弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2019年11月 1日
朝鮮戦争に「参戦」した日本
日本史(戦後)
(霧山昴)
著者 西村 秀樹 、 出版 三一書房
日本の戦後復興に朝鮮戦争が大きく寄与したことは歴史的な事実です。
その朝鮮戦争に、実は、日本人が兵士として、また後方支援(掃海活動)などに参加していた事実が詳しく紹介されています。
そして、アメリカ軍の朝鮮での軍事行動を妨害すべく、日本国内で若者たちが起ちあがったのでした。それが吹田事件であり、枚方(ひらかた)事件でした。
1905年、セオドア・ルーズベルト大統領と桂太郎首相は秘密協定を結んだ。これは、日本はアメリカがフィリピンを統治することに同意し、アメリカは日本が韓国に対して保護監督権をもつことを承認するというもの。まさしく、帝国主義の時代だった。
韓国併合条約は、形式としては韓国の皇帝が日本の天皇に併合を申し出て、日本の天皇がこれを受け入れたという「任意」を装っている。しかし、その実態は、日本が軍隊や警察をつかって徹底的に弾圧した結果であった。
1895年、日本は明成皇后(閔妃・ミンピ)暗殺事件を起こした。一方的に宮廷に押し入り、皇后を殺害したうえ、その遺体を焼却したのですから、日本人の行為は残虐そのものです。立場を逆にして、もし明治天皇の皇后が隣国人に暗殺されたら日本人はどう思うだろうか・・・。本当に、そのとおりです。加害者の子孫は忘れても、被害者の遺族は忘れることができるはずはありません。
日本政府は、日本人が朝鮮戦争にどのように関わったのか正式に質問されたとき、「正確に事実関係を示すことは困難」だとして、きちんと回答しなかった。
たとえば、朝鮮戦争のときに日本人がかかわった海上輸送は、その指揮官はアメリカ人であって、その実情を明確にされていない。乗組員の日本人には、作戦の全容は教えられなかった。少なくとも8000人もの日本人が朝鮮戦争時に、海上輸送に従事していた。
朝鮮戦争に参加していたイギリスは1万4000人、タイとカナダがそれぞれ6000人。そうすると、日本人が8000人いたのは、比較すると、とても多いことになる。
在日韓国人のなかでは、自願軍644人が結成された。それに対抗するようにして、6月29日、北九州では若者70人が日本兵を望んだ。
日本の特別掃海隊は、2か月間で作戦を終了した。任務である機雷処理は27個を遂行した。
そして、2隻の掃海艇を失い、死者1人、重軽傷者という大惨事があった。
日韓関係がきわめて悪化している今日の状況を考えても、大変時宜にかなった本だと思います。ぜひ、ご一読ください。
(2019年6月刊。2500円+税)
2019年11月 2日
極北のひかり
人間
(霧山昴)
著者 松本 紀生 、 出版 クレヴィス
1年の半分をアラスカで過ごし、厳寒のなかで動物やオーロラを撮影する写真家の体験記です。
クマを用心し、蚊の大群と戦い、猛吹雪に耐える生活です。ところが、日本では写真を撮らないという徹底ぶりにも驚きました。
この本を読んで、クマよりも寒さよりも、何より蚊との戦いこそが、もっとも大変だと想像しました。アラスカに発生し生息する蚊は、なんと17兆匹。これはアラスカの総人口の2400万倍だ。
蚊をおびき寄せるのは、汗、体温そして呼吸。テントの真上5メートル付近の空洞が黒く染まり、揺れ動くほどの蚊の大群にテントは包まれる。外で用を足そうとして下半身をむき出しにしたら蚊の格好の餌食となる。うひゃあ、これはたまりませんね・・・。
蚊の対策はネットで頭を覆う。そして、アメリカ陸軍が開発した薬(ディート)を使う。
蚊はカリブーにも襲いかかる。カリブーが蚊にやられて衰弱していく。
食事は、朝も夕も同じ、豆雑炊。異なるのは、ふりかけの種類だけ。なぜ、豆雑炊なのか・・・。軽量で安価。腐らないので長期保存できるうえ、あっという間に調理できる。そして、匂いを発しないので、クマを誘引することがない。
アラスカのキャンプは食事を楽しむ場ではない。そう割り切る。いい写真を撮るためにここにいるのだから・・・。
クマ対策として、食料専用のテントを生活用テントから100メートルほど離して設営する。そしてクマよけの電気柵で取り囲んでおく。
いやはや良い写真を撮るためには大変な努力が、そして工夫と忍耐力が求められるのですね。おかげで、自宅でぬくぬくとしながらオーロラのすばらしい写真をみることができるわけです。ありがとうございます。
(2019年4月刊。1600円+税)
2019年11月 3日
いも殿さま
江戸時代
(霧山昴)
著者 土橋 章宏 、 出版 角川書店
いま、わが家の敷地内に芋畑があって、やがて芋掘りパーティーが開かれます。保育園の園児が老健施設のじいちゃん、ばあちゃんと一緒に芋掘りをして楽しむのです。芋を植えるときも老・幼一緒でした。その前はジャガイモ植え付けと掘り起こしでにぎわいました。恐らくでっかい芋がゴロゴロ掘り起こされることでしょう。
そんな芋ですが、日本に古くからあったのではありません。
江戸時代に少しずつ普及していったのです。種芋は薩摩藩にありました。まさしくサツマイモ(薩摩芋)だったのです。よそ者を受け入れない薩摩藩に忍び込み、種芋をひそかに買い求めて、島根で育てた代官がいたのでした。
石見(いわみ)銀山で有名な石見の代官所に赴任した井戸平左衛門が飢饉対策として芋を植え付けるに成功した実話にもとづく感動的な小説です。
ところが、幕府の命令で勝手なことをしたとして井戸平左衛門は代官を罷免され、唐丸(とうまる)駕籠に乗せられ、江戸へ護送されます。地元の人々が見送りました。
江戸幕府では、平左衛門の処分をめぐって評定所で意見が分かれました。
大岡忠相(ただすけ)は、平左衛門の働きを高く評価していました。
しかし、自分の役目を完遂したことを悟った平左衛門は処分の結果を待たず自ら切腹してしまいました。
島根には平左衛門の功をしのんで、各地に芋塚が建てられ、井戸神社まで建立されたとのことです。
いつの世にも骨のある役人がいるものですね。ふと、前川喜平・元文科省事務次官を思い出しました。
(2019年3月刊。1600円+税)
2019年11月 4日
秋元治の仕事術
人間
(霧山昴)
著者 秋元 治 、 出版 集英社
私は、『こち亀』を読んだことは1回もありませんが、それが毎週連載を40年間も続けていた人気マンガだということは、もちろん知っています。
その著者が40年間も休まずに毎週連載を続けられた理由を大公開した本です。
読んでみると、著者の才能が大前提ではありますが、なるほどと思うことばかりでした。
マンガの世界は先のことが予想できない。突然、終わりを迎えてもおかしくない。そこで、とにかく面白いものを描き、1回1回、乗り切っていくことだけを考えてやってきた。先のことまで考えない。変化を恐れず、常に新しいネタを仕入れ続けてきた。
好きなことだけをやってきた。仕事を苦痛だと思ったことは一度もない。
漫画家はネタを考えるのが仕事の根幹。ネタを考えるのが不得意な人は、漫画家には向いていない。
漫画家はリスキーな職業なので、深く考えることができる人なら、まず選ばない道。
何事もなかったかのように、変化なくずっと毎日続ける。これこそが集中力を持続させるコツ。いつまでもくよくよ悩まず、ある程度悩んだら、さっと切り換えて次に行く。
『こち亀』のレギュラー連載は、十分なストックをもっていたので、落ちるというピンチを感じたことはなかった。
この書評も20年近く続けていますが、この間、1日たりとも切れていません(ときに飛んだのは、アップ担当者が急に休んでしまったからで、私が原因なのではありません)。
そのためのスケジュール管理を厳密にやっている。時間は、自分から積極的に生み出さないといけない。1本の『こち亀』に初めは7日間をかけていたが、6日間に短縮し、5日間で仕上げるというペースを確立した。
仕事をするのは朝9時から夜7時まで。昼と夕には食事のための休憩時間を1時間ずつとる。残業はなるべく少なくし、徹夜はしない。社員も、きちんと休みをとり、タイムカードで出退勤管理をしている。
著者は午前2時までには就寝し、起床は7時半。このようにして時間をきちんと守ると、社会的つきあいもできるようになる。
ギリギリの仕事はしない。原稿はいつも早めに担当者に渡す。
ながら族で仕事をする。マンガを描くときにはFM放送(ラジオ)を流しっぱなしにしている。ラジオから、新商品の情報や最新のニュースが頭に入ってきて、次のマンガのネタになっていく。
ネットでの評価は見ない。そしてつまらない批判は無視する。ファンレターは読む。
本屋には気分転換をかねて出かける。
眠いときは、無理をせず、しばし仮眠をとる。健康を保持し、仕事を続けるための一番の特効薬は、悩まないこと。
私より4歳だけ年下の著者ですが、私の考えと著者のやっていることに共通するところが多く、大変共感を覚えました。180頁あまりの本ですが、立派な仕事術がぎっしりの本ですので、あなたにも一読をおすすめします。
(2019年8月刊。1200円+税)
2019年11月 5日
皮膚はすごい
人間
(霧山昴)
著者 傳田 光洋 、 出版 岩波科学ライブラリー
人間の身体がいかに良くできているか、またまた認識が深まりました。
人間の先祖であるアウストラロピテクスは全身が体毛で覆われていた。つまり、いまのように体毛がなくツルツルの肌というのではなかったのです。では、いつ体毛がなくなったかというと、120万年前のこと。体毛がなくなり、皮膚がむき出しになったことから、人間に何が起きたのか・・・。表皮を環境にさらすことで、さまざまな情報が全身を覆う表皮からもたらされるようになった。
人間の全身を覆うケラチノサイトの数は1層で200億あるので、少なくとも1000億個以上はある。これは脳の神経細胞数と同じレベル。その一つ一つが温度や圧力や電磁波などの物理現象、化学刺激のセンサーを複数もっていて、情報処理施設であり、かつ、身体や脳に指示を出す能力がありことを考えると、表皮からもたらされる環境情報は膨大な量になる。
