弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2019年6月 1日
かぴばら
生物・
(霧山昴)
著者 岩合 光昭 、 出版 クレヴィス
今では、すっかり猫写真家として有名は動物カメラマンがブラジルのパンタナール大湿原に出かけてカピバラの生態をとらえています。
カピバラは、大地に芽生える新鮮な食物を食べる動物です。ジャガーに狙われ、その食事メニューの一つとされています。
カピバラは、いろんな声をもっている。家族とのやりとりはもちろん、危険を知らせるための大きな警戒音も出す。
ジャガーが近くに出現すると、「ピーッ」とホイッスルを鳴らしたような鳴き声が響くとともに、目にもとまらぬ速さでカピバラは鉄砲玉のように川へ飛び込む。
家族で常に用心し、警戒しながら暮らしている。癒し系と称される、おっとりとした雰囲気を保ちながらも、鍛えられ引き締まった体は、ときにおどろくほどの瞬発力を発揮する。
カピバラは円陣を組んで360度、気をつける。
川の真ん中の浅瀬が安全なことを知っていて、そこでしばし静止する。
川の中に広がる砂洲は、親子でのんびりできる安全地帯だ。
泳ぎが得意なので、水際にいると安心。
夕方になると、家族で草地に向かう。
泥遊びするのは、暑さよけ、虫除けのため。気持ちいい。
ほっこり癒されるカピバラの写真集です。
(2018年8月刊。1000円+税)
2019年6月 2日
生き残った人の7つの習慣
人間
(霧山昴)
著者 小西 浩文 、 出版 山と渓谷社
56歳の著者は、8000メートル峰の無酸素登頂に挑み続けてきたプロの登山家です。
これまで山でケガしたことはなく、五体満足。凍傷のため手や脚の指が1本、2本なくなっているところもありません。これって、実に素晴らしいことです。奇跡的です。
標高8000メートルの高さは、「デス・ゾーン」(死の地帯)と呼ばれている。酸素が平地の3分の1しかないので、息苦しいどころではない。すぐに視力は減退し、脳機能障害が引き起こされ、正常な思考ができなくなる。
ジャンボジェット機が飛ぶ高さが標高8000メートル。普通は酸素ボンベを背負って、マスクで酸素吸入しながら登頂していく。酸素ボンベがなければ、普通の人は30秒で失神し、急性脳浮腫や肺水腫になり、死に至る。
それなのに、著者は酸素ボンベを使わず、8848メートルのエベレストをふくめて、8000メートルの山が14座あるうちの6座を制覇したといいます。信じられません。
デス・ゾーンでは、ほんのわずかな迷い、ためらい、そしてわずかなミスが致命的な危機を招いてしまう。危機の90%以上は何かしらの予兆がある。
気の緩みが危機につながる。あともう少しで安全地帯だと思う気の緩みは危ない。ゴールや目標が間近に迫ったとき、人は緊張が緩む。すると、身体はまだゴールしていないのに、頭のほうはゴールしたかのような錯覚に陥る。これが危ない。
「危機」というものの多くは、その組織や人物の心が引き起こしているケースがほとんど。つまり、「危機」の90%以上が「心」に起因している。
山の事故のほとんどは下山中に起きている。それは「気の緩み」と「焦り」から来る。「心」の乱れが道迷いや事故を引き起こす。
「おごり」(過信)は、目の前にある「危機」から目を背けさせて、自分たちに都合のいいように物事を解釈してしまう。人間は、どうしても自分に都合のいいように「危機」を考えようとする。そうではなくて、常に「最悪」を想定しなければいけない。
「いつもと同じ」というのが、きわめて重要。いつものように冷静に判断できる。いつものように高い技術を発揮する。いつもと同じことを苛酷な状況下で行えるかどうかが生死を分ける。そして、そのためにも事前準備に9割の力を注ぐ。
なるほど、とんでもない高山で大変な危機に何度も直面してきた著者の体験にもとづく提言なので、一つ一つの提言がしごく素直に受け入れられます。
(2018年12月刊。1200円+税)
2019年6月 3日
南極ではたらく
人間
(霧山昴)
著者 渡貫 淳子 、 出版 平凡社
今ではコンビニでも売られている(らしい)悪魔のおにぎりを南極の昭和基地で考案した著者による面白い調理隊員体験記です。
女性が昭和基地で1年間も生活するなんて、大丈夫かしらんと心配しますが、ちゃんと風呂・トイレは男女別になっていて、トイレはいち早くウォッシュレットです。そして、野外活動に出て見渡かぎり何もないところでは、「ちょっと大地と交信してきます」と言うと、男性が察してくれるとのこと。それにしても勇気があります。
調理員は2人。交代で厨房に入る。1人で30人分をつくる。
夕食は、メインの料理に小鉢ものが2~3品。ご飯と味噌汁はセルフサービス。
1年間、途中の補給はなく、1年間分の食糧を1回で仕入れ、それでやり切る。したがって、ありとあらゆる料理をつくれるスキルが求められる。
常に生野菜が不足している。1年間も保存がきくのは、長いもと玉ねぎくらい。
南極にもち込んだものはすべて日本に持ち帰る。生ごみは処理機で減容して焼却し、灰はドラム缶に入れて日本に持ち帰る。スープ類が残ってもシンクに流さず、生ごみとして処理する。
水は、雪を水槽に投げこんでつくる。
人間1人が1年間に消費する食糧は1トン。30人の隊員のため30トンを持ち込む。
観測隊は海上自衛隊にならって、金曜日はカレー。カレーは料理をムダにしないというメニューでもある。
メニューは日替わり1種類のみ。隊員は勝手につくって食べることは出来ない。調理隊員が用意したものを食べるだけ。
アルコールはあるけれど、無料(実は食費のなかに含まれている)で、飲み放題だけど、隊員はあまり飲んでいない(ようです)。
空気が乾燥しているので、洗濯物はすぐに乾き、枚数は必要ない。ところが、20足もっていった靴下は、みな穴が開いた。極度の乾燥で足の裏がゴワゴワになって、擦れて靴下に穴が開く。
南極から日本に戻ると、しばらくは「南極廃人」になって、ぼおっとして過ごす人が多い・・・。
子もちの40代の主婦が、夫と子を日本に残して、1年間、南極で調理隊員として過ごしたというのです。大変なその勇気にただただ感服しました。
(2019年1月刊。1400円+税)
2019年6月 4日
日本を愛した人類学者
人間
(霧山昴)
著者 田中 一彦 、 出版 忘羊社
私は弁護士として、毎日毎日、男女間の不倫にともなうトラブルを扱っています。浮気するのは決して男性だけということはありません。その相手は女性ですし、女性がリードしている不倫だって少ないとは言えません。
まことに日本は太古の昔から性に関してはおおらかな国なのです。
それは神話の時代にさかのぼっても言えますし、戦前もそうでした。夜這(よば)いの習慣が戦後まで続いていた地方もあったのです。
そんなおおらかな性習慣をふくめて、戦前の農村地帯の生活の実際をあますところなく伝えてくれる画期的な本が、若きアメリカ人学者夫妻の手になる『須恵村の女性たち』です。まだ、読んでいない人には、ぜひぜひ図書館から借りてでも一読されることを強くおすすめします。
この本は、最近、その須恵村(今は、あさぎり町須恵)に定住してまで調査・研究した元新聞記者の著者による労作です。
エンブリー夫妻は、戦前の1935年(昭和10年)11月から1年間にわたって須恵村に定住して調査・研究を重ねた。函館に育ったエラ夫人は日本語が達者で、須恵村の女性たちの話を中心に日記1005頁を残した。
エンブリーは、有能な通訳2人(いずれも若くして交通事故死ないし戦死)によって記録していった。
エンブリーはアメリカに戻って42歳のとき娘とともに交通事故で亡くなったが、エラ夫人のほうは再婚したあと、2005年にホノルルにおいて96歳で亡くなった。
当時の須恵村の人口は1663人。軍事施設はなく、純農村地帯で、大地主もいなかった。エンブリー夫妻は、毎日のように開かれる酒宴に参加し、いつも酔っ払っていたので、それが調査の障害になっていた。
プライバシーがまったくない、何でも自由に話す村人たちのなかに入って、仰天させるような話題までエンブリー夫妻、とりわけエラ夫人は聞くことができた。
須恵村の女性たちは、お互いの性器を比べあい、夫以外の男性とも関係をもち、酒宴では卑猥な歌をうたって踊る。甘い子育て。村外から嫁いだ女性たちは、女だけの協同のネットワークをもった。
須恵村の女たちは、結婚そして離婚においても、予想できないほど著しく自立していた。
詳細はぜひ『須恵村の女たち』を読んで下さい。仰天することまちがいなしのオンパレードです。
須恵村の女たちは、エラ夫人が2歳の娘クレアに対する厳しいしつけを「異例」と見て、理解できなかった。須恵村では子どもは寛大に扱われていた。
そして、須恵村の人々は、天皇について、「神様のようにしとりますが、本当の神様ではなかとです。天皇陛下は人間で、とても偉か人です」と語った。
ええっ、そんなことを外人(アメリカ人)に話していただなんて・・・。
GHQによる日本の農地改革はエンブリーの『須恵村』を参考書として始まった。
明仁天皇が皇太子だったときの家庭教師だったヴァイニング夫人も須恵村まで足を運んでいる。もちろん、エンブリーの本を読んでいたからだ。
この本が『須恵村の女たち』を読んだ人に大変な便益をもたらすのは、エンブリー夫妻がとった写真がたくさん紹介されていることです。これによって、須恵村の人たちが、どんな顔と表情をしていたのか、具体的なイメージをつかめます。
ぜひ、この本も手にとってお読みください。
(2018年12月刊。2200円+税)
2019年6月 5日
ふたつの日本
社会
(霧山昴)
著者 望月 優大 、 出版 講談社現代新書
いつのまにか私たちのまわりにはたくさんの外国人がいるのに、私たちの認識はその現実にきちんと対応していないように思います。
いま、日本には264万人の外国人が存在している。これは全人口の2%。「永住権」をもつ外国人だけでも100万人をこえている(109万人)。そして、1980年代半ばまでは韓国・朝鮮籍の人が8割以上を占めていたが、今では2割にみたない。
世界的にも日本は世界第7位の「移民大国」となっている。日本の人口が1億2千万人なので、日本人はそんなに「移民大国」となっている実感をもっていない。
