弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2019年7月 1日

先生、アオダイショウがモモンガが家族に迫っています!

生物

(霧山昴)
著者 小林 朋道 、 出版  築地書館

この先生シリーズも、ついに13冊。1年に1冊ですから、なんと13年もおつきあいしていることになります。いえいえ、実は番外編もあったりして、本書は15冊目になります。
鳥取環境大学に学ぶ学生は幸福です。とはいっても、学生のときにはそうは思わないかもしれません。大学生であることのありがたさは、社会の荒波にもまれて初めて実感できるものです。少なくとも、私は、そうでした。早く、この中途半端な大学生を卒業したいものだと焦っていました。いま思うと、とんでもない間違いです。
さて、この本には、ヘビを部屋のなかで放し飼いをしている学生、河原でカエル捕りに熱中している学生など、いろいろ登場します。
カエルにそっと近づき、素手で押さえこむ。そして、ピンセットでカエルに強制嘔吐させる。有害なものを誤食したときに、カエルは自ら胃を反転させて口から外に出し、有害物を吐き出す。この習性を利用してカエルが何を食べているのかを調べる。
ヘビ専用のヘビ部屋には幅7メートル、長さ1.5メートル、高さ4メートル、そこに4匹のアオダイショウと4匹のシマヘビを放し飼いにしている。エサとして与えるのはニワトリの骨つき肉。
先生は、アオダイショウを手で自由にあやつれるようです。モモンガ母子のヘビに対する反応を実験するため。アオダイショウの「アオ」に協力してもらっています。
アオダイショウは木登りが上手。気の幹にある小さな取っかかりを巧みに利用して、効率的に登っていく。幹にまったく基点となるようなものなければ、幹に体をぐるぐる巻きつけて締めつけ、締めつけた部分を基点として、そこから体を垂直上方へ伸長させて登っていく。
わが庭でも、スモークツリーの上のほうにヒヨドリがいつのまにか巣をつくって子育てしていましたが、それをアオダイショウが見事に登ってヒナを全滅させてしまったことがあります。地面を這っているアオダイショウが地上2メートル以上の高さにある巣と、そこにいるヒナの存在をどうやって知ったのか、今でも不思議でなりません。
先生シリーズの続編を期待しています。
(2019年4月刊。1600円+税)

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2019年7月 2日

マルコムX(下)

アメリカ

(霧山昴)
著者 マニング・マラブル 、 出版  白水社

ついにマルコムXが暗殺される瞬間が近づいてきます。
予兆はいくつもありました。マルコムXの信奉者たちがネイション・オブ・イスラムの信者たちから集団で襲撃され、あるいは殺害されます。そして、ついにマルコムXの自宅が焼き打ちされるのです。ところが、自宅焼き打ちについて、世間の注目をひくための自作自演だというデマを飛ばす人がいて、世間でもそれを信じる人が少なくなかったのです。それは、マルコムXが、いつも大ボラを吹いているという偏見にもとづく誤解でもありました。
警察はマルコムXの暗殺計画がすすんでいることを察知しながら、それを防ぐための手立てを何も講じませんでした。といっても、マルコムXの暗殺犯たちにFBIや警察が手を貸したということではないようです。
マルコムXは暗殺を恐れていなかったとのことです。それは考えが甘かったというより、殉教師になるのも一つの道ではないかという達観から来ていました。決してあきらめの境地にあったのではありません。
1965年初めには、マルコムXの側近たちは、そのほとんどが、このままでは、そのうちマルコムXは殺されると思っていた。だから、どうしたらマルコムXを救うことができるかと考えていた。
マルコムXは、当時、あらゆるものに追い詰められていたが、もともと心の内をなかなか明かさない人間だったので、このときも思っていることを話していない。
今から考えると、マルコムXは、死を避けたり逃れたりはしまいと決めていた。死を望んでいたわけではないが、それを自分の宿命から外すことのできないものとして、受け入れる覚悟があったようだ。
演説会場に入るとき、参加者が銃器をもっていないか調べることをマルコムXは禁じた。そして、自分の警備員(ガードマン)には一人を除いて武器をもたせなかった。銃撃戦になったとき、暗殺犯は、おそらく丸腰のガードマンを撃たないだろう。誰かが死ななければならないのなら、それは自分でいい。マルコムXはそんな結論に達していたのではないか・・・。
FBIもニューヨーク市警も、マルコムXの運命への介入について、同じくらい消極的でマルコムXの生命が脅かされても、捜査せずに身を引き、犯罪が起きるのを待っていた。結局、暗殺犯たちは演説会場に銃をもって立ち入り、ちょっとした騒動を起こして、演壇にいるマルコムXを銃撃し、殺害してしまったのです。それは、ネイション・オブ・イスラムの組織した暗殺集団でした。
暗殺班の構成員は、みなイライジャ・ムハマドの熱心な信奉者であり、マルコムXを殺すためには自分の命を犠牲にする用意があった。暗殺を企てる者が死をいとわないのなら、誰でも殺すことができる。これって、自爆犯と同じだということですよね。
こうやってマルコムXの暗殺の瞬間が解明されていますが、この本は同時に、マルコムXがメッカ巡礼し、アフリカ諸国をめぐったことによる思想的転換を具体的にあとづけています。そこが大変興味深いところでした。とはいっても、当時のアフリカは独立の英雄が独裁者に転化しつつあったり、各国とも政情は単純ではありませんでした。
本書の結論で書かれていることを紹介します。
黒人の人間性に対する深い尊敬と確信が、革命的な理想家マルコムXの信念の中心にあった。そして、マルコムXの思い描く理想の社会に異なる民族意識や人種意識をもつ人々も含まれていくにつれ、マルコムXの穏やかなヒューマニズムと反人種主義の姿勢は、新種のラディカルで世界規模の民族政治の基盤となっていたかもしれない。
マルコムXは希望、そして人間の尊厳の象徴になるべきである。
この最後のくだりを、なるほどと読んで思えるほど、マルコムXの思想的遍歴が忠実に再現できていて、改めて素晴らしい本だと思いました。
(2019年2月刊。4800円+税)

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2019年7月 3日

電撃戦という幻(上)

ドイツ

(霧山昴)
著者 カール・ハインツ・フリーザー 、 出版  中央公論新社

世の中には、たくさんの思い込みというものがありますが、この本を読んで、その一つから自らを解き放つことができました。読書の楽しみがここにあります。
電撃戦というのは、ヒトラー・ドイツ軍が好んで用いた戦法とばかり思っていました。ところが、1941年11月、ヒトラー自身は次のように言ったそうです。
「私は、いまだかつて『電撃戦』などと言ったことはない。まったく愚にもつかない言葉だ」
ええっ、一体どういうことなんでしょう・・・。
電撃戦という言葉に明確な定義はなく、曖昧模糊としている。
1940年5月、「セダンの奇跡」がおこって、すべてがひっくりかえった。ドイツ国防軍の首脳は、その前は電撃戦のような軍事的冒険については懐疑的だった。この「セダンの奇跡」のあと、ドイツ国防軍の将軍たちは、恥も外聞もなく、180度の方向転換を行った。
ヒトラーが1939年9月1日に始めたポーランド侵攻のとき、ヒトラーは西側諸大国との戦いを想定した戦争計画、総合戦略について、何の用意もできていなかった。これは致命的な手抜かりだった。対ポーランド戦は、本格的な電撃戦ではなかった。
ポーランド軍はドイツ軍の敵ではなかった。装備・訓練が旧式だったし、用兵も時代遅れだった。ドイツ軍の戦車に対してポーランドの騎兵たちは白刀をふるって突撃していった。
ところが、ポーランド戦で弾薬をほとんど撃ち尽くしてしまったため、ドイツの陸海空三軍はその後しばらくは戦争を継続できる状態にはなかった。弾薬の在庫を確保しているのは全師団の3分の1にすぎず、しかもそれは2週間の戦闘で消費されてしまう。ドイツでは、このころ毎月60万トンの鉄鋼が不足していた。火薬については1941年になるまで急激な増産は見込めなかった。
当時、ドイツの自動車化部隊では車両の損失が50%に達していた。そして、軍を急激に大きくしたことから、指導的な立場の将校クラスの能力が全般的に低下していた。
「一枚岩」に見える第三帝国(ヒトラー・ドイツ)は実は外面(そとづら)だけで、戦争の最初の局面で国力を一点に集中させるだけの力強い指導性が欠けていた。
ドイツ陸軍は1940年の時点では、40歳代の兵士が全体の4分の1を占め、また、数週間の訓練しか受けていない兵士が半分を占めていた。そして、将校の絶対数の不足は深刻だった。正味3050人の将校が数百万の規模にふくれあがったドイツ陸軍の大世帯を切り回さなければならなかった。
軍需物資の面でのドイツ軍の最大の悩みは鉄鋼とゴムの慢性的欠乏だった。
ドイツ軍の90%は荷馬と徒歩で行軍した。つまり、ドイツ電撃戦のイメージは戦車と自動車だが、それは、単なるプロパガンダにすぎない。ドイツ陸軍の装備はみすぼらしいとはでは言えなくても、非常に質素だった。すぐに戦える部隊は全体の半分でしかなかった。
1940年のドイツ軍は戦車兵器の開発で、まだスタートラインに立ったばかりだった。ドイツ軍は軽戦車が全体の3分の2近くを占めていた。そして、技術的に未成熟だったことから、戦場で次々に故障によって頓挫した。さらに、ドイツ軍の軽戦車は、連合軍の軽戦車の甲板すら貫徹できなかった。
ドイツ軍のパイロットは、連合軍パイロットに比べて、良質で十分な訓練を受ける機会に恵まれていなかった。
ドイツ国防軍の将軍たちはヒトラーを、「底辺からはいあがってきた難民官ごとき」と見下していた。そして、ヒトラーのプロレタリアート的体質を激しく毛嫌いした。それに対して、ヒトラーもドイツ国防軍のエリートたちに敵愾心をむき出しにした。
1940年のドイツ軍によるアルデンヌ攻勢は、電撃戦の模範的な戦術例とされているが、実際には、ドイツ軍の追撃は、確固たるシステムによって行われたものではない。ありあわせのものですすめたところ勝利したので、あとから整理されたというものにすぎない。
いやはや、なんということでしょうか・・・。知らないことの恐ろしさすら私は感じてしまいました。
(2012年2月刊。3800円+税)

