弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2020年8月16日

地涌の涙


(霧山昴)
著者 加藤 賢秀 、 出版 南方新社

トカラ列島の諏訪之瀬島が舞台です。
トカラ列島は、種子島や屋久島のさらに南、奄美大島との間の大海原に、点々と12の島々が浮かぶ。有人7島、無人5島。南北160キロに及ぶ、日本一長い村、十島村。
主人公は半分野良猫のニャンと完全に野生のカラス、アラとアララを「飼って」いる。どちらもエサをもらいにやってくるのだ。
主人公は牛を放牧して育てています。母牛のエミールが人知れず、山のなかで出産する。母牛は通常、1年に1頭産む。ところが、母牛のエミールが死産し、自らも死んでしまうのです。そして主人公が現場に戻ると、なんともう一頭、牛の赤ん坊がいたのでした。双子だったのです。エミールは死ぬ間際に2頭目を産み落としたということです。
さあ、大変です。母牛がいないなかで、生まれたての仔牛を育てなくてはいけません。
母牛の初乳を仔牛は飲まないと免疫力がなくて、仔牛は死んでしまうのです。
仔牛の瞳を凝視すると、その瞳の奥には深い存在の根源そのものの静謐(せいひつ)と緊迫と、いまだ封印されている躍動の波が感じられる。透明な視線だった。
仔牛に地涌(じゆう)という名前をつけた。地から湧き出たるものという意味だ。
地涌は食欲が満たされると、躁状態になり、思わずはしゃぎ回る。これをパカラと呼んだ。
和牛業界では、仔牛生産農家が仔を誕生から8.9ヶ月齢まで育成する。そして競(せ)りにかけて売買し、その後、肥育農家の手で20ヶ月間養われ、その後、競売屠殺(とさつ)され、牛肉として市場に出回る。肉牛は経済動物であり、営利の対象だ。つまり主人公は、いくら仔牛の地涌と仲良くなっても、それはせいぜい9ヶ月間だけ、そして競りにかけて手放さなければいけない。
月日がたち、いよいよ地涌との別れの日が明日になった。主人公が声をかけながら牛舎に入っていくと、部屋の一番奥に座っていた地涌は、ゆっくり立ち上がり、一歩一歩いつもとは違う歩調で近づいてきた。あれっ、と思い地涌の顔を見ると、地涌は泣いていた。涙で瞳は光り、下まぶたは涙の滴で大きく濡れている。地涌には明日の別れが分かっていたのだ。主人公は地涌の顔を手で抱いて、頬にまで流れる涙を親指で優しく拭(ぬぐ)った。地涌の命からほとばしる無念の滴(しずく)だった。
かけてあげる言葉はなく、一緒に泣きたかった。そして改めて地涌の涙あふれる瞳を見つめた。地涌もじっと主人公を見つめた。すると、地涌の瞳は愁(うれ)いではなく、明るく慈愛の光に満ちていた。地涌の涙は惜別や悲哀の情ではなく、主人公の心情を斟酌し、そのすべてを許し、すべてあるがままを受け入れる真理からにじみ出た慈悲の涙なのだ。主人公は思わず、その涙に手を合わせた。そして、地涌の目は久しぶりにやんちゃな眼差しに戻っていて、何をして遊ぼうかと行動を起こしはじめた。いつものパカラだ...。
前に女性が豚を2頭、子豚から大人の豚になるまで飼って、ついに殺してもらってとび切り美味しい豚肉を食べたという本を読みました(このコーナーで紹介しています)が、それを思い出しました。日頃、私たちが美味しい美味しいと言いながら食べている牛肉は、このように鋭い意識を持つ生命体を殺しているのですね。そのことを自覚しないといけないと改めて思ったことでした。
世界54ヶ国を放浪している団塊世代(1945年生)の味わい深い小冊子でした。
(2019年10月刊。1200円+税)

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