学校生活」となっていて、養母に愛情たっぷりに育てられていたため、変にいじけることもなく、教師からもきちんと評価されて少しずつ自信をつけ、のびのびと楽しく過ごしたのでした。ここらあたりは、読んでるうちに楽しさがじんわり伝わってきます。
河でザリガニを捕まえて自宅にもち帰る、穀物の精製に使うローラー状の石臼で圧搾する。その絞り汁をスープに入れると、蟹(カニ)豆腐のようになる。なんとも言えない美味の感覚が今も舌先に残っている。うむむ、ザリガニをスープに入れて味わうなんて...。
著者は1955年、日本に帰国するが尋ねられたとき、次のように返事した。当時13歳なので、今の日本の中学1年生に当たるだろう。
「ぼくを無理矢理に汽車に乗せても、汽車から飛び降ります。絶対に日本へ行きません」
これは著者の本心で、誰からも強制されたものではなかった。養母の顔をうかがって言ったというものでもなかった。これは、中国で育つなかで、日本は他国を平気で侵略する恐ろしい国だという強いイメージをもっていたことにもよる。
ところが、さらに年齢(とし)をとると、外の世界への憧れ、親しい物事への好奇心が強まり、背中を押してくれた教師の言葉から日本へ帰国することになった。
このあたりの心理描写はよくできていて、なるほどと説得力があります。そして、ついに16歳のとき慌しく日本に帰国したというわけです。
400頁をこす大著ですが、なんだか自分自身も子ども時代に戻って、そのころの幸せな気分を味わうことができました。いい本です。一読をおすすめします。
(2015年7月刊。税込1650円)
2021年6月 4日
「弁護士のしごと」
司法
(霧山昴)
著者 永尾 広久 、 出版 しらぬひ新書
弁護士生活47年になる著者が、これまで扱ってきた事件などを広く市民に知ってもらおうと書いているシリーズ本で、これまで4冊が発刊されています。5冊目のサブタイトルは、「黙過できないときは先手必勝」。たしかに後手にまわると失地挽回は苦しいことが多いですよね。
いくつかのテーマごとに話はまとめられています。今回は、まずは「男と女の法律相談」。著者は20年以上も「商工新聞」で法律相談コーナーを担当しています。短いスペースで要領よく、しかも正確に回答するのは難しいけれど、なんとか続いているそうです。この分野は、弁護士にとって途切れることのない種(たね)になっているといいます。
著者のライフワークのひとつである労働災害をめぐる裁判が紹介されています。家屋の建築・解体現場での足場からの転落事故は重大な後遺障害をもたらすことがある。そんなときに元請会社の責任を問えるのか...。なんとか一定の賠償を勝ちとった話が紹介されていて、いくらか救われます。それにしても、脊髄を損傷した人の日常生活は本当に大変。家屋の改造、そして家族の付き添いなど...。
公事師(くじし)は江戸時代に活躍した、今でいう弁護士のような存在。江戸時代には、実は裁判に訴える人々は多く、公事師のいる公事宿(くじやど)は大いに繁盛していました。ええっ、そんな事実があったの...。しかも、訴状その実例が寺子屋の教材として子どもたちに教えこまれていたというのです。読み書きソロバンを教わった寺子屋の卒業生たちが公正な紛争の解決を求めて裁判所に駆け込む流れはとめられなかった。すると、裁判する側も、いい加減な対応は許されなかった。そんなことをしたら、自分たちの存在意義をなくしてしまうから。なので、当局は、必死で両者の顔を絶つ解決を目ざした、というのが実情だというのです。
そして、最高裁判所がなぜ「サイテー裁判所」と言われることがあるのか...。弁護士会の役員になるには、どんな苦労が必要なのか...。部外者からは分かりにくい当事者の「告白」が満載のシリーズになっています。
興味をもった人は、しらぬひの会(0944-52-6144)へFAXで申し込んだらよいことを紹介します。
(2021年5月刊。税込500円)
2021年6月 5日
特務(スペシャル・デューティー)
社会
(霧山昴)
著者 リチャード・J・サミュエルズ 、 出版 日本経済新聞出版
日本人は、誰もが、男でも女でも、生まれながらのスパイである。
これは、蒋介石の言葉だそうです。ええっ、そ、そんな...、本当でしょうか。
冷戦期の日本は、CIAはもっていなかったが、KGBは実際にもっていた。それは、警察、外務書、防衛庁だ。ええっ、これにも驚かされますよね...。
日本のインテリジェンス部署は、小規模で包括的でなく、調和せず、財源不足で、長く続く政治的敏感性(とくにスパイの使用に関して)の結果、不必要に複雑だ。彼らは、みな相互不信の環境にある。
日本の陸上自衛隊のインテリジェンス部隊は、アメリカのパートナーには秘密のコードネームの下で稼働していた。
今日では、日本の分析官はもっとも進んだ宇宙スペースの画像処理技術の多くを用いて、中国の空母のデッキに並んで立っている5人のパイロットと1人の儀典官を識別できるという。
1997年、日本は、シギント(通信情報)とイミント中心の防衛庁情報本部を設立した。
データマイニングは、いまでは干し草の山のような情報の中から脅威をもたらす針を探し出すことを可能にしている。
6要素とは、収集、分析、伝達、保全、秘密工作、監視。収集は、常に故意に流された偽情報に立ち向かい、打ち勝たなければならない。
アメリカの秘密工作を担当する特殊計画局は、2800人の職員を擁し、イタリアや日本で反共政党を招集し、イラン、インドネシアなどで左傾政府を動揺させた。
日本の陸軍は、1917年から1937年までの20年間に、私立の英語の語学学校に75人の士官を送り込んで英語を身につけさせようとした。中国語に102人、74人をドイツ語に、63人にフランス語を学ばせた。ええっ、英語の比重の低さに驚かされます...。
ムサシ機関が、陸幕二部班として知られている。彼らは、基地の外で、私服で活動し、国内や東アジア全域で共産主義者を監視するようになった。山本舜勝は、日本帝国陸軍の情報将校であり、中野学校の教官であり、警察予備隊に参加している。
2014年から2015年にかけて、特定秘密は25%も増えた。
日本の特務(スパイ機関)はまったく霧の中で、見えませんよね...。
(2020年12月刊。税込3300円)
2021年6月 6日
清華大生が見た中国のリアル
中国
(霧山昴)
著者 夏目 英男 、 出版 クロスメディア
清華大学といったら、中国の超エリート大学です。中国のトップ大学は、精華大学と北京大学。現在の国家主席の習近平、その前の胡錦涛も精華大学の卒業生です。工業系大学としては、マサチューセッツ工科大学(MIT)を抑え世界1位と評されています。
著者は、そんな精華大学の日本人学生なのです。すごいですね...。
清華大学に入ると、学生は全員が大学寮に入る。全寮制。門限はないが、消灯時間は夜の11時。4人1部屋。
清華大学のキャンパスは東京ドーム84個分の広さで、そこに5万人の学生と4千人の教職員が住んでいる。そこは何でもそろっている学園都市。
「海亀」(ハイグイ)は、開学のトップ大学に留学し、卒業したあと、中国に帰国した学生のこと。2018年の中国人海外留学生は66万人強。チャイナ・イノベーションは、海亀が牽引している。
習近平の中国共産党は「天下の人材を一堂に集めて活用する」という戦略をとっている。なるほど、ですね。
ところが、日本人学生の海外留学は減少傾向にあります。パスポートをもっている日本人は、人口の23%のみ。G7では最下位。若者が海外の治安の悪さに恐れをなして、海外へ出ていこうとしない...。
日本の大学生は、アルバイトするのがあたりまえ。ところが、中国や韓国では、学生はアルバイトをほとんどしていない。中国では学費が安く、寮費がタダで、食事も安く食べられるから...。
清華大学では、朝8時からの第1時限の講義を聞くため、自転車が集中して渋滞まで起きる。ええっ、大学内で自転車の渋滞だなんて...、信じられません。
アリババの創始者であるジャック・マーとテンセントの創始者であるポニー・マーの2人についても詳しく紹介されています。
変化の速い中国の実情の一端が日本人大学生の目で紹介されている、面白い本でした。
(2020年10月刊。税込1628円)
2021年6月 7日
あなたは、こうしてウソをつく
人間
(霧山昴)
著者 安部 修士 、 出版 岩波科学ライブラリー
人間はよくウソをつく。アメリカの研究では人は平均して1日に1回、学生だと2回、ウソをつく。日本でも学生が1日に2回ウソをつくというレポートがある。
ええっ、本当でしょうか...。まあ、ウソも方便というように、たしかに潤滑油になることもありますよね...。私は弁護士として、「許されたウソもある」とよく言います。なんでもバカ正直に言えばいいというものではないからです。
ウソとは、意図的に相手をだますような、真実でない言語的陳述。「意図的に」とは、「故意に」ということ。
ウソをつく理由。
①自分のためか、他人のためか。
②利益を得るためか、不利益や罰を避けるためか。
③物質的な理由か、心理的な理由か。
ウソをつく理由は多様で、複合的である。
ウソは、人間が円滑な社会生活を営むうえで必須のルールでもある。
ウソは簡単には見抜けない。言いよどみ、言い間違い、声の高さや話す速さ、視線やまばたきなど、顔から得られる情報もある。手や足、頭の動きや姿勢など、さまざまな体の動きも手がかりになる。しかし、これらの手がかりに着目(こだわる)すると、むしろウソを見抜けなくなることもある。
脳波の研究では、虚偽検出にはP300と呼ばれる電位が有効だと考えられている。
fMRI(機能的磁気共鳴画像法)は、脳の深部の活動をとらえるのを可能にする。しかし、虚偽検出のためのツールとして有効に使えるものではない。
人間の記憶は、ビデオカメラのように正確なものではない。自分のでっち上げたウソが時間の経過とともに、記憶の中で真実として置き換わってしまうことがある。
人間には一度ウソをついてしまうと、その後もウソをつき続けてしまうことがある。
男性は女性よりも利己的なウソをつくことが多く、利他的なウソは女性に多く見られる。
男性の利己的なウソは相手が男性のときに多く、一方で女性の利他的なウソは相手が女性のときに多い。
若い人ほどウソをつきやすい。ウソの頻度は、発達とともに上昇し、青年期にピークとなり、その後は下がっていく。
知能が高ければウソをつきやすい、あるいはウソをつきにくいといった単純な関係性はない。
人間は3歳児からウソをつけるようになる。4歳~5歳児は、間違いとウソの違いを区別できる。
