弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2020年5月 1日

物語カタルーニャの歴史

スペイン


(霧山昴)
著者 田澤 耕 、 出版 中公新書

カタルーニャというのは、スペインの地中海岸の北東部、フランスと国境を接する地方のこと。広範な自治権を有する自治州であり、その州都はバルセロナ。カタルーニャの人口は700万人。デンマークを上回る。
交通の要衝として、古代から栄えてきた。現代では、その地の利と、勤勉な国民性をいかし、スペイン随一の先進工業・商業地域として、スペイン経済の牽引車の役割を果たしている。
カタルーニャは中世(711年)イスラム教徒に支配された。フランク王国が取り戻したのは759年のこと。中世においては、イスラム教圏こそが先進文明圏であり、キリスト教圏は、戦いに明け暮れる未開の蛮族と貧弱な農法に頼る貧しい農民たちの地にすぎなかった。すなわち、ギリシャ・ローマの文明は、イスラム教圏で保持され、磨かれていたのだった。
修道院は、当時の学術・文化の中心であり、すぐれた修道院をもつことは、すぐれた政治顧問国を持つことにも等しかった。
アルモガバルスという傭兵部隊が存在した。アラビア語起源で、「突然、侵入してきて荒らしまわる者たち」という意味のことばだ。14世紀、地中海の国際情勢が安定してくると、アルモガバルスはやっかい者となり、危機を迎えた。
1939年1月、バルセロナが陥落し、フランコはカタルーニャ自治憲章を廃止し、カタルーニャ語を使用禁止とした。フランコ政権による厳しい報復を恐れてピレネー山脈をこえてフランスに亡命した人は50万人にのぼる。
フランコ独裁政権は「強い統一スペイン」を標榜して、徹底的な反カタルーニャ主義政策をとった。カタルーニャ語を公の場で使うことも禁止した。
1975年、独裁者フランコが82歳で病死した。
1978年に、スペインの原稿憲法が制定され、カタルーニャ州に自治を認め、自治憲章の制定を認めた。
2014年9月、バルセロナで180万人が参加する大規模なデモがあり、スペインからの独立を求めた。バルセロナの人口は160万人であることから、180万人というすごさが分かる。
カタルーニャ自治州は、人口ではスペインの16%だが、GDPでは20%を占める。工業、農業、漁業、そして観光業まで、スペイン産業界をリードする豊かな地域なのだ。
2014年11月の住民投票では、230万人が投票し、8割以上の人がカタルーニャの独立を支持した。しかし、投票率は有権者の3割でしかない。
2017年10月の住民投票では、投票率44%で、独立賛成が90%をこえた。
なかなか住民意思の実現が難しいのは、どこも同じなんですね...。
スペインの北部、カタルーニャの興味深い歴史と現在を知ることができました。
(2019年12月刊。920円+税)

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