弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2021年5月22日

ちひろ、らいてう、戦没画学生の命を受け継ぐ

人間


(霧山昴)
著者 小森 陽一 ・ 松本 猛 ・ 窪島 誠一郎、  出版 かもがわ出版

2020年の秋、「信州安曇野・上田、文学美術紀行」というツアー旅行が企画され、そのときの対談が本になっています。
私は日本全国、すべての県に行ったことが自慢の一つなのですが、まだ信州・安曇野にある「ちひろ美術館」をはじめとする美術館めぐりをしていません。実は昨秋、行くつもりだったのですが、コロナ禍によって流されてしまいました。そこで、今回はツアーの記録を読んで追体験しようと思ったのです。
この本で語られているのは、予想以上に深いものがありました。びっくりしました。
まずは、ちひろの絵です。「枯葉のなかの少年」で、男の子の服装が白いのは、秋の空気の色合いを見せるため。そして、足元に赤がないと絵が締まらないので、靴下は赤。なーるほど、ですね...。
ちひろが丹下左膳など剣豪を描くのが好きだという話には腰を抜かしてしまいました。ちひろのかれんな絵と剣豪の絵のイメージとのミスマッチからです。ところが、剣豪が瞬間的にピッと斬るときの気合がちひろには分かったという。いわさきちひろの絵は気合の勝負の絵なのです。
ちひろは、画用紙に向かって描き始めるまでの時間が長い。しかし、筆をおろしてからは早い。多くの場は、いっきに描いてしまう。そして、締め切りが必要だった。
ちひろは、「見せない」、「隠す」ところがあって、みる人の創造力をかきたてる。ふむふむ、すべては書き尽くさないのですね...。
少女の微妙な心理を連続した絵で描いたり(「あめのひのおるすばん」)、男の子の悲しみを表現するために、紙がむけるほど消しゴムで消しては描いている(「たたずむ少年」)。いやあ、こんな解説を聞かされると、ちひろの絵の深さにしびれてしまいますよね...。
らいてうの本名は平塚明子(はるこ)。夏目漱石の教え子だった森田草平と駆け落ちし、心中未遂事件を起こした。そして、漱石は森田草平をひきとって、自宅に2週間かくまった。さらに、漱石はらいてうの親に対して、草平が小説を書くことを了承しろと迫ったというのです。教え子の草平の苦境を救うためでした。
ところで、漱石の「草枕」に出てくる女性(那美)は、らいてうをモデルにしていたというのです。みんな同時代に生きていたのですね...。
この本の最後は、「無言館」の窪島誠一郎と小森陽一の対談です。これがまた読ませます。窪島の実父は水上勉。35年たって実父と面会し、また実母とも再会した。しかし、実母とは2回しか会わなかったというのです。いろいろあるものなんですね...。
窪島誠一郎の実父が水上勉だと分かってまもなく朝日新聞が大スクープとして紙面に紹介したいきさつは、不思議な人間社会の縁を感じさせます。要するに、このとき朝日新聞のデスクをしていた田代という人が、水上勉と同じ東京のアパートの隣室に暮らしていて、窪島のおシメを取り替えたこともあったというのです。こんな偶然も、世の中にはあるのですね...。
コロナ禍のせいで、思うように旅行できませんが、ますます信州の美術館めぐりをゆっくりしたいと思いました。このツアーに参加した元セツラー仲間から贈ってもらった本です。ありがとう。いいツアーでしたね。うらやましい。
(2021年3月刊。税込1870円)

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