弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2020年8月 7日

過労事故死――隠された労災

社会・司法


(霧山昴)
著者 川岸 卓哉・渡辺 淳子 、 出版 旬報社

久しぶりにすばらしい本に出会いました。200頁ほどの本ですが、その圧倒的な迫力に心が震えます。その一は、司法の良心を覚醒させた母親の心底からの叫びです。その二は、母親の訴えを正面から受けとめ、それを文章にあらわし、実に格調高い和解勧告文をつくりあげた裁判官です。その三は、悲惨な労災・事故死の事案であるにもかかわらず、抜けるような青空の下で光輝くヒマワリの花を表紙とした本にまとめあげたことです。
著者の一人である川岸卓哉弁護士は、私もかつて在籍していた川崎合同法律事務所の所属です。こんな素晴らしい成果をあげた後輩を心から讃えたいと思います。
事故は2014年4月24日午前9時ころ、24歳の青年が徹夜勤務から原付バイクで帰宅途中、川崎市内の路上で電柱に衝突して亡くなったというものです。青年は、大手デパートなどの店向けに植物をディスプレイする仕事に従事していました。
残業時間の長さには思わず目を疑ってしまいます。事故前1ヶ月は127時間、2ヶ月は82時間、3ヶ月は43時間、4か月は33時間、5か月は87時間そして、6ヵ月は152時間。ウソでしょ、そう叫びたくなります。発症前1ヶ月に100時間を超える残業労働は過労死認定の関連性が認められているのです。
しかも、単に長時間労働というだけでなく、深夜・不規則労働をしていたのです。というのも、店舗内の観葉植物などの設置・撤去ですから、どうしても営業時間外の深夜・早朝の作業になってしまうのです。仮眠すら、仮眠室ではなく、ソファーや段ボールの上でしかとれなかったのでした。
そして、通勤時間は原付バイクで片道1時間、往復2時間をかけていました。これでは、いくら24歳といっても体力の限界ですよね。脳挫傷で即死という悲惨な事故でした。これは、残念無念ですね...。
そして、母親は裁判に踏み切り、意見陳述しました。驚くべきことに、裁判官が、その意見陳述を聞いて、こう述べたというのです。信じられません。
「失われた命の重みを受けとめ、真摯に審理をします」
弁護士生活も46年になりますが、いまだかつて、こんなあまりにもまともな言葉を裁判官の口から聞いたことがありません。いつだってポーカーフェイス、無表情で、「余計なこと」は一言だって言わないぞ、そんな裁判官がほとんどです。
そして、この橋本英史裁判官(35期)は、和解勧告のときにこう言ったのです。
「同じ年齢(とし)の息子がいます。我がことと考えて、書きました」
いやあ、法廷でこんな言葉を聞いたことなんか一度もありません。こんなセリフを吐かせる母親の迫力には私の心まで震え、おののきます。
そして、和解勧告文の格調高さは圧巻です。ええっ、裁判官ってここまで書いていいの...と、思わず内心どよめきました。
この裁判には、実名を出して立ちあがった母親を国民救援会の川崎南部支部が力強く支え、また川岸弁護士を私と同世代で過労死問題のエキスパートである松丸正弁護士が力強く応援しています。メディアの応援も力強かったようです。地元の神奈川新聞、そして朝日新聞としんぶん赤旗です。
裁判傍聴者についても「もの言わぬ弁護団」として高く評価されています。いやあ、すごい本です。川岸弁護士のすばらしさは、この点を強調しているところにもあります。
裁判が公正にすすめられているか監視すること、傍聴者が事件を知り、当事者(時ではありません)と弁護士を励まし、裁判官に公正な判断を迫るという役割があるのです。
和解勧告文を、公開の法廷で橋本英史裁判長が30分以上もかけて読み上げたというのを読んで、思わず腰を抜かしてしまいました。そんなこと、聞いたこともありません。いえ、裁判長が法廷で和解勧告することは、よくあることなんです。ところが、この本に格調高い和解勧告文の一部が紹介されていますが、こんな長文のものなんて、少なくとも私は聞いたことがありませんし、知りません。
「当裁判所は、本件事故にかかる本件訴訟の解決のありようについて、真摯に、深甚に熟慮すべきであると考えるところである。裁判所とは......、和解による解決として、真の紛争の解決と当事者双方にとってより良い解決をすることをも希求する職責を国民から負託されていると考える。本件における裁判所の判断が公表されることは、今後の同種の交通事故死をふくむ『過労事故死』を防止するための社会的契機となり、また、同種の訴訟における先例となり、これらの価値を効果は、決して低くはないものとみられ、むしろ高いものとみることができる」
和解決定文は15頁もあり、30分かけて橋本英史裁判長が読みあげたのでした。裁判官が、官僚ではなく、一個の人間として、人の心の琴線にふれる文章をつむいだのです。
事件に取り組む姿勢、そして解決した事件を世の中に広く知ってもらうための工夫、いずれもまだ35歳という若き川岸弁護士の力量の素晴らしさに圧倒されました。一人でも多くの弁護士に読まれるべき本として心から強く推薦します。
ちなみに判例時報2369号に9頁あまりの長大な評釈と、13頁にわたる和解勧告決定の全文が載っています。私は知りませんでしたので、あわてて書庫から判例時報をひっぱり出してきました。これもぜひご一読ください。
(2020年5月刊。1500円+税)

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