弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2019年2月28日

寒川セツルメント史

社会


(霧山昴)
著者 寒川セツルメント史出版プロジェクト 、 出版  本の泉社

私は1967年(昭和42年)4月に大学に入ると同時に川崎セツルメントに入り、4年間近くセツルメント活動に没頭しました。セツルメントなんて言葉は聞いたこともありませんでしたが、なんとなく目新しいものを感じましたし、なにより新入生歓迎会に参加すると元気な女子大生がたくさん参加していて大いに心が惹かれました。同じころ、ダンスパーティーにも参加したことがありましたが、踊れませんし、歌えもしませんので、気遅れしてしまいました。セツルメントでは話し込めるというのも魅力でした。
セツルメントとは、イギリスで知識階級の人々が貧民街へ定住(セツル)し、労働者階級とともに生活改善をおこなった運動。施しではなく、自活する術を身につけられるように労働者教育を行った。
最近の映画『マルクス・エンゲルス』をDVDでみましたが、19世紀の産業革命によって労働者階級が誕生したものの、その貧困と窮乏が激しくなっていきました。そのころ、大学教授たちが労働者の住む町へ出かけて労働者や夫人に教育を与えていく活動を展開していったのが大学拡張運動(セツルメントハウス・ムーブメント)でした。セツルメント運動の父は、かのトインビーです。トインビーホールが学生たちによって各地につくられました。
イギリスのセツルメント運動はやがて欧米諸国に広まり、移民の多いアメリカでは数多くのセツルメントハウスがつくられ、医療・教育・芸術まで多様な活動がすすめられた。
寒川セツルメントについては、私も全セツ連大会で何度も名前を聞いていましたし、全セツ連書記局を支える有力なセツルでした。寒川セツルメントは、1954年、千葉大学医学部の社会医療研究会(社医研)から誕生したサークルです。
寒川セツルメントは1960年代、70年代には100人以上のセツラーをかかえる大サークルで、全セツ連に毎年、書記局員を送り出し、全セツ連を支えた。ところが、1980年代にはいってセツルメント運動は退潮して、全セツ連は消滅し、1987年に寒川セツルも全セツ連から脱退した。1989年に子ども会サークルに名称を変更し、今も存在している。
この本は、1954年に生まれ、1989年まで存在した寒川セツル35年の活動を振り返ったもので、大変貴重な戦後史になっています。これに匹敵するものとして『氷川下セツルメント史』(エイデル研究所)があります。残念ながら、私のいた川崎セツルメントは、私の『星よおまえは知っているね』(花伝社)と『清冽の炎』(花伝社)があるだけで、類書はありません。
『氷川下セツルメント史』には、70年代以降のセツルメントがどうなったのかの解明が課題としていますが、今回の『寒川セツルメント史』では、70年代以降もきちんと明らかにしています。
セツルメント活動は、うたごえ運動と結びついていました。「地底の歌」や「子供を守るように」など、よく歌をうたいました。合宿するときには総括文集とあわせて歌集を印刷してもっていったものです。地域の現実を見つめながら、私たちは自分を語りました。そして、社会変革と自分の生き方とのかかわりも考えました。それは決して、地域の人々を踏み台にするものではなく、地域の生活に触発されて問題意識をとぎすまされたということができます。そのなかで生まれた仲間意識はとても強く、心地よいものがありました。
貴重な資料を満載した400頁の本です。かつてセツルメント活動に関わった人も、そうでない人も、セツルメントって何だろうと疑問に感じている人にも、ぜひ読んでほしい本です。
(2018年12月刊。2500円+税)

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