弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2021年4月26日

マンガ万歳

人間


(霧山昴)
著者 矢口 高雄 、 出版 秋田魁新報社

「釣りキチ三平」で有名なマンガ家が自分の生い立ちからマンガ家として成功するまでの人生を語っています。手塚治虫と同じく、私の大好きなマンガ家です。この本の初めにカラー図版で紹介された原画にも圧倒されます。ともかく繊細ですし、大自然のなかの人物(生物)が生き生き輝いています。
生まれたのは奥羽山脈の貧しい農家の長男。小作人のせがれですから、本当は高校にもいけないほどの家庭に育ちました。
カジカの夜突きというのを母親と一緒に行ったというのにも驚きました。お母さんがカジカの夜突きが大好きだったというのです。このお母さんは長生きして96歳で亡くなりましたが、教育熱心で、勉強するなら農作業は手伝わなくていいと言ってくれたのだそうです。偉い母親です。
そして、中学校では優等生だった著者は、高校に行かずに就職するつもりでいたところ、中学校の担任教師が自宅を訪問して、両親に「高校に行かせてほしい」と頼み込んだというのです。父親が「学問が何の足しになるのか。うちにそんなお金はない」と拒絶し、夜まで話し合いが続いたところで、母親がこう言ったのです。
「父さん、おらたちが死に物狂いで働けば、何とかなるべ」
いっや、すごい、すごいです。母親も担任教師も、どちらもです。
高校に入ったら、夏は自転車で25キロの道を通学。さすがに冬は下宿。下宿代はクズの葉を売ったお金で支払う。集落から高校に行ったのは第1号で、村の大人から「高校に行って天皇陛下になるつもりか」とひやかされたとのこと。
そして、高校を卒業して地元の銀行に入ります。この12年間の銀行員生活もあとで「9で割れ」というマンガになっています。
支店長が著者にこう言った。
「きみのマンガがうまいのは認める。でも、そんなものにうつつを抜かすようでは、ろくなもんにならない」
面と向かって言われ、著者は心底から怒った。
「そんなもの?それならプロになってマンガで勝負してみようじゃないか」
銀行を依願退職したとき、著者は31歳。
妻は、「やってみなさいよ。ただし、子どもたちや私を路頭に迷わすことは絶対しないでね」と、あっさり同意した。これにも驚きますね。ただ、著者はずっとマンガを描いていました。その姿を見ていたからでしょうね。
「釣りキチ三平」の連載が「少年マガジン」で始まったのは1973年(昭和48年)のこと。私は司法修習生でした。もうマンガは卒業した気分ですから、たまにしか読んでいません。
毎日15時間以上、机にかじりついてマンガを描いていたとのこと。10年間、連載は続いた。これまた、すごいですね。
中学1年生の国語の教科書にエッセー「カジカの夜突き」が載り、カラーのイラストもついているとのこと。マンガはすっかり教育的なものとして定着しているわけですよね...。
10年間も続いた「釣りキチ三平」は累計で5千万部も売れたというから、すごいものです。
漫画家生活50年。72歳になって病気もし、筋力をなくして2012年に創作活動は廃業。
「横手市増田まんが美術館」には著者の原画4万2千枚があるそうです。これはぜひぜひ見学に行きたいものです。そのためには、コロナ禍が収束してくれなければいけません。
81歳で2020年11月に亡くなった著者をしのぶ絶好の本です。
(2020年12月刊。税込1430円)

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