弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2019年4月 1日

狼の群れは、なぜ真剣に遊ぶのか

オオカミ

(霧山昴)
著者 エリ・H・ラディンガー 、 出版  築地書館

圧倒的な面白さです。オオカミたちの顔は輝き、畏敬の念を思わず抱いてしまいます。タイトルどおり、本当に真剣に遊んでいる様子もうかがえます。オオカミの研究がすすんでいることを、この本を読んで実感しました。
著者はオオカミとの接触が20年以上、オオカミとの出会いは1万回以上も体験した元弁護士です。弁護士として、犯罪事件、賃貸トラブル、離婚といった問題に次第にストレスがたまり、熱意をもって公正な勝利に導く代わりに、裁判が苦痛でしかなくなった。優れた弁護士が必要とする距離と非情さに欠けていた。ふむふむ、弁護士稼業も辛いのですよね・・・。
自然のなかで生きるオオカミの寿命は9年から11年ほど。囲い地オオカミだと15年ほど。
オオカミを身近に観察できる人は、静かで控え目な人だ。
人間と同じように、オオカミでも、本当に重大な問題は、最高位の女(メス)が決める。オオカミの家族にとって重要なことは、すべて最終的には彼女の必要性に適応させる。
アルファオオカミだけが交尾を許されているというのは誤った理解だ。これが訂正されるまで20年を要した。オオカミの4分の1は、ほかのパートナーと交尾し、その結果として、一家族内の多数の雌(メス)オオカミが赤ちゃんを産み、その一部は、家族みんなで育てる。
リーダー夫婦はたいてい生涯を通してともに暮らし、リーダーが死ねば、次に経験の豊富な雄がそれに代わる。リーダーの地位をめぐって家族内で真剣な争いが起きることは野生オオカミでは、ほとんどない。
リーダーのお気に入りは、子どもたちとじゃれあい、格闘すること。負けたふりをするのが一番の楽しみだ。これもオオカミの知性のあらわれ。
オオカミの狩りの80%は失敗に終わる。オオカミは純粋な肉食ではなく、死肉、魚、野菜や果物も食べる。最良のハンターは2歳から3歳。
獲物を倒すのは雄のほうに利があるが、雌は動きが敏捷で、狩り立てを得意とする。
オオカミの子どもたちは、遊びながら公正さや協力を学び、していいことと悪いことを区別するようになる。遊びの重要な特徴はセルフコントロールにある。
大人のオオカミも、追いかけっこ、引っ張りあい、かくれんぼといった遊びをする。
遊びは学習とトレーニングの時間であり、相手をよりよく評価するための経験を全員が積む。そのなかで、自分がしてほしくないことは、ほかのものにしないことを学ぶ。
オオカミの家族関係を知ると、人間はオオカミからも学ぶべきことがたくさんあると思いました。
(2019年2月刊。2500円+税)

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2019年4月 2日

日本の戦争Ⅱ.暴走の本質

日本史(戦前)


(霧山昴)
著者 山田 朗 、 出版  新日本出版社

安倍首相のいかにも軽薄な言葉に接するたびに、こんな無能なリーダーの下で我が子や孫たちが戦場に駆り出されて死んでしまったら、哀れというか無惨というか、悔み切れないだろうと、つくづく思います。
この本は、戦前の帝国軍の実情をさらけ出し、戦争というものがいかに無駄死をもたらすものなのか、じっくり考える素材を豊富に提供してくれます。いま読まれるべき本として、一読をおすすめします。
戦争は、決してある日突然に起こるものではなく、必ず国家の政策の延長、外交的対立の帰結として起こる。戦争とは、国家戦略・政策の延長線上にある武力行使であり、軍事力による他者(国家・民族)への意思の強要である。
日露戦争の前の日本は、まだ主力艦クラスの艦艇を国内では建造できなかった。国産の主力艦は一隻もなく、すべてイギリス製の戦艦であり巡洋艦であった。
日露戦争のあと、欧米の陸軍は、火力主義の強化、砲兵の重視を学んだ。ところが、日本陸軍は逆に火力主義から白兵主義へと基本理念を転換した。
日本海軍の飛行機搭乗員の養成方針は、完全な少数精鋭の「名人」をつくることに主眼を置いていた。そこで、航空戦で日本軍精兵が「消耗」してしまうと、戦力は急激に低下し、連鎖的に全体的崩壊をもたらした。
日露戦争において、実は、日本軍はホチキス式機関銃を268丁(これに対してロシア軍は56丁)を使用していて、戦線によっては日本軍がロシア軍よりも多数の機関銃を投入していた。
戦死した軍人を軍神に祭り上げることが多かったが、それは軍指導部の失敗・過程を隠蔽するためだった。旅順港閉塞作戦で戦死した広瀬武夫海軍少佐の戦死もそれだった。久留米の肉弾三勇士の戦死も同じこと。
日本には、日本陸軍と日本海軍は存在したが、一元化された日本軍は存在しなかった。
日清戦争のあと、戦時における最高司令部としての大本営が設置されたが、今度は、政府と大本営とがそれぞれ天皇に並立・直属し、国家戦略の統一的な決定機関が存在しないことになった。
弾薬を大量に消費することを嫌った陸軍は、機関銃の研究・開発を遅らせた。戦車は、おくまで歩兵の突撃を支援する物として研究・開発された。したがって、本格的な戦車戦で日本軍は完敗した。日本軍兵士にとって、日中戦争とは、つらい徒歩行軍の連続だった。
自動車化が遅れた(積極的に進めようともしなかった)ため、輸送手段は馬に大きく依存した。人員61万人に対して馬14万3千頭、つまり人員4.3人に馬1頭の割合だった。
日本軍は、広大な中国大陸において小人数の将兵を分散配置するしかなく、中国軍が小隊単位以上の組織的な攻撃を仕掛けてきたら、必ず包囲され、つねに「全滅寸前」の危機に陥ることになった。
航空特攻作戦は、それによる戦死者のことを忘れてはいけないが、さりとてそれをただ顕彰し、美化するだけでは、彼らの死を意味あるものに変えることはできない。特攻という、あってはならない行為を顕彰・美化することは、死者を使って戦争への批判的な言動を封じようとするものであり、かえって死者を冒涜する行為なのだ。
日本軍の真実から目をそむけ、ひたすら美化しようとする動きが強まっている社会風潮がありますが、それを克服するには、やはり私たち自身が戦場の現実をきちんと認識する必要があると思ったことでした。
(2018年12月刊。1600円+税)

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2019年4月 3日

植民地遊廓

朝鮮・日本史(戦前)

(霧山昴)
著者 金 富子、金 栄 、 出版  吉川弘文館

日本が朝鮮半島を植民地として支配していたとき、日本の兵隊たちはどんな性生活をしていたのか・・・。
それまで公娼制のなかった朝鮮に日本は日本式「遊廓」を持ちこみ定着させた。そして、日本軍憲兵隊は兵士の性病予防に必死だった。それほど日本人兵士は性病にかかり、戦闘能力を喪っていた。
とても実証的に探求している本なので、説得力があります。
前近代の朝鮮社会では、朝鮮王朝政府が性売買を政策的に禁止していたため、徳川幕府が公認していた吉原遊廓のような公娼制はなかった。ところが、朝鮮「併合」のあと、日本式の性売買は、名称を変えながら朝鮮人を組み込み、朝鮮社会の性慣行を次第に「日本式」に変えていった。
日本の植民地都市を特徴づけたのは神社と遊廓だった。植民地の遊廓には、常に日本人娼婦が存在した。欧米の植民地にも売春する女性はいたが、支配側出身の女性が売春女性になることは少なかった。
前近代の朝鮮社会において、一般庶民層は、早婚の風習もあって性売買に無縁な生活だったし、売春を専業とする女性はごく少数だった。
これに対して、近世日本では、吉原遊廓などに公認の遊女がいて、準公認の飯盛女など、また非合法(陰売女)などきわめて広範囲に性売買が展開し、遊廓は実質的な人身売買による売春強制の場だった。
近代朝鮮での性売買の普及は、日清戦争と甲午改革(1894年)が大きな節目だった。
日清戦争、そして日露戦争によって大量の日本軍兵士が朝鮮に常駐することになって、日本軍将兵への性病対策が重視された。
1910年に韓国併合のとき、朝鮮在留の日本人は17万1000人だった。
1929年の朝鮮半島での遊廓営業者の6割は日本人、娼婦の6割弱も日本人、遊興費の9割を日本人男性が占めた。
日本人娼婦の出身地は、長崎、福岡、熊本、広島、佐賀の順に多かった。長崎だけで4分の1を占めた。カラユキさんと言われるように、島原が多かったのでしょうか・・・。
遊廓経営は、とてもうま味のあるビジネスであり、赤荻與三郎は大富豪になったうえ、府会議員にまでなっている。また、その利益の一部は在朝日本人子女の教育費として使われた。
1921年のデータによると、在朝日本人の5万人以上が性病患者だった。同じく朝鮮人は10万人近い。日本国内に比べて、植民地在住の日本人男性の性病罹患率は格段に高い。
朝鮮人娼婦には、16歳、17歳、18歳と十代の少女が多く若い、安いという特徴があった。
当時の朝鮮人女性のほとんどが文字の読み書きは出来なかった。
朝鮮人娼婦たちは、人身売買や劣悪な処遇に対して、自殺や心中、逃亡などで対抗し、また断髪や同盟休業、同盟断食などで抵抗した。
女性を集めるとき、多くの場合、詐欺による募集や誘拐まがいの不法な人身売買が横行しているのが実情だった。
日本による植民地支配のなかで、まだ十代の年若い朝鮮人女性の多数を日本式の娼婦にしていったのですから、日本の責任はきわめて重大だと改めて痛感しました。
この現実を日本人は忘れてはいけないと思います。大変貴重な労作です。
(2018年10月刊。3800円+税)