自然に発現する正直さは、人間の本質的な善の要素を示しているが、同時に、誘惑への克己をもとに発言する正直さも、人間が理性によって善を実施できる一例。
性善説と性悪説は連続体として考えるのがより適切。
この本を読みながら人間とウソとの関係を考えてみました。よくよく弁護士って、日常にウソにまみれた職業でもあります。なので、身近なものとして面白く読み通しました。
(2021年1月刊。税込1430円)
2021年6月 8日
檻の中の裁判官
司法
(霧山昴)
著者 瀬木 比呂志 、 出版 角川新書
この著者の本は、決してすべてではありませんが、何冊も読みました。裁判所と裁判官についての実情認識についてはほとんど異論がありません。
かつて裁判官のなかに印象の鮮やかな人、個性的な人が、多くはなかったが、存在した。人間的な美点、温かみや相当の知性、視点を備えた人が一定の割合でいた。そんな人が減っていった。
かつての裁判所には、ゆとりや隙間があった。ところが今では、裁判所の官僚的支配、統制、管理が進み、職人的裁判官が減り、そつなく事件を処理していく司法官僚に変わっている。
日本の裁判官は、できるかぎり波風を立てず、大過なく、思い切った判決をしない方向へ流れていきやすい。
賄賂で買収される裁判官はいないが、裁判所当局によるコントロールで動いているのが現実だ。これで、本当に自由で公正だと言えるものなのか...。
いま、若手裁判官中心に「コピペ判決」の傾向が強まっている。形式的には一応ととのっているが、その内容は裁判官が自分の頭でじっくり考えて全部を構成したものではないから、中身が薄く、また読みにくいものになっている。
裁判官としての自負やモラル、それを支える基礎的な教養も欠いている裁判官たちだ。権威主義、事大主義的傾向も強まっている。
日本の裁判官は、事案と当事者をよく理解したうえで、個々の事変について、ささやかな正義の実現を図るという志向が十分ではなく、事件を手早く処理する方向に傾きがちだ。そして、大きな正義の実現については、きわめて及び腰で、現状追随、権力補完的傾向が強い。この分析には、残念ながら、まったく同感です。本当に残念ですが、そのとおりとしか言いようのないのが日本の裁判の現状です。なので、ごくごくたまに、「自分なりの視点、物事に対する洞察力、本当の意味での人間知、謙虚さ、人権感覚、民主的感覚」という要素をもった裁判官に出会うと、めったにそんなことはありませんが、心が震えるのが自分で分かるほど感激してしまいます。
ということで、この本に書かれていることの多くは同感なのですが、著者が、何回も「左派法律家」なる存在をあげつらって、ことさら批判するのには大いなる違和感があります。よほど、過去にトラウマになるような「被害」経験でもあったというのでしょうか...。私も、著者のいう「左派法律家」の一員になるのでしょうが、こんな余計な決めつけコトバを抜きに、まともな議論をすすめてほしかったと思いました。その点だけは残念ですが、一読の価値は大いにあります。
(2021年3月刊。税込1034円)
2021年6月 9日
ルポ・トラックドライバー
社会
(霧山昴)
著者 刈屋 大輔 、 出版 朝日新書
私の依頼者にはトラックドライバーの人たちが何人もいます。話を聞くと、本当に大変な仕事だとつくづく思います。必要な仕事なのに、その労働条件がすごく悪化しているというので、私まで腹が立ちます。
かつては、トラックドライバーは、「仕事は激務だが、3年ガマンして働いたら家が建つ」と言われていた。たとえば、佐川急便のセールスドライバーの年収は1000万円を超えていた。ええっ、ウッソーですよね...。
今やトラックドライバーの労働環境は一変した。「3K(きつい、汚い、危険)なのに稼げない」仕事、「稼げない」の頭文字を加えて「4K仕事」になっている。
長距離トラックの運転手が自宅に戻るのは、週に2日ほど。出発前の食事は運転中に眠くならないよう、軽くする。
トラックドライバーの仕事は、肉体的、精神的な負荷が大きいうえ、拘束時間が長い。
大型車ドライバーは2580時間、中型車ドライバーは2496時間。一般より大型の42時間、中小型35時間も長く働いている。
トラックドライバーはピーク時に90万人いた。2015年には80万人。
トラックドライバーの7割は40代以上で、15%は60代以上が占めている。
事業者の7割が人手不足を訴えている。
軽トラ・ビジネスは、2015年に15万4000社、2018年には16万3000社に増えた。軽トラ業界は、いま完全な売り手市場で、人手不足。
アマゾンは、日本国内での自社配送率を高めていこうとしている。ドライバーの時給は2000円、しかも、報酬は週払い。
アマゾン対応で、ヤマトをふくめ宅急便の現場は完全に疲弊してしまった。「当日配達」を停止したのは、ドライバーたちの長時間労働を是正するためだった。
コロナ禍の下、企業と個人間の取引は「巣ごもり消費」の拡大で急伸している。必要な仕事なのに、その待遇が悪化しているなんて、やっぱりおかしいですよね。世のなかの矛盾のあらわれのひとつではないかと思いました。
それにしても、宅急便をドローンで運ぶのだけはやめてほしいです。上からいつ物が落下してこないか、気になって仕方ありません。空を見上げたら荷物が飛んでいるなんて、マンガの世界だけで十分ですよ...。
(2020年11月刊。税込869円)
2021年6月10日
後期日中戦争
日本史(戦前)
(霧山昴)
著者 広中 一成 、 出版 角川新書
著者は後期日中戦争が混迷した主たる要因の一つは、日本が日中戦争に明確な目的を示せなかったことにあるとしています。盧溝橋での偶発的な衝突により始まり、関東軍の出先幹部の暴走であり、日本政府や陸軍中央が組織的計画によってすすめたものではない、というのです。
「東亜新秩序の建設」という抽象的な大義名分では、日中両軍の軍事衝突を止める効果はなく、日本は何ら解決の糸口を見出せないまま、強国である米英を相手とする太平洋戦争まで始めてしまった。
目的なき日中戦争を始めた時点で、日本の敗北は事実上決まっていた。日中戦争の後半は、その作戦の大半が、太平洋戦線の展開に大きく影響を受けながら立案・実施されている。第二次長沙作戦は、香港作戦を容易にするための防動作戦。浙かん作戦は、ドーリットル空襲への反撃、湘桂作戦(一号作戦)はアメリカ空軍による日本本土空襲を防止するための中国南西部敵飛行場攻撃が目的だった。
太平洋戦争に引きずり込まれた中国戦線は、国民政府のある中国奥地の重慶方面へ進むよりも、南方戦線に近い中国南部から西南部方面へと広がった。日中戦争は、ゴールの見えない、果てなき戦いとなった。
日本が敗戦したあと、蒋介石がすぐに日本軍を武装解除しなかったのは、すでに強大な勢力となっていた八路軍の動きを抑える目的があった。しかも、蒋介石とその部下の多くは若いころ日本に留学して陸軍士官学校などで訓練を受けた経験があり、岡村寧次総司令官をはじめとする日本陸軍の将校らと実は親しい関係にあった。これは知りませんでした...。
浙かん作戦前年の1941年の時点で、日中戦争での日本軍の戦没者の半分は、戦いで命を落とす戦死ではなく、戦病死だった。日本軍将兵の敵は中国軍と病の二つだった。しかも、その病は、実は、日本軍の七三部隊がまいたペスト菌などによるもので、まさしく自業自得だった。いやはや、なんということでしょうか...。そして、日本軍は細菌だけでなく、毒ガス兵器もつかっていたのです。
日本が一号作戦のため第三師団など華中にあった主力部隊を南下させたことから、八路軍と新四軍は、その軍事的圧力から解放され、本格的な反撃に転じることができた。一号作戦は8ヶ月に及んで日本本土空襲を阻止するための敵飛行場の占領を達成することができた。しかし、そのときには、さらに奥地の飛行場から次々にB29が飛び立って日本本土を襲っていた。つまり、第三師団をはじめ、第11軍の将兵が命がけで戦い抜いた一号作戦は、結局、劣勢な戦況を打開することはできずに終わった。
軍人の単純な頭に国のカジ取りをまかすことはできないということですよね。
昔のバカな話と思ってはいけません。今の自衛隊のトップたちのなかにも議員バッジをもって日本の国政を左右しようと考えている人々が次々とうまれていることを忘れてはいけません。彼らは、国民を守るのではなく、国を守ると称して、軍需産業と自分たちの利権を図っています。それが残念ながら戦争をめぐる古今東西の不変の事実です。
(2021年4月刊。税込1012円)
2021年6月11日
シルクロード全史(上)
世界史
(霧山昴)
著者 ピーター・フランコパン 、 出版 河出書房新社
世界史をひもとくと、知らないことだらけです。
ローマでは、剣闘は長いあいだ代表的な娯楽だったが、キリスト教徒が命の尊厳を貶(おとし)める見世物に強い嫌悪感を示したことから、廃止された。
「血なまぐさい光景は我々を不快にする。ゆえに剣闘士の存在を全面的に禁止する」
うむむ、これはいいことですね...。
ところが、アフリカの奴隷貿易については、キリスト教徒の多くが人間を奴隷として扱うことに道徳的な嫌悪感を示すことはめったになかった。売り手も買い手も、商品である人間の感情など考えもしなかった。それはキリスト教徒だけでなく、ユダヤ人もイスラム信徒も同じこと。
ヴァイキングの社会にとって、奴隷は欠かせない要素であり、経済の要(かなめ)だった。マルセイユは奴隷売買は盛んなところだった。地中海とアラブ世界では、奴隷があまりにも広く浸透していたため、イタリア人の挨拶するときの「チャオ」は、もともとは、「こんにちは」ではなく、「私はあなたの奴隷です」という意味だった。うひゃあ、ちっとも知りませんでした。
卓越した戦略と、戦場での駆け引きの巧みさにより、ムハンマドと信者たちは、圧倒的勝利を重ねた。ムハンマドは、620年代にユダヤ人に助けを求めた。ユダヤ人は、アラブ人をローマの支配からの解放者として歓迎した。
ジンギスカンの武力行使は技術的に高度であり、戦略としても巧妙だった。要塞化された標的を長期的に包囲するのは難しく、費用もかかる。大規模な騎馬軍を維持するには、放牧も必要とする。馬たちは周囲の草をすぐに食べ尽くしてしまう。
モンゴル人は、占領した都市の一部では大規模な資金を投じてインフラを整備した。
オランダの成功を支えたのは、高度な造船技術。
話が急にあっち、こっちへ飛んでいくので、ついていくだけでも大変ですが、内容は豊富で、感嘆するばかりの本でした。
(2020年11月刊。税込3960円)
2021年6月12日
しゃにむに写真家
人間
