弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2020年12月 1日

ハポンを取り戻す

フィリピン


(霧山昴)
著者 河合 弘之、猪俣 典弘 、 出版 ころから

ハポンとフィリピン残留日本人のこと。
フィリピンに日本人が戦前からいたことはうっすら知っていましたが、明治になってからの日本は積極的な移民を送り出しの国であり、ハワイだけでなく、フィリピンにも多くの日本人が移住していたのでした。
戦前のフィリピンには、3万人をこえる日本人がいて、アバカ麻の生産などに従事していた。そして、第二次大戦中に、フィリピン戦線で、日本人は軍民あわせて51万8千人の戦没者を出したが、フィリピン人は、その2倍をこえる110万人もの犠牲者を出している。
フィリピンでハポンというと単に「日本人」という以上に差別的、否定的な意味をこめて使われることが多い。
ハポンと呼ばれる残留日本人たちは、みなフィリピンで生まれ、フィリピンで育った。戦前にフィリピンに移住した日本人移民の子どもたち。
先日、ウルグアイ大統領だった「ムヒカ」を描いた映画をみましたが、ムヒカの身近なところに日本人移民が生活していて、菊などの花づくりをしていたことが紹介されていました。
日本の敗戦後、日本人は強制収容所に入れられ、多くの日本人は日本へ強制送還された。このとき4000人ほどがフィリピンに残留した。
父が日本人なら、その子は日本人となる。これは、日本もフィリピンも同じこと。
フィリピン2世たちの多くは父親と死別していた。父親は兵隊にとられて戦死したりしていた。日本からもフィリピンからも、単に敵意と疑惑の目を向けられていたのが、2つの国にアイデンティティをもつ2世たちだった。ところが、戦争によって、死んだ父親が本当に日本人なのか証明することが難しいのです。2世たちは、日本人になりたいのではなく、「である」ことを確認したいということ。
フィリピン残留日本人は無国籍状態となっていて、これは、早急に解決すべき人権課題なのだ。
河合弘之弁護士は日本国内で有数の大型事件を手がけたあと、最近では原発なくせ訴訟で大奮闘し、「日本と原発」などの映画まで製作していることは知っていましたが、フィリピン残留日本人の人権問題に関与して献身的に活動していることを、この本で初めて知りました。日本政府の方針で海外へ出ていった日本人移民の子孫を見捨てたらいけないと痛感させられた本です。
(2020年7月刊。1600円+税)

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2020年12月 2日

弁護士の夢のカタチ

司法


(霧山昴)
著者 日弁連若手法曹サポートセンター 、 出版 安曇出版

弁護士になることがゴールではない。どんな弁護士になるか、夢が大切。
まことにそのとおりです。今は、どんな弁護士になるのか、夢を語るときではない。それよりも少しでも条文を覚え、法解釈を身につけるのか先決だとして、社会に目をふさいで受験にいそしみ、弁護士になったら前に抱いていたはずの夢なんか、まるで忘れてしまって金もうけにいそしむようになってしまった人を身近に何人も見聞しました。
夢ばかりみていて、夢想の世界に浸っていたら、もちろん合格は遠ざかってしまうわけですが、たまには夢をみながら、緊張関係をもちつつ勉強に励んだほうが、弁護士になってからも視野が広がる。このことを私の体験を通して実感します。
この本は2012年11月発刊ですから、8年前の本なので、少し古くなっているところがありますが、大切なところは変わりません。
それにしてもブラジルの弁護士の話には驚きました。
ブラジルは人口1億9千万人で、67万人もの弁護士がいる。これは、アメリカとインドに次いで多い。以前は、大学を出たら弁護士になれたり、州ごとに弁護士試験があったりしていた。今では全国統一試験が年に3回ある。日本と同じように受験予備校がある。ブラジルの大学法学部では、4年生と5年生のとき、実務研修が義務づけられていて、大学に設置されている法律事務所で市民から相談を受け、訴状などを起案する。
ところで、ブラジルの裁判は解決まで5年かかる。弁護士志望は公務員より少ない。公務員のほうが弁護士より給料もよいし、社会的信用も高い。
ええっ、日本とかなり違いますね...。
国会議員になった人、吉本興業やユニクロ、そして病院でインハウスローヤーとして活動している人...。そして人材紹介業にいそしんでいる人、国際人権活動に邁進している人など、さまざまな分野で活動している弁護士たちの一口コメントには興味深いものがあります。
この本の前半100頁ほどは、イソ弁が独立しようとするとき、何を考え、どうしたらよいのかのガイダンスとなっています。私自身も3年あまりで、6人目の弁護士だった集団事務所を独立して開業しました。とても不安な出発でしたが、まったく大正解でした。やはり、ニーズあるところで、地道に実績づくりを心がけたのが良かったと思います。
何事も焦ってはいけません。初心忘るべからずを思い出させてくれる本でした。
(2012年11月刊。2000円+税)

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2020年12月 3日

韓国の若者

韓国


(霧山昴)
著者 安 宿緑 、 出版 中公新書ラクレ

日本の若者も大変な状況だと思いますが、韓国の若者はどうやらもっと大変そうです。
韓国は、高学歴貧困者の数が世界トップレベルにある。一流大学卒業でなければ、希望の職に就くのは、まず無理。
韓国では日本と違って、新卒採用者にも即戦力を求める。そのため、インターン経験の有無が重要となる。これって、フランスでも同じようです。日本だったら、入社して早々に社内で缶詰め研修を受けたりするわけですが...。
韓国では、どんな会社でも、学歴のほかに、実務とは関係ない資格を要求する。たとえが、英語のTOEIC700点とか、コンピューターのライセンス、また韓国史検定とか...。
文在寅政権が最低賃金を上げたため、アルバイトが激しい競争にさらされている。最低賃金を上げたのはいいことだと思うのですが、そのため、競争率が激化して、アルバイトにすらありつけない若者があふれるようになった。これも、たしかに困りますね...。
韓国では、財閥はもちろん、高い地位にいる人が貴族のように横暴な振るまいをすることが多い。熾列な競争を潜り抜けてきたから、そのあげくに支配層の一員にすべりこんだら、その自意識が肥大化し、ときに暴走してしまう。
ナッツ・リターン・ナッツ姫のとんでもない横暴さは、なんと氷山の一角だというのです。
大企業40代定年説という見方もあるそうです。実際、大企業を退職する平均年齢は49.1歳だといいますからね...。
韓国の大学進学率は日本よりも高い。国内の7割の若者が大学に進学している。
階層が親の経済力によって固定されやすいのが韓国社会の特徴だ。
韓国の婚姻件数は、1996年の43万5千件をピークとし、2019年に史上最低の24万件となった。出生率も0.94人。
過保護に育てられ、生活能力が身につかなかった若者が少なくない。
現在の韓国社会では、階層がほぼ固定化し、経済的に同じレベルでしか結婚しにくい状況にある。
韓国の20代の男性は、女性のほうが自分たちよりも優遇されていると感じている。
彼らは、徴兵に対して被害者意識をもち、軍隊は時間の浪費で、損失と考えている。
これは真理ではないでしょうか。徴兵制度のない日本に生まれて、私は本当に良かったと思います。
韓国の軍隊のなかでは、女性兵に対する性的暴行よりも、男性同士の性行為のほうが厳罰化している。うひゃあ、本当ですか...、信じられません。
韓国には「地雑大」というコトバがあるそうです。日本の「駅弁大学」と同じニュアンスのようです。「地方の雑多な大学」のことを指摘します。
韓国の若者に新興宗教に走る人が少なくない。韓国内には、自らをイエスの生まれ変わりと主張する人が40人近くいる。そして、その信者が200万人もいることになっている。死んだ文鮮明の統一協会のような宗教団体が韓国内にはびこっているようです。
いやはや大変なんですね。日本に働きにくる韓国人を応援したいと本気で思いました。
(2020年9月刊。820円+税)

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2020年12月 4日

芦部信喜、平和への憲法学

司法


(霧山昴)
著者 渡辺 秀樹 、 出版 岩波書店

芦部(あしべ)信喜(のぶよし)は戦後日本の憲法学の大家です。ちょっとでも憲法をかじった人なら知らない人はいないほど高名な学者なのですが、憲法改正に執念を燃やした安倍前首相は国会で「知らない」と答弁しました。つまるところ、安倍さんは憲法をきちんと学んだことがないと自白したようなものです。
私は東大駒場にある九〇〇番教室という1000人収容の大教室で芦部教授の講義を聞いたことを覚えています。満員盛況の講義でした。思想・信条の自由がテーマだったと思います。
芦部信喜は長野県の伊那北高校から東大法学部に進みましたが、入学してまもなく(3ヶ月後)兵隊にとられてしまいました。陸軍金沢師団に入営して、危く特攻隊員になるところでした。幸い不合格になって芦部は生きのびることができたわけですが、人間性を無視する軍隊を生涯にわたって嫌いました。
『わだつみのこえ』(戦没学生の手記)に耳を傾けてほしいと芦部は学生に訴えた。
1962年に起きた恵庭事件で結局、裁判所は憲法判断を回避したが、芦部は事件の重大性や違憲状態の程度などを総合的に検討した結果、十分な理由がある場合には、裁判所は憲法判断に踏み切ることができると主張した。この考えが長沼事件のときの判決で自衛隊違憲を認定した福島重雄判決につながった。
芦部は、「必要最小限の自衛力」を認めながらも、九条を守ることにこだわった。
猿払事件(さるふつ。郵便局員が政治的行為で国公法違反の罪に問われた)で、芦部は鑑定意見書を裁判所に提出し、無罪判決を導いた。また、1965年の統計局事件のときには、1970年7月、芦部は東京高裁の法廷にたって証言した。芦部は教科書裁判のときも東京高裁で証人として証言している。1992年4月のこと。
芦部は「裁判所の使命は、国民の権利・自由を保障すること。憲法保障機能の活性化に寄せる国民の期待にこたえる裁判を望んでいる」と法廷で述べた。
堀木訴訟(全盲の堀木文子さんが児童扶養手当の支給を受けられないという行政の決定の取消を求めた)について、大阪高裁が立法府の裁量を広く認めて合憲としたことに芦部は憤った。「生存権規定を観念的に解釈し、重度障碍者の生活実態に眼をおおった立論」として判決を厳しく批判した。
靖国神社への首相や大臣が参拝するのは違憲の疑いがあるとした。このとき、保守の作家である曽根綾子も閣僚や公式参拝は日本国憲法に反すると明確に主張した。
理不尽さがまかり通る軍隊を経験したこと、身近な人たちが次々に戦死していくのを見た芦部は、あくまで平和と人権を守って大学の内外で大活躍したのです。
芦部の偉大さを改めて痛感させられる本でした。
(2020年10月刊。1900円+税)

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2020年12月 5日

神々は真っ先に逃げ帰った

日本史(戦後)


(霧山昴)
著者 アンドリュー・バーシェイ 、 出版 人文書院

日本の敗戦時、満州にいた日本軍のうちソ連軍の捕虜となったのは61万人、文民で捕縛された抑留者は7千人だった。
敗戦直後、朝鮮にあった挑戦神宮の宮司たちは、御神体を直ちに東京へ空輸した。
8月16日(もちろん1945年)、朝香宮(鳩彦王)、閑院宮(春仁王)、竹田宮(恒徳王)の3人は東久邇宮(稔彦王)とともに皇居内に呼び出された。そして、閑院宮は南太平洋に、朝香宮は中国に、竹田宮は満州に出向き、天皇の「聖旨」を伝え、武装解除に応じるよう説得に行くことになった。
竹田宮は家族を新京に残していたので、8月10日、家族を東京に呼び戻していた。竹田宮はシベリア抑留を紙一重の差で免れた。
ソ連が参戦したとき、関東軍の大半は通信遮断によって戦闘に入らないか、入っても遅すぎた。ソ連軍は、155万人の地上軍、戦車5千両、航空機5千機で侵入してきた。ソ連軍が攻撃を開始して1週間のうちに日本軍5千人が死に、終了までに4万8千人が亡くなった。
関東軍は、「根こそぎ動員」によって、「中抜け」であり、大多数は古兵としての10代、30代そして40代から成る25万人だった。人員の穴埋めでしかなかった。
戦争終結時、ソ連は400万人の捕虜をとった。ドイツ兵200万人、日本兵60万人、ハンガリー兵60万人...。すなわち、ソ連の人口の7分の1にあたる2300万人が戦争で亡くなっていた。それを穴埋めした。
元日本兵の日本送還は1946年5千人、1947年2万人、1948年17万人、1949年8万人、1950年7500人だった。
著者はアメリカの大学教授であり、画家の香月泰男、評論家の高杉一郎、詩人の石原吉郎という3人のシベリア抑留体験者を論じながら、シベリア抑留とは何だったのかを論じています。
(2020年5月刊。3800円+税)

