弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2019年10月23日

中国が世界を動かした「1968」

中国


(霧山昴)
著者 楊 海英 、 出版  藤原書店

あのフランス人歴史人口学者のエマニュエル・トッドが1968年ころ、17歳でパリ郊外の高校3年生のとき、フランス共産党系青年組織の一員だったというのには驚きました。
校内では権威的な校長を面罵してストライキを打ち、校外ではゼネストの労働者と一緒だった。政治うんぬんの前に単に楽しかった。
これは、日本の全共闘シンパに共通するものだと私は思いました。
中国における紅衛兵の造反は、フランスの学生運動など世界情勢に影響を与えた。
「欧米にしろ、日本にしろ、キャンパスの内外を問わず、もっとも活躍し、威張っていたのは、みな毛沢東派だった」
さすがに、ここまで言うと、明らかに言い過ぎです。毛沢東主義者は、日本ではML派などといって、目立ちはしましたが、しょせん新左翼党派のなかでは弱小セクトの一つでしかありませんでした。東大闘争のなかでも、全共闘のなかに、そう言えばML派もいたよね、という程度でした。
中国の紅衛兵のなかに、パリ・コミューンにあこがれる人物はあらわれたが、それは中国共産党の一党独裁に脅威を与えるものとして、たちまち「反革命」とされた。
毛沢東は、1958年からの大躍進政策や人民公社という惨憺たる失策から権力政治の中枢から外れ、地方を流離するなど、孤立状態にあった。
毛沢東が反逆の狼煙(のろし)に点火したのは、日本と中国両共産党のコミュニケが破棄された1966年3月末のことだった。毛沢東は、地方にあって劣勢な権力者が、中央にあって優勢な権力者に向けて蜂起するという、権力内部のクーデターを発動した。
この毛沢東による文化大革命による犠牲者は500万人にものぼるとみられている。
学生たちを辺境の地に追いやり労働させるという「下放」事業のなかで、学生たちは現実を直視せざるをえなかった。レイプや暴行、自殺、劣悪な労働環境下での事故死が相次いだ。
人間関係のない「よそ者」の青年たちは、移送先では、まったくの「社会的弱者」だった。
現実と直面するなかで、プロパガンダに対する疑問と抵抗感を抱くようになっていった。
ドイツでは、元毛沢東主義者が今も活躍している。1人はバーデン・ヴュルテンベルグ州の首相であり、もう1人は議員である。この2人は、首相が緑の党、もう1人は今では右翼政党に所属している。
ドイツには、左右を問わず、もとは毛沢東主義だったという政治家やジャーナリストが少なくない。とりわけ、緑の党に目立っている。
西ベルリンには、北京派ドイツ共産党が存在した。かつての毛沢東主義者は、教師・弁護士・ジャーリスト・研究者・作家・経営者・政治家として成功した者が少なくない。
彼らは、政治的な一面的思考を免れ、規律正しさと自己犠牲精神を身につけていた。
中国は「革新」を全世界に輸出することを夢見ていた時期があったようですが、そんなものがうまくいくはずがありません。
国際社会の歴史的動向をうかがえて、読んで良かったと思いました。
(2019年5月刊。3000円+税)

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