(霧山昴)
著者 吉田 亮人 、 出版 亜紀書房
これは面白い。読ませます。私は何の期待もせず、車中で読みはじめました。ところが、なんとなんと、ええっ、そ、そんなことを奥さんから言われて写真家を志(こころざ)しただなんて...。信じられない展開が次から次に登場してきて、まったく目が離せません。車内放送もまったく耳に入らないうちに終点となりました。いやはや、とんだ経過と修行の結果、ついに立派な写真家になったのですね...。
写真家になる前は小学校の教員、5年目でした。奥様も同じ仕事。その奥方が、夫に向かってのたまわった。言葉は次のとおり。
「この家に公務員は2人もいらん。1人でいい。だから、あなたは教員やめて」
ええっ、なぜ...。
「自分の手で自らの人生を切り拓いて、道をつくっていってる姿を子どもに見せるのが親の役目...」
ふむふむ、なるほど、それで...。
「私は安定の道を進むから、あなたはいばらの道を行って。そして荒波を突き進んでいって、私と子どもに、その先に見つけた新しい風景を見せてほしい。父親って、そういう姿を子どもに見せるべきなんだから...」
ええっ、これって本当に言われたの...。信じられなーい。
夫として、父として、一人の人間として、この一度きりの人生をどう全うするのかという大きな命題を妻からいきなり突きつけられた。さあ、どうする...。
一晩寝て、翌日、著者は教員をやめると妻に告げ、妻はそれを受け入れた。では、何をやるのか...。思いつきのようにして写真家になることになった、のです。
それを知って、著者の父が宮崎から京都へやってきた。断乎反対、息子の転職を食いとめようと思って...。ところが、妻が夫の父に断乎として応対した。
「私たちはこう生きていくって決めたので、それを暖かく見守ってもらえませんか」
夫の父は、もちろん承知しない。
「あんたたちの人生はオレたちの人生でもあるとぞ」
「私たちの人生は、おとうさんの人生ではないです。私たちがどう生きようと、誰も口出しできる権利はありません。これ以上、何も口出ししないでください。うまくいかなかったら、私に見る目がなかったと思いますし、恥ずかしい思いも甘んじて受け入れます。何もせず、ただ、見守ってやってください。それが親の役目だと私は思います」
ドラマのセリフでも、こんな見事なタンカを私は聞いたことがありません。思わず、息を呑むほどのすごさです。そして、著者は妻のタンカに発破をかけられ一念発起して、一路、写真家へ成長をたどる...。なんてことはありません。それはありえないことです。それほど職業家としての写真家になることが甘い道であるはずがありません。でも、ともかく著者は現場に通い続けたのです。もちろん、奥様の支えがあってのことです...。
とりあえず著者は、2010年8月から2ヶ月間、インドを自転車で走破する旅に出ました。これまた、すごい、すごすぎます...。しかし、辛い日々でした。途中で、著者が唱えた呪文は、なんと...。「もう帰りたい、日本に帰りたい、今すぐ帰りたい」
そう言いながら、一本道を毎日70キロから100キロも自転車で走ったのでした。よく身体がもちましたね。そして無事でしたね...。
自分で発案した旅なので、誰も責められない。自分を徹底的に恨んだ...。ところが、人との出会いで、元気をとり戻してもいくのです。行く先々で人々から親切にしてもらったというのですから、よほど著者の人柄がいいのでしょうね...。
途中で、インドの染織工芸品をつくる工場に入っていった。そこの労働者たちは、こう言った。
「仕事を楽しいと思ったことはない。大変だと思ったこともない。嫌だと思ったこともない。なぜなら、これは神から与えられた仕事だから。オレたちは、それをやるだけなんだ...」
うむむ、しびれますよね、このセリフ...。
日本でカメラマンとして仕事を始めたころ、著者をつかってくれた人がこう言った。
「今日、ずっとキミの仕事を見ていたけれど、正直ものすごく不安だった。頼んだ側に現場で不安をいだかせるようなカメラマンではダメだよ。キミには仕事が来ないと思うよ」
いやあ、きつい言葉ですね。著者の頭が真っ白になったそうですが、当然ですよね...。
カメラマンの腕というのは、撮影技術はもちろんのこと、撮影現場を主体的に回し、雰囲気をつくり、適格に撮影していく能力にあらわれる。雰囲気をつくるだけでなく、商品そのものやモデルそしてセットも細やかな気配りをしながら、現場全体を冷静に把握する能力が必要だし、クライアントや政策チームに対してより良い提案をする積極性、そして臨機応変さも必要。そのどれをも的確に丁寧にやってのけてこそ、はじめて信頼してもらえる。なーるほど、プロとはそういうものなんですよね...。
写真は誰でも撮れる。でも、写真は誰でもは写せない。「写す」ためには、自分の中にある、自分だけの情熱が必要。カメラという道具を何も考えずに使えるようになるころ、新しい表現が生まれる。最初は広く見る。そして、そこから深く潜ることが大切。
バングラデシュのレンガ工場で働く労働者の写真の迫力は、まさしく圧倒的です。その目つきの鋭さには言葉を失ってしまいます。写真家になるというのが、本当に大変なことなんだっていうことがよくよく分かる本です。
もしも、疲れたなっていう気持ちに浸っていたら、ぜひ読んでみてください。何かが、きっと得られると思います。
(2021年2月刊。税込1760円)
2021年6月13日
図解・武器と甲冑
日本史(戦国)
(霧山昴)
著者 樋口 隆晴 、 渡辺 信吾 、 出版 ワン・パブリッシング
この本を読んで、前から疑問だったことの一つが解き明かされました。馬のことです。
日本古来の馬(在来馬)はポニーくらいの小さな馬なので、戦闘用の乗馬に適さないとされてきた。今の競馬場で走るサラブレッドのように馬高が高くないからだ。しかし、今では、それは否定されている。日本在来馬は、疾走時の速力こそ低いが、持久力に富み、その環境にあわせて山地踏破性に優れていた。
そして、日本には蹄鉄(ていてつ)の技術がないため、長距離を走れない、去勢しないので、密集して行動できないとされてきた。しかし、日本在来馬は、蹄(ひづめ)が固いのが特徴で、アジア・ヨーロッパよりも戦場の空間が狭く、長距離を疾走する必要がない。むしろ、どのタイミングで馬に全力疾走させるのかが武士に求められる技量だった。
武士たちは扱いに困難を覚えても、戦闘のために気性の激しい、去勢していない牡馬(オスウマ)を好んでいた。そして敵も味方も、日本の馬しか知らないので、日本の馬が劣っているとは考えていなかった。
日本在来馬は、大陸から輸入した大型馬との交配によって日本馬の体格は向上していた。当時の日本馬は、西洋馬と比較すると頭が大きく、胴長・短足を特徴とした。現代の目からすると小型に思えるが、アジアの草原地帯の馬としては平均的な体格。
成人男性が大鎧(よろい)と武具一式を身につけると、およそ90キログラムにもなる。馬は、それに耐えなければならない。と同時に軍馬として、気性の激しさが求められていた。そうすると、去勢術を知らなかったのではなくて、気性の激しさを求めて去勢しなかったということなんですね...。
この本は、日本古来の戦いから戦国時代までの戦闘場面が図解され、また戦闘服と武器も図示されているので、大変よくイメージがつかめます。
武田(信玄)家には、部隊指揮官として、「一手役人」と呼ばれる役職が存在した。手にもつ武器は長刀(なぎなた)。隊列のうしろで目を光らせ、敵前逃亡者を処罰するのが役目。逃亡者は長刀で切り捨てる。
独ソ戦のとき、スターリンが最前線の軍隊のうしろに、このような部隊を配置していたことは有名です。兵士は前方の敵と戦いつつ、うしろから撃たれないようにもする必要がありました。
日本で使用された火縄銃は、ヨーロッパでは狩猟用、または船載用だった。このため、地上で使用される軍用銃より軽量で、狩猟用なので、命中率に優れていた。そして、この火縄銃には黒色火薬が使われていて、射撃すると、銃口と火辺の双方から大量の白煙が噴き出した。
大変わかりやすく、イラストたっぷりで、とても勉強になる本でした。
(2020年9月刊。税込2420円)
2021年6月14日
虫は人の鏡、擬態の解剖学
昆虫
(霧山昴)
著者 養老 孟司 、海野 和男 、 出版 毎日新聞出版
虫屋の著者と虫写真の専門家による画期的な本です。なぜ、虫が面白いか...。なにより形と色。そして、その多様性だ。虫は面白い。見ているだけで退屈しない。いろいろ見ていると、しだいに区別がつくようになる。
擬態にはじめて気がついたのは、ダーウィンと同世代のイギリス人のベイツ。アマゾンで昆虫を採集していて気がついた。
派手で有毒な虫が食われにくいので繁栄する。すると、派手であっても毒のない虫までもが食われにくくなる。これも一種の擬態。
虫の世界では、年中、「トラが出る」。ふだん、すなおに生きているときには、べつにトラ模様ではない。しかし、たとえば羽を開くと、なんのことわりもなしに、だしぬけにトラ模様が出現する。ふだんはなにげない顔つきをしていて、なにかの拍子に「ワッ」と他人を脅かす。同じように、突然、目玉を出す虫がいる。それがいいのだ。
人間には、クモ嫌いとヘビ嫌いがいる。私は、ヘビ嫌いです。庭に長いヒモ状のものが落ちているだけでもダメです。ところが、モグラのいるわが家の庭には、ずっとずっと歴代ヘビが棲みついています。何年も前のこと、ヒマワリ畑になっている一角で、ヘビがぶら下がって昼寝をしているのを、雑草を抜いていた家人が上を見上げて気がついて腰を抜かしたということもありました。ヘビの抜け殻を、ときどき庭のあちこちで見かけますので、ヘビが生息しているのは間違いありません。
運動のための必要最小限の装置をエネルギーももっている。運動と栄養という二つの条件を、二つの細胞がどちらかに分担することが有利。なので、一方は運動に専門化し、他方は栄養に専門化した。それが精子と卵子だ。
虫によっては、親が子どもの世話をする。コオイムシは、雄の背中に雌が卵をうみつける。
ハサミムシは、親は卵を保護し、かえった幼虫を見張り、ついには子どもに食われてしまう。親の鑑(かがみ)だ。オーストラリアのゴキブリのうちには、子どもを養育するものがいる。種によっては腹に腺があって、その分泌液を子どもがなめる。哺乳しているのと同じ。
虫、ムシ、むし、決して無視できない生きものたちの生きざまを知ることができます。
(2021年2月刊。税込2420円)
2021年6月15日
闇の権力、腐蝕の構造
社会
(霧山昴)
著者 一之宮 美成 、 出版 さくら舎