いまの安倍政権は「移民」の定義をごまかしています。そして「永住権を増やさず、出稼ぎ労働者を増やす」政策をとっている(ローテーション政策)。これは、外国人を「人」として扱わず、「モノ」としてみている。「人」として扱うのには、相応のコストがかかる。
たとえば、コトバの問題。外国人2世の子どもたちが日本語をうまく話せない、ましてや1世である親は十分でない。それを国として放置していいはずはない。教育システムをつくって運営するには相応の費用がかかる。医療・年金そして社会保障システムのなかで外国人をどう位置づけるのか、きちんとした対策を日本政府はとっていない。
外国人の1位は中国で74万人(28%)。2位が韓国で45万人(17%)。3位はベトナム(11%)、そして4位がフィリピン26万人(10%)、5位のブラジル20万人(7%)と続く。
日本には109万人の「永住移民」がいて、155万人の「非永住移民」、131万人の「移民背景の国民」がいる。合計すると400万人だ。このほかに、「非正規移民」(超過滞在者)が7万人いる。
技能実習生が29万人近くいて、その1位はベトナム13万人。2位は中国7万人、3位フィリピン3万人、4位インドネシア2万人、5位タイ1万人と続く。ベトナムだけで、全体の47%を占めている。
「移民」を否認する国は、「人間」を否認する国である。排除ではなく、連帯する方向へすすむべきだ。これは「彼ら」の問題ではない。「私たち」の問題なのである。
コンパクトに問題点が整理されていて、改めて問題がどこにあるのか、認識することができました。
(2019年3月刊。840円+税)
2019年6月 6日
アマゾンの倉庫で絶望し、ウーバーの車で発狂した
イギリス
(霧山昴)
著者 ジェームズ・ブラッドワース 、 出版 光文社
イギリスでは、階級差が日本と違って、はっきりと目に見えるようです。
そして、サッチャーが炭鉱労働者の戦闘的な組合を壊滅させたことにより、労働者は頼るべき拠りどころをなくしてしまったようです。それは、日本でスト権ストの敗北後に労働組合の力が衰退していったのと同じだと思えます。
著者は実際にアマゾンの倉庫で働き、ウーバーのタクシー運転手、そしてコールセンターでも働いていて、その体験レポートでもあります。
イギリスで労働者になるということは、軽蔑されるか、あるいは生きることがぎりぎり許されるレベルの人間になるということ。現代のイギリスで貧困に陥るのは、いとも簡単であり、どんな選択をしたとしも誰にでも起こりえることだ。
アマゾンの倉庫は4つのフロアに分れ、従業員も4つのグループに分かれている。運ばれてきた商品を受けとって確認し、開封するグループ、商品を棚に補充するグループ、注文された商品をピックアップするグループ、商品を箱に詰めて発送するグループ。
アマゾンは、イギリス国内だけで8000人を雇用する巨大企業だ。一人の従業員は、国際物流のための大きな機械の小さな歯車でしかない。従業員の7割は1日に16キロ以上歩いている。
アマゾンの倉庫での仕事は、肉体的にきついだけでなく、精神的にもうんざりするものだ。この仕事には、感情のための緩和剤が必要だ。そのため脂っこいポテトチップスを買う。
労働者は、ジャンクフードと油と砂糖をたらふく食べる。単純労働による身体感情的な消耗を何かで補う必要に迫られる。それが、タバコ、酒、ジャンクフードなのだ。これが残された数少ない喜びになっている。そのため、肥満率が圧倒的に高い。
現在、イギリス全土で100万人以上がコールセンターで働いている。ウェールズには、200ヶ所以上のコールセンターがあり、3万人の雇用そして6億5千万ポンドの経済効果を生み出ている。
しかし、コールセンターの仕事は、退屈だ。そして雇用は常に不安定だ。コールセンターでは、従業員の監視システムがすすんでいて、従業員のすべての行動が監視・追跡・記録されている。
ロンドンの民間タクシーの運転手は過去7年間で倍増し、11万7千人となった。ウーバーを利用する乗客は2012年に5千人だったのが、今や170万人に増えた。ウーバーの運転手は、ピーという通知音が鳴ったら、15秒以内に仕事を受けるか、ほかのドライバーに任せるかを判断しなければならない。運転手が3回連続で乗車リクエストを拒否すると、外されてしまう。
運転手は、受けた仕事の件数、種類、キャンセルの有無が厳重に監視されている。
利用する料金が安いことから、乗客は運転手に対して敬意を払わない。
サッチャーが炭鉱夫の労働組合を攻撃したとき、多くの人は自分に関係ないことと、屁とも思わなかった。けれども、結局、この国で働くすべての人にその影響が及んだ。そして、その影響は今日までずっと続いている。
先日、イギリス労働党のコービン党首への圧倒的支持の高まりを分析した本を読みましたが、この本と通底するところがありました。要するに、希望を失ってはいけないということです。
(2019年4月刊。1800円+税)
2019年6月 7日
アメリカ侵略全史
アメリカ
(霧山昴)
著者 ウィリアム・ブルム 、 出版 作品社
著者は1933年生まれのアメリカのジャーナリストです。1960年代にはアメリカ国務省に勤務していたこともあり、反共派でしたが、その後はCIAの内幕をあばく本を出したり、チリに滞在してアジェンデ政権に対するアメリカの転覆作業を現地から告発しました。
そして、アメリカが日本の政治にいかに干渉してきたかも明らかにしています。CIAは日本の左派勢力の弱体化のために莫大な秘密資金を投入したのでした。
2段組みで700頁をこえる大書です。アメリカが支配・介入した国もアフリカ、南アメリカ、東南アジアだけでなく、ヨーロッパも含まれています。
たとえばイラクです。最後にはイラクへ攻め込んでフセインを絞首刑に追い込んだアメリカですが、イラン・イラク戦争のときには、フセインに膨大な量の武器と軍事訓練、衛星写真情報そして何十億ドルもの援助金を提供していた。そのころだって、フセインは残念な独裁者だった。
イランのホメイニにもアメリカ製の武器とイラクに関する情報を提供していた。
これは、イランとイラクが互いに最大限の打撃を与えあうよう、そして、その結果、どちらも中東の強国にならないようにするためだった。
アメリカはイラクを打撃するとき、スマート爆弾やレーザー誘導爆弾をつかって軍事的標的だけを狙って細心の注意を払ったと宣伝した。しかし、これは単なるプロパガンダであって、実際には非軍事的施設も標的にしていたし、イラクの敗残兵が投降しようとするのを大量虐殺し続けた。
アメリカは、拷問のテクニックを世界中からアメリカにやって来たエリート軍人たちに伝授した。その拷問のすさまじさは想像を絶するものです。
尋問哲学は芸術である。相手を軟化させるために、普通に殴りつけ侮辱する時間をもうける。その目的は、囚人を侮辱し、自分が救いようのない状況にあることを認識させ、現実から遮断することにある。質問はせず、殴打と侮辱だけを加える。それから黙って殴り続ける。尋問するのは、そのあと。拷問のあいだ、対象が希望を完全に失ってしまうことのないよう注意する。希望をすべて失うと、頑固な抵抗が始まる可能性がある。
つねに、相手に多少の希望を残しておく。遠くに見える光を・・・。
拷問法の一つとして、殺虫剤を注入したフードを対象の頭にかぶせる方法があった。電気ショックも使われた。性器に加えるのが、もっとも効果的だった。対象者の鼻と耳と性器を切り落とし、それから皮膚を一片一片そぎとる拷問、ゆっくりとした苦痛をともなう死を与える。
このような残忍な拷問を世界中に広めたのもアメリカ流民主主義だったことを改めて認識させられました。
読みたくない本、一読をおすすめしたくなんかない本です。ましてや3800円もする本を買って読んでほしいとは私も思いません。でも、少なくとも日本中の図書館に常備し、広く私たち日本人も読むべき本だと私は思いました。
(2018年12月刊。3800円+税)
2019年6月 8日
言葉の国、イランと私
イラン
(霧山昴)
著者 岡田 恵美子 、 出版 平凡社
イランという国は、私にとってまったくなじみのない国です。この本を読んで、少しだけ国と人々のイメージをつかむことができました。
著者は1932年生まれですから、今や86歳。26歳のときにイランの言葉に魅かれて当時の国王に手紙を出したところ、その目にとまって国費留学生としてイランに渡って勉強しました。実に勇敢な女性です。
イランとは、アーリアを意味する。ペルシアは、かつて力を持った一地方の名。
イランの中東一の核開発力をもつ国。イランは原油・天然ガスの産出は世界第2位。国土は日本のほぼ4倍。海に面した部分もあり、北部では農産物を豊富に産出している。
イラン人の誇る美徳は、寛容・勇気そして雄弁。古くからさまざま人々と交流してきたイランでは、弁舌は大切な能力なのだ。
イラン人の泣きところは、我慢強くないこと。
ペルシア語でも、書き言葉と話し言葉では、文章の語尾や単語の発音が微妙に違う。
イランで女性に選挙権が認められたのは、1963年のこと。
イランでは、「おまえのおやじは火葬された、というのは最大級に罵倒する言葉。
死者は一般に土葬にする。なぜなら、人は死後、土中に横たわり、最後の審判を受けるときに起き上がって真の審判を受ける。火葬にされたら、審判を受けるとき、魂が入る身体がないことになるから。
食事に招待するのは、普通、昼食。夜の食事は、ごく軽い。
イラン人は暗記の得意な国民である。
イランでは離婚が多く、「バツイチ」などという言葉はない。
イラン人はプライドの高い国民である。自分の置かれた地位にプライドを持っている。性別や年齢、職業、学歴などによるコンプレックスを持たない。
イラン人にとって、自然とは戦う相手。だから人工こそ安心できる空間。シンメトリーな構図の庭でこそイラン人は安心して憩える。
イラン人は教訓、箴言(しんげん)の好きな国民だ。
心は憎しみを生まない。憎しみを生むのはいつも言葉だ。知は力なり。知によって老いの心も若返る。
心から心へは道がある。
イラン人のイメージがつかめた気にさせる本でした。