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2019年4月 4日

82年生まれ、キム・ジヨン

韓国

(霧山昴)
著者 チョ・ナムジュ 、 出版  筑摩書房

読んでいて切なくなるストーリー展開です。これは、隣国の話というより、私は日本の話だなと思いながら読みすすめていきました。
たしかに、チョンセとかチュソクとか、日本と風習・習慣が違うところがあります。でも、「ママ虫」というあたり、また、東京医科大学入試での男子ゲタはかせ慣行のように女性があからさまに差別されているところは本質的に同じです。家庭内でも男性優先で、女性はあとまわしというのも、日本全国で最近まで(今もかな)ありましたよね・・・。
親の給料は、兄や弟の学費に使われ、女の子はあとまわし。一家を盛り立てるのは男の子であり、それが一家全員の成功であり、幸せだと考えられていた。娘たちは、喜んで男の兄弟を支えた。
日本も同じです。私自身も男3人は大学に行き、姉の一人は高卒で就職しました。
海苔巻きの具には、たくあんが必須で、これが抜けると大失策というのも日本人には分からない習慣です。
2014年、韓国の既婚女性5人のうち1人が、結婚・妊娠・出産・幼い子どもの育児と教育のために職場を離れた。
秋夕(チュソク)は、1年でもっとも重要な祭礼の日で、里帰りして先祖の墓参りするのが恒例。
3番目以降の子どもの性は男児が女児の2倍以上だった。要するに、女児だと判明すると妊娠中絶する親が多かったということ。
韓国では、基本的に高校受験がなく、地域の高校に割り当てられる。これは、知りませんでした・・・。
女性は、能力が劣っていたらダメ、優れているのもダメ、その中間だと中途半端だからダメだと言われる。
「味噌女」とは、家族や恋人に経済的に依存しながら、ブランド物を買ったり、高いスタバのコーヒーを飲んだりする。見栄っ張りの女性をおとしめて言う、2005年ころの流行語。
韓国は、もっとも女性が働きづらい国。男女の賃金格差がOECD加盟諸国のなかでもっとも大きい国だ。日本もあまり変わらないのではありませんか・・・。
韓国の戸主制度は2008年に廃止された。もはや韓国に戸籍はなく、人々は自分ひとりの登録簿だけで問題なく暮らしている。ふむふむ、なるほど、ですね。ただ、結婚のとき、同氏(姓)の人と結婚しないという点は、今はどうなっているのでしょうか。
韓国で100万部という驚異的なベストセラー小説となったものが日本でも出版されたのです。女性の不屈なたたかいはまだまだ当分続くことでしょう。私たち男性も、そのたたかいをしっかり支える必要があることを切々と痛感させてくれる本でした。ベストセラーの名に恥じません。
(2019年2月刊。1500円+税)

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2019年4月 5日

候補者たちの闘争

社会

(霧山昴)
著者 井戸 まさえ 、 出版  岩波書店

今の日本で、政治家になりたいと言う人が一定数いるという現実があるのが、私にはちょっと理解しがたいところです。
トップがアベシンゾーのようなペラペラと意味の乏しいコトバをまき散らす人物なので、それなら自分だってやれると思うのでしょうか・・・。何らかの政策と信念を実現すべく政治家になりたいというヒトばかりであってほしいものです。
小池百合子の希望の党で候補者となれたのは、政治家としての資質や地道な活動というよりも「勝てるか否か」だった。
現在の日本で、女性政治家が立身出世するロールモデルの一つは、たとえば極端な右傾化をし、背伸びして男性並みの発言をすること。たとえば、女性への偏見・差別の問題について、男性擁護の発言をする。女性が女性差別などないと発言すると、それだけで重宝がられるので、さらに過激化する。
男性では発言しにくい慰安婦問題で、ネトウヨの主張にそった内容で女性が発言することで重宝がられる。
杉田水脈は、そのような「立身出世コース」に乗っている。稲田朋美もまた、それによって身の丈にあわない役職に抜擢され、失速した。杉田水脈は日本維新の会で衆議院議員に初当選し、その後、次世代の党、日本のこころと政党を移りながら、根拠のないネトウヨ的発言を繰り返し、名を売り、仲間を増やしていった。
選挙に出られるのならば、どの党でもいいという人は少なくない。自民党でも、民主党でも、希望の党でも、立憲民主党でも、選挙に出られたら、どれでもいいという人は意外に多い。
人を裏切るのは平気。ウソをつくのに何のためらいもない。これが出来ないような人は、この世界では生きのびることが出来ない。
いやはや、政治の世界とは、かくもおぞましいところなのですか・・・。
そうすると、なおさら小選挙区制の弊害は大きいということになります。中選挙区制だと、何人かの議員のなかには少しはまともな人もまぎれ込める可能性があるからです。一選挙区に1人だと、権力に弱いかお金のある、おかしな人しか議員にはなれないでしょう。
そして、高額の供託金と没収制度も、出たい人より出したい人を出せなくしています。
日本の選挙の現状を内側から、つまり候補者の側から、かなりあからさまに暴露している面白い本です。
(2018年12月刊。1700円+税)

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2019年4月 6日

遠き旅路

日本史(戦前)

(霧山昴)
著者 能島 龍三 、 出版  新日本出版社

日本軍が戦中、中国大陸で何をしていたのか、その実相に迫った迫真の小説です。思わず息を詰めて読みふけってしまいました。
私の亡父も徐州作戦のころ応召して中国大陸にいて、一兵士として最前線に立っていました。「戦争ちゃ、えすかもんばい」と生前、私に語ったことがあります。不幸中の幸い、亡父は赤痢などにかかって傷病兵として台湾に後送され、日本に生きて戻ることが出来ました。おかげで私がこの世に生まれたわけです。
この本の主人公は、最前線で罪なき中国の少年兵を斬殺させられます。その経験が、しばらくすると夜中に思い出されて眠れなくなるのです。
誠三郎(主人公です)が斬殺した少年の目が夢にあらわれるようになった。夢の世界の暗闇で、その目はただじっと誠三郎を見つめ続ける。声を上げて目覚めると、首から胸にかけて凍るような恐怖が流れ落ちた。
その夢には、やがて、目とともに斬首の直前の映像があらわれるようになった。右手と左手を指一本開けて引きしぼる、そして刀を振りおろす。その時の手の感覚が鮮やかによみがえった。誠三郎は声を上げて飛び起きた。胸は激しく鼓動し、冷たい汗をかき、口には生唾があふれた。
そして、主人公は、中国でのアヘン密売でうごめく日本軍幹部の運転手兼ボディガードとして働くようになります。
日本軍が中国大陸でアヘン売買でボロもうけして、その利益で日本軍の経費をまかない、さらには軍と政府の裏金としてつかわれていたことは歴史的事実ですが、それが小説のなかで展開していきます。
中国大陸において、日本軍と日本人は、まぎれもない加害者でした。と同時に、末端の日本人兵士たちは被害者でもあったわけです。
小説を通して、その両面をきちんと受けとめる必要があることを痛感させてくれました。濃密な1時間半をたっぷり過ごせたことに感謝するほかありません。
(2019年1月刊。2300円+税)

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2019年4月 7日

モンテレッジオ、小さな村の旅する本屋の物語

イタリア

(霧山昴)
著者 内田 洋子 、 出版  方丈社

私はイタリアにはミラノしか行ったことがありません。スイスからバスと列車でコモ湖に行き、そこからミラノに入ったのです。
そのミラノから車で2時間あまり、山の中にある小さな村、モンテレッジオ。
現在、モンテレッジオの人口は、たったの32人。男性14人、女性18人。そのうち4人は90歳代。就学期の子どもが6人いるものの、村には幼稚園もなければ、小学校も中学校もない。食料品や日用雑貨を扱う店もない。薬局や診療所、銀行もない。郵便局は閉鎖されていて、鉄道はおろかバスもない。
8月半ばの村祭りのときだけ人口が200人をこえる。そして、その村祭りとは、古本市。村の自慢の品は本なのだ。
海がなく、平地もなく、大理石の採石もできない。つまり、海産物も農作物も畜産品も天然資源もとれない村。それらが豊富な土地へ行くための通過地点という重要な役割があった。つまり、この村の特産品は、なんと「通す権利」。村には売る特産物がないので、本を売った。
ミラノから最寄りの駅まで3時間。そこからバスでさらに3時間かかる。
村勢調査によると、1858年ころのモンテレッジオの人口は850人で、うち71人の職業が「本売り」だった。
出版社は、モンテレッジオの本の行商人たちを大変に重宝した。読者たちの関心や意見を詳しくつかむことができたからだ。本を選ぶのは、旅への切符を手にするようなもの。行商人は駅員であり、弁当売りであり、赤帽であり、運転士でもある。
本を売る行商人たちの村があったというのは驚きです。私もたまに神田の古本街を歩きますし、古本目録を眺めます。古本を商品とする行商人が中世からいたなんて、信じられない思いでした。現代社会では電子図書ばやりですが、紙の本には特別の良さがあります。中古本だって、価値が下がることはないのです。
私のような本好きの本にはたまらない旅行記でした。
(2018年9月刊。1800円+税)

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2019年4月 8日

牛たちの知られざる生活

(霧山昴)
著者 ロザムンド・ヤング 、 出版  アダチプレス

私も年齢(とし)をとって、若いころのように肉をたくさん食べたいとは思わなくなりました。先日も新キャベツを蒸したものをどっさり食べて、それだけで幸せな気分になりましたし、レンコン大好き、コンニャクも美味しいと思って食べています。
でも、それでも、たまには牛肉を食べたいと思います。いえ、部厚いステーキ肉ではありません。スキヤキのように野菜たっぷりと一緒に食べたいのです。
ところが、この本を読むと、牛も人間と同じように一頭一頭、性格が違っていて、家族愛が深い動物だということが分かり、そんな牛を美味しいといって食べていいものかと考えさせられます。
この本は、イギリスにある、自然な環境で動物を飼育する農場を営む女性による牛の飼育に日誌のようなものです。
牛乳を飲むと、どの牛から搾られたものか分かるという人たちが働いている農場です。
牛が広々とした場所で、餌を奪いあうことなく自由に歩きまわることが出来、なによりたくさんの年長者の牛がいる群れで暮らせたら、肺や腸の寄生虫に対する免疫は自然につくられる。
ここでは、母牛が自分の乳で子牛を育てる。子牛は、自分の気がすむまで母親と一緒に過ごす。最低でも9ヶ月は母親の乳を飲み、母親が次の出産の1~3ヶ月前に乳を出さなくなると、自然に乳離れしていく。
牛の母子関係は、人間と同じように千差万別だ。多くの場合、子牛は、生後わずか1日か2日で、ほかの子牛と友だち関係を築く。
牛の求めるものは、多くの点で人間と同じだ。ストレスのない環境・安心できる住まい、安全な食事がとれ、そして運動でも、散歩で、ぼうっと立っているのでも、したいようにできる行動の自由。
どんな動物でも、気心の知れた仲間と交流することが必要で、人間の都合ではなく、自分のペースでやりたいことをやりたいように楽しむ権利が認められるべきだ。
子牛が母牛を亡くすよりも、母牛が子牛を亡くしたときのほうが悲しみは、ずっと深い。
長年観察していると、牛たちは、まっとうな環境で暮らしていると、とてもよい判断を下すということが分かる。
互いに体を舐めあうのは、牛にとっては大切なコミュニケーションだ。
牛は、とてもきれい好きで、何らかの理由で体を清潔に保てないでいると、見るからにしょぼくれた様子になる。
牛には愛情がある。牛は生涯の友をつくる。牛は遊びを考案する。牛は人間とコミュニケーションをとれる。
牛は、ときに思慮深い。
さあ、そんな牛だと分かって、それでも食べられますか・・・。小さな声で、ハイ、と私は答えます。前に、日本人女性が3頭の豚を飼育して、大きくなって殺して食べた話を紹介しました。ありがたくいただきます。その精神(こころ)です。
それでも、牛のことを少しは知って大いに考えさせられました。
(2018年7月刊。1600円+税)

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2019年4月 9日

東大闘争って何だったの?