九州から、はるか遠くの大阪を眺めると、デタラメ放題の維新政治をマスコミをはじめとして大いにもてはやす人がいるのが不思議でなりません。
コロナ対策にいいとイソジンを推奨したり(吉村知事)、雨合羽が必要だと高言して(松井市長)、寄せられた大量の雨合羽を市庁舎の地下に埋蔵して放置したり...。こんなとんちんかんなことを言うのは、まだ笑い話みたいに許せるのかもしれません。でも、コロナ禍が迫っているなかで公立病院の閉鎖を強行し、また、保健所を次々に廃止するなんて狂気の沙汰でしかありません。その結果として現在の医療崩壊がもたらされたのです。コロナに感染しても病院に入れずに自宅待機中に次々に患者が亡くなっている深刻な状況が報道されているにもかからわず、吉村知事も松井市長も平気な顔をして責任をとろうとしません。どうして、大阪人が、こんな無責任な連中を許しておくのでしょうか、不思議でなりません。
この本は、維新府政になってから医療職員と保健師が激減した事実を怒りをこめて指摘しています。これを読んだ私は心を痛めるばかりです。「二重行政のムダ」として、病院の統廃合をすすめている維新の府政は府民の生命と健康を守る立場に立っていないとしか言いようがありません。そして、維新が言うのはカジノによる経済振興です。ひどすぎます。
IRはカジノ開業と直結させるのが狙い。大阪万博は会場が同じカジノへ誘客を意味している。ところが、まあ、そんなカジノ誘致もコロナ禍の下で幸いにも頓挫しているようです。アメリカのカジノ業者(MGM)は大阪から撤退を決めたと報道されています。
カジノ汚職で自民党の国会議員についての刑事裁判が進行中ですが、大阪でのカジノ計画もコロナ禍でうまくいくはずがありません。まあ、それにしても、よくぞ汚い金で人心を惑わせようとうごめく人々がこんなにもいるのかと呆れます。それに惑わされている大阪人に目を覚ましてくださいとお願いしたい気分になる本でした。
(2021年4月刊。税込1650円)
2021年6月16日
自由法曹団物語
社会・司法
(霧山昴)
著者 自由法曹団 、 出版 日本評論社
家屋明渡執行の現場で、荷物の運搬・梱包のためにやってきた補助業者の男性は、居間で母親(43歳)がテレビで中学2年生の娘の運動会の様子を見ているのを目撃した。その横に当の娘がうつ伏せになっている。
母親は男性に、「これ、うちの子なの」と画面に映る娘の姿を指さした。そして、運動会で娘が頭に巻いていた「鉢巻きで、首を絞めちゃった」と言い、「生活が苦しい」、「お金がない...」とつぶやいた。娘は死んでいた。母親に首を絞められたのだ。母親は自分も死ぬつもりだった。まさしく母子無理心中になりかけた場面である。
8月末に、退去・明渡の強制執行の書類が留守中に貼られていた。母親は、この強制執行の日、ぎりぎりまで娘と一緒にいたかった。自分だけ死んで残った娘は国に保護してもらうつもりだった。娘を学校に送ってから死ぬつもりでいると、娘が母親の体調を心配して学校を休むと言ったので、計画が狂った。裁判で母親は、なんで娘を殺すことになったのか...、分からないと言った。
こんなことが現代日本におきているのですよね...。思わず涙があふれてきました。
夫と離婚して母親は中学生の娘と二人で県営住宅に住み、給食センターのパートをして暮らしていた。元夫が養育費を入れてくれないと生活できない。生活保護を申請しようとしても、「働いているんだから、お金はもらえないよ」と言われ、ついにヤミ金に手を出した。家賃を滞納しはじめたので、千葉県は明渡を求める裁判を起こし、母親は欠席して明渡を命じる判決が出た。その執行日当日、母親の所持金は2717円、預金口座の残高は1963円しかなかった。
母親は家賃減免制度を知らなかった。また、判決と強制執行手続のなかで、県の職員は母親と一度も面談したことがなかった。この母親には懲役7年の実刑判決が宣告された。
私も、サラ金(ヤミ金ふくむ)がらみの借金をかかえた人が自殺してしまったという事件を何件、いえ十何件も担当しました。本当に残念でした。来週来ると言っていた女性が、そのあいだに自殺したと知ったときには、「あちゃあ、もっと他に言うべきことがなかったのか...」と反省もしました。生命保険で負債整理をするといケースを何回も担当しました。本当にむなしい思いがしました。
この千葉県銚子市で起きた県営住宅追い出し母子心中事件について、自由法曹団は現地調査団を派遣しました。その成果を報告書にまとめ、それをもとにして、千葉県、銚子市そして国に対して厳しく責任を追及したのでした。同時に、日本の貧困者にたいするセーフティネットの大切さも強調しています。
創立100周年を迎えた自由法曹団の多種多様な活動が生々しく語られている本です。現代日本がどんな社会なのかを知るうえで絶好の本です。私は、一人でも多くの大学生そして高校生に読んでほしいと思いました。
(2021年5月刊。税込2530円)
2021年6月17日
満州国軍朝鮮人の植民地解放前後史
韓国
(霧山昴)
著者 飯倉 江里衣 、 出版 有志舎
大変貴重な労作です。韓国軍トップの過去の黒い背景、そしてそれは日本帝国主義の負の遺産そのものだということを痛感させられました。
大韓民国政府が解放直後から朝鮮戦争期間までに韓国の人々に加えた暴力は、日帝強占期の暴力以上のものだった。それは日帝警察と同じ、あるいはそれ以上に残酷なものだった。
何が彼らにそれほど残忍な行動をとらせたのか...。果たして、同胞、同じ民族という事実は、人々の残酷な行動を抑制することができなかったのか。同じ民族であるにもかかわらず、否、同じ民族であるからこそより残忍であった。いかなる状況で、これほど残酷になれるものなのか...。
その答えは...。日本軍による虐殺イデオロギーのもと、中国の河北省で抵抗する民間人を「共匪(きょうひ)」とみなして虐殺した朝鮮人たちは、解放後の南朝鮮においても「共匪」は殺さなければならないというイデオロギーを持ち続けた。つまり、解放後の満州国軍出身朝鮮人たちにとって、同胞であるかどうかは重要でなく、「共匪」であるかどうか(「共匪」とみなせるかどうか)が決定的な意味をもっていた。
満州国軍出身の朝鮮人にとっては、麗順抗争時の鎮圧作戦を経て初めて、共産主義者が殺さなければならない存在に変わったのではなく、「共匪」は殺さなければならないという日本軍による虐殺イデオロギーが、その思想として解放後まで引き継がれていたのだ。
済州島事件に連動する麗順抗争のとき、満州国軍出身の金白一は、鎮圧作戦下の虐殺にもっとも積極的に加担した人物の一人だった。そして、このとき、「戒厳令」下の「即決処分」(処刑)は、何ら法令の根拠をもたなかったが、「緊急措置」として正当化されてしまった。
アメリカ軍は、このようにして進行する虐殺の一部始終を見ていたが、一貫して傍観者であり続け、民間人への多大な暴力を「秩序の回復」過程としてとらえていた。また、この虐殺は、韓国軍にとっての良い経験になると認識していた。
韓国軍の根幹は、日本軍そして満州国軍出身の朝鮮人によって構成されていて、日本軍の虐殺イデオロギーが引き継がれていた。これは歴史的事実である。
ところで、関東軍(日本軍)は、根本的に朝鮮人を信用していなかった。最後まで、朝鮮人に対する不信感を払拭できなかった。朝鮮半島を軍事的に支配していたとしても、日本軍は心の底で日本からの独立を願っている朝鮮人を恐れていて、いつかは裏切られるかもしれないとビクビクしていたということなのでしょうね...。
そこで、関東軍が満州国軍内に抗日武装闘争を展開中の東北抗日聯軍と対峙する間島特設隊を創設したとき、指揮官には多くの朝鮮人を登用したが、最高指揮官である隊長と、その下の連長の大半は日本人をあてた。朝鮮人兵士たちと、彼らを管理・指揮する朝鮮人を常に日本人が監視できる体制をつくった。日本の軍事教育を受けた人々が、いつ団結して日本人に銃口を向けるか分からないという恐怖心が朝鮮人指揮官は最小限に留めるという方針になった。
間島特設隊は、1938年9月に創設され、中国の河北省において、部落の民間人と八路軍を区別するどころか、いかに中国人部落の民間人の抵抗を抹殺して自分たちに服従させ、人々から八路軍についての情報を得るかに奮戦していた。そして、そのためには民間人の虐殺もいとわなかった。そこには、「共匪」は民間人かどうかを問わず殺さなければならないという日本軍の虐殺マニュアルがあり、それを実践し、身につけていた。
大変に実証的な研究の成果だということがよく分かり、とても勉強になりました。引き続きのご健闘・健筆を心より期待します。少し高価な本ですので、図書館に注文して、ご一読してみてください。
(2021年2月刊。税込7480円)
2021年6月18日
ガザ、西岸地区、アンマン
イスラエル
(霧山昴)
著者 いとう せいこう 、 出版 講談社
「国境なき医師団」が活躍している現場を見に行く本の第2弾です。
空港の手荷物検査のときは、ノートパソコンなどは硝煙反応をみて、爆発物でないか調べるとのこと。そして、パスポートに、イスラエル入国のスタンプがあるとイランへの入国は無理。逆も同じ。いやはや、国が対立していると、そうなるのですね...。
そして、「国境なき医師団」(MSF)は、誘拐されたときに備えて、「プルーフ・オブ・ライフ」を書かされる。自分しか知らない自分の情報のこと。私だったら、何を書いたらいいのでしょうか...。すぐには思いつきません。
ガザに入る前には、両祖父にアラブの名前が入っていないかまで調べられる。
パレスチナ人の多くはガザ地区とヨルダン川の西岸地区に押し込められている。ガザ地区ではイスラム原理主義組織ハマスが支配し、西岸地区はパレスチナ自治政府の力の下にいる。この両者は対立している。
写真を外で撮ってはいけない。MSFの施設内には一切の兵器が置かれていない。誰であれ、丸腰でしか入れない。
MSFの患者には、ペインマネージメント専門の医師があたる。痛みは、精神面よりきていることが多い。痛みに苦しんでいる患者にVRゴーグルでCGを見せる。南の島の風景で、蝶や鳥が優雅に飛んでいる。
デモに参加して足を撃たれると、銃弾は出口を大きくえぐる。そして同時に傷口から外界のばい菌が入りこむ。菌が骨に感染すると、簡単に骨髄炎を起こす。抗生剤で治療するが、長期にわたる必要がある。つまり、足を一発撃たれるとは、肉をえぐられ、骨を粉々に砕かれて短くされ、感染症で体内を冒されるということ。
毎週金曜日の抗議デモで500人ほどがイスラエル兵士に撃たれている。
ドローンが一日中、上空を飛んでいる。ガザは、いつでも厳重に監視されている。
