弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2019年1月 1日
もう一つの『バルス』
社会
(霧山昴)
著者 木原 浩勝 、 出版 講談社文庫
宮崎駿(はやお)の映画『天空の城ラピュタ』がどうやってつくられていったか、その舞台裏が熱く語られています。
『風の谷のナウシカ』は91万5千人がみて、興行収入14億8千万円、配給収入7億4千万円。『ラピュタ』は、77万4千人。決して成功とは言えないが、かといって失敗とも言えない微妙な成績だった。
それでも、1986年(昭和61年)の映画ベストテンの1位に選ばれた。そして、30年たった今でも、繰り返しテレビで放送されていて、ネット上では、『バルス祭』が毎回盛り上がる。
当時26歳だった著者は、青春まっただなか、そして、この『ラピュタ』の完成にすべてを懸けていた。著者はスタジオジブリに入社して、製作進行担当として、完成までの10ヶ月間を宮崎駿監督の下で、製作チームのスタッフとともに、文字どおり寝食をともにした。
「この作品は失敗できないんですよ」。宮崎監督は著者に声をかけた。
失敗したらスタジオの明日はない。
そして、完成したのは、公開のわずか10日前。
完成披露試写のとき、『天空の城ラピュタ』を観たあと、著者は声も無く泣いた。そして、宮崎監督が著者の背中をポンと叩いて言った。
「二人で『トトロ』を始めます」
そうなんですか、その次は、『となりのトトロ』だったんですか・・・。
映画のプロローグとは、物語が始まってオープニングタイトルが出るまでの小さなドラマのこと。2時間の映画のなかに、最初のわずか3分50秒たらずのドラマ。この短い時間のなかで、すべての観客の心をしっかりとつかまなければならない。それができなければ、あとに続く2時間もの物語にその心をつきあわせることは、難しい。
宮崎駿監督はこのプロローグをどう展開して、どうオープニングにつなげるか、最初の作業から苦しんだ。試行錯誤が繰り返された。いかにムダな時間やカットを使わないで事件性を高くし、スリルあふれる冒険活劇が始まることを観客に印象づけるか、襲撃方法から服装に至るまで宮崎監督は苦心惨憺した。
宮崎監督の毎日は、判で押したように決まっていた。
朝は10時に自分の椅子に座ると、深夜1時か2時近くまで、そのままずっと絵コンテを描いている。席を立つのはトイレに行くときと、お茶を汲むときだけ。
休憩は、お昼ご飯の弁当を新聞の朝刊を読みながら食べるとき、その後、30分ほど仮眠をとる。夕方、晩ご飯を食べに外に出る。それだけ。いつも自分の机で背中を丸めて鉛筆を走らせている。まるでお地蔵さんみたいに・・・。
座る椅子は折り畳み式のパイプ椅子。
宮崎監督は絵コンテの天才だ。アニメを制作するにあたって、絵コンテがないと、すべてが始まらない。絵コンテは、いわば作品全体の設計図にあたり、それぞれのカットの芝居・演出や台詞(セリフ)・タイムなどを示す。
若い血汐の湧きたつ思いが沸沸と伝わってくる本でした。
(2018年9月刊。700円+税)
2019年1月 2日
先生、脳のなかで自然が叫んでいます!
人間
(霧山昴)
著者 小林 朋道 、 出版 築地書館
先生シリーズの番外編です。
今度の主たる観察対象は、ヒト。著者は長らくヒトの精神と自然とのつながりを研究してきたのです。
いつものように軽妙なタッチで、ヒトとはいかなる存在なのかが、比較対象となる動物との対比で考察されます。
生後6ヶ月のヒトの赤ちゃんにヘビを見せると、瞳孔が瞬時に大きく拡大する。それは、世界各地の未開の自然民を調査すると、死亡理由の上位に毒ヘビに咬まれることがあげられることと結びついている。
脳には、生物の認識に専用に働く領域がある。
幼稚園から小学校低学年までの世代が、野生生物を中心とした自然の事物・事象についてもっとも多くの知識を吸収する時期である。自然物との十分な接触を妨げられた子どもは、その多くが、強い好奇心をもっているのに、虫を気持ち悪いと感じなくなる体験を妨げられている。だから、「気持ち悪い」という気持ちは、その後もずっとそのまま脳内にとどまり、多くの大人が虫を気持ち悪いと感じるのだ。
私と私の子どもたちは、幸いにしてたくさん自然の生物に触れ、生物の息吹きとともに育ちました。きっと彼らの心神は健康に育っていることと確信しています。
自然豊かな大学のキャンパス内外で、動物の世話に明け暮れている学生は、とても幸せな環境にあります。でも、在学中は、この美点になかなか気がつかないようにも思います。
(2018年9月刊。1600円+税)
2019年1月 3日
居酒屋チェーン戦国史
社会
(霧山昴)
著者 中村 芳平 、 出版 イースト新書
居酒屋の盛衰史を知ることができて、最後まで興味深く読み通しました。
酎ハイとサワーは同じもの、男性向けに酎ハイと呼び、女性向けにはサワーと呼ぶ。そんなことも知りました。そして、酎ハイは、居酒屋の稼ぎ頭なんですね、驚きました。
酎ハイの原価は、わずか数十円。それが280円とか300円で飛ぶように売れ、酎ハイほどけた外れに売れる商材はなかった。そして、女性受けするように、まったく同じものを「レモンサワー」と名づけて売り出した。酎ハイを開発したのは「村さ来」。しかし、どこの居酒屋もすぐ真似した。
居酒屋は、リスクは高いが一発あたれば大もうけができる。固定客に恵まれると、居酒屋ほどもうかる商売はない。ファミリーレストランの客単価が850円であるのに対して、居酒屋だと客単価は3000円から3500円。
居酒屋では「コバンザメ商法」が流行している。知名度や集客力、資本力で劣る店が自店にまさる店の近くに出店して、おこぼれをちょうだいしようとする戦略だ。これなら、立地の選定やマーケティング調査などに時間や費用をかける必要がない。
居酒屋業界では、「二番手商法」が大手を振ってまかり通る。要するに模倣が通用するのだ。真似ても文句を言われない。
「サイゼリヤ」は包丁なしで調理できるシステムを開発した。串打ちされた冷凍焼き鳥を乗せたら自動的に焼き上がる「串ロボット」、ジョッキを乗せると15秒ほどで自動的にビールを注げるサーバー。肉・魚・パン・ピザをジェット噴射で素早く調理するジェット・オーブン。
「ハイテク居酒屋」では、5人で150席の店舗を切り盛りできる。これで人件費比率を30%から25%へ引き下げた。
居酒屋チェーンの第一世代は「養老乃瀧」、「村さ来」、「つぼ八」。第二世代は「モンテローザ」、「ワタミ」、「コロワイド」。第三世代は「鳥貴族」、「串カツ田中」、「立吞み晩杯屋」。居酒屋チェーンは、常に新旧交代劇が繰り返されてきた。
いま、居酒屋離れ、居酒屋チェーン離れが加速している。人手不足から来る人件費の高騰、原材料調達コストの上昇。
消費者の節約志向は根強く、宅飲み、家飲みの風潮が広まり、イート・イン・コーナーを利用したコンビニ飲みが流行している。
そして、「ちょい飲み」が吉野家やガスト・サイゼリヤなどの外食チェーンで広がり居酒屋チェーンに脅威をもたらしている。
私も、もちろん居酒屋に入ったことはありますが、出張先で一人のときには本を読みながら食事のできる小さな小料理屋かイタリアンにしています。あまりに騒々しいのは本に集中できません。そして、本が読める明るさがほしいのです。
(2018年10月刊。861円+税)
2019年1月 4日
つたえるエッセイ
社会
(霧山昴)
著者 重里 徹也、助川 幸逸郎 、 出版 新泉社
心にとどく文章の書き方というサブタイトルがついた本ですので、早速、手にとって読んでみました。というのも、私の敬愛する先輩から、もう少し味わい深い文章を書くことに挑戦したらどうかと最近、苦言というか助言を受けたからです。
私は小学生のころから日記をつけていましたし、中学校で作文がうまいわねと担任の教師から賞賛されたことに自信をもったあとからは文章を書くのは苦になりませんし、早く、分かりやすく書けます。ところが、そこに味つけをしろというアドバイスを受けたのです。私の課題となりました。
何のために書くか・・・。答えは二つ。一つは、他人に伝えるため。もう一つは自分自身で自分の思想や感情を知るためだ。この二つのことが同時にできるのが、文章を書くことの醍醐味なのだ。
タイトルのつけ方で文章は決まる。タイトルを本気でつけるのが、レポート改善の特効薬。
私は小見出しが大事で、小見出しなしの文章は読みづらいし、しまりがないと考えています。小見出しを先につけて、それにあわせて文章を書くことはよくあります。
最初に自分が何を書きたいのか、はっきりさせる。その点を意識すると、最後まで滞りなく仕上げることができる。
ディテール(細部)が大事。それが文章にみずみずしさ、新鮮さをもたらす。
センテンス(一文)を短くすると、読みすすめるうえでの抵抗感が減る。
一文の長さを切りつめると、一気に文章の完成度があがる。
文章は、他人分かってもらうことを目ざして書く。
他人に伝わる文章を書くためには、自己を相対化することが必須で、そのためには寝かせることがもっとも有効。寝かせるというのは、何日か放っておいて、しばらくしてから読み直してみるということです。
締め切りよりも早く原稿を送るのが売れないライターの心得。たくさん書いて、あとから削る。さいしょは2.3割よけいに書いて、あとから規程の量まで減らすと、密度の濃い文章ができあがる。
文章は、自分が望む反応を相手から引きだすために書く。
私は、一文は短く、分かりやすく、そして速く書き上げることをモットーとしています。そのうえで、味つけを考えないといけません。さあ、どうしましょ・・・。
とても役に立つ文章の書き方が満載の本でした。
(2018年10月刊。1600円+税)
2019年1月 5日
戦国の城の一生
日本史(戦国)
(霧山昴)
著者 武井 英文 、 出版 吉川弘文館
私は弁護士になってしばらく、鎌倉の大船に住んでいたことがあります。フラワー公園のすぐ近くの玉縄のアパートでした。すぐ近くに玉縄城という有名な城跡があったようです。福岡に来てから知り、行ったことがなかったのを残念に思いました。
『のぼうの城』で有名になった埼玉の忍(おし)城にも行ってみたいと思います。石田三成が、秀吉の高松城の水攻めにならって水攻めをやってみたけれど失敗して撤退したというお城です。
古城といえば、なんといっても原城ですよね。廃城といいつつ、城壁どころか建物まで残っていたようです。ここで、3万人もの百姓が皆殺しにされたというのですが、今は何もなく実感が湧きませんでした。
この本には登場しませんが、戦国の城では安土城には2度のぼりましたし、朝倉氏の越前一乗谷の城下町にも2度行って、往時をしのびました。