(2019年3月刊。2500円+税)
2019年6月 9日
江戸の不動産
江戸時代
(霧山昴)
著者 安藤 優一郎 、 出版 文春新書
江戸という町は明暦の大火(1657年)によって、劇的に変化したようです。
明暦の大火のあと、江戸近郊の農村地帯に続々と家が建ちはじめ、そこに人が住み、急速に町場化していった。それまでは古町といわれた三百町のみが町奉行の支配下にあったが、芝・三田から下俗・浅草までの三百町も町並地(市街地)と認定されて、町奉行の支配に組み込まれた。その後、さらに、本所・深川・浅草・小石川・牛込・市谷・四谷・赤坂・麻布の259町が町並地として町奉行支配となった。ええっ、深川が当初の江戸になかっただなんて・・・。
江戸幕府は、火災が起きると、焼け跡の町を召し上げ、火除地(ひよけち)に設定した。
そして、隅田川に架かる両国橋は、明暦の大火のあとにつくられた。1日に2万3千人から2万5千人が往来していた。武士たちは、老中の許可を得て土地交換をしていた。
老中が率先して、あたかも「地上げ」のような取り引きを繰り返していた。だから、交換を名目とした土地売買に歯止めがかかるはずもない。
地面売買口入(くちいれ)世話人という不動産業者が江戸にはいた。
拝領した土地がありながら、そこには居住せずに他家に同居したり、別の土地に借地している御家人は多かった。町人に貸して地代収入を得ていたのだ。
町人地には売買が認められていて、公定価格が設置されていた。江戸の1等地だと坪単価で1両を下ることはなかった。
建物を貸して賃料をとると、火災のときのリスクは大きい。それは土地を貸していてもリスクはあった。そのうえ、天保の改革のときには、地代・店賃の引き下げ金が発せられて、地主・大家はもうからなくなった。世話料や交際費なども地主・大家の負担として軽くはなかった。
それでも、江戸に不動産をもっているのは、拠点の確保とビジネス上の信用・担保に大きな意味があった。
江戸の社会では土地が固定していたというのは、単なる虚像でしかない。現実には、武士・町人・農民が入り乱れて活発な不動産取引がなされて、土地は激しく流通していた。
ええっ、ええっ、そ、そうなんですか・・・。驚くばかりの江戸の不動産取引の様子が語られていました。
(2019年3月刊。820円+税)
2019年6月10日
探検家の事情
人間
(霧山昴)
著者 角幡 唯介 、 出版 文春文庫
著者のスリルにみちみちた冒険の旅は、その迫真の描写に接して、思わず息をひそめてしまうほど圧倒されてしまいました。『空白の五マイル』、『極夜行』など、読んでいる途中で、息が詰まって投げ出したくなりましたが、でも、このあとどうなるんだろうと思わず頁をめくる手が速く動いていきました。
この本は、そんな著者の、信じられないとぼけた人柄もにじみ出てくる内容です。いわば楽屋裏のオチ話のオンパレードになっています。
著者に向かって投げかけられる質問。なぜ、冒険をするのか・・・。これは冒険をしない人に、なぜあなたは生きるのかと問うのと同じくらい、回答に窮する質問だ。
氷点下40度の寒さに支配される世界を、1日30キロも歩いていく。そのときには1日に5千キロカロリーは人体の健康保持に十分なレベルではない。大人が極地で肉体運動を続けるのには、少なくとも1日8千キロカロリーが必要なのだ。
著者は忘れ物や落し物が多いという「自慢話」を紹介しています。
記憶力があまりよくないうえに、集中力が非常に高く、せっかちなので、ある一つの動作から別の動作に移った瞬間、その新たな動作のほうに意識が集中してしまい、前のことが完璧に意識の外にはじき出されてしまうことになるからだ・・・。ええっ、そ、そうなんですか。
著者はスマホを持っていない。不肖、私もスマホはもっていません。がさつで慎重さに欠ける人間である著者の「唯一の取柄」は、立ち直りが早いこと。これは、いいことですよね・・・。
北極の村に滞在するときには、肉を生食することになる。生肉は、身体にビタミンを補給してくれる。口内炎で悩んでいたのが、生肉を食べると、たちまち良くなった。肉で一番おいしいのはシロクマの肉。シロクマの肉は「王候貴族の料理」と言われている。
シロクマの肝臓(レバー)を生で食べると、ビタミンA過剰をひきおこし、吐き気やひどい頭痛に苦しめられる。
コウモリの肉は「深みのある味」だそうです。ご相伴したくありませんね・・・。
コウモリの頭蓋骨に穴をあけ、脳髄をずるずるっとすする。ドロッとしていて濃厚で、少しだけ苦味のきいた独特の味がする。
うひゃあ、コウモリなんて、まったく食べようという気分にはなりません・・・。
家庭と探検生活をいかにして両立してきたのか、その悩みや葛藤が紹介されています。
(2019年4月刊。690円+税)
2019年6月11日
裁判の書
司法
(霧山昴)
著者 三宅 正太郎 、 出版 日本評論社
戦前(1942年)に発刊された古典的名著が新装・復刊しました。それで古本屋で買った本は捨てました。
裁判の精神は正義の体現にある。
私も至言だと思いますが、正義の体現には、勇気がいります。上を見て、下を見て、そして横を見ながら、そろそろと前でなく後ろへ一歩を踏み出す裁判官があまりに多いと思います。それは、上に立つ最高裁判所自身が、最近は「ヒラメ裁判官」が多いと嘆いていることによっても明らかです。
忌避は、裁判官がその事件について偏頗(へんぱ)をする恐れがあるというだけでなく、裁判官としての資格を否認されたも同然のこと。
私は弁護士になって2年目のころ、一般民事裁判で担当裁判官を忌避しました。あまりに形式論理だけを振りかざすのに納得できなかったからです。
つい最近は、福岡地裁の若手裁判官を忌避申立寸前までいきました。欺されたほうが悪いという思い込みで審理をすすめ、ペラペラ中味のない論理を口先で展開するので、あなたには裁判官になる資格がないと言いたかったのです。その事件では、私の見幕におされたのか、少しは欺された側のことも考えているポーズをとり始めましたので、その裁判官への忌避申立はせず、なんとか和解で終了させました。
いったい、全国の裁判所でいま、どれだけ忌避の申立があっているのでしょうか・・・。誰か教えてください。
裁判官が事件の骨格ばかりを気にして、これに血も肉もつけないようでは、裁判の味が出ない。裁判官たる者は、裁判に常に潤いのあるように心遣いを致すべきである。
裁判に潤いのあるような訴訟運営をしている裁判官には、とんとお目にかかったことがありません。
ある裁判が法律上まちがっていないということは、あたかも競馬場で馬がコースの外に出ないで走っているというだけのことで、その裁判が正しいということにはならない。
裁判をするには、静粛にばかりこもってはいけない。人間の全生涯は、つばぜりあいの連続である。
裁判官には好奇心が必要だ。出来るだけ、見たがり、聞きたがる性分にあるほうがいい。文学の愛好は、この好奇心を助ける。
もし裁判官がいたずらに保守の名に隠れて、義を見て為さざるならば、それは大きな職務の曠廃(こうはい)だ。裁判官は、まめましく自分が事件に働きかけて、はつらつと新しい境地を開拓する気風をもちたいものだ。
著者は治安維持法事件を担当し、無罪判決を書いた。そして、不敬罪についても無罪としている。
なるほど、気骨ある人でしたね。青法協会員の裁判官が全国どこにも、一人もいないという現実は、底冷えを感じさせます。とても古い本ですが、いま改めて全国の裁判所の内外で広く読まれるべきものとして、強く一読をおすすめします。
(2019年5月刊。1200円+税)
2019年6月12日
暴君
社会
(霧山昴)
著者 牧 久 、 出版 小学館
新左翼・松崎明に支配されたJR秘史。これがサブタイトルです。ようするに革マル派の最高幹部でありながら、東京中心のJR東日本の「影の社長」とまで言われた松崎明の実像をあばいた本です。
公共交通機関であることをすっかり忘れ去ったJR九州に対して、私は心の底から怒っています。今や、JR九州は金もうけ本位、それだけです。もうからないローカル鉄道はどんどん切り捨て、新幹線のホームには駅員を配置しない。しばしば列車ダイヤが乱れるのは、維持・管理の手抜きから・・・。要するに乗客不在でもうからないことは一切やらない、安全軽視の民間運送会社になり下がってしまっています。
そして、社長は、いかに金もうけができたか、その自慢話を得意気に語る本を相次いで出版しています。安全第一・乗客第一の交通機関である誇りを忘れてしまったサイテーの経営者としか言いようがありません。本当に残念です。
今では大事故が起きないのが不思議なほどです。
同じJR北海道では、歴代社長が2人も自殺してしまったとのこと。よほど責任感が強すぎたのでしょう。JR九州には、ぜひ一刻も早く目を覚ましてほしいものです。
松崎明は、「国鉄改革三人組」、井手正敬、松田昌士、葛西敬之の三人を次のようにバッサリ切り捨てた。
この三人のなかに立派な人はいない。目的のために常に手段を選び、人間が小心、ずるがしこい。この「三人組」にとって、国鉄改革とは、まさしく立身出身の手段そのものだった。したがって、その後の「悪政」は必然の道だった。
まあ、歴史的事実としては、そんな「三人組」と大同小異なのが松崎明だったということなのでしょう・・・。
松崎明は、2010年12月9日、74歳で病死した。
松崎明は2000年4月、ハワイのコンドミニアム(マンション)を3300万円で購入した。寝室3つ、浴室2つの豪華マンションである。その1年前にも、同じハワイに庭付き一戸建て住宅2630万円を購入している。日本では、埼玉県小川町の自宅マンションのほか、東京・品川区の高級マンションをもっている。さらに、群馬県、沖縄、宮古島の保養施設3ヶ所も実質的に松崎が所有していた。
2005年12月、警視庁公安部は松崎の自宅などを業務上横領の疑いで家宅捜索した。4日間、80時間ほどをかけ、徹底したものだった。そして、2007年11月、警視庁は業務上横領で松崎明を書類送検した。ところが、同年12月末、嫌疑不十分で松崎明は起訴されなかった。
JR東日本の社長となった松田は、松崎明が革マル派を抜けていないことを本人に確認したうえで、利用した。共産党や社会主義協会派とたたかわせるためには、革マル派を使うほかにないと考えたのだ。