社会


(霧山昴)
著者 神水 理一郎 、 出版  しらぬひの会出版部

今から50年も前に東大で起きた騒動について真実を明らかにしようとして書かれた冊子です。わずか36頁の冊子ですが、貴重な現場写真が何枚も紹介されていて、東大全共闘に味方する立場で書かれた本が、いかに事実に反するものであるかが証明されています。
東大全共闘の暴力(蛮行)を擁護する人は、共産党直属の「あかつき部隊」に敗北したと喧伝(けんでん)しています。しかし、衝突現場を写した写真には「短いカシ棒を持ったあかつき部隊」のようなものはどこにも見あたりません。ヘルメットをかぶっていても手には何も持たない学生が必死に身を寄せあって全共闘の角材から身を守ろうとしている様子がそこにあります。
駒場寮食堂内での代議員大会での採択状況をうつした写真もあります。寮食堂内は500人ほどの代議員で埋め尽くされています。このとき舛添要一も立候補し、あえなく最下位で落選しました。舛添は無原則スト解除派だったので、学生の支持を得られなかったのです。
この代議員大会を全共闘の暴力から守るため、駒場の教官が素手で座りこみ、手を広げて全共闘を阻止している感動的な写真があります。
駒場寮の屋上での代議員大会の写真もあります。代議員はノーヘル、周囲の防衛隊員はヘルメット姿です。
私のクラスにいた全共闘の強固なシンパは当時、「東大解体」に共鳴していたはずなのに、東大教授になりました。同じく、日本革命を志向していたはずの全共闘シンパは、日本を代表する鉄鋼メーカーの社長になりました。いずれも、おそらく「若気の至り」とか、「若いときの誤ち」だと「総括」しているのでしょう。
でも、全共闘が学内で傍若無人に暴力をふるっていたことを真摯に反省しているとは思えないのが残念です。と言いつつ、かつて全共闘支持で動いていた人のなかにも、今なお真面目に社会のことを考え、少しでも人々が暮らしやすい平和な社会にしたいと思って活動している人が少なくないことも、今では私も承知しています。
そんなほろ苦い思い出のつまった冊子でもあります。

(2019年4月刊。1000円+税)

桜の花が満開となり、わが家のチューリップも全開です。今年は早々にアイリスの花が咲いて、ジャーマンアイリスもつぼみが出来つつあります。アスパラガスを2日か3日おきに2本、3本と摘んで、春の香りを楽しんでいます。2月に植えたジャガイモも少しずつ伸びはじめました。ウグイスもすっかり歌が上手くなって、澄んだ音色を響かせてくれます。今年は、わが家から直線距離で100メートルほど先に巣をつくったカササギのつがいが庭にもよくやってきてくれます。
先日は、夜道をひょいとイタチが横切りました。花粉症はだいたいおさまりましたが、椎間板ヘルニアに悩まされています。華麗なる加齢現象のようです。

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2019年4月10日

「共謀」

アメリカ・ロシア

(霧山昴)
著者 ルーク・ハーディング 、 出版  集英社

トランプとプーチンの古くからのつながりに迫った本です。
トランプ大統領のロシア疑惑とは何なのか、この本を読んで、ようやく少し理解できました。
トランプ大統領のロシア疑惑とは、二つ。一つは選挙妨害の可能性。2016年のアメリカ大統領選挙戦で、ロシアが介入した民主党全国本部などへのサイバー攻撃について、どれだけトランプ陣営が組織的に関わっていたか・・・。二つ目は、トランプが大統領になってから、ロシアの選挙介入疑惑に対する一連の捜査を妨害しようとしたのではないかという司法妨害である。
一連の捜査をしていたFBIのコミー長官に対して、トランプ大統領は、当時、大統領補佐官だったフリンに対する捜査を中止するよう要請したが、コミー長官は拒否して、その後も捜査を続けた。そこで、コミー長官はトランプ大統領から更迭された。このようなトランプ大統領の行動は司法妨害ではないのかというもの。
トランプはモスクワにもトランプタワーを建てようとした。この夢は結局のところ実現しませんでしたが、夢を具体化できるほどの基礎はあったのです。それは、ロシアがトランプを招待し、優遇したことから生まれた夢でした。
プーチンとトランプの関係は、まさしく強者と弱者の関係。どちらが強者か、それはプーチンであってトランプではない。トランプは強者のプーチンに対して弱者としての存在でしかない。
トランプ大統領が、前にフロリダ州にもっていた家をロシアのオリガルフ(大富豪・政商)が購入した。この売買によって、トランプは5000万ドルもの利益を得た。
ニューヨークのトランプ・タワーは、今や重大犯罪の巣窟になっている。トランプ・タワーは、ロシアン・マフィアの避難所にもなっている。
過去40年間にわたってトランプが築いた不動産の王国は、モスクワからのブラックマネーの洗濯場としての役割を果たしてきた。旧ソ連の資金が分譲マンションや邸宅に流れ込んでいただけでなく、トランプがアイオワやニューハンプシャーで選挙活動していたときですら、トランプの側近たちは念願のモスクワでのタワー建設に向けて、認可と資金援助を得るためにロシア政府と交渉していた。
トランプ大統領の支持率は、アメリカ全体でみたら40%でしかなく、政権発足時の45%から5%も下がった。これは歴代大統領として最低レベルだ。ところが、共和党支持者に限ってはトランプ大統領の支持率は何と86%。就任時の89%から3%しか低下しておらず、まさに鉄板。これに対して民主党支持率はわずか7%。この両者の差は、実に79ポイントもある。
そもそも、トランプ大統領そのものが分極化の象徴的存在なのだ。
この本によると、トランプはロシアに弱みを握られてでもいるかのようにプーチン大統領にひたすら恭順の意を示しているとのことです。であるなら、ロシア疑惑も十分にありうるわけですよね・・・。
(2018年3月刊。2300円+税)

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2019年4月11日

見えない違い

フランス

(霧山昴)
著者 ジュリー・ダシェ 、 出版  花伝社

アスペルガーとは、どういうことなのか、マンガによって日々の生活のなかで何が起きるのかがよく目に見えるように示されています。
マルグリットの生活は規則正しい。朝の7時に小鳥たちの優しい歌声で目を覚ます。目覚ましのけたたましいアラームで目を覚ましたら、その日は一日中、ストレスに悩まされてしまうことになる。
朝食のメニューは、いつも同じ。搾りたてのレモンジュースとはちみつを塗ったグルテンフリーのパンを植物性ミルクに浸して食べる。
マルグリットは単なる意味のない世間話が苦手。
マルグリットはお世辞が苦手で、思ったことをズケズケ言ってしまう。
アスペルガー症候群は自閉症の一種で、相互作用やコミュニケーションに困難を生じたり、特定の事柄に強いこだわりを示すという特徴がある。
マルグリットの話し方は、オウム返しと呼ばれるもの。最後に聞いた言葉をほぼ自動的に繰り返しているうちに自分の考えをまとめている。
2月18日は、アスペルガー症候群国際デーだ。
自閉症は病気ではない。神経発達の一障害だ。自閉症の人がみな「レインマン」ではない。自閉症は連続体を形成していて、症状も人のあり方も実に多様なのだ。
自閉症の子どもの構成比は、男子4人に、女子1人で、男子が女子の4倍。
アスペルガー症候群の人は、自分なりの「表現の辞書」をつくり、それを少しずつ充実させていく。
アスペルガー症候群の人は、自分が興味のあるものに対して非常に強い愛着を示し、寝食を忘れてのめり込んだり、それについて何時間も話しがちだ。
自閉症の人たちは、ひとりで過ごし、興味があることに没頭することでリラックスする。
アスペルガー症候群の人たちは感覚過敏だ。型にはまった行動をとりがちで、ウソがつけず、しばしば不器用だ。儀式やルーチン(習慣的行動)に執着しがちで、思いがけない出来事が苦痛。
マンガつきで解説されるので、とても分かりやすくなっています。
(2018年10月刊。2200円+税)

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2019年4月12日

大いなる聖戦(上)

日本史(戦前)・ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 H.P.ウィルモット 、 出版  図書刊行会