城跡は、日本全国に数万ヶ所もあるそうです。城めぐりを趣味とするサークルがあり、旅行会社のツアーまであるというので、驚きました。
埼玉県嵐山(らんざん)町にある杉山城という大論争の城にも行ってみたいものです。
地選(ちせん)・・・城の位置を決める。地取(じどり)・・・場所を確保する。経始(けいし)・・・縄張を決める。普請(ふしん)・・・土木工事。作事(さくじ)・・・建築工事。鍬初・鍬立(くわだて)・・・地鎮の儀式。新地(しんち)・・・新規に築城する城。
城の築城期間は、およそ10ヶ月あまり。丈夫な土塁をつくるには、土だけでつくるのではなく、萱を入れることが必要だった。しかも、前年に刈って乾燥させた萱が良かった。
山城のなかには、一定の竹木を植えついたし、水源を確保するために必要だった。それだけでなく、家(城主)の繁栄のシンボルでもあった。
戦国時代には大名だけが築城したのではなく、自立的な村落が自分たちの身を守るために自ら主体的に城を築いた。村の城という。
城は聖地を意識して築かれることもあった。
城には、いざ籠城となったときのことを考えて、それなりの数の備品を常備していた。そのため、その維持管理は大変だった。兵粮は大名にとって悩みの種の一つだった。
人や馬の糞尿は、毎日、城外へ出して場内を清潔にするよう定められていた。その場所は場内から遠矢を放ち、その矢の落ちたところより奥の場所となっていた。
城には門限があった。朝9時ころに開門し、夕方6時ころに閉門していた。
お城オタクの、若い著者のお城探訪記のような本でもあります。
(2018年12月刊。1700円+税)
2019年1月 6日
江戸の目明かし
日本史(江戸)
(霧山昴)
著者 増川 宏一 、 出版 平凡社新書
江戸時代、目明かしがもっとも使われたのは天保の改革のころ。ということは、江戸も末期ということになります。
天保4年(1833年)に判決が言い渡された「三之助事件」では、処罰された士分の者だけで33人、百姓・町人をあわせると総勢64人が処罰された。与力・同心そして目明かしである。
水野忠邦が主導した天保改革の真の狙いは思想統制にあった。反対意見を封殺して、幕府の権威を取り戻そうとした。そのために出版規制を強めた。
このころ、かるた賭博もさいころ賭博も、特別な賭場ではなく、普通の民家でおこなわれ、商人、職人、主婦が気軽に参加していた。
目明かしは、元犯罪者であることが多い。目明かしになる最初のきっかけは、自分が捕えられたときや入牢中に、他人の犯罪を訴えること。訴えた犯罪者は減刑されたり、特赦された。幕府は、犯罪捜査に役立つとして、これらの元犯罪者を目明かしとして採用した。元は犯罪者であった目明かしの弊害はすぐに表れた。江戸市中では、目明かしと自称して強請(ゆすり)をする者があとを絶たなかった。
このころ、現在の東京23区より狭い地域に60万人の町人が住んでいた。これを、わずか100人弱の同心で取り締まるのは不可能だった。そのため、同心の補助として目明かしが必要とされた。しかし、この目明かしは、お金をむさぼりとって賭博を見逃した。
目明かしは、奉行所の収入から同心を通じて定期的に手当を与えられていた。ところが、目明かしたちは、些細なことで町民に難癖をつけて強請(ゆす)ることを日常的におこなっていた。目明かしとその子分たちは、権力公認の暴力団ともいえる存在だった。
債権者より依頼されて借金の取立てをするときには、債務者に犯罪の容疑となる証拠もないのに逮捕し、その親類に借金を返済したら釈放するといって返済を強要する。取立がうまくいったら、債権者に礼金を強請る。
目明かしは、入牢したら裏切り者として牢内でリンチされる危険もあったので、入牢することを非常に恐れていた。
天保8年(1837年)に大坂の与力だった大塩平八郎の乱が起きた。
水野忠邦は天保14年(1843年)に老中を罷免された。明治維新まであと20年ほどです。水野忠邦は、その後いったん老中に再任された(1844年)が、翌年に辞職し、完全に失脚した。
天保の改革が終わって庶民がひと息ついたとき、黒船が来航し、世情は騒然とした。
明治維新の直前には、目明かしとその子分、そしてその手引たちが1500人ほどもいて、その横暴は目に余るものがあった。目明かしの存在じたいが治安を揺るがす問題となり、幕府も取り締まる姿勢を示さざるをえなかった。
目明かしは、決して「正義の味方」ではなく、非道の輩(やから)だったということがよく分かる面白い新書でした。
(2018年8月刊。780円+税)
2019年1月 7日
生きづらい明治社会
日本史(明治)
(霧山昴)
著者 松沢 裕作 、 出版 岩波ジュニア新書
1868年が明治のはじまりです。それから1945年の敗戦まで、なんと77年間でしかありません。いま、敗戦から73年たっていますので、その差はわずか4年。
前の77年間に、日本は、日清戦争、日露戦争、そして第一次世界大戦に参戦して中国・青島でドイツ軍と戦争し、さらに第二次世界大戦をひき起こしました。まさに、戦争に明け暮れた77年間です。それに対して、敗戦後の73年間は、戦争とは無縁(少くとも直接的には)で過ごしてきたのです。ありがたいことですよね、これって・・・。
明治維新から明治天皇が死んだ1912年までの45年間に、日本は大きく変わった。
日清・日露戦争によって、日本は台湾や朝鮮半島を植民地とした。明治時代は経済的には発展の時代だった。1870年に3400万人だった人口は、明治が終わるころには5000万人(植民地は除く)になっていた。実質GDPは2倍になった。
明治時代の人びとは、大きな変化のなかを不安とともに生きた。そして、不安のなかを生きていた明治時代の人たちは、ある種の「わな」にはまってしまった。
明治の都市下層社会では、家族は安定した形をとっていない。正式に結婚している夫婦は少なく、事実婚の夫婦が多い。そして、夫婦ゲンカが絶えない。
長屋に住むが、そこは木造平屋建てで、四畳や六畳の一部屋だけ。布団を所有しない世帯も珍しくない。布団を買うお金がないので、毎日の収入のなかから、少額のレンタル料を払って布団を借りている人が珍しくなかった。
住居をもてない都市下層民は木賃宿(きちんやど)に住んだ。大部屋に人びとが雑魚寝(ざこね)して寝泊りする。東京市内に145の木賃宿があり、1ヶ月の宿泊者は1万3000人だった。20畳の部屋に照明はランプが一つ、まくらは丸太で、寝具は汚れて悪臭を放ち、ノミがたくさんいるという不衛生な状況だった。
明治時代、今の生活保護法に類似した制度は恤救(じゅっきゅう)規則。これまで隣近所で面倒見てきた者は、この恤救規則の対象にはならないとされた。国は、救助を貧困者の隣近所の住民に押しつけた。
貧困は自己責任であって、社会の責任ではない。法律をつくると、怠け者が増えてしまう。こう言って、反対する議員が多く、法律は制定されなかった。
江戸時代には、農村部の休日は増加傾向にあった。最大で年間80日も休んでいた村もあった。ところが、明治時代になると、通俗道徳の「わな」に人びとがはまってしまった。人びとが、自分たちから、自分が直面している困難を他人のせい、支配者のせいにしないで、自分の責任としてかぶる思想にとりつかれていた。
貧困者を「ダメ人間」視するところでは、政府や地方自治体のような公的機関が、税金を貧困者のためにつかうことには強い抵抗がある。一部の「ダメ人間」のために、「みんな」のお金をつかうことはできないと考えるのだ。
おカネは、道路、鉄道、学校といった、「みんながつかうもの」と考えられた目的につかわれ、貧困対策のような「一部の人たちだけがトクをする」と考えられたものには使われなかった。
慈善は悪事である。怠け者を助けてやっても、ますますつけあがって怠けるだけ。
成功した者が動かす社会では、政府がつかうおカネが増えたからといって、それが貧困対策につかわれることはない。成功者たちからすると、貧困者は怠け者の「ダメ人間」なのだ。
いやあ、今でも、こんな考え方の人は多いですよね。自分がいつ弱者になるかもしれないのに、そんなことをまったく考えないのです。
生きづらいのは明治社会だけではなく、現代日本でも残念ながら同じですよね。こんなすばらしい本がジュニア新書として出ているんですね・・・。多くの人に一読してほしい本です。
(2018年9月刊。800円+税)
2019年1月 8日
ヨーゼフ・メンゲレの逃亡
ドイツ・ブラジル
(霧山昴)
著者 オリヴィエ・ゲーズ 、 出版 東京創元社
ナチスの戦犯として、アイヒマンはイスラエルの諜報機関(モサド)に隠れ家から拉致されてイスラエルに連行され、裁判を受けて処刑されました。
ところが、ヨーゼフ・メンゲレのほうはアルゼンチンそしてブラジルで平穏な暮らしのなかで生きのびて、海岸で溺死するまで裁判にかけられることがありませんでした。どうして、そんなことが可能だったのかを小説で再現しています。
アルゼンチンのブエノスアイレスでアイヒマンとメンゲレは互いに面識があったようです。
メンゲレはずっと目立たないように注意してきたのに、アイヒマンは名声を求め、酔いしれて元ナチス親衛隊上級大隊指導者とサインしたりした。
メンゲレはアイヒマンを無教養な元商人として軽蔑した。中等教育も満了しておらず、前線での経験もない会計係の息子。アイヒマンは哀れなやつだ。一級の落ちこぼれだ・・・。
アイヒマンのほうも、メンゲレについて、臆病などら息子、日焼けした下っ端野郎にすぎないとけなした。
メンゲレはフランクフルトとミュンヘンの両大学で医学と人類学で博士号をとっていた。ところが、1964年に、アウシュヴィッツで殺人の罪を犯していたことを理由として、メンゲレの博士号は取り上げられた。これを知ってメンゲレは怒り狂った。
メンゲレはアルゼンチンからパラグアイに移住した。ドイツにいる家族とはずっと連絡をとりあっていた。西ドイツの情報部は、そもそも旧ナチスの息のかかった機関なので、メンゲレの行方を真剣に追跡することはなかった。
そして、次にブラジルに移住した。サンパウロの近くだ。ドイツにいる息子、ロルフ・メンゲレとは盛んに文通した。
1976年5月、メンゲレは脳卒中に襲われた。
息子、ロルフ・メンゲレがブラジルにやって来て、父に問うた。
「パパ、アウシュヴィッツでは何をしたんです?」
メンゲレは答えた。
「ドイツ科学の一兵卒としての私の義務は、生物学からみた有機的共同体を守り、血を浄化し、異物を排除することにあった」
「ユダヤ人は、人類に属していない」
「何千年も前からユダヤ人はアーリア人種の絶滅を望んできたのだから、すべて排除すべきなのだ」