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2019年7月 4日

世界を変えた勇気

人間

(霧山昴)
著者 伊藤 千尋 、 出版  あおぞら書房

無関心になったら、状況はいっそうひどくなる。変えようとする意思をもち、行動すれば世界は変わる。
本当にそのとおりだと思います。安倍首相が国会で平然として嘘をつきながら、学校では教師と子どもたちに道徳教育を押しつける。
過去に日本が侵略戦争をしかけて内外に無数の被害者をうみ出し、国土を荒廃させたことに目をつむり、「美しい日本をつくる」などと、ソラゾラしいことを臆面もなく言いつのる。自分の都合の悪いことは、ないものとするか、書きかえてしまう。アベ一強の政治は身内優先の汚れた政治でもあります。あまりのえげつなさに圧倒され、つい怒りを忘れて、あきらめてしまいそうになってしまいます。そんなときにカンフル栄養剤となるのが、この本です。
韓国で文在寅大統領が誕生する過程では、日本人が安保法制に反対して国会を包囲したニュースが韓国人を奮起させたそうです。
そうなんです。日本人だって、やってやれないことはないんです。もっと私たちは、自分たちの力に自信をもつ必要があります。どうせアベはこれからも首相に居すわり、悪政を続けるんでしょ・・・。そんなに簡単にあきらめてしまったら、それこそアベの思うツボです。
著者は私と同じ団塊世代のジャーナリスト。世界82ヶ国を歩いて取材したそうです。
アメリカに長く住んでいる日本人がこう言った。
日本人は文句を言うだけ。アメリカ人は文句を言う前に行動する。
そうです。文句を言い、行動することが必要です。行動のてはじめが投票所に行くこと。
いま、日本の若者は世界へ出かけようとしない。日本が一番でしょ・・・、そんな思いこみから。とんでもないことです。知ろうとするのをやめることは、知性をもった人間であることを放棄すること。
アルゼンチンでは、軍部が政権を握っていたとき、多くの市民を虐殺した。少なくとも3万人が犠牲となった。
まだ見ていませんが、最近、天(空)から遺体が降ってきたというアルゼンチン映画の上映が始まったようです。政府に楯ついた人をヘリコプターから突き落として殺していたことに結びついた実話です。そんな軍部独裁政権も、ついに打倒される日が来ます。子どもや夫を拉致・殺害された母親・妻たちが広場に集まって抗議行動したことが始まりの一つとなりました。
最近、軍政に手を貸して労働者の人権をふみにじったとして、アメリカの自動車会社フォードのアルゼンチン現地法人の当時の幹部2人が禁固10年と20年の判決を言い渡されたとのこと。すばらしい判決です。虐殺した人だけでなく、それに加担した人たちの責任が問われるのは当然のことです。
コスタリカでは、軍事費が国家予算の3割を占めていた。その軍事費をそっくり教育費に振り替えた。すると、医療や社会保障の予算も増え、国民生活の質が格段に向上した。
フィリピンでは、アメリカ軍の基地を廃止したら、経済は明らかに好転した。基地で働く人は4万2千人。基地なきあとに働く人は、6万人から10万人へ急増した。
著者は、この本の最後に次のように呼びかけています。まったく同感です。
行動の選択を迫られ、思いあまったとき、世界の人々がどんな行動をとったかを知れば、勇気も湧いてくる。自分のまわりだけを見ていても、展望は開けない。この本を読んで、一歩を踏み出してほしい。
モリモリ勇気の出る本として、強く一読をおすすめします。
(2019年4月刊。1500円+税)

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2019年7月 5日

技術が変える戦争と平和

社会

(霧山昴)
著者 道下 徳成 、 出版  芙蓉書房出版

科学技術の発達が戦争の姿を変えている状況を知ることのできる本です。
インターネットの発達によって、前線にいる兵士と司令部にいる指揮官とのリアルタイム・映像つきの情報交換を可能にした。これによって、指令の伝達や状況把握は、より迅速かつ正確になされる。そして、それは前線の兵士が、司令部への報告そして司令部からの命令が大量となり、兵士は多忙をきわめることになった。
犠牲者回避が主目的化すると、軍隊全体に軍人としての職業倫理・士気の低下をもたらしかねない。
ドイツでは、2011年から志願制となったが、人材確保が以前より重要な課題となった。そして、軍隊に対する忠誠心の減退や離職者対策として、海外派遣中の兵士に対するストレス緩和についての支援が重要なものの一つとなった。たとえば、前線にいる兵士に対して家族からのメールは、自分は何もできないという不安や無力感を感じて、かえってストレスになる。そこで、デジタルが発達していても、昔ながらの絵葉書や小包を前線の兵士への送るということが、兵士と家族の双方にとって、ストレス緩和の効果が高い。
インドが得意とする技術は、ジェネリック医薬品のように、すでにニーズの定まった医薬品をよりコストの安い代替物で生産し、広く普及させる技術。たとえば、人質をとるテロリストを制圧する手段として、インド軍特殊部隊は、突入直前に発光手榴弾の代わりに、世界一辛いとうがらしをつかった手榴弾をつかう。これは値段が安いので、広く普及させることができる。
韓国は、2014年に、世界最大の武器輸入国であり、それはほとんどアメリカからの輸入で占められていた。F35戦闘機40機、グローバル・ホーク機4機、など・・・。しかし、対北脅威の対応としては過大装備ではないかという批判・反省もあらわれている。
北朝鮮は、資金不足のため、ほとんどの武器が旧式だが、戦略・訓練・企画・思考は現場にかなっている。
日本企業100社の上位10社の市場占有率は50%をこえている。そして、10社内に3社が上がった。トップの三菱重工(28位)、2位が川崎重工(18%)だった。日本企業の特徴は、防衛上の施設に対するニーズが低いことにある。
武器の製造に3Dプリンターが活用されている。アメリカ軍は、B52戦略爆撃機やC-5輸送機などの旧式航空機の補修部品の製造に3Dプリンターを利用したときのコストが問題となる。3Dプリンターは、まずまずの性能をおさめ、国内外の雇用の奪いあいを生んでいる。
科学・技術の発達は戦争のあり方も大きく変えていることがよく分かる本でした。
(2018年9月刊。2500円+税)

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2019年7月 6日

「緋い空の下で」(下)

イタリア

(霧山昴)
著者 マーク・サリヴァン 、 出版  扶桑社文庫

上巻に引き続いて、下巻も圧倒的な面白さです。アメリカで150万部突破の大ベストセラーになったというのも当然ですし、映画化されるというのもよく分かります。まさしく最後の最後まで絵になるハラハラドキドキの場面展開が続くのですから・・・。
主人公のピノは17歳。イタリア軍に徴兵され、ロシア戦線に派遣されたら、5割の確率で生命を失ってしまう。そこで、身内はピノをドイツ軍のトート機関へ志願することをすすめる。トート機関は国防軍の前線部隊で異質な存在だった。ピノは、そこに入り、持ち前の軽さで、いつのまにかドイツ国防軍のイタリアにおけるナンバー2である少将の専属運転手として働き始める。
要するに、スパイとして活動していったのです。ところが、2歳下の弟は事情を知らないので、兄のピノを「裏切り者」として拒絶してしまいます。それでもピノは、少将の愛人宅のメイドと仲良くなり、幸せなひとときを過ごせるようになりました。
ドイツ軍はイタリア戦線で敗退に敗退を重ねますが、イタリア北部のミラノ地方は、ドイツ軍が最後に守るべき砦だったのです。
そして、アメリカ軍によるイタリア解放のときが、ついにやって到来します。すると、それまで無言で耐えていたイタリアの人々が残虐な報復・殺傷行為に走ります。ドイツ軍将校の愛人とそのメイド(ピノが愛した女性です)までが、即決の人民裁判のようにパルチザンたちによって処刑されてしまうのです。
ああ、いったい自分は何を頼りに生きていったらいいのだろう。ピノはガックリ肩の力を落とします・・・。
どこまでが実話なのか、どこからが想像のストーリーなのか、ぜひ知りたいところです。
このところ久しくワクワク感を体験していないという人に超おすすめの本です・・・。
(2019年5月刊。980円+税)

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2019年7月 7日

直及勝負

社会

(霧山昴)
著者 たつみコータロー 、 出版  清風堂書店

国会議員って、何をしているのかな・・・、そんな疑問に対して真正面から答えてくれる本です。本というより、少し厚みのあるブックレットというべきでしょうか・・・。200頁あまりの薄さで、1000円ほどですから、手頃な感じです。私は電車内で30分で読みました。
著者は大阪市西淀川区に生まれ、高校時代はラグビー部でがんばり、生徒会長もつとめたあと、なんとアメリカに渡り、エマーソン大学で映画づくりを学んだと言います。映画監督を目ざしていたのです。そして、大学を出てからはヨーロッパや東南アジアをバックパックでまわり、大阪に戻ってからは、「生活と健康を守る会」の事務局員としてつとめ、7000件もの生活相談を受けました。たいしたものです。DVや借金相談で東奔西走の日々でした。そして、今では日本共産党の国会議員(参議院)として、森友学園問題、コンビニ問題で大活躍中です。
その国会論戦が本当に分かりやすく紹介されていて、いやあ国民に役立つ国会議員って、こうでなくてはいけないよね、そう思わせる内容になっています。
森友学園の籠池氏夫妻は、安倍首相夫妻に裏切られて、今では反アベの急先鋒になっています。財務省による国有財産の払い下げに関して、安倍首相夫妻への忖度(そんたく)はひどいものがありました。
そして、辞めるはずの安倍首相は今も居すわったままですし、財務省の幹部たちはみな昇進しています。ひどすぎます。国を私物化しているのが許せないと著者は強調していますが、まったく同感です。
著者が国会の内外で追及しているコンビニの不当なロイヤルティーの計算、ノルマ、24時間営業の強制、ぜひぜひ改めてほしいと思います。
金もうけのためなら人間らしい生活を踏みにじっていなんて、時代錯誤の発想でしかありません。何が「働き方改革」ですか・・・。コンビニの働き方改革こそ先決でしょう。
カジノ問題、ブラック企業問題、そしてスナック営業など、現代日本のかかえる大きな問題にズバリ切り込んでいる40歳台の青年政治家の活躍に大きな拍手を送ります。読んで元気の出てくる楽しい本として、一読をおすすめします。
(2019年4月刊。1112円+税)

