弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2020年11月10日

性からよむ江戸時代

江戸時代


(霧山昴)
著者 沢山 美果子 、 出版 岩波新書

この本のなかで私の目を引いたのは、生まれた子どもは夫の子か、それとも不義の子なのかをめぐって、米沢藩の裁定を求めたという一件資料が解説されていることです。
子どもの親たちは大名でも武家の名門でもなんでもありません。山深い寒村の川内戸村(山形県置賜軍飯豊町)の養子・善次郎(20歳)と、岩倉村(同町)の娘きや(21歳)のあいだの子かどうかという紛争です。
文化3年(1806年)の川内戸村は戸数7戸、人数37人で、岩倉村は37戸、200人。そんな小さな村で、それぞれの村役人と2つの村にまたがる大肝煎(おおきもいり)が藩の役人に対して書面(口書。くちがき)を出しているのです。
夫・善次郎と妻・きやは文化元年から不仲となっていたところ、きやが妊娠し、女の子を出産したのでした。ちなみに著者は最近、現地に行って、この両家が歩いて5分くらいに位置していて、善次郎家は今も現地にそのまま残っているとのこと。これには驚きました。200年以上たっても、「善次郎さんの家は、あそこ」と地元の人から教えてもらったとのことです。いやはや...。
藩役人の屋代権兵衛が双方に質問(御尋)した答え(御答)が書面で残っている。夫・善次郎は、「昨年1年間、夫婦の交わりをしていないので、自分の子ではありえない。妻の不義の相手が誰か今は申し上げるべきではない。そのため、生まれた子を引き受ける理由はない」と答えた。
妻・きやは「5月までは夫婦の交わりはあったので、夫の子どもに間違いない」と答えた。
また、きやは「ほまち子」、つまり不義の子だと自分が言ったというのは否定した。
さらに、藩役人はそれぞれの父親に対しても質問し、その答えが同じ趣旨で記載されている。要するに、両者の言い分は真っ向から対立しているのです。
藩の役人の裁定文書も残っていて、それによると、子どもは夫の実子と認められ、夫は藩の許しがあるまで再婚は許されない、「叱り」を受け、身を慎むように申し付けられましたが、それだけです。妻のきやは正式に離婚が認められ、道具類は全部とり戻せました。それ以上のことは書かれていないようですから、お金は動いていないようです。養育費の支払いというのも、なかったのでしょうね...。
そして、著者は、この当時、寛政の改革による米沢藩の人口増加政策を紹介しています。つまり、このころは、生まれた赤子を殺す、つまり間引きを禁じて、妊娠・出産を管理し、出産を奨励していたのです。さらには、そのための新婚夫婦には家をつくるための建築材料や休耕地の所有権を与えたり、3年間の年貢免除の特権まで与えています。
さらに、貧困な者には、申し出によって、おむつ料として最高で金1両の手当てまで与えたのでした。この結果、女子の間引きはされなくなり、男女の性比は、女子100に対して男子104となった。これは現在とまったく同じ。
学者って、ここまで調べるのですね。さすが...です。大変興味深い話が盛りだくさんでした。
(2020年8月刊。820円+税)

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