弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2021年1月15日

考古学から見た邪馬台国大和説

日本史(古代)


(霧山昴)
著者 関川 尚功 、 出版 梓書院

邪馬台国は九州にあった、しかも福岡県南部の山門郡が有力。となると、私はうれしい限りです。奈良県の大和説が圧倒的優勢だなんて聞くと、悲しくなります。
この本では、大和にいる著者が古墳の発掘・調査の体験もふまえて、大和説は成り立たないことを論証しています。九州説の私にとって勇気百倍の本です。
奈良盆地の内部において、首長墓とみられる大型の弥生時代の墳墓はみられない。そして、大和地域の弥生遺跡からは鉄製品の出土が少ない。大陸産の青銅器の出土も少ない。大陸系の遺物、とくに中国製の銅鏡、銭貨は奈良県内ではごく少数しか出土していない。
纏向(まきむく)遺跡は、環濠をめぐらせるものでなく、開放的な立地形態。
大和地域は、銅鐸(どうたく)文化圏とされる近畿地方のなかで、銅鐸の出土数や生産において、その中心地とは認められない。
大和弥生時代に、中国鏡の出土がないことは、邪馬台国の卑弥呼が得た「銅鏡百枚」の影はうかがえない。
弥生時代の大和地域が北部九州と交流していたとは認められない。
唐古(からこ)、鍵遺跡にみる大和弥生遺跡の内容と、纏向遺跡の実態から、邪馬台国の存在を想定することはできない。
箸墓(はしはか)古墳を卑弥呼の墓とすることに、戦後の考古学界は否定的だった。
古墳時代の基本(中期)は5世紀。そして箸墓古墳は4世紀につくられたと考えるべきで、3世紀にさかのぼるとは認められない。
考古学的にみると、大和においては古墳を出現させうるような勢力基盤は認めがたく、この事実は邪馬台国大和説の成立を否定するものである。
ところが、北部九州には、有力な弥生首長墓がいくつもある。有力首長墓の存在が確認できず、さらに対外関係と無縁といえる、この時期の大和地域において、北部九州の諸国を統属し、積極的に中国王朝と外交を行った邪馬台国のような国が自生するというのは考え難い。
ふむふむ、そのとおりだ、よっし、やっぱり九州説が一番だ...。
(2020年9月刊。1800円+税)

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