弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2019年10月14日

埋葬からみた古墳時代

日本史(古代)


(霧山昴)
著者 清家 章 、 出版  吉川弘文館

またまた認識を改めました。古墳時代、被葬者の半分は女性だったというのです。これには驚きました。後期になると、戦争があって軍事面から男性の比率が高まったのですが、前期から中期まで男性家長と女性家長が同じ比率で存在していました。すなわち、家族集団の長は性別を選ばず、男女ともに継承していた。これは、いわゆる父系社会ではありえないこと。
熊本県宇土市にある向野田古墳の被葬者も女性だ。女性首長は、古墳時代の前期には一般的に存在していた。非首長層でも、女性のリーダーが活躍していた。
鏃(ぞく)、甲冑(かっちゅう)、鍬形(くわがた)石があると、被葬者は男性。車輪(しゃりん)石や石釧(いしくしろ)を腕に置く副葬品を配置しているときには、女性が被葬者。
人骨が女性であると、妊娠痕が見つかることがある。妊娠中期をすぎると、胎児の胎動に負けないように骨盤の耳状面下部に靭帯(じんたい)が深く骨に食い込み、圧痕が付着する。これがあると、出産したか否かはともかく、妊娠したことは判明する。すると、妊娠痕のある女性首長には子どもを産む機会があったことが分かる。いやあ、こんなことまで判明するのですね、すごいですね。
もう一つ驚いたのは、古墳には、複数の人間が葬られるのが一般的だったということです。むしろ、単体埋葬の古墳のほうがかえって少ないのです。いちばん多いのは長野県にある森将軍古墳で、ここには81基もの埋葬が確認されているそうです。
平安時代の墓は、夫婦別墓が原則。嫁になっても、死んだら実家の墓に入り、夫婦は別の墓。
父系化が進行したのは、韓半島をめぐる軍事的緊張と戦争に巻き込まれ、あるいは積極的に関与していったことから、戦力とならない女性首長が姿を消していったと考えられる。
なるほど、なるほど、昔から日本人の女性は強かったのですね・・・。それにしても、やっぱり平和が一番ですよね。
(2018年5月刊。1800円+税)

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