JR東日本ではストをやらせない、今後もやらせない。少々高いアメを松崎明たちにしゃぶらせても、結局は、その方が安上がり。こういう考えだったのです。
驚きました。JR東日本の松田社長は松崎明が革マル派の最高幹部だということを本人の告白によって知っていたのです。えええっ・・・。
元警察庁警備局長(キャリア組)の柴田善憲は、松崎明に完全に取り込まれた。JR東日本の本社、各支社には20人以上の元警察庁幹部が定年後に、「総務部調査役」として入っていた。その仲介役が柴田善憲だった。
10年間ほど、警察庁警備局は、「危ないのは中核派だ。中核派を重点的に調べろ」という指示を出した。それで、革マル派は警戒対象とならず10年間ほど、空白の期間があった。
ところが、革マル派のもつ埼玉県のアジトでは公安警察無線を傍受していた。
革マル派なんて、とっくに消滅してしまっているんじゃないの・・・。そう思っていると、おっとドスコイ、今も細々ながら生きのびているということです。
500頁近い大変な力作であり、恐るべき本です。新幹線をふくめて、主要なJRに今なお革マル派が巣喰っているだなんて、信じられませんよね・・・。
(2019年4月刊。2000円+税)
2019年6月13日
イレナの子供たち
ヨーロッパ(ポーランド)
(霧山昴)
著者 ティラー・J・マッツェオ 、 出版 東京創元社
ナチスの占領下のワルシャワのユダヤ人を収容するゲットーから2500人ものユダヤ人の子どもたちを救出したポーランド人女性の話です。
1935年秋、イレナは25歳。身長150センチの小柄な大学生だった。しかし、確固とした政治的意見をもっていた。
1939年10月。戦争はまもなく終わると周囲の人々は言っていた。
1939年のワルシャワは、世界でも指折りの活力にあふれた多様性のある都市だった。人口100万人のうち、3分の1はユダヤ人だった。
ナチスによる占領・支配が始まったとき、ワルシャワのユダヤ人は、ひどいことが起きても、おそらく限度があるだろうと推測していた。というのも、はじめのうちナチス・ドイツ軍は、組織的な粛清はユダヤ人ではなく、ポーランド人を対象としていた。占領から1年か2年のうち、ワルシャワでは、ユダヤ人が1人殺されたのに対して、ポーランド人は10人が殺された。
1940年秋ころ、イレナの福祉窓口のチームは、ワルシャワの何千人ものユダヤ人に対する公的な福祉支援を支えていた。
ゲットーの内部で、50万人ほどのユダヤ人たちが飢えで弱っている一方、ゲットー貴族たちは、ゆとりある生活をしていた。裕福な実業家、ユダヤ人評議会のリーダーたち、ユダヤ人警察の幹部、不当な利益を得ている密輸業者、ナイトクラブの経営者、そして高級娼婦たち・・・。ゲットーには61軒ものカフェとナイトクラブがあり、「乱痴気騒ぎのパーティーをしたい放題」だった。カフェではシャンパンが注がれ、サーモンのオードブルが出てくる。
ゲットーの出入りには無数のルートができ、イレナはそれを利用してユダヤ人の子どもたちをゲットーの外に連れ出すようになった。それはワルシャワ社会福祉局の仕事の「延長」だった。
金髪だったり、青い目の健康な子どもたち、ユダヤ人とは見えない子どもたちは、傷のしかるべき書類とともに孤児院で生活することができた。子どもたちは、作業員が肩からぶら下げた南京袋に入って孤児院に運ばれた。洗濯物がじゃがいものように裏口に届けられるのだった。
1942年の夏、コルチャック先生は、子どもたちだけを行かせることを断固として拒否した。
列を先導するSS隊員は笑って、コルチャック先生に「お望みなら、いっしょに来てもいい」と言った。バイオリンをもっている12歳の少年に演奏するように頼み、子どもたちは孤児院から歌いながらコルチャック先生と一緒に出発した。 祝日用のよそ行きの服を着た子どもたちは、お行儀よく、4人1列になって行進していった。そして、子どもたちは両手で人形を抱えていた。これは、イレナたちが孤児院に持ち込んだものだった。子どもたちは、「旅に出る」にあたって、ひとつだけ何かをもっていいと言われて、その人形を選んだのだった。小さな両手で、人形を握りしめ、胸に押しつけてるように抱きしめて、最後の行進をしていった。
コルチャック先生は、最後に貸車に入った。両方の腕に、それぞれ疲れきった5歳の子どもを抱えていた。貨物列車には窓がなく、床には、生石灰がまかれていて、そのうち熱を発する。そして、貨車のドアは閉められ、有刺鉄線で固く縛りつけられた・・・。
こんな状況を正視できますか。この文章を読むだけで、私は、目と鼻からほとばしるものがありました・・・。
イレナたちが救出したユダヤ人の子どもたちは「カトリック教徒の子」として育てられた。これに異をとなえるユダヤ人ももちろんいた。では、いったい、どうしたらいいというのでしょうか・・・。
孤児院で子どもたちはゲームをして遊んだ。ユダヤ人を追うドイツ人の役、隠れているユダヤ人のふりをする子、ユダヤ人の子どもたちにとって、そんなゲームは、あまりにも現実的だった。
ワルシャワのユダヤ人ゲットー内の動きも知ることができる本でした。
(2019年2月刊。2800円+税)
2019年6月14日
警察庁長官狙撃事件
社会
(霧山昴)
著者 清田 浩司、岡部 統行 、 出版 平凡社新書
1995年(平成7年)3月には、オウムによる地下鉄サリン事件が起き、その10日後の3月30日に国松警察庁長官狙撃事件が起きた。
地下鉄サリン事件のほうは犯人であるオウムの信者たちは死刑となり、13人はすでに処刑されているのに対して、警察庁長官狙撃事件は犯人が逮捕されないまま、「迷宮入り」してしまった。
この本は、その犯人は中村泰という人間だと名指し、本人も自分が犯人だと言っているということを明らかにしています。つまり、犯人はオウムではないのです。
中村真犯人説がなぜ成り立つのかを検証していったのがこの本です。
国松長官は20メートル離れたところから4発うたれています。しかも、その銃は特殊なものでした。
この狙撃には三つの謎がある。特殊な弾丸。特殊な拳銃。高度な射撃技術。
真犯人の中村泰(ひろし)は1930年4月生まれ、事件当時65歳。旧制水戸高校から東大に入り、2年生のとき中退。警察官を射殺し、また、大阪と名古屋で銀行を襲撃し、現在は岐阜刑務所に無期懲役で服役中。
拳銃のコルト・パイソンは、車でいうとキャデラック、時計でいうとロレックス。高価で、希少価値がある。とても精巧につくられていて、正確に標的を撃ち抜くことができる。
ナイクラッド弾は、訓練用の銃弾。弾頭をナイロンでコーティングしている。
中村は銃の持ち方から身のこなしまで、完全に銃のプロ。警察学校の教官よりうまい射撃技術を身につけていた。
では、中村の犯行動機は何か。それは、犯人がオウムだと思わせて、警察がオウムつぶしに動くことを期待していたということ。ええっ、そ、そんなことが動機になるものでしょうか・・・。
この本には真犯人と名指しされた人物の顔写真までありますので、よほど自信があるようです。ぜひ、司法の手で真相を解明してほしいものです。
(2019年2月刊。860円+税)
2019年6月15日
70歳のたしなみ
人間
(霧山昴)
著者 坂東 眞理子 、 出版 小学館
昨年12月、私も70歳となりました。先日は、右肩が突然動かなくなり、4日間、泣きました。朝、目覚まし時計を停められない、布団から起き上がれない、着換えができない、歯みがきできない・・・。右肩が動かなくて、本当に不便しました。幸い、手は動かせましたから、ペンをもって字は書けましたので、仕事への支障はそれほどありませんでした。整形外科に行ってレントゲン写真をとると、右肩に石灰化が始まっているのが確認できましたので、恐らくこれが急に暴れたのでしょう、という判定でした。要するに、70歳という老化現象をひしひしと体感させられたということです。
70代というのは人生の黄金時代、新しいゴールデンエイジだというのが著者の訴えるところです。著者は私と同じ団塊世代です(2歳だけ年長)。
70歳になったら、毎日、上機嫌で過ごすことが周囲に対するマナーであり、礼儀であり、たしなみである。イライラしていても、意思の力で上機嫌に振る舞うこと。
機嫌よく過ごす秘訣は、意識して他人(ひと)の良いところ、可愛いところを見つけ、「をかし」と楽しみ、「いいな」と感心すること。
70歳になったら、良い加減に生きる知恵が大切だ。周囲の人が成功しているのを見たら、たとえ心の底からでなくても、必ず言葉で祝福し、ほめてあげる。これを習慣にするのが大切だ。
70歳になったら、「キョウヨウ」と「キョウイク」をつくる。「キョウヨウ」とは、今日は用事があること。「キョウイク」とは、今日は行くところがあること。何も用がない、どこにも行くところがないと言って、家でゴロゴロしていると、すぐにボケてくる。そして、用事も行くところも、自分で能動的に発見し、取り組む。
70歳になったら、お金をいかに貯めるかではなく、もっているお金をいかに上手に使って豊かに暮らす心がけこそ必要だし、大切だ。
70歳でするべきは終活ではない。生前葬はあまり早くするものではない。高齢期という新しいステージを生きるため準備の老活をすべきだ。
与えられる毎日毎日を丁寧に生きる。自分を励まして、少し無理して生きる。これが高齢期を豊かにするライフスタイルだ。
友人だからこそ、言ってはいけないことが、たくさんある。年齢(とし)をとったからこそ、相手の気持ちを想像して、どう表現したら相手の気持ちを傷つけないで言うべきことを伝えるのか、これを工夫する。それがたしなみだ。そんな工夫ができなくなったら、たちまち老化は加速する。
人間関係はこわれもの。大切に扱わないと、すぐにこわれる。
夫婦仲良く暮らすためには、上機嫌に振る舞い、できるだけずけずけ言わないように心がける。
他人の過去も自分の過去にもこだわらないのが70歳に必要なたしなみ。気にすべきは過去ではなく、これからの日々での有言実行、約束を守ること。
わずか200頁ほどの新書版です。病院での待ち時間で読了しました。さあ、私も、こんなたしなみを有言実行して、一日一日を楽しく上機嫌で生きていくことにしましょう。
