弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2019年1月25日

パール・ハーバー(上)

日本史(戦前)・アメリカ

(霧山昴)
著者 クレイグ・ネルソン 、 出版  白水社

真珠湾攻撃について、アメリカ側は日本側の動きを知っていながら日本軍の攻撃を許したという説が今なお一部にくすぶっていますが、本書は、アメリカ軍が文字どおり馬鹿にしていた日本軍から不意打ちをくらった状況をあますところなく明らかにしています。
その根底には、日本軍なんて言葉だけ勇ましがっているだけの恐れるに足りる存在なんかではないという蔑視観がありました。しかし、それは、日本軍にとっても同じでした。アメリカ軍なんて、ちょっと攻撃したら、たちまち尻尾を巻いて逃げだすに決まっているという尊大な考えに取りつかれていたのです。
もちろん、どちらも誤りでした。双方とも死力を尽くして戦い、結局、圧倒的な物量の差で帝国日本軍はみじめな敗退を重ねていったのです。
開戦当時ハワイにいたアメリカ艦隊は戦争に向けて完璧な状態とは言えなかった。給油艦も不足していたし、兵士も上官も自覚が足りず、早く家に帰りたい、家族に会いたいとばかり考えていた。ハワイには十分な燃料保管施設がなく、偵察機も足りなかった。ハワイのアメリカ軍は午前中だけ働き、午後はゆったり過ごしていた。
当時のアメリカ人の日本人に対する評価は、きわめて低かった。
日本人は、頭の回転が鈍く、合理的な発想ができず、幼稚で、非現実的で、脅迫観念にとらわれ、内耳の欠陥、極度の近視、そして出っ歯、すなわち劣等人種だ。そんな日本に、アメリカ攻撃がうまくやれるわけがない。臆病な日本人がアメリカを攻撃してくるなんて、金輪際ない。
日本人のほうは、映画によって、アメリカ人をギャングであり、浮浪者であり、売春婦であるとみていた。また、アメリカは金持ちの、金持ちによる、金持ちのための国家だとみていた。アメリカ人は商人であり、ゆえに利益を生まない戦争はそう長くは続けないとみていた。
長年におよぶ経済的苦境と党利党略政治の結果、アメリカの防衛力は相当に劣化していた。司令部の最上層部を占めるのは、1898年の米西戦争の生き残りばかりだった。
徴集兵は1940年時点で、わずか24万3500人のみ。兵士が手にする銃は1903年設計の年代物のスプリング・フィールド銃だった。1941年1月から2月にかけて、日本軍が真珠湾に大規模な奇襲攻撃を敢行することを計画しているという情報がアメリカ当局に寄せられていた。しかし、これについて、「にわかに信じがたい」とか、「この噂については何ら信頼していない」というコメントがついていた。
2月末、アメリカのスターク海軍作戦司令は、日本には十分な人員と戦艦がないため、インドシナ・フィリピンなどへの同時侵攻は不可能だと断定していた。
日本軍も、1936年以降、アメリカの外交電報の多くを解読していた。
しかし、ワシントンも東京も、互いの軍事暗号だけは解読できていなかった。
アメリカ側がレーダーと暗号解読という秘密兵器を有していたのに対して、日本はハワイにスパイを置いていた。
1941年時点でのハワイ在住民間人のうち、4割の15万8千人は日本人を祖先にもっていた。ハワイのレストラン、食料雑貨店の半分、建設労働者の大半、自動車工の大半、商店の売り子のほぼ全員、そして農民の100%は日本人か日系人だった。
上巻のみで380頁もある大作です。じっくり読みたいという人におすすめの本でした。
(2018年8月刊。3800円+税)

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