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2019年7月 8日

作家の人たち

人間


(霧山昴)
著者 倉知 淳 、 出版  幻冬舎

モノカキを自称する私も、本当は作家になったり、ベストセラーを出して、ガッポガッポと印税を稼ぎ、世に作家として認められたい、そして文化勲章(文化功労章?)をもらいたいという夢があります。
でもでも、それに冷や水をぶっかけるのが、この本です。
本が書けない、書いても売れない、生活ができない、世間からだけでなく家族からも見捨てられ、ついに飛び降り自殺するしかない・・・、トホホの現実が嫌になるほど写実的に描写されています。
いやはや、やっぱり作家なんかにならなくて良かった。弁護士であり続けるようがまだましだった・・・、そう思わせてくれる本なのです。
20年ほど前から、出版界を覆う構造不況は、もはや限界に達していた。本が売れない、消費者が誰も本を買ってくれない時代になっている。これは、娯楽の多様化、若年層の人口減少、ネットの爆発的普及、といった原因が複合的にからみあった結果の出版不況なので、誰にも手の打ちようがない。本の出版部数は減り続け、本職の作家は困窮するしかない。出版社は手をこまねき、廃業する作家が続出している。
そんななかで売れているのは、テレビタレントが書いた本。ゴーストライターではなく、お笑いタレントが自分で創作して文章をつづった小説だ。
文学賞の受賞作は、著者本人の知名度やテレビでの活躍、あとは視聴者の好感度などを基準として選び出されるもの。選考委員が受賞作を読んでいるのは例外的・・・。
ええっ、う、ウソでしょ。いくら小説とはいえ・・・。井上ひさしは受賞策の選出過程のコメントまで本にしていますよ。いくらなんでも・・・。
本は、たしかにアイデアの勝負というところがあります。それまでにない、意表をつくテーマ、題材を文章化できたら、もちろん強いと思います。
そして、タイトルも大事です。松本清張はタイトルのつけ方が秀逸でした。井上ひさしもうまいです。いえいえ、山本周五郎も藤沢周平もうまいですよ・・・。
売れない作家を、どうやったら売れる作家に変身させられるのか・・・、私もぜひぜひ知りたい、誰か教えてほしいです・・・。
作家家業の苦悩が圧縮されている、私にとっては超重たい本でした。
(2019年4月刊。1500円+税)

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2019年7月 9日

人間に光あれ

司法

(霧山昴)
著者 中山 武敏 、 出版  花伝社

著者と面識はありませんが、その名前は前から知っていました。狭山事件再審申立の弁護団長として高名ですし、東京大空襲訴訟原告弁護団の代表でもあります。この事件は作家の早乙女勝元さんとの出会いによるところが大きいようで、この本によると、どうやら隣あわせに住んでいるようです。そして、重慶大爆撃訴訟にかかわり、また植村記者の裁判にも弁護団長としてがんばっています。
著者は司法修習23期ですので、宇都宮健児弁護士と同期で、宇都宮弁護士が東京都知事選挙に3回立候補したとき、その選対本部長として支えました。
著者は1944年に福岡県直方市で生まれました。いわゆる部落出身です。父親は久留米の草野出身で、部落解放運動の闘士でした。お金がなくて、中学校の修学旅行に参加できず、高校は定時制高校です。そして、上京し、住み込みの新聞配達して中央大学法学部の夜間部に入学しました。
司法試験受験のための研究室の事務員として働きながら勉強して、卒業の年に司法試験に合格したのです。司法修習23期でした。そこで、宇都宮健児、木村達也、澤藤統一郎、梓澤和幸、久保利英明、仙谷由人と知り合ったのでした。修了式を混乱させたとして阪口徳雄クラス委員長が最高裁から罷免されたのに抗議し、著者は1年間は弁護士活動を始めませんでした。
著者の母親は、38年間、廃品回収の仕事を続けたとのこと。すごいです。そして、母親のことは、『ばあちゃんのリヤカー』という本になっているそうです。
著者は弱者の人権を守って、国家権力と果敢にたたかう弁護士として生きてきました。
いま、弁護士を志願する学生が減少したようで、私も大変寂しい思いをしています。大企業や大金持ちに奉仕して金もうけに走る弁護士ばかりではなく、人権と社会正義を守って、そこに生き甲斐を見出す若い人をもっともっと育てたいものです。
280頁、2000円の価値ある本です。一人でも多くの法学部生やロースクール生に読んでほしいものです。
(2019年3月刊。2000円+税)

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2019年7月10日

不倫と結婚

人間

(霧山昴)
著者 エスター・ペレル 、 出版  晶文社

私が25歳で弁護士になってまもなく驚いたことが三つありました。その一つが、世の中には不倫(浮気)はありふれた現象、日常茶飯事だということでした。男が浮気するとしても、相手は女性です。日本で妻の浮気が珍しいことでないことは、戦国時代の宣教師たちも観察して本国に報告していますし、江戸時代に書かれた『世事見聞録』にも生々しく描かれています。
不倫は、人と人との関係について、多くを教えてくれる。そもそも何をもって不倫とするかについて、普遍的に一定した定義というものはない。ただ、不倫が増えていることは誰もが認めている。
インターネットが発達した今日では、もはや浮気をするのに自宅を出る必要すらない。
現代の不倫は、2個人のあいだで交わされた契約に対する違反だという考えを基本としている。信頼に対する違反だ。
近年、不倫の新しいカテゴリーとして、「精神的不倫」が出現している。一般にはセックスをふくまない不倫を意味するが、むしろ第三の人物との度をこえた精神的な親密さゆえに、夫婦関係が悪化してしまうような関係をさす。結婚は、もはやかつての結婚ではなく、不倫もまた、かつての不倫ではなくなっている。
つい最近まで、夫婦の貞節と一夫一婦制が愛とはまったく関係ないものだった。それは、血統と世襲財産をはっきりさせるために女性たちに押しつけられた家父長制社会の大黒柱だった。
かつて、人々は結婚して初めてセックスをした。今、人々は結婚して初めて他の人とセックスするのをやめる。
ええっ、これって本当でしょうか・・・。日本でも、そう言えるのでしょうか。
不倫が発覚したあとに解き放たれる感情の嵐は、あまりにも壮絶だ。脅迫性反芻症、過覚醒、無感覚と解離、不可解な逆上、制御不能なパニックなど・・・。
今日の不倫の大多数はデジタル機器経由で発覚する。
私も弁護士として、まったく同感です。私立探偵による素行調査にしてもGPSをつかったり、スマホの調査など、証拠が明白というケースがどんどん増えています。
かつてのようなピンボケの白黒写真で、何がうつっているのかよく分からないのに私立探偵に100万円も支払わされたというパターンは少なくなりました。
夫婦のベッドで、あれほど面倒がっていた妻が、どうして突然、不倫ではいくらセックスしても足りないほど貪欲になれるのか、男たちにはとうてい理解できない。
妻は一刻も早くセックスが終わることを願う。愛人はいつまでも終わらないでほしいと願う。
結婚、家庭として母になることは、多くの女性にとって永遠の夢だ。しかし、そこはまた女性が女であると感じるのをやめる場所でもある。
性欲に関しては、実際には、男女のあいだで言われているほどの差はない。
人間とは、いったいいかなる生きものなのかをじっくり考えさせてくれる本でもあります。
(2019年3月刊。2000円+税)

東京・新宿でフィンランド映画『アンノウン・ソルジャー』をみました。
フィンランドは、1941年にナチス・ドイツと組んでソ連に対して国土回復の戦争を挑んだことがあったのです。まったく知りませんでした。フィンランドが1939年にソ連と戦った「冬戦争」に敗れ、カレリア地方をソ連に占領されたのを取り戻そうとしたのです。ひところはナチス・ドイツがソ連を圧倒していた勢いもあってカレリア地方を回復したのですが、やがてソ連軍に押し戻されてしまいます。この映画は、その前進と後退を最前線の兵士たちを生々しく描くことで見事に再現しています。大量の爆薬をつかった戦闘シーンの迫力は、さすがとうならせるものがあります。
いったい、自分たちは何のために生命を賭けて戦っているのかという問いかけが映画シーンに何度も登場してきます。
そして、本当に戦争とはむごいものだと実感させてくれる映像が続き、最後まで目を離すことができませんでした。
アメリカの言いなりになって、日本の若者を戦争に送り出そうとしている安倍首相の野望にはストップをかけなければいけない。改めてそんな決意をさせてくれる映画でした。

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2019年7月11日

刑事弁護人

司法

(霧山昴)
著者 亀石 倫子・新田 匡央 、 出版  講談社現代新書

GPSは憲法の保障する重要な法益を侵害するものであるから強制捜査である。
任意捜査ではないので、裁判所の令状がなければ許されない。そのため、GPS捜査をしたいのなら、憲法や刑事訴訟法に適合する立法措置が講じられることが望ましい。
画期的な最高裁判決でした。2017年3月15日のことです。その主任弁護人だった亀石倫子(みちこ)弁護士とライターの共作の本です。私は亀石弁護士の講演も聞いたことがありますし、そのレポートも読んでいましたので、この本に書かれていることの多くは知っていましたが、何度よんでも、すばらしい取り組みです。心から拍手を送ります。
著者以外の弁護団のメンバーのキャラクターと能力描写もまた、見事なものです。若手弁護士の英知を結集すると、こんなにも素晴らしいことができるのかと驚嘆します。
この本を読んで初めて知ったのは、先輩弁護士にアドバイスを求め、それを生かしていることです。その一人が刑事弁護であまりにも有名な後藤貞人弁護士です。後藤弁護士も、最高裁で5回ほど弁論したことがあるとはいうものの、大法廷で弁論したことはないといいます。
私も、もちろんありません。一般民事裁判に関して、小法廷で2回だけ口頭弁論しました。それなのに、著者たちは、大法廷で弁論したのですから、それだけでも大変な偉業です。後藤弁護士は「一生に一度の大舞台なんだから、楽しんで」と励ましました。しかし、それだけではありません。
後藤弁護士は「ピチョッとつけたらアカンやろ」と一言いったのでした。この言葉を受けて、弁護団は考えました。GPSを車につけるというのは、警察官が車に張りついているのと同じではないか。GPS捜査とは、警察官による私生活への監視を意味する・・・。
すごいですね。先輩弁護士の一言を見事に理論化したのです。
もう一人は、私もよく知っている園尾隆司弁護士(最高裁元総務局長)です。園尾弁護士のほうが興味をもって大阪の著者たちと面談することになったそうです。
園尾弁護士は、次のようにアドバイスしました。これまた大切なことです。
「結論はもう決まっている。弁論はセレモニーでしかない。だから、開き直って、楽しく、自由にやること」
「言いたいことは三つにしぼる」
「大阪の若手弁護士たちが、何を言うのか、最高裁の裁判官たちはワクワクして待っているので、ぜひ楽しませてやってほしい。そのためには、自分たちの言葉で語ること」
「大切なのは、どう感情を共有するか、だ。ワクワクしながら、楽しんでやれば、裁判官も何かが伝わるはず・・・」
さすがのアドバイスですね。
弁護団は発言の原稿をつくり、猛練習したのですが、これまた、すごいのです。
15人の最高裁の裁判官の顔写真を拡大して部屋の壁に貼り、写真に向かって話す練習を繰り返しました。そして、晴れ舞台のためにスーツを新調し、着慣れするように1週間前から着ました。鏡の前に立って、話すときの姿勢まで入念にチェック。当日弁論しない残る弁護団のメンバーが弁論の口調が速すぎる、声が低い、など、批判して是正していきます。
園尾弁護士は、裁判官の表情について、「スフィンクスのように無表情である訓練をしているので、どんなことにも動揺しないように」とアドバイスしました。まさしく的確なアドバイスです。
弁護団の組み方、弁護団内部の仕事の分担、議論のすすめ方、相互点検など、本当に工夫されています。見習いたいものです。
そして、GPS捜査の実際を実地に体験しているのもすごいです。
刑事弁護のすすめ方について大いに学べる教科書だと思いました。
ご一読を強くおすすめします。
(2019年6月刊。920円+税)

