弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2020年3月27日
古川苞―その不屈の生涯
日本史(戦前)
(霧山昴)
著者 藤田 廣登 、 出版 国民救援会葛飾支部
苞って漢字、読めませんよね。しげる、と読みます。古川苞は三・一五事件で逮捕された1600人のなかの一人でした。
三・一五事件とは、1928年(昭和3年)3月15日の未明、1道3府27県において、特高警察によって全国一斉に共産党とその同調者と目された人1600人が治安維持法違反として検挙された事件です。この年、初めての第1回男子普通選挙が実施され、労農党が躍進し、山本宜治も当選しました。3月15日というのは、この選挙直後のことです。
古川苞は1906年(明治39年)に北海道・小樽で生まれました。父は公務員で転勤が多く、古川は東京で小学校、そして東北の山形中学、山形高校を卒業して、1926年に東京帝大に入学しました。文学部社会学科です。
亀井勝一郎と山形高校で同学年で、亀井も古川も東大新人会に加入しました。そして、古川は墨田区柳島元町で活動していた帝大セツルメントに参加したのでした。
この帝大セツルメントでは、労働者に社会科学を教える「労働学校」の人気が高かったのですが、古川は「市民学校」という地味な活動分野を選びました。セツルメント市民教育部に所属し、中等課の講師を引き受けたのです。
私も古川の40年後の1967年にセツルメントに入り、川崎市幸区古市場(ふるいちば)で、若者サークル活動をしていました。セツルメント青年部です。そこで、大いに学び、目を開かされました。
古川のセツルメント「市民学校」には、東京モスリン亀戸工場働く人たちも生徒にいたようです。この工場では、1926年7月に総同盟の指導するストライキが起きたのです。
セツルメントではセツラーネームというものがあり、私は高校生までの坊主頭が過渡期でしたので、マンガの主人公と同じイガグリと呼ばれました。古川は「コモさん」と呼ばれていたそうです。
古川は、生活が実に几帳面で、まじめだったけれど、社会人生徒に冗談を言って笑わせ、教室はいつも明るい雰囲気だったとのことです。
私は、昔も今も、人を笑わせるのは、あまり得意なほうではありません。
古川は、柳島町にあった帝大セツルメントの宿泊所に寝泊まりしてセツルメント活動に打ち込みました。私も、川崎に下宿しながらセツルメント活動を続けましたので、大いに共通するところがあります。
飯島喜美という若い女性も帝大セツルメントと接触して目ざめ、16歳で賃上げストライキの先頭に立ちました。この飯島喜美はモスクワのプロフィンテルン大会にも参加し、報告していますが、帰国して活動中に特高警察に逮捕され、激しい拷問を受けた末、1935年12月に24歳という若さで獄死してしまいました。
三・一五事件で逮捕されたとき、古川はまだ帝大生であり、警察のブラックリストにのっていなかったので、29日間の勾留で釈放されます。そして、1929年に再び四・一六事件で、特高による全国一斉検挙があり、古川も再び逮捕されました。このときは、小松川警察に40日間も勾留されて拷問を受けたことから、心臓脚気が悪化したことから釈放され、自宅(郷里の山形)に戻りました。
やがて、健康を回復すると、古川は、共産党中央部の秘密印刷所の任務についたのでした。当時は、私のセツルメント活動のころもまだそうでしたが、ガリ版印刷です。古川は、ガリ切りがうまかったのです。
そして、1930年2月に「二月事件」で逮捕され、今の中野区にあった豊多摩刑務所に入れられます。さらに市ヶ谷刑務所に移されたあと、古川はハンガーストライキを始めました。病気が悪化して、執行停止となり、古川は自宅に戻ることができました。古川は無口で、不言実行型の青年だったので、まもなく活動を秘密裡に再開します。
1934年6月、自転車に乗って移動中、古川は江島区大島で検挙されました。実に4度目です。古川は獄中でも完全黙秘を貫いて、がんばりました。しかし、腸結核のため、自宅に戻され、そこで1935年12月15日に亡くなったのです。29歳でした。
青砥(あおと)無産者診療所が1930年8月に設立したときには、古川の父親が200円も拠出したそうです。
セツルメント活動のなかで社会の現実を識り、自覚して立ち上がった偉大な先輩の話を知り、胸が熱くなりました。わずか56頁の小冊子ですが、よく出来ていると思いました。救援会の皆さん、これからもともに不当な弾圧を許さない取り組みをすすめましょう。
(2018年12月刊。300円+税)
木曜日の朝8時半、隣の駐車場の奥にある草ヤブからタヌキが1頭出てきました。丸々ふとった親ダヌキです。昔からタヌキ一家がこの草ヤブに棲んでいたことは分かっていましたが、白昼堂々と出現してきたのには驚きました。
いつもネコが団地内を同じように巡回するのですが、ネコの姿は見かけません。タヌキはゆったりした足取りで坂道をのぼり、団地内を悠然と歩いていきます。
やがて、巡回が終わったようで、草ヤブに戻っていきました。
いったい何をしたのでしょうか...。不思議です。
火曜日に東京の日比谷公園に行って桜が満開なのに驚きました。私の町ではまだ二分咲きです。そして、花壇のチューリップが全然咲いていません。わが家は、それこそチューリップは満々開です。東京と福岡では、こんなに違うのですよね...。