弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2020年9月22日

赤星鉄馬、消えた富豪

日本史(戦前)


(霧山昴)
著者 与那原 恵 、 出版 中央公論新社

全然知らない人でした。その名前を聞いたこともありません。
若くして大変な大金持ちだったというのですが、どうしてそんなことが可能だったのか、それも不思議でした。この本を読むと、要するに、権力者との太いコネ、そして戦争です。
まるで、アベ友の話と同じです。アベノマスクやGOTOキャンペーンは、アベの親しい仲間たちが大変な金もうけをできたことは間違いありません。それは決して下々(しもじも)の苦難を救うためではありませんでした。
そして、つい先日、自民党の女性議員たちが先制攻撃ができるようにしろとアベ政府にハッパをかけました。国民の生活はどうなってもよいけれど、「国家」は守らなければいけないという信じられない発想です。そこでは国民あっての「国」というのではありません。「国家」を守るために先制攻撃できるだけの強力な武器を備えるべきだという要請です。恐ろしい発想です。
赤星鉄馬の父は薩摩藩出身の赤星弥之助。樺山資紀(かばやますけのり)、五代友厚といった薩摩人脈を背景。父の弥之助は、もとは磯永弥之助だったが、赤星家再興のために養子となった。
赤星とは、さそり座の一等星、アンタレスの和名、夏の南の低空に見える赤い星のこと。
弥之助は、西郷隆盛のはじめた西南戦争を無益だと批判して、薩軍に加わらず、妻子ともども桜島に避難していたという。そして、薩英戦争で活躍したアームストロング砲を扱う武器商人のアームストロング社の代理人となった。
本書の主人公の赤星鉄馬はアメリカに留学した。アメリカの日本人は、このころ急増した。明治13年に148人、明治23年に2039人、鉄馬がアメリカに渡った明治33年に3万4326人、10年後の明治43年には2倍超の7万2157人となった。このころ永井荷風もアメリカに渡り、4年間の滞米生活を『あめりか物語』に描いている。これも私は知りませんでした...。
ところが、父の赤星弥之助は、明治37年12月に50歳で亡くなった(癌)。鉄馬が22歳、アメリカにいるときのこと。それで300万円の資産を相続した。「大日本百万長者一覧表」で三井や浅野などの財閥の総帥と肩を並べている。今の300万円とは、まるで違うのですね。
アメリカから日本に戻り、1年の兵役もすませると、結婚し、新婚旅行として、世界一周旅行に出かけた。さすがに超大金持ちは発想が違いますね。28歳の鉄馬が美人の妻(21歳)を連れて、トマス・クックの手引きで世界一周旅行に出かけたのでした。そのころ、トマス・クック社は3ヶ月間で2340円の世界一周旅行を上流階級の人々に売り込んでいたとのこと。
大正3年(1914年)に起きたジーメンス事件で、鉄馬は何の関係もしていないが、マスコミは鉄馬の名前をあげて軍部と経済人の癒着を問題とし、世間が沸騰した。
鉄馬は父から受け継いでいた資産を売りに出した。それは、510万円(今の110億4千万円)にのぼった。このお金の一部で、「財団法人敬明会」を設立し、皇族などを表に立てた。
鉄馬はゴルフや釣りを楽しんだ。鉄馬は釣りが好きなことから、ブラックバス(魚)の日本への投入に積極的だった。今では、ブラックバスは肉食魚として嫌われものでしかありません。
この本によると、吉田茂は戦前、大勢のスパイに監視されていたとのことです。知りませんでした。男女3人が女中や書生に化けていました。陸軍中野学校出身者である東輝次軍曹は、吉田の動静を逐一、報告していた。吉田宛ての手紙も開封して持参のカメラで写しとっていた。
鉄馬は、1951年(昭和26年)11月に69歳で亡くなった。
この本を読むまで、まったく知らなかった人の人生の一端を知ることのできた本です。
戦争で人を殺すのが金もうけにつながるというのは信じられないことですが、実際に、そうやってぜいたくな暮らしを過ごしているのですね...。許せませんが、今もそんな人たちが大勢いるのでしょう。
(2019年11月刊。2500円+税)

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