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2019年7月12日

文化大革命五十年

中国


(霧山昴)
著者 楊 継縄 、 出版  岩波書店

私にとって中国の文化大革命とは高校生のころに隣の中国で始まったなんだか変な運動であり、いかにも行き過ぎた出来事でした。ですから、直接体験は何もしていませんが、見逃せない重大事態が隣の中国で起きていると思ってウォッチングを続けてきたのでした。
この本の著者は、私より8歳も年長で、1966年(昭和41年)から67年末まで、清華大学において学生として文革に参加していて、1968年1月からは、新華社の記者として文革を取材しています。ですから、自分の体験と取材を通じて文化大革命とは何だったのかを語る内容には説得力があります。
現代中国当局による官製の文革史は、文革の悪しき結末は、「反革命集団によって利用された」結果だとしている。これは毛沢東に責任を負わせないためのものであって、歴史を歪曲している。
毛沢東が残した二大問題は、経済面での極度の貧困、政治面での極端な専制だった。この二つの問題を解決する方法は経済改革と政治改革である。
今日の中国では、学士、修士、博士の学位を手にしても、自分の社会的地位を高めるのは非常に難しい。
2009年に「蟻族」という言葉があらわれた。「蟻族」とは、大学を卒業したが、低収入のため、雑居生活をしている人々のこと。北京だけでも、少なくとも10万人以上の「蟻族」がいるとみられている。高知能でありながら、自信は弱小で、群れで生活している。「蟻族」の多くは農村出身で、両親と本人が大変な苦労と努力して大学を卒業したのに、依然として社会の下層にいる。
毛沢東は、はじめ半年あるいは1年から3年で文革を終えようと考えていた。
文革は疾風怒涛のごとき、大がかりな大衆運動だった。官製イデオロギーは、中国人の魂のなかにまで浸透し、多くの者がきわめて大きな政治的情熱を抱いて運動に参加した。
文化大革命以前の制度が文化大革命を生み出す根本的な原因だった。
中華人民共和国は、中国の皇帝専制の土壌の上に構築されたソビエト式の権力構造だった。
毛沢東は、中国に特権階級が出来た現実を認めつつも、文化大革命を通じて、この「新しい階級」を転覆させることができると信じていた。しかし、毛沢東としても、文化大革命を発動させることによって生まれた無政府状態を長引かせることはできず、秩序を回して「天下大治」を実現するためには官僚を必要とした。
造反派は毛沢東の左手であり、官僚体制をたたくには彼らが必要だった。官僚集団は毛沢東の右手であり、秩序回復には彼らを必要としていた。
文革は、毛沢東、造反派、官僚集団が織りなしたトライアングルのゲームであり、このゲームの最期の結末では、官僚集団こそが勝者となった。敗者は毛沢東であり、敗者のツケを払わされたのが造反派だった。
文革は、ひとたびは旧制度を破壊したが、その後期に旧制度は完全に復活した。中国人は、文革のために重大な代価を支払った。
文革の失敗は、イデオロギーという大きなビルを崩落させ、中国人は、数十年来の精神的枷(かせ)から抜け出し、荒唐無稽なイデオロギー神話から覚醒した。多くの民衆が共産主義を信じなくなった。
「階級闘争をカナメとする」という残酷な虐殺用の刀は一般庶民を傷つけただけでなく、全官僚集団、とくに鄧小平ら高級幹部を傷つけた。そこで、「経済建設を中心とする」を実行することが、すでに全社会の共通の認識となっている。
文革で打倒された官僚は、造反派への怨みを心に刻み、報復するだけでなく、文革以前にもまさる特権と腐敗をやり始めた。
文革以後の中国は、まぎれもなく権力を得たものが富裕になる世界である。
毛沢東が死んだのは1976年9月9日。もう43年もたちます。今でも、毛沢東の信奉者がいるようです。もっとも同じような現象は、スターリンにも、ヒトラーにすらありますので、世の中は複雑怪奇としか言いようがありません。
本文では文化大革命の日々を具体的に振り返っていますので、なるほど、そうだったのか・・・と思うところが多々ありました。50年前の大学生時代、アメリカのベトナム反戦運動(これは少しずつ広がっている印象でした)、中国の文化大革命の推移(その情報がほとんど入ってきていませんでした)、そしてベトナムでのアメリカへの抵抗戦争(ベトナム人民の不屈の戦いに感動して身が震えていました)に、絶えず目を配っていたものです。
(2019年1月刊。2900円+税)

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2019年7月13日

古代日中関係史

日本史(古代史)

(霧山昴)
著者 河上 麻由子 、 出版  中公新書

熊本県の江田船山(えだふなやま)古墳から出土した太刀(たち)の銘文には、「ワカタケル大王」の名前が刻まれていて、これは5世紀後半の雄略天皇をあらわしている。この銘文に登場するムリテ、イタワ(伊太和)は、大王の側に仕えていた人間であるが、中国の皇帝への上表文を彼らのような倭国人が作成できたはずはなく、それは渡来人が作成していた。儒教的観念をふまえた上表文は、まだ倭国人には無理だった。
仏教は、「公伝」したのではなかった。倭国が百済に求めて導入していた。「公伝」というと、百済が仏教を「伝えてきた」ニュアンスだが、実際は違っている。
仏教に関する理解が東アジアでは知識人・文化人が当然身につけるべき教養となり、しかも中国(梁)との交渉に不可欠な要素となっていたからこそ、倭国は仏教の公的な導入に踏み切った。
かつて「日出処」は、朝日の昇る国、日の出の勢いの国、「日没処」は夕日の沈む国、斜陽の国と理解されていた。しかし、今では、「日出処」、「日没処」は、単に東西を意味する表現にすぎないことが証明されている。
「日本」という語は、7世紀の東アジアでは中国からみた極東を指す一般的な表現にすぎなかった。この「日本」を国号に用いることは、中国を中心とした世界観を受け入れることになる。つまり、「日本」とは、唐(周)を中心とする国際秩序に、極東から参加する国という立場を明示する国号だった。
「日本」は国号の変更を申し出て、それを則天武后が承認した。朝貢国であるからには、国号を勝手に変更することはできない。そのため、中国の皇帝の裁可を仰いだのである。ここに、中華たる唐(周)に朝貢する「日本」という国式が定まる。決して唐への対等とか優越と主張するためではなかった。
日本古代史についても、まだまだ解明されるべきことがたくさんあると実感しました。
(2019年3月刊。880円+税)

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2019年7月14日

陸軍参謀、川上操六

日本史(明治)


(霧山昴)
著者 大澤 博明 、 出版  吉川弘文館

日清戦争において日本軍の作戦を指導した川上操六について書かれた本です。
日清戦争について、この本を読んでいくつも新しい事実認識をすることができました。
中国(清)は日本に負けたわけですが、中国の当局(権力者たち)は、相変わらず日本を小国と馬鹿にしていた。そして、日本が李鴻章と示しあわせて戦争を始めたのであり、中国が連戦連敗だったのも、李がわざと日本軍に負けるように言いふくめていたからで、下関で李が襲撃されたのは、日本とひそかに通じていることを覆い隠すための芝居であり、日本に中国が支払う償金のうち4千万両は李が手にすることになっている。そんな李は「売国の臣」だ・・・。いやはや、世の中を見る目がない人は、どこにでもいるものですね。
日本軍が清軍に勝ったのは清軍が予想以上に弱かったからで、日本軍の強さを証明したものではないという評価が日本軍の内部にあり、ヨーロッパでも同じように考えられていた。
ロシア陸軍は、このころ日本上陸作戦を検討中で、大阪占領を対日作戦の要(かなめ)としていた。
ロシア軍が日本上陸作戦を考えていて、その目標が大阪だったというのに驚きました。1904年の日露戦争は間近だったのですね・・・。
日清戦争において日本軍は旅順で捕虜となった清軍兵士や一般市民まで虐殺しています。これは日本側でとった写真でも明らかな事実です。のちの南京大虐殺事件のミニ版が日清戦争のときに始まっていたのです。ところが、日本軍の蛮行は、清軍が捕虜となった日本軍兵士をなぶり殺したことへの復讐でもあったのです。こうなると、戦争は人間を鬼に変えるという格言のとおりで、残念な歴史の真実です。
日清戦争の末期、日本軍は限界につきあたりはじめていた。武器も幹部も兵士も不足していた。そして兵站(へいたん)線も困難な状況に直面した。そして、日清戦争の末期には、新しく戦場に送り出せる師団も装備もなかった。そのうえ、朝鮮民衆のテロ行為によって軍用電信はしばしば不通となった。
歴史は知らないことだらけです。それが面白いのですが・・・。
(2019年2月刊。1900円+税)

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2019年7月15日

地域に生きる人びと、甲斐国と古代国家

日本史(古代)

(霧山昴)
著者 平川 南 、 出版  吉川弘文館

山梨県立博物館の館長もつとめた著者によって古代史探究の成果が紹介されています。たくさんの写真で、よくイメージがつかめます。
日本は古来からハンコの国と言われますが、この本によると、8世紀、律令制にもとづく本格的な文書行政の整備にともなった、公文書には押印するシステムが確立されました。
公印の規格も決められていて、私印は4.5センチ以下で、公印をこえないこととされていた。この公印は青銅製で、銅、鍚、鉛のほか、ヒ素も含まれていた。
古代印には、わざと空洞が含まれていた。均質な空洞とつくることによって柔軟かつ軽量に仕上げた。これは、現代技術でも出来ない高度な技術だった。
甲斐国の北部に、高句麗からの渡来人を核とした巨摩(こま)郡が設置された。等力(とどろき)郷は、馬の飼育に関わる地名で、これにも渡来人がかかわっている。
買地券(ばいちけん。墓地を買った証文)は、古代中国や朝鮮には、それぞれ神が宿っているという思想にもとづいて、墓地に対し、神の保護を祈る葬祭儀礼として、石、鉛板などに書きつけて墓に納めた。墓の造営に際して、その神より土地を買うという意味で、代価などが記され、墓地を買ったこととともに、墓に対する保護や子孫の繁栄祈願が記されている。
戸籍は、古代国家が民衆支配を行うためのもっとも基本となる公文書。戸籍には一人一人が登録され、人美との氏姓(うじかばね)や身分を確定して、各種の税や兵役を課したり、班田収授を実行するための基本台帳となった。
戸籍は3セットつくられ、国府に1セット、残る2セットは、中央の民部(みんぶ)省と中務(なかつかさ)省に各1セットずつ保存していた。
豊富なカラー写真によって、古代史がぐーんと身近に感じられました。
(2019年5月刊。2500円+税)