ドローンは、いくら落とされても訓練された軍人が傷つくわけではない。遠距離から正確に打つロケット弾・ミサイルと組み合わせると、ピンポイントで攻撃ができる。
イスラエルは、入植者のほとんどが公務員。個人に武器をもたせて地域に家を建てさせる。これも戦争のひとつの形態ではないのか...。
アラブの世界の全部が常時、戦争状態にあるのではない。のんびりしたアラブがあり、その裏では空爆があって銃撃もある。大やけどする大人も子どももいて、メンタルケアが必要な子どもたちもいる...。
「国境なき医師団」って、すごい活動をしているんですね。改めて心より敬意を表します。
(2021年1月刊。税込1650円)
2021年6月19日
アフリカ人学長、京都修行中
社会
(霧山昴)
著者 ウスビ・サコ 、 出版 文芸春秋
いやあ、これは面白い本でした。京都って、ぜひまた行ってみたいところですが、京都人って、「いけず」なんですよね...。そんな京都についての知らない話が満載でした。
たとえば、白い靴下の話。京都ではよその家を訪ねるときは、なるべく白い靴下をはいていったほうが望ましい。京都には「白足袋(しろたび)もんには逆らうな」ということわざがある。白足袋をいつもはいているのは、僧侶、茶人、老舗の証人、花街関係者など、古くから京都の街を取り仕切っていた人たち...。うひゃあ、とんと知りませんでした。
京都人は噂話が大好き。「いけず」というのは意地悪いという意味。ところが、好きな人にも使うことがある。「ほんま、この人、いけずやわ」なんて、恋人同士で甘えるときのコトバ。うむむ、なんて、奥が深い...。
京都の伝統的な町家(まちや)は、「オモテノマ」、「ダイドコ」、「オクノマ」という3室が一列に並んでいる。親しくなると、少しずつ奥のほうの部屋に通される仕組みになっている。
鴨川名物の「等間隔の法則」というのも初めて知りました。京都市内を流れる鴨川のほとりにはアベックが常に整然と同じ距離を保って座っているのだそうです。証拠の写真もあります。ええっ、こんなのウソでしょ...と叫びたくなります。
著者は、今では京都の精華大学の学長です。マンガ家ではありません。建築が専門です。ひょんなことから京都にやってきて、京都に住みつき、今や大学の学長になったのです。
1966年にアフリカはマリ共和国の首都バマコに生まれ、中国に国費留学し、ちょっとしたことから日本にやってきました。フランス語、英語、中国語そして関西弁を話します。テレビにも出演中のようです。
京都には「婿養子」というコトバもあるようです。京都に生まれ育った人たちは、お互いに暗黙のルールでしばりあっている。ところが、よそから入ってきた「婿養子」は、しきたりを無視して勝手なことをするけれど、やがて、それが発展する道になることもある、というわけです。
アフリカ人の著者(今では日本国籍をとっています)が、北野天満宮の曲水の宴に1000年前の平安装束を身にまとって参加しているのは、京都人が伝統を重んじる一方で、目新しさや遊び心を発揮することのあらわれでもあるというのです。
京都人は、京都の伝統と文化に誇りをもっている。だから京都を自慢したいし、見せびらかしたい。でも、自慢する相手、見せびらかす相手は厳選する。ここでも「一見(いちげん)さん、お断り」だ。一度や二度、その店に行ったくらいで「常連さん」になれると思ったら、大間違い。店の人の出迎の挨拶も、常連さんには「おこしやす」と言い、よそさんには「おいでやす」と言って、違いがある。「おこしやす」のほうが、ずっと丁寧な言い回しだ。
京都人は、暗示めいた話はたくさんするけれど、肝心なことは決してコトバにしない。それは自分自身で理解しなくてはいけない。「京コトバ」は、周囲とのトラブルを徹底的に避けるために発達したもの。狭い土地で長く互いに心地よく暮らすための、角を立てないための知恵が盛り込まれている。
よそから入ってきた人でないと言語化できない話だと理解しました。この本を読むと、著者は、まるで、民族(人種)学者としか思えませんが、建築学博士なんですね...。面白くて、一気に読了しました。
(2021年2月刊。税込1540円)
2021年6月20日
宝塚歌劇団の経営学
社会
(霧山昴)
著者 森下 信雄 、 出版 東洋経済新報社
タカラヅカの100年も続いている経営戦略が見事に分析されています。なるほど、なーるほどと驚嘆しながら一気に読みすすめました。
タカラヅカは「ベルサイユのばら」(池田理代子のマンガ)で圧倒的な成功をおさめた。1974年に初演され、2006年までに通算1500回も上演され、観客動員数は2014年まで500万人をこえた。タカラヅカ史上最大のヒット作品。
宝塚歌劇の主力商品は、女性が男性を演じる「男役」。娘役の比重はきわめて低い。
タカラヅカは女子だけの空間を女子が応援するという特殊な構造。
タカラヅカ公演のフィナーレとして有名な「大階段」をつかったパレードでは、下級生から順番に登場し、番手どおりに進むと、最後にトップスターが、タカラヅカの象徴である大きな羽根を背負って登場、と展開する。いかなる公演でも、これは変わらないお約束だ。
タカラヅカは、外部からの客演はなく、生徒に限定。作品は、生徒の所属する「組」単位で、構成されるため、他の組への客演も基本的にない。そして、「大抜擢(ばってき)」はない。
宝塚歌劇の舞台に立つための唯一の必要十分条件は、宝塚音楽学校を卒業したこと。「東の東大、西の宝塚」と称されるほどの難関校。大半が「予備校」出身であっても、2年間、この学校での集団生活でみっちり世界観が埋め込まれる。
タカラヅカのスターたちは、現役のときはSNSが禁止される。「虚構」であるはずの「男役」が、「俗世にまみれている」かのような情報をSNSで発信したら、ファンの「夢」を破壊し、顧客満足度を著しく落とすことにつながりかねない。
「男役」としてファンに認定されるためには、「男役10年」と言われるように、長期にわたる熟成プロセスが必要となる。タカラヅカは、「虚構」である男役の成長度合いを公演に乗せてファンに提示している。つまり、宝塚ファンにとって、完成品とは、品質のことではなく、プロセス消費の終点、退団の機に現出すればよく、それまでは未完成でもかまわない。女性ファンは母性本能をかきたてられつつ、見守るということで、自らが自主的にリピーター化している。
ファンは、「初日見て、中日(なかび)見て、楽(千秋楽)見て」だ。
いやあ、この解説は見事ですね。なるほどなるほどと、ついつい膝を打ってしまいました。
劇団四季は、ロングラン公演を実施している。しかし、タカラヅカはロングランをしない。5つの組の公演ローテーションを分け隔てなく固定化している。
タカラヅカには販促(はんそく。販売促進)という概念が存在しない。販促しなくても、ファンクラブ等によってチケットが完売する仕組みができあがっている。
タカラヅカ公演は一度もみたことがありません。でも、テレビでちらっと見たことはありますので、イメージはつかめます。そのタカラヅカが100年も続いているヒミツが分析・公開されている本です。それにしてもコロナ禍で、リモートとか無観客とかになったら、果たして生きのびることができるのでしょうか、心配です。「不要不急」のように見えて、実は大変有要・有益なのがショーの世界だと門外漢の私も思います。
(2021年3月刊。税込1760円)
2021年6月21日
ハナバチがつくった美味しい食卓
ハチ・昆虫
(霧山昴)
著者 ソーア・ハンソン 、 出版 白揚社
ハナバチって、ハチとかミツバチとは違うのかなと疑問に思いました。訳者あとがきによると、そもそも日本語の「ハチ」にあたるコトバが英語にはないのだそうです。英語のbeeは、花の蜜や花粉を食べる「ハナバチ」だけを指すコトバ。beeは蜂(ハチ)ではない。また、肉食性のハチはwasp(カリバチ)と呼ぶ。日本語のハチは、英語にしたらbees and waspsになる。
ええっ、そ、そうなんですか...。こんなに人間に身近な存在なのに、よく分かっていないなんて、不思議です。
ハナバチの行動は、今でもほとんど分かっていない。
紀元前3000年ころまでに、古代エジプト人は養蜂術を確立していた。ミツバチを長い陶製の筒で飼育して、作物の栽培や野生の植物の開花期に合わせてナイル川を上り下りしていた。今でも、ほとんどすべての作物や野生の植物はハナバチに全面的に頼っている。
ハナバチは白亜紀中期にいたアナバチ科の祖先から進化した菜食主義者である。
ハナバチの身体構造には、まったく無駄がなく、見事なまでに合理的だ。
ハナバチの触角は飛行中の姿勢に影響を支えたり、地球の磁場に反応したり、花が放つかすかな静電気を感知したりする。左右の触角はほとんどわずかしか離れていないが、その程度の間隔でも、左右官の微小な密度の差、つまり匂いの方角を示す小さな感覚勾配を察知するのに十分だ。ハナバチは、1キロ先にある花から漂ってくる香りを追跡できる能力をもっている。
ハナバチは紫外線も見えるので、花弁には、ヒトには見えないけれど、ハナバチを惹きつける言葉(絵)がはっきり書かれていることを見分ける。
ほとんどのハナバチは、めったに刺さない。オスバチは針をもっていないので刺せない。刺すのはメスだけ。
北アメリカの養蜂家は、その所有している巣の30%以上を毎年失うという状況が今に続いている。その明確な原因は今日に至るも確定していない。ただ、2006年に急増し、今は減少はしている。
ネオニコチノイド系殺虫剤がハナバチに良くないことは明らか。
ネオニクスは、野生のマルハナバチや単独性のハナバチにも悪影響を及ぼしているのは確かな証拠がいる。
この本の最後に登場してくる次のフレーズは衝撃的です。
「人間なんかいなくても世界は回る。でも、ハナバチがいないと世界は回らない」
自称「万物の霊長」も片なしですね...。私の知らなかった話が次々に登場してきます。
(2021年3月刊。税込2970円)
2021年6月22日
中国戦線、ある日本人兵士の日記
日本史(戦前)
(霧山昴)
著者 小林 太郎 、 出版 新日本出版社
南京攻略戦・徐州作戦に参加した日本人兵士が毎日のように日記をつけていて、日本に持ち帰ったものが活字になっています。写真もついているという、大変貴重な日記です。
内容は、日本軍の兵士たちが中国人を見境なく殺戮(さつりく)していくのですが、悪びれたところがまったくありません。日本では良き夫であるような人が中国戦線では平然と罪なき人々を殺し、食糧をふくめて財物を略奪しても罪悪感が皆無なのです。同時に、日記では身近な兵士仲間が次々に戦病死していくことも記述されています。末端の日本人兵士たちは、罪なき中国人にとっては残虐な加害者でしたが、同時に日本政府・軍部の被害者でもあったことがよく分かる日記です。