瞬時の情報処理は、表皮とせいぜい脊髄でなされ、脳にもたらされた情報のあるものが記憶として脳に保存される。
表皮は可視光のみならず、紫外線から赤外線まで感知できる。音については、耳の限界、2万ヘルツを超えた超音波まで感知できる。表皮は大気圧を感じ、酸素濃度を感知し、地球の磁場程度の弱い磁気も感知し、電場にも応答する。
人間は、本来、自分の身体を守るためのものだった表皮から体毛をなくし、あえて外界にさらし、世界を、そして宇宙を知る装置に変えた。いわば、皮膚を世界に宇宙に向けて開放したと言える。
人間の皮膚やトマトの皮の表面は、死んだ細胞が重なって出来ている。
人間の皮脂には、水をはじくスクワレンという脂質が入っている。
人間の皮膚にいちばん似ているのはカエルの皮膚。
激しく運動したあと、身体を冷やすために汗をかくのは人間と馬だけ。
人間が体毛を失ったことの結果なのか、それを目的として体毛をなくしたのか、それも知りたいと思ったことでした。とてもとても知的刺激にみちた本です。
(2019年9月刊。1200円+税)
2019年11月 6日
チョンキンマンションのボスは知っている
中国
(霧山昴)
著者 小川 さやか 、 出版 春秋社
チョー面白い本です。びっくりします。スワヒリ語の話せる著者が香港に生活するタンザニア人たちの社会に溶け込んでつかんだ、びっくりするような生態が分かる生きたレポートです。
スワヒリ語を話せることがこんなに「武器」になるなんて・・・。やはり語学は大切ですよね。
アングラ経済の人類学。このサブタイトルに異存はありません。
うまく騙すだけでなく、うまく騙されてあげるのが仲間のあいだで稼ぐうえでは肝要。
チョンキンマンションのボスを自称するカラマなる人物は、いかにも魅力的です。多くの人に一目置かれています。15ヶ国以上のアフリカ諸国の中古車ディーラーとネットワークをもっている。タンザニア香港組合の創設者で、現副組合長。
香港に長期に滞在するタンザニア人たちの主な仕事は、短期滞在型の交易人たちの輸出入のアテンド、仲介業と、インフォーマルな輸出・輸入業である。
これより先は、知りたくないという寸止めの態度がチョンキンマンションに長く暮らしている人々が実践していること。これは平穏に自らの人生をつむぐ知恵であり、いろんな事情をかかえた人々とつきあうための配慮にもなる。
タンザニア香港組合のメンバーは多かれ少なかれ「法」に違反している。それでも麻薬の売人や窃盗を兼ねて違法売春する者と、仲介業をしたり衣類や電化製品などの交易に従事する者とでは、「刑務所の近さ」あるいはトラブルの性質や頻度に違いがある。
彼らは、常々、「誰も信用しない」と断言している。
大切なのは仲間の数ではない。タイプの違う、いろんな仲間がいること。
他者の「事情」に踏み込まず、メンバーと相互の厳密な互酬性や義務と責任を問わず、無数に増殖し拡大するネットワーク内の人々が、それぞれの「ついで」に出来ることをする「開かれた互酬性」を基盤とすることで、彼らは気軽な「助けあい」を促進し、国境をこえる巨大なセーフティーネットをつくりあげている。
自分たちを対等であるとみなしていない人々に対しては、「扱いやすい人間」にならないことが肝要。そのためには、わざと約束をすっぽかし、彼らが会いたいと恋しがるころに会いに行くのがちょうどいい。
なーるほど、こんな人生哲学があるのですね・・・。
タンザニア人たちは、独立自営を好み、業者に労働者として雇われたり、他のブローカーと共同経営することは好まない。
カラマたちにとって、SNSに投稿するための写真や映像を集めるのは「遊び」であると同時に「大切な仕事」でもある。
彼らは他者に親切にすることで何らかの権力や地位を得ることには、ほとんど関心がないし、関心をもったとしても何の権力も地位も得られない。
香港のタンザニア人たちは、組合活動への実質的な貢献度や窮地に至った原因を問わず、組合員の資格や他者への支援にかかわる細かなルールを明確化せず、ただ他者の求める支援に応じるか否かを判断する。
彼らの日常的な助けあいの大部分は、「ついで」で回っている。
タンザニアに帰国するか、いつ帰国するかにかかわらず、彼らは「どこか」「いつか」のためではなく、「いまここ」にある人生を生きるために稼いでいる。
彼らの仕組みは、洗練されておらず、適当でいい加減だからこそ、格好いい。
著者は40歳の日本人女性で、立命館大学教授でもあります。すばらしいルポタージュですが、この一部は学術論文にもなっているとのことで、深みもあり、ともかく面白く読ませます。あなたも、ご一読してみてください。世界が広がりますよ・・・。
(2019年10月刊。2000円+税)
2019年11月 7日
バタフライ
シリア
(霧山昴)
著者 ユスラ・マルディニ 、 出版 朝日新聞出版
17歳のシリア難民少女が、ブラジル・リオのオリンピックに出場して泳ぐまでの実話が語られています。
難民が生命がけでドイツにたどり着くまでの様子が刻明に語られていて、その悲惨さに思わず涙ぐんでくるのをおさえられません。水泳選手という自負心から、船が沈没して全員おぼれそうになったとき、海の中で船(ボート)を支えたという信じられないエピソードもあります。
シリアで水泳のコーチをしていた父親の下で、姉と妹は幼いころから水泳を始めて、やがてオリンピック出場を目ざすのです。ところが、シリア内戦が始まり、シリア国内では水泳の練習どころではなくなります。
シリアのアサド政権って、すぐにも倒れるかと思っていましたが、意外にしぶとく生き残っているようです。反政府派との激しい内戦は今どうなっているのでしょうか...。日本では、何が問題となっているのかを含めて、シリアの状況はまったく伝わってきませんので、この本を読んでも、基礎的知識がありませんので、もどかしい限りです。
敬虔(けいけん)なイスラム教徒だったら、女性はヒジャーブを着て肌の露出を避ける。しかし、水泳選手にそんなことを求めるわけにはいかない。水着の上に何かを着て泳ぐなんてありえない・・・。
市街戦が日常化するなかで著者たちはシリアを脱出し、ドイツに向かったのでした。
2015年9月の週末だけで、2万人の難民がバスや列車に乗って、ハンガリーからオーストリア経由でドイツに到着した。このときドイツは難民を受け入れていた。そして、難民として登録されると、ドイツ政府は毎月130ユーロの手当を支給してくれる。
シリアを脱出して、ヨーロッパまでたどり着けた人々は、故国ではそれなりに裕福に暮らしていた。シリアからドイツに来るまでに3000ドル以上のお金を使っている。家を売り、本を売り、何もかも売り払って旅費を工面した。
ドイツまで来れた人間は運が良かったといえる。それだけの金があったのだから。貯金がない人や売り払う家財のない人は、ヨルダンやレバノンやトルコの難民キャンプにまでしかたどり着かない。
ドイツ政府とドイツの人々が救いの手を差しのべてくれているのはありがたいこと。しかし、他人からの施しを受けなければ暮らせない境遇はつらい。故国では、他人から恵んでもらおうなんて考えたこともない人々なのだから・・・。
2016年のブラジル・リオのオリンピックのとき、IOCは「難民五輪選手団」を結成することを思いつき、それを実行した。そのなかの水泳選手として著者が選ばれた。
いやはや、こんな「サクセス・ストーリー」もあるのですね。難民という存在を改めて実感させてくれる本でした。
(2019年7月刊。1900円+税)
2019年11月 8日
ルポ・トランプ王国 2
アメリカ
(霧山昴)
著者 金成 隆一 、 出版 岩波新書
世界中に紛争のネタをばらまき、あおりたてているのがアメリカのトランプ大統領ですが、その支持者からの支持は依然として衰えていないようで、心配でたまりません。
私がトランプ大統領のやったことで唯一評価しているのは、北朝鮮の金正恩委員長との2回の直談判です。この会談が続く限り、北朝鮮は無茶しない(できない)と思うからです。
この本は、アメリカのトランプ支持者たちの本音を取材してまわった貴重なレポートです。
トランプ支持者は、トランプが職を保障すると公約したことに拍手喝采です。
ジョブ(仕事)。この町にジョブを戻してほしい。これがトランプ支持者の最大の切なる願いです。
トランプは、選挙戦において、「家を売らないで下さい。私たちが家の評価を上げます」と叫んで、公約とした。もちろん、そんなこと、ジョブの確保が簡単にできるはずもない。しかし、人々は、束の間の夢に心地よく浸ったのだ。トランプが約束の1割でもやってくれたら十分だと彼らは考える。
もう一つは、トランプがこれまでとは毛色のちがった政治家であり、ビジネスマンだということを評価している人たち。
政治家なんて、みなデタラメなことを言う人間ばかりだ。トランプもその一人だろう。しかし、トランプは楽しい。トランプは面白い。いかにも個性的だ。
この本を読むと、ヒラリー・クリントンを嫌いだというアメリカ人が少なくないことを実感させられます。
トランプは、大統領になって2年経過しているが、毎日のように誰かを攻撃し、精神の不安定さを露呈している。
アメリカで誰がトランプ大統領を支持しているのか、これを知り、その理由まで掘り下げている本書は、貴重なルポルタージュです。
(2019年9月刊。940円+税)
2019年11月 9日
よい移民
イギリス
(霧山昴)
著者 ニケシュ・シュクラ 、 出版 創元社
移民、外国人、在日コリアン、台湾生まれ、元植民地出身者、ハーフ、ダブル、ミックス、2世、3世、4世・・・。日本にもたくさんの人々が「移民」として入ってきています。