「人民の外科医として、アーリア民族が永遠に栄えるよう、社会の幸福のために努めたのだ」
「私は何も悪いことはしていない」
いやはや、死ぬまでメンゲレはまったく反省せず、罪の意識もなかったというわけです。
1979年2月7日、メンゲレは水着を身につけ、海岸に入った。そして、溺れた。
息子ロルフは、父を助けてきてくれた人々に対する配慮から、父の死亡を公表しなかった。メンゲレの家族は南米における潜伏場所を知っていて、最後まで仕送りしていた。
1992年、DNA検査でメンゲレの遺体であることが確認された。
息子ロルフはミュンヘンに住み、弁護士として活動している。
メンゲレの死に至る状況がノンフィクションとして実に細かく再現されていて、圧倒される思いでした。
(2018年10月刊。1800円+税)
2019年1月 9日
日本が売られる
社会
(霧山昴)
著者 堤 未果 、 出版 幻冬舎新書
安倍首相がトランプ大統領の求めに屈して最新鋭のF35戦闘機を100機も購入すると約束したニュースには腰を抜かしました。1機で100億円以上もする戦闘機ですから、それだけで1兆円です。日本全体の司法予算は4000億円もないと思います(全体の0.04%でしたっけ・・・)。
このF35戦闘機は、すでに実戦配備は始まってはいるものの、オスプレイと同じように重大な欠陥があり、未完成機だとも言われているものです。いったい何のためにこんな戦闘機を100機も日本が買ってどうするのか、自衛隊の現元幹部からも疑問の声があがっています。そんなバカなことに使えるお金があるんだったら、司法修習生をふくめて大学生への給付型奨学金を拡充し、さらには無闇に(ブラック)アルバイトなんかせずに勉学に打ち込めるよう北欧にある生活費まで支給すればいいのです。今の自公政権のお金の使い方はまったく間違っています。
いま、日本は水道の民営化への道を歩みつつある。世界の3大企業は、水男爵と呼ばれる仏のヴェオリア社とスエズ社、英のテムズ・ウォーターの3社。
水ビジネスは石油よりも巨大な金脈。21世紀の超優良投資商品だ。
飲み水がタダの時代は終わった。2015年に84兆円だった世界の水ビジネス市場は、2020年には100兆円をこえると予測されている。
台風や豪雨や地震などの自然災害が頻発する日本では、そのたびに全国で老朽化した水道管がこわれ、莫大な復旧費用がかかる。仏ヴェオリア社の日本法人は、広島市と埼玉県の下水処理場、大牟田・荒尾両市の運営権を手に入れているが、この投資リスクがあるため、本格的な外資参入はすすんでいない。そこで、災害時に破損した水道管の修理費用は自治体と企業で折半し、利益は企業のものとする方法でいくことを安倍政権は認めた。これはひどい、ひどすぎです。
種子法の廃止も先日の国会でドサクサにまぎれて決められてしまいました。
種子は、すでに国民のお腹を満たすためのものから、巨額の利益をもたらす商品として、世界的なマネーゲームの道具になっている。種子法の廃止と自家増殖禁止のセット導入は、80年代以降、グローバル企業が各国で使ってきたビジネスモデルだ。
日本人が長い時間とエネルギーをかけて開発した貴重な種子データは、今後は簡単に民間企業の手に渡される。
日本は世界第3位の農薬使用大国だ。1位は中国、2位は韓国、3位が日本で、かのアメリカはなんと日本の5分の1、8位となっている。ミツバチの大量死の原因とみられている農業ネオニコチノイドの規制が日本では甘すぎるのです。
日本のスーパーで売られている食品の60%に遺伝子組み換え原料が使われている。そして、そのことを、ほとんどの消費者が知らない。
フランスの農家は収入の9割、ドイツでは7割を政府の補助金が占めている。政府が守ってくれるから、自然災害などで価格が下がっても、農家がつぶれることはない。
いやはや、この本を読むと、まったく暗い気持ちで沈んでしまいそうになります。でもでも、やっぱり忘れてはいけませんよね。そして、あきらめたらいけないのです。みんなが声をそろえて叫び出せば、きっと世の中は大きく変わります。いえ、変えましょう。
(2018年12月刊。860円+税)
2019年1月10日
骨が語る兵士の最期
日本史(戦前)
(霧山昴)
著者 橧崎 修一郎 、 出版 筑摩書房
第二次大戦(太平洋戦争)による日本人戦没者は310万人。このうち海外での戦没者は240万人。収骨開始以来、127万人分の兵士の遺骨が収骨された。したがって、まだ海外には113万人分の遺骨が未収骨のまま眠っている。このうち、飛行機や船で海没したため収骨が困難な数は30万人。中国など相手国の事情から収骨が困難な数が23万人。結局、現在の遺骨収集の対象は60万人。
アメリカは、国家の責任で、国防総省が最後の一兵まで発見することに全力を注いでいる。日本では遺骨収集の主体は防衛省ではなく、厚労省となっている。
日本人と鑑定された遺骨は、検疫法により、基本的に現地で火葬して焼骨(しょうこつ)として持ち帰る。ただし、DNA鑑定にかける歯や完全な四肢骨については、検体として焼かずに持ち帰る。そうしないと、歯や骨にふくまれるDNAが破壊されてしまうから。
著者は太平洋の島々で、旧日本軍兵と民間人のあわせて500体を鑑定してきました。
人骨は、生まれたばかりの新生児では350個ある。ところが、成人は206個に減る。このほか、歯は乳歯が20本、永久歯が32本。
遺骨の状況をふまえて、著者は次のような状況を想定した。並んで立たされた日本人兵士3人は、うしろから銃殺された。このとき、「天皇陛下万歳!」と叫び、両手をあげた。うちの一人は、まだ虫の息があり、伸ばした両手を前の方に引き寄せているところを、うしろから拳銃で後頭部にとどめの一発を撃たれて絶命した。
いやはや、遺体の状況を見て、そこまで推測できるのですね、さすがはプロです。まいりました。
民間人が多く出土するのは、サイパン島とテニアン島のみ。
遺骨収集に関わっていると、現地で不思議なことを経験する。チョウチョがたくさん飛んでいる。袖をひっぱられる感触がした。焼骨のとき、ピーッとなる。
遺骨は決して土に還ってはいない。遺骨が70年で土に還るということはない。
本当にご苦労さまとしか言いようのない地道な作業です。頭が下がります。
2015年4月9日に、天皇夫妻がペリュリュー島を訪問しました。それまで私をふくめて一般の日本人にはなじみのなかった太平洋の孤島に大勢の日本人が兵士として送られ、そこで戦病死・餓死していったのでした。まったく知りませんでした。
日本国の象徴の訪問は、戦前の日本が何をしていたのか、その結果がどうだったのかを問い返すきっかけをつくったのです。私は、そのことを高く評価したいと思います。
ところで遺骨収集に熱心なのはアメリカと日本だけで、ドイツはやっていないとのこと、これまた驚きました。世の中、まさしく知らないことだらけです。
(2018年7月刊。1500円+税)
2019年1月11日
中国と日本、二つの祖国を生きて
中国
(霧山昴)
著者 小泉 秋江 、 出版 集広舎
日本人の母と中国人の父とのあいだに1953年に生まれた著者の壮絶な生涯を克明に書いた本です。
日本人の母親は日本で教員をしていて、家庭の都合もあって中国に渡り、教員をします。そして、戦後、国民党軍の軍医をしていた父親と出会ったのです。
ところが、戦後に生まれた新生中国で医師の子として伸び伸び育った日々はわずか。「大躍進」運動の下での飢餓、そして文化大革命の嵐のなかで一家は離散させられ、幼い著者も日本人スパイの汚名を着せられ、打倒の対象となるのです。
著者を糾弾する紅衛兵は、ほとんど顔見知り子で、いじめる理由はない。ただ面白がってやっているだけ。大っぴらに批判できる対象がいるのがうれしくてしかたない。
著者は厳しく追及されたものの、まだ助かった。ところが、教師たちには命を落とした人も続出した。日本人の母は、かばう人がいて糾弾の対象とならなかった。しかし、中国の国籍をとった日本人は厳しく糾弾された。母親は糾弾されないのに、その娘は糾弾される矛盾に著者も気がつき、おかしいと感じていた。
著者は、父も母も何も悪いことはしていないと確信していたので、迫害される理由は理解できなかった。表面的には自己批判するものの、絶対に生きのびてやる、ここから抜け出してやると、ひたすら考えていた。
それにしても、わずか10歳あまりの少女を糾弾し、吊し上げる社会風潮はあまりに異様です。「文化」大革命といいますが、ちっとも「文化」的なことではありませんでした。日本でも一部の文化人が「文化大革命」を大いにもち上げていましたが、恥ずかしい限りです。まあ、実態(実情)は知らなかったでしょうから、しかたのない面もあるとは思いますが・・・。
そして、文化大革命が終わって学生は貧しい農村地帯へ追放(下放)されます。体重40キロもない少女(著者)がレンガ造りの現場で、60キロものレンガを背負って運ぶ仕事に就いたのでした。そして、食事は満足にとれなかったのです。よくぞ、こんな苛酷な状況で生きのびたものです。生きようという意思がすべてを克服したようです。
なんとかして日本にやって来ます。表向きは半年で中国に戻ることになっていましたが、著者は戻る気はありませんでした。それでも、日本で暮らすのも大変なことです。著者は夜間中学に通って日本語を学び、なんとか会社に雇ってもらって仕事をするようになりました。そこでも苦難の日々が続くのです。
いやはや著者の不屈の精神力には圧倒されます。半日かけて一気に読み上げましたが、なんだか元気をもらった気がします。 病気ともたたかっている著者の今後のご健勝を心より祈念します。いい本でした。ありがとうございます。
(2018年9月刊。1500円+税)
2019年1月12日
除染と国家
社会
(霧山昴)
著者 日野 行介 、 出版 集英社新書
除染作業はだいたい終了したそうです。ええっ、本当ですか、それで安全になったと言えるんですか・・・。思わず問い返したくなります。
除染とは、放射性物質が付着した庭や田畑の表土をはぎ取って集め、フレコンバッグと呼ばれる大きな袋に詰めこむ作業のこと。
除染作業は、巨額の費用と膨大な人手をかけた壮大な国家プロジェクトだ。2016年度末までに、のべ3000万人の作業員が従事し、2兆6250億円もの国費が投じられている。
フクイチ(原発)から飛んできた放射能のほとんどが山林に降り注いだ。樹木を切り取り、表土をことごとくはぎとるなんて、とうてい不可能だと、除染を始める前から、誰もが分かっていた。結局、山林では放射能が滅衰するのを待つしか手はない。その期間は数百年に及ぶ。