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2020年12月 6日

「空白の日本史」

日本史(平安時代)


(霧山昴)
著者 本郷 和人 、 出版 扶桑社新書

飲食店の店頭に盛り塩をしているのは、中国の後宮にルーツがある。中国の皇帝が後宮を訪問するとき、たくさんの女性の部屋の前を牛車に乗って移動する。その牛車を止めるため、牛の好きな塩を盛っておくと、塩をなめるために牛が立ち止まり、牛車が止まる。すると、皇帝は、せっかくなので、この部屋に寄ろうということになる。そのための盛り塩だ。
うひゃあ、知りませんでした...。
戦国時代の女性の肖像画は、だいたい立膝をして、ゆったりとした衣服を着ている。
日本は、おそらく世界でいちばん豊かな歴史史料が残っている国だ。
日本では、和歌のメインテーマは「恋」。男性だけでなく、女性も高い教養をもっているので、好きな相手に和歌を送りあうという文化が発展した。ここに中国との大きな違いがある。
平安時代の日本では、恋愛をしている人ほど、尊敬される風潮さえあった。恋愛が盛んな男女をさす言葉に「色好み」というものがある。現代ではマイナスにとられがちだが、平安時代には、「恋愛をしっかり楽しんでいる人」とか「気持ちに余裕のある大人っぽい人」として、プラスの評価を受けていた。その一例が和泉式部。
平安時代そして鎌倉時代は、男女の恋愛について、いたっておおらかだった。
『源氏物語』に登場する「源典侍」(げんのないしのすけ)という女性は、大層な色好みの女性で、天皇との関係もあるのに、弟である光源氏とも付きあう。さらに、夫のような存在もいる。
鎌倉時代の『とはずがたり』は後深草院につとめていた二条さんという女性の書いた日記。この二条さんは、三人の皇子に愛されている。二条の生んだ娘は、いったい誰の子か分からないけれど、西園寺という貴族がひきとって育てた。この時代は、自分の母が誰なのか分からないこともよく起きていた。
そして、江戸時代の農村も性に対しては非常におおらかだった。その一例が「若者小屋」の存在だ。要するに、乱交が公認されていたのだ。
宮本常一の『土佐源氏』も、現代日本社会では考えられないほど、野放国な戦前の日本の農村社会における性のあり方が延々と紹介されている。
私は、これが日本社会の現実だと弁護士生活46年の体験で痛感します。この点も明らかにしている貴重な新書です。
(2020年1月刊。880円+税)

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2020年12月 7日

宇宙に行くことは地球を知ること

宇宙


(霧山昴)
著者 野口 聡一、矢野 顕子、林 公代 、 出版 光分社新書

野口聡一さんは今、宇宙船に乗っていますよね。半年間は宇宙にいるのでしょう。健康維持が大変だと思います。
野口さんをインタビューしている矢野顕子さんはニューヨーク在住のミュージシャン。なんと、大学どころか高校2年の夏休み以来、学校というものに通ったことがないといいます。その矢野さんが宇宙に強い関心をもって、野口さんにインタビューを申し込んだのでした。
国際宇宙ステーション(ISS)は、地球の上空400キロメートルを、秒速7、8キロメートルで飛行している。この速さは、なんとライフル銃の弾丸より、数倍も速いというのです。これはすごい。そして、わずか90分、1時間半で地球を一周するといいます。いやはや...。すると、どうなるか。昼と夜の270度以上もの激しい温度変化が、45分おきに訪れる過酷な世界。
宇宙空間は、空気のない真空。昼は120度以上、夜はマイナス150度以下になる。そして、スペースデプリと呼ばれる宇宙ゴミや放射線が飛びかっている。
重力情報がない、視覚情報がない、耳からの情報も限られる。これが宇宙空間。なので、船外活動中には感覚遮断が起きやすい。
宇宙飛行士の生命を守るための宇宙服には、宇宙飛行士の感覚を遮断する働きがある。宇宙空間では手すりを伝って移動する。
宇宙服の手袋には、指先にヒーターがついていて、昼間の120度の熱さも夜のマイナス150度の冷たさも感じないようになっている。でも、手袋はシリコン製なので、温度によって硬さが違う。夜はカチカチに硬くて、昼はだんだん柔らかくなる。なので、この手袋の硬さの変化で、温度を感じる。つまり、手のひらが太陽を感じる。
宇宙飛行士は、眠るときは寝袋に入る。空間にポツンと浮かぶよりも寝袋で軽く拘束したほうが安眠できるのだ。
チャレンジャー号の事故(7人死亡)は1986年1月28日に起きました。私が37歳のときのことで、大変なショックを受けました。だって、打ち上げられたかと思うと、目の前で爆発してしまったのですから...。コロンビア号の事故(同じく7人死亡)は、申し訳ないことに印象が薄いのです。2003年2月1日、帰還するとき、着陸寸前にロサンゼルス上空で空中分解したのですよね...。こちらはチャレンジャー号のような映像がないので、記憶が薄れてしまいました。あれから33年、17年もたってしまったのですね...。
野口さんが3度目、宇宙に行くのは、人類の可能性を広げること、自分が生きている証として挑戦した結果を子どもたちに見せたい、次世代につなげたいと考えたからだそうです。
宇宙服は14層の生地で構成され、120キログラムある。素肌に身に着けているのは冷却下着。ここには、長さ84メートルものチューブが縫い込まれていて、チューブに水を流して体温の上昇を防ぐ。そして、宇宙服の内部には、0.3気圧の純酸素を満たしている。
宇宙船の船外活動中は、誰も助けてはくれない。無限に広がる宇宙の闇の中で、何が起きてもたった2人ですべての作業を完遂しなければならない。もし通信機が故障して交信が途絶えたら、究極の孤立状態になる。指先は死の世界に触れている。
もし、酸欠が起きたとしても苦しくはない。身体が弱るより先に、意識がなくなってしまうから...。
ロシアの宇宙船ミールでも、実は火災も起きたし、貨物船との衝突事故も起きた。また、空気汚染もあった。ISSでは、火災・空気漏れ、汚染が三大緊急事態と言われているが、ミールはすべて経験している。だけど、非常事態にあっても、ミールでは死者を一人も出していない。
うむむ、これは実にすごいことだと思います。立派です。
宇宙空間は、絶対的な闇。「何もない黒」。一切の生を根絶するような闇。逆に、宇宙は光に満ちている。地球の昼のあいだは、地球のまぶしさが半端でないので、人間の目の限界から、宇宙空間は真っ暗闇に見えてしまう。
野口さんには、ぜひとも半年後、元気に地球に生還していただき、さらに大いに語ってほしいものだと心から願っています。
(2020年9月刊。900円+税)

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2020年12月 8日

民衆暴力

人間・社会


(霧山昴)
著者 藤野 裕子 、 出版 中公新書

思わず居ずまいを正してしまうほど大変勉強になりました。
まず第一に江戸の一揆。江戸時代の一揆の大半は暴力的なものではなかった。村には火縄銃がたくさんあったが、一揆勢の百姓たちが銃を代官所に目がけて撃つことは決してなかった。それは、まっとうな仁政を願う立場での統制のとれた行動をしていたから。
一揆が当局側と、殺し殺される暴力的なものだったのは、島原・天草の大一揆と幕末のころに限定される。島原・天草一揆が暴力的だったのは、宗教を背景としていることと、江戸幕府の支配体制が始まったばかりの時期だったから。これは仁政の回復を求める行動ではなかった。
19世紀の幕末のころの一揆は、貧富の格差が拡大するなかで、幕藩領主が有効な政策をうち出さず、飢饉などによって仁政イデオロギーが機能不全に陥っていたことによる。人々は、かつてのような蓑笠を着用せず、刀や長脇差しを身につけていた。もはや、百姓身分をアピールして仁政を求めるということではなかった。
次に、新政反対一揆。香川県で明治6年(1873年)に起きた名東県の一揆というのを初めて知りました。130村で放火があり、戸長や吏の家宅200戸、小学校48ヶ所などが放火された。この一揆の参加者として1万7千人が処罰された。
同年の筑前竹槍一揆は、参加者6万4千人で、このとき被差別部落1534戸が被害にあった。民衆は権力に対して暴力を振るっただけでなく、差別されていた民衆に対しても暴力を振るった。
そして秩父事件は明治17年(1884年)に起きている。国会開設と憲法制定を求める自由民権運動に物足りなさを覚えた人々の受け皿となっていた。一揆の要求としては、具体的かつ経済的な負担の軽減を求めている。
自由党は徴兵制度や学校を廃止してくれ、租税を軽減し、借金をなかったことにしてくれると思って、農民たちの多くは自由党を支持した。この秩父事件についての官憲による処罰者は4千人をこえた。
次に、関東大震災直後の朝鮮人虐殺です。1923年9月1日、マグニチュード7.9の大地震だった。このとき、震災直後から、警察は朝鮮人に関する流言・誤認情報を流した。
つまり、震災当初から政府や警察は流言と否定するどころか、むしろ広めていた。公権力の手によって、デマが流布していた。そして、軍関係者が民衆に暴力行使を許可したことが多くの朝鮮人の虐殺につながった。このときの犠牲者が正確に判明しないのは、警察と軍隊によって意図的に遺体が隠蔽(いんぺい)されたからだ。日本国政府は、この虐殺事件について、事実関係を認めず、謝罪や補償もしてこなかった。
虐殺行為をはたらいた日本人男性は40代までを中心としていて、朝鮮人に仕事を奪われているという感覚があった。そして、国家権力がその暴力を直接的、間接的に許可したことには大変大きな意味があった。
民衆が暴力に訴えたとき、被差別部落を襲撃した人々の考えはどういうものだったのかが解明されていて、大変興味深いものがありました。そのミニミニ版が他県ナンバー乗り入れに目くじらをたてるというものでしょうね。一揆などの民衆の暴力を歴史的に鋭く解明してある新書なので、最後まで一気呵成に読みとおしました。
(2020年8月刊。820円+税)