そして、日本でもヘイトスピーチのような排外主義的風潮が強まっていて、本当に残念です。日本では安倍首相本人が「美しい国ニッポン」とか愛国心とか言って、その排外主義をあおりたてているのですから、最悪です。そのうえマスコミの多くがその尻馬に乗って嫌韓・嫌中で金もうけしようなんて考えているのには涙があふれてしまいます。
では、イギリスではどうなのか・・・。
この本は、ロンドン生まれのインド系イギリス人作家が編者となり、黒人、アジア系、エスニック・マイノリティの人々が自分の生い立ちや家族の歴史、日常生活や仕事のうえで直面する不安や不満、そして未来への希望を語りながら、21世紀のイギリス社会で「有色の人間」(パーソン・オブ・カラー)であるとはどういうことなのかを探究しています。
マイノリティの一員であると、貼り付けられたレッテルを磨きあげ、大事にするすべを習得するやいなや、それは没収され、別のものと取り替えられる。闘争で勝ちとったはずの宝石は、永遠に貸し出されたまま。折に触れて、自分で選んだわけでも、つくったわけでもないレッテルがぶら下がったネックレスを首にかけるようにと手渡される。それは束縛でもあり、装飾でもある。
多種・多様の民族が共生しているようにみえるイギリスでも、その内実は本当に大変のようです。それでも人々はそこに生きて格闘しています。日本も近い将来、直面すること間違いない状況です。いろいろ考えさせられる本でした。
(2019年8月刊。2400円+税)
2019年11月10日
フクロウの家
鳥
(霧山昴)
著者 トニー・エンジェル 、 出版 白水社
フクロウのことが、なんでもよく分かる本です。
フクロウは、南極以外のすべての大陸に分布している。サボテンフクロウは砂漠に棲み、アナホリフクロウは地下に穴を掘って巣をつくり、シマフクロウはシベリアの極寒の地にも耐えられる。フクロウは、その生息する環境にあわせて生態が多様化し、今日では世界に217種ものフクロウが存在している。
『ハリー・ポッター』にもフクロウが登場している。シロフクロウのヘドウィグは、ハリー・ポッターが信頼を寄せる友人だ。配達をまかされているフクロウもいる。
メンフクロウは、人間と共生している。1年目までに75%が死亡するものの、34年も生きた個体がいる。
フクロウは場所に関する記憶力に優れ、ほとんど真っ暗な中でも木々の枝をすり抜けるように巧みに飛翔する。探究的にで、情熱的で、攻撃的で、欺瞞的、そしてときにきわめて勇敢な生き物だ。喜びや恐怖を感じ、ひとたび雌雄の関係を築いたら離れることがない。
カップルは歌を鳴きかわし、互いの羽づくろいをする。そして、そのあと交尾する。交尾瞬間は短いが、何回もする。また、雄は雌に贈り物をする。
卵を抱卵中の雌は、あまりにお腹がすいてくると、洞の中から勢いよく飛び出してきて雄に体当たりして、止まり木から突き飛ばし、餌を取りに行くよう求める。
フクロウは、タカやワシ、ハヤブサとは類縁関係にない。しかし、身体面や行動面でよく似た特徴を発達させてきた。
フクロウの聴覚は鋭い。しかし、やはり目が何より重要である。頭を素早く270度も回転できるため、音や動きに即座に反応して獲物を見つけることができる。
フクロウは獲物をかみ砕くための歯はなく、代わりにくちばしでつぶす。少し柔らかくなったところで、一気に呑み込み、あとは消化過程で栄養物と不要な部分とを選り分ける。
フクロウはネズミが好物なので、果樹園などのネズミ退治にはもってこいの存在である。
270頁ほどの、フクロウ全書とも言える楽しい本でした。
(2019年2月刊。3000円+税)
2019年11月11日
精霊の踊る森
鳥
(霧山昴)
著者 嶋田 忠 、 出版 講談社
私は『ダーウィンが来た』を欠かさずみています。ふだんテレビはまったくみませんが、この番組だけは録画したものを週1回、寝る前にみています。世界各地の生き物たちの驚くべき映像に接して、大自然の営みの豊かさを実感させられます。
この写真集も『ダーウィンが来た』で紹介された鳥たちを見事に切り取っていて感動そのものです。
極楽鳥と庭師鳥について、「進化しすぎた鳥たち」と評されていますが、なるほどすごい色と形、そして求愛ダンスと愛の巣づくりのすばらしさに、ただただ圧倒されて声も出ません。
タンビカンザシフウチョウの求愛ダンスで示す色と形は神秘そのものです。誰が一体こんなデザインを考えついたのでしょうか、不思議でなりません。
カンムリニクシドリは、高さ2メートルにもなる求愛用のアズマヤのタワーを森の中に築き上げます。
オウゴンチョウモドキでは、若鳥たちは成鳥オスに見習って踊りを練習します。成鳥になるのに5年もかかり、その間、一生けん命に成長オスの踊りを見て学ぶのです。
真紅の円形の頭に白い目に黒い瞳がじっとこちらを見すえている写真が表紙を飾ります。ド迫力です。
写真をとった人は、私と同じ団塊世代(1949年生)。ニューギニア島に通い続けているのです。パプアニューギニアでは、今も昔ながらの原始的な生活をしている人々がいるようです。祭りのときには極彩色に顔と身体を飾りたてます。まるで鳥たちと競いあうようです。
極楽鳥の求愛ダンスは日の出前後にあるので、日の出前の暗いうちに機材をかついて森の中に入り、撮影用の特製テント(ブラインド)に入って、じっと待つのです。なんと5日目に決定的瞬間の撮影に成功したといいます。テントのなかに隠れてじっと音も立てずに待ち続けるのです。大変な根気のいる仕事です。おかげで居ながらにして、こんな素晴らしい写真を拝むことができます。ありがたいことです。
手にとって一見する価値が十分にある写真集です。3600円が高いと思う人は、ぜひ図書館に注文して手にしてみて下さい。世界観が大きく変わること間違いありません。
世界は生命の神秘にみちみちていることを実感させられます。ぜひぜひ後世にそのまま残したいものです。
(2019年7月刊。3600円+税)
2019年11月12日
あなたを支配し、社会を破壊するAI・ビッグデータの罠
アメリカ
(霧山昴)
著者 キャシー・オニール、 出版 インターシフト
特権階級の人は対面で評価され、庶民は機械的に評価される。
数学破壊兵器の三大要素は、不透明であること、規模拡大が可能であること、有害であること。
大学ランキングが登場してから、大学の授業料は急騰している。ところが、この大学ランキングは操作できるもの。犠牲になるのは、アメリカ人の大多数を占める低所得層と中流階級の人々。彼らは受験コースやコンサルタントに大金を支払うことができない。内部事情に通じる人間のみが知りえる貴重な情報を得られない。
結果的に、特権階級が優遇される教育システムができあがる。貧困層の学生は厳しい現実を突きつけられ、教育の場から締め出され、貧困に向かう道へと追いやられる。社会を分断する溝は深まるばかりだ。
上昇志向を餌として、貧困層の人々をおびき寄せる大学がある。
大量のデータを高速に処理できるマシンは、徐々に私たちのデータを自力で選別するようになり、私たちの趣味、望み、不安そして欲望を検索するようになる。
広告プログラムは、数週間、数ヶ月もすると、自分が標的とすべき人々のパターンを学習しはじめ、対象者の次の行動を予測するようになる。広告プログラムは、彼らのことを知っているのだ。
有害なフィードバックが生まれるのは、次のようなメカニズムだ。警察が巡回すればするほど、新たなデータが発生し、その場所を重点的に巡回することが正当化される。すると、「犠牲者なき犯罪」で有罪となった大勢の人で刑務所はあふれる。そのほとんどは貧しい地区の住人であり、黒人とヒスパニックが大半を占める。貧しい人々ばかりが職務質問され、逮捕され、刑務所に送られる。
警察は、単に犯罪を撲滅しようとするのではなく、地域住民との信頼関係を築くために努力すべきだ。それこそが「割れ心理論」の本来の指針の一つなのだから、警察官は地域を歩いてまわり人々に話しかけ、その地域に特有の秩序基準が維持されるように力を貸せばいい。ところが、逮捕と安全とを同一視するようなモデルに押し切られると、そのような本来の目的は見失われがちとなる。
コールセンターでもっとも仕事が速く、もっとも効率の良いチームは、もっとも社交的なチームであることが分かった。そのチームのメンバーは、社内ルールを軽んじ、ほかのチームよりも多くおしゃべりをしていた。そこで、全チームにおしゃべりを激励したところ、コールセンターの生産性ははね上がった。
アメリカの10州では、雇用のとき、クレジットスコアをつかうのを禁止させていた。というのは、カードやスマホに頼り切りになっていると、とんだしっぺ返しをくらうことになるからだ。
手塚治虫のアニメにもあるように、ロボットやAIに頼りきっていると、とんでもないことになりうるのは間違いない。これには私もまったく同感です。人間の失敗を前提として世の中が動き、紛争解決のために弁護士が存在するわけです。このような泥臭いドロドロとした感情の対立についてAIが対応できるはずもありません。
(2018年7月刊。1850円+税)
2019年11月13日
原城発掘
日本史(江戸)
(霧山昴)
著者 石井 進、服部 英雄 、 出版 新人物往来社
久しぶりに原城へ行ってきました。今回は初めてのガイド付きでした。有馬キリシタン資料館でビデオを見て展示物・年表で島原の乱の経緯をざっと勉強して、いざ原城へ出発します。今では原城内へは車の乗り入れが禁止されていて、近くの観光拠点に車を停めて、そこからマイクロバスで本丸近くまで向かいます。
ガイドは地元の女性でしたので、昔は(戦後まもなくは)原城の海岸(浜辺)には古い弾丸があちこち落ちていて、子どもたちが拾っていたという昔話も聞くことができました。ついでに、イルカウォッチングも出来ると聞いて、驚きました。イルカウォッチングは天草だけだと思い込んでいました。原城と天草はまるで対岸という関係なのですね。原城の発掘は、まだまだ進行中のようです。いくたびに少しずつ整備がすすんでいます。
島原半島の口之津(くちのつ)に修道士アルメイダが上陸したのは1563年(永禄6年)。口之津は九州管区内におけるキリスト教布教の中心となった。
