弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2019年4月 2日

日本の戦争Ⅱ.暴走の本質

日本史(戦前)


(霧山昴)
著者 山田 朗 、 出版  新日本出版社

安倍首相のいかにも軽薄な言葉に接するたびに、こんな無能なリーダーの下で我が子や孫たちが戦場に駆り出されて死んでしまったら、哀れというか無惨というか、悔み切れないだろうと、つくづく思います。
この本は、戦前の帝国軍の実情をさらけ出し、戦争というものがいかに無駄死をもたらすものなのか、じっくり考える素材を豊富に提供してくれます。いま読まれるべき本として、一読をおすすめします。
戦争は、決してある日突然に起こるものではなく、必ず国家の政策の延長、外交的対立の帰結として起こる。戦争とは、国家戦略・政策の延長線上にある武力行使であり、軍事力による他者(国家・民族)への意思の強要である。
日露戦争の前の日本は、まだ主力艦クラスの艦艇を国内では建造できなかった。国産の主力艦は一隻もなく、すべてイギリス製の戦艦であり巡洋艦であった。
日露戦争のあと、欧米の陸軍は、火力主義の強化、砲兵の重視を学んだ。ところが、日本陸軍は逆に火力主義から白兵主義へと基本理念を転換した。
日本海軍の飛行機搭乗員の養成方針は、完全な少数精鋭の「名人」をつくることに主眼を置いていた。そこで、航空戦で日本軍精兵が「消耗」してしまうと、戦力は急激に低下し、連鎖的に全体的崩壊をもたらした。
日露戦争において、実は、日本軍はホチキス式機関銃を268丁(これに対してロシア軍は56丁)を使用していて、戦線によっては日本軍がロシア軍よりも多数の機関銃を投入していた。
戦死した軍人を軍神に祭り上げることが多かったが、それは軍指導部の失敗・過程を隠蔽するためだった。旅順港閉塞作戦で戦死した広瀬武夫海軍少佐の戦死もそれだった。久留米の肉弾三勇士の戦死も同じこと。
日本には、日本陸軍と日本海軍は存在したが、一元化された日本軍は存在しなかった。
日清戦争のあと、戦時における最高司令部としての大本営が設置されたが、今度は、政府と大本営とがそれぞれ天皇に並立・直属し、国家戦略の統一的な決定機関が存在しないことになった。
弾薬を大量に消費することを嫌った陸軍は、機関銃の研究・開発を遅らせた。戦車は、おくまで歩兵の突撃を支援する物として研究・開発された。したがって、本格的な戦車戦で日本軍は完敗した。日本軍兵士にとって、日中戦争とは、つらい徒歩行軍の連続だった。
自動車化が遅れた(積極的に進めようともしなかった)ため、輸送手段は馬に大きく依存した。人員61万人に対して馬14万3千頭、つまり人員4.3人に馬1頭の割合だった。
日本軍は、広大な中国大陸において小人数の将兵を分散配置するしかなく、中国軍が小隊単位以上の組織的な攻撃を仕掛けてきたら、必ず包囲され、つねに「全滅寸前」の危機に陥ることになった。
航空特攻作戦は、それによる戦死者のことを忘れてはいけないが、さりとてそれをただ顕彰し、美化するだけでは、彼らの死を意味あるものに変えることはできない。特攻という、あってはならない行為を顕彰・美化することは、死者を使って戦争への批判的な言動を封じようとするものであり、かえって死者を冒涜する行為なのだ。
日本軍の真実から目をそむけ、ひたすら美化しようとする動きが強まっている社会風潮がありますが、それを克服するには、やはり私たち自身が戦場の現実をきちんと認識する必要があると思ったことでした。
(2018年12月刊。1600円+税)

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