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2020年12月 9日

慈悲の心のかけらもない

マレーシア


(霧山昴)
著者 シビル・カティガス 、 出版 高文研

私はマレーシアには一度だけ行ったことがあります。イポーとランカウィ島です。環境問題の視察に行ったように思うのですが、お恥ずかしいことによく覚えていません。
第二次世界大戦のなかで、日本軍はシンガポールに侵攻し、野蛮なやり方で支配しました。主人公のシビル・メダン・デイリーはアイルランド人の父とユーラシア人の母とのあいだに生まれ、ペナンで育った。看護学生として勉強中にセイロン出身の医師と出会って結婚します。そして、夫婦そろってイポーで診療所を開業したのでした。
1941年12月、日本軍が突然、シンガポールに侵攻してきた。イギリス軍が撤退したあと、日本軍がマレーシアを軍事支配した。そのため、シビルたちはイポーからパパンへ避難し、そこで診療所を再開した。
日本軍は、はじめ地元住民に礼儀正しく、思いやりをもって接するという方針だった。ただし、下級兵士のレベルでは必ずしも守られなかった。たちの悪いことに、日本兵のやり方は周到、かつ計算尽く。そのため、不運な犠牲者は何の前触れもなく捕えられ、連れ去られ、その多くはその後、行方はようとして知れなかった。
女性がレイプされるだけでなく、少しでも抵抗のそぶりを見せる男がいたら、端から銃剣で突かれるか、情け容赦なく虐殺された。
日本軍による犯罪捜査の手法は拷問が基本。まずは拷問、次に捜査だった。常に捜査以上に拷問だった。水責めなどで死ななければ、戸外に放置され、燃えるような日ざしにさらされた。また、手や足を焼いた。直腸への沸騰水の注入、手足の指の爪を引きはがす。
そうですね、特高が小林多喜二に加えた拷問を、ここマレーシアでも日本軍はやっていたのです。
民政といっても、実は日本軍による軍政と何ら変わらなかった。日本軍はイギリス軍の統治を再現しようと、マレー人文官を再利用しようとした。
日本人は、中国人(華僑)を弾圧する一方で、マレー人は批判的厚遇するという民族分断政策をとった。この二つの民族間の敵がい心をあおり立てて軍政の安定化を図ろうとした。
しかし、現地の人々はひそかにゲリラを組織して日本軍と戦った。シビルの診療所は、そのゲリラたちの連絡所となり、また救援施設となった。
シビルたちは、日本軍の禁止をくぐって、ラジオでイギリスの放送を聴いていました。もちろん、見つかったら、ただちに日本軍から死刑執行されるような重大犯罪でした。
傷ついたゲリラの将兵を救護するのもシビルたちのつとめでした。
やがて、シビルと夫が逮捕されてしまいます。ところが、警察にも刑務所にも味方、同情する人々がいて、日本軍のトッコー、ケンペイタイによる拷問を耐え忍ぶシビルたちを支えてくれるのでした。
死を覚悟したシビルに日本人のトッコーやケンペイたちはたじたじになってしまい、ついにシビルは死刑判決ではなく、無期懲役で終わりました。でも、そのときには、シビルは拷問のために歩けなくなっていたのです。本当にひどい日本人がいたものです。戦争は人間を変えてしまうのですよね。
シビルはケンペイタイの吉村役雄軍曹に対して、こう答えた。
「日本の政府は大嫌い。日本人は権力を笠に着て、どこであろうと暴君のように振る舞う権利があると考えている。日本軍はマラヤの人々をブーツとむだけに尻尾を振る、育ちの悪い犬のように扱う。でもマラヤは今日まで何世代にもわたってイギリスから統治されてきたことから、日本よりもずっと文明化されてきた生活を送ってきた...」
うむむ、これは鋭い反論ですよね。とても日本人の多くが言えるセリフではありません。
大いに考えさせられる内容の本でした。これは決して自虐史観なのではありません。
日本人のやったことは、日本人は忘れても、現地の人々は覚えているのです。
(2020年9月刊。1800円+税)

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2020年12月10日

ルース・ベイダー・ギンズバーグ

アメリカ


(霧山昴)
著者 ジェフ・ブラックウェル、ルース・ホブディ 、 出版 あすなろ書房

1993年にビル・クリントン大統領からアメリカ連邦最高裁判事(終身)に任命された女性判事(RBG)をインタビューしている本です。すごい判事がいたのですね。
RBGはインタビュー当時、87歳で現役の最高裁判事でした。
1956年にRBGがハーバード大学ロースクールに入学したとき、男子学生500人に対して女子学生はわずか9人。それでも前年5人から倍増。ところが、今ではロースクール生の半分は女性が占めている。日本では、まだそこまではいきませんよね。
ロースクールでの成績は優秀だったのに、ニューヨークの法律事務所でRBGを迎え入れようとしたところは一つもなかった。RBGはユダヤ人であり、女性であるうえに母親だったこと(4歳の娘をかかえていた)が問題だった。そこで、RBGは大学で働くようにした。
RBGの母は娘にレディーになることを求めた。それは、エネルギーを奪うだけで、役に立たない感情には流されない女性のこと。怒りや嫉妬や後悔といった感情は、自分を高めるのではなく、袋小路に追い込むだけ。「レディーになる」とは、怒りにまかせて言い返したりせず、何度か深呼吸してから、理解していない人々を教え導くように応える女性になること。
もし意地悪であったり、無神経な言葉を投げかけられたときには、聞こえないふりをして聞き流したらよい。無視してしまえばよく、決してそれでめげてはいけない。ノーと言われても、あきらめないこと。
そして、怒りにまかせて反応してはいけない。過去を振り返らず、変えようのないことで、あれこれ悩まないこと。他人の声にきちんと耳を傾けることが大切。うむむ、そのとおりなんですよね。とはいっても、実行するのは容易ではありませんが...。心がけてはいます。
RBGは次のように呼びかけています。
信念にもとづいて行動しなさい。ただし、たたかいは選び、のっぴきならない状況には追い込まれないように。リーダーシップをとるのを恐れず、自分が何をしたいかを考えて、それをおやりなさい。そのあとは、仲間を呼んで、心がうきうきするようなことを楽しみなさい。そして、ユーモアのセンスをお忘れなく。これまた、まったく異論ありません。
リベラル派の最高裁判事として大活躍したRBG、最強の87歳を知ることのできる80頁ほどの小冊子です。
(2020年10月刊。1000円+税)

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2020年12月11日

裁判官だから書けるイマドキの裁判

司法


(霧山昴)
著者 日本裁判官ネットワーク 、 出版 岩波ブックレット

日本裁判官ネットワークの前の本『裁判官が答える裁判のギモン』は裁判の入門書だったのに対して、本書はしっかり骨のある中級ないし応用編です。30の設問に回答していくのですが、その設問が実に「イマドキ」なのです。
うひゃあ、そ、そうなの...と、私の事務所でも話題になりました。
それは設問1です。「男同士」「女同士」でも不貞(不倫)になるのですか?
ええっ、いったい何のこと...。夫が妻の不倫相手を探しあてると、なんとそれは女性だったというのです。私ともう一人のベテラン弁護士は、そんな経験はありませんでしたが、2年目の弁護士は最近そんなケースの相談を受けたといいます。うへー、同じ事務所にいても聞いたことなかったよ、そんなこと...。
夫婦間では、「婚姻共同生活の平和の維持」を求める利益があるとされているので、同性間の性交渉でも、この利益が害されるとみる余地はあり、「不貞」にあたらないとしても、不法行為が成立する余地はあるとされています。なーるほど、ですね...。
非配偶者間人工授精で出産したときのことです。このとき、夫が同意していれば、夫の子とされるというのです。私は、まだ体験したことがありません。
「親の取り合い」という設問があります。ええっ、何のこと...。これは、老親を子どもたちが奪いあう現象です。実際、よくありますし、今も裁判しています。要するに、親の財産目当てで子どもたちが争うというものです。
この関連で、コラムにある駄洒落(ダジャレ)には笑ってしまいました。寄与分を争っている人たちには「キヨ褒貶(ほうへん)」といい、「ホウフク(報復)絶倒」を狙うけれど、うまくいかないという話です。裁判官には(いや弁護士もかな)、それだけの余裕をもって事件にのぞんでほしいものです。
交通事故が減っているのに、交通事故関係の裁判が増えているのはなぜかという問いに対しては、弁護士費用特約(LAC)があるからというのが回答です。まったく、そのとおりです。今では、7対3か8対2かという争点でだけでも裁判します。それが物損で、修理代20万円ほどであっても...。
そして、保険会社は被害者の通院が少し長いと思うと、すぐに打ち切りを宣言します。保険会社は、ともすると事故を自作自演だと疑い、善良な人を保険金詐欺師呼ばわりする。これを保険会社の不当な不払いという「モラルリスク」だとしています。まったく同感です。金もうけのためには少々の「被害」なんか切り捨ててもいいという昔も今も保険会社の傍若無人ぶりは目に余るものがあります。たまに誠実に対応してくれる保険会社の社員にあたると、ホッとします。
マイホーム代金を建築会社に振り込んだあと建築会社が倒産し、銀行が全額回収したという事案で、高裁が銀行の行為は商道徳・信義則に反して不法行為が成立したというケースがコラムで紹介されています。バランス感覚に富み、かつ勇気ある裁判官にあたるのは珍しいことなので、こんなコラムを読むと救われた思いです。
オレオレ詐欺事件で、末端の「架け子」、「出し子」、「受け子」が捕まって刑事裁判になることは多いけれど、首謀者はなかなか捕まってないことが紹介されています。日本の警察は、もっとしっかり捜査してくれ、と叱りつけたい気分です。
インターネットにからむ犯罪が多発して、裁判の刑が一変しているとのこと。コロナ禍が、それに拍車をかけています。
裁判員裁判について、とかく批判する人は少なくないのですが、実際におこなわれている裁判官と裁判員をまじえた評議(議論)は、きちんとなされているようです。私自身は一度も体験していませんが、基本的に良い制度だと私は考えています。
高裁の一回結審について、本書ではそれなりに合理性があるという回答ですが、それには異論があります。高裁では8割以上が1回結審というのですが、これは明らかに異常です。裁判は、勝ち負けの結論の前に、本人が自分の言い分を裁判官はきちんと聞いてくれたというのが絶対に必要です。
高裁での証人尋問は今や2%、以前は2割はしていた。明らかに人証のしぼりすぎです。
裁判の体験者の2割しか満足していないという調査結果がありますが、私は現状ではそんなものだと実感しています。でも、それは司法サービスとしてまずいと思うのです。
日本の裁判の現状と問題点を全面的にではないにせよ、鋭く追及し、分析し、発表した画期的なブックレットです。弁護士に限ることなくできるだけ多くの人に見てもらいたい120頁の冊子です。
(2020年12月刊。720円+税)

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2020年12月12日

ぼくは縄文大工

社会


(霧山昴)
著者 雨宮 国広 、 出版 平凡社新書

太古の丸木舟で3万年前の航海を再現して、無事にたどり着いた話はニュースで知っていました。著者は、その丸木舟を石斧(せきふ)で掘り出してつくりあげたのです。
普通の大工と宮大工の経験を積んだうえで、縄文小屋の復元に取り組み、自らもその縄文小屋で生活するようになったのでした。そして、縄文時代の丸木舟をつくる話が舞い込み、苦労の末に完成させ、学者チームが黒潮に抗して台湾から日本を目ざして成功したのです。これは、歴史考証の手がかりにもなっています。
縄文時代の出土した部材にほぞがあるのが見つかった。ほぞとは、木材を組み合わせるために削った突起のこと。つまり、縄文小屋はほぞをつかって木材を組み合わせてつくられていた。釘がなくても家は建てられるのですね。
一番長持ちする木材は栗の木。
黒曜石は石斧には不向きで、天然のガラスで、とてもよく切れるナイフとして使える。猪や鹿の解体には抜群の切れ味。
縄文小屋づくりで一番大変なのは縄づくり。稲ワラはまだないので、自然に自生するカラムシやフジのツルから繊維を取り出す。いやあ、これは大変そうです。縄をなって2000メートルの長さにしたそうですが、それでも縄文小屋づくりの全部をまかなうことはできなかったのでした。
そして、丸太をどうやって切り出したか。石斧です。
打製石斧と磨製石斧がある。さらに、縦斧と横斧を使い分ける。
石斧は、生身の人間と同じように疲労を感じる道具だ。なので、壊れる前に休憩をとり、疲労をため込ませないことが必要。
いやはや、縄文式生活を実際にしている奇特な人が日本にはいるのですね。
表紙に、鹿皮を着て、石斧をもって快心の笑みを浮かべている著者の写真があります。ヒゲが伸ばし放題なのは、刈リコミバサミが縄文時代にはないからだそうです。いったい家族はどうしてるのだろうか...と、不思議に思ったことでした。
(2020年9月刊。860円+税)