除染で集めた汚染土の保管は短期間で終わる前提で制度はつくられている。しかし、現実には事故から5年たっているのに現場保管が続いていて、搬出のめどはたっていない。
だいたい、日本全国のどこにフレコンバックを積み上げて、保管できる場所があるというのでしょうか。こんな狭い国に地震があり、火山があるところで原発をつくったこと自体がまちがいなのです。
莫大な除染費用は本来、東京電力が負担するはずなのですが、本当に東電が負担するのか不透明だといいます。とんでもないことです。きわめてタイムリーな新書です。
(2018年11月刊。860円+税)
2019年1月13日
土、地球最後のナゾ
生物
(霧山昴)
著者 藤井 一至 、 出版 光文社新書
土って、生物と切っても切り離せない存在なのだということを、この本を読んで初めて認識しました。
土は地球にしか存在せず、月や火星にはない。
土壌とは、岩の分解したものと死んだ動植物が混ざったものを指す。したがって、動植物の存在を確認できない月や火星に土壌はない。あるのは、岩や砂だけ。
地球の岩石は、水と酸素、そして生物の働きによって分解する。風化という。
粘土は、水の惑星が流した"血と汗"の結晶だ。
月でも岩は風化する。しかし、水や酸素や生物の働きがないと、岩石は粘土にはなれない。月には粘土はない。粘土の有無が地球の土壌と砂を分かつ。
火星には粘土がある。しかし、腐植はない。火星には粘土が存在する点では、月の砂よりも地球の土に近い。しかし、火星には腐植がない。
腐葉土には、高度に発達した現代の科学技術を結集してもなお、複雑すぎて化学構造も部分的にしか分かっていない驚異の物質である。土の機能を工場で再現できない理由もここにある。
500年前、レオナルド・ダ・ヴィンチは次のように言った。
「我々は天体の動きについてのほうが分かっている。足元にある土よりも・・・」
ええっ、本当にそんなことを言ったのでしょうか・・・。
ミミズの粘液のネバネバがバラバラだった土壌粒子を団結させる。これによって、土壌は単なる粉末の堆積物ではなく、無数の生物のすむ、通気性、排水性のよい土となる。これが地球の土だ。
世界の土は、実はたったの12種類しかない。ええっ、ウソでしょ、そんなに少ないはずないでしょ、そう叫びたくなりますよね。
日本中どこを掘っても、土は酸性だ。
泥炭土は、地中深く数千万年も眠れば石炭に化ける。それはジーンズを染めるインディゴの原料にもなっている。
日本では、山の土を通過した水はケイ素を多く含み、稲を病気に強くする。稲だけでなく、ケイ素の有無でニワトリの成長が大きく変わることも報告されている。
ケイ素は必須養分ではないが、骨をつくる活動を促進する働きがある。
インドネシアのボルネオ島ではケイ素がないため稲が実らない。
足元の土というもののありがたさを初めて認識することができました。
(2018年12月刊。920円+税)
2019年1月14日
人間
才能の正体
(霧山昴)
著者 坪田 信貴 、 出版 幻冬舎
私は、つくづく語学の才能がないと痛感します。毎日毎朝、フランス語の書き取りをして、毎週土曜日にフランス人と話して、年に2回は仏検(テスト)を受けて、いまもってペラペラ話せるにはほど遠いありさまです。我ながら、嫌になってしまいます。
この本は、才能の正体を探っています。
才能がある人とは、結果を出せる人。結果は、どういう人が出せるのか・・・。それは洞察力がある人だ。洞察力とは、物事を深く鋭く観察し、その本質や奥底にあるものを見抜くことであり、観察しただけでは見えないものを直感的に見抜いて判断する能力のこと。
子どもが夢を語って努力をはじめようとしたとき、親は、「そんなの無理だ」、「できるわけがない」と否定せず、信念をもって守る。愛情を与える。そして、子どもの言葉を信じて、温かく見守る。
自分を出せなくなると、能力は伸びない。
ほめられると、子どもはもっとがんばろうと思うものだ。
万人にとって効率のいい勉強法なんて存在しない。
能力を高めるには、とにかくその子にあったやり方で、コツコツと続けていくしかない。
大学受験に才能なんか関係ない。大学受験までの学問は、しょせん答えがある問題集にすぎない。その解き方のパターンを覚えさえすれば、必ずできるようになる。
人の脳は、接触回数を増やせば、記憶に定着しやすくなり、仲間だと思いやすくなる。
才能は気分が9割。才能はあると信じること。才能は素晴らしいものだと信じること。そうすれば、世界の見え方が変わってくる。
私たちの世界を、この先もっとすばらしいものにしてくれるのが、才能だ。
坪田塾の塾長として、1300人以上の子どもを「個別指導」してきた実績のある人ですから、説得力があります。私にも語学の才能はある、そう信じて、明日からもがんばって続けることにしましょう。
(2018年10月刊。1500円+税)
2019年1月15日
子育てがおもしろくなる話②
人間
(霧山昴)
著者 土佐 いく子 、 出版 日本機関紙出版センター
私と同じ団塊世代の著者は長く小学校で教員をしていました。その体験にもとづく話ですから読ませます。私は電車の中で一気に読みあげました。
学校は、子どもたちに生きていく希望を届けるところであってほしい。学校へ行けば賢くなれる。そして、「よく来たね」と声をかけてくれる教師がいて、「遊ぼう」と誘ってくれる友だちがいる。やっぱり人間って、あったかいなと人への信頼を届ける所であってほしい。
学校は安心の場、自分の居場所のあるところでありたいもの。ところが、現実にはピカピカの1年生ですら、笑わない子、目を合わさない子、抱かれない子、そして、「どうせ、オレ、アホやもん」、「生まれてこなかったら良かった」と吐き捨てるように言う子がいる。
子どもは、親の失敗談を聞くのが大好き。ほっとするからだ。明日もがんばってがんばって立派にしなければと追い込まれないから。ほっとすることで、今の自分でいいんだという安心感が生まれる。その安心が自分づくりを支えてくれる。そして、明日も生きていけるという元気や意欲をはぐくんでくれる。
子どもたちの友だちづきあいがうまくいかなくなったと言われているが、実は、大人たちの人間づきあいが下手になっている。
私の依頼者には中高年の一人暮らしの人がたくさんいます。それは男性も女性もです。その一人は新聞配達を仕事としています。「大変ですね、何時から仕事ですか?」と尋ねると、なんと夜中の1時半から5時まで配達しているそうです。頭が下がります。「睡眠時間は大丈夫ですか、ちゃんと休めてますか?」と重ねて問いかけると、そちらはどうやら大丈夫のようです。夜、人が寝ているときに働いて、昼間は寝ているという、昼と夜が逆転した生活を何年もしているとのこと。「なぜ、ですか?」その人は、人とあまり接したくないからだと答えました。60歳代の男性です。大きなモノづくりの工場で働いたこともあるそうですが、そんなところにいると息が詰まりそうで、早々に逃げ出したと語りました。
人づきあいを苦手とする人が前より増えた気がしてなりません。そして、スマホ万能社会は、ますます人を孤立化させるのではないでしょうか。
人が人とぶつかりあい、励ましあい、支えあってこそ人間です。この本を読みながら、その基礎づくりを子どものころにちゃんとしてほしいと思ったことでした。
(2015年11月刊。1524円+税)
2019年1月16日
薬物依存症
司法
(霧山昴)
著者 松本 俊彦 、 出版 ちくま新書
人が薬物に手を出すのは、多くの場合、「つながり」を得るため。
薬物使用が本人にもたらす最初の報酬は、快感のような薬理学的効果ではなく、関係性という社会的効果だ。「自分はどこにも居場所がない」、「誰からも必要とされていない」という痛みをともなう感覚にさいなまれていたり、人との「つながり」から孤立している人が「人とつながる」ために薬物を使用している。心に痛みをかかえ、孤立している人ほど、薬物のもつ依存症に対して脆弱(ぜいじゃく)だ。
薬物の再使用によって、もっとも失望しているのは、周囲の誰よりも薬物依存者自身である。「また使ってしまった」という自己嫌悪と恥辱感をもつ。
覚せい剤取締法事犯者は、日本の刑務所の収容者の3割を占めている。そのうち65%は再犯者。覚せい剤依存症患者の再使用は刑務所から出所した直後にもっとも多い。どこかに閉じこめられて物理的に依存性薬物と切り離していても、いつかはそこから解放される。その自由を奪われたあとの解放感こそが、薬物依存症患者の薬物欲求をもっとも刺激する。
「薬物中毒」という言葉は、不正確な表現なので、今では使われない。薬物依存症とは、薬物が体内に存在することが問題なのではなく、薬物をくり返して使ったことで、その人の体質に何らかの変化が生じてしまった状態である。
身体依存とは、中枢神経作用薬をくりかえし投与された生体にみられる、正常な反応にすぎない。そして、身体依存は原則として可逆的なものであり、薬物を断った状態を続けていれば、中枢神経系は再び薬物なしの状態に適元するようになり、離脱や耐性は消失する。したがって、もしも薬物依存症イコール身体依存だとすれば、薬物依存症の治療など、実に簡単になるはずだ。しかし、現実にはそうはなっていない。身体依存は薬物依存症の本質ではない。精神依存こそが薬物依存症の本質なのだ。
薬物を使っていないときでも、薬物のことばかり考えているという状態をさす。
依存症者は、たとえ尊大そうに見えても、その内実は自己評価の低い人が少なくない。それだけ人から承認されることに飢えている。
この5年とか6年のあいだ、シンナーを吸っていたという少年は、ほとんどいない。首都圏では暴走族はほとんど見かけなくなった。
2016年の調査で、覚せい剤が第1位で、第2位は睡眠薬、抗不安薬である。
日本人ほど、薬物に関して、「脱法」であることを尊び、高い価値を置く国民は他にいない。日本人の高い遵法精神が「脱法」的な薬物の市場価値を高めている。
危険ドラッグの経験者は、決して売り物の薬物を自分には使わない。「こんなクスリをつかう奴はバカだ」とさえ思っている。
刑務所内の治療プログラムにはそれほどの効果はない。
刑務所は、人を嘘つきにしてしまう。すっかり嘘をつくのが習性として染みついている。
刑務所に行くのは時間の無駄だ。再犯防止は、施設内よりも社会内で訓練を受けたほうが効果的。薬物の自己使用罪や所持罪で逮捕された者を刑務所内で処遇することは、再犯防止の観点からは、実は意味がない。
薬物依存症は、治らないが、回復できる、そんな病気だ。特効薬や根治的治療法はない。依存症の治療において、「欲求に負けない強い自分をつくる」という発想はとても危険だ。