それにしても、よくぞ日記を日本に持ち帰った(できた)ものです。そして、写真です。いったい、どこで現像していたのでしょうか...。
この日記には、有名な学者である笠原十九司、吉田裕のお二人が解説していますので、その作戦の背景がとてもよく理解できます。
著者は日本大学工学部を卒業したインテリです。なので、南京攻略戦のときには発電所の修理に従事していたので、南京大虐殺を直接には目撃していないようです。
歩兵二等兵(27歳)から上等兵になり、病気で本国送還されて、1939(昭和14) 年に満期除隊(このとき29歳)しています。私の父も病気で中国大陸から台湾に送られ、日本に戻ることができました。戦地では病気すると生命が助かるんですね...。
第16師団第9連隊第32大隊第9中隊に所属し、上海戦、南京攻略戦、徐州作戦、そして武漢三鎮の軍事占領という、日中戦争前半の大作戦のすべてに従軍した。
よくぞ生きて日本に戻れたものです。強運の持ち主だったわけです。
欧米の軍隊は、大作戦が終了すると、しばらく休暇ないし本国帰還などがあるが、日本軍には一度もなかった。そのうえ、現役除隊の期日がきても、一方的に延期され、継続しての軍隊生活を余儀なくされた。そうなんですよね、人権尊重という観念は日本軍にはまったくなかったのです。
南京大虐殺を否定する言説をなんとなく信じこむ日本人が少なくないのは、「やさしかった父たちが、中国戦線で残虐な虐殺なんかするはずがない」、「誠実で温厚な日本人が、虐殺事件を起こすなんて考えられない。中国側が日本人を批判するためにでっちあげたウソだ」という言説による。しかし、日本国内では人間的に善良な日本人であり、地域や職場で誠実であり、家庭において優しい父や息子であった日本人男子が、ひとたび日中戦争の厳しい戦場に送られると、中国人を平気で虐殺し、残虐行為をし、中国人からは「日本鬼子」と怖がられる日本兵になっていた。
日本軍が上海戦で苦戦したのは、ナチス・ドイツが中国軍に武器(たとえばチェコ製機関銃)を供与し、トーチカ構築を指導し、またドイツ人軍事顧問を送り込んでいたことによる。
ヒトラーは、「日本にバレなければかまわない」という態度だった。すでに日独防共協定を結んでいたのに...です。
蒋介石の国民政府は70個師団、中国全軍の3分の1、70万人の兵力を上海戦に投入した。戦死者は25万人。日本のほうも19万人もの大兵力をつぎこみ、戦傷者4万人以上(戦死者も9千人以上)を出した。
日本軍は、「皇軍兵士は捕虜になるな」という考えだったので、中国軍に対しても、捕虜として保護することはしなかった。つまり、直ちに殺害した。それには、そもそも自分たちの食糧さえ確保できていなかったことも大きい。
これまでの通説は、日中全面戦争は、無謀な陸軍が国際的で平和的な海軍を強引に引きずりこんだというものだった。しかし、歴史事実は逆。海軍航空隊は首都南京に対して宣戦布告もしていないのに戦略爆撃を敢行した。それは、50回以上、のべ5330機あまり、投下した爆弾は900トンあまりというものだった。
南京攻略戦の責任者であり、大虐殺の責任者でもある松井石根大将は、成績優秀であったのに同期の大将のなかでは一番出世が遅れ、いちはやく予備役に編入されていた。そこで、59歳の松井は、軍功をあげる最後のチャンスとして南京攻略戦をとらえていたのではないか...。そして、それいけドンドンの武藤章大佐がそれを支えていた。
どこの世界でも、口先だけは勇ましい人に、慎重派はかないませんよね...。
著者の所属する第16師団は、9月に京都を出発していて、防寒の装備はもっていなかった。そして、食糧の供給も十分でなかった。なので、日本部隊は、いわば強盗集団の軍隊だった。これが輝ける「皇軍」の実際の姿だったんですね...。
そして、著者は捕虜として中国兵を日本軍を虐殺(即決殺害)した写真を撮って、日記に添付しています。
南京にいた唐生智という司令官は、近代戦の知識も経験もなく、南京防衛戦を指揮する実力もないのに、野心から名乗り出て、防衛軍事司令官に任命された。しかし、自分たちだけはいち早く脱出し、部下の膨大な中国軍を置き去りにした。いやはや、日中双方とも、ひどい司令官だったのですね。なので南京大虐殺はいわば必然的に起きてしまったということです。この事実は、消しゴムで簡単に消せるものではありません。
いやはや...、日本人にとっては、とても重たい事実です。でも目をそむけるわけにはいきません。ぜひ、図書館で注文してでもご一読ください。
(2021年3月刊。税込3960円)
日曜日の午前中、フランス語検定試験(1級)を受けました。1995年以来この25年間、欠かさず受けています。とても難しくて、まるで歯がたちません。長文読解と書き取りでなんとか4割近い55点(大甘の自己採点です。150点満点)をとりました。はなから合格(6割超)はあきらめています。3割を突破して、4割、あわよくば5割に達したいと願っています。
この2週間ほど、朝も夜も、25年分の過去問をふくめて、一生懸命、フランス語を勉強しました。年に2回、大学の教室で試験を受けると、大学生に戻った気分になります。ボケ防止を兼ねて、続けるつもりです。
2021年6月23日
自由法曹団物語
司法
(霧山昴)
著者 自由法曹団 、 出版 日本評論社
日本の裁判官は、もっと実名で批判されるべきだと私は考えています。この本では、たとえば名古屋地裁の内田計一裁判長の呆れた訴訟指揮が厳しく批判されています。裁判官が交代したときに弁論更新をすることになっています。原告側弁護団が、更新弁論の時間をきちんと確保してほしいと要望したところ、名古屋地裁の内田計一裁判長は、...
「今日は、何もできないということになりますか?」
「更新弁論をするなら、今すぐ、5分与えるのでやりなさい」
弁護団が口々に抗議して立ち上がると、内田裁判長は黙って時計を見つめ、「更新、するんですかしないんですか」と言い切った。弁護団が、このような訴訟指揮に抗議すると、「既に法的見解はもっています」と平然と、答えたのでした。予断をいただいていることを告白したのです。
このような、とんでもない裁判官が幅をきかせているのが現実ですが、たまに気骨のある裁判官もいます。名古屋高裁の青山邦夫裁判長、その一審段階の田近年則裁判長です。
自衛隊のバグダッドへの輸送活動は、その実態に照らして憲法9条に違反すると明断しました。すごいことです。大変な勇気がいったと思われます。
福岡でも憲法の意義を劇にして市民にアピールしている「ひまわり一座」がありますが、広島にも「憲法ミュージカル運動」が長く続いて、すっかり定着しています。初めの脚本を書いたのは廣島敦隆弁護士。そして、その後、なんと25年ものあいだミュージカルの脚本を書き続けたのです。それには人権感覚の鋭さと、ユーモアに満ちたものでなくてはいけません。よくぞ書きあげたものです。しかも、13時の開場なのに、12時ころから人が並びはじめ、観客は階段通路も座る人で一杯になってしまうほどでした。
出演するのは、主として広島市内の小学生からお年寄りまで...。毎年、5月の本番までの2ヶ月半のあいだ、連日、「特訓」を受けていたのです。大成功でした。この20年間で、集会に参加した人は1万5000人、そして、この集会(ミュージカル)の出演者とスタッフはのべ2500人。とんでもない力が広島の憲法ミュージカルを支えてきました。
自由法曹団は、この100年間、一貫して市民とともに憲法の平和的条項そして人権規定を実質化させるために取組んできましたが、その取り組みの一つがここで紹介したものです。
(2021年5月刊。税込2530円)
2021年6月24日
朝鮮戦争を戦った日本人
日本史(戦後)
(霧山昴)
著者 藤原 和樹 、 出版 NHK出版
朝鮮戦争が始まったのは1950(昭和25)年6月。当初は進攻してきた北朝鮮軍に米韓軍は一方的に敗退していた。それは、アメリカ軍(マッカーサー)が、北朝鮮軍の実力を過小評価し、自国軍を過大評価していた過信によるもの。
中国人民義勇軍は90万人、北朝鮮軍は52万人が死傷した。国連軍として死傷した40万人のうち3分の2は韓国軍と警察。市民の死傷者は300万人以上。
この本は、アメリカの国立公文書館にある極秘文書(1033頁)が開示されたものを丹念に掘り起こしている。アメリカ軍が、朝鮮戦争に従軍していた日本人を日本本土に送り返して尋問した記録(調書)を紹介している。
70人以上の日本人が朝鮮戦争にアメリカ軍と一緒に従軍していた。彼らは在米日本人でも日系人でもなく、生粋の日本人。日本国内でアメリカ軍基地でボーイとして働いていたような人たち。たとえば、両親を失った孤児。アメリカ軍から見捨てられたら、たちまち失業して、生活の目途が立たなくなる20歳前後の青年たちだった。
アメリカ軍の下で働く日本人の給料は良かった。日当450円、月に1万3500円になった。このころ(1951年)の公務員の初任給は6500円なので、倍以上。
アメリカ軍と一緒に朝鮮半島に渡り、朝鮮戦争の最前線に投げ込まれた。そこでは、前線も後方兵站もなく、周囲の全部が敵(北朝鮮軍だったり中国軍)だった。なので、銃をとって戦ったが、あえなく敗退して、アメリカ兵と一緒に捕虜になった日本人もいた。
朝鮮戦争の初期の激戦地がいくつか登場します。日本人たちもその戦場にいたのです。
たとえば大田の戦い。1950年7月14日から21日にかけた戦闘。国連軍(アメリカ軍)の劣勢を象徴するもの。この大田の戦いで第19歩兵連隊(3401人)は650人の死者を出した。そして、ディーン少将まで捕虜となった。あとで捕虜交換でアメリカに戻ったディーン少将には、戦場でがんばったとして名誉勲章が授与された。ここが、旧日本帝国軍との圧倒的な違いです。
多富洞(タプドン)の戦いは、1950年8月1日から9月24日まで55日間にわたって続いた激戦。9月15日の仁川上陸作戦によって、一気に形勢が逆転した。『多富洞の戦い』(田中恒夫、かや書房)という430頁の本に戦闘の推移の詳細が紹介されています。その過程での「架山(カサン)の戦い」においても日本人が戦死したのでした。
日本人を朝鮮戦争に参加させることは、日本人の出国を原則として禁じていたGHQの占領政策に違反している。それで、日本に送還した。兵士だった日本人を尋問したのは、アメリカ軍に従軍した理由を記録して、日本人の口を封じることで、従軍を許可したアメリカ軍の部隊司令官を守るためだった。