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2020年12月13日

映画の匠、野村芳太郎

人間


(霧山昴)
著者 野村 芳太郎 、 出版 ワイズ出版

映画ファンなら、「七人の侍」と並んで名高い「砂の器」をみなかった人はいないでしょう。山田洋次監督の師匠にあたる映画監督です。親も映画監督で、息子さんも映画プロデューサーです。
でも、「張込み」はみた記憶がありますが、「伊豆の踊子」とか「五弁の椿」は今でも見てみたいなとは思いますが、残念ながらみた記憶はありません。
「砂の器」は、1974年(昭和49年)制作ですから、私が弁護士になった年のことです。東京の映画館でみたときの圧倒的な衝撃は今も身体に残っています。上映時間は2時間23分の超大作映画です。毎日映画コンクール大賞など、いくつもの賞を受賞しています。
音楽の芥川也寸志もしびれましたが、なにしろロケ地が良かったですね。このロケハンに1年もかけたといいます。
冬の厳しさには、本州・北端の龍飛(たっぴ)埼、春は生活感のある花として信州・更埴市のあんずの里、新緑の北茨城、真夏の亀嵩村そして秋は北海道・阿寒にロケを敢行したのでした。
勝負どころの音楽会は埼玉会館で3日間の勝負、エキストラは連日1200人...。
野村監督は趣味を問われると、なんと、丹精こめて映画をつくりあげること、そして、自分の作品が上映されている劇場に行って観客の顔をみること。充実した顔で劇場を出ていく観客をみるのが楽しいから...。なーるほど、ですね。
野村監督は実は、戦争中、かのインパール作戦に従軍しています。補充将校として1943年(昭和18年)4月にビルマに出発。第15師団独立自動車第101大隊小隊長として、2年間、ビルマ戦線で弾薬を輸送する任務についていた。後方部隊ではあったけれど、それでも決して安全なところにいたわけではない。ビルマの戦場では19万人もの日本兵が死に、インパール作戦だけでも6万5千人もの戦死者がいる。野村監督は、現地の戦場で人間が腐って死んでいく姿を見ていた。
人間の腐敗は、生きているうちに始まる。重傷を負い、また栄養失調と疲労で動けなくなった兵士の皮下に、ハエが卵を産みつける。皮下で卵がかえってウジとなる。すると、そのウジは、兵士の肉を食べて成長する。やがて兵士の体は異常に膨張しはじめる。皮下で無数のウジが、どんどん育っていく。そして、あるときピッと皮膚がはじけて、ウミとウジが流れ出てくる。そして流れ出たあとに白い骨がのぞいている。腐敗がはじまって、ビルマの赤い土になるのに半月とかからない。「猿の肉だ」と言って、死んだ戦友の身体の肉を食べて生き残った兵士もいた...。まさしく生き地獄だった...。
山田洋次監督は師匠の野村監督について、クール、冷静で鋭い頭脳の持ち主だったと評する。突き放したところで観察していて、ときおり的確な助言をする、そんな教え方だったと...。
20年間に70本もの映画をつくったというのですから、今では考えられませんね。短期間に大量生産したわけですが、それだけ映画製作スタッフが充実していたということなんでしょう。美空ひばりや、コント55号などそのときの有名人を主人公とした映画も見事につくっていますので、よほど映画監督が性にあっていたのでしょうね...。
堂々、500頁の大作ですが、なつかしい思いが一杯あふれる本でした。
(2020年6月刊。3600円+税)

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2020年12月14日

それでも読書はやめられない

人間


(霧山昴)
著者 勢古 浩彌 、 出版 NHK出版新書

私と同じ団塊世代の著者は大変な読書家のようです。
「それでも」というのは、2018年10月に軽い脳梗塞をしたからのようです。私も、読書はやめられない部類です。しかも、電子書籍ではなく、紙の本に限ります。赤エンピツ片手に、ここぞと思ったところにはアンダーラインを引きます。この作業のとき、2度読み、あとで書評のために引用するため3回読んで、そのあと、すっかり忘れてしまうのです。
そして、著者は面白そうな本を死ぬまで読みつづけると言うのです。私も、面白そうな本が最優先ではありますが、もう一つ、この世の中がどうなっているのかを知りたいという欲求に応えてくれる本なら、面白そうでなくても挑戦します。新規性がなく面白味もなかったら、ガッカリするだけですが、ともかく最後まで手早く頁を繰って、なにが面白いことがないか、目新しいことが書かれていないか、最後まで読み通します。あとがきや解説を読んで、なるほど、そういうことだったのかと思い至ることがあります。
人間的成長に資するかどうかなんていうことは、私の読書とはまったく無縁の観点です。幅広い読書をすると、総合的な判断を下すことができる。なーるほど、ですよね...。
読書は人間の幅を広げ、器を大きくする。そうかも...。
読書は、コミュニケーション力を育てる。たしかに話題は豊富になりますけど...。
古典への挑戦は、私も何回もしました。その典型はマルクスの「資本論」です。弁護士になって2回読みました。一応全巻通読です。といっても、理解できたとは、まったく考えていません。読み通したことの自信が残っているだけです。あと、「源氏物語」は、古典ではなく、新訳で挑戦したいとは思いますが...。プルーストの「失われた時を求めて」は、敬遠し続けるつもりです。
私は、本を買って読む派です。図書館は資料として読むために利用するだけです。
現代小説を読まず、時代小説と海外ミステリーが残っているという著者です。なので、ノンフィクションの類がまったく紹介されていません。それだけは残念でなりませんでした。
(2020年3月刊。900円+税)

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2020年12月15日

これからの男の子たちへ

人間


(霧山昴)
著者 太田 啓子 、 出版 大月書店

小学6年生と3年生の2人の息子の子育て真最中の女性弁護士が男の子の育て方について体験をふまえて問題提起しています。
なるほど、なるほど、そうなんだよな...と私も反省させられるところが多々ありました。
子育てするなかで、人間というのは、ごく幼いうちから社会の中で生きる「社会的存在」なのだとつくづく感じさせられた。
「カンチョー」は性的虐待だ。スカートめくりは激減した。なるほど、これまた、そうなんですよね...。
男性学なるものがあることを初めて知りました。
男性学とは、充実した仁政を送っているとはとても言えない、さまざまな問題をかかえている悩める男たちが、より豊かな人生を送るために生み出された、男性の生き方を探るための研究。うむむ、私も改めて勉強しなくては...。
アルコール依存症患者の9割は男性。アルコール依存症は否認の病。自分にお酒の問題があることをなかなか認めない。「助けてほしい」「気持ち分かってほしい」と、自分の弱さや悩みを言葉にして周囲に援助を求めればいいのに、しらふでは「男らしさのとらわれ」から出来ず、飲酒によって子どものように退行することで周囲にケアさせる行動がみられる。
インセルという言葉も初めて知りました。自分で望んだわけでもないのに、女性と性的関係をもてない男性のこと。
「女嫌いの女体(にょたい)好き」という表現もあるそうです。女性を蔑視しながら、女性との性的関係に固執する男たちのことです。女性を泥酔させてレイプする性犯罪を繰り返していた集団に属する男たちがそうです。女性と仲良くなって同意のうえでセックスするのではなく、女性の意思を無視して、いかに数多くの女性とセックスしたかを競い、自慢しあうという男たちです。私なんか、そんな話を聞くだけでも嫌になります。
痴漢被害者に気がつかない、気がついても助けようとしない大人たちがいかに多いか...。ここは私も大いに反省させられました。いえ、目撃したということはないのです。ただ、目撃したり、助けを求める叫びを聞いても、それに応えて行動できるか心もとない、自信がないということです。やはり、勇気がいります。
「ひるまない」ことの大切さが強調されています。すぐに行動しなければいけないっていうことも多いわけなんですよね。むずかしいことですが...。
この本で著者は3人と対談して、さらに問題点を掘り下げていて、これまた視点が広がり、大変勉強になりました。5歳と2歳の2人の男の子(孫です)と格闘中の娘にもぜひ読んでもらいましょう。増刷が相次ぎ、早くも5刷です。これは、すごーい。この分野に世間の関心が集まるのは、とてもいいことだと思います。
(2020年11月刊。1600円+税)

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2020年12月16日

東大闘争の天王山

社会


(霧山昴)
著者 河内 謙策 、 出版 花伝社

今から50年も前、1968年から1969年にかけて東大は大きく揺れ動きました。そのとき大学2年生だった私は、その渦中にどっぷり浸っていましたので、決して東大紛争なんて言いません。私にとっては、あくまで東大闘争です。激しいゲバルト衝突のほとんどを現場で学生として体験あるいは見聞しているものとして、いったい東大闘争とは何だったのか、疑問は尽きません。
750頁もの大作である本書は、東大法学部に、この人ありと言われていた著者が渾身の力をふりしぼって書きあげた力作です。単なる歴史的記述だけでなく、著者のコメントがところどころに入っていてますから、読解を深めることができます。
東大確認書がつくられた秩父宮ラグビー場での大衆団交の実現に至る過程が生々しく再現されているのが、本書の大きな特徴です。これには、当局側で動いていた福武直教授(故人)の詳細なメモをまとめた『東大紛争回顧録』が大きな手がかりとなっています。これによって、当局側のいろんな動きが今になっては手にとるように判明します。残念なことに、私は見たことがありません。
また、例の安田講堂攻防戦(1969年1月18~19日)が、実は全共闘と警察・機動隊そしてマスコミとのあいだで、事前に大きなシナリオが出来ていたという衝撃的な指摘がなされています。
安田講堂の周囲にテレビ局が桟敷をつくって、テレビカメラをもって構えていた。網をかぶせて、火焔瓶を投げられても大丈夫なようにしたうえで、「実況中継」した。NHKは、なんと11時間も放映した。これはTBSが9時間あまり放映したのを大きく上回っている。
全共闘も機動隊も、テレビカメラがまわっていることを明らかに意識して役者を演じていたわけです。
その前の秩父宮ラグビー場での大衆団交については、七学部代表団は、学外で長時間にわたって大衆団交をしていると、その間に学内を全共闘が封鎖してしまう危険があるとして反対した。このとき、加藤執行部は代表団のなかの有志(保守派。たとえば町村信孝)は学外での団交に自分たち3学部だけでも応じると言い出した。実は、加藤執行部の一員である大内力総長代行代理から法学部学生懇のリーダーに学外での団交をやろうと働きかけがあっていた。その結果、七学部代表団は分裂行動の危機にあった。加藤執行部は学生大衆の力を信用していなかったので、このような謀略まで、あえてしたのだろうという著者のコメントが付いています。
この本は、東大闘争に東大生の多くが実際に関わっていたことを数字で明らかにしています。私は、この点はもっと世間に広く知られていいことだと思います。
1月10日の秩父宮ラグビー場に東大生(学生・院生・教職員)が8千人(マスコミの記事では7千人)が集まりました。
1月6日、駒場に登校した学生は2500人と記録されている。全共闘の集会の参加者が80人だったのに対して、団交実現実行委員会(団実委)の集会には500人が参加。
1月8日、法学部の学生・共感討論集会の参加者230人、団実委に登録した法学部生260人。1月8日の駒場の学生登校数2800人。もちろん授業なんかやられていませんので、授業を受けにきたのではありません。
1月9日には、駒場の学生登校数は4200人。これは総学生数の6割です。1月9日、七学部代表団主催の総決起集会の参加者2500人うち法学部は250人。そして、法学部生で団実委登録メンバーは330人(泊まり込み120人)。すごい人数です。
11月22日に民青側も全共闘側も、それぞれ1万人をこえる学生を全国から東大に総結集した。この11.22を機に学生の全共闘離れが急速に進行した。全共闘が「東大解体、全学封鎖」を打ち出したことに対する東大生の反発があった。
雑誌『世界』の意識調査によると、アンチ全共闘は、1968年7月に32.3%、11月には51.5%、1969年1月には49.7%となった。
法学部の学生大会にも、たとえば12月4日(1968年)には開会の午後2時の時点で400人以上が参加した。このとき、全共闘の提案は87対323対34で否決されているから、444人が採決時にいたことが分かる。そして12月25日の法学部の学生大会は午後5時より始まって、午後9時の採決時には定員数300人の2.7倍、821人もいたのです。ここで無期限ストライキの解除が決まりました。このとき、431対333対37で可決された。
このように、東大闘争には多くの東大生が関わり、きちんと議論をして、ついに確認書を獲得し、一人の処分も出さず終結したのでした。
確認書の意義は大きい。だからこそ、政府・自民党は東大入試を中止したのだと著者は強調しています。まったく同感です。
この本は全国の大学図書館に寄贈されるとのことですが、全国の図書館にも購入して備えつけてほしい内容です。島泰三の『安田講堂』(中公新書)のような、事実に反する本ばかりが世に出まわるのが、私はもどかしくて仕方ありません。
(2020年12月刊。6000円+税)