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2019年7月16日

養蜂大全

(霧山昴)
著者 松本 文男 、 出版  誠文堂新光社

ミツバチの育て方のすべてが豊富な写真とともに懇切丁寧に紹介されています。まさしく、「大全」です。そして、ミツバチを育てるのに何より必要なのはミツバチへの愛情だと強調されていますが、その愛情あふれる記述に、読んでいて心が和みます。
主としてセイヨウミツバチの飼育ですが、ニホンミツバチについても飼育上の注意が書かれていて、蜜源植物まで網羅されています。読むだけでも楽しいミツバチ百科全書です。
春の1頭(1匹とは呼びません)のハチは、10頭も20頭ものハチの世話をする。常に、1頭たりともハチの命を無駄にしてはいけないという気持ちが大切だ。
巣箱は、日当たりのよい南向きか東向きの平地がベスト。北風を受ける場所は避ける。北風が巣を冷やし、巣に戻ってくるハチが向かい風にさからうのは大変だから・・・。
湿地も避ける。カエルやムカデがいて、病気が発生しやすいから。
堆肥は積んである畑から3キロ以上離れる。密に臭いが混じることがある。ハチは静かな環境を好むので、車の往来が多く、振動があるところも避ける。
ハチは冷たい水を飲むと弱ってしまうので、秋からヒーターを入れて、日なた水の水温を保つ。
ハチを飼うなら、血筋を重視すべき。おとなしい気質、分蜂しにくい、病気に強く越冬力がある、分蜂しにくい・・・。
ハチを育てるなら、養蜂振興法にもとづく飼育届を県知事に提出する。
ハチは、そんなに人を刺さない。ハチの機嫌が悪くなるようなことをしなければ、不意に刺されることは少ない。ハチの針はメスの産卵管が変化したもの。だから、オスには針がない。
刺すのはメスの働きバチと女王バチだけ。そして、女王バチが刺すのは、ライバルの女王バチと戦うときだけ。だから、人を刺すのは、働きバチだけ。
ミツバチは、針を失うと、やがて死ぬ。刺すというのは、まさに命と引き換えの行為。
ハチが機嫌を損ねるのは、採蜜の翌日、そして悪天候の日。ハチが耳元で羽音を立てて威嚇行動をしているときは、騒いだり、手ではらったりせず、落ち着いて静かにその場を去る。
ハチの針を抜くときは、指でピンとはじいて、患部から落とす。指でつまんで抜くと、針の「かえし」によって、よけいに肌の奥に毒を入れてしまう。
スズメバチは虫取り網で捕まえるのが、もっとも確実。失敗せず1回で捕まえる。失敗すると、人を攻撃してくることがある。
ミツバチの行動(飛行)半径は2~4キロほど。1日に10回以上も繰り返して、蜜や花粉を集め続ける。小さじ一杯のはちみつを集めるには、働きバチ1頭が5日間稼働し、レンゲなら1万4千もの花を回る必要がある。
女王の寿命は3年から4年。2年目以降は産卵能力が低下するので、養蜂では1~2年で更新するのが一般的。
ミツバチは夏場は30日ほどの寿命。秋生まれだと冬を越し、4~5ヶ月働き続ける。
一般に40日ほどが働きバチの生涯。
実際には大変で、私なんかに出来るとは思えませんが、ミツバチを飼って育てるというのも楽しいだろうなと思わせてくれる写真たっぷりの大全でした。
(2019年4月刊。3000円+税)

朝、車庫のコンクリート床に干からびたモグラを発見しました。なぜか、ときどき死んだモグラを地上に見かけます。
 ヘビに追われて地上に出てきたのでしょうか。わが家の庭にはモグラもヘビもいることは間違いありません。
 いま、庭にネムの木がたくさん赤っぽいピンクの小さな花を咲かせていて、そこだけ華やかです。
 今年は梅雨入りが遅かったせいか、セミの鳴くのも例外よりかなり遅く、心配していました。炎暑の夏が再びやって来そうで、今から心配しています。

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2019年7月17日

すべては救済のために

アフリカ

(霧山昴)
著者 デニ・ムクウェゲ 、 出版  あすなろ書房

ノーベル平和賞を受賞したアフリカ(コンゴ民主共和国)の医師が自分の半生を語った本です。
女性へのむごい性暴力の実際、著者自身が何度も九死に一生を得て助かった話など、読みすすめるのが辛くなる本ですが、なんとか最後まで読み通しました。
コンゴの女性虐待はすさまじいものがあります。
レイプは始まりにすぎない。その後に暴力行為が続く。膣に銃剣を突き入れる。棒にビニールを被せ、熱で溶かしてから挿入する。下腹部に腐食性の酸を注ぐ。性器内に銃身を差し入れて撃つ。目的は、殺すのではなく、徹底的に傷つけること。その結果、被害女性の多くは糞尿を垂れ流す状態となる。
汚物にまみれて悪臭を放ち、日常の仕事をこなすのにも苦労する。性の営みをもつなど問題外。子どもは産めない。夫からは穢(けが)れ者とみなされる。無理やり犯された事実など関係ない。社会から締め出されてしまう。
コンゴでは、性暴力自体が最大の武器となっている。なぜか・・・。
村を制圧しようとするとき、最初に標的となるのは女性だ。社会全体での女性の地位は低くても、家の仕事をほとんどこなしている女性は、家庭では重要な地位を占めている。女性に暴力を振るうことは、必然的にその家族を傷めつけているのと同じこと。
働き者で責任感の強いコンゴの女性は、家族がつつがなく暮らしていけるよう毎日、心を砕いている。そんな女性を襲うことは、家族全体を攻撃し、その安全を損なう行為でもある。同時に、夫を深く傷つける方法でもある。多くの男性にとって、凌辱された妻と暮らすことほど屈辱的なことはない。
村々を破壊し、蹂躙するのに戦車や爆撃機は必要ない。女性をレイプするだけでよいのだ・・・。
ムクウェゲ医師の活動を紹介しているドキュメンタリー映画『女を修理する男』(2015年、ベルギー)がDVDになっているそうです。みなくてはいけませんね・・・。
生命の危険にさらされながら奮闘しているムクウェゲ医師の活躍に頭が下がります。
それにしても、長く独裁者として君臨していたモブツ大統領が中国の毛沢東個人崇拝をとり入れていた、というのには驚きました。そして、この独裁者の統治方式を他のアフリカ諸国の独裁者がとり入れて広がったといいます。恐ろしいことです。
コンゴでは豊富な地下資源があり、それを狙って各勢力が争っているようです。ケータイ(スマホ)の重要な部分もコンゴのレアメタルのおかげのようです。大虐殺のあったルワンダは、今では平和で落ち着いているとのこと。コンゴも早く安定した社会になってほしいものです。そのためには武器に頼らない平和的な取り組みをすすめるしかないと思います・・・。
アフリカの実際を知るために欠かせない本だと思いました。
(2019年6月刊。1600円+税)

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2019年7月18日

沈黙する教室

ドイツ

(霧山昴)
著者 ディートリッヒ・ガルスカ 、 出版  アルファベータブックス

冷戦下の東ドイツの高校で起きた「事件」です。その高校の進学クラス全員が反革命分子とみなされて退学処分になってしまいます。
高校生たちは何をしたというのか、なぜクラス全員が退学処分になったのか、そして、高校に行けなくなった若者たちはどうしたのか、彼らは40年後の同窓会で何を語りあったのか・・・。先日、天神の映画館でみた映画『僕たちは希望という名の列車に乗った』の原作本です。
ときは1956年(昭和31年)11月1日に起きました。ハンガリー「動乱」が起きたことをラジオ放送(RIAS。アメリカ占領地区放送)で知った高校生たちが、連帯の意思表示として授業中に5分間の黙祷を捧げたのです。「事件」は、たったそれだけのことでした。ところが、それが反革命の行動として国民教育省大臣が高校に乗り込んでくるほどの「大事件」になったのです。
高校生たちがしたことは、歴史の授業の時間に、午前10時から10時5分までの5分間だけ、何も言わない、何も答えない、何も聞かない、それを黙祷として実行した。ただ、それだけのこと。黙祷はもう1回やられたが、それは、授業中ではなかった。
映画では、西側のラジオは、森(沼)のはずれにあるいかにも変人のおじさん宅に集まってこっそり聞いていたことになっていますが、この本によると実際には、各家庭で日常的に西側のラジオ放送が聴かれていたようです。
東ドイツの国家権力は、ハンガリー動乱について高校生たちが連帯の意思表示として黙祷したことを許すわけにはいきませんでした。ところが、高校の校長ほか、高校生たちを追いつめるのはよくないという考えの人たちも少なくなかったようです。それでも結局、この高校生たちは全員が大学受験資格を喪うことになり、その大半は西ベルリンへ逃亡するのです。
1956年当時はまだベルリンの壁も出来ていなくて、年に15万人も西側へ逃亡する人がいました。高校生たちも、その大半が西側へ逃亡した(できた)のです。
事件の前は、誰も権力に立ち向かう力や勇気をもちあわせていなかった。しかし、黙祷がこれを変えた。突然、強くなった。あの永遠に続くようにも思われた黙祷を捧げているあいだ、クラスの全員が堪え切って行動が成功しますように・・・とずっと祈っていた。
このクラス20人のうち15人が西側へ脱出した。そして、東ドイツは、5年か10年しかもたないと思われていたが、なんと、その後33年も続いた。
映画で心を揺さぶられるシーンは、誰が主導したのか、首謀者なのか、クラス全員が最後までがんばって黙秘し続けているところです。仲間を裏切らない、裏切りたくないという高校生たちの揺れ動く心境が、当局の圧力との対比でよく描かれていました。
映画をみて、この本を読んで、当時の人々の置かれた苦しい状況をよくよく理解することができました。
(2019年6月刊。2500円+税)

6月に受けたフランス語検定試験(1級)の結果を知らせるハガキを受けとりました。もちろん不合格だったのですが、なんと得点は55点(150点満点)しかなく、4割に届いていませんでした(合格点は93点)。実は自己採点では63点だったのです。仏作文が予想以上にひどかったということになります。それでもめげず、くじけず毎朝のNHK、車中のCD、毎週の日仏会館通いを続けています。ボケ防止に語学は何よりです。

