弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2019年11月29日

ボンヘッファー

ドイツ


(霧山昴)
著者 宮田 光雄 、 出版  岩波現代文庫

ヒトラー・ナチスと果敢にたたかい、アメリカに亡命して、助かるはずだったのに、ドイツに戻って殉教した神学者の生涯と思想を刻明にたどった本です。私は、その存在をまったく知りませんでした。
神学者のディートリヒ・ボンヘッファーは反ナチ抵抗運動に参加して逮捕・投獄され、39歳の若さで処刑された。ただ、その処刑は遅く、ナチ・ドイツの降伏が間近に迫っていた1945年4月9日の早朝のことだった。
マルチン・ニーメラーはヒトラー・ナチスに抵抗した神学者として有名ですが、ニーメラーは、ヒトラーの賛美者だった時期があったのですね。これまた、私は知りませんでした。
ニーメラーは、ヒトラー政権の成立を歓迎し、ドイツが国際連盟を脱退したとき、ヒトラー激励の電報を打った。ヒトラー政権の本質をニーメラーも見抜けていなかった。
ヒトラー政権が成立した1933年ころは、ナショナリズムに根ざす伝統、ワイマール共和国に対する失望などは、かえってドイツの教会をナチズムの運動に傾斜させがちだった。多くの人々が、教会指導者や神学者まで、ナチ政権に滅狂的・献身的に同調していった。
ところが、ボンヘッファーは、1933年春の時点で、ナチのユダヤ人政策に反対した論評を張っていた。このころ、ドイツの多くの教会では、ナチの国家権力が教会生活や信仰箇条の中身に干渉しさえしなければ、何とかヒトラーと妥協してもよいと考える大勢の人たちがいた。
ボンヘッファーは集団的な兵役拒否を呼びかけた。キリスト教信者として許容されるのは、衛生兵勤務のみだとした。
ボンヘッファーは1933年6月に船でニューヨークに渡った。ところが、それは間違いだったとして、7月7日、アメリカからドイツ人を乗せてドイツに向かう最後の船に乗ってドイツに戻った。その後、ボンヘッファーは、カナーリス提督の率いるドイツ国防軍諜報部のヒトラー政権に対する抵抗運動に参加していた。
そして、1942年には、スウェーデンに行ったり、ヒトラー政権を転覆させようとする活動を連合国に知らせる活動にも従事した。ところが、このようなドイツ国内の抵抗運動は、連合国側からは信用されることなく、見捨てられた。
ボンヘッファーは、音楽を愛し、美術を愛し、食物についても健啖家(けんたんか)だった。その周囲を書物でとり囲まれ、死に直面していても詩をつくり、戯曲や小説の断片さえ書き残した。また、社交好きで、祝祭や遊びにも喜んで参加する人好きのいい人間だった。
1953年以来、ナチ政権は、党員であることと教会に所属することとが両立しえないことを公然化させた。
1995年に刊行された本を20年以上たって文庫本としてよみがえった本です。400頁をこえる文庫ですが、大変読みごたえがありました。
(2019年7月刊。1620円+税)

  • URL

カテゴリー

Backnumber

最近のエントリー