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2020年12月17日

メーター検針員、テゲテゲ日記

社会


(霧山昴)
著者 川島 徹 、 出版 フォレスト出版

『交通誘導員ヨレヨレ日記』は面白く読みました。そのシリーズ第3弾です。いつも大変面白く、身につまされながら読んでいます。なにしろ私と同じような世代の人たちの苦労話なのです。
電気メーター検針員というのがどんな職業なのか、この本を読んでようやく分かりました。
九州電力(九電)が電気メーターの所有者であるが、その取りつけは九電の下請けの委託業者が行う。そして、検針員は、九電から検針業務を請け負っている会社に雇用されている。この下請業者は九電の天下りが社長になり、社内叩き上げが社長になることはない。
検針員は1日に200~400件を検針する。1件40円、つまり1日1万円ほど。著者は月に10日間働いて、月収10万円の生活を長くしていた。
鹿児島市内の繁華街だと1日に2万円以上も稼げるが、農村地帯のところどころにしか人家がないようなところだと、1日8000円くらいにしかならない。そんなところでは検針料が5円だけ高く設定されているが、とても間尺にあわない。
検針先の家に犬がいるときには、ドッグフードを与えて手なづけるという奥の手も使う。なので、ドッグフードは、検針員の必須の七つ道具の一つ。
鹿児島では、ヘビが家の中に入ってくるのはよくあること...。
うひゃあ、し、知りませんでした。ネズミを狙って天井裏までのぼっていくのです。そうなんですか...。わが家の庭の木にヒヨドリが巣をつくったとき、ヘビがそのヒナたちを狙って木のぼりしているのを発見したときには、さすがに私も驚きましたが...。結局、ヒナはヘビに食べられてしまいました。可哀想でしたが、どうしょうもありませんでした。それ以来、ヒヨドリは巣をつくりません。教訓を生かしているようです。
検針の仕事をはじめて驚いたことのひとつが、独居老人の多さ。どの家にも寂しさがカビのように漂っている。だから、検針員の来訪を心待ちにしている人々がいる。そして、女性検針員にはセクハラの危険もある...。
犬が吠えるときには、ドッグフードで手なづけるか、それとも真正面から向きあい、目をにらむ。犬に背中を向けてはいけない。背筋に向かって襲いかかってくる。背中や尻も狙われやすい。まるで熊への対処法みたいですね...。
そして、今やスマートメーターの時代。検針員が不要になっていく...。
それで、著者は契約更新を会社から拒否されたのです。
(2020年7月刊。1300円+税)

 11月に受験したフランス語検定試験(準1級)の結果を知らせるハガキが私の誕生日に届きました。大きな字で「合格」と書いてあり、大変うれしく思いました。自己採点では71点でしたが、3点も上回っていて74点をとっていました。合格基準は69点です。これで、次は口頭試問です。1月末に受験します。これまた難関です。なにしろ、5分前に渡されたテーマの一つを3分間自由スピーチしろというのです。いやはや、大変です。コロナ問題で旅行の自粛をどう考えるか、なんて出題されたとき、フランス語でなんと言うかを考える前に、日本語で3分間でまとめるなんて難しいことですよね...。ともかく、がんばります。

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2020年12月18日

叛乱の六〇年代

社会


(霧山昴)
著者 長崎 浩 、 出版 論創社

安保闘争と全共闘運動というサブタイトルのついた本です。1937年生まれの著者は東大闘争に助手共闘として参加しています。共産主義者同盟(ブンド)の一員でした。
この本では、まず理論的な記述のところは、私にはさっぱり理解できませんでした。あまりに抽象的な議論なので、ついていけなかったのです。次に、島泰三の『安田講堂』(中公新書)の間違った記述と同じ間違いをしているところは、私には納得できませんでした。
1969年1月10日の秩父宮ラグビー場での大衆団交で「議長をつとめたのは、後の文部大臣、町村信孝だったという」と、この本に書かれていますが、このときは議長が1人いたというものではありません。当時の写真は何枚もありますが、学生側は代表団が大学当局と交渉していましたし、それを7千人もの東大生が見守っていたのです。「あの広大なラグビー場の観客席の片隅で」交渉が行われたのでは決してありません。ただし、「全共闘系の小さなデモ隊が集会粉砕を叫んで、ラグビー場の芝生を踏んで走り抜けた」というのは事実です。
また、全共闘を本郷の総合図書館で「完敗」させたのが「代々木の防衛部隊」(日本共産党系の暴力部隊)というのもまったく事実に反しています。島泰三も著者も、どうやら現場にいなかったようです。私をふくめた東大駒場の学生たち(民青もそうでない人も)が最前線にいて全共闘のゲバ部隊を撃退したのです。周囲に1500人ほどの東大生・院生・教職員がいて、その見守るなかの衝突でしたから、そう簡単に「外人部隊」は最前線に立てませんでした。もっとも外人部隊200人くらいはいたようで、私もそれは否定しませんが、宮崎学の『突破者』はあまりに自分たちの「あかつき戦闘隊」なるものをオーバーに語っています。自慢話は、例によって話半分に聞くべきなのです。
ところが、この本では学生大会で大いに議論していたことの実情を紹介し、その意義を認めていることについては、私もまったく同感します。東大駒場では学生大会ではなくて代議員大会ですが、九〇〇番教室に1000人をこえる代議員とそれを見守る学生が夜遅くまで延々と何時間も徹底的に議論していました。会場内でときに暴力がなかったわけではありませんが、基本は言論でたたかう場だったのです。
島泰三(動物学者としての本はすばらしいと私は思っています)の集計によると、全共闘支持派34%、民青支持28%、スト解除派39%というのが1968年の末の状況だと紹介されていますが、これは間違いではないような気がします。とはいっても、「スト解除派」とされている39%の大半はアンチ全共闘で、民青との連携やむなしだったと思います。だからこそ次々にストライキが終結し、授業再開に向かったのです。
要するに私が言いたいことは、東大闘争は全共闘の理不尽な暴力が横行したものの、基本的には学生大会での言論戦と採決、駒場では代議員大会と全学投票で事態は推移していったこと、そのなかで全共闘の理不尽な暴力は一掃されていったということです。
全共闘の「失敗」を認めない人の多くは、本書もそうですが、自分たちのやった理不尽な暴力についてまったく反省することなく、日本共産党の暴力部隊(外人部隊)によって闘争が圧殺されたとするのです。私は、それは恥ずべき間違いだと思います。暴力で東大を解体しようとする運動に未来があるはずもないのです。
批判するばかりの本をこのコーナーで紹介することは、これまでも、これからもありませんが、この本には東大生の多くが実は東大闘争に多かれ少なかれ関わっていたという事実が紹介されていて、その点はまったく同感なので、紹介することにしました、ただし、10年前に発刊された本です。
(2010年11月刊。2500円+税)

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2020年12月19日

終わりなき探求

アメリカ


(霧山昴)
著者 パール・S・バック 、 出版 図書刊行会

パール・バックの本を久しぶりに読みました。ノーベル文学賞をもらっていたのですね。もちろん『大地』は読んでいます。
宣教師だった両親とともに生後3ヶ月から42歳まで中国で暮らした経験をふまえた作品です。1934年、日中戦争の「はじまり」のころにアメリカに帰国しました。
『大地』は1931年に書きあげ、1932年にピューリッツア賞、そして1938年にノーベル文学賞を受賞したのです。戦後の中国政府からは入国禁止処分を受けていたとのこと。
1973年にアメリカで亡くなりました。80歳でした。この本は80歳で亡くなる直前に病室で書かれたものだそうです。384頁もある長編小説ですが、まさか80歳の女性が書いたとは思えない、みずみずしさです。
主人公は、12歳で大学入試に合格し、16歳でヨーロッパへ旅立つ青年です。
その心理描写は、とても80歳という高齢の女性の手になるものとは思われません。まことに作家の想像力は偉大です。うらやましい限りです。私も、こんな豊かな想像力を働かせて、「ホン」を書いてみたいと思います。あすなろうの気分です。今にみていろ、ぼくだって...。
それにしても、12歳で大学に合格するほどのズバ抜けた才能をもつ人が何を考えているのか、ひたすら凡人の私にはまったく想像できません。
ニューヨークの超大金持ちの邸宅にすむ高齢の祖父の日常生活も想像して描写することができません。イギリスの古城にすむ貴族女性の生活なんて、まるで雲をつかむような話です。そして、パリに住む高級古物商の営業と生活、さらには韓国でのアメリカ兵の生活...。
いくら想像力があっても、裏付け調査がなければ難しいと思います。そして、それを一つのストーリーにまとめあげるのです。いやはや、さすがパール・バックだと驚嘆してしまいました。
世界は、いろいろな種類の人間で成り立っている。できるだけたくさん、異なるタイプの人間と知りあうことが大切だ。というのも、そうした人々が基本的に我々の人生を構成しているからだ。
間違ったことをしているということだけで、それをしている人たちを避ける必要はない。そうした行為になぜ走るのか理解してはいけないということもない。世の中は、美しく、秩序ある人々ばかりではない。あるがままの相手を理解するのだ。そのためには、人々から少し距離をとっておく。
モノカキは二通りいる。その一は、技巧や描写のしかたを詳細に検討して、道具としてのコトバを知り尽くしていて、小説や物語の構成要素を研究し、初めから終わりまで筋立てに工夫をこらし、知識のすべてを投入して書きはじめる人たち。このタイプは、だいたいうまい書き手で、養成もできる。
その二は、ひとつの考えや状況にとりつかれて、それを紙に書きつけるまで解放されないというタイプ。ひたすら状況を述べるだけで、解答を示さないかもしれない。答えがあるとは限らないから。このタイプは、書かずにおれないのだ。
私は、まさしく第二のタイプのモノカキです。書かずにはおれないのです。私という人間の理解できたことのすべてを文字としてあらわしたいのです。もちろん、売れる(広く読んでもらう)ための構成を少しばかり考え、工夫したいとは思っているのですが...。
知識は、人を世間ばかりか賢明な人々からも孤立させるので、知りすぎると不安になる。なので、毎日が本の一頁だと思って、丁寧に、隅々まで味わって読むのが一番いい。
人間が知りえない理由によって、その先に真理が存在するという確信を得ようとする。それこそ、永遠の探求心こそが、人間のすべての営為の根源なのだ。
384頁という長編でしたし、じっくり読もうと思い、とびとびに3日間かけて、じっくり味わいながら読了しました。
(2019年10月刊。2700円+税)

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2020年12月20日

草原の国キルギスで勇者になった男

人間


(霧山昴)
著者 春間 豪太郎 、 出版 新潮社

いやはや、いまどきの日本の若者(男性)にも、こんな無茶な冒険をする人がいるんですね、驚き、呆れ果ててしまいました。いえ、決して非難しているのではありません。私なんか絶対に真似できない(したくない)冒険をあえてしている話に接して、指をくわえて、ひたすらうらやましがっているというわけです。
どんな冒険かというと、キルギスの草原を馬と一緒に行く、2頭の羊そして犬と一緒に同じく草原を行くというのです。
まあ、馬と一緒に行くというのは分かりますよね。でも、羊と犬を連れて歩いていくというのにどんな意味があるのか...。とくに意味はないのでしょうね。
ところが、著者は、なんとそれをどちらも成功させるのです。しかも、パソコンは自由自在どころか、ドローンまで飛ばすのです。そして、各地で親切な人々と出会い、そこで何泊もさせてもらったりもします。
そのとき、京都・祇園や新宿・歌舞伎町でキャッチをした経験をいかすのでした。つまり、この人は信じられるか否かを、一瞬で見抜く技(ワザ)を見につけているというのですから、たいしたものです。
著者の自己紹介によると、主なスキルとしてまず語学があげられています。英語、フランス語、アラビア語、ロシア語ほかが話せるようです。たしかに、キルギスの草原では、せめてロシア語くらい話せないといけないでしょうね...。
著者のスキルには、まだほかに、気象予報士、応用情報処理技術者、そしてキックボクシングもできるといいます。まさしくスーパーマンですね、これって...きっと...。
見知らぬ大地を冒険するには、それくらいの資格が必要なのでしょうし、また、とれたらチャレンジしたくもなるのでしょう...。
(2020年10月刊。1900円+税)