そもそも依存症患者は「強さ」に憧れている。
薬物依存症の人は多くの嘘をつく。もっとも多くの嘘をついているが、もっとも多いのは、何と言っても自分自身に対してである。
この本を読んだとき、被疑者国選弁護事件で連日のように被疑者に面会しに警察署に行っていました。しかも初めての大麻取締法違反事件でした。
なるほど、そうなのか、そうだったのかと、一人合点で、膝を叩きながら読み通しました。私にとっては画期的に面白い本でした。ご一読をおすすめします。
(2018年9月刊。980円+税)
2019年1月17日
脳の誕生
人間・脳
(霧山昴)
著者 大隅 典子 、 出版 ちくま新書
身体を構成する細胞は、基本的に70%が水分。その水分を除いた乾燥重量のなかで、脳の脂質は55%を占めていて、タンパク質(40%)よりも多い。脳のなかでも脂質が多いのは「白質」と呼ばれる部分。白質は灰白質に比べてコレステロールが2倍、糖脂質が6倍程度多い。
脳は重量でいうと体重の2%ほどしかないのに、血液量としては心拍出量の15%を占め、安静時の酸素消費量では身体全体の20%を消費する。
このように脳は、すべての臓器のなかでもっともエネルギーを消費する贅沢な臓器だ。
脳は活動するために多量のエネルギーを必要としている。脳に存在するニューロンのほとんどは、胎児期に産生されて生涯働く、非常に長生きする細胞だ。したがって、脳のエネルギー産生には、なるべくカスの出ないクリーンな栄養が必要で、これに最適なのがグルコース(ブドウ糖)。グルコースは余分な燃えカスが出ない。グルコースはグリコーゲンという貯蔵のための糖質から供給される。グルコースやグリコーゲンは脳に蓄えることができないので、血中のグルコース濃度(血糖値)は、一定に保たれている必要がある。
グルコースから効率よくエネルギーを生成するには、ビタミンB1、B2などの微量栄養素が必須となる。
不思議なことに、ニューロンは最終的に配置されるところから離れたところで産生され、場合によっては非常に長い距離を移動する。
ヒトの脳には1000億にも及ぶ膨大な数がつくられるニューロンは、すべてが生き残るのではない。標的(パートナー)と正しく結合できて神経活動をするニューロンは生き残るが、それができなかったニューロンは死んで排除されていく。その量は、脳の領域によって20%から80%にも上る。
運動の制御に関する領域の成熟がもっとも遅く、その変化は21歳まで続いていた。
このように、「ヒトの脳は3歳ころまでに出来上がる」という「3歳児神話」は事実ではない。
前頭葉の発達が遅いことは、思春期の子どもたちの価値判断や意思決定が大人並みになるには、かなりの時間がかかることを意味している。
現在では、脳の特定の領域では、生涯にわたって脳細胞が産生されることが分かっている。
突然変異があったからこそ、地球上に人類が存在している。脳の進化についいていうと、遺伝子の重複が生じ(過剰コピー)、さらにその遺伝子に変異が生じる(コピーミス)ことが繰り返されることによって、人類はより高度な脳を獲得することができたと言える。
人間を人間たらしめている特徴の一つは「言語」を操ること。ネアンデルタール人も舌骨が発見されていて、言語をもっていたと思われる。
脳について最新の知見を得ることができました。
(2017年12月刊。860円+税)
2019年1月18日
日光の司法
日本史(江戸)
(霧山昴)
著者 竹末 広美 、 出版 ずいそうしゃ新書
「百姓は菜種(なたね)きらすな、公事(くじ。訴訟)するな」
という呼びかけが近世の村社会で叫ばれました。
ということは、それだけ実は裁判が多かったということです。
当事者は、勝つか負けるかの必死の請願・訴訟を展開した。日光宿は、そんな人々を助け、また円滑な「御用」の処理のために奉行所と村人の間にあって活躍した。
日光奉行の職務の一つに公事(くじ)訴訟があった。江戸時代、争論や訴訟といった「公事止入」は、村の秩序を維持するうえで、戒めるべき行為だった。身をもちくずし貧乏になる原因の一つとして、「公事好み」(訴訟を好むこと)があげられた。
しかし、実態は、地境や入会地・用水をめぐる村内の争いや村と村の争論、あるいは私人間の金銭貸借訴訟など、領主や村役人層が、公事出入の非を百姓たちに絶えず、説きあかさなければいけないほど、公事出入は発生していた。
日光には、日光目代(もくだい)や日光奉行と深く関わりあい、「日光宿」(にっこうやど)と呼ばれて活動した公事宿が3軒ないし6軒ほど存在していた。
公事宿の活動を今に伝える史料として済口証文(すみくちしょうもん。和解調書)と、願書が残っている。
日光宿は、謝礼を受けて、訴訟になれていない者たちの訴訟行為を助けた。目安や願書等の文書を作成したり、訴訟に必要な知識・技術を提供した。ときには、本来、差添人(介添人)となるべき町村役人とともに奉行所まで行き、白州にのぞんだ。
江戸時代、幕府・領主は、訴訟ができるかぎり当事者の自発的な内済(ないさい。示談・和解)によって決着させる方針だった。これは日光目代・日光奉行も同じで、この内済を扱う人を「扱人」(あつかいにん)とか「内済人」と呼んだ。日光領では、日光宿も有力名主や年寄と並んで扱人となっていた。
尋問や命令の伝達のため役所へ出頭を命ずる差紙(さしがみ。召喚状)を、日光宿も日光奉行所から当事者ないし関係人に送達した。すなわち、日光宿は、日光奉行所やその関係役所の上意下達の伝達期間として機能し、下役的役割を担っていた。
著者は日光高校の教員です。とても分かりやすく、日光奉行所の活動の全貌を理解できました。昔から日本人は訴訟嫌いどころか、訴訟大好きだったことがよく分かる本です。
(2001年4月刊。1000円+税)
2019年1月19日
「アメリカ彦蔵自伝1」
日本史(江戸)
(霧山昴)
著者 ジョゼフ・ヒコ 、 出版 平凡社
著者は1873年(天保8年)生まれ、太平洋を漂流し、助けられてアメリカで国籍もとって幕末の日本に通訳としてやってきました。
1862年(文久2年)に刊行した『漂流記』は、江戸時代としては唯一の漂流記でした。
この本を読むと、意外にも多くの日本人が漂流してアメリカの地を踏んでいます。
生地は播磨国の宮古村(兵庫県加古郡播磨町)。
彦蔵は、アメリカで14代の大統領フランクリン・ピアースに会見したうえ、暗殺前のリンカーン大統領にも会っています。
イギリス領事(あとで公使)のオールコック(当時50歳)とも面識がありました。
彦蔵は、日本では、アメリカ市民として行動していました。久しぶりに実兄と再会したとき、兄は疑っていたのでした。そこで、彦蔵が町内の誰彼の名前をあげて、いろいろ尋ねたことから、ようやく本当に自分の弟だと納得したのです。
「とうとう、うれしそうなほほえみが兄の顔にひろがり、口もとがほころび、ついに兄はわっと泣き出し、大粒の涙が頬を流れ落ちた。もう、二人のどちらも、ことばも出なかった」
幕末の日本は殺伐としていました。暗殺が続きます。ついに桜田門外の変が起きて、井伊直弼が暗殺されます。井伊大老のことを彦蔵は「摂政」と呼んでいます。
そして、そのころアメリカでは南北戦争が展開中でした。日本では、生麦事件のあとイギリス艦隊が鹿児島を砲撃し、また、連合艦隊が長州藩を下関で壊滅させます。
日本人でありながらアメリカ国籍をとって日本に戻り、通訳そして実業家として活躍した人物の目を通して幕末の世相が語られています。大変興味深く読みました。
(2003年9月刊。3400円+税)
2019年1月20日
男たちの船出
江戸
(霧山昴)
著者 伊東 潤 、 出版 光文社
圧倒的な迫力があります。喫茶店で、いつものように原稿を書いていて、ちょっと頭休めのつもりで読みはじめたら、もう止まりませんでした。いえ、この先どういう展開になるのか、それを知りたくて、ついつい頁をめくってしまうのです。ついに、トイレに行くのまでガマンして、身動きすらせずに読みふけって読了してしまいました。
千石船づくりに果敢に挑戦する船大工の父子の話です。ところが荒波にもまれて、船は次々に難破して、手だれの船大工たちが亡くなっていくのです。
佐渡ヶ島に渡って、そこで荒波とたたかいながら千石船づくりに挑戦します。ようやく成功したかと思うと、荒波の脅威の前に船は沈没し、命がけで挑んだ若き船大工は命を落とすのです。さあ、次は、父親の出番。もう引退しようと思っていた父親がカムバックして、見事に千石船を誕生することができるのか・・・。手に汗握る、息もつかさない展開です。
同じ著者の『巨鯨の海』もすごい迫力の漁師の話でしたが、負けるとも劣りません。思わず数えてみると、書棚に著者の本が13冊並んでいます。ですから、この本は14冊目に読んだ本でした。プロの筆力のすごさを実感させられます。
「神仏には病魔退散を願うだけにしろ。船づくり(船大工)は神仏に頼ったら駄目だ。頼ったら最後、詰めが甘くなり、いい船は造れなくなる」
なるほどですね。苦しいときの神頼みもほどほどにすべきのようです。
弁財船とは物資の輸送に使われる大型の木造帆船のこと。北前船(きたまえぶね)、菱垣廻船(ひがきかいせん)、樽廻船(たるかいせん)は、それぞれ航路、形態、積み荷からそう呼ばれていっただけで、すべて弁財船。
弁財船が抱えるもっとも大きな問題は、舵(かじ)やそれを収納する外艫(そとども)にあった。弁財船の本体はきわめて堅牢な構造で、岩礁にでも衝突しない限り壊れるものではない。だが、舵と外艫だけでは弱かった。舵は船尾から直下に長く延びており、複雑な構造をしているので、海が荒れると壊れやすく、また流木や鯨が直撃しただけで折れることもある。これまで難破した弁財船の大半は、舵と外艫に何らかの損傷を受けたことが原因だった。
「つかし」とは、航行もままならないほどの暴風に出あったとき、帆を下げて「垂らし錨(いかり)」を下ろし、大きな船首を風上に向けて暴風が去るのを待つという暴風圏での対処法のこと。
塩飽(しあく)には死米定(しにまいさだめ)がある。海の事故で亡くなった者の遺族に、定期的に米が支給されるという一種の保障制度のこと。
元禄時代、塩飽所属の船は427隻、船手衆は3460人を数え、3万石の大名と同等の動員力をもっていた。
和船造りは、航の設置から始まる。航は洋船の竜骨と同じ役割を果たす船の大黒柱のようなもので、和船の航は幅広の厚板となる。工程は、主に大板を組み合わせていくことですすむので、これを「大板造り」と呼ぶ。そのなかでもとくに重要なのは、「はぎ合わせ」と「摺合せ」で、ここに大工の技量が問われる。
「はぎ合わせ」とは、何枚もの板をはぎ合わせて大板を造り出す技術のこと。船の需要が増して巨材の入手が困難となったために発達してきた。
