弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2019年11月23日

太陽を灼いた青年

フランス


(霧山昴)
著者 井本 元義 、 出版  書肆侃侃社

フランスの若き天才詩人アルチュール・ランボー。日本の詩人がフランスに出かけて、ランボーの足跡をたどった本です。たくさんの写真があって、楽しく読めます。
ランボー狂いの著者はランボーに関する本を数十冊も読み、あらゆる評を読んでいます。
そして、ランボーが生まれたシャルルの地に立ち、その空気を腹一杯、吸い込みます。ランボーが酔いしれて彷徨したパリのカルチェラタンをランボーのように歩いてみます。パリにむかってランボーが旅立ったヴォンク駅は今は廃駅となって線路もありませんが、そこに立ち往時をしのびます。手に傷を負ったランボーが悲痛な時を過ごしたロッシュ村を訪れ、そこにあるランボーの墓石を何度も撫でます。
本書はランボーを狂おしいほどにしたう著者が、フランス国内を歩きに歩いてランボーの面影をたどった記録です。著者は仕事をリタイヤして70歳のころ、3年間、毎年3ヶ月間、パリに下宿してパリ近辺を歩きまわったという行動派でもあります。
ランボーが死んだのは、1891年11月10日、37歳だった。マルセイユの病院で亡くなった。葬儀は盛大だったが、参列者は母と妹の二人だけ。このころ、ランボーの詩がかつて賞賛されていたことを身内は知らないし、世間は天才詩人ランボーの死を知らなかった。
ランボーの最高傑作詩の一つ、「酔いどれ船」は、ランボーが16歳のときの作品。その詩に感激したヴェルレーヌから、「来たれパリへ、偉大なる魂よ」と招かれ、ランボーはパリへ旅立った。それからの4年間が、若きランボーの情熱がもっとも輝くときだった。
ランボーは1871年のパリ・コミューンに出会い、コミューン兵士の一員になる。しかし、兵舎のなかは驚くほど無秩序で、1ヶ月もたたないうちにランボーは兵舎を出た。このころ、まだ16歳の天才少年だ。
詩の意味は、色や匂いや言葉や音の組み合わせだ。
ランボーは詩作をやめた。しかし、著者は、そこからが本当の詩人ランボーの誕生だと強調しています。すべてを見てしまった書かざる詩人が誕生したというのです。
ランボーはアフリカに渡り、武器商人になったのですが、結局、取引相手にうまくあしらわれて赤字を出したようです。そして、病気をかかえてフランスに戻るのです。リューマチが悪化、腫瘍ができたのでした。
ポール・クローデルは、アフリカでのランボーの生活や手紙には何の意味もない、ランボーの文学の価値は前半で終わっているとしました。著者は、これに激しく抵抗しています。
私は正直言って、書かざる詩人という存在なるものが理解できません。心象風景を文字にしてこそ詩なのではないか・・・、と思うからです。
この本は私のフランス語勉強仲間である著者から教室で贈呈されたものです。早速読んでみました。私も言ったことのあるパリのパンテオンやサン・ジャック通りなど、なつかしい光景が見事な写真とともに紹介されています。
ありがとうございました。ランボーの一生がチョッピリ分かりました。
(2019年10月刊。1600円+税)

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