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2020年12月21日

私は私のままで生きることにした

韓国・人間


(霧山昴)
著者 キム・スヒョン 、 出版 ワニブックス

心にしみる言葉のオンパレードです。韓国で100万部、日本40万部が売れたというのも、なるほどとうなずけます。
私の知人(弁護士)に、ときどきネット上で自分の悪口が書かれていないか確認するようにしているという人がいます。一喜一憂するのだそうです。私は一度もしたことはありません。もちろん、ほめ言葉なら、シャワーのように浴び続けたいのですが、悪口ばかりだと落ち込んでしまいそうで、それが怖いのです。
この本は、根拠のない悪口だったら犬が吠えているだけだと思えばいいとしています。
それでも犬が吠え続けたら、黙って聞いていないで、しっかり責任を追及しようと呼びかけています。弁護士である私は、責任追求するのも、相手の人によりけりだと思います。かえって、反応があったとばかり、相手を喜ばせてしまうだけのこともあるからです。
お互いに傷つけあうような社会では、誰も幸せになんかなれない。
人を侮辱するのが一番の楽しみだという人は、「負け犬」そのもの。
韓国の社会は、日本と同じように、自分の感情を尊重するよりも、他人の考えや感情に注意を払うような教育を受けてきた。
社会的地位、経済的安定そして周囲の人々から認められること、こればかりを追い求めてきて、自分を見つめることを知らずに生きてきたため、内面が空虚なままだった。なので、幸せという実感がもてない自分がいる。これって悲しいことですよね...。
韓国社会には反共主義が深く根づいているが、それは決められた答え以外を口にするのは思想的に不純であるとみなすような社会をつくりあげてきた。韓国社会は、正解とされた少数派の傲慢と、誤答とされた少数派の劣等感が凝縮された、病みきった社会だ。
韓国には、「6.25心性」というものがあるとのこと。朝鮮戦争という非人間的な惨事を経験した韓国人が身につけた、極端な生存競争、物質万能主義、手段を選ばない個人主義をさす。
人生を豊かにするには、自分の好みを探さないといけない。そのためには、自分の感覚に正直になること。
自分の好みを見つけ、それを深く掘り下げるために、いろいろなものに触れる努力も大切。でも、好みというのは開発するものではなく、感じるもの。
「政治から目を背けることの最大の代償は、もっとも俗悪な人間たちに支配されることだ」
これはプラトンの言葉だそうです。まるで、いまの日本のアベ・スガ政治と投票率50%の状況を言いあてている言葉ではありませんか...。
「機械のように毎日を送ってきた人は、80歳まで生きたとしても短命だ」
毎日、似たようなパターンの生活をするのは、人生の無数の可能性と多様性を圧縮し、自分の人生を失うこと。だから、週末には海を見に行こう。仕事の帰り道に違う道を歩いてみたり、新しい人に会ったり、勇気を出して、これまで経験したことのないことをやってみよう。
自分に対する固定観念を脱ぎ捨てて、自分にも予測できない自分になってみよう。
ふむふむ、なるほど、なるほど...。うんうんと強くうなずきながら、読みすすめ、一気に280頁ほどの、絵本のような本を読み終えました。
(2020年10月刊。1300円+税)

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2020年12月22日

この国の「公共」はどこへゆく

社会


(霧山昴)
著者 寺脇 研、前川 喜平、吉原 毅 、 出版 花伝社

原発反対の声をあげたユニークな城南信用金庫の吉原毅理事長(当時)は、文科省の事務次官だった前川喜平氏と麻布学園の中学・高校の同級生。ともにラグビー部でがんばった仲だという。そして、寺脇氏は前川氏の3年先輩で、文科省の先輩・後輩の関係。
寺脇氏は、前川氏を入省当時から、いずれ文科省トップの事務次官になると見込んでいたという。
たしかに官僚の世界ではそれがあると思います。私の司法修習同期同クラスのO氏も司法修習生のときから、いずれ検事総長になると周囲からみられていました。本当にそのとおりになりました。頭が良いだけではダメで、腰の低さも必要です。柔軟に対応できる人がトップにのぼりつめます。もちろん、運も必要です。
市場にまかせておいたら何が起きるか...。お金持ちだけが安全地帯をつくって、そこに逃げ込む。その外側では、パンデミックで倒れる人がどんどん出てくる。新自由主義の行きつく先は、地獄の沙汰も金次第ということ。命もお金で買える。お金のない奴は死ねという話。だけどパンデミックは地球規模で広がっていくのだから、安全地帯にいるはずのお金持ちだって、いずれは生きていけなくなる。
人間の価値観の根っこの部分には、経験してきた学校生活、そのときの仲間や教員によってつくられている。なので、学校は、たとえ授業がなくても、子どもたちがたむろしているだけで学べることはある。
ふむふむ、これは私の経験に照らしてもそう言えます。私は市立の小学校と中学校、そして県立の普通(男女共学)高校の卒業ですが、それこそ種々雑多な庶民層の子どもたちと混じりあっていました。今は、それが良かったと本心から思っています。
超有名校である麻布学園では、親はエリート、金持ち層で、ほとんど似たような階層の子弟とのこと。それはそれで居心地がいいとは思いますが、異質な人々との出会いを経験できないというハンディもあるわけです。
安倍首相が2020年2月27日に全国一斉休校を要請した。法律上の根拠のない「要請」に全国の学校が応じてしまった。政治権力が無理やり学校を閉じた。
とにかく権力を握っている人の言うことを聞いていたらいい、聞かないとまずいことになる。そんな風潮が強まっているのが心配だ。本当に、私も心配です。
城南信用金庫は、年功序列を復活させた。抜擢(ばってき)人事はしない。一度や二度のミスでも厳しい降格人事はしない。なるほど、これも一つの考え方です。
前川氏は中学校で人権について話をしたとき、あえて自由を強調し、「きみたちは自由だ」と話した。自分で考えて行動するということは人に騙されないことでもある。大人の言うことを鵜呑みにしない。親や教師の言うことであっても、ただ、そのままには信じるな。なーるほど...、ですね。
「公共」とは何か、深くつっこんだ話が盛りだくさんで勉強になりました。出版社(花伝社)の平田勝社長より贈呈を受け、一気に読みあげました。ありがとうございます。
(2020年12月刊。1700円+税)

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2020年12月23日

武漢日記

中国


(霧山昴)
著者 方方 、 出版 河出書房新社

中国の中心部に位置する人口1000万人の巨大都市である武漢市はコロナ感染症の防止のため760日間も完全封鎖されました。そのとき一市民として武漢内部からネットで状況を毎日発信した記録です。一市民といっても作家です。
武漢市民は2020年1月20日から、恐怖と緊張のなかで3日間を過し、突如として封鎖令を迎えた。1千万の人口を有する都市が感染症のために封鎖されるのは、歴史上ほとんど前例のないことだ。
武漢市政府は、コロナ感染症の蔓延を防止するための決断を下した。この封鎖によって、500万人もの人が市内に帰宅できなくなり、900万人の武漢市民が外出できなくなった。
そして、家に閉じ込められた900万の武漢市民は、住民による自発的な組織をつくることによって日常生活の問題を解決していった。
それにしても、まるまる76日間の封鎖に耐えることは決して容易なことではない。武漢の封鎖は、4月8日に全面的に解除された。
武漢は、かつて楚(そ)の国に属していた。楚人は、武を尊び、屈託がなく、ロマン的で気ままな性格だ。そして、女性が強い。
政府は、武漢の医療スタッフと支援に来てくれた4万人以上の白衣の天使に感謝すべきである。政府がもっとも感謝しなければならないのは、自宅待機を続けた900万人の武漢市民だ。
政府は少しでも早く、市民に謝罪すべきである。いまは反省と責任追求のときだ。感染症の終息後、多くの人が一時的に心的外傷後ストレス障害(PTSD)を起こすだろう。
ある国の文明度を測る基準は、どれほど高いビルがあるか、どれほど速い車があるかではない。どれほど強力な武器があるか、どれほど勇ましい軍隊があるかでもない。どれほど科学技術が発達しているか、どれほど芸術が素晴らしいかでもない。ましてや、どれほど豪華な会議を開き、どれほど絢爛(けんらん)たる花火を打ち上げるかでもなければ、どれほど多くの人が世界各地を豪遊して爆買いするかでもない。ある国の文明度を測る唯一の基準は、弱者に対して国がどういう態度をとるか、だ。
いやあ、まったくそのとおりです。今のスガ首相を見てください。国民の前に顔を見せず、話しかけることもしない。それでいてGOTOトラベルに巨額のお金をつぎこみ、また軍事予算には莫大なお金を惜し気もなくつかって浪費ざんまい。しかし、医療や教育の現場には行こうともせず、目を向けることもありません。弱者切り捨てだけは貫いています。「ガースーです」と言って薄笑いするスガの顔には文明度なんて、カケラも感じることができません。残念でなりません。
著者は医療スタッフが次々にコロナ感染で亡くなっていったことを発信しました。2月25日の時点で26人もの人が亡くなったとのこと。そして、まだ若い医師が次々に亡くなっていったというのです。これは怖いですよね...。
実況中継のように「日記」が発信されていたというのですから、中国もまだ捨てたものではありませんよね。「極左」からの妨害や当局との軋轢もあったようですが...。
(2020年9月刊。1600円+税)

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2020年12月24日

武士に「もの言う」百姓たち

江戸時代


(霧山昴)
著者 渡辺 尚志 、 出版 草思社

 江戸時代の百姓をもの言わぬ悲惨な民とみるのは、実態からほど遠い。実際の百姓たちは、自らの利益を守るために積極的に訴訟を起こし、武士に対しても堂々と自己主張していた。
 この本は、信濃国(しなののくに。長野県)の松代(まつしろ)藩真田(さなだ)家の領内で起きた訴訟を詳しく紹介し、百姓たちが長いあいだ訴訟の場でたくましくたたかっていたことを見事に明らかにしています。
 内済(和解)によって丸くおさめるという裁判の大原則を拒否し、あくまで藩による明確な裁許を求める「自己主張する強情者」が増加していたこと、藩当局としても事実と法理にもとづく判決によって当時者を納得させようとしていたことが詳しく紹介されていて、とても興味深い内容です。
百姓たちは、訴訟テクニックを身につけ、ときにしたたかで狡猾(こうかつ)でもあった。
 この本のなかに江戸時代の田中丘隅(きゅうぐ)という農政家の著書『民間の省要(せいよう)』が紹介されていますが、驚くべき指摘です。
 「百姓の公事は、武士の軍戦と同じである。その恨みは、おさまることがない。武士は戦においてその恨みを晴らすが、百姓は戦はできないので、法廷に出て命がけで争う」
 つまり、百姓にとっての訴訟は、武士の戦に匹敵するほどの必死の争いだったという。
たしかに百姓は裁判に勝つために、武士に向かって、ありったけの自己主張をする。それを裁く武士の側も、原告と被告の双方を納得させられる妥当な判決を下さなければ、支配者としての権威を保てない。
 江戸時代の人々に訴訟する権利は認められていなかった。紛争の解決を領主に要求する権利はなく、領主が訴訟を受理するのは義務でなく、お慈悲だった。
しかし、これは建前であって、現実は百姓たちは武士たちが辟易(へきえき)するほど多数の訴訟を起こした。百姓たちは、「お上(かみ)の手を煩(わずら)わす」ことを恐れはばってばかりではなかった。
 「公事方(くじかた)御定書(おさだめがき)」は、一般には公表されない秘密の法典で、それを見ることのできたのは、幕府の要職者や一部の裁判担当役人に限られていた。しかし、これも建前上のことで、実際には公事宿が幕府役人から借りて写しとり、それをさらに町役人が写しとったりして広く民間にも内容は知られていた。
 現代日本人の多くは、できたら裁判に関わりたくないと考えているが、江戸時代の百姓たちは違っていた。不満や要求があれば、どんどん訴訟を起こした。江戸時代は「健訴社会」だった。というのも、裁判を起こしても、すべてを失うような結果にはならないだろう。仲裁者が双方が納得できる落としどころをうまくみつけてくれるだろうという安心感に後押しされて、百姓たちは比較的容易に訴訟に踏み切る決断をなしえた。訴訟に踏み切るためのハードルは、むしろ現代より低かったと考えられる。
 藩にとっては、領内の村々が平穏無事であることが、藩の善政が行き渡っている何よりの証拠だった。なので、判決において、当事者たちが遺恨を残さないようにするための配慮がなされた。
 江戸時代の実情を改めて考えさせられました。
   (2012年12月刊、1800円+税)