第二次世界大戦の通史ですが、「英雄・悪玉史観」は意図的に排除されています。
戦争ではなく、国家間の抗争といった文脈のなかで、国家権力と軍との関係に焦点をあてている本です。
現代の戦争は、社会集団・組織機構間で戦われるものだ。
ダグラス・マッカーサーは、アジア・太平洋戦争で勝利を収めてはいない。
1942年秋のエル・アラメインの戦いは、バーナード・モントゴメリーとエルヴィン・ロンメルとの一騎打ちではない。
ドイツ軍は軍事上の成功にもかかわらず、国家としては粉砕された。ドイツ軍の事実上の天凛が発揮されたのは戦闘においてであって、戦争においてではなかった。ドイツは、その同盟国日本と同じく、大国の中で戦争の本質を理解していなかった国家なのである。
ソ連は、政治・経済・軍事面では、むしろ敗戦国としての側面を有していた。
太平洋戦争で最大の海上作戦であるレイテ沖海戦が展開されたのは、戦争の帰趨が決したあとだった。
日本が満州を征服した要因として、二つあげられる。第一に、日本を急速かつ急激に襲った大恐慌。不況に直面するなかで、日本の経済問題を解決するカギは満州占領にあるという考えが日本全般で幅広く受け入れられた。第二に、中国の内政に干渉し続けてきたため、日本陸軍に上層部の認可も行政府の撃肘も受けずに行動する体質が根付いていたことによる。
ヒトラーが最高権力者の地位にのぼりつめることができた理由の一端も大恐慌に求められる。ヒトラーの強みは、ドイツの伝統・文化・政治理念に深く根ざしたある種の価値観・信念を体現した存在であったことにある。自由主義に根ざした民主政治を否定し、合意よりも強権、理性よりも意志、個人よりも民族・社会、謙虚さよりも力を重んじるというような、現実離れしたドイツの価値観の集合体を代弁する者こそがヒトラーだった。
1940年当時、イタリア社会にファシズムは確固とした根をおろしていなかった。イタリアのファシズムは思想的基盤をもたず、民衆へのアピールに欠けるものだった。
ムッソリーニが政権を掌握して20年近くたっていても、イタリアの一般大衆は、ドゥーチェ(ムッソリーニ)とファシズムのために命を的にして戦うような心情を有していなかった。
イタリアのファシズムは、単にムッソリーニの狡猾さと機会主義的姿勢を推し進めるための隠れ蓑にすぎなかった。
ヒトラーが発動したバルバロッサ作戦は目標の選定と作戦指導の両面で欠陥を有していた。なぜなら、その作戦の大半の期間中、ドイツ軍が主導権を握っていたににもかかわらず、ドイツの敗北に終わったからである。その作戦が進展していくにつれて、目標間の優先順位を決めかねるのが常態となっていたというのは、バルバロッサ作戦の大きな失策を示すものだ。
ヒトラーが気まぐれであり、部下の判断と能力を信用せず、合議制や決められた指揮系統を通じて決定を下すことがまったく出来なかったことが、結果として、既定方針に従って作戦を遂行する妨げとなった。戦いが進むにつれて、この首尾一貫しないヒトラーの態度によって、時間との闘いを強いられていたドイツ軍は貴重な時間を失っていった。
また、ドイツ軍の残虐性は、ドイツ軍にとって有害無益で、東部戦線でのドイツ側の敗北を決定づけた最大の要因と考えられる。1941年夏の段階では、ソ連社会の相当部分が、スターリンの暴虐な支配からの解放者としてドイツ軍を歓迎したが、ドイツ軍が捕虜と民間人を野蛮に扱うのを目の当たりにすると、ソ連国民は即座に現実を悟った。外部からの侵入者は、ソ連市民が手許に有していたわずかなもの、とくに希望までをも奪い去ってしまうということを。
ここに皮肉な状況が現出した。スターリンが、自身では自らの支配の正当性を確立できていないなかで、ヒトラーは、ソ連の民衆を彼らが命をかけて戦わざるを得なくなるような状態に追い込むことによって、スターリンの支配を正当化することになり、最終的にはソ連における共産党の支配が持続することを確かなものとした。
なかなか鋭く、説得的な歴史分析がなされていて、圧倒される思いで読みすすめました。
(2018年9月刊。4600円+税)

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2019年4月13日

わたしが「軽さ」を取り戻すまで

フランス

(霧山昴)
著者 カトリーヌ・ムリス 、 出版  花伝社

2015年1月7日、パリで起きたテロ事件。雑誌「シャルリ・エブド」の編集部が襲撃され、12人の同僚を失った女性の話です。マンガになっています。
この日、著者は幸運にも遅刻したのでした。もっとも、犯人たちは女性は殺さないと叫んでいたようですので、遅刻しなかったとしても助かったのかもしれません・・・。
しかし、同僚12人を一挙に亡くした生存者にとって、当然のことながら、その心の痛手はいかにも深いものがあります。
しかも、1週間後の1月13日には、さらにパリ同時多発テロ事件が起きました。このときの死者はなんと130人です。劇場が襲撃されたのでした。
トラウマから解離が起きる。巨大なストレスに襲われると、多大なアドレナリンとコルチゾールを発生させ、そのために死に至らせることがある。それで脳は反射的に自分を解離させる。
あなたの脳が解離して、感情、感覚、記憶の麻痺を引き起こした。自分の中が壊れていることの傍観者になっている気がする。まさに、それが解離なのだ。
「シャルリ・エブド」は、フランスの有名な風刺新聞社だ。犯人2人は兄弟で、別のところも襲撃して、警察の特殊部隊によって射殺された。
著者も報道マンガ家でしたが、事件のあと退社して、現在なお、完全に仕事復帰ができていないとのことです。
マンガによって、視覚的に著者の苦しみが切々と伝わってきます。
(2019年2月刊。1800円+税)

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2019年4月14日

踏み絵とガリバー

日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 松尾 龍之介 、 出版  弦書房

イギリス人のスウィフトの『ガリバー旅行記』に日本が登場してくるなんて、初めて知りました。しかも、踏み絵のことが書かれているというのです。さらに、夏目漱石が、この『ガリバー旅行記』を絶賛しているというのです。世の中には、驚くことが多いですね。
『ガリバー旅行記』は、4篇から成っていて、第一篇は「小人国」、第二篇は「大人国」だけど、第三篇は、太平洋上の島々を訪問したもので、そのなかに日本が含まれている。
そして日本に上陸するときには、イギリス人のガリバーはオランダ人になりすます。そして、江戸で日本の皇帝(将軍)に会ったとき、オランダ人がしている踏み絵の儀式を免除してほしいと願った。
踏み絵は日本人だけで、オランダ人が出島でも踏み絵をさせられたことはない。
オランダ人は、キリスト教徒として恥ずべき行為(踏み絵)までして、日本との貿易を独占しているという噂が立っていた。それは、嫉妬ややっかみにもとづくものだった。
イギリスは、オランダに対して常にライバル意識をもっていて、ついには戦争までするようになった・・・。
スイフトが『ガリバー旅行記』を書いた(1726年)のは、59歳のときだった。デフォーの『ロビンソン・クルーソー』と同じころだ。
『ガリバー旅行記』は、皮肉やブラックユーモアに満ちた、大人のための文学である。
ガリバーが旅行する国々のなかで、唯一、日本だけが実在する。
ヨーロッパの人々は、マルコ・ポーロ以来、ずっと日本に熱い眼差しを向けてきた。ヨーロッパの人々は、現代日本人が想像する以上に、日本のことをよく知っていた。しかも、それがスキャンダラスなだけに強く印象が残った。
九州諸藩で踏み絵が続けられたのは、踏み絵が同時に戸籍制度として機能していたから・・・。うむむ、なるほど、そういう側面もあったのですか・・・。
(2018年10月刊。1900円+税)

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2019年4月15日

フクロウの家


(霧山昴)
著者 トニー・エンジェル 、 出版  白水社

フクロウを自ら育て、野生のフクロウをじっくり観察し、またフクロウの絵を微細なところまで描き切った本です。フクロウについて、その子育てから生活まで、さしずめフクロウ百科全書のように詳しく知ることができます。
私は坐骨神経痛の原因を知るため病院に行き、MRI検査を受けて、その結果について医師の説明を受けるまで病院に滞在していた時間内で読み切りました(277頁の本です)。
フクロウは、2500万年ほど前に誕生し、長い進化のなかで多様化してきた。世界に217種のフクロウがいる。フクロウは、南極大陸以外のすべての大陸に生息している。
完全に夜行性のフクロウは半分しかいない。フクロウは比較的暗いなかでも活動できる能力をもっている。
抱卵中のメスはエサを取りには行かず、それはオスの役割。メスがあまりにお腹がすいてくると、巣の中から勢いよく飛び出してオスに体当たりして止まり木から突き飛ばして、エサを早く取ってくるよう促す。
うひゃあ、まるで人間様と同じ行動をとるのですね・・・。
オスはメスの気に入るような巣をつくるが、決定権をもっているのは、あくまでメス。
オスとメスが互いに羽づくろいを始めると、たいていは、その後に交尾する。交尾には単なる儀式以上の意味があり、一晩に何度か交尾する。これも、なーるほど、ですね・・・。
フクロウのなかで最小のサボテンフクロウは、主に食虫性で、人間の親指ほどの大きさで、一般的なニワトリの卵よりも軽く、55グラムほどでしかない。
最大のシマフクロウは、大型のハクトウワシよりも重く4.5キロある。このシマフクロウは、自分と同じ重さの鮭も捕まえる。
フクロウの前方視野は人間ほど広くはないものの、頭を素早く270度回転させることができるため、音や動きに即座に反応し、辺りを見回して獲物を見つけることができる。人間は平均して180度しか頭を回せない。フクロウが首を270度回転させられるのは、頸部に人間の2倍にあたる14の脊椎骨があるから。また、頸静脈も、首をこれだけ回しても、脳に血液を提供するのを妨げない配置になっている。フクロウの目は頭蓋骨から飛び出していて骨の中におさまっているのではなく、軟骨に支えられているため、頭が重くならず、体の前部の軽量化につながっている。
フクロウは、人間の目にはとうていできないレベルで、光量にあわせて瞳孔を収縮させたり拡張させたりすることができる。
キンメフクロウは、耳道の閉口部は極端なまでに左右で高さが異なり、聴覚によって獲物を認知するのに役立つ。
フクロウはほとんど音を立てずに飛翔するのが狩りにおける戦略のひとつとなっている。それは、初列風切羽の半ばに、睫毛のような羽根がふわふわと320本以上も伸びて外線を形成していて、この柔らかい羽根が飛翔時に翼が空気を切る音を弱める。
フクロウのカップルは歌を鳴きかわし、長時間、互いに羽づくろいしたり、オスがメスに好物をプレゼントしたりする。
メンフクロウが猫と一緒に遊んでいる動画がユーチューブで公開された。
フクロウがいるかいないかで、その森の健全性を計ることができる。
フクロウの寿命は、野生では10年以下のことが多いものの、飼育下では20年以上も生きることがある。自然界で生き抜くのは、主として人間による環境破壊のため、ますます難しくなっているようです。
フクロウという鳥について多面的なアプローチがなされていて、大変勉強になりました。
福岡・中州の川端通りに「フクロウの店」がありますよね。一度、入ってみることにしましょう。
(2019年2月刊。3000円+税)