口之津港は天然の良港で、1567年(永禄10年)から南蛮船の入港地となった。やがて貿易港は長崎に移るが、有馬領内にはキリスト教が深く根付き、1580年(天正8年)、セミナリヨも建てられた。
島原の乱が始まったのは1637年(寛永14年)10月25日。島原城をまず襲ったが、落とせず、一揆軍は原城にたて籠もった。3万人の一揆軍は12月から翌年2月までの3ヶ月間、12万人の幕府軍と戦い抜いた。
2回の大きな戦闘があった。1回目は1月1日の総大将・板倉重昌が戦死した戦闘。2回目は、総攻撃・落城した2月29日。焼け跡が検出されることから、総攻撃の日は、本丸一帯は一面、火の海となり、激しい戦闘となったと推測される。
原城にたて籠った人々はキリシタンが多かったが、みんなキリシタンではなかった。はじめに農民一揆だった。
夜、原城から海のそよ風に乗って流れてくる信者の歌が幕府軍の陣営まで聞こえた。
幕府軍のなかにも、元キリシタンの人々がたくさんいただろう。どんな思いで、その歌を聞いたのだろうか・・・。
籠城していた2万3000人(あるいは3万7000人)が1人(絵師の山田右衛門左)を除いて、全員が殺害されたというのは本当なのか・・・。
服部英雄教授は異論を唱えています。
生き残った人々を、一人一人、尋問(査問)して、どこの誰で、なぜ参加したのかを問いただしたということがあった。また、女子や子どもには手出しをするなという軍律が当時はあったはずだ。
薩摩で一揆の首謀者たちが2ヶ月後に捕まり、大阪に送られたという記録もある。さらに、小型の船があったのではないか・・・。
私は、今回、原城跡の現地で、3万人もの骨は見つかっていないという話を聞きました。まだまだ地中に眠っているのかもしれませんが、一揆の参加者3万人近くを全員殺してはいないのではないかという気がします。
なお、オランダ船が原城の一揆軍を砲撃したという事実がありますが、これには、オランダが当時、ポルトガルと戦争をしていたことが背景にあることも知りました。オランダがプロテスタントで、ポルトガルがローマ教(カトリック)の国であるということから、宗教戦争であり、国の独立をかけた戦争でもあったのです。
広い広い原城跡の現地に立ち、ここに3万人もの人々が3ヶ月間も生活し、周囲を埋める12万人の幕府軍と戦ったのかと、感無量でした。
(2000年3月刊。2200円+税)
2019年11月14日
中国戦線従軍記
日本史(戦前)
(霧山昴)
著者 藤原 彰 、 出版 岩波現代文庫
著者は日本軍事史を専門とする歴史家ですが、実際に戦争を体験した元将校でもありました。陸軍士官学校を卒業して、少尉に任官し、中国大陸で中隊長として最前線で実戦を指揮していたのです。そして、本土決戦に備えて本土に呼び戻されて、大隊長として出動しようとしているところで敗戦を迎えました。このとき、まだ、22歳の若さでしたから東京大学に入り、文学部史学科を卒業して一橋大学の教員になります。そこでは大学紛争の渦中にいて、大学当局側として学生と対峙しました。
著者は、第二次世界大戦における日本軍人の戦没者230万人の過半数が戦死ではなく戦病死であり、その大部分が補給途絶による栄養失調症が原因の餓死であることを厳しく指弾しています。
著者は中国戦線に従軍していた4年間についてメモを残していて、それにもとづいて最前線の実情を詳しく紹介しています。
中国大陸の最前線に行ってみると、信じていた「聖戦」とはあまりにかけ離れた現実があった。部落を焼き払ったり、住民を捕えて拷問にかけたりしていて、まるで民衆の愛護とか解放という言葉とはどうしても結びつかないことを日本軍はしていると思わざるをえなかった。
著者たち陸士55期生は、下級指揮官として損耗率が高かった。2400人の同期生のうち陸上と航空あわせて戦没は973人、4割をこえている。
中国大陸での三光(さんこう)作戦として無人地帯化政策は、中国民衆の離反を決定的にし、治安状況は最悪となった。
1942年12月18日、浅葉隊(48人)が全員、中国・八路軍の待ち伏せ攻撃にあって戦死・全滅した。
無理な強行軍が日本軍の特質だった。日本陸軍は、馬と人間の脚と基本的な移動手段としていた。 行軍による兵の消耗は、直接、戦力に影響する。日中は炎熱で、そのため日射病が出るほどなのに、夜の豪雨とぬかるみのなか凍死者は166人にのぼった。
中国大陸での日本軍の最大の欠陥は、制空権を奪われていることだった。在中国のアメリカ空軍は1943年初めに戦闘機と爆撃機の合計300機だったが、次第に増強していった。日本軍のほうは、これにまったく対抗できない状況だった。
そして、日本軍は、肉体的疲労と栄養不足に悩まされていた。著者が中隊長として一番気をつかっていたのは、兵の体力を温存し、むだな消耗を避けることだった。そのため、食糧の確保に努力した。
中国軍は、士気が旺盛であり、火力装備もすぐれていて、精強な軍隊になっていた。
大陸打通作戦(一号作戦)は、50万の日本軍が中国大陸を縦断しながら、掠奪を重ねていったものだった。しかし、食糧の確保は難しく、栄養失調のため日本軍兵士は体力を低下させていった。
大陸打通作戦の実態は、補給の途絶から給養が悪化して多数の戦争栄養失調症を発生させ、戦病死者すなわち広義の餓死者を出していた。
最大の課題は食糧の確保で、栄養失調との戦いが中隊長としての最大の関心事だった。主食はともかく、副食、とくに動物性タンパクが不足していた。全員が栄養失調に陥り、マラリア、脚気、栄養失調症による戦病死が激増した。
本土決戦に備えるといっても、人の動員だけは一枚の招集令状でできるが、兵器・弾薬・資材などの膨大な軍需動員をするためには、それを可能とする工業力を中心とする国力が必要になる。しかし、それは、すべて間に合わなかった。それでも、人を集める部隊の編成だけは先行していた。
刻明に最前線の悲惨な実情が明らかにされていて、日本軍の実体がよく分かって、つくづく嫌になります。これが「輝ける皇軍」の実際なのですよね・・・。そんな軍隊を率いた軍人に偉い顔をしてほしくはありません。
2002年に発刊されたものを別の論文も取り入れて復刊したものです。大変勉強になりました。
(2019年7月刊。1080円+税)
2019年11月15日
海に生きた百姓たち
日本史(江戸)
(霧山昴)
著者 渡辺 尚志 、 出版 草思社
なるほど、そうだったのか・・・、ぞくぞくするほど知的好奇心がかきたてられ、心の満たされる思いのする本でした。
日本人って、昔から裁判が大好きだったんですね、このこともよく分かる本です。なにしろ海辺に生きる男たちが真っ向から相反する主張を書面にして代官所でぶつけあうのです。これを裁く当局は大変だったと思います。もちろん、その多くは話し合いで解決した(させられた)のでしょうが、納得いかないほうは、しばらくすると蒸し返すのでした。
そんな実情が古文書を読み解いて判明するのですから、こたえられません。
この本は、奥駿河湾岸で長らく眠っていた古文書を渋沢敬三が発掘し、世の中に公開した成果を踏まえていますので、話は具体的ですし、何より証拠があります。
海辺の村の百姓たちは漁業だけをしていたわけではない。農業・林業・商業など多様な生業を漁業と兼業している百姓が大多数だった。なので、漁業に特化したイメージのある漁村ではなく海村(かいそん)と呼びたい。著者は、このように提起しています。
江戸時代の人々は魚介類をとって食べる量は明治期を下まわり、現代よりはずっと少なかった。それは、動力船と冷蔵・冷凍技術の未発達による。エンジンなどの動力がなければ、漁船は漁師が手で漕ぐしかない。沿岸漁業だけでは、漁獲量に限界がある。また、魚は生鮮食品で、長く保存できない。
江戸時代の人々は、新鮮な刺身などは、めったに食べられなかった。
瀬戸内海や金谷村の事例をあげて、浜方百姓(漁師)と地方百姓(農民)とのあいだには、ときに深刻な利害の対立があったことが明らかにされています。
ただ、農業と漁業は共存が難しいというだけでなく、補いあう関係にもあった。
漁師たちは、船の網を操る技術とともに、浮力や長い時間、海中にいられる耐寒能力が求められた。それで相撲取りのような体形が適していた。そして争いごとが起きることも少なくないので、相手を威圧する相撲取りの体形の者が必要だった。
さらに、海中での体温低下を防ぐためには酒が必要で、漁師たちは日常的に酒を飲んで海に入った。また、酒の勢いが争いをエスカレートさせることもあった。漁村は、酒の一大消費地だった。
奥駿河湾の伊豆国内浦の400年間の古文書が日の目を見た。渋沢栄一の孫の渋沢敬三が病気療養に来ていて出会った古文書である。
漁師は、まったく割に合わない商売だ。漁師は、乞食に次いでなりたくないもの。
親は泣く子どもに、「漁師の子にくれてやる」と脅していた。
その一方で、ここの漁師はぜいたくだとも言われた。たびたび大漁となると、大いにうるおったからだ。
村々の漁師と魚商人とは、相互依存関係にあったが、価格決定や代金支払いをめぐっては対立する場面も生じた。商人側が同業者団体をつくったのに対抗して、村々の側も議定書を結んで力をあわせた。
網子(あんご)と津元(つもと)とが争い、代官所へそれぞれ書面で訴えた。津元は経営者で、網子がその下で働く労働者。当局に納税するにあたって、よその町人が入ってきて請負するやりかたもあったが、それを排除して村請とした。すると、村内での津元と網子の対立が生まれることになった。
1649年(慶安2年)、網子たちが津元の不法を幕府の代官に訴え出た。そして、100年後の1748年(寛延1年)に今度は津元4人が網子の不法を訴え出た。幕府の代官は1750年(寛延3年)7月に判決を下した。これは、いくらか網子側に有利な内容だったが、双方ともに不満だった。そして、津元側はすぐに判決の内容の変更を求めて代官に願書を提出した。