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2020年12月25日

ナチの妻たち

ドイツ


(霧山昴)
著者 ジェイムズ・ワイリー 、 出版 中央公論新社

ヒトラー・ナチスのトップの妻たちの生々しい実像が明らかにされた衝撃的な本です。
ナチスのトップに君臨していた人々の家庭がどういうものであったかを知ると、ナチス・ドイツをさらに深く識ることができると実感しました。マルチン、ボルマン、ゲッベルス、ケンリング、ヘス、ハイドリヒ、ヒトラーの妻が登場します。そして、ヒトラーの愛人たちも...。妻たちも激しく対立・抗争していたようです。
この女性たちの経歴は驚くほど似ている。立派な教育を受け、みな保守的な中産階級、つまり専門的職業、実業家、軍人、下級貴族の出身。これらの階級では、男女の性別による役割は厳格に規定されていた。どんな功績があろうと、女性が何より望むのは、よき夫を見つけることだった。これらの女性の若いころは、家庭でも学校でも戦争一色に染められていた。彼女らは、実に不安かつ不安定な環境で大人になった。昔は確実だったことが、そうではなくなった。できそうもないことを約束してくれる自称救済者に惹きつけられていた。
すべてのナチ高官のなかで、ヘスはもっとも謎めいた人物だ。たしかに、ヘスは、単身イギリスへ飛行機で乗りつけ、長い勾留生活を戦前も戦後も余儀なくされましたが、そのイギリスの飛行目的は分かっていません。が、この本を読むと、精神的に突拍子もないことをしでかす人間だったことが分かります。妻のイルゼも似たりよったりだったようです。占星術に興味をもち、食事にも妙なこだわりをもっていました。ヘスはヒトラーがミュンヘン一揆の失敗で刑務所に入っていたとき、一緒に刑務所生活をともにし、ヒトラーが『わが闘争』を書きあげるのを手伝ったのでした。それで、ヘスはヒトラーの後継者として、副総統だったのです。
ヘスが妻イルゼと結婚したのは、ヒトラーのすすめを断りきれなかったから。
ヘスと妻イルゼは、つつましい中産階級の生活を送っていた。ヘスは正直者で、物質的な富を蓄積することは無関心だった。
ヒトラーは、イルゼが政治的意見をもち、ヒトラーに批判的だったので、いらついていた。
ヒトラーがヘスの自宅を訪問したとき、ヒトラーの嫌うモダニストの絵が飾られているのを見て、ヘスを後継者から外すことにした。ヘスは、ヒトラーが用意した菜食主義の食事も拒絶した。ヘスはナチス・ドイツのなかで権力を失った。
ナチでは女性が公的な役割を担うことは許されてなかった。
ナチ・エリートの多くは、ボルマンを社会的地位の低い人間で、文化的素養に欠ける粗暴なちんぴらと考えていた。しかし、ボルマンは中産階級の出身ではあった。
ボルマンは、ヒトラーの求めに何でも直ちに従い、実現した。短気で厳しいボルマンは部下から人気がなく、また家庭でも妻子に厳しかった。ところが、ボルマンの妻ゲルダは、ひたすら夫に服従した。
ゲッベルスは、ヒトラーを除けば、ナチでもっとも有能な演説家だった。ゲッベルスは、ハイデルベルグ大学で文学の博士号を取得するほど、知的で高い教育を受けていた。しかし、小柄な体型、内反足、明白な跛足のせいで、幼いときからあざけられることが運命づけられていた。
ゲッベルスの屋敷で出される食事はけちくさいことで名高いものだった。
ゲッベルスは、首相官邸での昼食会の常連だった。宮廷道化師の役割を演じていた。
ゲッベルスは不貞を繰り返していたが、妻のマクダは見て見ぬふりをしながら、自らもその場限りの情事にふけっていた。
ハイドリヒと妻になったリーナは、二人とも負けん気が強く、非常に野心家だった。二人とも冷静で打算的な性質をもっていた。どちらも、うぬぼれが強く、大多数の人間は、自分より劣っていると考えていた。ハイドリヒは、ヴァイオリンを上手にひくなど音楽のすばらしい才能をもっていた。しかし、ハイドリヒの高飛車で横柄な人柄から仲間の人気はなかった。
ヒトラーの初めての女性・ゲーリはヒトラーから一人ぼっちにされ、欲求不満と惨めさから自殺を図った。次の愛人となったエーファ(エヴァ・ブラウン)は、写真スタジオの助手をしていた17歳のとき、ヒトラーに見そめられた。本物のブロンド、強健でスポーツ好き(体操と水泳)、政治や国の状況にまったく関心がなく、気取ったところもしとやかさもなく、自由奔放で精神年齢は幼かった。このエーファも自殺未遂を2度もしている。
ヒトラーは菜食主義者。乳製品は食べず、卵も食べなくなった。毒を盛られるという妄想に取りつかれていた。
ナチの体制の下、女性に求められたのは子どもの出産。しかし、経済生活が苦しくなると、たくさんの子どもを産む余裕はなくなっていた。
ナチのトップたちが相互に反目しあっていたこと、その妻たちも渦中にあったこと、すべてはヒトラーとの近さで決まっていたことなど、独裁者の国の内情が手にとるように分かりました。ナチス・ドイツの内情を知るうえでは欠かせない本です。
(2020年11月刊。2700円+税)

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2020年12月26日

イスラエル諜報機関暗殺作戦全史(上)

イスラエル


(霧山昴)
著者 ロネン・バーグマン 、 出版 早川書房

暗殺は敵の士気を削(そ)ぐだけでなく、実際的な効果がある。暗殺という手段は、全面戦争よりも、はるかに道徳的だ。
これが暗殺を遂行する側の論理ですが、私は同意できません。アメリカはビン・ラディンを暗殺しました。これで報復の目的は達したかもしれませんが、平和の回復にはほど遠いのが現状です。
国家による暗殺には二つの難問がつきまとう。一つは、果たして効果があるのか。二つ目は、法的にも倫理的にも正当化できるものなのか。
アメリカによるビン・ラディンの暗殺は、この二つの疑問に答えられません。
イスラエルは、アメリカ以上に国による暗殺をすすめてきた。イスラエルは、2000年までに500件の暗殺作戦を実行しているし、その後も1000件以上の暗殺をしている。
アメリカは、オバマ大統領の下で353件の暗殺作戦を実行した。ノーベル平和賞も暗殺の歯止めにならなかったのは残念です。
イスラエルには、三つの機関が活動している。国防軍の情報局アマン。国内で対テロ・隊スパイ活動にあたるシン・ベト。国境をこえて秘密作戦を担当するモサド。モサドはアイヒマンを拉致した実行機関です。
イスラエルの法律では、実は死刑は認められていない。ところが、裁判なしに処刑を命じる権限を自らに与えた。
イスラエルは、敵対する「標的」国に住む現地のユダヤ人を工作員にしてはならないという教訓を学んだ。捕まえれば、ほぼ確実に殺され、しかもユダヤ人コミュニティ全体に波紋を広げる。現地にすでに住んでいる人間を利用したら、虚偽の経歴を作成する手間は省けるが、その反動のデメリットはあまりに大きいのだ。
イスラエル軍は、PLO議長のアラファトの暗殺を何回も試みたが、そのたびに失敗してしまった。
暗殺する方法の一つとして、歯磨き粉に独特の毒を入れることがある。ターゲットが、この歯磨き粉をつかって歯を磨くたびに、微量の猛毒が口内の粘膜を通り抜けて毛細血管に入り込んでいく。徐々に毒が体内に蓄積されていき、やがて臨界量に達したらターゲットは死に至る。
イスラエルは、自国の工作員が逮捕される恐れがあるときには、いかなる作戦も断念した。これは鉄の掟になっていた。
イスラエルがアブー・ジハードの暗殺に成功したとき(1988年4月14日)、イスラエル国民は大喜びした。しかし、この暗殺は、むしろ逆効果だった。アブー・ジハードが死んでPLOの指導力は弱まったが、占領地域で暴動を指揮していた人民委員会の力は強化され、人々の抗議運動は盛り上がった。そのため、イスラエル側の人間の多くが作戦を実行したことを後悔しはじめた。
暗殺を仕事とする人たちがいるなんて、信じられません。どうやって精神の平安を保っているのでしょうか...。
(2020年6月刊。3200円+税)

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2020年12月27日

邦人奪還

社会


(霧山昴)
著者 伊藤 祐靖 、 出版 新潮社

自衛隊の特殊部隊が尖閣諸島の魚釣(うおつり)島に上陸し、日の丸の旗を中国国旗に入れ替えた中国の特殊部隊(5人)を撃退した話をマクラとして、本番は、北朝鮮でクーデターが勃発したとき、その混乱に乗じて日本人の拉致被害者6人と強引に日本に連れて帰る作戦が語られています。
著者は海上自衛隊の特別警備隊の創設にも関わった特殊部隊出身者ですので、作戦の軍事的展開については詳細をきわめています。
日の出前に空が明るくなる薄明には、3つの段階がある。一番早いのが天文(てんもん)薄明(はくめい)で、日の出のおおむね1時間半前、5等星が見えなくなる明るさのころをいう。次が、航海薄明で、日の出のおおむね1時間前、空を海の区別がつき、水平線が見えてくる。外洋に出る船乗りにとって、この時間帯は特別だ。前は、いくつかの星の高さ(水平線から星までの角度)を測り、自分の位置を割り出していた。これができるのは、星と水平線が同時に見える航海薄明の時間帯だけだ。三つめが市民薄明。日の出のおおむね30分前で野外作業をするのに支障がない明るさだ。
まともな特殊部隊員になるには、正規の隊員になってから5年はかかる。23歳で挑戦し、2年間の教育期間を終えて、25歳で特殊部隊員になっても、本当の働き盛りは30歳から40歳。
そのあとに問題がある。陸上自衛隊なら、最高の技術とたぐいまれな経験と理想的な肉体をもった人間として重用されるだろう。しかし、海上自衛隊では、それがない。海の特警隊出身者は、いろんな意味で役立たずだ。特殊部隊での知識・技術・経験を生かす場所が他にはまったくない。
魚釣島には野生化したヤギが数千頭もいて、それを捕まえたら、食料には困らない。また、水を確保するための井戸を掘らなければいけない。
中国の特殊部隊員(5人)を日本の特殊部隊員(3人)が、こてんぱんにやっつけたという話です。この本では、双方の特殊部隊員はお互いに殺しあわないように自制しているのですが、そんな理性的な対応が防衛省・自衛隊のトップが出来るとは、とても思えません。
続いて、北朝鮮で軍部がクーデターを起こして大混乱が発生しているなかに日本の自衛隊の特殊部隊が派遣され、無事に拉致被害者を日本に連れ帰ったというのも、想定が日本に甘すぎ、北朝鮮軍の戦闘能力を馬鹿にしている気がしてなりませんでした。日本の特殊部隊員は、モヌークとブラックホークに乗っていた自衛隊員21人がやられてしまった...。この本では、日本側は合計31人の死者を出しています。
ところで、なぜ日本の自衛隊の特殊部隊が北朝鮮に殴り込みしたのか、アメリカ軍はどうしたのか...という疑問があります。
ちなみに、アメリカの軍人は将軍から一兵卒まで、日本に入国し、出国するのはまったく別ルートをつかいます。日本の入国管理局を通らずに自由に入出国していますし、それを日本に教えませんので、コロナ禍対策も尻抜けです。
アメリカ軍が史上最強である理由は2つある。圧倒的な軍事予算と組織力。レベルの高くない人間10人で、ちゃんと10の力を発揮する組織をつくる能力。これでアメリカは世界の人々に君臨している。
こんな本が売れて読まれるということは、日本が戦争する国に近づいているということですよね。大いに心配になります。
(2020年7月刊。1600円+税)