公文書館の尋問記録とあわせて、アメリカまで生存している元米兵にインタビューしています。朝鮮戦争の地上戦に日本人の青年が70人ほども参加していたこと、強制ではなく、いわば食べるために志願していったことなどの事実を知ることができました。世の中は、本当に知らないことだらけです...。
(2022年12月刊。税込2090円)
2021年6月25日
ブラック・ライブズ・マター回顧録
アメリカ
(霧山昴)
著者 パトリース・カーン=カラーズ 、 出版 青土社
Black Lives Matter. これは、一般には「黒人の命も大事だ」と訳されているが、実はもっと深く広い意味合いがある。私もそうだろうと思います。この日本語訳を単純に英文にしたら、ブラック・ライブズ・マターにはならないような気がします(英語には、まったく自信ありませんが...)。「黒人の生命を守れ」、「黒人の生活を向上させるべきだ」、「黒人の人生の価値を認めよ」という、いろんなニュアンスが重なっている。そして、「白人と同等に」、「白人が当然だと思っているように」という意味合いも含んでいる。なるほど、ですね。
アメリカの独立宣言のなかにある、「すべての人間は平等に創造され、不可侵、不可譲の自然権として生命、自由、幸福の追求の権利がある」という考え方を、アメリカの全市民に公平にあてがうべきだという考え方だ。まったくそのとおりですよね。
ところが、アメリカの現実は、依然として、そうではないのです。
カルフォルニア州では、警官によって72時間に1人、殺されている。そのうちの63%は黒人かラテン系。ところが黒人はカリフォルニア州の人口のわずか6%しかいない。白人の5倍も黒人は警官に殺されている。ラテン系と比べても3倍だ。
アメリカの人口は世界の5%でしかない。ところが、刑務所にいる人間でみてみると、世界の25%がアメリカにいる。そして、アメリカ人のうち黒人が占めるのは13%でしかないが、刑務所内の人口比では33%も占めている。黒人の収監率は、白人の7倍近い。
この本はBLMを立ちあげた3人の黒人女性のうちの一人、パト―リース・カーン=カラーズの自伝。ロサンゼルス市内のヴァニナイズ地区に生まれ育った。母親はエホバの証人の信者で、夫たる著者の父親とは別れていた。大変な状況下にあっても高校に通い、ついにはUCLAに入学しています。そして、大学では毛沢東、マルクス、レーニンなどの本も読んでいます。
さらに、著者はクィアだと高言したのです。頭を剃って、下唇にピアスをし、腰には片腕にレーカーこぶを入れた女性の姿の刺青もしています。外見は明らかに変わっています。
それにしても、アメリカにおける黒人差別は、今もなお、すさまじいものがあります。
それは、実社会でもそうですし、刑務所の中でも同じことのようです。
黒人にとって、警官は、法の執行に安全を守るとか市民の援助をするというイメージは皆無で、ただひたすら黒人の行動を監視し、制御する機関でしかない。警察は黒人について、将来もっとも犯罪を犯す可能性が高いグループだと見なしている。親が刑務所にいるため1000万人もの子どもたちに、そのしわよせが行っている。
刑務所人口を使って多額な収益を上げているのは、女性下着専門店(ヴィクトリアズ・シークレット)、自然食品チェーン(オールフーズ)、AT&TL(アメリカのNTTのような会社)、スターバックスなど(スタバも、そうなんですね...)。
アメリカの黒人の意気盛んな運動に少しばかり触れた思いがしました。それにしても、こんな地道な活動をしている彼女たちをテロリストと呼ぶなんて、まったくの間違いだと思います。
(2021年3月刊。税込2860円)
2021年6月26日
破天荒
社会
(霧山昴)
著者 高杉 良 、 出版 新潮社
痛快な自伝的小説です。あまりに面白くて一気に読みあげました。著者が業界紙の記者をしていたのは知っていましたが、こんなにも業界内部そして官庁に深く立ち入って取材していたのですね。すごいです。
あるときは企業間の大型取引を仲介して、謝礼金1000万円を呈示され、その半額500万円をもらったそうです。ところが、税務署が嗅ぎつけて課税されて150万円も召し上げられたとのこと。これを読んで、私も税務署から取り戻した本税に140万円ほどの加算金がついて戻ってきたのを喜んでいたところ、税務署はそれを雑所得として課税してきたことを思い出しました。これが私の第二次不当課税事件です。たたかいましたが、法と通達のカベは厚く、いくらかもっていかれました。
著者は高校を中退していて、いわゆる学歴はなに等しい。ところが業界紙に入社するのは、そのときの作文について筆力が断トツだったとのこと。さすがですね。しかも児童養護施設で小学6年生の夏から中学1年生の2学期まで園児として過ごしたとのこと。これはS学会に熱心で酒のんでばかりいた両親の育児放棄のようです。
ところが、すごいのは、その園まで同級生たちが面会に来てくれていたということ。しかも、担任の教員まで、ときに生徒を引率して...。いやあ、これは泣けますね。やはり友だちと教師の力は偉大です。おかげで、文章力も才能もある著者は、変にいじけることなく、むしろ親からの早い自立を目ざしてがんばったのです。
高校2年生のころ、自転車で新聞配達のアルバイトをしていたときの体験をもとにした著者の作文が巻末に紹介されていますが、これはすごい文章です。入社面接のとき、読んだ社長が「恐れいった」、「胸にぐっときた」と言ったそうですが、まったくそのとおりです。
業界紙に入社して記者として活動しはじめると、たちまち業界内部に飛びこんで、すごい記事を書き続けた。20歳でもらった月給が1万5千円。1959(昭和34)年当時の大学卒の初任給は1万3500円のときのこと。なので、破格の高給。本人も腰を抜かしたが、両親はそれ以上におったまげたという。この1万5千円のうち、親に1万円を渡し、著者は5千円を自分のものにした。
著者は四日市石油化学コンビナートの生成過程も取材したようです。あとで、「四日市ぜんそく」で有名になった公害発生源の企業でもありますが...。
ともかく著者の取材の徹底ぶりは半端ではないようです。これは自伝的小説で本人はそう書いているのですから間違いないでしょう。真実は細部に宿るという言葉がありましたっけ...。ともかく、細部(ディティール)が真に迫っていないと小説として読めませんよね。著者の企業小説が、そこが断然ズバ抜けています。ともかく、話がこまかい。こんなところまで知っているのかと思わず舌を巻いてしまうほど、微に入り細をうがっていますので、書かれていることの全部が真実だと思わされてしまうのです。なので、業界あるいは会社内部のことを書くと、リークした犯人捜しがはじまったり、著者に反感を覚える人が出てきたりするわけです。
著者は、何も知らないからこそ取材するとしています。それはリアリティを確保するためです。リアリティがなければ企業人は読まないし、世間も読みません。著者の本の多く(決して全部ではありません)を読んでいつも大変勉強になりましたが、今回は、著者そのものを少し知ることができて、本当に良かったです。高杉良ファンには見逃せない一冊として、一読をおすすめします。
(2021年4月刊。税込1760円)
2021年6月27日
氏名の誕生
日本史(江戸)
(霧山昴)
著者 尾脇 秀和 、 出版 ちくま新書
私の名前(姓名)は霧山昴(きりやま・すばる)。これは養子縁組でもしない限り、一生変わりません。これが現代日本の当然すぎる常識。ところが、江戸時代は、名前(姓名)は年齢(とし)とともに変化するもので、一生同じ「名前」を名乗る男など、まったくいなかった。その常識が激変したのは明治時代の初めのこと。
この本は、このような常識の変化を丹念に追跡していて、もう頭がくらくらしてきます。何が何だか分からなくなってくるのです。それは、江戸時代の武士と庶民に通用していた常識と、朝廷での常識が別物だったことにもよります。明治維新によって朝廷が王政復古で昔のように変えたくても、ことは簡単ではなく、あれこれ変更を重ねて、ますます混迷をきわめていくのです。ここらあたりは読んでいて、まったく五里霧中。とてもついていけませんでした。
現代日本における人名の常識は...。人名は「氏」と「名」の二種で構成されていて、「氏」は先祖代々の大切な家の名で、「名」は親がつけてくれたもの。「氏名」を恣意的に変えることは、原則としてありえないこと。
ところが、江戸時代の名前で親が名づけるのは幼名だけで、改名は適宜なされていて、「かけがえのないもの」でもない。この二つの常識は、まるで違うもの...。
江戸時代の人間は、幼名、成人名、当主名そして隠居名という4種類の改名があるのが一般的。幼名は親などが名づけるが、15歳か16歳で成人したあとは、本人が自ら名を改める。
江戸時代の名前は、社会的な地位をある程度は表示する役割を担っていた。たとえば、~庵(あん)は医者一般がよく名乗るもの。名前は身分格式にもとづく秩序を重視する近世社会において、社会的な地位を相手に知らせる役割をもっている。
江戸時代、庶民も苗字(みょうじ)をもっていたが、それは自ら名乗るものではなく、人から呼ばれるものとして用いられていた。
この本ではありませんが、江戸時代の庶民も「氏名」をもっていたが、それは名乗るものではなかったので、あたかも庶民は「氏」をもたなかったかのように現代日本人が大いなる誤解をしたと指摘する本を読んだことがあります。
江戸時代の庶民にとって、苗字とは、自分から他者に示すものではなくて、呼ばれるものだった。また、「壱人両名」(いちにんりょうめい)という、一人で二つの身分と名前を同時に保持することができていた。これは、イメージとしては本名とペンネームの関係ですが、本質的にはまったく異なります。それぞれ、公の場で通用するものだからです。
そして、明治8年、山県有朋が、徴兵事務のために、平民に必ず名乗らせることにして以降、ついに現在の戸籍制度が完成したのでした。つまり、国が国民を兵隊にとる便宜をあくまで優先した結果として、現在の私たちの常識が成り立っているのです。
江戸時代は夫婦別姓でしたし、死後も別墓が当然だったのです。繰り返しますが、現代日本の常識は江戸時代の日本には通用しません。とても興味深い本でした。頭の体操にもなります。ぜひ、あなたもチャレンジしてみてください。
(2021年5月刊。税込1034円)
2021年6月28日
脳の大統一理論
人間・脳
(霧山昴)
著者 乾 敏郎、阪口 豊 、 出版 岩波科学ライブラリー