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2019年4月16日

裁判官が答える裁判のギモン

司法

(霧山昴)
著者 日本裁判官ネットワーク 、 出版  岩波ブックレット

現職裁判官の自主的組織である裁判官ネットワークがフツーの人の裁判に関する疑問について、とても分かりやすく解説したブックレットです。わずか100頁ほどの小冊子ですが、市民の誰でもが抱いている疑問が28問とりあげられています。そのなかには、裁判官の日常生活や最近話題のSNSに関する質問もあって、興味をそそられます。
私が弁護士になる前の司法修習生のころには「宅調」といって、裁判官が裁判所に出ないで自宅で判決を書く日が認められていました。たしか週に2日は認められていたと思います。最近では「宅調」という制度は廃止されたと思っていたら、この冊子では「最近は減ってきたよう」だとありますので、制度としてはまだ存続しているのでしょうか・・・。
それから夏休みです。正しくは「夏期休廷期間」というようですが、3週間とれることになっています。実際には、この期間を難事件の判決起案日にあてることが多くて、完全な休みにはならないとのこと。私も、そうだろうと思います。
岡口基一仙台高裁判事(その前は東京高裁判事)のツィッターが有名で、最高裁判所は戒告処分に付しました。私は、この戒告処分には賛成できません。裁判官の市民的自由はもっと大切にされていいと考えているからです。
それに何より、もっとひどいことをしている裁判官は他にたくさんいる現実がありますので、岡口判事のしたツィッター程度で目くじらをたてるなら、ほかにも懲戒免職相当という判事は多数いると思うのです。その典型がもう故人ではありますが、元最高裁長官の田中耕太郎です。私もいつも呼び捨てにします。だって、最高裁での審理状況を実質当事者であるアメリカ政府、その代表者ともいうべき大使に報告し、その指示を仰いでいたという、とんでもない男なんですよ。まさしく元長官の名誉を剥奪すべき人物です。ところが、そのことが客観的事実として判明してなお、最高裁は何もしていなのです。こんなひどい話はありません。プンプンプンです。
ネットワーク会員の竹内浩史大阪高裁判事はブログ「弁護士任官どどいつ集」を発信しています。権力に向って平気でモノを言うような、型破りの判事がもっと増えてほしいです。
裁判官は本当に合議しているのか、裁判長が結論を決めているのではないか、裁判長の意見を忖度(そんたく)しているのではないか、私をふくめて多くの人が疑問を抱いています。この本では、最近は、活発に自分の意見を述べる左陪席(若手)裁判官が増えているとしています。
これが本当なら、喜ばしいことですが、本当に大丈夫でしょうか・・・。
刑事裁判で裁判員裁判が始まって、刑事裁判は少しはいい方向に向かっているという積極評価がなされています。私も同じ意見です。とは言っても、残念ながら裁判員裁判を担当したことはありません。殺人罪で逮捕された被疑者が嘱託殺人罪で起訴されたからです。
痴漢していないのに犯人に間違われそうになったとき、逮捕されないように現場を立ち去るのがいいかどうかは、刑事専門の弁護士でも意見が分かれているとのことです。私は、できるだけ足早に遠ざかるのがいいと考えていますが、それすら困難なときは、周囲を見わたして、自分の無実を証明するための協力を呼びかけるのがいいというアイデアが紹介されています。単純に逃げたほうがいいというのは誤りだし、走って逃げだすのはもってのほかだと書かれています。なるほど、そうだろうなと思います。でも、現実は難しいでしょうね・・・。
裁判所と裁判官が、もっと国民に開けた存在であるためには、かつての青法協裁判官部会のような自主的組織が必要だと思いますし、裁判官ネットワークの会員がどんどん増え、この冊子のような情報発信を国民にむかってするべきだと思います。
あなたもぜひ手にとってお読みください。
(2019年4月刊。660円+税)

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2019年4月17日

最高裁に告ぐ

司法

(霧山昴)
著者 岡口 基一 、 出版  岩波書店

タイトルがいかにも挑戦的なので、どんなに過激な本なのか、思わず手にしたくなる本でしたが、読んでみると、しごく穏当な主張が冷静なタッチで展開されています。その意味では、タイトルはいささか独走している気がしました。
むしろ、このまま今の最高裁に日本の司法をまかせて大丈夫なのか、「王様」化した最高裁は世の中の要請にこたえていないのではないのか、そんな趣旨のタイトルにしたらどうか、ついそう思ったことでした。
著者は「バッシングを畏れて世間に迎合する判決を下すようになったら司法は終わりである」としています。本当にそのとおりなのですが、正確には迎合する先は「世間」ではなくて、安倍内閣を先頭とする権力ではないでしょうか・・・。
原発裁判もはじめとして、あまりにも権力(自公政権と電力会社・原子力ムラ)べったりの司法判断が続いていて、嫌になってしまいます。
全国裁判官懇話会が開かれていたのは2007年までのこと。もう10年以上も裁判官の自主的な集まりはない。そして、1970年代以降、最高裁判事は官僚派の裁判官(そのほとんどは裁判実務をしていない)が大勢を占め、社会秩序重視の判決が多くなっている。
日本国民は司法にあまり関心をもっていない。その理由として、最高裁は本当の意味で国家の基本に関わるような判断をしないこと、国民生活に広く影響を与えるような問題について積極的な判断を行うこともあまりないことがあげられる。そうなんですよね、司法の存在感は薄いし、ますます薄れています。
著者は最高裁があまりに多くの事件をかかえて超多忙だという実情を指摘していますが、それにしても最近の最高裁判決の質が劣化していることを鋭く糾弾しています。要するに、憲法違反としながら、憲法の条文を明記せずに「明らか」という強調語で逃げていたり、集会の自由や表現の自由が問題となったケースの判決で従来の最高裁判例との整合性があるのか、また判決文に理由が明示がされていないということなどです。
東京高裁の林道晴長官、そして同高裁の吉崎佳弥事務局長は、二人して著者に対して脅迫・強要行為を東京高裁長官室で50分にわたって続けた。これらはパワハラにも該当する。
このように著者は指摘しています。
また、最高裁は今回、著者を戒告処分に付したわけですが、そのとき、著者が過去に厳重注意処分を受けたことも理由としてあげていることも大きな問題です。著者も、その弁護団も、この点について大いに問題にしています。つまり、「前科」ではないのに「前科」があるかのように不利益判断したわけで、これは最高裁が著者と弁護団からの釈明申立を認めず、事実上「1回結審」したことの問題点でもあります。
民事訴訟の裁判官が「王様」になるには、次の3つの方法がある。その1、当事者のした主張に答えない。その2、そもそも当事者に主張をさせない。その3、当事者がした主張にデタラメな理由をもって答える。
著者は、下級審の民事裁判官は、この3つの方法のいずれも実行できないとしています。本当でしょうか・・・。私は、福岡地裁でも福岡高裁でも、この3つをいずれも経験して、煮え湯を飲まされました。よほど、担当裁判官(まだ若い人です)を忌避してやりたいと思いましたが、あと一歩のところで思いとどまりました。それが良かったのか、本人のためにも忌避すべきだったのではないか、今も迷っています。
司法の現実を知るうえで、弁護士はもちろんのこと、司法に少しでも関心のある人にはぜひ読んでほしい本です。
(2019年4月刊。1700円+税)

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2019年4月18日

日米安保体制史

社会

(霧山昴)
著者 吉次 公介 、 出版  岩波新書

辺野古の埋立を安倍政権が今なお強引にすすめていることに怒りと大いなる疑問を感じています。いったい、主権者たる日本国民(この場合は、直接の当事者である沖縄県民)の明確な意思に反して行政がすすめられてよいものでしょうか・・・。
県民投票で7割の埋立反対の意思表示を踏みにじっていいという根拠は何なのでしょうか。それほど、日本はアメリカに奉仕しなければいけないことになっているのですか。アメリカは日本を守るつもりなんてないと本人(アメリカ政府当局)が何度も明言しているのに、漠然とイザとなったらアメリカは日本を守ってくれるはずだという幻想に多くの日本人が今なおしがみついているようにしか見えないのはどうしたことでしょう・・・。
日米安保条約があるから日本の平和は守られているなんて、単なる幻想でしかないと私は考えています。この本は、日米安保条約とそれにもとづく安保体制の変遷を明らかにしています。
かつて沖縄には1000発以上の核兵器が配置されていた。1950年代に、アメリカ軍にとって沖縄は海兵隊と核兵器の拠点だった。
アメリカによるベトナム侵略戦争のときには、B52戦略爆撃機が嘉手納基地から直接ベトナムへ出撃していった。毎月350回も出撃した。
ところが、その後、アメリカの核戦略が変わり、地上配備型核兵器から、潜水艦搭載型核兵器へ重心が移り、沖縄から核兵器を撤去した。しかし、いったん有事の際には核兵器を自由に持ち込めるように佐藤首相とニクソン大統領は「沖縄核密約」をかわした。にもかかわらず、佐藤首相は表向きは核抜き返還をアメリカから勝ちとったなどと宣伝し、ノーベル平和賞まで受賞するに至った。日本の首相は今のアベと同じく昔からとんでもない大嘘つきだったのです。
日本に駐留しているアメリカ軍は日本政府から至れり尽くせりの厚遇を受けている。高速道路だって無料ですよね。その典型が悪名高い「思いやり予算」です。当初は、一時的なものだと説明され、年に62億円でした。しかし、恒常的なものとなり、今では年間5000億円ものアメリカ軍駐留経費を負担しています。
日本って、本当にお金持ち国家なんですね。これだけのお金を大学生や司法修習生の奨学金にまわしたら、日本の将来も前途洋々たるものになると思いますよ・・・。
いま、アベ首相はアメリカに追従するだけで、韓国や中国とますます冷たい関係にあります。北朝鮮ともろくに話し合いもしていないため、拉致問題の関係も遠のくばかりです。
著者は、アメリカ軍の権益と日本の対米協力の拡大を追求するだけの安保体制のあり方は考え直す必要があると提言しています。まったく同感です。
辺野古の埋立をどんなに強引にしたって普天間基地がなくなることなんてない、このことを私たちはきちんと認識すべきです。そして、そろそろ安保条約そのものをなくすべきではないでしょうか・・・。
(2018年10月刊。860円+税)

