弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2019年3月25日

ヴィオラ母さん

人間


(霧山昴)
著者 ヤマザキ マリ 、 出版  文芸春秋

生きていると、きっとなんだかいいことにめぐりあえる、そんな気がしてくる不思議に楽しい本です。私は残念ながら、「テルマエ・ロマエ」はマンガ本も映画もみていません。
女手ひとつ、たくましい音楽家の母親のもとで、けなげに生き抜く幼い姉妹の話は涙が出てきそうになってしまいます。でも、最後はなんだかほっとする話でしめくくられます。
なにしろ音楽ひとすじ、自分のやりたいように生きている、アッケラカンの母親にならって娘たちも生きる度胸をつけて、野生児さながらのたくましさを身につけていくのです。そのあたりの心理描写が見事です。
母親とは少し距離を置きつつ、実は知らず識らずのうちに、似たような人生を歩いていく娘の様子が手にとるように分かります。母は音楽家で、娘はマンガ家です。
著者の母リョウコは黒柳徹子と同じ年(1933年)に生まれ、今年(2019年)で86歳になる。良家のお嬢様としてばあやの送り迎えのあるように大切に育てられたが、27歳のときに勤めていた会計事務所を辞め、まったく縁のない北海道でオーケストラに入ってビオラ奏者として生活を始める。良き伴侶を得て娘2人をもうけたものの、夫は早く病死してしまって、シングルマザーとして幼い娘たちを育てながら音楽家として生き抜いていく。
若いころのリョウコの写真がありますが、きりりと引き締まった、いかにも意思の強そうな美人です。なよなよ感がまったくありません。
幼い娘たちを置いて演奏に明け暮れ、娘たちは寂しい思いをしていた。しかし、小学生のころ、娘は不満も不服も母親に感じていなかったというのです。
アップルパイやドーナツをつくってくれるという、おやつの演出もあり、毎日、娘たちのためにつくっておいてくれる、手作りの丸くて少し固いおにぎり、留守を詫びる手紙には似顔絵が描かれていて、いつも自分たちを気にかけてくれる感触をしっかり得ていた。
家族の愛情は、接触時間が短くても、ちゃんと通じる。やむを得ない距離感を強いられても、愛情はその力を必ず発揮する。リョウコは、それを教えてくれた。
リョウコは、自分が生き甲斐だと思うことを職業としてやってきた人間だ。リョウコが仕事でストレスをためている状態はあまり見たことがなかった。なんだかガサツで、いい加減だし、とにかく日々忙しそうだけど、トラブルがあってもそれを話しているうちに笑いに出してしまうなど、いつも楽しそうに見えた。
本当に、この人は音楽に支えられて生きているんだなと、娘として自然に感じとっていた。だから、著者も子どものころから本当に自分にできること、ずっと続けていけそうなこと、やりがいのあることを職業に選んで当然だと思っていた。自分が選んだことに熱意を注ぎ、これなら続けていけると思えることであれば、何でもいいのだと思えた。
やりたいことに全身全霊を注いで生きるリョウコには、うしろめたさはなかった。だから、娘である著者のなかにもくよくよする性質がはぐくまれることはなかった。
親というものは、子どもにとって、まず強く生きる人間の手本であるべきだと思うし、手放しでも、子どもがしっかり育っていけること、生きていけることを信じてあげるべきだと思う。
そして、小学校の担任がすばらしかったのです。娘に、こう語りかけました。
「この社会でいきいきと生きること、たとえいつも一緒にいられなくても、一生懸命に働き、満足していること、それを知ってもらうことも、素晴らしい母親のあり方です」
大いに変わった母親を教師がしっかり支えてくれて、著者は安心して伸び伸びと育つことができたのでした。
リョウコは新聞大好き人間。朝日新聞、北海道新聞、しんぶん赤旗の3紙を読み比べ、娘たちとも社会で起きたさまざまなことを話すのが楽しい団らんだった。
娘に対しては、「悩むだけ時間のムダ。楽しいことしてりゃ、すぐに気にならなくなる」と話す。
「大人になってもふさわしい男性に出会えなかったら、無理に結婚なんかしなくていい。本当に尊敬できる相手でもないのに、自分の面倒をみてもらうだけのために結婚するのはどうかと思う。そういう人に出会えなかったら、むしろ独りでバリバリやったほうが良い人生を過ごせるはず」
このように思春期を迎えようとしている娘たちに言っていた。す、すげえ・・・。腰を抜かしそうになります。あまりのド迫力に圧倒されながら、一気読みしてしまいました。すばらしい本です。このごろ少し元気をなくした、そんなあなたにぴったりですよ、どうぞ読んでみてください。
(2019年1月刊。1300円+税)

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