「摺合せ」とは、航、根棚、中棚、上棚などの大板どうしを組み上げていく際に、縫釘を打つ前に隙間なく調整する作業のこと。
この小説には異例なあとがきがあります。次のように書かれています。
「本作は、事前に読書会を開催し、ご参加いただいた方々のご意見をできる限り反映しました」
そのうえで参考文献も明記されています。
まあ、それにしても登場人物の性格描写といい、情景の書きあらわしかたといい、頁をめくる手に思わず力が入ってしまうほどのすごさです。新年早々、心おどる小説に出会えたことに感謝します。
(2018年10月刊。1800円+税)
2019年1月21日
人体は、こうしてつくられる
人間
(霧山昴)
著者 ジェイミー・A・ディヴィス 、 出版 紀伊國屋書店
もっとも身近な驚異の世界、ワンダーランド、それは私たちの人体です。
人間は体内で病気を治す薬まで合成しているのですから、本当に不思議な存在です。
生物が自らを構築するとき、発生に必要な情報は胚(はい)のなかにあり、それを胚自身が読みとって自らをつくりあげていく。外部の図面にもとづくものではなく、外からの指示によるものでもない。
生物構造の場合は、構築にかかわる全要素が責任を共有する。DNAは、いわゆる設計図ではない。そこには詳細な設計図はなく、現場監督もいない。ましてや既存の機械や工具を使えるわけでもない。
生物の材料は三つ。タンパク質、メッセンジャーRNA(mRNA)、DNAの三つだ。
成人の細胞は、数十兆の単位で(37兆個か・・・)、これは銀河系の星の数の10倍以上だ。
細胞には厳密に定められた形がない。ほとんどの細胞は、周囲の環境に応じて形が決まる。ヒトの典型的な体細胞は直径が0.01ミリ。
当初の細胞は、どれも同じ能力をもっていて、人体のどの部分にでもなりうる。たとえば頭部となると決められた細胞が初めからあるわけではないし、指令塔のような細胞が最初からあるわけでもない。
細胞はとても小さいが、細胞内の反応を担うタンパク質はもっと小さく、10万分の1ミリメートルほど。そのタンパク質が溶け込んでいる液体の水分子は、さらに小さい。
胚は、最初の血液細胞を大動脈の壁だった細胞からつくる。これは血管のなかにいる細胞なので、どうやって血管のなかに血液細胞を入れるのかという「難問」は考える必要がない。
人が学習するとは、脳のニューロン同士がシグナルのやりとりを介して結合を変えること。大脳には、数百億のニューロンがあり、成人では一つのニューロンが1000ほどのシナプスをもつので(子ども時代はもっと多い)、大脳全体のシナプスはまさに無数にあると言える。
健康な腸には、組織1グラムあたり10億から100億の微生物がいる。
腸内細菌は、酵素を分泌して、消化や代謝を助けてくれる。
腸内細菌は、毒素あるいは発癌物資になりうる食物分子を細菌酵素によって攻撃してくれるので、食物を安全なものにする役割も果たしている。
人体に有益な菌が豊富な環境として女性の膣もあげられる。
共生細菌は、ヒト細胞とシグナル伝達による会話をする。
腸の共生細菌は、シグナルを出すことで、自らの生存を確保する。
ヒトと腸内寄生虫は、長いあいだ、ともに進化してきた関係にある。
ぜん息は、免疫系のバランスが崩れ、ほこり、動物の毛、花粉といった無害な物質に過剰に反応してしまうのが原因だ。
目のレンズ機能の3分の2は角膜が担っていて、「目のレンズ」と呼ばれる水晶体は3分の1でしかない。
どの動物も、メンテナンス重視で長生きするか、それとも精力的に短く生きるかという選択肢のあいだでバランスをとっている。たとえば、マウスは捕食されるリスクが非常に高いので、短期間で繁殖することに注力する。
ヒトの活力と長寿への投資配分は、祖先がアフリカの平原でさらされていた捕食リスクによって決まったもの。ヒトが生まれながらにもつメンテナンスシステムは、100歳をこえる人はごく一部という仕様だ。
人体の不思議な仕組みの一端を知ることのできる興味深い本です。
(2018年11月刊。2500円+税)
2019年1月22日
安倍官邸vs.NHK
社会
(霧山昴)
著者 相澤 冬樹 、 出版 文芸春秋
森友事件をスクープしたNHKの記者が、なぜNHKを辞めたのか、その事情が本人の口から語られています。NHKは、著者に対して「事実無根」だとか、反撃しようとしているようです。言論の自由を拡大する方向での食い違い(論争)であってほしいものです。
著者はラ・サール高から東大に入り、法学部を卒業してNHKに入って31年間の記者生活を送っています。森友事件と出会ったのは、大阪司法担当キャップになったことから。
森友学園の土地払下げ問題の核心は、開設される新しい小学校の名誉校長に安倍昭恵総理夫人が就任していること。要するに、安倍首相が公私ともに国有地の不当払い下げに直接かどうかを問わず関わっている疑いはきわめて濃厚なのです。
したがって、安倍首相は国会で再三明言したとおり首相を辞めるだけでなく、国会議員も辞めなければいけません。それなのに今日なお、首地の地位に恋々としがみついているのです。醜状をさらすもほどがあります。こんな首相をトップに据えておいて、子どもたちに道徳教育の押し付けを強化しようとしているのですから、開いた口がふさがりません。
著者は安倍首相夫人とのかかわりを記事の冒頭においた原稿をつくった。しかし、デスクが削ってしまった。あたりさわりのない原稿にデスクは書き換えたのです。
NHKの小池報道局長は、安倍首相と近く、安倍政権に不都合なネタを歓迎するはずがない。部下は、当然のように上司たちの意向を機敏に察知する。
忖度(そんたく)しない記事を電波にのせたとき、NHKの上層部から言われる言葉は次のようなもの。
「あなたの将来はないと思え」
いやあ、これって恐ろしい言葉ですよね・・・。
なぜ、国有地が格安で販売されたのか。国と大阪府は、なぜ無理に認可してまで、この小学校をつくろうとしたのか。
森友事件とは、実は森友学園の事件ではない。国と大阪府の事件だ。責任があるのは、国と大阪府なのだ。この謎を解明しないと、森友事件は終わったことにはならない。
NHKが報道機関としていったいどうなっているのか、その内実を知りたい人には超おすすめの本です。
(2018年12月刊。1500円+税)
2019年1月23日
長篠合戦の史料学
日本史(戦国)
(霧山昴)
著者 金子 拓 、 出版 勉誠出版
1575年(天正3年)というと1600年の関ヶ原の戦いの25年前です。織田・徳川連合軍と武田軍が激突し、武田軍が惨敗しました。武田軍は織田信長の3千挺の鉄砲の3段撃ちの前に次々に騎馬の将兵が戦死していったとされています。つまり、武田勝頼は強がりだけの若(馬鹿)武者だったという評価が定着している気がします。
ところが、織田軍が本当に3千挺もの鉄砲をもっていたのか、火縄銃の3段撃ちなんて現実に可能だったのかという疑問が出され、一時は全否定されていました。ところが、最近では、3千挺というのはありうるという説もあるようですし、3段撃ちは可能なんだという反論もそれなりに説得力があります。
また、武田軍にしても、鉄砲隊はそこそこ備えていた、また勝頼は決して若(馬鹿)殿ではなく、信長は敵として高く評価していたことも明らかにされています。本書は、いくつもある「長篠合戦図屏風」などの史料もふまえて真相解明に迫っています。
長篠合戦は、織田信長が当面の敵と考えていた浄土真宗本願寺とのたたかい(石上合戦)の過程で副次的に生じた出来事だった。信長は勝頼と戦う状況は想定していなかった。
長篠の戦いにおいて、織田・徳川の連合軍のうち、いくさの中心はあくまで徳川軍であり、織田軍は援軍の立場にあった。そして、本願寺との戦いのため、できるかぎり自軍の損害を抑えたいと信長は考えていた。そこで、織田軍は窪地に隠れるように配置され、前に馬防柵を構え、大勢が決するまで、柵の外でできるだけ戦わないようにした。
決戦場となった設楽原(しだらがはら)は、ぬかるんだ水田であり、腰のあたりまで水に浸かったため、武田軍の機動が大きく封じ込められた。東西400メートル、南北2キロの、非常に南北に長い地域で決戦が行われた。
織田・徳川の連合軍は3万8千人。火縄銃3500挺を用意した。
火縄銃の有効射程距離は50メートル。
長篠合戦の実際を、さらに一歩ふかく知ることができました。
長篠・長久手の合戦を画題とする合戦図屏風は現在17件が見つかっているとのことです。すごい迫力のある画面です。
(2018年10月刊。5000円+税)
2019年1月24日
紛争地の看護師
アフリカ
(霧山昴)
著者 白川 優子 、 出版 小学館
「国境なき医師団」というものがあり、世界各地の紛争地で人道的見地から地道な活動を展開していることは知識として知っていましたが、日本人の女性看護師が活躍していたことは知りませんでした。シリア、イラク、イエメン、南スーダンほかに8年間で17回も派遣されたというのです。砲弾が頭上を飛び交うなかの医療活動です。その勇気と心意気に心から拍手を送ります。
小心者で臆病な私には、とてもできません。せめて、ささやかなカンパを捧げたいと思います。アフガニスタンでがんばっている中村哲医師をつい思い出しました。こういう人たちによって平和憲法をもつニッポンが高く評価されているのですよね、本当にありがたいことだと思います。
行けば自分も危険にさらされるかもしれない。活動中の生活環境は厳しく、戦時下での医療がスムースにおこなえるとも限らない。苦しんでいる人たちがたくさんいるのに、医療すら自由に施せない戦争とは、本当に残酷なものだ。
「何もあなたが行くことはない」
「日本でだって救える命はある」
では、誰が彼らの命を救うのだろう。彼らの悲しみと怒りに、誰が注目するのだろう。
医療に国境はない。国、国籍、人種をこえた、同じ、人間としての思い、報道にもならない場所で、医療を求めて、また医療が届かずに泣いている人との痛みや苦しみを見過ごすことはできない・・・。
外国人の女の子が患者として運ばれてきた。モスルで外国人の子どもといえば、身元は明らか。ISの戦闘員の子どもだ。両親は自爆テロで亡くなり、その女の子だけが残された。
モスルを3年間も恐怖に陥れたIS戦闘員の子どもに、スタッフたちは心から優しく接した。
戒律を課し、ときに残酷な処刑も辞さない。市民の多くが、自分の家族や親戚の誰かを殺されていた。生活から自由を奪われ、みなが傷ついていた。当然、モスル市民にとってIS戦闘員は憎い相手であるに違いない。その憎き相手であろうISの子どもの世話に、モスル市民が一生懸命になっている。