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2019年4月19日

横田空域

社会

(霧山昴)
著者 吉田 敏浩 、 出版  角川新書

実に腹の立つ本です。途中で、あまりにバカバカしくなって何度も読むのをやめたくなりました。いえ、著者の悪口ではなく、この本をけなしているわけでもありません。
日本の空をアメリカが支配していて、アベ政権は文句のひとつも言おうとしないバカさかげんに腹を立てたのです。まったく、これでは恥ずかしくて日本は独立国家とはとても言えません。ドイツやイタリアはアメリカに言うべきことをきちんと言っているのに、日本だけがアメリカの言いなり、アメリカに隷従しているのです。例の思いやり予算と同じです。アメリカにはほんの少しだってたてつけないというのですから、今のアベ政権なんて、売国奴政権みたいなものです。なさけない限りです。
横田空域とは、正式には横田進入管制区といい、「横田ラフコン」と略される。南北で最長300キロ、東西で最長120キロ、首都圏から関東・中部地方にかける地域の上空をすっぽり覆っている。高度2450メートルから7000メートルまで、6段階に設置され、日本列島の中央をさえぎる巨大な「空の壁」となっている。
横田基地のアメリカ軍が横田空域の航空管制を握っているため、羽田空港や成田空港に出入りする民間機は、アメリカ軍の許可がなければ横田空域内を通過できない。そのため迂回を強いられる。
日本の空の主権がアメリカ軍によって侵害されている。世界的にも異例な、独立国としてあるまじき状態が長く続いている。
そして、この横田空域でアメリカ軍は、低空飛行訓練、対地攻撃訓練、パラシュート降下訓練にフルに利用している。まさしく軍事空域である。事故率が高く、欠陥機とも呼ばれているオスプレイも何の制約も受けずに首都圏の空を飛び回っている。
この横田空域には、実は国内法上の法的根拠は何もない。日米地位協定にも明文の規定はない。日米合同委員会の密約があるだけ。
一国の首都の中心部にフェンスで囲まれ、銃で武装した警備員がいて、外国の軍事高官や将校、政府要人に加えて、情報部隊の諜報員までが出入りする外国軍基地が存在している。尋常ではない。ここは事実上の治外法権ゾーンになっている。
2017年11月、トランプ大統領は、大統領専用機を羽田でも成田でもなく、横田基地に乗りつけた。そこから米軍ヘリで六本木のヘリポート基地に飛んでくる。これは日本を独立国家とみていないことを示しています。
横田基地から出入りしているアメリカ人は出入国管理局の対象とはならず、出入国の記録もないと聞いています。アメリカの裏庭の感覚で出入りしているのです。許せません。
イラク戦争に従軍したアメリカ軍パイロットは、日本の空で操縦・攻撃の技能、戦技を磨いて、イラクの戦場へ行って激しい空爆を繰り返した。つまり、アメリカのイラク侵略戦争を日本は直接的に支えたのです。
在日米軍基地は、アメリカ軍の海外での戦争の出撃拠点となっている。日本の防衛のためにアメリカ軍がいるわけではありません。そんな戦争のための基地の維持費など、アメリカ軍の経費を年に6000~7000億円も日本は税金で負担している。
うっ、うっ、ホント許せません。海外でのアメリカ軍の人殺し作戦を私たちが税金で支えるなんて・・・。
アメリカ軍だって、アメリカ本土では、ほとんど人の住んでいない広大な砂漠地帯などで低空飛行訓練をしているのです。なのに、日本では都市の上を我が物顔で低空飛行を続けています。そして、ときに学校の校庭に不時着したり、部品を空から落とすのです。なんということでしょうか・・・。
ドイツやイタリアにできたことが、日本にもできないはずはありません。要は政府のやる気です。そして、それを後押しする国民の監視の目なのです。
わすか280頁ほどのちっぽけな新書ですが、独立国家とは言えない恥ずかしい日本の実体をあますところなく明らかにした怒りの本です。ぜひ、あなたも最後まで読んでください。
(2019年2月刊。840円+税)

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2019年4月20日

そこにあった江戸

日本史(江戸時代)


(霧山昴)
著者 上条 真埜介 、 出版  求龍堂

幕末から明治初めにかけての日本を外国人が撮影した写真が集められています。当時の日本人の膚黒さを実感させられます。白黒写真だったのを彩色して、カラー写真のように見える写真集です。
もちろん自動車なんて走っていないわけですが、それにしても住還道路が幅広いことに驚かされます。両側にワラぶきの民家が建ち並び、道路の真ん中を排水溝が走っています。ほこりっぽいけれど、清潔な町だったのですね。
子どもたちの姿は、ほんの少ししか写真にとらえられていません。子育てするのも子ども、とりわけ娘でした。子だくさんだったようです。
幕末に来日した西洋人たちは物にとらわれない日本人の暮らしぶり、清らかな目をしている日本人の子どもたち、そして満面に屈託のない笑みをたたえる農村の子どもらに心が打たれたようです。
「犬が向こうからやって来た。私は威嚇するように屈んで小石を拾った。犬は気にせず歩いてくる。私は、それに驚き、慌てて手の中の石を犬のほうに投げた。どこの国でも、犬は石を拾おうとする人影を見ただけで他所へ行く。しかし、日本では違う。その犬は、どうしたことか、足元に転がる石を見て首を傾けると、近くに寄ってきた。犬の顔は優しかった。こんな国があるのか、オーマイ」
子どもだけでなく、犬にまで驚いたのでした。
妻籠(つまご)とか大内宿(しゅく)など、江戸情緒をたっぷり残しているところありますよね。ぜひ行ってみたいです。九州にも、島原とか知覧に武家屋敷が一部残っています。実際に居住すると不便なことも多いでしょうが、観光資源ともなりますし、昔の人の生活をしのぶ格好の学習資材としてぜひ保存・活用してほしいものです。
大判の写真集ですし、4500円もしますので、ぜひ図書館で手にとって眺めてみてください。きっと江戸時代のイメージが豊かになりますよ・・・。
(2018年11月刊。4500円+税)

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2019年4月21日

めんそーれ!化学

社会

(霧山昴)
著者 盛口 満 、 出版  岩波ジュニア新書

私の息子が埼玉にある自由の森学園にいたとき、教師の一人だったのが著者です。なかなか変わった元気のある教師がいるものだと思っていましたら、その後、著者は沖縄に移住し、沖縄では夜間中学で理科を教え、今は沖縄大学で理科教育を担当しています。
この本は、夜間中学で生徒たちに化学を教えている授業風景を活字にしたものです。
夜間中学の生徒は、60代、70代の人たち、圧倒的に女性です。彼女らは教師の話に自分の生活体験を踏まえて反応します。その変わったやりとりが、本書の魅力となっています。
夜間中学での授業は、国家検定の教科書とは無縁のようで、初日の化学講話は、なんと肉じゃがをつくることから始まります。そして、ロウソクづくりでロウソクの化学を学びます。
よく似た外観をしているけれど、ゼリーと寒天、ナタデココは原料も成分も異なっている。ゼリーは、動物のコラーゲンが原料で、タンパク質。寒天は、テングサなどの海藻がつくり出したアガロースと呼ばれる炭水化物の仲間。ナタデココは、ココヤシのジュースを微生物を発酵させることによってつくられる。その成分はセルロースだ。セルロースは、それを分解できるのは、微生物とシロアリ。
ヤギは紙を食べない。ヤギ自身はセルロースを分離することはない。セルロースを分解できるのは、微生物とシロアリ(そして一部のゴキブリ)のみ。
化学の授業を通して、沖縄のおばあたちの楽観的な生活を知ることができ、化学もまた現実のなかで生きていると思ったことでした。
(2018年12月刊。880円+税)

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2019年4月22日

胎児のはなし

人間


(霧山昴)
著者 最相 葉月、増﨑 英明 、 出版  ミシマ社

人間が生まれる前の胎児についての本です。赤ちゃん学には大いなる関心がありますが、胎児についてどれだけ科学的に判明しているのか知りたくて読みました。
産婦人科医との問答として書かれていますので、大変読みやすく、一気に読み終えました。
父親のDNAが胎児を介して母親に入っているなんて、ええっ、ホントですか・・・と叫びたくなりました。
女性の性染色体がXX、男性はXY。Xの大きさが手の小指とすると、Yって小指の爪くらいしかない。おまけだ。
女性にXが2つあるというのは、一つが壊れてもいいようにということ。
女性はXを二つもっているのに、男性は一つしかないので、男性は早く死んでしまう。
えっ、えっ、本当ですか・・・。
小さいころの胎児は、みんな女性の性器の形をしている。
やっぱり、人間は女性が原型なんですよね・・・。
2000年ころに3Dの器械がつくられて、立体表示ができるので、今では胎児が立体のまま動いているのが見える。
「十月十日」って嘘。実際には9ヶ月ちょっとで生まれる。胎児の大きさは妊娠20週くらいまで、個体差がほとんどない。
超音波が登場して、予定日は完璧にクリアした。今では、予定日は、プラスマイマス2日。
胎児はおしっこを出して、それを飲む。30ccたまると、おしっこを出す。これは60分の間隔。1日に700cc
初期のころの羊水は血清と一緒。母親の血液。それが生まれる頃には、おしっこと同じ。
胎児は便はしない。9ヶ月間、出さないでためておく。出産したあと、緑色の便を出す。ビリルビン(胆汁色素)のせいで緑色になっている。
出産と潮の満ち引きは関係ない。
胎児はずっと寝ている。レム睡眠が長い。だから、胎児は夢ばっかり見ている。
自然分娩だろうと、帝王切開だろうと、元気に生まれたら、それでいい。
1950年ころの母体死亡率は600分娩に1つ。今は3万分の1。今でも毎年50人ほどがお産で亡くなっている。1950年代には毎年3000人が亡くなっていた。
妊娠中にアルコールを飲んだら、アルコールは胎児にいく。胎児性アルコール症候群というものがある。
体外受精による出産は、世界で700万人、日本で50万人ほどいる。
人間とは何かを知ることができる本でもあります。
(2019年3月刊。1900円+税)