村同士の争いも起きていた。1765年(明和2年)3月、内浦六カ村が静浦の獅子浜村を訴え出た。幕府は同年12月に判決を下した。しかし、獅子浜村はこれを無視したようで、31年後に再び内浦などの5ヶ村が訴えた。
いずれも生活がかかっているだけに必死だったのです。この訴えの文書は、それぞれにもっともと思われる内容ですので、裁きを受けもつ当局の苦労は大変だったことと思います。
それにしてもよくぞ、このような古文書が残っていたものです。やはり、私のような記録魔そして保存魔が昔からいたのですね・・・。
解読して解説していただいたご労苦に頭が下がります。ありがとうございました。
(2019年7月刊。2200円+税)
2019年11月16日
いつもそばには本があった。
人間
(霧山昴)
著者 國分 功一郎、互 盛央 、 出版 講談社
私も本はよく読んでいるほうだと思うのですが、この二人は哲学的分野で深みがあります。とてもとても、かないません。
1996年は出版界で売り上げがピークを迎えた。この年は本の販売金額は2兆6500億円。その後は減少傾向にあり、2017年は1兆3700億円なので、まさしく半分になった。ところが、新刊点数のほうは、1996年に6万3000点だったのが、2017年には7万5000点を大きく増加している。1980年代は3万点だったから、そのころに比べると2倍以上となる。
かなり多くの人が自分の研究する分野以外の本をほとんど読んでいない。文系の大学院に行って研究しようとしている人たちがこうなのだから、本が売れないのも当然だ。
今は、自分の知りたいことしか知りたくないという傾向がどんどん強まっているのではないか・・・。
今どきの若者が新聞を読まず、ネットを見ただけで世の中のことを分かった気になっているのに、通じている気がします。
この謎を解明したい。この論点について、もっと知りたい。この思想を分かりたい。そのような欲望に突き動かされて読書することが、読書において何よりも大切なこと。
解明したい、知りたい、分かりたい、そのような欲望のなかにいて、その欲望にこたえてくれる本に出会い、それを読んでいるときの喜びは格別のものがある。その喜びをずっと感じていたいという気持ちが、読書に駆り立てる最大の要因だ。
もちろん、何かを分かりたいと思って読書をしていると、分かりたいと思う別の何かにも出会うことになる。次々と欲望の対象があらわれ、解明したい、知りたい、分かりたいという留まることを知らない欲望に捕まえられる。このプロセスの中に居続けることが、読書の理想なのだ。
これは、まったく私と同じなのです。知りたい、謎を解明したいと思い、次々に本を読みます。すると、どんどん謎は深まり、広まっていくのです。ですから、読書の幅は無限大に広がっていきます。そして、その欲望の充足感にほんのひととき浸っているのが至福の境地なのです。
(2019年3月刊。900円+税)
2019年11月17日
消される運命
ヨーロッパ(リトアニア)
(霧山昴)
著者 マーシャ・ロリニカイテ 、 出版 新日本出版社
リトアニアにおけるユダヤ人虐殺の話です。読んで、とても悲しくなります。まったく救いがありません。
リトアニアは第二次世界大戦の前は、一応、独立国だった。1939年、ソ連軍がリトアニアに進駐して、リトアニア人をシベリアに送ったりして恐怖支配した。
ところが、1941年6月22日、ソ連軍は撤退し、ナチス・ドイツ軍がリトアニアに侵攻してきた。そして、すぐにリトアニア人の協力を得て、ユダヤ人を組織的に殺害しはじめた。
「男狩り」として、「収容所に送って、労働従事に従事させる」と言いながら、ナチス・ドイツ軍はすぐにユダヤ人の男性全員を森に連行して銃殺した。
ヒトラーの占領軍は、3年間に10万人のユダヤ人を銃殺し、森の中に埋めて隠した。そして、敗色が濃くなると、ナチス・ドイツ軍の残酷な証拠を残さないよう、1943年12月から埋めた死体を掘り起こして焼却した。
作者は、ゲットーに収容されつつも、戦後まで生きのびて、過去のことを記録して語り伝えた。わずか140頁の本ですが、読みすすめるのがとても辛くて、とても読み飛ばすことはできませんでした。
リトアニア人がナチス・ドイツ軍のユダヤ人殺害に手を貸していた事実が淡々と描かれていて、大変気が重くなります。
ドイツの占領前に23万人のユダヤ人がリトアニアにいたのですが、1941年末までに17万5000人が殺害され、戦後の今はリトアニアにユダヤ人はほとんどいないようです。悲しい話ですが、目をそむけるわけにはいきません。
(2019年8月刊。1800円+税)
2019年11月18日
アウシュヴィッツのタトゥー係
ドイツ
(霧山昴)
著者 ヘザー・モリス 、 出版 双葉社
実話をもとにしたフィクションです。それにしてもすごいんです。アウシュヴィッツ絶滅収容所で被収容者たちに数字のタトゥーを入れていたユダヤ人青年がいて、戦後まで生きのびたのです。そして、カナダと呼ばれる場所で働いていた女性と仲良くなり、ともども戦後まで生きのびたという信じられない奇跡が起こったのでした。
カナダとは被収容者たちから取りあげた持ち物を整理・処分していた場所です。そこには宝石や金があり、食べ物に換えることができました。
タトゥー係は特別な技能をもつ者として収容所では特権的な地位にありました。そのおかげで主人公は生きのびることができたのです。
主人公のタトゥー係(ラリ)は、まわりを冷静に観察し、必死に頭を働かせて、しぶとく、したたかに生き残る。それはカナダで働く彼女(ギタ)と結婚するためであり、永遠に返せない借りをなんとかして返すためでもあり、そしてナチスに抵抗するためでもある。
ただ生き残ること、それ自体が英雄的行為になるような状況のなかで生き残ること、これがいかに厳しいか、いかに辛いか、それをタトゥー係(ラリ)は身をもって実感する。
タトゥー係(ラリ)は、ナチスによって無意味に殺されていく人々を見ていく。そして最後には運よく、故郷に帰り着くが、それは本当に「運よく」と言えるのかどうか・・・。タトゥー係という特殊な立場にいたため、普通の被収容者たちが目にしなくてすむものまで見てしまうし、見せられてしまう。家畜を運ぶ列車でアウシュヴィッツに運ばれてくる途中で死んでいたほうがましだったかもしれない・・・。
戦後、ラリは、感情が欠けているようなところと、生存本能が高いところが残っていたと息子が語った。
ラリは、スロヴァキア語、ドイツ語、ロシア語、ハンガリー語、それからポーランド語を少し話した。いやあ、すばらしい。ラリって語学の天才だったんですね・・・。
タトゥー係のいいところは、日付が分かること。毎朝渡され、毎晩返却する書類に書かれている。日付の手がかりになるのは書類だけではない。日曜日は、仕事をしなくてすむ。
生きのびたあとの戦後、ギタはこう言った。
何年間も、5分後には自分が死んでいるかもしれないと思いながら過ごしたことがあれば、たいていのことは切り抜けられるようになるのよ。生きて健康でさえいれば、すべてはうまくいくものなの。
ぜひ、あなたも読んでみてください。今を生きる一日一日がますます大切なものと思えるはずです。
(2019年9月刊。1700円+税)
2019年11月19日
独ソ戦
ドイツ・ロシア
(霧山昴)
著者 大木 毅 、 出版 岩波新書
今年の最良の新書として高い評価を受けていますが、読んだ私もまったく異議ありません。
ヒトラーのナチス・ドイツとスターリン率いるソ連赤軍の死闘の実際が多角的にとらえられていて、なるほど、そういうことだったのかと得心いくことの多い本でした。
ソ連は2700万人が死傷し、ドイツは、戦闘員が444~531万人が死亡し、民間人も150~300万人の被害と推計されている。
ヒトラー以下、ナチス・ドイツ軍は、対ソ戦を世界観戦争とみて、撲滅すべき存在だとしていた。ヒトラーにとって、世界観戦争とは、みな殺しの戦争、つまり絶滅戦争であった。そして、これはドイツ国防軍の将官たちも共有していた。
そして、スターリンも大祖国戦争というとき、ドイツ軍は人間ではないと高言していた。
有名なドイツ軍事史の著者であるパウル・カレルの本は、今ではすべて絶版とされている。パウル・カレルはナチス政権のもとで要職にあったことを隠して、ドイツ国防軍を免責する意図のもとに歴史を歪曲して書いていたことが明らかにされた。そうだったんですか・・・。
スターリンがヒトラー・ドイツ軍の侵攻について、情報を得ながら信じなかったのは、イギリスがドイツ軍を対ソ戦に誘導しようとしていると疑っていたことによる。
そして、スターリンによる大静粛の結果、ソ連軍が著しく弱体化していたため、ドイツ軍が攻めてくるとは考えたくなかった、現実逃避思考に陥っていた。
スターリンは、目前に迫ったドイツの侵攻から眼をそむけ、すべてはソ連を戦争に巻き込もうとするイギリスの謀略であると信じ込んだ。あるいは、信じたかった。いやはや、スターリンのとんでもない間違いのため、ソ連国民は多大な犠牲を払わされてしまいました・・・。
ヒトラー・ドイツ軍がソ連侵攻を正式決定したのは1940年12月18日のこと。
ドイツ国防軍、とくに陸軍は、対ソ戦に積極的だった。当時、国防軍の戦車や航空機をはじめとする近代装備の多くは、ルーマニア産の石油で動いていた。そのためハルダー陸軍総参謀長は、ルーマニアの油田を守るためには、対ソ戦やむなしと判断した。それにはソ連軍の実力についての過小評価もあった。
ヒトラーが開戦を決意し、命令を下す前からドイツ陸軍のトップはソ連侵攻の準備をすすめていた。ドイツ軍は、自分の能力の課題評価とソ連という巨人にたいする過小評価、蔑視から傲慢な作戦計画を立てた。
ドイツの侵攻を受けた時点でのソ連軍は、反撃や逆襲できるほどの練度になく、将校の指揮能力も貧弱だった。ソ連軍はスターリンによる大静粛のため人材不足にあり、独ソ両軍の司令官(師団長など)の平均年齢はソ連軍のほうが11歳も若かった。この差は驚異的ですよね・・・。