脳は、ヘルムホルツの自由エネルギーを最小化するように推論する。これが自由エネルギー原理。そんなことを言われても、まったく何のことやら理解できません。というか想像すらできません。
「家に帰ると、窓ガラスが割れていた」という状況で、人間は、「どのような原因か」だけでなく、「それぞれの原因がどの程度、ありそうか」もあわせて推論している。
最近のスマホのカメラは2000万画素以上の画素数を有している。高級なカメラのほうは1億個以上の画素数を有している。
予測が安定していれば、精度が高い予測信号であるといえる。感覚信号と予測信号の精度のバランスをうまく操作することが、脳が環境を理解するうえで重要な意味をもっている。
脳は外環境だけでなく、自分の身体内部(内環境)に対しても、同じように「知覚」し、また、「働きかけ」ている。脳は、内臓や血管の状態をコントロールすると同時に、それらの状態を把握している。血管や内臓は自分の身体の一部ではあるが、脳からみれば環境の一つなのだ。
自分で自分の体をくすぐっても、くすぐったく感じないのは、自分がくすぐるときは、くすぐったことで引き起こされる皮膚からの触覚信号が神経系の内部で抑制されるから。
大脳皮質は1.5~4.5ミリメートルの厚さをもつ。その内部は、第1層から第6層までの6層構造をしていて、層内と層間の結合を経て、多数の神経細胞がネットワークを構成している。
1000人に1人がかかるパーキンソン病は、ドーパミンの欠乏によって引き起こされると考えられている。この病気にかかると、運動を意図的に実行できなくなるだけでなく、行動計画や問題解決、注意の移動や切り替えなどの機能が低下する。さらに、無気力、不安などが見られ、目標志向行動の低下や興味の喪失も生じる。モチベーションの欠如として捉えられる。
パーティーで急にスピーチを頼まれたとき、心臓の鼓動が早まるのは、実際のスピーチするときになってホメオスタシスに大きな乱れが起きないように、前もってホメオスタシスの設定値を変更する仕組みがあるため。感情は、内臓状態(隠れ状態)の知覚と、その内臓反応をもたらした(隠れ)原因についての相論という二つの要因によって決定される。
統合失調症では、知覚においても感覚減衰が低下する。統合失調症患者は身体を簡単に動かせる状況なのに、一定期間、同じ姿をとり続ける。
統合失調症患者は、事前の信念のみに従った、現実から乖離(かいり)した知覚や認知を得るため、幻覚や妄想をもつことになる。
赤ちゃんは、自分の期待に反するものを長い時間、注視するという経験則がある。
私たちは、環境との相互作用を通じてエントロピーを一定の範囲内に抑えることにより、ホメオスタシスを維持し、生存している。
そして、内受容感覚を通じて内環境を相論し、精度の最適化を通じて自身の状態を感じ、世界の中での自身の存在を感じることができる。
デカルトの「我思う、故に我あり」というよりむしろ、「我あるが故に我思う」なのだ。
脳についての難しい話が満載の新書です。読んで分かったつもりになったところだけを紹介しました。
(2021年3月刊。税込1540円)
2021年6月29日
公務員という仕事
社会
(霧山昴)
著者 村木 厚子 、 出版 ちくまプリマ―新書
高知県に生まれ、高知大学を卒業して労働省でキャリアの国家公務員として働きはじめ、37年間に22のポストを歴任し、ついには厚労省の最高ポストである厚生労働事務次官に就任した著者による公務員の仕事論です。
もちろん、途中で郵便不正事件で逮捕され、苦しい刑事裁判のすえ、画期的な無罪判決をもらっています。検察官によるインターネット記録の書き替えが発覚したのでした。
事務次官を退任したあとも、今なお華々しく活躍しておられることは周知のとおりです。この本は、基本的には、若い人に向けて、公務員とは、こんなにやり甲斐のある仕事なんですよ、と積極面を強調したものです。漠然と官僚を志向したこともある私にとっても異論のない記述が続きます。
でも現実は、内閣人事局による幹部人事の一元管理が強まり、忖度行政があまりにも目立ち、つくづく嫌になるばかりです。これでは公務員志望が減るのも当然です。森友学園での国交省、加計学園での文科省、アベノマスクでの経産省、桜見る会の総務省、思い出すだけでも反吐(へど)が出そうなキャリア官僚たちの不様(ぶざま)さは、哀れそのもの、見てられませんでした。
人が自分の一生の仕事を選ぶときに大切にしたい三つの要素。その一は、人の役に立っている、価値があると思えること。その二は、楽しく働けること、そして、その三は、自分がその仕事によって成長できるかどうか。本来、国家公務員は、これにあてはまるはずですよね。でも、内閣人事局の手の平の上で踊らされて、苦しい、心にもない国会答弁をさせられているキャリア官僚たちが楽しく働いているとは、とても思えません...。
公務員の仕事は翻訳だ。国民のニーズや願いを汲みとり、それを翻訳して制度や法律の形につくりあげていく翻訳家のような仕事だ。なあるほど、そんな表現もできるのですね...。
自分の名前で仕事をしたい人には公務員は向かない。うむむ、そうなんですか...。組織として仕事をするからなんでしょうね。
公務員にとって大切なものは、感性と企画力。世のなかのニーズを感じ、汲みとれる力のこと。そして、企画力は経験で補うことができる。頭がいいだけではダメ。
もうひとつ、公務員には説明力も求められる。弁護士には、言葉だけでなく文章による説明力が求められます。
弁護士の仕事と公務員のそれとの違いは、お金の額がケタ違いだというところにもあります。著者たちは、ある仕事を達成するためには1兆円の予算がほしいと考えた。しかし、財務省は5000億円といい、最終的には7000億円を獲得したというのです。このスケール感(観)は、弁護士にはまったくありえないものです。
この本で唯一私が笑ったのは、「セクハラ」というコトバに財務省がクレームをつけてきたというところです。財務省は、セクハラというのは週刊誌ネタで、神聖なる予算要求の企画書にセクハラなんてコトバを載せたら、予算はつけられないというのです。そこで、「セクハラ」を「非伝統的分野への女性労働者の進出に伴うコミュニケーションギャップ」に急いで書き換え、予算要求が認められたそうです。信じられません...。
国家公務員に必要なのは、一に体力、二に気力、三、四がなくて五に知力。いやはや、国家公務員にならなくて、本当に良かったです。私は弁護士になって徹夜仕事をしたことが一度もありません。土曜も日曜も仕事をすることは昔も今も苦にはなりませんが、夜12時すぎまで書面を書いていたというのは30年前に何回かあったくらいです。
私はいつも仕事は前倒しでするようにしています。そうでないと、追われてしまい、心にゆとりをなくします。そして、モノカキの時間がとれなくなります。そんなの嫌ですから...。
(2021年3月刊。税込946円)
2021年6月30日
自由法曹団物語
司法
(霧山昴)
著者 自由法曹団 、 出版 日本評論社
2004年3月30日、社会保険事務所に勤める国家公務員が警視庁公安部に逮捕された。その逮捕直後の家宅捜索の現場にはテレビ局がカメラの放列を敷いていた。
罪名は国家公民法違反。起訴事実は、衆議院議員選挙に際して、自宅周辺地域に「しんぶん赤旗号外」を配布した行為が公務員の政治的活動を禁止した国家公務員法に違反するというもの。
最高裁判所は、猿払(さるふつ)事件で、一審・二審の無罪判決を覆して有罪判決を出していたが、憲法学界も世論も厳しく批判していた。なので、その後、37年間も国公法違反で起訴された人はいなかった。
裁判(公判)前に証拠開示をめぐって弁護団は裁判所で法にもとづいて要求してがんばった。そして、ついに裁判所は証拠開示命令を発した。その結果、検察官はしぶしぶビデオテープ等を提出した。すると、警視庁公安部は1人の国家公務員の私生活について、のべ171人も投入して尾行・追跡調査をしていた事実が判明した。
私も、そのビデオ映像を見ましたが、そこに投下された莫大な労力に呆れ、かつ、怒りを覚えました。要は、国家公務員が休みの日に私服で自宅周辺の地域に全戸配布のビラ入れをしているというだけの話です。そのビラは合法ビラですから、現行犯逮捕できるようなものでもありません。
平日は2人から3人、土日・祝日は公安警察官が私服で11人も尾行していました。たとえば、2003年11月3日は捜査官11人、ビデオカメラ6台、自動車4台です。盗撮しているビデオカメラは、黒っぽい肩掛けバックに入っていて、網のかかった丸穴からカメラのレンズで撮影していました。こんなことを29日間、のべ171人の公安警察官がしていたのです。まるで凶悪犯人でもあるかのような扱いです。この人は、ただビラを休日に配ったというだけなんですよ...。警視庁公安部というところは、よほどヒマをもてあましている役所のようです。こんな部署に税金をつかうのはムダの極致でしかありません。即刻、廃止せよとまでは言いませんが、大ナタをふるって人員と予算をバッサリ削減すべきです。
問題なのは、私も見たビデオ映像の扱いです。弁護団はテレビ朝日に裁判所で得た映像を提供した。しかし、それは、刑事訴訟法の「目的外使用」にあたる可能性がある。弁護団は、懲戒請求されたら受けて立つと覚悟を決めた...。幸いにも、懲戒請求はされなかったようです。
そして、刑事裁判です。一審(毛利晴光裁判長)は腰が引けていて、罰金10万円、執行猶予2年の判決。もちろん、控訴。東京高裁(中山隆夫裁判長)は、弁護団が忌避申立したほどの強権的な訴訟指揮をしたものの、判決は「被告人は無罪」としたのです。被告人のビラ配布行為には常識的にみて「行政の中立的運営とこれに対する国民の信頼」を損なう抽象的危険すらなく、このような行為を罰則で禁止することは憲法31条に違反するので無罪としました。被告弁護側の完全勝利。このあと、最高裁は、上告棄却したが、その理由は構成要件に該当しないので無罪とするというもので、中山判決よりは後退していた。残念ですが、中山判決の意義は消えません。
自由法曹団の弁護士たちは、選挙運動における国民の選挙活動の自由を守って全国で取り組みをすすめています。そのなかで公務員の政治的活動の自由の拡大も主要課題の一つとして取り組んでいるのです。
それにしても、このビデオ映像は、公安警察は日常的に市民の政治的活動を監視している現実を示すものとして、広くみられるべき価値があるものと思います。ぜひ、ご覧ください。希望者は、私もお手伝いできますので、ご連絡ください。
(2021年5月刊。税込2530円)