弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2020年1月30日

昭和とわたし

日本史(戦前)


(霧山昴)
著者 澤地 久枝 、 出版  文春新書

「九条を守れ」のプラカードを手にして毎週、国会前に立つ著者は1930年(昭和5年)秋、東京青山で生まれました。そして、戦前・戦中を旧満州で軍国少女として生きていたことを知りました。
戦後、なんとか日本に帰国して夜間学生として5年、編集者生活の9年、助手生活10年。
そして1927年に『妻たちの二・二六事件』で作家としてデビューしたのです。
私が著者の本を読んだのは、竹橋事件を扱った『火はわが胸中にあり』が最初でした。西南戦争に従軍した近衛砲兵たちが翌明治11年8月に処遇不満から叛乱を起こし、皇居に向かって決起した事件です。53人もの兵士たちが銃殺刑に処せられた大事件で、明治民権運動の影響があったことまで堀り下げられていて、私の心を強く打ちました。
著者は、かの有名なミッドウェー海戦における日米の戦死者数を4回もアメリカに行って確認しています。日本側は3057人であるのに対し、アメリカ側は1桁すくない362人でした。
満州国に少女時代に行って過ごし、植民地の実態を体験します。「五族協和」とか「王道楽土」とかいっても、日本人には米と砂糖の配給が確実にあっても、中国人には砂糖の配給はなかった。そして、住む場所と建物に一目瞭然の違い(差別)があった。
人間狩りで連行されてきた中国人労働者は「特殊工人」と呼ばれ、人間以下の消耗品として扱われた。
徴兵されたら、残された一家にとって、もっとも肝心な働き手が無条件で連れ去られていくことになる。著者は終戦(敗戦)のとき、14歳そして15歳。マンドリン銃をもったソ連兵が自宅に押しかけてきて危い目にもあった。
「君が代」の歌を聞くと、「聖戦完遂」を信じた14歳までの自分の姿がみじめに思い出される。どんなに無知で、大勢迎合のおろかな人間だったか・・・。
満州にいた敗戦国の日本の人々の連行を日本政府がいささかも顧慮した形跡はまったくない。満蒙開拓団の多くの死は、当然予想されるべきであったのに・・・。ところが、日本では、むしろ「在外居留民はなるべく残留すべし」だと政府は考えていた。見捨てようとしたのだ。そして、日本に帰ってきたとき言われたのは・・・。
「満州くんだりから引き揚げて来やがって、おまえたち、人間の皮を着たけだものだ・・・」
もちろん著者は鉄砲一発うっているわけではないが、あの戦争の時代にまったく無関係とはいえない。そのことの責任を死ぬまで背負うつもりでいる。
そして、騎手であったただ一人の人物は、昭和天皇だ。その責任を問わなくては、戦争責任に総体を問うことはできない。苛酷な戦争体験に発する、これらの言葉の重みに私も圧倒される思いです。
自分史を書くなら、きちんと裏付けをとって書くべきだと著者は強調しています。全く同感です。思い出すままに流されるように書き、文章に歌わせて読ませる自分史は、長いいのちを持たない。初歩的な確認作業すらやらずに書いたものは背骨が軟弱で、残念ながら証言性に乏しい。
井上ひさしのすごいところは、調べに調べ、人の心に響く作品を書き続けたこと。あとに続く者のあるのを信じて走れ、と言った。
全人生とひきかえにしてもいいような男女関係など、ほんとうは存在しないのではないか。こわれるものはこわれ、分かれるべき状況がやってきたときには避けることができない。その程度の頼りない絆で結ばれているのが、男と女なのではないか・・・。これは弁護士生活46年目に入った私の実感にぴったりする言葉です。
澤地久枝とはいかなる人間、そして女性なのかを駆け足で知ることのできる貴重な新書です。
(2019年9月刊。800円+税)

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