(2019年5月刊。1100円+税)
2019年6月16日
戦神(いくさがみ)
日本史(戦国)
(霧山昴)
著者 赤神 諒 、 出版 角川春樹事務所
面白い。ぐいぐいと戦国時代の大分県あたりに引きずりこまれていきます。歴史小説ですが、どこまで史実を反映しているのか、あまりに面白い展開なので首をかしげながら読み終えると、最後になんと、その種明かしがしてありました。
著者が、本書の末尾に、本作は書き下ろし歴史エンターテインメント小説であり、史実とは異なります、と断っているのです。なるほど、そうか、やっぱりそうなのだね・・・、それにしてもよく出来ている。私は、そう思いました。読書の楽しみをしっかり堪能(たんのう)できましたので、史実と異なっていることを知っても不満はありません。だって、やはり小説は読んで面白いかどうか、ですから・・・。
歴史的事実を平板になぞられても、ちっとも面白くありません。そこはやっぱり、どんな運命なのか、男女の愛はむすばれるのか、どんな邪魔が入って、それをいかにして乗りこえていくか・・・。ぜひぜひ知りたいじゃないですか・・・。
著者は弁護士です。前回の『大友二階崩れ』より、本書のほうが、私にはしっくりきましたし、読ませました。
戦国時代の大分を支配していた大分義鑑そして大分義鎮を当主として、その配下で敗戦を知らない日本一(ひのもといち)の武士(もののふ)、戸次(べっき)鑑連(あきつら)が主人公です。あとでは立花道雪と呼ばれた武将です。かの有名な立花宗茂の父でしょうか・・・。
舞台となるのは、大友家の支配する豊後(ぶんご。大分)と日向そして豊前です。いえ、肥後や出雲にも出陣します。
戸次八幡丸(べっきはちまんまる)。14の歳(とし)に初陣で大功をあげる。その後、生涯にわたり数えきれないほどの軍功を立てる。その采配する戦で、一度たりとも敗北しない。戦で勝てる敵はついに現れない。戦神(いくさがみ)と言ってよい。
こんな予言がことごとく的中していく運命です。ところが、預言者は次のようにも言うのでした。
「戦に明け暮れる、お前の人生は苛烈で苛酷だ。世のあらゆる災厄が次々と振りかかってくるだろう。華々しく勝利する戦で、万(よろず)の人間が生命を落とす。おまえは鬼だ。その人生で、母を殺し、父を殺し、兄を殺し、弟を殺し、妹を殺し、妻を殺し、子を殺す。あまりに深き罪業(ざいごう)のゆえ、おまえの血は後世に残らない」
いやはや、この予言が具体化するストーリー展開です。
40歳の弁護士が本格的な作家デビューしたことを心から祝福します。
(2019年4月刊。1800円+税)
2019年6月17日
手で見るいのち
人間
(霧山昴)
著者 柳楽 未来 、 出版 岩波書店
この本は筑波大学付属視覚特別支援学校が舞台です。実は、私の娘も突然、弱視になり、この学校にお世話になりました。それで、私も一度だけ父兄として学校訪問し、授業風景を見学したことがあります。
私の娘は大学を卒業していましたので、高校の部に入ったように思いますが、この本では中学生が生物の授業で動物の頭蓋骨を手で触って、その動物のもつ機能を考え、最後に、その動物が何であるかを推測します。著者も目をつぶって動物の頭蓋骨に触ってみたのですが、中学生たちにはまるでかないませんでした。子どもたちは視覚に頼れないため、すべて言葉を通して概念やイメージを他者に伝え、共有していく。目の見えない子どもたちにとって、感じたことを言語化することは、きわめて重要。
この授業は、40年以上も前から基本的な形をほとんど変えず今に続いている。教科書は使わず、板書もない。週1回2時間続きの授業を続ける。
事前に生徒に動物の種類は伝えないというのが授業のルールになっている。生徒たちは、穴の大きさや方向で正確に観察できる指先の能力をもっている。
これは著者のような目明き人間が目をつぶって骨を触っても、ただ物理的に骨に触れているだけというのとは違う。
全国の盲学校の在籍者数は年々減少している。1959年の1万264人がピークで、2018年には2731人となった。これは全国的な少子化に加え、医療技術の発達から乳幼児期の失明が格段に少なくなったこと、障害ある子どもも普通学級で共に学ぶ「インクルーシブ教育」が広がっている影響もある。
1982年、全盲の男子高校生がICUの理科(化学系)に合格し、入学を認められた。
実は、私の娘は、この盲学校に入る前はICUで学び、キュレーターを目指していたのでした。
その後は、東大の教授たち3人が盲学校にやってきて、「ぜひ、東大に来てほしい」と要請したというのです。世の中はいい方向に動いているのですね・・・。
今では、盲ろう者の福島智さんが東大教授になっています。すばらしいことです。
ところで、点訳ボランティアの平均年齢が70歳代になっていて、後継者の確保が大変になっているそうです。
この盲学校の授業は、生徒たちの発見をもとにして進んでいくけれど、生徒がそれぞれ自由に発言するだけでは、授業は前に進まないし、考察は深まっていかない。ただの雑談に終わらせない見通しをもった工夫が求められる。
この授業では、教員は生徒たちに知識を押しつけない。生徒が目の前にある骨を自分でしっかり触って、生徒自身で考える。この姿勢が一貫させている。これが大切だ。そのため、教師は、いろいろ質問し、観察するためのヒントを小出しにする。
すばらしい生物の授業です。私もこんな授業を受けてみたいと思ったことでした。
(2019年2月刊。1500円+税)
2019年6月18日
読書と教育
人間
(霧山昴)
著者 池田 知隆 、 出版 現代書館
大牟田にある有明高専で国語を教えられた著者が、恩師である棚町知彌(たなまちともや)の戦中・戦後の軌跡をたどった本です。
国語とは、国を語ること。すなわち、自分と世界とのかかわりについて語ること。
私の講義は消化剤であり、ビタミン剤である。栄養はすべて本にある。
授業のなかで、課題図書を次々にあげる。「キュリー夫伝」、「三四郎」。授業では、まるでカラオケでも歌っているかのように朗読し、試験は読書感想文を書くこと。3年間の国語教育の集約として、全5巻の「チボ―家の人々」の読了が義務づけられた。
うへーっ、これはすごいことですよね・・・。著者は有明高専を卒業して、珍しいことに早稲田大学政経学部に進学します。私と同じ団塊世代で、学年も同じのようです。
棚町知彌は思想検事の子として生まれ育ったが、父親は50歳の若さで急死した。
成蹊(せいけい)高校を卒業して北海道大学理学部数学科に進学した。ところが徴兵猶予を自ら拒否して応召し、通信2等兵として中国戦線へ渡る。数学科出身なので暗号解読に強いとみられたようだ。
そして、戦後は、福岡でアメリカ占領軍の民間検閲局につとめた。
その後、博多工業高校の教諭となり、国語を生徒に教えはじめた。さらに、新設の有明高専で13年間、国語教員として勤めた。そのあと、山口大学、そして長岡技術科学大学に移った。
どこでも生徒・学生に膨大な課題図書を提起した。「黒い雨」や「播州平野」、「蟹工船」、「太陽のない町」、さらには「土」、「不毛地帯」、「怒りの葡萄」なども入っていて、さすが・・・と思いました。
棚町式ノートは、ルーズリーフ式ではなく、部厚いノートに手書きする。感想はいっさい書かない。ひたすら重要な個所を抜き書きする。ノートへの抜き書きは、時間を異にする自分の思考との出会いを確実にする記録である。抜き書きを重ねていくことにより読書にセンスが養われる。
私もこうやって毎日、抜き書きしていますので、棚町式ノートを実践していることになります。読書は、まさしく人々との出会いだと痛感させられた本でもありました。
(2019年4月刊。2000円+税)
日曜日の午後、フランス語検定試験(1級)を受けました。
はじめから合格するとは思ってもいないのですが、案の定、とてもとても歯が立ちません。それでも、フランス語歴は長いので、まるでチンプンカンプンという域ではありません。いやはや、フランス語って奥が深いよね、やっぱり難しいね、そんな実感を胸に抱きながらトボトボと西新駅に向かいました。
年に2回の難行苦行です。この1週間は、集中して頭をフランス語漬けにしました。もはや上達しようとか1級レベルに達して合格しようという高望みはしていません。せめて現状維持、必死で後退をくい止めようというレベルです。
このところ、NHKラジオ講座のCDを繰り返し聞いて書き取りをしながら基本文型を暗記するように努めています。なので、本番の仏検でも書き取りだけは、バッチリでした。聞きとりも、そこそこでした。ところが、今回は、なんと長文読解、読みとりが惨敗でした。自分でも信じられないほどの不出来なのです。
それやこれやで、いつものように大甘の自己採点で63点でした。150点満点ですから、やっと4割なのです。あと2割を上乗せするのはあまりにも大変です。1級を受験したのは1995年からですので、すでに24回目の受験ということです。
根性だけはありますが、世の中、根性だけで渡り切れるほど甘くはありませんよね・・・。
2019年6月19日
本物の再建弁護士の道を求めて
司法
(霧山昴)
著者 村松 謙一 、 出版 商事法務
今度、またテレビ番組になるそうですね。倒産しかかった企業をたて直す仕事を一生の仕事として誠心誠意とり組んでいる著者の姿勢はすばらしいものです。
企業が倒産して救いがないと思うと、自死を選んでしまう経営者が昔も今も少なくありません。そこへ光明を持ち込み、自死を阻止するのです。
そんな社長に「がんばれ」と声はかけない。「あなたは、これまでさんざん苦しんだし、がんばってきた。もうがんばらなくていいよ。少し休みなさい。あとは、専門家である私たち弁護士があなたの重石を背負うから・・・」
経営者の心の重石を軽くしてあげられるように経営者に寄りそい、ただ、黙って共感する。それだけでも暗い闇のなかににる経営者はどんなにか救われることか・・・。
再建弁護士は、債権者をふくむ利害関係人側の視点に立たないと成り立たない。
会社再建は、駆け引きや条件闘争の場ではなく、各債権者の主張する権利が正当であると認めたうえで、そのうえで債権弁護士自らが極めた「正義」としての企業再建に導く指導者である必要がある。