独ソ戦全体を通して、570万人ものソ連軍将兵がドイル軍の捕虜となった。捕虜の多くはドイツ軍の虐待で死亡していますし、無事に帰国しても、スターリンによって「裏切り者」扱いされたのでした。
ドイツ軍には「電撃戦」を規定したドクトリンなど存在しなかった。
ドイツ軍が「バルバロッサ」作戦で前進していったとき、現場のソ連軍はなお頑強に戦い続け、容易に降伏しなかった。ドイツ軍の大将は次のように評した。
「ソ連兵はフランス人よりはるかに優れた兵士だ。極度にタフで、狡知と奸計に富んでいる」
ドイツ軍はソ連領内で補給不足に苦しみ、掠奪していった。そのため、現地住民の憎悪の対象となった。結局、ドイツ軍は、戦争に勝つ能力を失うことによって失敗した。すると、有利なのは、回復力に優ったソ連軍だった。
とても読みやすく、本質をついた独ソ戦通史だと思います。
(2019年9月刊。860円+税)
2019年11月20日
北朝鮮と観光
社会
(霧山昴)
著者 礒﨑 敦仁 、 出版 毎日新聞出版
先日、天神で韓国映画をみました。韓国に軍人が商売人に化けて北朝鮮に潜入するというスパイ映画です。驚くべきことに実在するスパイをモデルとしているそうですが、そのスパイが北朝鮮に潜入する道具としたのが観光業でした。
そして、その映画では韓国の保守権が窮地に立たされたり、大統領選挙が近づくと北朝鮮にお金を渡してミサイルを打ち上げてもらったりして「北朝鮮の脅威」を演じてもらっているというシーンが登場します。中国に両者の接点があるのです。同じことが日本の安倍政権についても指摘されていますが、やっぱり本当のことなんですね・・・。
北朝鮮に対してマイナス感情をもっているのは日本くらいのもので、世界中にそんな国はいないとの指摘には、さすがにハッとさせられました。
現時点で、北朝鮮の金正恩政権はまもなく崩壊するだろうというのは、単なる希望的観測にすぎない。今では建国70周年を経て、69年で終了したソ連よりも寿命は長い。大量の餓死者を出した1990年代の「苦難の行軍」時代もなんとか乗りこえた。
これまで韓国へ亡命した脱北者は70年間の累計で、わずか3万人でしかない。3万人とは多いと思っていたのですが、少ないという評価があるのですね・・・。
北朝鮮と国交を結んでいる国は160ヶ国。イギリスやシンガポールには北朝鮮の大使館があり、平壌にはスウェーデン、ドイツ、インドなどが大使館を置いている。
日本だけが必要以上に北朝鮮をたたき過ぎて、慰安問題を解決する糸口をつかめなかったのではないか・・・。
北朝鮮は東アジアの最貧国であり、1人あたり所得は1214米ドル(2017年)。これはベトナムの3分の1でしかない。
平壌の一極集中投資が進み、50万人が住む首都中心部には猛烈な勢いで高層ビルが建設されている。
金正恩政権は、経済を重視する政策をすすめている。
北朝鮮は非常にしたたかな国である。核保有は体制維持のための手段として考えられていて、それ自体を目的化していない。
近年は、平壌中心部には「消費者」と呼ばれる富裕層が登場し、貧富の格差は確実に広がっている。今では平壌だけでなく、主要な地方都市にもタクシーが急増している。
北朝鮮の人口は2500万人、その1割の250万人が平壌に集まっている。
日本から北朝鮮に行く人は1990年代には年間3000人ほどいたが、2018年には400人しかいなかった。
北朝鮮にもケータイはあり、2015年には300万台をこえた。
北朝鮮を訪れる日本人にリピーターが多いのは大きな特徴。
南北間交流が人々の意識に変化をもたらす可能性は、もっと注目されてよい。
これには私もまったく同感です。
行ってみたいけれど、ちょっと遠い外国。それが北朝鮮です。その観光旅行の実情を知ることができました。
(2019年7月刊。2000円+税)
日曜日の午後、いつもの仏検(準1級)を受験しました。朝早く起きて、「傾向と対策」にある基本文をずっと書き写していました。もはや上達するのは望むべくもなく、ただひたすらフランス語力が低下しないように必死です。この1ヶ月間ほど、朝と夜の寝る前に、20年来の「過去問」を繰り返し復習していました。このほか、毎朝のNHKラジオ講座の書き取り、車中でのCD聴取、毎週のフランス語教室も欠かしていません。ボケ防止とはいえ、本当に緊張する1ヶ月間でした。その結果は、大甘の自己採点で73点。120点満点で6割。なんとか、合格できたかな・・・。
2019年11月21日
日米戦争同盟
(霧山昴)
著者 吉田 敏浩 、 出版 河出書房新社
安部首相がトランプ大統領の言いなりに買わされるF35はAとBの両型で105機。1兆2000億円にのぼる。そんなお金があったら、学費を無料化して、奨学金を充実できますよね。
「かが」と「いずも」はF35を搭載する予定。つまり名実ともに空母となる。もはや「ヘリ空母」でもない。
日本の自衛隊はアメリカ軍とともに戦う。だけれども、対等な関係ではなく、使い走りのような存在として、いいように使われるだろう。
アフガニスタンやイラクで、すでに日本の自衛隊はアメリカの戦争に加担した。日本人の多くがそのことを自覚していないだけで、イラクやアフガニスタンの人々は日本をそのように見ている。
日米合同委員会は、日米地位協定の運用に関する協議機関で、日本政府の高級官僚と在日米軍の高級軍人で構成されている。日本側は、すべて文官の官僚(トップは外務官僚)、アメリカ側は、大使館公使を除いてすべて軍人。
東京にある横田空域は日本列島の真ん中をさえぎる巨大な「空の壁」だ。この横田広域は、日本の領空なのに、日本の航空管制が及ばず、管理できない。日本の空の主権はアメリカ軍によって制限され、侵害されている。そのため、羽田空港をつかう民間機は、急上昇したり迂回させられたりする。
このような外国軍隊によって首都の空が広範囲に管理されているのは世界に例がない。
しかも、その法的根拠が疑わしいのに、日本政府はいまだに問題を明らかにしない。まさにアメリカの言いなり。
武器の開発・輸出にしても、アメリカの軍需産業の主導下に日本企業が組み込まれるだけ。巨大なアメリカの軍産複合体に従属するかたちで日米軍需産業の結びつきが深まっていく。
イラクに自衛隊が派遣されたとき、日本通運も実はイラク入りしていた。
ええっ、そ、そうなんですか・・・。ちっとも知りませんでした。そんなことは報道されていなかったと思います。
今、日本中にオスプレイが配備されようとしています。とんでもないことです。死の欠陥飛行機とも呼ばれているオスプレイなんて、日本のどこも必要ありません。
日本という国の現実を知るために欠かせない本だと思いました。
(2019年7月刊。1700円+税)
2019年11月22日
日産自動車極秘ファイル2300枚
社会
(霧山昴)
著者 川勝 宣昭 、 出版 プレジデント社
日産自動車にはカルロス・ゴーンという権力者が長く君臨していましたが、その前は「天皇」とまで呼ばれた塩路一郎がいました。ただし、塩路一郎は会社の経営者ではなく、労組の委員長でしかありません。ところが、なぜか労組のトップが日産という会社の支配者然としていた時期が長く続いていたのでした。
本書は、日産の内部で塩路一郎に抗していた課長グループの動きを当事者が書いて発表したものです。著者は、日産自動車の広報室課長職で、40歳前後でした。
塩路一郎は日産自動車を含めた自動車労連の会長として絶大な権限をふるっていた(当時53歳)。
著者たちは、秘密組織をつくって塩路一郎打倒の取り組みをすすめていた。それは社長の特命任務というものではなかった。取締役会のなかでも、塩路一郎に意を通じている人間が少なくなく、彼らにバレないように隠密裡に活動していった。
塩路一郎は、中曽根康弘と太いパイプをもっていて、石原慎太郎の選挙参謀もつとめた。
塩路一郎の意向を受けて手足となって動き、ダーティーな行動もいとわない、「フクロウ部隊」という裏部隊が存在した。日産労組のなかには、大卒グループ、高卒グループ、高専卒グループの三大派閥があり、フクロウ部隊は、高卒グループのなかで組織されていた。
フクロウ部隊は盗聴を常套手段としていた。その主たる目的は、社内の幹部クラスの人間の弱みを握ることにあった。
著者が1967年に日産に入社したとき、入社式は労組との共催だった。そして、川又社長の訓示のあと、塩路一郎が登壇して挨拶した。
会社の人事は事前に労組幹部に伝えられ、その承認を得る必要があった。つまり、現場での人事権は完全に労組側が掌握していた。生産についても、労組との事前協議制によって、労組側の事前承認が必要とされていた。
多くの日産社員は、争いに巻き込まれたくない、自分の仕事ができて、給料がもらえて、生活が守れたらいいと考えていた。それで、組合にあえて抵抗するようなことはしなかった。
塩路一郎は、明治大学の夜間部出身にもかかわらず、1962年から自動車労連の会長を20年も独占した。
川又社長は興銀出身で、社内の基盤が強固なものではなかったので、労使協調路線をとった。これが潮路一郎の専横を許すことにつながった。
川又社長の次の石原社長は塩路一郎に追随しなかった。
塩路一郎は3500万円のヨットを専用とし、もっていたゴルフ会員権もあわせて4300万円した。塩路一郎は銀座で豪遊し、女性スキャンダルも派手だった。そこで著者たちは週刊誌にリークし、また女性スキャンダルを明るみに出すため張り込みをし、怪文書を発行するのです。
いやはや、大変な戦いです。ついに塩路一郎は倒れました。
しかし、次に登場したのはカルロス・ゴーン。果たして日産という会社はどうなっているにか・・・。他人事ながら心配になってしまいます。それにしても、企業のなかで生きるというのは大変ことなんですよね。つくづく自由人である弁護士になってよかったと思ったことでした。
(2018年12月刊。1600円+税)
2019年11月23日
太陽を灼いた青年
フランス
(霧山昴)
著者 井本 元義 、 出版 書肆侃侃社
