弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2021年1月22日

戦争と弾圧

日本史(戦前)


(霧山昴)
著者  纐纈 厚 、 出版  新日本出版社

 戦前に特高警察として共産党弾圧を指揮し、戦後は公職追放のあと国会議員として「建国記念の日」の旗振り役となった纐纈弥三の一生をたどった本です。著者は同じ纐纈姓なので、ひょっとして身内なのかと思いましたが、同じ岐阜県の出身ではあるけど、親族ではないとのこと。ただ、纐纈弥三が衆議院議員のとき、著者の家にも選挙の挨拶に来たのだそうです。
この纐纈(こうけつ)という名前は岐阜県の美濃地方では珍しい名前ではない。纐纈の読み方にはこうけつのほか、くくり、あやめ、はなぶさ、こうげつ、きくとじ、こうしぼり、こうけんなど、いくつもあるというのにも驚かされます。
 纐纈というのは、絞り染めからきていて、江戸中期までは上級武士の晴れ着として珍重されていたとのことです。あの『蟹工船』の作者である小林多喜二を無惨にもまたたくまに虐殺した特高警察を許してはならないと私は心底から思いますが、その虐殺の状況、下手人たちは今なお明らかになっていません。纐纈弥三とか毛利基とか課長連中がどれほど関与していたのか、本人たちは戦後になっても白々しく何も語りませんでした。その意味では、嘘を国会で118回も繰り返して恥じないアベ前首相とウリふたつです。
纐纈弥三は、一高から京都帝大に行き、内務省に入りました。あとは特高警察や県知事などの要職を歴任しています。この本は、纐纈弥三の日記(全部ではありません)によって、その私生活にも触れつつ、戦前の日本の民主主義が崩壊されていくなかで特高警察がいかに危険な役割を果たしたのかを明らかにしています。要するに、日本が帝国主義侵略戦争を仕掛けていくとき、その障害物を除去するため、特高警察は共産党を真っ先に弾圧し、そして、戦争遂行を妨げる民主主義を圧殺してしまったのでした。
 ところが、そんなひどいことをした特高警察が戦後の日本で見事に復活し、大手を振るって国政の表舞台に登場してきたのです。それが今の自民党にそっくりつながっています。これがおぞましい日本の現実です。いま選挙のときに投票に行かないということは、そんな現実を下支えしているということにほかなりません。
戦後、戦前の軍国主義に加担した政治家や官僚たちに対してGHQは公職追放したのは10万人。ところが、ドイツでは110万人が公職追放された。日本はドイツの1割でしかない。しかも、特高警察に属する下級警察官は職を失って路頭に迷ったが、上級官僚たちは、みるみるうちに要職に返り咲いた。警察の特高課長経験者が自民党の国会議員になった人物が紹介されていますが、なんと総勢で54人(特高課長と同種の肩書をふくみます)にのぼります。えぇっ、自民党って特高課長の党だったんだね...と驚き。呆れてしまいます。ここにも日本人特有の忘れっぽさがあらわれているようで嫌になります。
特高課長として無惨な拷問を指揮命令して纐纈弥三ですが、日記によると、子煩悩のようであり、子どもや妻を亡くしたときの悲しみは、人間らしいものが十分にうかがえます。つまり、新しい身内には人間らしい情愛を尽くす一方で、「敵」と思い込んだ共産主義者などに対しては人を人と思わぬ残酷さを発揮するのです。これは、ヒトラー・ナチスの幹部たちとまったく同じです。
戦前の「3.15事件」という1928年(昭和3年)におきた日本共産党弾圧事件。日本の侵略戦争のもう一つの表現であった。戦争と弾圧が表裏一体の関係で強行された典型的な歴史事例である。日本の戦争は、弾圧なくして強行できなかった質を内在したもの。つまり戦争と弾圧は一体のものであった。
 著者によるこの指摘は、まさしくズバリ本質を突いている。私はそう思いました。
 纐纈弥三と同じころ共産党弾圧に関与していた人物は「共産党の取り締まりをやっているときが一番楽しかった。このころ田中義一内閣は山東出兵を強く出兵する方針で、そのために戦争反対を叫ぶ共産党の存在がたんこぶだった」と戦後に語ったとのこと。寒気を覚えるほど、おぞましい告白です。そして、纐纈弥三は、戦後、自民党(今の自民党の前身をふくみます)の国会議員として「建国記念の日」を定めるのに執着しますが、その頭のなかには神武天皇が実在していたという。まるで非科学的なイデオロギーにみちていました。
 これまた、おぞましい事実です。これは日本会議の源流の一つなのでしょうね...。
(2020年10月刊。2200円+税)

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