弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2020年12月18日

叛乱の六〇年代

社会


(霧山昴)
著者 長崎 浩 、 出版 論創社

安保闘争と全共闘運動というサブタイトルのついた本です。1937年生まれの著者は東大闘争に助手共闘として参加しています。共産主義者同盟(ブンド)の一員でした。
この本では、まず理論的な記述のところは、私にはさっぱり理解できませんでした。あまりに抽象的な議論なので、ついていけなかったのです。次に、島泰三の『安田講堂』(中公新書)の間違った記述と同じ間違いをしているところは、私には納得できませんでした。
1969年1月10日の秩父宮ラグビー場での大衆団交で「議長をつとめたのは、後の文部大臣、町村信孝だったという」と、この本に書かれていますが、このときは議長が1人いたというものではありません。当時の写真は何枚もありますが、学生側は代表団が大学当局と交渉していましたし、それを7千人もの東大生が見守っていたのです。「あの広大なラグビー場の観客席の片隅で」交渉が行われたのでは決してありません。ただし、「全共闘系の小さなデモ隊が集会粉砕を叫んで、ラグビー場の芝生を踏んで走り抜けた」というのは事実です。
また、全共闘を本郷の総合図書館で「完敗」させたのが「代々木の防衛部隊」(日本共産党系の暴力部隊)というのもまったく事実に反しています。島泰三も著者も、どうやら現場にいなかったようです。私をふくめた東大駒場の学生たち(民青もそうでない人も)が最前線にいて全共闘のゲバ部隊を撃退したのです。周囲に1500人ほどの東大生・院生・教職員がいて、その見守るなかの衝突でしたから、そう簡単に「外人部隊」は最前線に立てませんでした。もっとも外人部隊200人くらいはいたようで、私もそれは否定しませんが、宮崎学の『突破者』はあまりに自分たちの「あかつき戦闘隊」なるものをオーバーに語っています。自慢話は、例によって話半分に聞くべきなのです。
ところが、この本では学生大会で大いに議論していたことの実情を紹介し、その意義を認めていることについては、私もまったく同感します。東大駒場では学生大会ではなくて代議員大会ですが、九〇〇番教室に1000人をこえる代議員とそれを見守る学生が夜遅くまで延々と何時間も徹底的に議論していました。会場内でときに暴力がなかったわけではありませんが、基本は言論でたたかう場だったのです。
島泰三(動物学者としての本はすばらしいと私は思っています)の集計によると、全共闘支持派34%、民青支持28%、スト解除派39%というのが1968年の末の状況だと紹介されていますが、これは間違いではないような気がします。とはいっても、「スト解除派」とされている39%の大半はアンチ全共闘で、民青との連携やむなしだったと思います。だからこそ次々にストライキが終結し、授業再開に向かったのです。
要するに私が言いたいことは、東大闘争は全共闘の理不尽な暴力が横行したものの、基本的には学生大会での言論戦と採決、駒場では代議員大会と全学投票で事態は推移していったこと、そのなかで全共闘の理不尽な暴力は一掃されていったということです。
全共闘の「失敗」を認めない人の多くは、本書もそうですが、自分たちのやった理不尽な暴力についてまったく反省することなく、日本共産党の暴力部隊(外人部隊)によって闘争が圧殺されたとするのです。私は、それは恥ずべき間違いだと思います。暴力で東大を解体しようとする運動に未来があるはずもないのです。
批判するばかりの本をこのコーナーで紹介することは、これまでも、これからもありませんが、この本には東大生の多くが実は東大闘争に多かれ少なかれ関わっていたという事実が紹介されていて、その点はまったく同感なので、紹介することにしました、ただし、10年前に発刊された本です。
(2010年11月刊。2500円+税)

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