フランスの若き天才詩人アルチュール・ランボー。日本の詩人がフランスに出かけて、ランボーの足跡をたどった本です。たくさんの写真があって、楽しく読めます。
ランボー狂いの著者はランボーに関する本を数十冊も読み、あらゆる評を読んでいます。
そして、ランボーが生まれたシャルルの地に立ち、その空気を腹一杯、吸い込みます。ランボーが酔いしれて彷徨したパリのカルチェラタンをランボーのように歩いてみます。パリにむかってランボーが旅立ったヴォンク駅は今は廃駅となって線路もありませんが、そこに立ち往時をしのびます。手に傷を負ったランボーが悲痛な時を過ごしたロッシュ村を訪れ、そこにあるランボーの墓石を何度も撫でます。
本書はランボーを狂おしいほどにしたう著者が、フランス国内を歩きに歩いてランボーの面影をたどった記録です。著者は仕事をリタイヤして70歳のころ、3年間、毎年3ヶ月間、パリに下宿してパリ近辺を歩きまわったという行動派でもあります。
ランボーが死んだのは、1891年11月10日、37歳だった。マルセイユの病院で亡くなった。葬儀は盛大だったが、参列者は母と妹の二人だけ。このころ、ランボーの詩がかつて賞賛されていたことを身内は知らないし、世間は天才詩人ランボーの死を知らなかった。
ランボーの最高傑作詩の一つ、「酔いどれ船」は、ランボーが16歳のときの作品。その詩に感激したヴェルレーヌから、「来たれパリへ、偉大なる魂よ」と招かれ、ランボーはパリへ旅立った。それからの4年間が、若きランボーの情熱がもっとも輝くときだった。
ランボーは1871年のパリ・コミューンに出会い、コミューン兵士の一員になる。しかし、兵舎のなかは驚くほど無秩序で、1ヶ月もたたないうちにランボーは兵舎を出た。このころ、まだ16歳の天才少年だ。
詩の意味は、色や匂いや言葉や音の組み合わせだ。
ランボーは詩作をやめた。しかし、著者は、そこからが本当の詩人ランボーの誕生だと強調しています。すべてを見てしまった書かざる詩人が誕生したというのです。
ランボーはアフリカに渡り、武器商人になったのですが、結局、取引相手にうまくあしらわれて赤字を出したようです。そして、病気をかかえてフランスに戻るのです。リューマチが悪化、腫瘍ができたのでした。
ポール・クローデルは、アフリカでのランボーの生活や手紙には何の意味もない、ランボーの文学の価値は前半で終わっているとしました。著者は、これに激しく抵抗しています。
私は正直言って、書かざる詩人という存在なるものが理解できません。心象風景を文字にしてこそ詩なのではないか・・・、と思うからです。
この本は私のフランス語勉強仲間である著者から教室で贈呈されたものです。早速読んでみました。私も言ったことのあるパリのパンテオンやサン・ジャック通りなど、なつかしい光景が見事な写真とともに紹介されています。
ありがとうございました。ランボーの一生がチョッピリ分かりました。
(2019年10月刊。1600円+税)
2019年11月24日
原城と島原の乱
日本史(江戸)
(霧山昴)
著者 服部 英雄、干田 嘉博、宮武 正登 、 出版 新人物往来社
2008年2月に開かれたシンポジウムをもとにして、島原の乱をふくめて原城の意義を多面的に探った本です。
1528年(天正10年)に天正遣欧使節団として、はるかヨーロッパへ旅だった4人の少年、伊東マンショ、千々石ミゲル、中浦ジュリアン、原マルチノは、いずれも原城近くの日野江にあった有馬セミナリヨの卒業生だった。原マルチノと中浦ジュリアンは有馬セミナリヨの一期生、千々石ミゲルが二期生。伊東マンショだけが、あとで有馬セミナリヨで学んでいる。ところが、8年後に帰国したとき、日本はキリスト教が禁止されていた。
それでも、4少年は豊臣秀吉の閲見を受けているし、活版印刷機を日本に運んできて、それでキリスト教関係の本を印刷などしている。
原城のなかには竪穴建物が密集していたが、この竪穴建物には戸別に炉やカマドといった暖房や煮炊きかかわる造構物が見つかっていない。これは籠城中に失火を起こさないように高い規律を守り、また人々は寒さに耐えていたということが分かる。旧暦の12月から2月までの3ヶ月なので、今の暦でいくと、2月から4月にかけてのことでしょうが、寒いことには変わりありません。
食料を集中管理して、調理し、食事を配給していたと推測されている。
原城は外周が4キロメートルに達する。大きすぎるほどの城だった。
原城に立て籠もっていた一揆軍は、イエズス会を通じてポルトガルの援軍を得る戦略を描いていた可能性が高い。さらに、全国の隠れキリシタンに蜂起を呼びかけ、内乱状態が全国一斉に湧き起こることを狙っていた。
かつてのキリシタン時代、島原半島には最盛時7万5000人ものキリシタンがいた。今、カトリック信者は100人ほどしかいない。
原城跡の現地に立ち、ガイド氏の説明を聞き、帰宅してからこうやって本を読むと、原城そして島原の乱がいっそう身近に思え、また人々の祈りが今に通じている気がしてきます。
(2008年11月刊。2200円+税)
2019年11月25日
光の田園物語
社会
(霧山昴)
著者 今森 光彦 、 出版 クレヴィス
いやあ、思わずほれぼれしてしまう見事な田園風景です。写真が輝いています。
滋賀の里山に生きる写真家が、荒れ果てた土地、竹の密生する林を切り拓いていきます。とても人間の手だけではかないません。ついにはユンボなどの重機も登場し、竹を根こそぎ抜いていくのです。そして、そこにはひっそり古木が隠れていました。また、小道には石仏がいくつも埋もれていたのです。
クヌギの古木が姿をあらわしましたが、思い切って伐採。すると、翌年には、早くも新芽が吹き出してきます。たくましい自然の生命力に圧倒されるばかりです。
土手のカヤにはカヤネズミがいて、巣をつくっています。
真夏の田圃は緑したたる田園風景がずっと先まで広がり、そのみずみずしさを胸一杯吸いとりたくなる気分にさせてくれます。この頁を眺めるだけで、この本買って手にとる価値があります。
著者のすばらしいところは昆虫教室を開いて子どもたちに昆虫の生態を一緒に教えていることです。もちろん、著者自身が昆虫博士のように詳しいのです。いろんなチョウやトンボ、そしてカエルの名前を見分けわれるなんて、それだけですごい、すばらしいではありませんか・・・。
昆虫は、子どもたちが手にすることのできる数少ない生命、神様がくれた玩具だ。
竹藪を切り拓いたあとを整地し、水たまり(湿地)をつくり出します。水辺の生き物のためです。さっそくトンボがやってきます。
田んぼも大切だけど、土手も大事に育てます。土手にすむ生き物もいるからです。
環境農家を目ざす写真家の著者は大忙し。でも、その笑顔は輝いています。自然とともに生きる喜びがあるからでしょう。
琵琶湖のほとり、大津市の仰木という地区に広い田園をかまえて自然と生活している著者による、実に楽しい写真集です。できたら一度、ぜひ現地に行って、実感してみたいものです。
全国の図書館に一冊は常備してほしいと思いました。それだけの価値があります。
(2019年8月刊。2500円+税)
2019年11月26日
奴隷船の世界史
アメリカ・アフリカ・イギリス
(霧山昴)
著者 布留川 正博 、 出版 岩波新書
人間って本当に残酷な存在ですよね。
アフリカからヨーロッパやアメリカへ1000万人もの人々が400年間にわたって連れ去られ、奴隷として苦役につかされ、殺されていったのです。信じられないほどの残酷な歴史です。
大西洋奴隷貿易は、利益を生み出す、もっとも重要度の高い貿易の一つだった。
奴隷貿易は通常、「三角貿易」の構造にあった。奴隷船は、主としてヨーロッパの港から取引に使う商品群を積んでアフリカに向かう(第一辺)。アフリカでは商品と交換に奴隷が購入されて船に積み込まれ南北アメリカに上陸する(第二辺)。そこで、奴隷が砂糖やコーヒー、綿花などと交換され、ヨーロッパに向かって売却される(第三辺)。
三角貿易は、イギリスの産業にとって一石三鳥のはたらきをした。産業革命の資金需要をまかなう資本蓄積の主要な源泉となった。すなわち、資本主義発展の中心には奴隷貿易と奴隷制があった。
16世紀半ばのポルトガルのリスボンの人口は10万人で、うち1万人が奴隷だった。ポルトガル全体で3万人もの奴隷が存在した。
奴隷船について、今では世界的にデータベースが作成されている。それによると、ポルトガル船、ブラジル船がイギリスよりも多く、アフリカから奴隷を輸送していた。
18世紀のころの奴隷船は100~200トンで、船員は通常の貿易船より2倍も多かった。奴隷監視員もいたし、ほかの奴隷船や海軍から身を守るため武装していたから。
奴隷船は「浮かぶ牢獄」、「移動する監獄」だった。1日2回、食事と水が与えられ、1日に1回は甲板上で音楽にあわせてダンスを踊らされた。船の周囲にはロープで編みあげたネットを張りめぐらし、奴隷の自殺を防止した。
スティーヴン・スピルバーグの映画『アミスタッド』(1997年)を私もみた記憶がありますが、まさしく過酷な浮かぶ監獄でした。
アフリカから連れ去られた1000万人もの奴隷というとき、それは生きて新世界に上陸した人々であって、それ以上に死んだ人がいた。戦闘で亡くなり、海上で病死したりした人は少なくなかった。
奴隷船は10隻に1隻の割合で蜂起を経験している。蜂起1回の平均死者は25人。叛乱が成功した例は少ない。出身が多様なため、奴隷同士の意思疎通は困難だった。
奴隷貿易は非常にリスキーな事業だった。うまくいけば100%利益が得られるが、奴隷叛乱の危険だけでなく、敵船に拿捕される危険もあった。
奴隷商人はケンブリッジ大学出身者が19人、オックスフォード大学出身者が22人いた。
このように奴隷貿易の富はジェントルマン風の教育に充てられ、イギリス社会における地位上昇の契機となっていた。
奴隷貿易の実際を多面的に明らかにした新書です。大変勉強になりました。
(2019年8月刊。860円+税)
2019年11月27日
満鉄全史