企業再建において闘うべき相手は金融機関ではなく、「倒産という悪魔」なのである。
企業再建に「債権カット」が必要不可欠なのは、倒産の危機を招来している主要な原因の一つに過剰債務問題があるから。単なる先送り的な「リ・スケジュール」では失敗してしまう。
売上をあえて減少させる勇気をもつ。返済は売上げするものでは。利益至上主義への精神的変革が必要だ。嘘をついてまで資金調達をしてはいけない。
さすがに豊富な再建弁護士の体験が分かりやすく教訓化されていて、後進にも大いに役立つ内容となっています。まさしく企業再建は人生救済のドラマだと実感させられます。
たくさんの生きた格言も紹介されていて、ハッとさせられます。
(2019年1月刊。2800円+税)
2019年6月20日
候補者ジェレミー・コービン
イギリス
(霧山昴)
著者 アレックス・ナンズ 、 出版 岩波書店
アメリカでサンダース上院議員が民主的社会主義者としてアメリカの若者たちに大きく支えられて躍進しているのと同じ現象がイギリスでも起きていることを知り、大変うれしく思いました。労働党の党首となったコービンの実像に迫った本です。
コービンを党首に押しあげたのは、一つの政治運動の流れであり、それがコービンの周囲に結集し、奔流となったのだ。三つの流れがコービンを支えたが、もっとも強い流れは緊縮財政に反対する運動だった。
コービンを2つの巨大組合ユナイトとユニゾンが支援した。これがコービン指示に正統性をもたらした。労働党では、2015年に1人の議員の票も一般党員の票と同じ価値をもつように変更された。そして、3ポンド払えば労働党の党首選に参加できるように変わった。
人々はコービンが勝つ可能性があるように見えたから加わった。そして、集まった人々が生みだした弾(はず)みがコービンの勝利を確実にした。
国の政治を実際に変えられる貴重なチャンスがあるという高揚感には伝染性があった。
いつもの顔ぶれの枠をこえて、ウィルスのように爆発的に広がり、初めて政治にかかわる若者、学生、アーティスト、反体制の運動家、オンライン署名者へと広がった。
新しい政治運動が誕生した。コービン運動だ。そこで際立っていたのは、自ら歴史をつくろうとする願いだった。運動は行動を望んだ。ボランティアに名乗り出る。メッセージを発信して説得する。電話で聞きとり調査する。友だちを勧誘する。イベントに参加する。政策を提案する。投票する。変化を求める勢力を築く。観察政治に嫌気がさしていた人々の集まりだった。これが、コービンとその選挙キャンペーンのもつ参加の精神と実践に共鳴した。
この運動には、前の世代にはなかった強力なツールがあった。ソーシャルメディアだ。
コービンは、キリスト教社会主義者、ただし、キリスト教抜き倫理的社会主義者。
コービンにはトニー・ベンのような人を鼓舞する演説の深さがあるわけではなく、トニー・ブレアの目端(めはし)が利いて人をそらさない表現力もない。しかし、心に深く抱いている共通の価値観を明確に表明して聴衆との結びつきを生む希有の能力がある。誠実さ、原則を守る姿勢、倫理的な力、コービンは一つの模範だ。そして、縁の下で助力を惜しまない。
ジェレミー・コービンは、何年もかかってつくられた大きな歴史的潮流によって労働党の党首へと押し上げられた。だが、必然は一つもなかった。労働党に投票した人の3分の2は国民投票でEU残留を支持し、3分の1はEU離脱に投票した。
コービンは宣言した。私たちは億万長者のための党ではない。企業エリートの党でもない。人びとのための党である。
若者の投票率が飛躍的に伸びた。18~24歳は52%が65%へ飛躍した。25~34歳は52%から63%へ上昇した。若者たちが労働党へ投票したのだ。
日本でも同じように若者に希望を与えること、世の中は変えられることを目に見える形で示すことが大切です。私は、最近つくづくそう思います。
私が20歳のころ、「未来は青年のもの」というスローガンに心がおどりました。東京・神奈川・京都・大阪と革新首長が次々に誕生していき、日本は変わる、変えられるという成功体験が今の私を根底で支えています。「アベ一強」の嘘つき放題のデタラメ政治が野放しにされていて、あきらめきっている若者に、そんなことはないよと呼びかけたいものです。
もりもり元気の湧いてくる本です。ぜひ、あなたもご一読ください。
(2019年4月刊。3700円+税)
2019年6月21日
アイヌの法的地位と国の不正義
社会(アイヌ)
(霧山昴)
著者 市川 守弘 、 出版 寿郎社
アイヌそしてコタンとは何者なのか、何なのか、本書を読んでようやく理解することができました。著者は北海道の弁護士ですが、アメリカに留学して、アメリカのインディアンの法的地位を学んでおり、それと比較しながら検討していますので、認識を深めることができます。
私は沖縄に、本土と異なる民族がいるとは考えていませんが、アイヌはたしかに本土とは別の固有の民族文化があったと思います。たとえば、アイヌは、死者の埋葬後、墓地に墓参りはしない。それは、静かに眠ってもらい、決してその眠りを妨げてはならないという決まりがある。埋葬時には、本でつくったクワ(墓標)を立て、クワは朽ちるにまかせ、故人の慰霊はコタン(集落)内でする。なので、「無縁墓」というような「放置され、誰も墓参りに来ない墓」という考えは出てこない。
「○○家」の墓地はなく、亡くなった順に埋葬していくだけ。死者を祀るのは家ではなく、コタン全体でする。遺骨を誰が相続するかとか、墓について相続人で協議するということもない。
先住民族としての権利を考えるとき、「アイヌ民族」という言い方は曖昧で、不適切だ。
日本政府は、自らがコタンという集団を壊しておきながら、もはやこのような集団は存在しないから、集団の権限は認められないというもの。そんなことを国が主張することに正当性(正義)が果たしてあると言えるのか・・・。
アイヌについて徳川家康は黒印状を発布している。そこでは、蝦夷(えぞ)のことは蝦夷次第、アイヌの人は自由と明記されている。すなわち、上下関係でなく、対立する関係と定められた。
江戸幕府は、幕藩体制の外にアイヌ社会を置いた。それによって松前藩の独占的交易権を確保した。
幕府体制下におけるアイヌは、一方で交易の相手方を松前藩に限定されながらも、他方では本土の和人のように人別帳(にんべつちょう)に記載され、移動を制限されたり、課税されたり、賦役(ふえき)を課されることはなかった。
アイヌは、幕府や松前藩による直接の法的規約を受けることはなく、コタンの長をトップにして自由な意思決定を行っており、この自由な意思決定は、一定の法規範をもって規律され、かつコタン内において強制力を有していた。つまり、対外的主権は制限されたものの、対内的には各コタンによる自由な意思決定が保持されていた。その意味で、対内的主権は維持され、それが明治になるまで存在していたと評価できる。
アイヌの人たちは、1869年(明治2年)まで、「化外(けがい)の民」として支配されていなかったにもかかわらず、その2年後に「日本国民」として編入され、明治政府によって直接支配されるようになった。したがって、支配者(権力者)に対して憲法の人権を主張することは当然に認められるべきである。
アイヌ集団としてのアイヌコタンとそのアイヌコタンが有していた先住権は、明治以降、日本政府によって侵略されながらも、依然として失ってはいない。なぜなら、それは、アイヌコタンという集団の意思にもとづいてのみ「失われる」ものであって、アイヌコタンという集団は、この権限を過去において放棄していないからである。
アイヌコタンは、日本という国からみれば、前国家的存在であり、アイヌ先住権とは、前憲法的権限なのである。
まず、基礎単位としての数家族からなる「小コタン」が存在し、それらを一つの河川で束ねる「河川共同体」としての集団(部落集団)があり、それら複数の河川共同体を束ねる「河川共同体連合」というものが成立していた。つまり、コタンというのは、単なる小さな集団だけを意味するのではなく、それらを束ねる大きな共同体のことでもある。さらには、コタンを束ねる大きな共同体をさらに連合させた集団もコタンということになる。このように、コタンという主権をもった集団が重層的に存在していた。
アイヌの亡くなった人々の頭骨などが北大をはじめとして各地に分散・保管されているが、それらの遺骨管理権もアイヌの先住権の一つとして認められるものである。
アイヌとコタンについての本格的研究書として大いに参考になりました。市川弁護士の今後さらなる健闘・健筆を心から大いに期待します。
(2019年4月刊。2100円+税)
2019年6月22日
ナチスから図書館を守った人たち
ヨーロッパ(リトアニア)
(霧山昴)
著者 ディヴィッド・F・フィッシュマン 、 出版 原書房
リトアニアのユダヤ人・ゲットーでユダヤ人の図書を守った人たちの話です。
メンバーは「紙部隊」と呼ばれ、本や書類を胴体に巻きつけて検問所にいるドイツ軍警備兵の前を通過して、ゲットーにひそかに持ち込んだ。万一見つかったら、銃殺隊によって処刑される状況下でのこと。
ヴィルナはドイツ軍から解放されたあと、生き残った紙部隊は、隠し場所から文化的財産を回収した。ところが、次にヴィルナを支配したソ連当局はユダヤ文化に敵意を抱いていた。そこで、再び宝物を救い出し、本や書類を国外にこっそり運び出すことになった。
ユダヤ人の生活では、本が至高の価値をもっている。
ゲットー図書館は、もっとも残虐な行為のあった1941年10月、図書館への登録者は1492人から1739人に増え、7806冊の本を貸し出した。1日平均325冊のほんが借り出された。すなわち、つらいパラドックスがあった。大量検挙があると、図書の貸し出し数が急増したのだ。読書は、現実に対処し、平静さを取り戻す手段だった。
なるほど、しばし頭の中だけは別世界に生きることができますからね・・・。
読書は麻薬であり、一種の中毒で、考えることを回避するための手段でもあった。子どもたちは、図書館の熱心な利用者であり、他の年代よりも一人あたりの読書量は多かった。
