弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2020年5月28日

神さまとぼく、山下俊彦伝

社会


(霧山昴)
著者 梅沢 正邦 、 出版 東洋経済新報社

松下電器産業といえば、子どものころテレビのコマーシャルで、「明るいナショナル、......なんでもナショナル」という軽快なソングを耳にタコができるほど聞かされ、親しみのもてる会社ナンバーワンでした。テレビだって洗濯機だって冷蔵庫だって、みんなナショナル製だといって不思議ではなく、その高い性能にすっかり安心して生活していました。
日曜日の朝、起きてくると、パンの焼けたいい香りが家中に広がって幸せな気分に浸ることができました。自動パン焼き器は我が家も購入しましたが、あれは本当にクリーンヒット製品でしたね。月に5万台も売れたとのこと。1987年ころのことです。
ところが、今やパナソニックという名前に変わって、かつての松下電器の威光(栄光)は、みるかげもありません。本当に残念です。永遠に続くかと思われた大企業の繁栄が、わずか20年ほど、ガタガタと崩れ去っていくのをこの目で見て、驚くばかりです。
そういえば、かつて三井鉱山といえば、天下の三井の中枢企業でしたが、今は存在しません。日本コークスと社名を変更し、日本製鉄が買収した、単なる弱小の一私企業でしかありません。銀行にしろ、三井銀行という名のものは今ではありません...。世の中、変わりました。
日本のエレクトロニクス産業の生産高がピークだったのは2000年で、26兆円だった。それが、2018年には半分以下の11.6兆円に転落している。ピーク時に1兆円をこえていた薄型テレビは、2018年に494億円になってしまった。ケータイ電話は2002年に1.4兆円だった生産額が17分の1の822億円にまで縮んでいる。ちなみに、韓国のサムスン電子は23兆円の売上高。
松下電器は、強大な「家電王国」だった。そして、「家電王国」から総合エレクトロニクス企業への脱皮・飛躍に失敗してしまった。
山下俊彦が松下電器の社長になったのは1977年(昭和52年)のこと。私がUターンで首都圏から福岡に戻っていた年のことです。私は28歳でした。
山下俊彦は、取締役会の序列は26人いるうち、下から2番目。工業高校を卒業して学閥もなく、松下家とは縁もゆかりもない。松下電器に入社して、いったん退社して再入社している。冷機(エアコン)事業部長から社長に抜擢されたとき、57歳。誰にとっても意外な人事だった。「山下跳び」とか「22人跳び」と呼ばれて世間の注目を集めた。
山下に決定的になかったのは、権力欲求。自己顕示欲も出世欲もなかった。
なぜ、山下俊彦が社長になれたのか、そして9年も社長を続けられたのか、また、その後、パナソニックが急速にダメな会社になっていったのか...。この本は山下俊彦社長誕生の経緯、そして在任中のこと、退陣後を追跡していて、読みごたえがありました。ゴールデンウィーク中に読んだ本のなかでもピカイチです。
要するに、いくら大きな会社であっても、昨日までの実績にあぐらをかいているだけでは、足元をすくわれてしまい、明日はないということです。
山下俊彦を見出したのは松下幸之助ではありません。でも、先の見えない危機感が面識のない、工業高校出身の事業部長を社長に大抜擢したのです。
そして、山下社長の体制でビデオは大当たりしました。1980年ころのことです。
山下俊彦は社内報に「奢(おご)り」を戒めるメッセージを社員宛に書いた。
「ほろびゆくものの最大の原因は奢り。過去の栄光におぼれ、新しいもの、あるいは困難なものに挑戦する気迫を失ったため。強さは、そのまま弱さに転化する。企業は生きている。活力のある企業は栄え、活力を失った企業は衰える。いちどの守りの姿勢になった企業は衰退の一途をたどるのみ」
山下社長退陣のあと、パナソニックは、残念ながら活力を失ってしまったようだ。
山下俊彦は努力の達人だ。その一つは、「忘れる」努力。
私も自慢じゃありませんが、「忘れる」ことにかけては、他人にひけをとりません。今となっては、認知症になって、すべてを忘れてしまうことになりはしないかと心配してしますが...。
長い弁護士生活のなかで、私もたくさん嫌な思いをさせられましたが、幸いにも読書習慣のおかげで、さっと忘れることができ、ストレスをためることがほとんどありません。この書評を書いているのも、私のストレス解消法のひとつなのです。読んだ本で感銘を受けたら、文字にして、それで安心して忘れることができます。人間にとって忘れられるというのは病気にならないためにも、大切な資質の一つだと実感しています。
山下俊彦は9年間の社長で、売り上げを3兆4241億円、営業利益1467億円とした。それぞれ2.6倍に伸ばしている。
松下幸之助は山下俊彦を直接は知らなかった。幸之助は「ツキ」が大事だと考えていた。そして、幸之助は山下にこう言った。
「キミはツイとる。ツイとるヤツを、ワシは見つけたんや」
社長になる前、事業部長の山下は定時退社を実践していた。机の上に余分な書類は一切置かない。引き出しのなかにもハンコが1個あるだけ。
部下が山下にあげる報告書は1枚が原則。指示が求められると、その場で即答する。保留するときも、自ら期限を切った。
リーダーの役割は、早い決断だ。ダメだったら、やり直せばいいだけのこと。
山下は、仕事とは主体的にするものだと考えた。自ら意欲をもち、自ら計画を立て、さまざまに工夫し、前進し、目標を達成する。それが仕事だ。
社長になった山下は午前8時少し前に出社する。午前9時までは誰も入れない。午前9時から30分刻みで予定を入れていく。それ以下はあっても、延びることは絶対ない。それで、飛び込みのアポが入ってきても、まかなってしまう。
山下の考えは、自己責任の原則のなかに人間の主体性が生かされるというもの。
山下は欲がない、ウソがない、虚飾がない、人に対して分け隔てがない。
山下は若い社員にこう問いかけた。
「みなさん、毎日が楽しいですか」
「みなさん、仕事は面白い?」
山下はノイローゼにならないため逃げ方の道具の一つとして健全な趣味をもつことが大切だと強調した。山下には読書のほか、登山はあった。そのため、早朝4時に起きてジョギングした。
山下の松下電器は、ビデオVHSが大当たりした。年間生産10万台が月間14万台となり、累計200万台となった。
日本が世界の半導体産業のなかトップを占め「天下」をとっていたのは、わずか6年間だけだった。アメリカに再逆転され、韓国・中国に追い抜かされた。
松下家を守り育てるなんていう発想があったら企業は伸びるはずもありませんよね...。と書いたとたんに、トヨタ自動車を思い出してしまいました。トヨタでは豊田家が依然として重用されているようですね。これまた信じられません。ニッサンもカルロス・ゴーン逮捕以降、パッとしませんが...。もっと会社は従業員を大切にしないといけませんよね。
この本の著者も、「あとがき」で、非正規雇用が日本で4割になっているが、本当にそれでいいのか、人間がただのコストであってよいのかと問いかけています。
もちろん、その答えは断じて「否!」です。
500頁近い大作です。コロナ禍の連休中に所内の大整理のあと必死に読み上げました。
(2020年3月刊。1800円+税)

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