弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2018年12月13日

本土空襲全記録

日本史(戦前)

(霧山昴)
著者 NHKスペシャル取材班 、 出版  角川書店

日本の敗戦前に、日本全国がB29爆撃機による大空襲の被害にあいました。
その空襲の状況をアメリカ側の資料によって丹念に掘り起こしています。その典型が専用機に取り付けられていた「ガンカメラ」と呼ばれる特殊なムービーカメラです。ガンカメラが記録した映像は、被害にあった日本の都市や逃げまどう人々を生々しく描いているのです。
大分県宇佐市を拠点として活動する市民団体「豊(とよ)の国、宇佐市塾」が映像の収集・分析をしている。
九州はアメリカ軍による空襲被害が大きい。なぜか・・・。アメリカ軍のオリンピック作戦は九州南方の3地点から強襲上陸作戦を考えていたから。
アメリカ軍による本土空襲の被害者は46万人。
アメリカ軍は、軍関連施設と生産関連施設の両方を狙った「精密爆撃」を早くから緻密に計画していた。しかし、現実には「精密爆撃」というより「地域爆撃」、「無差別爆撃」が実施された。それは、都市労働者の能力に打撃を与えること、住民の戦意・抗戦意思を破壊するためのテロ(恐怖)効果を狙った。
しかし、実際にはドイツへの大空襲もロンドン大空襲も、狙われた住民の戦意喪失どころか、戦意の高揚を大々的にあおるものでしかなかった。都市への無差別攻撃を始めたのは、実は日本とドイツだった。日本軍は、中国の重慶を狙って壊滅させた。
アメリカ軍のF-13写真偵察機は、B-29を改造したもので、1回の飛行で7000枚ものネガを持ち帰った。17回の偵察旅行を繰り返し、写真撮影と気象観察を徹底して行った。
アメリカ軍の飛行機は、日本軍の迎撃を避けるため1万メートルの高度から爆撃を仕掛けていた。ところが、日本の上空は天候が不安定で、いつも嵐が吹き荒れていた。
東京大空襲を指揮したのはカーチス・ルメイ将軍。
「もしジャップが戦争を続ける気なら、奴らにはすべての都市が完全に破壊される未来しかない」
一連の爆撃で投下された焼夷弾は192万発。1944年11月からの4ヶ月間でアメリカ軍が失ったB-29は105機。兵員の死者・行方不明者は864人にのぼった。
実は、それまでアメリカ空軍は存在しておらず、アメリカ陸軍航空軍でしかなかった。陸軍の地上軍17万人、海軍14万人に対して、航空軍は2万人しかいなかった。航空軍にとって、太平洋戦争は、組織の独立戦争でもあった。
当時、前線での指揮権をもたない航空軍が手柄を立てるには、B-29をつかった日本への直接攻撃しかなかった。ルメイ将軍は、日本式の家には低空用の対空砲火がなかったことを知り、焼夷弾を有効活用することにした。
アメリカ航空軍は、1939年は最新型爆撃機を14機もっていた。ところが1944年には10万機、戦前の20倍も持つに至った。
カーチス・ルメイが当時38歳だったとは知りませんでした。道理でベトナム戦争でも悪役になれたわけです。それなのに、日本は戦後何十年もたってからルメイへ勲章を授与しているのです。呆れてしまいます。市民を大量無差別虐待していただいたことに敗戦国政府として感謝します、そんな意思表示したと同じです。私は許すことが出来ません。
いずれにしても、この本を読んでいろいろ貴重な情報を得ることができました。
(2018年8月刊。1500円+税)

  • URL

カテゴリー

Backnumber

最近のエントリー