弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2021年5月 1日

囚人Ⅱ

韓国


(霧山昴)
著者 黄 皙暎、 出版 明石書店

現代韓国を代表する作家として、ノーベル文学賞候補と言われる作家の自叙伝の後半(続き)です。
高校在学中に新人文学賞をとったというほどの早熟の作家なのですが、ともかく、その社会生活の多様さに圧倒されます。国内の無賃乗車の旅は韓国の若者特有の冒険旅行のようです(日本でも、かつて若い人がリュックひとつを背負って旅行してましたね。バックパッカーとして...。今は、聞きませんね)が、きつい肉体労働を若いときから何回もしていますし、出家しようと決意して、お寺での僧坊生活も体験しています。
さらには、徴兵に応じて海兵隊員としてベトナムへ行って1年半ものあいだの実戦経験があります。帰国してからも肉体労働しながら著述をすすめ、ついに専業作家となるのですが、民衆文化運動に加わるなかで民衆による光州事件を支援し、北朝鮮訪問も敢行しています。書斎にとじこもった作家というのではなく、歩きながらペンもとるという行動派の作家として歩んできました。
ベルリンとニューヨークで亡命生活を送ったあと韓国に帰国し、5年にも及ぶ刑務所生活を余儀なくされたのでした。1998年に金大中政権が誕生して、ようやく赦免されたのです。
まさしく波乱万丈の人生です。そのことが著作に深味というか重味をもたらしているのでしょう。大河歴史小説『張吉山』は完結するまで10年かけているとのことですが、その間、作家業に専念していたのではなく、韓国民主化運動のなかで発出された宣言の起草もしていたというのです。まさしく民衆のなか足で行動する作家と言えます。
ひょうきん者として知られていたが、実際は内気で内向的な性格なのを、他人は知らない。おどけたふりをするのは、自分を傷つけないための一種の防衛策なのだ。先手を打つとでも言おうか。先にこちらは騒ぐと、たいてい相手は私がどう考えているかを知ってしまう。そうならないために身についた「策略」なのだ。
小説家は天職と考えるようになった。それでも、小説家は、「学識者」ではなく、もともと市場(いちば)の物売りのような市井(しせい)の「商売人」であるべきだとの思いに変わりはない。
生きていくとは、それ自体は手応えのある喜びで、苦しい人生もすべてが自分の人生の一部なのだ。
刑務所の独房には話し相手がいない。なので、言葉を忘れがちになる。真っ先に消えるのは固有名詞。朝起きると、自分に話しかける。一日中、ぶつぶつ、つぶやく。国語辞典を借り出して、収録されている用語を大声で順番に読み上げることもある。だけど、監房での読書は正しい読書ではないと悟った。書籍も、他人と意思を伝えあいながら読むことで、きちんと消化される。独房での孤独な身での読書では、読んだ本の内容は観念の柱のように、壁の前に耐えて立っているだけ。
コロナ禍の下でのズームによる会議も、終わったあと頭に残りません。そのときは分かったつもりでいても、ズームが終了すると、それこそたちまち雲散霧消してしまって、ほとんど何も頭の中に残っていません。
著者は刑務所を出たあと妻とのあいだで数年にわたって離婚訴訟をたたかったようです。離婚訴訟というものは、長引けば長引くほど、お互いを傷つけるもので、まるで一生を賭けているように譲歩の余地もなくもつれ、汚物や泥沼の上を転げまわり、最終的に残ったのは、呵責(かしゃく)の念、申し訳なさ、相手に対する憐憫の情などをまったく持っていない(としか思えない)、すっかり消し去るほどの威力をもつものだった。
監獄では、外部世界のように春夏秋冬という四季はなく、寒い冬と寒くない季節の二つに分かれる。誰かが面会に来ると、しょぼくれた姿を見せまいと、わざとジョークを飛ばしていた。活気あふれる声で話すようにしていた。なので、周囲からは、あまり同情してもらえなかった。
ベトナムの戦場では、生死の境は常に身近にあった。「両足で歩いているすべてのベトナム民間人は敵と思え」。これがアメリカ兵のなかに流行していた警句。ということは、アメリカはこの戦争には勝てないということ。
ベトナムの戦場でゲリラの死体を見ても、人間としての憐みの感情をもてなかった。それは、ただ異様な物体でしかなかった。そして、何より、彼らにも同じように未来に対する夢があったことだろうが、そのことに気がつかなかった。
ベトナム人の蔑称「グック」は韓国語の「ハングック」から来ているのだそうです。初めて知りました。ともかく、すごい行動派作家がいたことに圧倒され、頭がクラクラします。
(2020年12月刊。税込3960円)

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