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2020年12月28日

善と悪のパラドックス

人間・生物


(霧山昴)
著者 リチャード・ランガム 、 出版 NTT出版

ヒトラーもスターリンも、そしてポル・ポトも何百万人もの人々の処刑を命じたが、親しい人には愛想が良く、いつも温和な態度を示していたという。つまり、ひどく邪悪な人間も穏やかな一面をもつことはありうるのだ。
人間は生まれつき性善か性悪か、単純な議論に意味はない。人間は生まれつき善良であり、同時に生まれつき利己的だ。すべての人が善にも悪にもなりうる。
生物学的な条件が人間のもつ矛盾する性質を決定し、社会が両方の性に影響を及ぼすのだ。善良さは、強化されることもあれば堕落することもある。同じく、利己心には強まることも、弱まることもる。人間が特異なのは、ふだんの社会生活ではいたって穏やかなのに、ある状況では、すぐに相手を殺すほど攻撃的になるという組み合わせだ。
チンパンジーは、オスがメスより優位で、比較的凶暴だ。ボノボは、概してメスがオスより優位に立ち、平和的で、攻撃の代わりに性行動をとることが多い。
そして、人間は、ボノボのように非常に忍耐強いものの、同時にチンパンジーのように非常に凶暴だ。ボノボは人間によって家畜化されたのではない。ということは、ボノボは「自己家畜化」したのだ。
ニューギニアの隔絶された高地に住むダニ族は、他部落との領地(ナワ張り)をめぐる争いは深刻で、死因の3分の1は、その争いに起因する。しかし、村のなかでの暴力は厳しく統制されている。敵を威嚇しても、自分の村のなかでは、決して暴力をふるわない。
これは、文明国の兵士が戦場と母国とで行動がまったく異なることと同じ(共通している)ことだ。
日本軍の兵士が中国大陸で残虐行為を繰り広げていたのは事実としてあるわけですが、今やその体験者がごくごく少なくなっていっています。
オオカミは犬とは違う。どれほどオオカミを飼い慣らしても、家畜されることはない。
おとなの類人猿は安全ではない。どんなに慣れたチンパンジーでも、人を攻撃しないという保証はない。
家畜化された動物と野生種との違いが四つある。その一は、家畜は野生種より小型になる。その二は、家畜は顔が平面的で、前方への突出が小さくなる。その三は、オスとメスの違いが家畜では野生動物より小さい。その四は、家畜は野生より脳が明らかに小さい。ただし、能力が劣化するというのではない。
チンパンジーのオスがメスにしばしば暴力をふるのは、目につけたメスをおびえさせて交尾要求を容易に受け入れさせるのが目的だ。そして、このメスをおびえさせるだけ多くの子孫を残す、オスの戦略の重要な要素になっている。
ところが、ボノボは、食べ物をすすんで分かちあい、他者が自分の食べ物を食べることに寛容だ。ボノボにとって食べ物より仲間のほうが重要なのだ。
チンパンジーとボノボは、90万年前から210万年前に共通の祖先から分かれた。ボノボの頭蓋骨は、子どものもののように見えて、実は大人なのだ。ボノボの発情期は長く、メスがオスに対して主導権を握っている。ボノボは、おとなになっても同性愛的な行為(ホカホカ)を続ける。交尾と遊びは一体となっている。ボノボの群れの中心には常にメスの集団があり、オスよりメスの数が多い傾向にある。メスのほとんどは近い血縁関係になく、メスは安定した結びつきを築くことで、防衛的な協力体制をつくりあげている。オスは、それによって、攻撃を無効化され、おとなしくなっている。
ボノボは人間の手が加わらなくても家畜化している(自己家畜化)が、人間も同じように自己家畜化している。
カンボジアやルワンダで大量虐殺の実行者(犯)たちは、狂信者というのではなく、家族や同胞をふつうに愛する平凡な人々だった。恐怖と凡庸は、お決まりの組み合わせだ。
人間に近いチンパンジーとボノボの違いというのは何度読んでも大変興味深いものがあります。そして、人間の自己家畜化のきっかけは「言語」を操る能力だったということに大いに注目しました。
人間が本来善であり、悪であるという認識に立ち、いかにして世界の平和を守り、戦争にならにようにするか、その努力が大切だと痛感しました。
(2020年10月刊。4900円+税)

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2020年12月29日

日本語を学ぶ中国八路軍

中国


(霧山昴)
著者 酒井 順一郎 、 出版 ひつじ書房

八路(はちろ)軍といっても、今どれだけの日本人が知っているのでしょうか...。実は、私の叔父(父の弟)は、応召して中国戦線へ引っぱられ、敗戦後、八路軍の求めに応じて技術者として残留し、国共内戦下の満州で八路軍と行動を共にしていたのです。1953年6月に帰国しましたが、たちまち郷土の保守的風土に溶け込み、長生きしました。八路軍は偉かった、「三大規律、八項注意」を守る人民の軍隊だったと胸を張って私に教えてくれました。
中国共産党(中共)の対日工作は、日本語と日本文化を積極的に学び分析している。中共は、積極的にプロパガンダの一つである抗日工作を行った。中国人将校に対して日本語教育を行い、学んだ日本語で対日宣伝や捕虜投降の呼びかけ工作をすすめた。
そして、獲得した日本兵を優遇しながら、反戦教育を施した。
中共は日本人捕虜から日本軍の情報収集だけでなく、日本語教師としても活用した。日本軍兵士のなかで中国語教室を開いただなんて聞いたこともありません。
同じように、アメリカでもアメリカ兵に日本語教室を開いていました。「菊と刀」などをテキストにして、日本文化の研究もしていたのですが、それは早くも戦後の日本占領政策のすすめ方を考えていたということです。
中共の八路軍内に、敵軍工作訓練隊が設置され、そのとき活用されたのが日本留学組の中国人、そして日本人捕虜、軍内で育成された高度な日本語人材だった。
中国では、1930年代に空前の日本語ブームが到来した。日本語ができるのは、新しい出世の近道だった。上海に会った有名な内山書店における日本語本の売り上げの6割は中国人だった。1926年から30年にかけて、中国から日本へ留学する学生が1.7倍に増えた。その一人が有名な魯迅(ろじん)です。ただし、職業キャリア・アップの日本語学習熱は、日中戦争がはじまると、たちまちしぼんでしまいました。
八路軍は中国軍(八路軍)との戦闘に勝利して千人以上の日本兵を獲得する自信があったけれど、できなかった。日本兵は死んでも捕虜にならないと戦い続けようとしたからだ。
しかし、日本兵の残した日記等を解説すると、日本兵も死を恐れるフツーの人間だということを知り、そこに働きかけることにした。毛沢東も、戦略的に日本語が重要であることを理解していた。
1938年11月、八路軍は延安に敵軍工作の中心を担う日本語人材育成のため、敵軍工作訓練隊を設立した。1040年、敵軍工作幹部学校に改編された。そして、日本留学組が活躍した。そして、日本人捕虜も助教として採用された。
訓練隊では、日本語の発音が重視された。教える側の日本人の放言が問題になったこともある。多くの日本人捕虜は庶民であり、共産主義の知識もなかった。八路軍で初めて小林多喜二の「カニ工船」に接した。
日本軍は、八路軍の働きかけによる捕虜と投降の増加を問題視し、八路軍の抗日工作を警戒した。日本人捕虜たちは、八路軍の将兵が酒をくみ交わし、日本語の歌を一緒にうたう日中歌合戦をしていた。うひゃあ、そうだったんですか...。
それに対して、日本陸軍内では中国班は出世コースに乗ることすらできなかった。
こりゃあ、ダメですよね、まったく...。国としての総合力でまるで劣りますね、日本っていう国は...。こんなことでは、偉そうなことを言えるはずもありません。
(2020年3月刊。2600円+税)

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2020年12月30日

アーニャは、きっと来る

フランス


(霧山昴)
著者 マイケル・モーパーゴ 、 出版 評論社

ナチス支配下のフランス。スペインとの国境に接するピレネー山脈のふもとの山村が舞台です。主人公はヒツジ飼いの13歳の少年ジョーです。
ジョーの父親はフランス軍に招集され、今ではドイツで捕虜生活をしています。一緒に住むのは母親とおじいちゃん、そして小さな妹という一家4人の暮らしです。
12月初めに天神の映画館でみていましたので、スト―リー展開は無理なく理解できます。
ヒツジたちを山へ追いまた帰ってこさせる風景がすばらしい。空にはワシやタカが飛び、ヒツジの番犬とともにヒツジの世話をしますが、どうしても眠たくなります。そんななか、ヒツジたちがクマに襲われます。あわててジョーは逃げだし、不思議な男性と山中で出会うのです。ユダヤ人でした。ピレネー山脈をこえてスペインに逃げ込もうというのです。しかも、子どもたちを連れて...。ところが、村にやってきたナチスの兵士たちは山中を見まわり、容易なことではありません。子どもたちは次第に増え、10人をこします。食料の確保が大変です。
ナチス兵の伍長が怪しみます。でもベルリン空襲で娘を亡くした伍長は自分たちは、ここで何をしているのか、何を目的としているのか、自問自答し、ジョーたちの行動を見て見ぬふりをしてくれたのです。
ついに子どもたちを全員ピレネー山脈からスペインへ逃がす行動が始まります。でも、いったい、どうやって...。
ここで謎ときはしません。
娘のアーニャがきっと来ると確信していた父親は逃亡に成功した...、かと思うと...。
戦後、ついにアーニャが村にやってきます。実話をもとに組み立てられた小説です。
同じ著者の『戦火の馬』はスピルバーグで映画化され、私も映画館でみました。本作と同じファンタジックなストーリーでした。
コロナ禍で息が詰まりそうな毎日です。たまには、こんな息抜きもしないとやっていけません。といっても主題は重たいのですが、村人が力をあわせてユダヤの少年少女たちをスペインへ送り出すのに成功するというストーリーは、心を癒してくれます。フランスが舞台ですからフランス語の勉強になるつもりで行ったら、英語だったので、残念でした。
(2020年3月刊。1400円+税)

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2020年12月31日

「関ヶ原」の決算書

日本史(戦国)


(霧山昴)
著者 山本 博文 、 出版 新潮新書

この本の結論をまず紹介します。
「関ヶ原」で負けたことで、秀頼は年収1286億円だったのが、一挙にわずかその1割ほどの185億円になってしまった。秀頼の領地としては摂河家74万石のみとなった。そして、全国にあった豊臣家蔵入地と金銀山からの運上収入を全部失った。
これに対して、家康のほうは573万石を支配するようになったが、これは日本全土1850万石の3割に相当する。そして、金銀山からの運上金が年に397億円。なので、あわせると毎年1205億円の収入を生む領地と金銀山を家康は得た。
この家康が奪った秀頼の蔵入地と金銀山こそが「関ヶ原」の15年後の大坂夏の陣で豊臣家を滅ぼす原資となり、260年も続いた江戸幕府の重要な経済基盤となった。
まことに経済基盤こそ社会のおおもとを動かす原動力なのですね...。
「関ヶ原」で決戦した東西両軍の戦費も計算されています。
徳川家康としたがった大名の兵力は5万5800人。この軍勢が3ヶ月、90日のあいだ行軍し、戦った。1日5合の割合で計算すると、20億円あまり。これに秀忠軍をあわせると30億円近くになる。西軍のほうは9万3700人なので、そして61日間とすると、23億円弱となる。つまり、わずか3ヶ月間で53億円もの兵糧米が消費されたということ。
島津家が「関ヶ原」でなぜ敵中突破に成功したのか、なぜ薩摩藩を守り抜くことができたのか、かなり詳しく紹介され、分析されています。
関ヶ原のとき、島津義弘は65歳、徳川家康は58歳、そして石田光成は40歳だった。
義弘の率いる軍勢は、わずか1000人足らずでしかなかった。それでも島津の軍勢は「関ヶ原」の敗戦のなかで敵陣の中央突破を図って、なんとか切り抜けることに成功した。それには福島正則の軍隊が島津軍を見逃してくれたことも大きかった。朝鮮出兵のとき、福島正則は島津軍とともに戦った関係にあった。
義弘主従は、最終的に50人ほどになっていた。ただし、別に300人ほどの部隊が京都にたどり着いている。また、島津軍には商人も同行していたという。そして、島津氏の内部では、「関ヶ原」の戦後も強硬派と融和派があって、深刻な対立があった。
結局のところ、家康は島津家との軍事衝突より全国の平和を優先させたということのようです。大変勉強になりました。著者は、惜しくも先日亡くなられました。残念です。
(2020年6月刊。800円+税)

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