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2019年7月19日

黒いカネを貪(むさぼ)る面々

社会

(霧山昴)
著者 一ノ宮 美成 、 出版  さくら舎

私も弁護士の一人として、ときに社会のドス黒い裏面の一端に接することがあります(といっても、ほんの少しだけで、全貌はとても見えてきません)が、この本を読むと、世の中には、ドス黒いお金が、何億円という大金のレベルで黒社会を漂流していることを感じさせます。まったく嫌になります。
最近、法科大学院で教えている大学教員の話を聞く機会がありました。以前は、社会的弱者のために何か役に立つ弁護士になりたいという学生がいたけれど、今では稼げる弁護士になりたいとか、大きなローファームに入って大企業の力になりたいという学生ばかりになっている・・・、とのことでした。残念です。とんでもない自己責任論が横行して、お金がない者は切り捨てられて当然だという社会風潮が強まるなかで、頼れるものはカネ、おカネを稼ぐしかないという拝金主義の発想に少なくない学生がとらわれているようです。本当に残念です。
福岡で起きた金塊160キロの強奪事件は、私も目を見張りました。7億6千万円もの金塊が白昼、博多駅前のビル正面で警察官を装った男たちから強奪されたのでした(2016年7月)。
2017年4月には、福岡空港から、現金7億3500万円を香港に持ち出そうとした韓国人4人が逮捕されました。この日は、天神で2億円近い現金の強奪事件が起きていましたから、その関係かと思っていると、無関係だったとのこと。
金地金の密輸が2017年には、6トン、280億円も税関によって摘発されているそうです。今の世のなかでは、とんでもない金額の現金や金塊が人知れず動いているようで、恐ろしいばかりです。
ヤミ金については、ビジネスとしてのヤミ金はすたれていて、素人のような個人のやる「見えない貧困ビジネス」になっているとのことです。フツーの市民がサイドビジネスとしてヤミ金融をやっているのだそうです。これもネット社会の怖さでしょうか。
積水ハウスが地面師グループから63億円も騙しとられた裏話も紹介されています。
要するに、土地所有者になりすます人間を用意し、本人確認のために必要なパスポートや運転免許証などを精巧に偽造するグループが存在するのです。弁護士も巻き込まれていて、その騙しに一役買ったりしています。それが金に困っての犯行であれば当然に責任をとってもらわなければいけませんが、騙しを見破れなかったとしたら哀れです。
まったく楽しくなく暗い気持ちになるばかりの本なのですが、ときに現代日本社会の現実を知るために必要な本だと思って速やかに読了しました。
(2019年10月刊。1600円+税)

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2019年7月20日

壱人両名

江戸


(霧山昴)
著者 尾脇 秀和 、 出版  NHKブックス

江戸時代について書かれた本は、それなりに読んだつもりなのですが、この本を読んで、まだまだ知らないことがこんなにあるのかと驚嘆しました。
1人が2つの名前をもっている。そして、武士としての名前と町人としての名前をそれぞれもっている。また、公家と町人、武士と百姓など、さまざま。
これは、当時の社会ルールにしたがって生きていくうえで必要な仕組みだった。ただし、それが公認されていたわけではなく、何か事件が起きると、1人が2つの名前をもっていることが問題視された。
たとえば、2つの名前をもっていると、裁判のとき砂利の上に座るのか、板張りに座るのかといった扱いの違いがあった。
公家(くげ)の正親町(おおぎまち)三条家に仕える大島数馬と京都近郊の村に住む百姓の利左衛門。二人は名前も身分も違うが、実は同一人物。この人物は大小二本の刀を腰に帯びる「帯刀」した姿の公家侍(くげざむらい)「大島数馬」であると同時に、村では野良着を着て農作業に従事する百姓「利左衛門」でもあった。一人の人間が、あるときは武士、あるときは百姓という、二つの身分と名前を使い分けていた。
これを、江戸時代に、「壱人両名」(いちにんりょうめい)と呼んだ。
江戸時代は、人の名前は、出世魚のように改名するのが普通だった。ただし、それは、同時にいくつもの名前をもっているということではない。つまり、江戸時代の人間も「名前」は一つしかない。公的に使用できるのは、人別などを通じて「支配」に把握された「名前」だけ。
この一人に一つしかないはずの「名前」を同時に二つ持つ者を「壱人両名」と呼んだ。
江戸時代には、僧侶には僧侶の、武士には武士の、商人(あきんど)には商人の、それぞれの身分にふさわしい名前と姿(外聞)があり、それは身分や職業を、およそを他者に知らせる役割も担っていた。
「壱人両名」は、村や名跡と化した名前や身分を、縦割りである各「支配」との関係を損ねることのないよう、維持・調整できる合理的な方法として、平然と行われていた。ただし、それは声高に奨励されてはならないものだった。
武士身分をもったまま、「町人別」まで保持して町人身分になっている者は少なくなかった。壱人両名は、ごくありふれたことだった。しかし、何かでそれが発覚すると、「所払い」などの処罰が加えられた。つまり、壱人両名は、江戸時代の社会秩序の大前提、とくに縦割りである各「支配」との関係から、表面上うまく処理するために行われていたのであって、その状態が他人を騙したり、村や町を苦しめたりしない限り、表沙汰にされることはなかった。
うひゃあ、知りませんでした・・・。
(2019年4月刊。1500円+税)

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2019年7月21日

日本人の起源

人間

(霧山昴)
著者 中橋 孝博 、 出版  講談社学術文庫

アイヌは永らくコーカソイドの一員とみなされていた。しかし、最近の研究によると、アイヌとコーカソイドとの間には目立った近縁性はなく、それよりは本州以南の日本人をはじめとするアジア諸集団により近い関係にあることが明らかとなっている。今や、アイヌをモンドロイドの一員と位置づける見解がほぼ定着している。
そして、アイヌと琉球人の類似性が注目されている。
中世や近世の日本人はその身長がもっとも低くなり、全身が脆弱化していた。ところが、その後、日本人は都市部を中心として再び、高身長、高顔そして強い短頭へと変化した。
今では、顎が細くて手足の長い華奢(きゃしゃ)な、でなければ肥満体の若者が増える傾向にある。
縄文人は、相当な大頭だった。歯の磨り減りかたが激しく、顎のエラが張り出していた。これは、縄文人が現代人に比べて、はるかに物をかむことが多く、その力も強かったことを示している。
やわらかいものばかりを食べていると、アゴのかむ力が必要ないので、アゴは細く、キャシャになってしまう。
縄文前期の日本列島の全人口は2万人。それが、26万人あまりとなったが、近畿以西には1万人も居住していなくて、大半は東日本に集中していた。
ええっ、うそでしょ。日本の文明発祥の地である九州(と、私は固く信じています)にごくわずかな日本人しかいなかっただなんて・・・、信じられませんよね。
縄文社会では、東日本が圧倒的な優位性があった。なぜ、なんでしょうか・・・。それは、食物の豊富さの違いによるという仮説が立てられています。
日本人は、いったいどこから日本列島にやって来て、定着したのか、調べれば調べるほど、複雑怪奇になっていき、関心が深まりました。
(2019年1月刊。1280円+税)

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2019年7月22日

庭とエスキース

人間


(霧山昴)
著者 奥山 淳志 、 出版  みすず書房

不思議な本です。エスキースって、下絵ということのようですが、私は知りませんでした。文章だけだと雰囲気がよく分かりません。初めと途中にカラー写真があって、なるほどと思うのです。
若い写真家が北海道で時給自足の生活を送っている老画家の丸太小屋に通って写真を撮り、話を聞いていったものが細やかに描写されています。
弁造さんが住んでいるのは北海道は石狩の先の新十津川という小さな町の外れ。
弁造さんは手づくりの丸太小屋に一人で生活しているのです。
丸太小屋は全体で10畳ほど。たった1部屋しかない。食事をつくるための流しと食事スペース、冷蔵庫、トイレとお風呂、クローゼット、ベッド、そして薪(まき)ストーブ。暮らしていくうえで必要なすべてがそろっている。このほかに、絵を描くためのイーゼルもある。
弁造さんは92歳で2012年4月に亡くなった。その2年前まで冬は薪で過ごしていた。そして、薪はきちんと長さをそろえ、風通しのよい薪小屋で保存されていた。
この本を読みながら、アメリカのソローという森の隠者の暮らしを想像していました。
森の中に1人で住むというのは本で、読むかぎりは詩情あふれて格好いいのですが、現実の生活を考えると、そんな単純なものではありません。自然にはたくさんの虫がいて、ときに刺されたりして、はれあがり、また、かゆくなります。
そして、ギックリ腰になったり、ヘルニアが出現して歩けなくなることもあるのです。年齢(とし)をとった人間の生活というのは、若いときのようには思うようにはなりません。
そして、何より問題なのは食生活。時給自足といっても、野菜だけでなく、肉や魚を食べたいときにどうしますか・・・。
そして、さらに大切なことは人間様との会話です。話し相手がいなくて、心の平静をずっと保てるのでしょうか・・・。
ひとり丸太小屋に生活するということの意味を考えると、いったい人間らしい生活とは何なのだろうか・・・と考えさせてくれる本でした。
見事な写真があって弁造さんのイメージもつかめることで、救いのある本でした。
たまには、こんな不思議な本を読んでみるのも、憂き世(浮き世)離れしていいかもしれないと思ったことでした。284頁もあり、値段も少し高いので、図書館で借りて読んでみてください。
(2019年4月刊。3200円+税)

