弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2021年2月26日

ベトナム戦争と沖縄

ベトナム・社会


(霧山昴)
著者 石川 文洋 、 出版 榕樹書林

1967年、私が大学生になった年は、ベトナム戦争まっさかりでした。詳しいことは知りませんでしたが、強大なアメリカ軍が50万人もの兵隊をベトナムに送り込んでベトナムの人々に戦争をしかけているのには生理的な抵抗感がありました。「ヤンキー・ゴーホーム」という気分です。当時の大学生の多くが、そんな気分だったように私は思いました。
それでも、ベトナム戦争の現場の写真に接することは、あまりありませんでした。
ベトナムでアメリカ軍は空から徹底的に爆撃しました。ナパーム弾で農村地帯を焼き尽くし、枯れ葉剤をまいて、ジャングルを裸にしてしまったのです。それでもベトナムの戦う人々はそれこそ文字どおり地中に潜って戦い続けたのです。
私もクチのトンネルに潜ってみました。まっ暗いトンネルが延々と続いているのです。怖いとしか言いようがありません。
アメリカ軍が山頂に大砲陣地をすばやく築きあげた写真があります。ヘリコプターからブルドーザーをおろし、たちまち地面をならして陣地を築きあげるのです。そして、このアメリカ軍の物量作戦を支えたのは、日本の沖縄でした。
1965年3月に、アメリカ軍のベトナムでの初めての戦闘部隊は、沖縄にいた第3海兵隊。第一海兵師団は戦死者1万人、負傷者8万人を出している。まさしく、沖縄はアメリカのベトナム侵略戦争を支える後方基地、兵站基地でした。そして、それは沖縄経済も潤わせたのです。
ベトナムで破壊された戦車は、いったん沖縄に来て、それから神奈川県相模原で修理された。横浜では、そんな戦車を通さない、運ばない運動が取り組まれました。横井久美子さんの「戦車は通さない」という歌にもなっています。
著者がベトナム戦争の最中にとった写真の少女(ソー、10歳)に、著者は25年後、そして42年後にも再会し、写真が紹介されています。同じく、1965年に市場でモノを売っていた少女(アン、17歳)とも、23年ぶりに再会し、それから10年後にも再会しています。きりっと引き締まった美少女でした。
ベトナムではたくさんの沖縄出身のアメリカ兵が戦死していることもこの本で知りましたハワイに本部のある第25歩兵師団には、沖縄出身の二世兵士がいたのです。25師団だけで、4547人が戦死し、3万人以上が負傷していますので、二世兵士たちが大勢亡くなったのも当然です。
いま、ベトナムはロシアや中国と離れて、アメリカを親善国としている。政府は共産党だけど、経済は資本主義そのもの。オバマもトランプもベトナムを訪問している。
では、ベトナム戦争で犠牲となった300万人もの民衆と兵士の死は、いったい何のためだったのか...。著者の疑問は、まことにもっともです。結局、アメリカの産軍複合体がもうかっただけではなかったのでしょうか...。ほとほと嫌になる現実、過去の歴史があります。
そんなこと思い出させる写真がたくさんありました。
(2020年12月刊。1300円+税)

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