弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2020年6月19日

平将門の乱を読み解く

日本史(平安時代)


(霧山昴)
著者 木村 茂光 、 出版 吉川弘文館

平将門(たいらのまさかど)の乱は平安時代に起きた、武士の最初の反乱と言われる、935年から940年にかけての内乱だ。
平将門は、上野国府で「新皇」(新しい天皇)を宣言して、坂東8ヶ国の国司を任命し、新たな「王城」建設まで宣言した。
日本史のなかで、新しい天皇(新皇)を名乗り、朝廷の人事権(除目。じもく)を奪って国司を任命し、新しい宮都の建設まで計画したのは、ほかには南北朝内乱時の後醍醐天皇くらいしかいない。将門の乱は、まさに日本史上まれにみる大事件だった。
平将門が新皇宣言するにあたっては、菅原道真の霊魂と八幡大菩薩がその根拠となっていた。これらのことから、平将門の乱は単に東国で起きた武士の反乱という側面をこえた国家的な問題をはらんだ反乱だったと言える。
この当時、領地・所領は、まだ財産的価値をもっていなかった。
平安時代というのは、そのような時代なのですね...。
平将門は東北地方を強く意識していた。すなわち、鎮守府将軍のもたらす富には、奥羽さらにエゾ地から持ち込まれた、胡禄(ころく)、鷲羽(わしのはね)、砂金、絹、綿、布があった。
平安末期、源頼朝の挙兵について支配者層は平将門の乱に匹敵する大事件であると認識していた。
平将門は、平安京に似せて「王域」を建設しようとした。
「左右大臣、納言、参議、文武百官、六弁八史」の任命、「内印、外印(天皇の印と太政官の印)」の寸法・文字などを確定した。このように宮都の建設・官僚の任命が矢継ぎ早に実施された。ただし、専門性の高い技術と能力を必要とする暦をつくる暦日博士は人材を確保できずに任命されなかった。
平将門の「新皇」即位は、「みじめな構想」などではなく、思想的・精神史的には京都の天皇・天皇制を相対化するような大きな「画期性」をはらんでいた。
平将門は、自分の国家領域を支配するための政策をしっかりもっていたと認められるべきだ。
平将門は、律令国家・王朝国家が支配の根幹としていた国府を襲い、さらに中国由来の天命思想を掲げ、新興の八幡神・道真の霊を根拠として「新皇」を名乗って王城を建設しようとした。
平将門の乱は、関東という、京・畿内から遠く離れた領域を舞台として起きた反乱だったが、この反乱から読みとれる諸特徴は、まさに全国的な政治的・社会的・思想的な変化を体現するものばかりだった。
京から遠く離れた坂東の田舎武士どもが、ちょっと盾ついたというレベルのものでなかったことを初めて知りました。
(2019年11月刊。1800円+税)

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