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2019年7月23日

消費者教育学の地平

社会


(霧山昴)
著者 西村 隆男ほか 、 出版  慶應義塾大学出版会

これまで長年にわたって消費者教育の研究や実践にかかわってきた著者の到達点を集成した本です。著者は高校教育の現場に15年いたあと、大学教育の現場で25年間つとめています。私も監事として関わっている熊本の「お金の学校」にも、著者は創立以来、深く関与しています。
消費者教育推進法が議員立法として提案され、2012年8月に成立し、12月から施行されていますが、著者はこの立法過程にも深く関わりました。
この推進法では、消費者教育の推進を国の責任によって行うと明示されています。地方の消費者教育、消費者センターは、予算、人員ともに削減されてきたという現実がありますが、国はもっと予算措置を講じるべきです。有害無益なイージス・アショアやF35につかうお金の、ほんの一部をこちらにまわせばいいのです。
ところが、現実には、例の「なんでも自己責任論」という風潮が強まるなかで、消費者責任論、買い手注意論が今もってはばをきかしています。本当に残念です。
消費者教育は、もちろん子どもを対象とする学校教育だけでなく、社会人への生涯教育です。それにしても、インターネットの発達のなかで子どもたちは、いかにも保護されていない存在になっています。
子どもは不完全な判断能力をもつ消費弱者であるにもかかわらず、保護されていない存在となっている。子どもをターゲットとして発達した音楽、ファッション、ゲーム、漫画、アニメに関する情報はインターネットによって瞬時に提供されている。
子どもは、自らの生活を主体的に運営する能力を身につける前に、経済活動に参加する消費者となる。生きるための消費よりも先に、娯楽としての消費に直面する。その傾向をインターネットが加速させた。
金額によって勝敗が決まる、結果や見た目がすぐに反映され、相手に伝わるサービスとの接触が、お金を過剰に重視する拝金主義的な価値観の形成につながっているのではないか・・・。拝金主義的で、自分自身の生活や意思決定をかえりみる余裕のない子どもたちに消費者として現代のサービスにいかに関わるのかを考えさせる機会を与える必要がある。
クレサラ多重債務者に長らく関わってきた者として、「家計管理支援論」(石橋愛架・鹿児島大学准教授)に注目しました。最近、自己破産申立がじんわり増加傾向にあります。かつてのようなサラ金会社の過剰貸し付けは激減していますが、その穴を埋めるように銀行が貸し付けをすすめていますし、生活基盤がいかにも危ない人々が増えるなか、自らの家計状況や感情をコントロールできない人々が増え、結局高リスク、高コストの借入れに頼るというパターンだと分析されています。大いに説得力のある分析だと思いました。
350頁もの貴重な労作です。著者より贈呈されましたので、私の理解できた限りで紹介させていただきました。少々高価な本ではありますので、全国の図書館にせめて一冊は備えてほしい本だと思います。
(2017年3月刊。4500円+税)

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2019年7月24日

東大闘争と原発事故

社会


(霧山昴)
著者 折原 浩、熊本 一規、三宅 弘ほか 、 出版  緑風出版

著者の一人である折原浩助教授(当時)は東大闘争において全共闘支持を公然と表明した数少ない教官の一人です。私もその授業を受けたようには思うのですが、記憶が定かではありません。城塚登教授だったかもしれませんが、マックス・ウェーバーの『プロテスタントの倫理・・・』の授業を受けて、大学ってこんなに深く物事をつき詰めて考えるところなんだな・・・と衝撃を受けたことは今でもよく覚えています。
でも、東大解体を叫び、民青のインテリゲンチャ論を鼻先でせせら笑っていた全共闘の論理に賛同しながら、東大助教授であることをやめないことには、当時も今も理解できなかったし、できません。
全共闘の活動家とシンパ層の多くは東大解体、自己否定を叫びながらも、東大卒として社会に出て行きました。私の知る限り、ごく一部の人が東大を中退したくらいです。
折原浩は、本書においても「実力行使」という言葉しか使っていませんが、東大全共闘は、暴力を賛美し、バリケード封鎖を狙って行動していました。それは暴力支配でしたし、バリケードの先にいる「敵」は「殺せ」と叫んでいたのです。今でも折原浩はそれを認めていないようなのが、残念です。
そして、1969年3月の「授業再開」闘争を非難しています。このころ、多くの(大半の)学生が授業再開を待ち望んでいました。もう暴力の日々にはうんざりしていたのです。大教室でもいい、ゼミ室でもいい、実験室でもいいから授業を受けたい、議論したい、学問の精髄に触れたいと学生が望んだことのどこが悪いというのでしょうか・・・。
全共闘シンパ層も、再開された授業には、なだれを打つように参加し、すぐに授業は軌道に乗りました。それまでつなぎでやられていた自主ゼミは、たちまち雲散霧消してしまいました。
この本には、「日共・民青系の暴力部隊導入(1968年11月12日夜半)という表現が出てきます。あたかも「日共・民青系」が外部から外人部隊(暴力部隊)を導入したため、東大闘争で全共闘が敗退したかのような表現です。しかし、宮崎学の『突破者』に登場してくる「あかつき戦闘隊」というのはたしかに存在していましたが、実際にはきわめて限られた役割しか果たしていないのを針小棒大に誇大宣伝しているだけのことです。実際には、全共闘の暴力に対して多くの東大生が反対して立ち上がり、身をもって全共闘の反対を乗りこえて東大当局と確認書を締結して、学内を正常化し、授業が再開されたのです。
東大闘争を全面的に語るためには、「暴力」(ゲバルト)の行使をどう考えるのか、という考察を抜きにしてはいけないと最近あらためて私は痛感しています。もちろん、暴力賛美ではなく、暴力否定の立場からの反省と総括が必要だという意味です。
それにしても、3.11原発事故のときに果たした東大の原子力学者たちの哀れさは、見るも無残でした。ところが、問題は、当の本人たちがそのような自覚と反省が今もないということです。私は、この点も本当に残念です。
この本は、情報公開分野で第一人者である三宅弘弁護士から贈呈されたものです。三宅弁護士の日頃の活動には大いに敬意を表しているのですが、単なる一学生として東大闘争にかかわった者として、率直に意見を申し述べました。
(2013年8月刊。2500円+税)

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2019年7月25日

調査・朝鮮人強制労働・炭鉱編

日本史(戦前)

(霧山昴)
著者 竹内 康人 、 出版  社会評論社

戦前・戦中に朝鮮人を日本へ強制連行し、炭鉱などで働かせて酷使・奴隷労働させていた史実を丹念に発掘した貴重な資料集です。今回の第1巻は炭鉱編です。
表紙にポスターの絵があります。「飛行機も軍艦も弾丸も、石炭からだ!たのむぞ石炭」とあります。まさしく炭鉱は日本の戦争を地底から支えたのです。
日本に労務のために強制連行された朝鮮人は70万人。そのうち炭鉱で33万人が働かされた。筑豊には、その半分の15万人が連行された。北海道は、石狩を中心に10万人。佐賀と長崎にも4万人、そして宇部にも1万人。
大牟田には朝鮮人が1万人以上も連行されてきた。三池炭鉱だけでなく、三池精練所、三池染料、電気化学工業、三池港湾など。
三池炭鉱では、日本人が1万5000人、朝鮮人が3900人、中国人640人、連合軍俘虜922人。中国人は総数2500人、俘虜は総数1700人だった。
三池染料の1945年3月の朝鮮人連行者135人の名簿が残っている。16歳から21歳の84人の朝鮮人が三池染料の職場に配置された。21歳の団長とされた朝鮮人のほかは、日本語が話せなかった。彼らは仕事着のみで、着換えはもたなかった。
徴用にいった労務係長からは、憲兵とともに朝鮮に行き、役に立ちそうな者を手当たり次第トラックに載せて連れてきた。徴用というより、人さらいだったと話した。
この労務係長というのは、私の亡父のことと思われます。生前、朝鮮に行って500人ほどの朝鮮人を列車で日本に連れてきたと語ってくれました。ところが、工場では炭鉱と違って、単純労務作業ではありませんので、日本語も読めないような労力のない人では役に立たず、1回きりだったと言っていました。
三池染料は平原町に朝鮮人収容所があったとのこと。職場のすぐ近くです。
炭鉱には市内各所に朝鮮人用の収容所があった。そのなかの一つ、馬渡町の5棟の収容所の一つには、朝鮮人による落書が残っていた。田舎に帰りたいという悲痛な叫びが描かれていた。
筑豊にあった麻生系の炭鉱では連行されてきた朝鮮人労働者を奴隷のように酷使し、虐待していた。そのひどい仕打ちに対して、朝鮮人労働者たちはたびたびストライキを起こすなどして反抗したのです。
ところが、麻生太郎は、今もって、朝鮮人労働者を虐待した事実を認めようとしません。まったく反省することなく、開き直っています。
貴重な資料集です。これをつくりあげた著者に対して心から敬意を表します。
(2013年8月刊。2800円+税)

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2019年7月26日

奴隷労働、ベトナム人技能実習生の実態

社会

(霧山昴)
著者 巣内 尚子 、 出版  花伝社

私の身近な人が2人、ベトナム人技能実習生にかかわっています。1人は、土木建設業の社長で、何年も前からベトナム人を10人ほど雇っています。ベトナム人は頭がいいし、よく働くので、とても助かっていると言って、ベタ褒めです。会社の寮に入っていて、月10万円はベトナムの家族に仕送りしているといいます。
もう一人は、ベトナム人技能実習生の受け入れ機構を主宰しています。こちらはまだ始めてから日が浅いようですが、ベトナムに頻繁に通っています。
この本はベトナム語の出来る著者がベトナムと日本で技能実習生に直接あたって話を聞いたことをもとにしています。また、もと技能実習生として働いていたベトナム人が送り出す側で働いているのに取材もしています。
ベトナムから日本へ働きに来る人たちは、平均して100万円以上を負担(借金)している。
技能実習生の資格で日本にいる外国人は28万5千人をこえ、やがて30万人になろうとしている。中国出身者が減った分をベトナム人6万7千人が埋めている。
ベトナムは、「労働力輸出」と呼んで、日本への出稼ぎを奨励している。ベトナムにある労働輸出会社はあくまでも営利目的のビジネスをする会社の組織だ。ところが、技能実習生は3年で本国へ帰国するのが原則。なので、日本人は技術をまともに教えたがらない。
ベトナム人技能実習生が40平方メートルの室内に6人が暮らしていて、1人あたり月2万円を「家賃」として支払わされている。すると、日本に来る前には好印象だったのが、来てみたら悪印象のまま帰国するベトナム人が37%もいる。大変残念な現実です。
ベトナムの経済は海外から送金される巨額のお金が下支えしている。推定で123億米ドル(2015年)だ。
ベトナムで働くと月2万5千円ほどの収入。ところが、日本だと10万円は軽くこえる。しかし、日本側の監理団体があり、技能実習生1人あたり月に3~5万円を徴収している。
日本にいるベトナム人技能実習生が残業すると、時給400円の計算というのが多いとのこと。なんということでしょう。まったく違法です。
そして、職場では上司や同僚から「ベトナムへ帰れ」と怒鳴られたり(パワハラ)、お尻をさわられたり(セクハラ)という被害もあっているのです。
ベトナム人実習生の「逃走」が目立つ。ベトナム人は中国人の1500人に次いで多く、1000人をこえる(2015年)。
海外からの技能実習生を安くこきつかうのが許されている限り、日本人の労働条件が向上するはずもありません。ベトナム人技能実習生の実態を刻明にレポートしていて、大変勉強になりました。
(2019年5月刊。2000円+税)

