弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2020年4月15日

五色の虹

日本史(戦前)


(霧山昴)
著者 三浦 英之 、 出版 集英社

満州に建国大学なるものがあったこと、その卒業生たちが戦後、とくに韓国では大活躍したことなど、初めて知る話ばかりでした。
建国大学は、日本政府が満州国の将来の国家運営を担わせるべく、日本そして満州全域から選抜した「スーパーエリート」の養成所だった。日本、中国、朝鮮、モンゴル、ロシアの学生が6年間、異民族と共同生活を送った。それは「五族協和」の実践でもあった。
建国大学では日本人学生は定員の半分まで、残り半数は中国、朝鮮、モンゴル、ロシアの各民族に割りあてられた。そして、建国大学の学生には言論の自由という特権が付与された。それは、日本政府を公然と批判する自由を認めていた。
建国大学の設立には、参謀本部の石原莞爾(かんじ)大佐が深く関わっていたとのことです。そして、石原大佐の意を受けて、関東軍参謀本部の辻正信大尉も具体的に関与しています。
1学年の定員は150人、修学期間は、前期3年と後期3年の計6年間。全寮制を基本として、授業料は全額を官費でまかない、学生には月5万円の「手当」が支給される。学問、勤労実務、軍事訓練の3つが教育指針となっている。
建国大学は1945年8月の満州国崩壊とともに消え去った。開学して、わずか8年間存在したのみだった。建国大学の出身者は1400人。2010年の時点の生存者は350人。
戦後、日本人学生の多くはシベリアに抑留された。そして日本に帰国したあとも、あまり良い処遇を受けていない。
中国人やロシア人、モンゴル人は日本帝国主義への協力者とみなされ、自己批判を強要された。ところが、韓国では、姜栄勲のように軍幹部から首相になった人がいる。政府や軍、警察、大学、主要銀行などの主要ポストを建国大学出身者が握っていて、政財界には建国大学出身者のサークルのようなものがつくられていた。なぜか...。
建国大学出身者は、語学力に優れ、国際感覚を身につけているうえ、当時の韓国でもっとも求められていた軍事知識を有していたから...。
中国人学生たちは、建国大学のなかで、反満抗日運動の組織をつくって活動していたようです。
建国大学の卒業生たちを訪問してまわる旅の様子も興味深いものがあります。中国、韓国、台湾、そしてカザフスタンです。埋もれていた歴史を掘り起こす作業が、どんなに大変なのか、少し分かりました...。
(2016年8月刊。1700円+税)

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