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2019年4月23日

アメリカ死にかけた物語

アメリカ


(霧山昴)
著者 リン・ディン 、 出版  河出書房新社

アメリカに住む、1963年・サイゴン生まれのベトナム人で、詩人・小説家・翻訳家である著者が2013年から2015年までアメリカ各地を歩きまわった体験エッセーです。
著者は1975年に家族とともにベトナムを脱出してアメリカへ逃れ、アメリカに長く住んでいたものの2018年にベトナムに帰国した。
著者は、出版社やスポンサーに金銭的な援助を受けずにアメリカ中を旅した。移動は、常にバス、電車、徒歩で、泊まるのも安ホテル。ときには、バスの車内や路上ということもある。そこから見えてくるのは、アメリカの低所得者の人々の現実。ホームレス、ドラッグ中毒者、飲んだくれ、身体障害者、日雇い労働者、バーテンダーなど。
アメリカの困窮した都市の多くでは、知らない店に入るということは、偵察斥候か自殺するようなもので、観光客のすることではない。
ペンシルベニア州のチェスターでは、凶悪犯罪の比率が全国平均の4倍以上も高い。
アメリカのバーには、客層がほぼ黒人だけか、白人だけになる傾向がある。
ペンシルベニア州のスクラントンでは、張り紙にこう書かれている。
「懸賞金。P電力会社は、当施設から銅線やその他の資材を盗んだ人の逮捕につながる情報をくれた人に、上限1000ドルの報酬を提供します。
電気設備や備品、電線を盗むのは危険です。負傷したり、死を招くこともあります」
これって、日本ではちょっと考えにくい張り紙ですよね・・・。
シリコンバレーには黒人がほとんどいない。サンタクララ郡で一番多いのはアジア人で、34,1%を占める。次に白人で33,9%、ヒスパニック系は26,8%。黒人はわずか2,9%だ。
IT系の仕事に関しては、アジア人と白人が過半数を占めている。
これほど、多くのインド人がシリコンバレーで成功しているのは、インド人が比類のないほどパソコンに強いからだ。
カリフォルニア州では、住宅の20%が外国人によって現金で購入されている。その半分が中国人だ。中国人は、数百万ドルもする豪邸を、値切る代わりに定価より高く購入することさえある。
金持ちの中国人は、自分たちの富を守るために、カリフォルニアで住宅を購入している。
人も国も、どっちを向いても、みんな「死にかけて」たままであり、そのなかで生きなきゃならない。そんなアメリカの底辺の息づかいが伝わってくる本でした。
(2018年10月刊。3200円+税)

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2019年4月24日

アナログの逆襲

アメリカ

(霧山昴)
著者 ディビッド・サックス 、 出版  インターシフト

レコード店が復活した。大繁盛である。新たにプレスされ販売されるレコードの数は、この10年間で10倍以上にはね上がった。アメリカだけでなく、カナダのトロントだけでなく、世界中でレコードが復活している。
ええっ、それって本当の話ですか・・・。私は、とっくの昔にステレオセットを捨て、レコード盤を一掃しました。カセットテープも全部なくしました。
アナログが逆襲している。これはデジタル・テクノロジーが並はずれて進歩した結果のこと。それは、私たちが何者で、どのように生きるかを知るための試行錯誤の道のりなのだ。
そこでは、デジタル世界を押しやるのではなく、むしろアナログ世界を近づけて、その利点をフルに活用して成功している。 重要なことは、デジタルかアナログか、どちらかを選ぶことではない。
デジタルの使用を通じて、物事を極度に単純化する考え方に慣れてしまった。いちかゼロか、黒か白か、というのは誤った二者択一だ。現実世界は、黒か白かではなく、グレーですらない。色とりどりで、触れたときの感覚に同じものはひとつもない。いま、現実世界がかつてなく重要なものになっている。
レコード。2015年に世界でプレスされたレコードは3000万枚。シングルがもっとも売れたのは、1973年、アメリカでは2億2800万枚が売れた。アルバムは1978年にピークで3億4100万枚を売った。アメリカでは2007年に99万枚だったのが、2015年には1200万枚へ驚異的に伸びた。2014年の新規レコードの売上げは3億4680万ドルに達した。購入者は、お金を払って手に入れるからこそ、所有していると実感できる。それが誇りにつながる。
いまや市場にはノートが氾濫している。
毎日数千通のメールを受けとり、そのほとんどを読まずに消去する。しかし、デスクに届けられる封筒は必ず開封する。
デジタルで撮ると、その後の作業がとてつもなく面倒だ。ところがフィルム写真だとすぐに画像が見られる満足感があり、フィジカルな作品である。
2008年に1億1000万台だった日本のデジカメの出荷数は、2014年には、わずか2900万台に激減した。スマホのカメラが直撃したのだ。
みんなで集まって出来るボードゲームに人気が集まっている。つまり、テーブルゲームは、単にみんなが集まるための口実なのだ。
アナログのゲームには、深くて長続きする友情を生み出す力がある。目的は、勝つことと同じくらい、人間関係を築くことだ。
紙で読むことはとても機能的で、ほとんど習性になっている。紙に触れることは、五感を使う行為だ。印刷版は、ページを指でめくることで、過剰な情報にさらされていという感覚をせき止めることができる。
アメリカの新聞の新規購読者の多くは若い読者である。彼らは印刷版が一度で読めることを気に入っている。
アメリカ国内では、この20年間に数千の書店が廃業した。ところが、いま再び、地域に愛される小規模経営の本屋が増えつつある。ピーク時の1990年代に4000軒だった小売書店が、最悪だった2009年に1650軒にまで減ったものの、新たな出店があり、2014年には2227軒にまで増えた。本屋では予測できない充実感を満たされることがある。人間がもっとも病みつきになるのは、思いがけなく得をしたときのこと。
教育は、デジタルではまかなえない。コンピューターを子どもに配っても、格差が拡大するだけ。コンピューターの導入は子どもの学力向上には、まったく役に立たない。子どもにとって、紙の本のほうが読みやすいし、メモや印をつけて自分だけのものにできて、コンピューターより頼りになる。
アナログ式教育の要は、教師だ。教師は、生徒の集団と人間関係を築くのが仕事だ。学習の基盤は、一人ひとりの生徒との人間関係にある。
実は、デジタル業界ほど、アナログを重んじる場所はない。
健康もアナログを選ぶ理由のひとつだ。
なるほど、なるほど、そうなんだよね・・・、と典型的なアナログ人間の私は大いに共感・共鳴した本です。
(2018年12月刊。2100円+税)

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2019年4月25日

キャッシュレス覇権戦争

社会

(霧山昴)
著者 岩田 昭男 、 出版  NHK出版新書

日本は今も現金が大手を振って通用している。キャッシュレス決済比率は18.4%でしかない(2015年)。韓国は89.1%、中国は60.0%、そしてアメリカは45.0%というのとは大きな開きがある。
日本の銀行券の製造コストは年に517億円。そして全国20万台あるATMから現金を引き出している、このATMの維持管理コストは現金運搬の人件費を加えると年間に2兆円。
キャッシュレス化を進めたい国の立場は、徴税を徹底したいということ。現金は匿名性が高くて、その流れを把握しにくい。
キャッシュレス化は便利だが、資産やお金の使い方が企業そして国に筒抜けになる。そのうえ、蓄積された個人情報を分析して、その人の信用度を数値化してランク付けする「信用スコア」ビジネスが始まっている。
ソフトバンクとヤフーの共同出資会社であるペイペイが2018年12月から、「100億円あげちゃう」キャンペーンを始めた。そして、実際に、10日間で100億円を使い切った。1日10億円である。
個人商店のキャッシュレス化が進まない理由の一つは、手数料の高さ。3%から7%の手数料をとられてしまうことにある。ラーメン店の多くは、カードお断りだ。
中国では、スマホ決済は日本のGDP546兆円をはるかに上回る660兆円(2016年)に達している。そして、中国では顔写真つきの身分証がなければスマホを買えない。逆にいうと、スマホがID(身分証明)の役割を果たしている。
アリペイのゴマ信用は、返済履歴や買い物履歴だけでなく、個人の生活情報(暮らしぶり)も取り込み、AI(人工知能)によって点数化したもの。このゴマ信用は、一企業の信用情報というより、人々をランク付けする半ば公的な基準となりつつある。中国政府のブラックリストに載った人間は、実際に飛行機や高速鉄道の切符が買えないという制裁を受けている。
いま、中国政府は、無料の健康診断を実施し、指紋、血液、DNAなどの生体情報の収集をすすめている。
アメリカでは、警察署の多くが、犯罪予測システムを運用している。過去に発生した管轄内の犯罪データをAIが分析し、犯罪が起きる「時間帯」と「場所」を予測し、このデータをもとに、重点的にパトロールする。
キャッシュレス社会とは、誰が、いつ、どこで、何を、いくらでどれだけ買ったかという情報が、私たちの知らないところで集められ、分析される社会でもある。個人は「丸裸」にされてしまう。
ポイントカードによって顧客を囲いこみ、年齢・性別・職業などの属性と購買動向をひも付けて記録して、自社のマーケティングに役立てようという狙いがある。
私はなるべくカードを使わないようにしています。自分の足跡を誰がずっと監視しているなんて、恐ろしすぎます。やはり、便利なものには裏があるのですよね・・・。
(2019年2月刊。780円+税)

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2019年4月26日

アンダークラス

社会


(霧山昴)
著者 橋本 健二 、 出版  ちくま新書

現代日本社会の実態を正確に認識する必要があると痛感します。
非正規労働者のうち、家計補助的に働いているパート主婦と、非常勤の役員や管理職、資格や技能をもった専門職を除いた残りの人々を「アンダークラス」と呼ぶ。
その数は930万人、就業人口の15%を占め、急速に拡大しつつある。平均年収は186万円、貧困率は38.7%(女性は5割に達する)。男性の66%が未婚者で、配偶者がいるのは26%に達しない。女性でも未婚者が過半数を占め、44%近くが離死別を経験している。
アンダークラスが増えはじめたのは、1980年代末のバブル経済期から。
日本の貧困率は、1985年(昭和60年)に12.0%だった。それから30年後の2015年には15.6%となった。30年間で3.6%も上昇した。
ちなみに、日本の資本家階級は254万人ほど。これは、就業人口の4.1%を占める。
アンダークラスの若い男性は、絶望と隣りあわせに住んでいる。
アンダークラスの男性は、社会的に孤立していて、協力行動にふみ出しにくい。他者からサポートを受ける機会も少ない。
老後の生活の経済的基盤は、きわめて脆弱だ。金融資産は平均948万円。
「自分は幸せではない」と考える人の比率は、実に55.7%である。
アンダークラスと失業者は格差の解消と所得の再分布を支持する。ところが、自民党支持を拒否するにもかかわらず、その他の政党を支持するわけでもない。どの政党も支持しない。また政党への無関心をきめこむ。したがって、アンダークラスの意思は、政治には反映されない。
投票率の低下がアベ一強政権を黙って支えている現実を深刻に真剣に考えるべきだと私は考えています。
(2018年12月刊。820円+税)

