弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2019年9月28日

江戸の古本屋

日本史(江戸)


(霧山昴)
著者 橋口 侯之介 、 出版  平凡社

日本人は昔から本が大好きだったことがよく分かります。
昔の日本人は、本を読むというのは、声を出して読む、音読するのか普通だったようですね。寺子屋で、「し、のたまわく・・・」と声をそろえて習っていたことの延長線にあったのでしょうか・・・。
寛永のころ(1624年から1644年)、収益を目的として本を刊行する商業出版が始まった。出版する本屋が京都だけで、享保年間(1716~1736)には200軒も存在していた。
大阪の本屋も享保11年に89人だったのが、享和1年(1801年)に130人、文化10年(1813年)には、343人に達した。江戸では、京保7年に本屋仲間が47軒で結成された。
江戸時代を通じて、大手の書林といえども出版だけで収益をあげることはできず、古本業務を基礎として、さまざまな本に関する仕事をこなしていた。
江戸には、文化5年(1808年)に貸本屋が656軒あり、販売網として組織化されていた。
江戸時代の本屋は現代の出版社のように間断なく新本を出し続けるということはなかった。新刊本は数年がかりで、数点が同時進行しながら製作されていた。本づくりは慎重にすすめられた。出版活動は、数多くの業務のひとつに過ぎなかった。江戸時代の本屋は、出版物を刊行するだけでなく、卸売りも小売りもすれば、古本のような再流通までを担う産業だった。きわめて特殊な商形態だった。
本屋は講をつくっていた。講は情報を収集する場であり、金融的側面ももっていた。古書の交換システムを機能させ、娯楽的側面もあった。
本屋の仲間同士の支払いは2ヶ月後の清算が慣行だった。
セドリとは、同業の本屋を回って本を仕入れる行為をいう。また、風呂敷包みを背負って江戸中を歩いて本を買い集め、それを売って商いする者のこともセドリと呼んだ。
本屋の古本業務が盛んになったのは、書物の収集に熱心な顧客が増大したことが背景にある。それまでの寺院や公家、大名家だけでなく、神社や民間の学者、医者、富裕な商人にも収集する層が広がっていった。そして、村々の役人、町役人や一般商人にまで収集の層が広がった。
本替(ほんがえ)とは、本屋が現金でなく、お互いに本を送るという実物による交換であって、これは、余計な資金の移動を避ける合理的な商習慣だった。
いま、小さな本屋がどんどん閉店しています。本当に残念です。ネットで注文するのは便利ですが、やはり神田の古本屋街のように手にとって眺める楽しさは格別なのです。アマゾンに負けるな、そう叫びたい気分です。
(2018年12月刊。3800円+税)

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