弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2020年5月12日

ハリエット・タブマン

アメリカ


(霧山昴)
著者 上杉 忍 、 出版 新曜社

「モーゼ」と呼ばれた黒人女性の話です。奴隷でありながら、自ら逃亡したあと、今度は家族や黒人の仲間を次々に救出していったのでした。大変勇敢な女性です。
アメリカの20ドル紙幣の表面に肖像がのることになっていますが、トランプ大統領が横ヤリを入れているそうです。女性参政権100周年を記念した動きの一環です。
アメリカでは子どもたちは教室でタブマンのことを学ぶので、タブマンのことを知らない人は珍しいとのことです。アメリカでも1960年代になってタブマンの存在が知られるようになり、1986年のテレビドラマ『モーゼと呼ばれた女性』で一気にアメリカ全土で有名になったと言います。今では、アメリカの小学生は、ハリエット・タブマンについて学ぶことを通じて初めて黒人奴隷制を学ぶとのこと。
タブマンは、奴隷だったので学校に行くこともなく、読み書きができなかった。それで本人が書いたものはない。
所有者は奴隷を自由に売買することが出来た。そのとき、家族をバラバラにして売りに出すこともあった。また、奴隷主は、奴隷を「貸し出し」することもあった。
奴隷の身分から解放された自由黒人も存在した。自由黒人と黒人奴隷とが接触するなかで、逃亡奴隷に隠れ場所を提供したり、逃亡の手助けをする自由黒人が出現し、奴隷主の頭を悩ませた。
奴隷の逃亡が急増すると、奴隷主は、報奨金100ドルという広告を出して、発見しようとした。
タブマンの出生登録はないので正確な出生年月日は不明だが、恐らく1822年の2月か3月だと推定されている。タブマンが奴隷として生まれたのは、母親のリッツが奴隷だったから。このリッツの父親は白人だった。
黒人奴隷は、白人たちの世界と並存する秘密の世界をつくりあげていた。
タブマンは、そのなかで人並み以上の集中力をもって、コミュニケーション能力、具体的には口頭や身振りでのコミュニケーションの方法、暗号化された霊歌、表情、一瞥、歩き方、手の動かしかた、服装や欺く技術を身につけた。
クエーカー教徒は、その教義から奴隷を所有していなかった。それで、奴隷の逃亡を助けた。
タブマンは1849年に逃亡に成功し、その後は、南北戦争が始まるまで、何度も故郷のメリーランド州のイースタンショアに戻って、「地下鉄道」と呼ばれる支援運動によって、家族や仲間の逃亡を助けた。1830年から1860年までの30年間に年1000人から5000人、合計13万5000人の奴隷が逃亡に成功した。
タブマンは、周到な準備と緻密で考え抜かれた作戦によって、10回以上の作戦で一度も失敗しなかった。タブマンは銃を携行していたが一度も使っていない。
タブマンは、13回、70人を自ら救出した。このほか、50人に指示して逃亡させている。
「19回、300人」という数字は根拠のない誇大な数字だとされている。
タブマンは、慎重のうえにも慎重を重ね、情報収集を怠らず、十分な準備の下に作戦を実行し、成功させた。すべてはタブマンの単独指令にもとづいて運用された。
映画『ハリエット』が近く公開されるようなので、ぜひともみてみたいと思っています。
(2019年3月刊。3200円+税)

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