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2019年4月27日

ケイレブ

アメリカ

(霧山昴)
著者 ジェラルディン・ブルックス 、 出版  平凡社

初期ハーバード大学に、ネイティブ・アメリカンの学生がいたのでした。
この本は史実をもとに、白人キリスト教少女の目を通してアメリカ社会を描いた小説です。
ケイレブは、1646年ころに生まれたワンパノアグ族であり、アメリカ先住民として最初にハーバード大学を卒業した。
ケイレブの書いたラテン語の手紙が写真で紹介されています。
ハーバード大学の前身である「ニュータウンの大学」が設立されたのは1636年。マサチューセッツ湾植民地の設立から6年後のこと。17世紀末までの卒業生は総数465人。ケイレブ・チェーシャトゥーモークは、そんなエリートの一人。
先住民のケイレブと白人女性のベサイアは、抑圧された立場にあるという共通点をもつ。この二人が文化の違いを乗り越えて共生を目ざすという展開です。
ケイレブは知識を手に入れることにより、先住民とイギリス人との架け橋になろうとする。誰の奴隷にもならない二人は、知識を活かして他者に仕えようとする。
史実のケイレブは1665年に学友たちと行進してハーバード大学の卒業式に出席する。しかし、残念なことに、1年後に肺結核のため亡くなった。
アメリカ先住民の一人がキリスト教と接触し、異なった世界のなかで学び目覚め、葛藤する状況がよく分かる小説です。
(2018年12月刊。2800円+税)

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2019年4月28日

江戸暮らしの内側

日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 森田 健司 、 出版  中公新書ラクレ

江戸時代の庶民の暮らしぶりがよく分かる本です。
「大坂夏の陣」以降、日本国内で大きな戦争が絶えたのは、支配層たる武士より、多くの庶民による「不断の努力」があってのことと理解すべき。平和が、強大な江戸幕府の恐怖政治によって実現したなどと考えると、江戸時代の真の姿はまるで見えなくなってしまう。
著者のこの指摘は大切だと私は心をこめて共感します。
江戸時代の庶民からもっとも学ばなければならないのは、生活文化、暮らしの文化だ。
江戸時代は楽園ではないし、そこで生きていた庶民は、現代以上に大きな困難に直面していた。しかし、当時の人々の多くが見せた生き様(ざま)は、疑念の余地もないほどに真摯なものだった。それは、当時において、いわゆる道徳教育がきわめて重視されていたためでもある。この道徳教育の究極の目標は、常に平和の維持だった。
長屋の小さな家は、1月あたり500文(もん)で借りられた。500文は現代の1万2500円にあたる。家賃は意外に安価だった。
江戸は上水道だけでなく、下水道も整備されていた。排泄物は一切下水には流れ出なかった。
地主と大家は違う人物で、長屋の住人を管理させるために雇っていたのが大家だった。
江戸はよそ者の集まりであり、長屋を「終(つい)の棲家(すみか)」とするつもりだった者は、ほとんどいなかった。
江戸の食事は朝夕の2回。米を炊くのは朝で、1日1回。夕食の白飯は、茶漬けにして食べるのが普通だった。昼食は元禄年間に定着した。そして、三食すべて白飯(お米)を食べていた。
棒手振り(ぼてふり)とは、行商人のこと。免許制だった。
江戸の庶民は現代日本人と体型がまったく違っている。足が短く、重心が低かった。60キロの米俵1俵を1人で持って歩けるのは普通のこと。
江戸の庶民は、「さっぱり」を何より好んだ。そのため、とにかく入浴が大好きだった。毎日、入浴する。料金は銭6文。
江戸の男性労働者は、数日おきに髪結床の世話になった。髪結床は、江戸に1800軒の内床があり、そのほか出床をあわせると2400軒以上もあった。料金は20文、500円ほど。
就学率は、江戸後期に男子が50%、女子が20%。全国に寺子屋が1万以上、江戸だけで1200以上あった。寺子屋は、まったく自主的な教育施設であり、幕府や藩がつくらせたものは全然ない。ここで朝8時から午後2時まで勉強した。基本は独習で、習字の時間がもっとも多かった。
江戸時代の人々は、人間の幸福を人生の後半に置き、若年の時代は晩年のための準備の時代と考えていた。
まだ若手の学者による江戸時代の暮らしぶりの明快な解説です。一読の価値ある新書だと思います。
(2019年1月刊。820円+税)

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2019年4月29日

承久の乱

日本史(鎌倉時代)

(霧山昴)
著者 本郷 和人 、 出版  文春新書

承久3年(1221年)、後鳥羽上皇が鎌倉幕府の実権を握る北条義時の追討を命じた。承久(じょうきゅう)の乱のはじまりだ。
この承久の乱について、大変面白い、というか刺激的で勉強になる指摘の連続で、ふむふむ、そうだったのか、そうなのかと、思わず頭を深く上下させながら一気に読みすすめていきました。
承久の乱こそが日本史最大の転回点のひとつだ。ヤマト王朝以来、朝廷を中心として展開してきた日本の政治を、この乱以後、明治維新に至るまで、実に650年にわたって武士が支配する世の中になった。
そして、地理的にいうと、近畿以西が常に東方を支配してきた構図がこの承久の乱で逆転し、東国が初めて西を制することになった。
これは、田舎=地方の在地勢力が、都=朝廷を圧倒した最初のケースでもあった。
幕府と呼ぶようになったのは、明治時代からのこと。江戸時代、徳川家の支配体制は幕府ではなく、「柳営」(りゅうえい)と呼ばれていた。
鎌倉幕府の本質は、源頼朝を棟梁と仰ぎ、そこに集結することで、自分たちの権益、とくに土地の保障(安堵、あんど)を得ることにあった。その頼朝による土地安堵が「御恩」、それに報いるために、頼朝の命令のもとに戦うことが「奉公」だった。それを受け入れた武士たちは、頼朝の直属の子分として「御家人」と呼ばれた。この御家人の総数は千数百人ほど。将軍家に直属する人々で、鎌倉武士のなかのエリート中のエリートだった。
頼朝のつくった鎌倉幕府の最重要課題は、御家人たちの土地問題を解決することだった。そして、源頼朝は、東国武士たちが朝廷に接近することを警戒した。朝廷と距離をとるのは、頼朝の政権にとって最重要課題のひとつだった。
ところが、弟の源義経は兄の頼朝に無断で、検非違使(けびいし)に就任し、さらに後白河上皇から左衛門少尉の官位をもらった。これは頼朝にとって許せるものではなかった。
後鳥羽上皇は、非常に実力をもった上皇だった。歌人として超一流であるだけでなく、当代きっての音楽家であり、武士としても名がとどろいていた。
後鳥羽上皇は、自分の力を疑うことなく、幕府の組織系統に手を突っ込み、自分の味方となる武士を次々に増やしていった。
北条義時の最高官位は、従四位。その後も、このまま続けた。
日本史の承久の乱について、なるほど、複眼的思考が必要だということが、よく分かる本でした。
(2019年2月刊。820円+税)

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2019年4月30日

火付盗賊改

日本史(江戸時代)

(霧山昴)
著者 高橋 義夫 、 出版  中公新書

火付盗賊改(ひつけとうぞくあらため)は、はじめは非常の役職だった。盗賊が跳梁(ちょうりょう)して手に負えない、あるいは火付けが横行するといった非常のときに、幕府が先手頭に命じて取締らせた。
火付け盗賊改は、はじめ火付改、盗賊改に二分されていた。元禄12年(1699年)いったん両職を廃止し、3年後に盗賊改を復活させ、元禄15年に博奕(ばくち)改を盗賊改に兼務させ、享保3年(1718年)に三職をまとめて兼務させることになった。
火付盗賊改は、本役、加役ともに役料というものがなかった。役目を果たしたときに、頭には金3両ほどの褒美、与力や同心にもなにがしかの賞金があたえられるくらいのものだった。なので、加役をおおせつけられたばかりに、ひどく困窮する先手頭も少なくなかった。
享保の改革の時代に、火付盗賊改の役扶持が40人扶持とさだまり、与力は現米80石、役扶持が20人扶持となった。役扶持の不足は、当然のことながら1人に袖の下を要求したり、配下とした目明しが役得のごとくゆすりたかりめいた悪事に走るなどの弊害を生んだ。
火付盗賊改が庶民に嫌われた原因は、吟味中の拷問だった。享保以来、拷問には慎重ではあったが、廃止されることはなかった。
科人(とがにん)の中から、目はしのきく者をえらび出し、罪に問わない代わりに密偵として使う。これを目明しとか岡っ引と呼んだ。町奉行や火付盗賊改にとっては重宝だが、庶民にとってはこれほど迷惑な存在はない。捕えられて死罪となった人々のうち、どれほどが無実の罪を着せられたことか・・・。
有名な長谷川平蔵は、親子二代にわたる火付盗賊改だった。田沼時代から松平定信の寛政の改革のころである。長谷川平蔵は、人足寄場を創設した功績によって、歴史に名を残した。無宿人対策である。無宿人の匡正(きょうせい)は容易ではないが、扱い方次第では10人のうち5人は真人間に改心させる可能性があるとした。
平蔵が寄場の囚徒にさせたのは、手職のある者には大工、建具、着物、塗師をさせ、手職のない者には、米搗(こめつ)き、油絞り、炭団(たどん)、藁(わら)、木細工、紙漉(す)きなど。これらの製品は、町の商人に鑑札を与えて売りさばきを許した。
江戸時代の警察の仕組みと実情が分かる新書でした。
(2019年2月刊。860円+税)

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