そうなんですが、そういうこともあるんですよね、大変な仕事ですね。でも、必要なんですよね、こういうことって・・・。
ラッカで収容する患者の地雷被害には、いくつかの特徴がある。
一度に運ばれてくる患者は、みな同じ一族だ。脱出するときは、家族、親戚ぐるみで決行するから。亡くなるのは、先頭を歩く一家の主(あるじ)。そのうしろを行く2人目も亡くなるか、四肢切断などの重傷を負う。列の後方になるにしたがって、傷が浅くなっていく。うひゃあ、地雷原の脱出行って、そんな痛ましい状況に陥るのですね・・・。
ラッカの外気温は50度。ところが、宿舎には冷房がない。不眠不休で仕事をしていても、猛暑が眠りにつかせてくれない。夜になると、蚊やダニに刺された箇所が気が遠くなるほど痒くなる。身体中、200ヶ所は刺されていた。47キロあった体重が41キロになった。
著者は7歳のとき「国境なき医師団」の存在を知り、あこがれたとのこと。それを30年かかって実現したのです。すごいですね、偉いです。
銃創のときには爆傷とちがって、手術にならない可能性がある。ところが、空爆や砲撃などの爆弾による患者だと、問答無用で手術が必要になる、しかも、負傷箇所は銃創とちがって多数のことが多く、損傷も激しい。無数の破片物が身体中に突き刺さっていることも多い。
紛争地では、酸素ボンベを決して保持してはいけないという鉄則がある。万が一の攻撃によって酸素に引火したら爆発するからだ。
規則正しい連続した銃声だと祝砲だ。不規則に続く銃声は争いの可能性がある。
MSFが支援する医療施設では、一切の武器の持ち込みを禁止している。しかし、銃は、イエメン社会では男性の象徴とされている。
いやはや、本当に頭の下がる大変な活動です。生き甲斐を見失っている日本の若者に、もっと広めたいものです。
(2018年10月刊。1400円+税)
2019年1月25日
パール・ハーバー(上)
日本史(戦前)・アメリカ
(霧山昴)
著者 クレイグ・ネルソン 、 出版 白水社
真珠湾攻撃について、アメリカ側は日本側の動きを知っていながら日本軍の攻撃を許したという説が今なお一部にくすぶっていますが、本書は、アメリカ軍が文字どおり馬鹿にしていた日本軍から不意打ちをくらった状況をあますところなく明らかにしています。
その根底には、日本軍なんて言葉だけ勇ましがっているだけの恐れるに足りる存在なんかではないという蔑視観がありました。しかし、それは、日本軍にとっても同じでした。アメリカ軍なんて、ちょっと攻撃したら、たちまち尻尾を巻いて逃げだすに決まっているという尊大な考えに取りつかれていたのです。
もちろん、どちらも誤りでした。双方とも死力を尽くして戦い、結局、圧倒的な物量の差で帝国日本軍はみじめな敗退を重ねていったのです。
開戦当時ハワイにいたアメリカ艦隊は戦争に向けて完璧な状態とは言えなかった。給油艦も不足していたし、兵士も上官も自覚が足りず、早く家に帰りたい、家族に会いたいとばかり考えていた。ハワイには十分な燃料保管施設がなく、偵察機も足りなかった。ハワイのアメリカ軍は午前中だけ働き、午後はゆったり過ごしていた。
当時のアメリカ人の日本人に対する評価は、きわめて低かった。
日本人は、頭の回転が鈍く、合理的な発想ができず、幼稚で、非現実的で、脅迫観念にとらわれ、内耳の欠陥、極度の近視、そして出っ歯、すなわち劣等人種だ。そんな日本に、アメリカ攻撃がうまくやれるわけがない。臆病な日本人がアメリカを攻撃してくるなんて、金輪際ない。
日本人のほうは、映画によって、アメリカ人をギャングであり、浮浪者であり、売春婦であるとみていた。また、アメリカは金持ちの、金持ちによる、金持ちのための国家だとみていた。アメリカ人は商人であり、ゆえに利益を生まない戦争はそう長くは続けないとみていた。
長年におよぶ経済的苦境と党利党略政治の結果、アメリカの防衛力は相当に劣化していた。司令部の最上層部を占めるのは、1898年の米西戦争の生き残りばかりだった。
徴集兵は1940年時点で、わずか24万3500人のみ。兵士が手にする銃は1903年設計の年代物のスプリング・フィールド銃だった。1941年1月から2月にかけて、日本軍が真珠湾に大規模な奇襲攻撃を敢行することを計画しているという情報がアメリカ当局に寄せられていた。しかし、これについて、「にわかに信じがたい」とか、「この噂については何ら信頼していない」というコメントがついていた。
2月末、アメリカのスターク海軍作戦司令は、日本には十分な人員と戦艦がないため、インドシナ・フィリピンなどへの同時侵攻は不可能だと断定していた。
日本軍も、1936年以降、アメリカの外交電報の多くを解読していた。
しかし、ワシントンも東京も、互いの軍事暗号だけは解読できていなかった。
アメリカ側がレーダーと暗号解読という秘密兵器を有していたのに対して、日本はハワイにスパイを置いていた。
1941年時点でのハワイ在住民間人のうち、4割の15万8千人は日本人を祖先にもっていた。ハワイのレストラン、食料雑貨店の半分、建設労働者の大半、自動車工の大半、商店の売り子のほぼ全員、そして農民の100%は日本人か日系人だった。
上巻のみで380頁もある大作です。じっくり読みたいという人におすすめの本でした。
(2018年8月刊。3800円+税)
2019年1月26日
大名絵師、写楽
江戸
(霧山昴)
著者 野口 卓 、 出版 新潮社
東洲斎写楽の役者絵は、いつ見てもすごいです。圧倒されます。目が生きています。見事な人物描写です。
写楽絵が登場したのは寛政6年(1794年)のこと。フランス革命(1789年)の直後になります。この皐月興行で役者の黒雲母(くろきら)摺(ず)り大判大首絵を28枚、続く盆興行、顔見世興行と多量に出し、翌年の初春興行では少し出しただけで、それきり跡形もなく消えてしまった。だから、今なお、写楽とは誰なのか、その正体を究めようという人々がいる・・・。
いえいえ、写楽は、阿波つまり徳島の能役者で斎藤十郎兵衛だと決まっているじゃないか。私も、実はそう考えていました。
ところが、この本は、いやいやそうじゃないんだ、実は写楽は徳島藩主になった佐竹重喜(しげよし)なのだ、その正体を隠すために二重三重のトリックを使ったという展開の本です。
小説なので、どれほど史実にもとづいているのか私には分かりませんが、その展開はとても面白いものがありました。
写楽こと重喜は、徳島藩主になってからあれこれ藩政を改革しようとし、家臣内の猛反発を受けて失脚してしまうのです。藩政よろしからずと幕府に隠居を命じられたのでした。32歳で徳島藩の江戸屋敷、そして徳島の大谷別邸で暮らすようになった。
重喜は狩野派に学んだうえ、平賀源内から蘭画の手ほどきを受けた。
喜多川歌麿、葛飾北斎、司馬江漢、円山広挙、谷文晁そして山東京伝など、そうそうたる絵師がいるころのこと。
大谷公蜂須賀公重喜候を連想させない名前として東洲斎写楽が考案された。
そして、役者の錦絵を描かせて売り出すのは、蔦屋(つたや)重三郎だった。重三郎は耕書堂という屋号で版元を営んでいた。徳島藩の現藩主は重喜の息子。前藩主が徳島を出て勝手に江戸に移り住んでいることが発覚すると幕府当局から厳しくとがめられる危険がある。したがって、すべては隠密に事を運ばなければいけなかった。
絵師の世界、そのすごさが活写され、よくよく伝わってきます。電車の往復で読了し、幸せな気分になりました。
(2018年9月刊。1900円+税)
2019年1月27日
大名権力の法と裁判
日本史(江戸時代)
(霧山昴)
著者 藩法研究会 、 出版 創文社
江戸時代の藩政において法令がどのように機能していたのか、学者の皆さんが、それぞれの研究成果を発表した論文集から成る本です。主として刑罰法規とその運用状況が語られています。私の関心は民事、とりわけ分散にありましたので、それを紹介します。
分散とは、今でいう破産のことです。
元禄期の岡山藩における分散の実情が紹介されています。
分散の開始にさいしては、債権者と債務者の同意が要件であった。債権者が債務者を破産させて債務を弁済させるのと、債務者が破産を申立てて債務を弁済するのと、二つあった。つまり、債権者申立の破産と自己破産の二つがあったわけです。
債権者が分散によって決着したので、「以後申分無之」と確言したときには、たとえ債権者は僅少の弁済しか得られなかったとしても、それで満足し、今後は債務者に対して弁済を請求しないと保証したことを意味する。
分散は、身代のつぶれた債務者に対する債権者の温情による債務処理という側面をもっていた。つまり、分散によって債権者は、早期に弁済を得られるが、僅少の弁済額で満足せざるをえない危険を負担し、他方、債務者は、今後債務を弁済する責任を免除された。このように、分散は、いわば経済的に破綻した債務者に対する債権者の温情による債務処理でもあった。
江戸時代にも破産手続というべき分散の手続があり、それなりに合理的な手続だったことが理解できました。
(2007年2月刊。8000円+税)
2019年1月28日
腸で寿命を延ばす人、縮める人
人間
(霧山昴)
著者 藤田 紘一郎 、 出版 ワニブックス新書
免疫と腸内細菌は、相互に頼りあう関係。
腸内細菌の世界の多様性が豊かになるほど、免疫力も高まっていく。赤ちゃんが、人の指でもおもちゃでも、道に落ちているものでも舐めたがるのは、腸内フローラを豊かにして強い免疫力を築こうとする本能のようなもの。
腸は、人が食事をし、排便する日中はもちろんのこと、人が眠っているあいだも活動を活発に続けている。生まれてから死ぬまで片時も休むことなく、フル活動できるだけの持続的で膨大なエネルギーを求めている。
腸内細菌は、ホルモンの合成にも働いている。セロトニンやドーパミンなど、幸せホルモンの前駆体を脳に送り出すのも腸。
悪玉菌には免疫細胞を刺激する作用がある。悪玉菌がまったくいないと免疫もまた育たない。
腸内環境を整えるためには、毎日の食事で水溶性食物繊維と不溶性食物繊維をバランスよくとることが大事。それにはキャベツを食べること。キャベツには、水溶性食物繊維と不溶性食物繊維がバランスよく含まれている。1日に身体が欲するビタミンCは、キャベツの葉を4枚食べたら摂取できる。酢キャベツは、とくにおすすめ。
肉をまったく食べないと、たんぱく質が不足して、新型の栄養失調を起こしてしまう。
菌を敵視していては、決して健康にはなれない。まずは、抗菌グッズの使用をやめよう。テーブルの上やその周辺の床に落ちたものは、食べたほうが免疫は強くなる。家庭内に落ちたものならば、腸内フローラが対応できないほど困った菌が付着する心配もない。