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2019年7月27日

「若き医師たちのベトナム戦争とその後」

ベトナム

(霧山昴)
著者 黒田 学 、 出版  クリエイツかもがわ

私は大学生のころ、「アメリカのベトナム侵略戦争に反対!」と何度も叫んだものです。それは学内だけでなく、東京・銀座で通り一面を占拠してすすむ夜のフランスデモのときにも、でした。ですから、私の書庫をベトナム戦争に関する本が200冊以上、今も4段を埋めています。
そのなかでも超おすすめの本は『トゥイーの日記』(経済界、2008年)です。
ハノイ医科大学を卒業して女性医師として志願して従軍し、1970年に南ベトナムで戦死したダン・トゥイー・チャムの日記を本にしたものです。戦死した彼女の遺体のそばから偶然に拾われ、アメリカに渡って英語に翻訳されたという本です。思い出すだけでも泣けてくるほどの率直な若き女医の日誌です。
この本には、トゥイーと同級生のチュン医師の回想記も紹介されています。
この当時の医学生たちは、こぞって戦地への赴任を希望し、その多くがトゥイーのように戦死したのでした。そんな人々が今のベトナムの繁栄を支えているのですよね・・・。
ベトナム戦争の後遺症であるベトちゃんドクちゃんという結合双生児分離手術に至る話も紹介されています。この分離手術は無事に成功し、ベトちゃんは分離手術後、植物状態のまま20年で亡くなったものの、ドクちゃん、38歳は結婚して2人の子ども(名前は富士と桜)がいます。日本もこの分離手術には深く関わっていて、手術の成功は、ベトナムと日本の保健医療分野の前進の成果だと評価されているのです。なにしろ、手術は15時間以上も続いたといいます。そして、テレビで生中継されたのでした。
『トゥイーの日記』を読んでいない人は、ぜひ手にとって読んでみてください。今を生きる勇気がモリモリ湧いてくる本ですよ。
(2019年6月刊。1500円+税)

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2019年7月28日

地下道の少女

スウェーデン

(霧山昴)
著者 アンデシュ・ルースルンドほか 、 出版  ハヤカワ文庫

スウェーデンの首都、ストックホルムに起きた話です。
寒々とした光景が展開します。町の中心部にある広場の地下トンネルに住みついている人間が50人ほどもいるという状況を前提として進行していきます。それはホームレスの人々です。そのなかには未成年の少女もいました。
さまざまな年齢の女性たち11人が広場下の地下トンネルで共同生活していた。
ルーマニア人の子どもが43人もストックホルムの中心部でバスを降ろされたこと、本人たちはスコットランドに来たと思っていたこと、それらは本当の出来事。それを小説にしたのが本書。
そして、生きのびるために、自分の体を売るスウェーデン人の少女や女性が増えていることも真実だと著者は強調しています。
2018年のストックホルム市の調査によると、ホームレスが2500人近くいて、その3分の1は女性。女性の割合は増加傾向にある。ホームレスの55%が薬物依存症で、45%の人には精神障害がある。
ストックホルムにストリート・チルドレンがいるなんていうのも驚きでしたし、東欧からの移民流入のもたらす問題にも目を開かされました。
異色のミステリー小説として読みふけったので、紹介します。
(2019年2月刊。1160円+税)

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2019年7月29日

奇跡の会社

アメリカ

(霧山昴)
著者 クリステン・ハディード 、 出版  ダイヤモンド社

アメリカはフロリダ州のある清掃サービス会社の若き女性社長が苦闘の日々を語っています。
会社を起こした女性社長はフロリダ大学の学生。仕事は寮や個人住宅の清掃サービス。社員は、すべて大学生。しかも、一定以上の成績を保持していることが条件。低賃金なのに、離職率は一般だと75%なのに、この会社はとても低い。
どうして、そんなことが可能になったのか・・・。成功談というより、失敗談を語ることによって、会社を運営することの意義と手法が明らかにされていきます。
なぜ社員は大学生に限るのか、しかも、一定以上の成績上位者だけを求めるのか・・・。
ど素人といってよいレベルの大学生が、清掃業界という、あまりうま味のない業界で、知恵もカネも後ろ盾もなく、行きあたりばったりで起業、そこからもがいてはい上がり、キラリと輝く会社をつくっていったのでした。
起業したてのこと。アパート数百室の清掃を請け負い、大学生60人が清掃にとりかかった。ところが、始まって数時間、そのうち45人が集まって、こんな仕事はしたくないので、会社をやめると言い出した・・・。当然、女性社長はパニックになります。いったい、どうしたら請負った契約目的を達成できるのか・・・。
この大学生たちはミレ二アル世代。下積みに興味はなく、すぐにトップに駆け上がれると考えている。顔を見て話そうとせず、小説のように長いメールを送る。批判されるとすねるから、上司は慎重に言葉を選ばなければならない。自分がインパクトを与えていると感じられない仕事はさっさと辞めるくせに、どういうインパクトを与えたいのか、具体的に説明できない。
清掃会社の粗利率は15%でしかない。しかし、人を信じて大きな責任を託し、失敗する余地を残しておき、自分のミスは自分で取り戻す機会を与えれば、彼らはそこから学ぶ。
子どもが可愛いあまりに過干渉になるヘリコプターペアレンツの努力は逆効果になる。親があれこれ世話を焼いた結果、間違えることを恐れて自分で決断できない若者が育ってしまう。親が子どものためと思って何でもしてやることは、図らずも子どもに自信をつける機会を奪い、リーダーシップを身につける機会を奪っている。
新人研修では、掃除のしかたよりも、問題解決のアプローチを教えることを重視するようにした。すると、学生たちは自分で判断を下せるようになった。リーダーは、部下が問題を解決しようと苦悩する姿を見守る一方で、介入して代わりに解決するタイミングを見きわめる必要がある。そのバランスをとるため、自分が失敗をどこまで許容できるのか、知っておく必要がある。
成績のいい大学生から成る清掃サービス会社という発想がすばらしいです。
(2019年2月刊。1600円+税)

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2019年7月30日

ネオナチの少女

ドイツ

(霧山昴)
著者 ハイディ・べネケン・シュタイン 、 出版  筑摩書房

18歳までナチと過ごした若きドイツ人女性が過去をふり返った本です。
ドイツでヒトラーを信奉してひそかに活動している人々がいるのは私も知っていましたが、その実態を自分の体験にもとづき赤裸々に暴露しています。
著者の父、祖父母、親の友人、みなナチでした。ナチの親のもとでナチ・イデオロギーを刷り込まれ、ひそかに軍事的な訓練まで受けています。
著者が幼いころ、ナチの父親は、マックからコーラに至るまで、アメリカの商品はすべて禁止した。ナチの父親は、すべてにおいて厳格で、誰もが従わなければいけない。父親にとって大切なのは常に結果、つまり勝ち負けだった。
父は税関職員で、ナチの団体のリーダーの一人だった。
その父親とは15歳のとき絶縁を決意した。父親は18歳の誕生日まで養育費を支払ったが、あとは、お互いに没交渉となった。
母親は、ナチの父親から去った。
父親にとって、ユダヤ人虐殺のホロコーストはでっち上げられたものでしかなかった。ホロコーストを否定するため、絶えず陰謀や思想操作をもち出した。まるでアベ首相のようですね・・・。
ナチの団体の親は、高学歴、高収入の狂信的な大人の集まりだった。貧しい人や庶民はおらず、大学教授や歯科医だった。
著者はアメリカ人とユダヤ人が嫌いだった。アメリカ人とユダヤ人はグルだ。アメリカ人は石油を我が物にしようと戦争を仕組んでおきながら、世界の警察という顔をして、帝国主義的な目的を追求している。
著者は強いと思っていたけれど、弱かった。勇敢だと思っていたけれど、意気地なしだった。成熟していると思っていたけれど、未熟だった。自由だと感じていたけれど、囚われていた。正しいと思っていたけれど、間違っていた。
いま私の娘の住んでいるミュンヘンに生まれ育ち、ナチから脱却した今は保育士として働いている27歳の女性による本です。
親の影響の大きさ、恐ろしさをひしひしと感じさせられました。
(2019年2月刊。2300円+税)

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2019年7月31日

奮闘!クレサラ問題に取り組む

社会

(霧山昴)
著者 永尾 広久 、 出版  大牟田しらぬひの会

福岡県大牟田市で42年間、弁護士活動していた著者は、そのうち37年間、大牟田しらぬひの会というクレサラ被害者の会と一緒に活動してきました。クレサラ問題は今や完全に下火になっていますが、クレジット・サラ金問題とは何だったのか、被害者運動は何を目ざしたのかを振り返った貴重な労作です。
サラ金三悪というのがありました。超高金利(日歩30銭というのもありました。年10割を越します)、無選別過剰融資(収入のない主婦や学生にまで貸し付けます。申し込み額以上の金額を押し付け貸します)、そして強硬取立(多くの自殺者を生みました)です。
サラ金会社は急成長し、オーナーたちは日本の長者番付けの上位を占めました。そして、自民党や公明党の政治家が莫大な政治献金をもらいながら超高金利を支えました。
被害者運動は全国的に取り組みをすすめました。借りた奴が悪い、借金返済しない奴が取立にあって苦しむのは自業自得だ。こんな借主責任論、自己責任論を打破するのは容易ではありませんでした。
被害者運動のなかに極論が生まれました。借金の原因はすべて生活苦、苦しんでいる多重債務者は一刻も早く免責して救済すべきだ。しかし、しらぬひの会の26年間の相談件数1万4千件を分析すると、借金の原因が生活苦であることもたしかに多いけれど、決してそれだけではない。ギャンブルや買い物しすぎも多い。なんでも免責は、根本的な解決にならないことが少なくない。そのように指摘し、多重債務者が本当に立ち直るためには、励ましの場、支えあう被害者の会が必要だということを大牟田しらぬひの会は主張し、実践してきました。相談活動だけでなく、学習会・勉強会そして花見や望年会、ときには焼肉パーティーという懇親の場をもちました。
そのことを多角的に明らかにした座談会は読みごたえがあります。なかでもギャンブル依存症の体験談、そしてホームレス体験談は心を打つものがあり、考えさせられます。同時に、果たして、クレサラ被害者を被害者と呼ぶことができるのか、という根本的な問いかけに対する回答にもなっています。
全国クレサラ対協内では、なんでも一律・無条件に免責して救済すべきだという意見が主流を占め、それに異を唱える人は排除されたりしました。その典型がクレジットカウンセリング協会に対する誤った見方です。カウンセリングの効用を認めないという考え方から、大阪には、最近まで、カウンセリング協会の相談窓口がありませんでした。
九州では被害者の会が毎年1回集まって交流集会を開いてきました。7月に福岡で第32回の交流集会が開かれたばかりです。
裁判所の破産手続の変遷もたどっています。集団面接という手法もありました。そして、破産・免責手続については、江戸時代にも破産・免責手続があったことが紹介され、興味をひきます。
著者は、クレサラ問題解決の手引書を発刊し続けました。類書が少ないときには、1回の全国集会で30万円以上もの本の売上があったといいます。
歴史に残るべき取り組みとして紹介させていただきました。
(2019年6月刊。2000円(悪税込み))

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