弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2021年1月24日

囚われの山

日本史(明治)


(霧山昴)
著者 伊東 潤 、 出版 中央公論新社

八甲田雪中行軍遭難事件は1902年(明治35年)1月23日、陸軍の青森歩兵第五連隊第二大隊が雪中行軍演習したとき、折からの天候悪化により、道に遠い199人の犠牲者を出した史上空前の遭難事件。新田次郎の『八甲田山、死の彷徨』など、映画化(三國連太郎も出演)もされている(残念なことに私はみていません)。
120年も前の大事件を歴史雑誌編集者が売れる雑誌をつくろうと企画し、現地取材中に今もなお解明されていない謎を発見し、それに迫っていくというストーリーです。
著者の本は、『義烈千秋、天狗党西へ』、『巨鯨の海』、『峠越え』など、どれも読ませるものばかりですが、この本も、ぐいぐいと引きずり込まれてしまいました。
謎解きの要素も大きい本なので、ここでネタバレをするのはやめておきますが、軍の人体実験ではなかったのか、という点は、なるほど、そうだったのかもしれないと思いました。というのも、この陸軍による雪中行軍は2年後の日露戦争に向けて、厳冬の満州での大規模会戦の予行演習であったことが今では明らかになっていることだからです。
この青森歩兵連隊は、日露戦争のとき、満州大平原においける黒溝台作戦に従事しているのですが、八甲田山での雪中行軍で大量遭難した経験をふまえて、防寒対策をきちんとしていたため、凍死者を出すことはなかったというのです。
日露戦争のとき、青森歩兵第五連隊は、黒溝台の戦いに投入された。このとき、氷点下27度といった酷寒の中の戦いだったが、日本軍は寒冷地対策が万全だったため、凍傷者は出したものの、1人の凍死者もださなかった。うひゃあ、そうだったのですか...。
八甲田山で死んでいった兵士のおかげで、日本は日露戦争を勝ち抜けた。無駄死ではなかった。八甲田山では、限界に来ていた者や身体に不調を来して動けなかった者が実は生き残れた。逆に歩けるほど元気だった者は、体力を使いきって生命を失ってしまった。低体温症によって、正常な判断を下せなくなった者が続出した。酷寒のなか、ほぼ全員が手指の自由を失った。このため、雪濠の掘削どころか、排尿も排便もできなくなり、そのまま垂れ流したので、ズボンの中が凍りつき、性器部分も凍傷になり、あとで生存者の多くは切断手術を受けた。いやあ、これほどまでだったとは...。知りませんでした。
「山落とし」とは、猟師たちが冬山に入って遭難しかかったときに襲われる症状の一つで、低体温症の初期段階をさす。その症状はさまざまで、身体の震えがとまらなくなる者、嘔吐、頭痛、めまいなど...。
この本に、ソ連時代のロシアで起きた遭難事件の真相を解明しようとする『死に山』(河出書房新社)が紹介されています。このコーナーでも前に書評をのせました。
八甲田山の兵士大量遭難事件は陸軍による人体実験だという指摘は、そうかもしれないと思います。戦前の陸軍が、兵士なんて、いくらでも替りがいると考えていたことは間違いありません。そんな「真実」を発掘し、読みものに仕立てあげた著者の筆力には、今さらながら驚嘆させられます。
(2020年6月刊。1800円+税)

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