中国・日本史(戦前)
(霧山昴)
著者 加藤 聖文 、 出版 講談社学術文庫
日露戦争(1904年)で日本がロシアに辛勝したあと、ポーツマス講和条約(1905年)で、ロシアは東清鉄道南部支線を日本へ譲渡した。これがあとの満鉄となる。
ところが、日本政府内部では、この鉄道がどのような果実をもたらすものか、誰も分かっていなかった。すなわち戦略的な位置づけや基本的合意のないまま、満鉄という組織だけが出来あがっていった。
南満州での権限拡張に陸軍は熱心だった。そして、満州各地に領事館を設置していた外務省も熱心だった。
後藤新平は、1906年11月に満鉄総裁に任命された。満鉄は、単なる鉄道会社の範囲をこえて、多角経営をすすめた。1907年11月には「満州日々新聞」を発行したが、あわせて英字新聞まで発行した。また、ホテル経営にも進出し、「ヤマトホテル」を沿線主要都市に建設していった。さらには、調査部を設置した。
第二代総裁の中村是公(ぜこう)は夏目漱石を満州に招き、広報マンたらしめようとした。二人は学友だった。漱石が満州に着いたころ、満州では野球が盛んで、観戦している。
関東軍のはじめは、満鉄沿線の警備にあたる独立守備隊と、関東州に駐在する1個師団のあわせて1万人ほどの軍隊でしかなかった。
松岡洋右は、満鉄の理事・副総裁・総裁として11年にもわたって在職した。
松岡と張作霖は、根本的なところで思惑が違ったものの、表面的には利害が一致していたので、両者は手を結んだ。原内閣のとき、張作霖を利用しつつ、満州における日本の権益を拡張するという方針が定まり、これが1920年代の基本路線だった。満鉄の松岡総裁は積極的に張作霖を支援し、張作霖の中央政界進出を側面支援した。
ところが、これによって張作霖の政治権力が強大になってくると、満鉄ひいては日本は、満州を好き勝手にすることができなくなるというジレンマに陥った。
日本は、張作霖の性格や能力はある程度理解していたものの、その存在を支える漢人の社会的要請をまったく理解せず、あくまで一個の道具としてしか見ていなかった。
そのため、思いどおりになるとみていた張作霖の自我と自負の強さを直面すると、反感が大きく増幅され、ついに抹殺へとつながっていった。
1928年6月4日、関東軍の高級参謀だった河本大作大佐が主謀した張作霖爆殺事件が起こされた。このとき27歳だった張学良は、満鉄包囲計画を立てた。
1931年9月に始まった満州事変は、関東軍の単独・独走ということではなく、関東軍と満鉄の二人三脚によって進められていった。
満州事変の当初は、満鉄首脳部は関東軍への協力に消極的だった。それが180度方針転換したのは1931年10月のこと。1930年度、満鉄社員は3万4000人もいた。
満鉄と関東軍の蜜月時代は長くは続かなかった。
両者の立場は逆転した。ただし、満鉄は依然として満州国随一の巨大企業。満州国がひとりだちするには、満鉄の経済力と人材が必要不可欠だった。
満鉄に関する詳細な通史です。勉強になりました。
(2019年8月刊。1180円+税)
2019年11月28日
日本への警告
社会
(霧山昴)
著者 ジム・ロジャーズ 、 出版 講談社α新書
世界的投資家がアベノミクスは完全に失敗した、軍事予算こそ真っ先に削減しろと指摘しています。同感至極でした。小気味がよく、胸のすく思いのする新書です。
安部首相がしてきたことは、ほぼすべてが間違いだ。国際集会で語られるのは、聞こえのいい夢物語ばかりで、それが実現することはめったにない。
日本経済を破壊するアベノミクスが続き、人口減少の問題を解決しないかぎり、日本に投資はできない。
東京オリンピックのせいで日本の借金はさらに膨らむ。オリンピックがもたらした弊害が日本をむしばむ。
日本は女性を大切にし、育児をもっと応援すべきだ。
日本人は外国人に対する差別意識をなくせ。そして、日本人はもっと外国に出るべきだ。
移民の受け入れについて、まるで犯罪者に対して門を開くようなイメージをもつのは、まったくのお門違いだ。
日本政府として真っ先にすべきなのは防衛費の削減だ。
安部首相はたくさんの間違いをしているが、防衛費の増加は過ちの最たるものだ。今や、日本は450億ドルをこえる防衛費を支出しているが、防衛費をいくら増やしても、日本の将来のためには何の役に立たない。むしろ国民の生活が悪くなるばかりだ。
武器の予算をつければ、武器の製造やメンテナンスに直接かかれる人たちはもうけられるとしても、それ以上のことは何も起きない。やがて武器は老朽化し、ムダ金だったということになる。
ズバリズバリと日本のかかえる問題が指摘されています。一読する価値があります。ついでに、あなたもお金もうけが出来るかも・・・。
(2019年9月刊。900円+税)
2019年11月29日
ボンヘッファー
ドイツ
(霧山昴)
著者 宮田 光雄 、 出版 岩波現代文庫
ヒトラー・ナチスと果敢にたたかい、アメリカに亡命して、助かるはずだったのに、ドイツに戻って殉教した神学者の生涯と思想を刻明にたどった本です。私は、その存在をまったく知りませんでした。
神学者のディートリヒ・ボンヘッファーは反ナチ抵抗運動に参加して逮捕・投獄され、39歳の若さで処刑された。ただ、その処刑は遅く、ナチ・ドイツの降伏が間近に迫っていた1945年4月9日の早朝のことだった。
マルチン・ニーメラーはヒトラー・ナチスに抵抗した神学者として有名ですが、ニーメラーは、ヒトラーの賛美者だった時期があったのですね。これまた、私は知りませんでした。
ニーメラーは、ヒトラー政権の成立を歓迎し、ドイツが国際連盟を脱退したとき、ヒトラー激励の電報を打った。ヒトラー政権の本質をニーメラーも見抜けていなかった。
ヒトラー政権が成立した1933年ころは、ナショナリズムに根ざす伝統、ワイマール共和国に対する失望などは、かえってドイツの教会をナチズムの運動に傾斜させがちだった。多くの人々が、教会指導者や神学者まで、ナチ政権に滅狂的・献身的に同調していった。
ところが、ボンヘッファーは、1933年春の時点で、ナチのユダヤ人政策に反対した論評を張っていた。このころ、ドイツの多くの教会では、ナチの国家権力が教会生活や信仰箇条の中身に干渉しさえしなければ、何とかヒトラーと妥協してもよいと考える大勢の人たちがいた。
ボンヘッファーは集団的な兵役拒否を呼びかけた。キリスト教信者として許容されるのは、衛生兵勤務のみだとした。
ボンヘッファーは1933年6月に船でニューヨークに渡った。ところが、それは間違いだったとして、7月7日、アメリカからドイツ人を乗せてドイツに向かう最後の船に乗ってドイツに戻った。その後、ボンヘッファーは、カナーリス提督の率いるドイツ国防軍諜報部のヒトラー政権に対する抵抗運動に参加していた。
そして、1942年には、スウェーデンに行ったり、ヒトラー政権を転覆させようとする活動を連合国に知らせる活動にも従事した。ところが、このようなドイツ国内の抵抗運動は、連合国側からは信用されることなく、見捨てられた。
ボンヘッファーは、音楽を愛し、美術を愛し、食物についても健啖家(けんたんか)だった。その周囲を書物でとり囲まれ、死に直面していても詩をつくり、戯曲や小説の断片さえ書き残した。また、社交好きで、祝祭や遊びにも喜んで参加する人好きのいい人間だった。
1953年以来、ナチ政権は、党員であることと教会に所属することとが両立しえないことを公然化させた。
1995年に刊行された本を20年以上たって文庫本としてよみがえった本です。400頁をこえる文庫ですが、大変読みごたえがありました。
(2019年7月刊。1620円+税)
2019年11月30日
僕のリスタートの号砲が、遠くの空で鳴った
人間
(霧山昴)
著者 田原 照久、竹島 由美子 、 出版 高文研
うまいですね、しっくり読ませます。さすが演劇指導し、劇の台本を書いている人だけあって、若者(高校生)と教師の揺れ動く微妙な心の奥底が見事な文章となり、視覚化されています。
今まで学校で学ぶことができなかったNと、そのかたくなで攻撃的な性格のために友人に恵まれなかったIは、ともにほとんど方言を使わない。同世代との会話を楽しむ何気ない日常が閉ざされていたからだろう。
高校生が方言を使わないというのに、こんな深い意味があっただなんて・・・、驚きました。
教室に入るとき、「おはよう!」と声をかけてたとき、前を向いて「おはようございます」と返してくるのは半数ほど。下を向いたままか、あるいは顔を上げていても視線は力なくさまよっている。「引き籠もり」の若者が急増していると言われる社会現象が事実だということを彼らは教えてくれる。
高校1年生のクラス。考え方の違いがはっきりするにつれて、複雑にもつれあったり対立しながら、クラスのなかはいくつにも分裂していく。その混乱を眺めているのは少々面倒ではあるけれど、この分裂こそが高校生らしいつながりを生み出していく・・・。
夢中になるものがあると、時間の流れをとても速く感じる。まさしく、そのとおりですよね・・・。
15歳から18歳の高校生たちは、信じられないスピードで大きく変化していく。ときには、大人の予想など平然と蹴散らして、まるで別人に生まれ変わる高校生だっている。それが高校という空間のもつ不思議な力だ。
同級生から自信にあふれた存在と思われているにもかかわらず、本人の内面では自分に納得できずに自己否定を繰り返す高校生。
高校生の世界は、まさにモザイク。まさに混沌。閉じていない世界。閉じようにも閉じることのない世界。いや、むしろ、世の中との間に扉のない世界・・・。
今どきの高校生たちの置かれている社会の実際。そして、演劇を通して友人、そして自分とぶつかりあい、また自己認識を深めていく・・・。じっくり、しっくり読みすすめ、なんだかほっこりとした気分になりました。
福岡の宇都宮英人弁護士よりいただいた本です。ありがとうございました。みなさんに、ご一読を強くおすすめします。
(2019年11月刊。1600円+税)