閲覧室にやってくるのは、本を借りる人よりもエリート層が多かった。多くは学者と教育者で、図書館は、その仕事場になった。閲覧室は、静寂、休息、威厳を必要とする人々にとって、避難所だった。
ヴィルナのゲットーで読書が盛んな理由は・・・。
読書は生存のために闘うときの道具だ。緊張した神経をやわらげ、心理的な安全弁として働き、精神的肉体的に崩壊することを防ぐ。小説を読み、架空の英雄たちを自分に重ねあわせることで、人は精神的に高揚し、生き生きしてくる。
紙部隊のメンバーたちは、もうじき死ぬにちがいないと信じていたので、残りの人生を本当に大切なものに捧げることを選んだ。
本は少年時代に犯罪と絶望の人生から救ってくれたものだったから、今度は恩返しとして、本を救う番だ。
1943年7月半ば、ドイツ軍はゲットーのパルチザン連合組織FPDの存在を知った。とらえられたポーランド人共産主義者が拷問によって口を割ったのだ。ドイツ軍はFPDの司令官を知り、ユダヤ人評議会に対して引き渡しを求めた。さもないと2万人のゲットー住民全員を処刑すると脅した。1人の命か2万人の命かと選択を迫られ、FDPのヴィテンベルク司令官はドイツ軍に投降し、とらわれの身のうちに自殺した(らしい)。幻想だったわけです。
ゲットーの住人たちは、すぐに殺されるとは考えてなかったので、蜂起することを拒否した。強制労働収容所に移送されても生きのびられると期待していた。
ユダヤ民族の文化を守り、次世代への継承していこうと必死の覚悟で奮闘した人々の姿を知り、頭の下がる思いでした。やっぱり紙の本も大切なのですよね・・・。
(2019年2月刊。2500円+税)
2019年6月23日
恐竜の卵の里をたずねて
恐竜
(霧山昴)
著者 長尾 衣里子 、 出版 成文堂新光社
久しぶりに恐竜の本を読みました。鳥が恐竜の子孫であることは間違いないようです。
今朝は珍しく澄んだ甲高い小鳥の鳴き声を楽しむことができました。わが家の周辺は、いつもカササギ夫婦がカチカチ、シギシギ言いながら飛びまわっています。
中国、アルゼンチン、フランスそして日本と恐竜の卵の発掘現場を探訪した旅行記です。
とりわけ印象的なのが中国です。たくさんの恐竜の卵化石が発掘されていて、驚嘆しきりです。発掘現場には、砲丸投げの球そっくりの黒くて丸い卵化石が点在しています。日本では丹波竜の卵の化石が、見つかっています。
そして、フランス南部にもチタノサウルスの卵化石が発掘されています。ラグビーボールほどの大きさ、そしてずしりと重たいそうです。
今では、卵化石のなかの赤ちゃん恐竜の背骨の一本一本までがクローズアップして見えるようになっています。恐るべき科学技術の進歩のおかげです。
たくさんの卵化石の写真が紹介されていて、楽しく読めるエッセーになっています。
(2019年3月刊。1000円+税)
2019年6月24日
凛としたアジア
アジア
(霧山昴)
著者 伊藤 千尋 、 出版 新日本出版社
今の日本が失ってしまった圧倒的な人間のエネルギーや社会のパワーがアジアの国々にある。韓国では、2016年に100万人規模の「民衆総決起」が政権を倒した。権力者が身近な人物に便宜を図ったことに対して国民的な想いが渦巻き、街頭に出てきた。
日本だって、アベ首相夫妻が身近な人間に対する便宜供与が次々と発覚したのに、「民衆総決起」は起きませんでした。いったい、なぜ・・・。どこに違いがあるのか・・・。
韓国人は、ひどい軍政時代に市民が血を流して闘い、自らの力で民主主義を獲得した。だから、韓国人は自信をもっている。日本の歴史で、市民が自らの力で政権を獲得したことが一度でもありますか・・・。
うむむ、そんな根源的な問いかけを受けて、私は胸をはって「日本だって、あります」と答えることができません。残念です・・・。
韓国映画『タクシー運転手』、『1987、ある闘いの真実』は、私も福岡でみました。すごいです。生命かけての闘いに接し、頭が自然に下がります。
アメリカのベトナム侵略戦争反対は、私の学生時代にずっと叫んでいたスローガンです。
私が弁護士になった翌年のメーデーの日にアメリカ軍はみじめに撤退していきました。
南ベトナムの警察の事務局長は「北」の諜報員。政府顧問の補佐官も同じ。ベトナム空軍にも「北」の兵士がいた。
そりゃあ、そうですよね。アメリカ軍の支配に屈したくない人々は南にもたくさんいました。
そして、フィリピン。私も2度だけマニラに行きましたが、アメリカ軍の基地が撤去されて、今では広大なショッピングセンターや商工業施設に変貌して、地域経済を大きく支えています。軍事施設なんて不要という見本なのです。
基地をなくしたら、基地のときの2.5倍の10万人の人々が平和産業で誇り高く生きている。クラーク空軍基地跡には、500社の企業が進出し、日本企業も40社が操業している。
沖縄だって同じです。基地跡(おもろまち)が一大ショッピングセンターなどとして繁栄しています。
著者は私と同じ団塊世代です。大学生のときにキューバに行ってサトウキビ刈り国際ボランティアに参加したというのですから、大変な勇気があります。私の書庫には著者の本がいくつもあり、この本が6冊目です。いま、「九条の会」の世話人の一人として活躍しています。
ぜひ、手にとってお読みください。元気が湧いてくる本ですよ。
(2019年2月刊。1600円+税)
2019年6月25日
先制攻撃できる自衛隊
社会
(霧山昴)
著者 半田 滋 、 出版 あけび書房
安保法制が施行されて3年たった。日本は戦争に巻き込まれていない。では、あのとき私たちは取り越し苦労をしたのか・・・。安心するのは、まだ早い。今は、たまたまアメリカが戦争をしていないから、日本も静かなだけ・・・。
アメリカが世界のどこかで戦争をはじめ、日本に応援を求めてきたときには、日本はすぐに自衛隊を世界中のどこにでも送り込み、アメリカと一緒になって戦争することになる。
アメリカが戦争していないからといって、安保法制は休眠してはいない。南スーダンで「駆けつけ警護」が命じられた。ところが、それが本格的に実施される前に自衛隊は撤退した。
それは、安倍首相が国会で自衛隊員に死傷者が出たらどうするかと追及されて、責任をとると明言したから。死傷者が出ないように撤退させたわけだ。
そして、自衛隊のアメリカ軍防護活動も始まっている。しかし、その状況は国民に公表されていない。
日本はアメリカから攻撃型武器をどんどん買わされている。かつては毎年500億円ほどだったのが、今では桁ちがいの7000億円にまではね上がった。
武器を売り込みたいアメリカにとって、日本は文句ひとつ言うことなく、ハイハイと、どんな高額かつ欠陥品であっても買ってくれる天国のような国になっている。
アメリカは、日本の国土を自分に都合よく利用させてもらっているので、その片手間に日本の防衛も手伝うといっているにすぎない。これが日米安保条約の真の姿。なので、日本が世界最高額のアメリカ軍経費を負担しなくてはいけない義務なんてない。
かつては外務省にも良心的な幹部官僚がいたようです・・・。
アメリカも日本も、軍部と支配・権力層は絶えず、「敵」を探している。「敵」がいないと、とたんに防衛費は削減され、武器や隊員も削減されること必至なので、「敵」つまり「日本に対する脅威」なるものを必死で探し求めている。しかし、見つけられない。
秋田と山口に建設されようとしているイージス・アショアは、当初は1基800億円だとしていましたが、今では1340億円の購入費のほか、維持・運営費を加えると、5000億円近い。そして、日本の秋田と山口に建設するのにこだわっているのは、実は、アメリカのハワイとグアムを防衛するために立地上として都合がいいからであって、日本防衛とは関係がない・・・。うむむ、なんというバカげたことでしょうか・・・。5000億円もの予算を教育・福祉にまわせば、日本社会もどんなに住みやすくなることでしょう・・・。
軍事予算をどんどん増やしていけば、福祉予算の切り捨ては必至です。介護保険料を引き上げ、生活保護費の引き下げはまったなしで実現することでしょう。まさしく、お先真っ暗です。
なんのために軍事予算を増大させようとしているのか、どうして年金に頼って生活できないほど年金額が低いのか・・・。
いったい、教員はまともに日本という国の政治を子どもたちに教えているのか・・・。
自分たちの生活の実際を直視し、年金問題では、各人が2000万円を積み立て投資が求められていることを自覚すべきだ。いやはや、そんなことが、自覚したとしても出来る人が日本全国にいったいどれくらいいるでしょうか。
軍事的機能、軍事予算そして生活費に与える多大なマイナス影響・・・。これを考えたら安倍改憲なんて、まっぴらゴメンだということになります。
今、ひとりでも多くの人に読んでほしい本です。
(2019年5月刊。1500円+税)
2019年6月26日
団地と移民
社会
(霧山昴)
著者 安田 浩一 、 出版 角川書店
団地は日本の象徴です。私の身近な団地も高齢化がすすんでいます。幸いアメリカのようなスラム街にはなっていませんが、エレベーターがなくて、ひきこもり、またゴミ部屋になっていたり、孤独死していて何週間もたって発見されるというのを聞きます。
この本では、団地に外国人が集中して居住している状況がレポートされています。なるほど、と思いました。
千葉県松戸市にある常盤平(ときわだいら)団地には5000世帯が住む。住民の半数が65歳以上の高齢者。単身高齢者が1000人。
いま団地で大きな問題となっているのが「孤独死」。2016年には、10人が自室で亡くなり、死後しばらくして「発見」された。2001年春には、69歳の男性の白骨死体が見つかった。死後3年が経過していた、これには驚きます・・・。
団地は、いまや限界集落にひとしい。
ええっ、限界集落って、交通の途絶した農山村のことかと思っていると、大都会でも起きているんですね・・・。
団地では、孤独死が出ると、壁紙も床もすべて外し、むき出しのコンクリート状態にしてから、内装工事をやり直す。というのは、いくら清掃しても床や壁から死者のニオイが消えることはないから・・・。
埼玉県川口市にある芝園(しばぞの)団地が全2500世帯。半数が外国人住民で、その大半がニューカマーの中国人。