がんを防ぐには、1に、糖質の摂取を控える。2に、食べ過ぎない。3に、ミトコンドリアエンジンをもっと意識して使う。4に、身体を温める。
毎日風呂に入って、身体を温かく保ち、免疫細胞を鍛える。運動は好きなことをする。
著者は週1回、プール通いを実行しています。私も同じです。週1回、夜に30分間で1キロを自己流のフォームで泳いでいます。
がんになると、冷たいものや甘い物が欲しくなる。冷えていて、糖分の多い飲料は、がん細胞の大好物だ。
としをとってきたら、「おいしくない」と感じる食品を無理してとる必要はない。
とても実践的で、大変わかりやすいので、即実行できるものばかりです。
さあ、今日からやってみましょう。
(2018年12月刊。880円+税)
日曜日の朝、仏検(準一級)の口頭試問を受けました。この1ヶ月ほど、頭のなかは、それで占められていて、落ち着きませんでした。なにしろ、何が出題されるか分かりませんが、3分前に与えられたテーマについて、3分間スピーチをするのです。事前に私が予想したのは、人工知能(AI)は仕事を奪うかと、黄色いベスト現象をどう考えるか、でした。ところが、当時医学部受験で女性が不利に扱われたことが発覚したが、どう考えるか、でした。もう一つは、動物保護の問題です。医学部受験で女性が不利に扱われていたことは、私には驚きでしたので、そのことをまず言って、大学の弁明は理解できなかった、女性医師の労働条件の改善が必要だと述べました。ところが、なにしろフランス語で話すのです。単語がスムースの頭に浮かびません。そして、何が問題の本質なのか、解決のためにどうしたらよいのか、うまく展開できません。3分間スピーチなのに、2分あまりで終了し、あとはフランス人試験官の質問に答えます。質問は分かりますが、うまくフランス語で答えられません。あっというまに7分が終わって、冷や汗がどっと吹き出しました。
受付の女性は顔見知りですので、「どうでしたか?」と尋ねられ、「いやあ、いつも緊張します。ボケ防止なんですけど・・・」と答え、そそくさと試験会場をあとにしました。1年に1度の口頭試問が終わり、肩の重荷をおろして天神に向かうと抜けるような青空が広がっていました。
2019年1月29日
弁護士13人が伝えたいこと
司法
(霧山昴)
著者 久保井 一匡ほか 、 出版 日本加除出版株式会社
32例の失敗と成功。こんなサブ・タイトルがついていますので、興味をひかないわけがありません。いったい、どんな失敗をしたのかな、もって他山の石とできるものなら、安いものだぞ・・・。そう考えて読みはじめました。期待を裏切ることのない本でした。
14期から61期までの13人の弁護士が自分の扱ったケースを単純な自慢話としてではなく紹介しています。大変勉強になりました。
それにしても、ずいぶん前に終わった事件について、どうやってその顛末を語ることができたのかな、そんな心配もしました。序文には、そのことも中山巌雄弁護士(21期)が触れています。
たいていの裁判記録は保存期間終了時に姿を消す。記録とともに苦労も忘れてしまっている。紹介したケースは、記録を再現できたものばかりである。
なるほど、そうでしょう。実は私も弁護士生活45年になり、無事に古稀を迎えましたので、古い記録の大半を処分してしまいました。保存期間を経過していても、いつか参照することもあるかもしれないと思って書庫の奥にしまっていたのです。もう参照するはずはないと考えて、ごく一部を除いて大半を処分しました。この年末年始にやったことです。
混沌のなかで、いつも弁護士の念頭にあるのは正義とは何か、である。正義も多義的であり、依頼者の相手方には別の正義がある。正義も調整の対象となる。
弁護士は難しい理屈ばかりを考えているわけにはいかない。直感的に不合理だと思ったことには、本能的に必要な対応をとる。これが大切だ。
遺産分割にあたって、預金の相続は協議の対象とはならないとしてきた最高裁判例を変更させた事件の法廷での弁論が紹介されていますが、さすがの内容です。大法廷で、双方に40分の口頭弁論が認められたのでした。1人10分ずつの弁論。どうやって最高裁判事のこころを開くか・・・。
実は、私も2回だけ最高裁の小法廷で口頭弁論したことがあります。フツーの民事事件でした(通行権と交通事故)。どちらも控訴審まで勝っていたのが逆転敗訴させられたものです。結論は見えていましたが、ちゃんと原稿をつくって口頭弁論しました。ちょうど東京の大学で勉強していた息子と娘を傍聴させて聞かせました。
負けた事件の反省として、時代の大きな流れを読み誤っていたということが書かれています。うむむ、これは大変なことですね、弁護士は時代認識もしっかりしておく必要があるというわけです。
器質的損傷のないRSD症状というものがあることを初めて知りました。
RSDとは、反射性交感神経性ジストロフィーのことです。疼痛、間接拘縮、腫脹、皮膚色の変化が持続します。骨萎縮は、今では要件とされなくなっているとのことです。
和解を目的として裁判を起こすときには、対立する相手方を和解の席に着かせる道筋を考えたうえで、早い時点で和解案の準備をしておくことが、和解のタイミングを逸さず、早期に依頼者が満足できる解決に導くことにつながる。
なるほど、と思うところが多々ありました。
(2018年11月刊。2500円+税)
2019年1月30日
戦乱と民衆
日本史(戦国)
(霧山昴)
著者 磯田 道史・呉座 勇一ほか 、 出版 講談社現代新書
戦乱というから戦国時代のことを論じた本かと思うと、なんと古代の白村江の戦いから幕末の禁門の変まで広く対象にしています。
豊臣秀頼の死に至る大坂の陣について、イエズス会士が詳しい報告書を書いているとのこと。イエズス会士は大坂城に滞在していて、落城前に2人が脱出して助かったそうです。知りませんでした。そして、大坂城の近郊にはオランダ人が滞在していて、彼らは主として毛織物を販売していました。
当時の大坂の人口は20万人。そこへ牢人たちが10万人も集まってきた。家族を伴って来た牢人も少なくなかった。大坂に残っていた人の大半は、豊臣方の牢人とその家族だったと考えられる。
幕末の禁門の変によって、京都の町は焼けて大変な被害にあった。
会津藩と桑名藩が一橋慶喜の指示を受けて手当たり次第に放火した。そのため、公家や大名をふくめた京都の民衆から、「一会桑」と呼ばれる一橋家、会津藩、桑名藩は恨みを買った。
そして焼け跡で何が起きたか。戦死者の胴巻に多額の所持金があり、それを遺体を片付ける人夫が自分のものとし、その後、新京極あたりで商売を始める元手として成功した人がいた。ものすごい臭気のなかでの作業だ。民衆のたくましさを示している。民衆は、ただ「やられていた」という存在ではなく、むしろ自分たちが奪う側にまわったり、戦争を機にのし上がっていこうとする、たくましい存在でもあった。
京都は幕末の騒動のため、焼け野原で空地が多かった。金融システムまで破壊されたので、再建する資金の手当ができなかった。そのため、京都は深刻な住宅不足となった。明治10年ころまで、この状態が続いた。京都が首都になれなかった理由の一つがこれだった。
明治も後半になった37年に西郷隆盛の子、西郷菊次郎が2代目の京都市長に就任した。これは、京都への資金導入を願った京都財界人が薩長との人脈に注目して要請した人事。菊次郎市長は、発電、上下水道整備、市電設置という京都三大事業を成し遂げて京都の発展を導びいた。
うむむ、民衆視点で歴史を語る話は、とても興味深いものがありますね。
(2018年8月刊。780円+税)
2019年1月31日
パール・ハーバー(下)
アメリカ
(霧山昴)
著者 クレイグ・ネルソン 、 出版 白水社
日本軍がハワイの真珠湾を攻撃したとき、まさしくアメリカ軍は予期していませんでした。完全な不意打ち攻撃だったのです。
12日前に、「太平洋艦隊」司令長官であるキンメル大将は海軍の戦争計画担当のチャールズ・マクモリス少将に日本軍が攻撃をしかけてくる見通しがあるかを尋ねた。マクモリスは断言した。
「ゼロです。100%ありえません」
日本軍の航空機から機銃掃射される直前まで、アメリカ兵は味方の訓練飛行と思っていたのでした。
アメリカの戦艦「アリゾナ」は、わずか9分で沈んだ。海軍と海兵隊の将兵1177人が亡くなった。
真珠湾で失った日本軍機は29機のみ。アメリカ軍機は、友軍の砲撃にもやられた。しかし、真珠湾にはアメリカの空母は1隻もいなかった。だから、これが大勝利とは、とうてい言えなかった。そして、真珠湾の石油タンク群、450万バレルが無傷で残った。
30分間で、アメリカ太平洋艦隊に所属する8隻の戦艦すべてが爆撃・雷撃され、当面の作戦行動が不可能となった。さらに20分間でハワイ駐留米軍の航空兵力の3分の2にあたる180機が残骸と化した。
そして、アメリカ市民の反応は・・・。
ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン紙。
「いまや衝突は不可避となり、おかげで今回の事態は、ある種の安堵感をもたらした。まさに霧は晴れたのだ。これにより、アメリカ国民は、従来の論争を忘れ去り、やるべき仕事に邁進できるだろう」
シカゴ・デイリー・ニューズ。
「日本に感謝したい。わが国に不和と麻痺をもたらしてきた国民世論の深い亀裂は、以後、雲散霧消するだろう。もはや、やるしかないのだから」
そして、チャーチル首相は、こう言った。
「アメリカ合衆国をわが陣営にもつことは、私にとって最大の喜びだった。これでヒトラーの命運は尽きた。ムッソリーニの命運も尽きた。そして、日本は粉砕されるだろう」
アメリカ議会は、上院は満場一致で、下院は賛成388票、反対1票で可決。たった52分間で宣戦布告を決議した。
ハルゼー提督は言った。
「ジャップを殺せ、ジャップを殺せ、もっと多くのジャップを殺せ」
「日本語は、いずれ、地獄のみで語られる言語となるだろう」
真珠湾攻撃のあった日から4ヶ月ほど過ぎた1942年4月18日、日本本土はアメリカ軍機によって空襲された。アメリカ軍の反撃が始まり、日本軍は連戦連敗を重ねていくのでした。
この本は、陰謀説をまったく根拠のないものとしています。私もそう思います。
ルーズベルト大統領をはじめとするアメリカ当局は真珠湾攻撃があることを察知していながら、やらせたのだという「説」です。まったくありえない話です。
いずれにせよ、日本が無謀な世界大戦へ突入していったことは十分反省し、そのようなことが起きないよう、今日の私たちも気をつけるべきだと思います。
(2018年8月刊。3800円+税)