広島市の基町(もとまち)高層アパート(最高20階建)は、戸数3000戸、9000人が暮らす大規模集合住宅。隣接する県営の中層アパート1500戸とあわせて基町団地とも総称される。半数が高齢者、残り半分が外国人。基町アパートの高齢化率は46%。外国籍住民は20%。残留孤児のような中国人が多い。日本語教室が取り組まれている。
愛知県豊田氏の保見(ほみ)団地は日系ブラジル人が多い。1985年、日本にいるブラジル人は1900人。1990年に5万5000人となり、今や20万人。保見団地の全住民8000人の半分がブラジル人など日系南米人。まさに、「小さなブラジル」だ。1999年、保見団地抗争が起きた。右翼と暴走族が「ブラジル人の一掃」をとなえ、ブラジル人グループも全面対決を覚悟した。幸い、機動隊の出動によって、大がかりな衝突は未然に防止できた。
日本社会は移民国家化を避けることができない。いや、すでに日本は事実上の移民国家だ。外国籍住民の人口は、すでに250万人。これは名古屋市の人口を上まわりもはや京都府全体の人口に近い。たそがれていた団地にとって、外国籍住民は救世主となる可能性がある。そして、団地でニューカマーの外国人が自治会役員になるケースもふえている。団地は多文化共生の最前線。移民国家に向けた壮大な社会実験が進行中なのである。
なるほど、現実をしっかり受けとめ、視点を変える必要があると痛感させられました。
(2019年3月刊。1600円+税)
2019年6月27日
マルコムX(上)
アメリカ
(霧山昴)
著者 マニング・マラブル 、 出版 白水社
マルコムXが講演会場において衆人環視下で暗殺されたのは1965年(昭和40年)2月21日のこと。ということは、私がまだ高校1年生だったときのことになります。当時の私はマルコムXなんて知りませんでしたから、ケネディ大統領暗殺、こちらは私が中学生のときです。このときは、すごくショックで、いったい世界はこれからどうなるんだろうか、また戦争が始まってしまうのだろうかという暗い気持ちになったことを今でも覚えています。
マルコムXの暗殺は、ケネディ大統領やマーティン・ルーサー・キング博士の暗殺と同じ程度の衝撃を多くのアメリカ人に与えた。
マルコムXは、現代ゲットーの産物だった。マルコムXは、都市部の黒人のあいだに強い支持基盤を築いていた。都市部の黒人は、制度的な人種差別をなくすには受動的な抵抗では不十分であることを理解していたからだ。
マルコムXは、いくつもの名前をつかった。マルコム・リトル、ホーム・ボーイ、ジャック・カールトン、デトロイト・レッド、ビッグ・レッド、サタン、マラチ・シャパーズ、マリク・シャパーズ、エル・ハジ、マリク・エル・シャパーズ。どの一つの人格もマルコムを完全にとらえるものではなかった。
黒人アメリカ人にとって、マルコムXの魅力はどこにあるのか・・・。
マルコムXが真に唯一無二の存在だったのは、自分をアフリカ系アメリカ人の民族文化の中心に位置する二つの人物像、つまりハスラーであり、ペテン師、そして説教者であり牧師であるという像を同時に体現する者として自分を提示したことにある。
マルコムXは、世界を旅して、白人への非難と不寛容が正統派イスラムとは相容れないことを知った。そして、マルコムXは、真のイスラムの普遍主義と、人種を問わず、誰でもアラーの恵を見いだすことができるという考えをとり入れた。
FBIもニューヨーク市警察も、どちらもマルコムXの暗殺計画を知っていた。
マルコムXの語りには明快さ、ユーモア、そして切迫感があり、黒人の聴衆をわかせた。
子どものころのマルコムXは運動が苦手だった。踊り(ダンス)も下手だった。しかし、話がうまく聡明で、生まれつきのリーダーだった。
少年時代のマルコムXは窃盗・詐欺の常習犯だった。そして、刑務所に入って、マルコムXは、勉強をはじめた。小物の犯罪者で詐欺師だったマルコムXは、刑務所のなかで政治的知識人となり、ブラック・ムスリムに変身した。
マルコムXの実像に迫った本として興味深く読みすすめました。上巻だけで380頁もある部厚い本です。圧倒されながらも、ぐいぐいと本の世界、マルコムの生きていた世界の深奥をかい間見た思いがしました。
(2019年2月刊。4800円+税)
2019年6月28日
百姓一揆
明治
(霧山昴)
著者 若尾 政希 、 出版 岩波新書
大学生のころ(50年以上も前のことです)、雑誌『ガロ』に連載されていた白土三平の「カムイ外伝」を夢中で読みふけりました。百姓一揆のすさまじいエネルギーに圧倒されたのです。駒場寮には誰かが買ってきたマンガ本がたくさんあり、貧乏な私自身は買ったことはありません。
ところが、百姓一揆の実体についての研究が進展し、かつてのような「革命の伝統」だという考え方は古くなるという、1970年代半ばに一大転換がありました。
島原・天草一揆は一揆と呼ばれた。しかし、その後は、一揆に代えて、「徒党」、「強訴」(ごうそ)、「逃散」(ちょうさん)という文言がつかわれた。
今では、「百姓一とは何か?」ということ自体が、実は、明白でないと意識されている。
一揆の際に鉄砲が持ち出されることはあった。しかし、それは合図の鳴物として使われ、人間の殺傷用ではなかった。
明治に入って、自由民権期に、運動の前史として百姓一揆が位置づけられ、いわば伝統が創造されて、竹槍蓆旗(むしろばた)という暴力が前面に出てくる百姓一揆のイメージが形成された。
実は、日本近世は訴訟社会であり、訴状が寺子屋の教材になるほど、異議申立が頻繁に行われていた。この訴状を手本としたのが「目安(めやす)往来物」だった。17世紀につくられている。
領主は百姓が生存できるように仁政を施し、百姓はそれにこたえて年貢を皆済する。このような領主と百姓とのあいだに相互的な関係意識が形成されていた。
実際の百姓一揆で、殺し合いの戦闘が行われたことはなかった。「打殺」を標榜して、実際に殺傷に及んだ一揆は明治初年の埼玉にあるだけで、他にはない。
百姓一揆が何なのかを見聞せずに、十分に理解していない作者が軍書(軍記物)の合戦のようなものだと想像して描いたのが「農民太平記」だった。一揆物語は、領主による仁政の復活を言祝(ことほ)ぐことで終わっている。現実には村内は分裂状態にあるため、かつては一体的な百姓的世界があったとして、村役人が命をかけて村を守ったという代表越訴(おっそ)的な一揆の物語が求められた。百姓を一体のものとしてつなぎ合わせるためにこそ、義民を主人公とした一揆物語が全国各地につくられていったのではないか・・・。
今では、百姓一揆への熱いこころざしが薄れてしまっているのは残念な気がします。これだけ平然と年金切り下げがすすんでいて、共産党が年金増額を提言すると、安倍首相が「バカげたこと」と切り捨てているのに、国民が街頭に出て異議申立しないなんて、日本はおかしな国です。フランスを見習いたいものです。百姓一揆についての興味深い本でした。
(2018年11月刊。820円+税)
2019年6月29日
虫や鳥が見ている世界
生物
(霧山昴)
著者 浅間 茂 、 出版 中公新書
紫外線写真でみると、虫や鳥の世界がまるで違って見えてきます。
大部分の動物は紫外線を見ることができるのに、哺乳類には見えない。なぜなのか・・・。
恐竜の時代に誕生した私たちの祖先である哺乳類は小さく、恐竜を恐れて夜に活動していた。夜には紫外線を見る必要はなかったので、紫外線を見る能力が退化し、失われてしまった。そして、ヒトは現在の可視光領域に適した視覚をもつようになった。
鳥やチョウなどでは、紫外線反射の違いでオスかメスかを見分けて、求愛活動に役立てているものが多い。紫外線を利用してエサとなる虫を誘引しているクモもいる。
植物も、目の悪い虫に対して、紫外線を利用して蜜のありかを示して魅きつけている。
生命体は、紫外線の届かない青い海のなかで広がった。
法隆寺の玉虫厨子(たまむしのずし)の色が1300年後の今でもあせることなく残っているのは、その色が色素によってではなく、構造色によって発色しているから。構造色は、その構造が壊れない限り発色する。
昔、『モンシロチョウの結婚ゲーム』という本を読みました。モンシロチョウはオスもメスも真っ白なのに、オスはメスを見分けて接近する。なぜか・・・。紫外線があたると、オスは吸収して真っ黒になるが、メスは吸収せず反射して白っぽく見える。なので、モンシロチョウのオスは白く光るメスを目がけて突進していく、そんな話でした・・・。びっくりしてしまいました。学者はすごいです。
生物の世界は不思議に満ち充ちています。
(2019年4月刊。1000円+税)
2019年6月30日
緋い空の下で(上)
イタリア
(霧山昴)
著者 マーク・サリヴァン 、 出版 扶桑社文庫
ナチス・ドイツに抵抗したフランスのレジスタンス運動についてはいくつも本があり、読みましたが、この本はイタリア北部のレジスタンスの話です。実話をもとにしているようですが、大変スリリングな展開で、350頁の文庫本を2日間で読み通しました。下巻が待ち遠しい思いです。
上巻の前半は、ユダヤ人のアルプス越えを先導する話です。その行く先はスイスです。『サウンド・オブ・ミュージック』と同じく、ナチスの追及を逃れてスイスに駆け込むユダヤ人たちの案内人をイタリアの少年がつとめるのです。冬山を少年が先導し、慣れない山道、しかも絶壁の冬山を勇気を出させて乗り越えていくところは、まさしく手に汗を握ります。
後半は、そんな青年がイタリア軍に徴兵されてロシア戦線に送られて死ぬよりは、ドイツ軍に入って内地勤務を両親にすすめられてドイツ軍に志願入隊することになり、それからの意外な展開です。
事情を知らない知人からは裏切り者と呼ばれます。
そして、イタリアにいるドイツ軍の高級幹部の運転手となり、ドイツ軍の機密情報をもらすスパイになるのです。まさしく手に汗握るシーンの連続です。
イタリア北部は、ドイツ軍がムッソリーニを利用しながらも上陸してきたアメリカ軍などに必死に抵抗していて、そこでイタリアのパルチザンたちが活動していたのです。
アメリカで2017年のベストセラーとなり、映画化もされるそうです。ぜひ、映画もみてみましょう。
(2019年5月刊。980円+税)